2017年1月25日 15:00
「私は、自分の気持ちに蓋をする」発達障害の娘の中学時代、孤独な闘いの中で語ったことは
私の娘は、22歳の時にアスペルガー症候群と診断されました。
そんな娘が小中学生だった当時は、まだまだ発達障害についての世間の認識が薄かった時代。娘の特性に対する理解や支援を得られず、小学校高学年から続いたいじめの影響で、神経性食欲不振症、不登校、被害妄想、幻聴幻覚、解離などの二次障害が現れていきました。
そして、いま現在も入院治療が続いています。
今回は、前回記事の小学生時代に続き、娘の中学生時代についてお話します。
これは今から、15年ほど前の出来事です。
現在では信じられないような出来事に、親子で随分と苦しめられてきました。障害や教育に対する支援・態勢が、現在と比べてどのくらい異なっていたのか、その点も含めて読んで頂けると嬉しいです。
入学した中学でもいじめが待ち受けていた
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10518001149
いじめの事態が改善されないまま小学校を卒業した娘でしたが、期待を持って入学した中学でも、再びいじめが待ち受けていました。
三校の小学校から生徒が集まる中学だったので、娘の名前はすぐに知れ渡ってしまい、新しい仲間にも打ち解ける事ができないようでした。
学校に行く事が苦痛になっているのではないかと感じましたが、頑張って登校している娘を見ると何も言えず、ただ楽しく過ごせるようにと祈る事しか出来ませんでした。
加えて同じ頃、重度知的障害のある四年生の次男が、担任が変わり環境が変わった事で落ち着かなくなり、些細な事でも大声を出しパニックを起こすようになりました。私は、娘の事が気になりつつも、目の前の次男の対応に追われていました。
2泊3日の学年行事から帰宅後、言葉を話せなくなった娘。
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10518001169
娘に変化が起きたのは6月下旬でした。新1年生の行事である2泊3日のふれあい合宿を終えて帰宅した時のことです。「お帰り〜!」と、私は声をかけましたが、娘は何も言わずに黙って下を向いたまま。出かける前には、「行きたくない」と口にしていたので、いろいろあったのだろうなと思い、私はそれ以上は何も言いませんでした。
夕食の時間になっても、娘は何も話さず、食事も口にせず、下を向いたままでした。