自閉症は障害ではなく個性なのか。母親として感じる違和感
障害ではなく個性なのか。発達障害のある子どもを育てる親の思い
お子さんに障害がある親御さんが、「うちの子には障害はない、個性的なだけ」と言っているのを耳にしました。
このように話す背景には、わが子の発達の凸凹を障害ではなく個性と捉えて、「前向きに育てていこう」という気持ちから出ている言葉かもしれないと感じました。
個性だから特別視はしない!? 園での対応
知り合いが、わが子が通う保育園に「うちの子は発達障害があるかもしれないので、特別な配慮をしてほしい」とお願いしました。
すると、園側から「それは個性の一つですよ。どの子も性格も違い個性があるのですからお宅のお子さんだけ特別扱いは出来ません。みんなと一緒に分け隔てなく保育をしていきますから」と言われたそうです。
この場合は、「個性」という言葉が、「特別視せずに平等に見る」とか、「配慮をしない」という意味で使われています。
「個性」という言葉を使うとき、その背景にある思い・考えは、人や場面によって異なっているようです。
自閉症の息子を育てる、私の思い
私自身は「障害か個性か」の論争にはあまり関心がありません。
あえて言うならば、「障害そのもの=個性」ではなく、障害によって、むしろ自閉症や知的障害によって、息子の個性が見えづらくなっているような気がします。
こんな絵を描いてみました。私は、個性の上に大きく障害が被さっているように感じています。
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もしわが子に障害がなかったら…妄想する
息子に障害がなかったら、あなたはどんな性格、個性をしていたの?
お母さんと普段どんな会話をしていたの?
定型発達の20歳だったら、彼女くらいはできていたかな?
友達と週末は出かけたりしていたのかな?
こんな風に思い始めると切なくなります。
けれども、息子から知的障害と自閉症を取り去ったら、息子ではなくなってしまうのでそれはそれで嫌だと思うわがままな母親です。
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障害=個性、ではないと思うから
現代の医学では発達障害について、採血などの検査で明確に数値が出て、それだけで客観的に「はい、発達障害です」とわかるような生物学的マーカー(指標)はありません。
そのため、どこまでが個性でどこからが障害か、の線引きが難しいのかもしませんし、育てている親にとっても分かりにくい部分です。
そもそも個性は、万人に存在します。それは、障害の有無に関わりません。
障害のある子どもの親に対して第三者が「障害のある子は天使よね」などと、「障害そのもの=性格」のような言い方をしているのを耳にすることがあります。私自身もそのように言われたことがあります。
でも、そんな型にはまったものではないと思います。知的障害、ダウン症、自閉症…、確かにそうやって「障害名」ごとに分類したときに、ある程度共通する先天的な特性はあるでしょう、けれど一人ひとりが育つ環境の中で、優しかったり、好奇心旺盛だったり、いたずらだったり…、さまざまな性格が形成されていきます。
「障害そのものがイコール個性だ」としてしまうのは、違うのではないかなと思うのです。
(監修:鈴木先生より)
私はいつも外来で「障害は個性ではなく“特性”と考えてください」と保護者のみなさんに話しています。
個性であれば外来受診する必要性がなくなります。
自閉スペクトラム症+ADHD+二次障害によってその人本来の姿が見えなくなっていると考えていいと思います。
ADHDなどを治療すれば本人や家族の肩の荷が下り、自閉スペクトラム症の特性は治らなくてもそれ以外の要素を軽くすることはできるのです。
自閉スペクトラム症を完全に取り去ることはできません。周りの人たちに発達障害を理解してもらい、発達障害の特性と共生していけばいいのではないでしょうか。