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息子を「かわいそう」にしていたのは誰?通級の選択を悩みぬいた私が気づいたこと

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私を苦しめた「かわいそう」という言葉

息子を「かわいそう」にしていたのは誰?通級の選択を悩みぬいた私が気づいたこと

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自分の子どもが発達障害であることをカミングアウトすると、やや的外れなコメントを向けられることがあります。カミングアウトするたびに「天才児なんでしょ」とか「ぜんぜん普通じゃん」とか言われることに、もはや慣れたと言えるくらいです。

もちろん相手には全く悪気はありませんし、世の中の人がみんなが発達障害について深い知識があるわけでもありません。必要以上に理解あるコメントを相手に求めるのは、あまりに酷なことだと思います。

ですから、私は必要以上に息子の障害のことを周りに話していません。それはカミングアウトしたときに、相手に背負わせてしまうことがあまりに大きく、それは自分にとっても相手にとってもあまり嬉しいことではないからです。

私がカミングアウトを慎重にするようになったのは、いくつかの失敗経験がもとになっています。それは、一度カミングアウトをしたときに、こんなことを言われたからです。


「息子くんかわいそう。お母さんもかわいそう。家族みんなかわいそう。でも、お姉ちゃんはまともだったんでしょ?それだけが救いだね。」

その一言を聞いた瞬間に、私は頭にカーっと血がのぼるのを感じました。けれども、何に対して怒っているのか、自分でも理解ができません。

相手は、私のことを心から思って言ってくれている、息子のこともいつも可愛がってくれている、なのに、なんでこんなに悔しいんだろう…。私の頭は混乱状態です。

結局、何が嫌だということを表現できぬまま、その人と会うことは二度とありませんでした。


「かわいそう」という言葉に憤る気持ちはどこから…

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知り合いに「息子くんかわいそう。お母さんもかわいそう。家族みんなかわいそう」と言われたときに、どうして私はあそこまで頭に血がのぼったのか。その人と二度と会うことができなくなったのか。悶々としながらずっと考え続けました。

どうやら私は、「かわいそう」という言葉にものすごく抵抗があったようです。息子はかわいそうなのか?自分はかわいそうなのか?私は「かわいそう」と思って、この子を育ててきたのか?そして何よりも、発達障害ではない上の娘は「まとも」で、発達障害のある息子は「まともではない」のか?じゃあ「まとも」ってなんだろう。

グルグルと考え始めると止まらなくなり、そのとき何も言い返せなかった自分に対するいら立ちも募ってゆきます。
でも、じゃあどう言い返せば良かったんだろう?悲しいことに、答えは簡単には浮かんできません。

自分の選択を肯定できない日々

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それ以降も、ずっといら立ちを感じ続けてきた私。気付いたら、息子は小学校に入学する年になっていました。

息子が小学校に入学する前、私は息子に対して感じる罪悪感で、気持ちが沈みっぱなしになっていました。それは、私が周囲の反対を押し切って、息子の小学生生活に通級を選んだからです。

お風呂に入りながら、一緒に眠りながら、私は何度も何度も息子に言いました。

「ごめんね。お母さんを許してね。
通級を選んで本当にごめんね。かわいそうなことをしてしまったね。」
「みんな、息子くんは通常級で大丈夫だよって言ってくれたのにね。あなたに恨まれたら、ずっと背負って生きていくよ」

息子の進路を自分が決めてしまったことに対する罪悪感。取り返しのつかないことをしてしまった恐怖。

今思えばそこまで悩み苦しむ話でもなかったのに、私は息子に申し訳なくて、ずっと顔向けができませんでした。さらに、ネット上の言葉も何度も自分に突き刺さりました。

一番痛かったのは、「わずか6歳で『自分は違う』ということを突き付けられる残酷さを分かっていますか?」という言葉。それからというもの、ネットの意見を見るのも怖くなりました。


息子の言葉に救われて

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通級を選択していたものの、小学校に入学して間もない間、息子は通常級のみで過ごすことになりました。最初は楽しく通っているように見えましたが、みるみる息子の体力は削られていったようでした。

ただでさえ新しい環境でいっぱいいっぱいの状態なのに、通常級は息子にはとても不快な刺激の多い場所だったようです。朝になっても疲れが抜けない日が続き、登校中に腹痛を訴えて戻ってくる日も増えました。

そのうちに、息子は帰宅してから学校の話ができなくなりました。「思い出そうとすると疲れる」「まとまらない」と青ざめた顔で横たわるようになりました。明らかに、息子の頭の中のメモリは多々の情報でオーバーワーク状態でした。

しかし、ゴールデンウィーク明けぐらいからでしょうか。
息子の様子に変化が訪れます。

帰宅したときの息子に笑顔が増え、学校の話をいろいろとしてくれるようになり、頭痛や腹痛の訴えもなくなったのです。どうしたのかと学校側に聞いてみたところ「特別支援学級での授業が開始されました」とのお話でした。

息子に話を聞いてみたところ、教室内の刺激が通常級と特別支援級では全く違うということ、そして何よりも、特別支援級の先生はよく褒めてくれると話してくれました。また、情報の洪水に頭が疲れてしまったときは、クールダウンスペースがあって、本当に助かるとのこと。

何よりも驚きだったのが、特別支援級に通うようになってすっかり元気を取り戻した息子を、なんと同級生たちがみんなで羨ましがるのだそうです。

「いいなあ~、〇〇学級僕も行きたい」とみんなに言われて、息子は「君たちも頑張れば、僕みたいになれるよ!!」と言ったというではありませんか!

これは本当にびっくりで、息子にとっても息子の同級生たちにとっても、特別支援級に通っていることは「かわいそう」でもなんでもなく、「羨ましい」ことだったのです。

息子を「かわいそう」にしていたのは、

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無事一学期が終わり、通常級と特別支援級と特別支援員の先生方みんなに可愛がられた息子は、小学校が大好きになりました。
特別支援級に行くことは、息子にとっては「違う人間だと選別される」ことではなく、自分を見てくれる先生方を複数の場所に持つということだったのだと分かりました。

この一件を通して私は気付いたのでした。息子を「かわいそう」と思っていたのは自分であったこと、そして、そんな自分自身に対して怒りを覚えていたからこそ、友人に「息子くんかわいそう」と言われた途端にどうしようもない怒りが湧いてきたのだとも…。

多くの場合、誰かに対して意味もなく怒りを感じるときは、自分自身が抱える何かに怒りを感じている場合が多いのかもしれません。

発達障害のある息子を「かわいそう」にしていたのは誰か?それは紛れもなく、私自身だったのです。

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