コミックエッセイ:こうして赤子を授かった~中村こてつ不妊治療体験記~
流産。誕生日ケーキを前に泣いた日【こうして赤子を授かった~中村こてつ不妊治療体験記~ 第33話】
3日後が私の誕生日だったのです。サプライズで準備してくれていました。しかも手作り。嬉しかった。
瞬間、自分の誕生とお腹の子の死を思い、正反対であるその出来事に込み上げるものがありました。我慢できずに泣きました。
友人たちは嬉しくて泣いたと思ったようでした。(もちろんそれもありますが。)ケーキも食べ終わり、のんびりしたところで実は…、と今回の事を伝えました。
なんとか、泣かずに喋ることができました。友人たちは、真剣に聞いてくれました。その後の労わりや慰めの言葉は、やはりガーゼの上を通り過ぎるように聞いてしまったけど…
申し訳ないけど、しょうがない。素直にそれらの言葉を受け止めるには少し時間がいることなんだと思う。
オットには病院を出た後、報告しました。しんみりしたけれど、やはりそういう可能性もあると構えているところもあったので、気丈に受け止めてくれました。しばらく休んで、また頑張ろうな。と。
数日後、缶ビールを飲みました。すると、350mlを飲みきれませんでした。移植前は、1日数本を毎日平気で飲んでいたのに。なんだか苦くて、すぐに酔いが回って。体が飲まないことに慣れてきていたんだなぁ、けっこう母親らしくなってたんだなぁ、私。
涙が出ました。一度涙が出ると止らなくなりました。まだお腹の中にいる。私の子ども。オットの子ども。
子宮にしがみついて、成長してくれようとした私たちの小さな命。それなのに、自分が妊娠したことでうろたえパニックになっていた私は、ただの一度も、お腹に手をあてることも、話しかけることもしませんでした。
全く愛情をもって接してあげることがありませんでした。本当に、ごめんなさい。こんな結果になってから、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
本当に私は、ただの一度も、お腹に向って話しかけなかった。子どもは気付いていたろうか。こんな母親の仕打ちを。
一番もらいたかった母親の愛を感じられなかった。かわいそうな、私の子。
※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
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