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学校に通報が!?「行きたくない」道で動けなくなった発達障害息子。1年半の母子登校を経て今は…

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「とにかく学校へ行かせなくては」焦った私


現在14歳(中3)の息子がいます。7歳(小学1年生の3学期)のときにADHD(注意欠如多動症)、ASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けました。聴覚過敏、偏食があります。幼稚園に通っている時から「あれ?」と思うことがあり、児童発達支援センターへ通っていました。特別支援学級の見学もしましたが、就学相談の結果通常学級で大丈夫と言われ、小学校へは児童発達支援センターから連絡が入っていた状態での入学でした。

入学式、初めての班登校など心配だらけで始まった小学校生活。でも、息子は駄々をこねることも周りを困らせることもふざけることもなく、静かに淡々とこなしていきました。今思えば、本人は相当頑張っていたのだと思います。


春の運動会の練習が始まる頃に、行き渋りが始まりました。その時の私は『とにかく学校へ行かせなくては』と必死で、なだめたり、ひどい時には登校班の集合場所が家の前だったこともあり、息子に行くように告げドアを閉めてしまったりしたこともありました。

そしてある朝、学校から電話がかかってきたのです。

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「近所の人から通報された」担任の先生から電話が


朝、息子を送り出してしばらくしたあと、担任の先生から電話がかかってきました。先生はイライラした様子で「息子さんが登校途中で動けなくなってしまったと、近所の人から通報がありまして……」と告げました。登校途中で動かなくなってしまった息子は、登校班において行かれ(仕方がなかったと思います)、近所の方に発見されて学校に連絡が入ったとのことでした。

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わが家は、学区の端のほうなのですが、動かなくなった場所は学校のほど近くのところ。息子は、もうどうしても学校へ行きたくなかったのでしょう。


2日後に先生と面談をしたのですが、「これからは班登校ではなく、保護者と一緒に登校してください」と有無を言わさない様子で言われたため、この日から息子が小学3年生になるまで、私は幼稚園児の下の子を連れて毎日一緒に登校することになりました。

弟も連れた母子登校。つらいことが多かったけれど、幸せな思い出も


保護者も一緒に登校するようにと言われた私には、正直(困ったな……)という思いがありました。息子より3歳下の弟は、幼稚園が始まったばかり。息子の送り迎えをすると幼稚園バスの時間に間に合いません。でも、仕方がありません。バス送迎を辞め、私が車で下の子を連れて行くことでそこは解決しました。

また、学校が少し遠かったので、弟は一緒に歩くことはできないだろうと思いました。そこで、少し遠回りになりますが、まず私の両親の家まで行き、下の子を預けてから小学校まで息子と歩きました。


息子は、登校中何度か止まってしまったことがありましたが、対処できないようなことはありませんでした。また、途中までとはいえ弟が一緒だったので、お兄ちゃんとして頑張れた部分もあると思います。

小学1年生の時は、校門まで行けばそこから一人で行ける日もあったり、教室まで一緒に行く日もありました。また、一度連れて行っても再度学校に戻って下校時刻まで待機したり、学童を使っていたので、夕方にお迎えに行くなどしていました。

家→両親の家→学校→両親の家→幼稚園→学校で待機という日が続きました。正直、私もつらかったですし、学校でつらそうにしている息子を見るのも苦しく、もうどうしたらいいのか分からない日々でした。

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でも、つらいことばかりではありませんでした。
息子は、学校で先生にいろいろ言われると扉を閉じたように何も話さなくなると言われていたので、語彙が足りないからうまく話せないのかと思った私は、弟と3人で歩きながらしりとりをしたり、簡単な看板を読んだりしながら歩きました。
幸いにも子どもたちはそれを楽しんでくれました。

1番楽しかったのは、雪が積もった日にみんなで歩いたことです。雪というだけで子どもたちはテンションが高く、雪を触りながら楽しく通学できました。学校にはいつもより遅れて着きましたが、今となればいい思い出です。

また、学校の側に住んでいる方が、きっと登校渋りの子どもを何度も見ているのでしょう、「おはよう!いってらっしゃい!頑張ってるね!」など毎朝優しく声をかけてくれて、1度はお庭のお花までいただいたりしました。優しさが本当にありがたかったです。

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そして小学3年生になった息子は……


小学1年生の3学期、息子はADHD(注意欠如多動症)、ASD(自閉スペクトラム症)の診断が出て、2年生からは通級指導教室に通うようになりました。また2年生の時の担任の先生は、息子のことをよく見てくれ、さまざまな配慮をしてくださり、息子自身少しずつ自信がついてきたようでした。
また、息子も学校という新しい環境に、やっと慣れきたのかもしれません。

おそらく当時の私は、学校にいる時間が一番長い保護者でした。教育相談の際「いろいろな先生に挨拶したほうがいい」とアドバイスをいただいたので、先生たち、図書室の司書さんや事務の先生など皆さんに「見守りをお願いします」「ありがとうございます」と挨拶をしました。それほど息子は学校で目立つ生徒だったとも言えますが、たくさんの先生方から、温かく見守ってもらえたと感じています。

そして息子が小学3年生になった初日のことです。突然「登校班で行く」と本人が言いました。そうは言うも心配だった私は、登校班から少し離れてついて行きました。それから少しずつ、私が班との距離をとるようになり、とうとう本人が「一緒に来ないで」と言うまでになったのです。


こうして1年半を超える母子登校が終わったのです。

やがて小学6年生になった息子は登校班の班長になり、うしろを歩く新1年生に気を配りながらゆっくり歩き、お休みの子の連絡帳を職員室に届けたり、しっかり務めを果たすまでになりました。

現在は中学生。今は今で大変だけれど、あの頃を振り返ると、成長したと思えます


中学校への進学の際は、本人と話し合い特別支援学級を選んだのですが、息子にはフィットしなかったようで中学2年生からは不登校を選んでいます。心の健康が1番と考え、今は無理な登校刺激はしていません。学校に行っていない間は、英検などに挑戦しています。息子は高校進学を希望しているので、次こそ息子に合う場所をと高校探しの真っ最中です。

今は今なりの悩みがありますが、小学校の頃のことを振り返ると、あの頃も大変だったけれどこうして成長したのだ……と思います。手伝えるうちは私たち親が手伝って、いずれ(できれば近い将来)は、自分で自分に合った環境を見つけて、そこで頑張れるようになってほしいなと思っています。


イラスト/マミヤ
エピソード参考/エマ

(監修:森先生より)
母子登校をされていた期間の体験談をありがとうございます。下のお子さんもいて大変な中、お子さんの学校生活を支えてこられたのですね。実際、お子さんの登校がスムーズにいかずに悩まれる保護者の方は少なくありません。発達障害の傾向があるお子さんは、感覚過敏があって疲れやすかったり、同級生と行き違いが起きてしまったり、見通しが立てにくくて不安になってしまったりといったことで、学校に行くときに気が重くなってしまうことがあります。

行き渋りが出た時、「学校に行きなさい!」と頭ごなしに叱っても、お子さんの不安は解消されません。保護者の方と一緒になら安心して登校できるというケースは多いのです。お仕事や下のお子さんの育児など、保護者の方にもいろいろな事情があるので、大変なことも多いでしょう。でも、母子登校は悪いことばかりではありません。学校のお友達との様子や、近所の方、いろいろな先生方の様子も知ることができます。お子さんがどんなことに不安を感じているか、肌で感じて気持ちに寄り添うことができるようになるというメリットは大きいのではないでしょうか。

今回のケースでは、1年半の母子登校を経て、お子さんは自分で登校したいと思うまでに自立しましたね。また、登校がつらいときにお母さんが寄り添ってくれた経験があったからこそ、お子さん自身が最高学年になったときには、下級生たちにも気を配る優しい班長さんになれたのではないでしょうか。お子さんの登校渋りでは、保護者の方も先が見えない不安で頭がいっぱいになってしまうかもしれませんが、お子さんの不安に寄り添って今できることをしていきましょう。これからも、お子さんが自分に合った環境で頑張れるよう、応援しております。

(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。

ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。

ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。

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