子育て情報『苦難も感動もない、平凡な「発達障害トーク」があっても、いいんじゃないかなって』

2017年5月8日 19:00

苦難も感動もない、平凡な「発達障害トーク」があっても、いいんじゃないかなって


ぶっちゃけた話、トラウマ語りに飽きてしまった

苦難も感動もない、平凡な「発達障害トーク」があっても、いいんじゃないかなっての画像

Upload By 鈴木希望

高校中退して職を転々、パートナーからのDV被害でPTSD(心的外傷後ストレス障害)に摂食障害、郷里に帰ってシングルマザー、極め付けは、親子揃って発達障害、自閉症スペクトラム(ASD)の診断が下りましたとさ。

改めて書き出してみると笑えるぐらいの「マイノリティラベル」が私には付着している。

そりゃあ確かに、42年弱生きてきて、私なりにいろいろあったと思う。今だっていろいろあるし、これからもそれなりにあるのだろう。過去の散々なできごとについて、古い友人たちは嫌というほど私から聞かされている。自分が抱えてきた辛さをわかって欲しくて、仲良くなる人にはのべつ幕なしに話していた、振り返ってみると恥ずかしい時期もあった。

最近では、世間でもずいぶんと発達障害への認知や注目が高まってきたようだから、私も何かの拍子に「当事者枠」で質問されたりコメントを求められることもあるのだけれど、昔のように自分からトラウマ話をベラベラ喋ることはずいぶんと減った。

求められれば口にはするし、話の流れで断片が出ることはある。
その程度。

だけどそれは、強い心で過去のトラウマを克服したのだとか、決してそんなに大それたことではない。

単純に、飽きてしまったのだ。
発達障害のトラウマ語りというやつに。


折り合いをつけて変化した、わたしの中の発達障害

30代の終わりに下った発達障害の診断がもたらしたのは、特性を特性とは知らずに悩み続けていた私にとって、比較的明るいものが多かった。

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「普通」と呼ばれることが当たり前のようにできないのは、努力が足りないわけではない、ましてや性格が原因でもない。それが分かったことは、ひとつの"救い"だったと思う。

工夫をしたり自分なりの落としどころを見つけることで、特性要因の失敗を回避したり、あるいは欠点と思われていた特性を利点として活かすこともできる―そうした可能性が見えてきたからだ。


以来、私は遅まきながら発達障害について調べ始め、当事者の方やそのご家族とも交流する機会に恵まれた。この「発達ナビ」のコラムも、その延長線上にある。

そうした中から得られた情報を元に「これは特性なのか」「この場合はこういう対処をすればいいのね」と、自分の思考や言動のパターンと発達障害の特性を照らし合わせる行為は実に面白く、私にとって趣味のようになっていった。

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