「息子は障害児なの?」集団行動ができない、他害…トラブルだらけの年中時代。ADHD診断後落ち込む私を救ってくれたのはーー読者体験談
「男の子だからこんなものか」が「何かあるかも」に変わった親子遠足
1歳から保育園に入った息子は、保育園も問題なく過ごし、1歳半健診、3歳児健診で指摘をうけることもなく、親である私自身も息子にADHD(注意欠如・多動症)があるとは気づきもしませんでした。落ち着きのなさはありましたが、「男の子だからこんなものか」と思っていました。
ですが、年少で行われた初めての親子遠足で私は「息子には何か特性があるかも」と違和感を抱いたのです。出発前に子どもたちが園庭に並んで先生の話を聞いていたとき、息子だけが列から脱走して園庭にある遊具で遊び始めたのです。
乳児時代の保育園は大きな行事や団体行動がなかったため、周りのお友達と息子を比較できるような機会はありません。それまで私は、「3歳の子どもなんて、並んで話を聞けないのが普通」だと思っていたのですが、このとき初めて周りのお友達の成長を知り、明らかに違う息子の様子に衝撃を受けました。
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私は、すぐに保健センターに連絡しましたが、発達相談は約半年待ち。結局、年少の秋から地域の療育センターへ通えるようになったのですが、息子の問題行動は増え、私はどんどん追い詰められていきました。
保育園でトラブル多発!どん底まで落ち込んだ年中時代
団体行動が増えた保育園で、息子はよくトラブルを起こすようになりました。
まず、息子は団体行動ができないので、いつも途中で脱走してしまいます。当然、運動会の練習にも参加できませんでした(ただ、練習には参加していなくてもどこかで理解しているようで、本番ではうまくできているのが不思議でした)。
また、遊んでいたら途中で切り上げることができず、やめさせようとすると、泣いて暴れてしまいます。園では、みんなが席についたら給食を食べ始めるという決まりがあったのですが、給食の時間になって周りのお友達は席について準備をしていても、息子は前の活動をやめることができないため席につくことができませんでした。
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自分のペースを崩されると暴れたり、叩いたりしてしまうので、友達に手が出てしまうこともしょっちゅう。また、暑さ寒さに弱いので、屋外の活動がスムーズにできませんし、体幹を保つのが難しいのか、どこでも寝転んでしまいます。特に年中になってから、これらのトラブルはひどくなっていきました。
私は、療育に通ってもなにも改善しないと焦ったり、保育園からなにか指摘されれば怒りを覚えたり、その一方で、息子が友達に手を出したという報告を受ければ、私たち親子は価値がないと思い込み、すべてを捨ててどこかに行ってしまいたいとまで追い詰められていきました。同級生や同級生の親御さんたちに会うのがつらくて、保育園の送迎を夫に頼んだ時期もありました。
葛藤しながら通い続けた療育に救われた私
ただ、そんな中でも療育には通い続けました。トラブル続きの中、藁にもすがりたい気持ちがあったからでした。
実は、息子に「何かあるかも」と感じた親子遠足のころ、私の会社に自閉スペクトラム症のある方が障害者採用で入社してきました。その方は大学に入るまで自分の障害を知らず、療育なども受けず、生きづらさを感じながら人生を過ごしてきたと教えてくれました。そして、自分ももっと早く気づけて支援につながれていたら、ここまで生きづらさを抱えることはなかっただろうとも話してくれたのです。それを聞いた私は、息子の特性に早く気づくことができたのだから、療育を受けさせなければと強く思ったのです。
息子は年少の秋から地域の療育センターに通い始め、年中までの間は月に1回作業療法(OT)と理学療法(PT)を受けました。コミュニケーションの改善より、体幹が弱くゴロゴロしてしまうことを課題とされていたので、トランポリンや平均台を使った体幹を鍛えるトレーニングが中心でした。私は、公的な支援を受けられて良かったという思いと、本当にこれで良くなるのだろうかという不安の間で揺れ動き、複雑な気持ちを抱えていました。
当時はきちんと息子の障害を受容できていなかったということもあり、通所受給者証の書類にある「障害児」という言葉を見ると、改めて「息子は障害児なのか」と落ち込んだこともありました。
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そんな中、年長になった息子は、それまで通っていた地域の療育センターから、民間の児童発達支援の教室に移り、週1~2回の頻度で通所するようになりました。ここで、私たち親子に転機が訪れました。
この児童発達支援では、母である私も先生に悩みを聞いてもらうことができたのです。障害を受容できないこと、息子の他害…悩む私の気持ちに共感をしてもらうと、それまで一人で抱えていた不安や焦燥感が消えていき、とても心が楽になりました。
また、親子参加型の療育もあったので、初めて同じ境遇のお母さんたちと友達になることができました。保育園のお母さんとは違い、同じ悩みを持つ方とつながることができたことで、本音で語り合うことができました。本当に救われました。そのお母さんたちとは今でも仲良くしています。
暗いトンネルのようだった障害児育児に、光が差し始めたときでした。
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小学校は通常学級へ入学。中学でも療育を継続しています
年長の夏、特別支援学級と通常学級の授業を見学しにいき、息子にとっては通常学級がいいだろうとの判定を受け通常学級への入学、同時に通級を利用することになりました。そして、小学校入学から卒業までの間、息子は放課後等デイサービスで支援を受け、中学に入った現在も1ヶ所継続しています。
保育園時代はとても大変でしたが、幸いにも息子は児童発達支援の教室や、放課後等デイサービスが大好きでした。
とくに年長のときに通っていた児童発達支援では褒められることも多く、自信もついて、行動も良い方向へと変わっていきました。
療育に行っていなければ母である私も悩みを打ち明ける場所がなく、毎日途方にくれるばかりで、息子との関係ももっと良くない状況に陥っていたと思います。勇気を出して相談して、息子にとっても私にとっても居場所となる教室や放課後等デイサービスと出合え、通い続けることができて良かったと心から感謝しています。
イラスト/keiko
エピソード提供/カプゴジラ
(監修:鈴木先生より)
保健センターの発達相談で半年待ちなど時間がかかる場合は、気軽にかかりつけ医に相談することをお勧めします。行けばすぐにでも話を聞いてくれる医者がそこにはいます。かかりつけ医が専門でなくてもどこかにパイプがあるはずです。それが医療連携です。特に地域の医師会に入っている先生であれば必ずどこの先生がそういう問題に強いかをご存じのはずです。
ただ、専門の先生の外来も半年以上待つかもしれません。しかし、かかりつけ医からの紹介状があれば比較的早く診てくれる可能性はあります。これも医療連携なのです。
各地域にはADHDや発達障がいの親の会があります。そういう場で同じ悩みを持った親同士の触れ合いができるのでこの機会に参加してみてはいかがでしょうか。
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
知的発達症
知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
ADHD(注意欠如・多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)
LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。