コミックエッセイ:コソダテフルな毎日
家族旅行でクタクタ… ファミリーで楽しみたいけど原因は自分?!【コソダテフルな毎日 第83話】
子どもたちの目に「はやく」「まだ?」「いつ終わる?」って書いてあるーーー。
はぁ~、たまには私もゆっくり食べてみたーーい。
親は私1人じゃないんだから~~!って心の中で思いつつモヤモヤするわけですが、今回、分かった気がします!!
夫は、「あえて」そうやってるんじゃないか!? と。
■夫ならではの「線引き」
夫は子ども優先にし過ぎることが好きじゃないタイプの人なんです。
もちろん小さくて守らないといけない存在である乳幼児には大人より子どもを先にやってあげなくちゃいけないことってたくさんありますが、ある程度の年齢まで来たら、
「親が何を指し置いても一番に子ども!」ってしなくてもいいんじゃないか?と思っているんだと思います。
ましてや、三男ももう4歳。待てと言われれば待てる年齢ですし、最初に少し朝食を席に持っていったのであれば、あとは親の食事をとりに行って何が悪い! と。
夫は線引きがしっかりできていて、「ここまでは先にやるけど、ここまでやったら次に自分のことをする」と線がはっきり引かれてあるような気がします。
一方私は線の位置があいまいで、子どものために先にやらなくちゃ! とか言いつつも、心の中では「なんで私はいつまで経っても食べられないんだよ!」とモヤモヤしているというアンバランスな状態です。
いっそのこと、夫のようにシュッと線を引いて、ここまでは先に用意するけど、次はママのご飯取ってくるから待っててって言えばよかっただけなんだと…旅が終わってから気がつきました!
そして、もうひとつ、思い出したんですけど…
■ママの自己犠牲を、子どもはどう思っている?
今のこの私の様子、小さい頃に理解できなかった
母親の姿と一緒なんですよね。
うちの母も、子どもたちに先にご飯を食べさせて、自分はあとで家族の残りご飯を立ち食いしてるような人だったんですけど、子どもの私たちは何度も「お母さんも一緒に座って食べたら?」って声をかけてたんです。
しかし、母は「いいわよ、先に食べなさい」と言って、いつも家族の傍らで立って料理してるんです。
一見愛情溢れるように見えるんですけど、その割には「今日は忙しくて全く座れていない」とか「コーヒーの1杯も飲めなかった」と疲れたアピールを毎日ボヤいていて、じゃぁ、「コーヒーぐらい今飲んだらいいじゃん? 座ったら?」というと「そんな暇ない」って返ってくるのです。
それが子どもながらにすごく不思議でした。これ、子どもからしたら、
うれしくもなんともなかったんですよね。
忙しいけど、みんなのためにお母さんは頑張ってるんだから! と自己犠牲を主張されても、子どもからしたら腑に落ちないんです。
だったらおかずが1品少なくてもいいから、一緒に座って食べたらいいのに!! そっちの方がみんな楽しいのにって思っていました。