コミックエッセイ:夫婦・子育ていまむかし

遊女はどんな存在だった? 遊郭を作ったのは誰…? 調べてみると奥が深い「遊女の歴史」(前編)【夫婦・子育ていまむかし Vol.5】

夫婦・子育ていまむかし

夫婦・子育ていまむかし

江戸、明治、大正…と日本人はどんな子育てをしていたのでしょうか? 家族のあり方やライフスタイルが多様化している今、改めて日本の歴史を見直してみませんか! 不思議な公家のたぬ君と遊び女おこんのふたりが…

ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。tomekkoです。

少し前のことですが、大ヒット漫画がアニメ化&テレビ放映されることで、ちょっと子育て世代を中心にネットがざわついた話題をご存じでしょうか?

『遊郭』を子どもが多く見るテレビ番組で描くのはいかがなものか? という論争があったのです。
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その漫画については、わが家は夫と長男が主にハマっていたんですが、家族でこの話題が出ると真っ先にヒートアップしたのは…ワタシです(笑)

ワタシは日本史の中でも服飾史を調べていたのですが、服飾や髪型、化粧などの流行を知る上でどの時代でも外せないのが遊女の存在。

そのため、遊女史にもやたら詳しくなりました。だからこの話題について黙っていられない!!

現在の遊女や遊郭のイメージは、近世以降の事実をもとに、時代劇や映画などで脚色された独特の淫靡な世界観だったり、搾取される悲惨な話が一般的に浸透しているような気がするのです。

でも…でもね、これまでのお話と同様、歴史、文化史を調べてみると、実はぜんっぜん違う印象に…。


というわけで今回の主役になりそうなあの方をお呼びしましょう!

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あ、もう怒ってるわ…おこんさん。

おこんさんはその姿から、おそらく中世と近世の間、桃山時代ごろの遊女と思われます。
ご本人的にも現代の遊女の一方的なイメージには納得いかないみたいですね。

ではでは今回はちょっと長くなりますが前編後編でお送りいたします。
ガッツリ語りますよ? いいですか?

「遊女」は巫女だったという説も

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“巫娼“という言葉を聞いたことはあるでしょうか?

現代のワタシたちがイメージする「巫女さん」といえば清楚で穢れの無い女性ですよね。厳密に求められることはことは無いにしろ大前提として“処女性“が重要視されているとも言えるでしょう。

巫女と遊女なんて、現代では真逆のような存在…。

でも古代から中世にかけてはその両方の役割を兼ね備えた巫娼がいたようです。そもそもこの時代は性的なサービスをすることが良くないこと、恥ずかしいことであるという認識はなかったようで…。

彼女たちは「遊び女(あそびめ)」と呼ばれていました。

「遊」から想像するのは楽をしていたり、一定の場所に留まらずふらふらと好きなことをしている自由なイメージですよね。

でも実は「遊」の語源は「神様を楽しませる、喜ばせる」という意味があり、神前で舞や音楽を奉納することを「神遊び」と言ったりもします。

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歌や踊りも上手な遊び女ですから、社会的地位も低くなかったようです。いや、むしろ一般庶民よりもずっと高い教養を持ち、遊女は特別な存在で憧れの対象だったことも。

記録としても高級官僚、大伴旅人が赴任先の太宰府を去る際に、見送り人の1人、児島という遊び女が対等に歌を交わし合ったものが残されているのです。

遊び女は歩き巫女とも呼ばれ、巫女としての役割も持ちながらジプシーのように旅をして生活していたようで…。その中で神事に関わる歌や舞の技術を発展させて芸能者として派生していきます。

芸の道を行く女たちの栄枯盛衰

平安時代には、傀儡(人形使い)や白拍子(男装して仏歌や流行歌を歌いながら舞う)などが遊女性も持ちながら台頭します。

ここで、平安末期の平家物語で有名な祇王御前と仏御前のエピソードを例に出してみます。

平清盛に気に入られている白拍子、祇王御前ですが、ある日別の若い白拍子、仏御前が現れ清盛に心変わりされて追い出されてしまいます。その後仏御前もまた同様に清盛に捨てられて祇王と共に出家して尼寺で暮らす…。

ざっくりあらすじを説明するとこんな話なのですが、ちょっと不思議じゃないですか?

平清盛って、一般庶民が会いたいと思ってもとてもとてもお目にかかれるような人ではありません。
それなのに、白拍子は次から次へと清盛の家に入っていき、その御前で舞を披露できるんですよね。

なんででしょう?

この時代、僧侶や芸能者はいわゆる「身分を超越した者」として貴人に直接会うことができたのです。

これを「遊行」と言います。
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白拍子は芸能者ですが遊女性もあり、この時期多くの貴人、それも上級貴族や上皇などの最高権力者の側室となっているんですよ。


遊女の「遊」は“自由“の象徴へ

さてさて、そんな全然今とは違う遊女の成り立ちを見てきましたが、いよいよおこんさんの時代に突入してみます。

室町時代に入ると、社会的役割ごとに住む場所ができ、分業が進んでいきます。そんな中で遊女たちの「遊」からは、神遊びという宗教性を失っていき、"自由"の象徴と変化していきます。

おこんさんはじめ桃山時代ごろまでの遊女たちはよく絵画にも描かれていますが、さぞかし絵師も描きがいがあったんだろうなぁ、と意気込みが伝わってくるほど彼女たちのいでたちは独特でさまざまです。
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それまで日本の絵画は様式美が重要視されてあまり個性を感じないものが多かったんですよね。
同じ髪型に同じ衣服の着方、顔も引き目鉤鼻がお約束でした。

そんな中世末期の時代に、ルールや制限がなく、さまざまな髪型をし、同じ小袖でも越せていきな着こなし方やアクセサリーを身につける遊女たちには、当時の人たちも目を見張ったことでしょう。肩で風切るように街を闊歩する遊女たちの逞しさは、まるで現代のファッションの聖地、渋谷や原宿の若者たちを見ているよう。

日本中世の市中を描いた屏風などを見ると、すごく多様で人それぞれだったように見えるんですよね。

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