子育て情報『親なきあとの、重度自閉症の兄と私の人生。私だけ自由で申し訳ない…複雑な想いで迎えたはじめての面会』

2022年4月30日 16:15

親なきあとの、重度自閉症の兄と私の人生。私だけ自由で申し訳ない…複雑な想いで迎えたはじめての面会


「親なきあと」の準備から「親なきあと」になるまでの話

親なきあとの、重度自閉症の兄と私の人生。私だけ自由で申し訳ない…複雑な想いで迎えたはじめての面会の画像

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私の母はもともと「生活保持義務」や「生活扶助義務」について私に責任をもたせる意思はなく、親なきあとの成年後見人についても、母と母方の親戚の間で、叔父(母の弟)にお願いすると決めていました。

兄が20代前半のときです。
母の持病が悪化してしまい、重度の知的障害のある兄を育てることが難しくなりました。そのため私たち家族は、兄のこれからの人生を障害者支援施設で送ってほしいと願い、入所するための準備をしました。

入所を希望する施設には、同じ社会福祉法人が運営している共同作業所が隣接しています。その作業所は以前から兄が通っていたところで、障害者支援施設に入所した方も利用しています。そのため、仮に施設入所が決まった場合でも、兄の環境の変化が少なく済みます。


私は、こういった「親なきあと」の母の意向を早めに知ることができたことは、とてもありがたかったです。私は当時高校生でしたが、「兄を含めみんなが自分らしい人生を送れるのでは」と安心したのを覚えています。

それから4〜5年ほど入所を待っていたと思いますが、たまたま空きが出て、施設の入所が決まりました。

現在は、施設でお世話になり始めてから18年ほど経ちました。

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5年前に母は亡くなったのですが、当初の予定通り、叔父が兄の成年後見人になりました。主に母方の叔父や叔母たちが施設に面会に行ったり、ときどき外食に連れて行ってくれたり、物資の調達、医療や支援などの協議、財産管理などをおこなってくれています。

私は実家から500キロ離れたところに住んでおり、4人の子どもたちもまだまだ目が離せないので、兄の身の回りのサポートをするのは難しいです。
そのため、兄の身の回りのサポートをしてくれている母方の親戚には頭があがりません。


コロナ禍で直接会うことは難しい…施設長が提案してくれた「WEB面会」という方法

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わが家の末っ子が5歳を迎えたころ(昨年)少しだけ子育てにかかる時間に余裕ができ、久しぶりに兄の入居する施設に電話をして、兄の様子について聞くことにしました。

電話をとった方は施設長でした。
施設長は、養護学校(注:現在は特別支援学校)卒業後に通っていた作業所で働いていた方で、兄との付き合いはかれこれ30年近くになります。

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