愛あるセレクトをしたいママのみかた

【発達障害と習い事】「続けなさい」は逆効果?感覚過敏・DCDの私「できて当たり前」に傷ついた子ども時代

LITALICO発達ナビ

子ども時代の習い事はつらいものが多かった


子ども時代の習い事は私にとっての「学校」と同じで、つらいと感じるものがほとんどでした。

いま思えば、一般的な環境が合わない私が「公立小学校の通常学級」に通っていたのとまったく同じように「一般的な習い事」に通っていたのですから、合わなくてつらかったのは当たり前だなあ、と。

単純なドリルを繰り返すだけの塾は退屈。どうやってズルして楽するかばっかり覚えました。

ピアノは、先生も私を「ただのだらしない子」と思っていたので、毎回練習をしていかない私に毎回怒るだけで、結局練習の習慣もピアノの技術も身につかず。いまだに譜面も読めず、カナをふっている始末です。

泳げないからと放り込まれた水泳教室もつらかった。これがいちばんつらかった!詳細は後述します。


ピアノは「人気のある女の子で通っている子が多い」「教本を持ち歩いてるのがかっこよく見えた」みたいな漠然とした憧れで自分から希望しました。

けれど、ピアノはコツコツとした練習が必須の習い事。ADHD(注意欠如多動症)の私が特別なサポートなしにコツコツ練習するなんてできるはずがなく……上手にならない、練習は面倒→ つまらない→ すぐに飽きました。

けれど、両親からは「自分から言い出して始めたことは責任持ってやり続けなさい」と言われてしまい……。6年生になって中学受験の準備を始める時まで、何年もの間嫌々通い続けました。身体もきついし、楽しくないし、上手にもならないし、ただ叱られないためだけに通った数年間。

「始めたことを簡単にやめることを許すと『やめぐせがついて甘えた子になる』から、ともかくやめさせない」みたいな教育方針、今でもまだあるようですが、私はよくないのではと思っています。

特につらかったのは水泳


最もつらかったのは、「水に顔もつけられないようじゃダメだ、特訓してクロールぐらいはできるようになれ」と放り込まれた水泳教室です。


いま思えば、感覚過敏があった私には、ウワンウワンと音の反響する室内プールは合っていませんでした。すごく疲れるし、説明もぜんぜん聞こえない。

筋肉も脂肪も少なくヒョロヒョロで小柄、特定のスポーツに取り組む前提となる体力自体が不足していたうえ、敏感肌で皮膚も乾燥しやすかった私には、プールに浸かって運動する肉体的な負担も相当なものでした。塩素のニオイも嫌だったなー。

学校に通うだけでぐったりなのに、水泳教室を終えるともう立ち上がるのも億劫なほど、身体は冷え、皮膚はカサカサして痒くなる。耳の中には水が入っていてボヨンボヨン音がして不快。もう泣きそうでした。

そもそも泳げなかったのは、私の複数の障害特性が組み合わさった非常に解決の難しい問題で、単純な普通の反復練習とか「気合い」とかでどうにかなるものではありませんでした。


たとえば「水が怖い」感覚には、もともとの感覚過敏に、恐怖を助長し固着させるさまざまなトラウマが関わっていました。おそらく当時すでにトラウマ治療が必要な状態。

泳ぐ動作の訓練面でも、私にはDCD(発達性協調運動症)があり、日常生活の動作や姿勢の保持さえうまくできていなかったため、普通の指導では到底カバーできるものではありませんでした。PT(理学療法士)、OT(作業療法士)など、専門的な介入が必要だったと思います。

いくら練習しても、クロールでも平泳ぎでもどんどん沈んでいくし、先生もお手上げ。困り果てた顔で何度も「なんでできないの?」って訊かれましたが、こっちが聞きたかったです(泣)。

「身体活動の開拓」が必要だったのかも


私は当時、「学校の成績が極端にいい」という点だけに着目され、両親から「このまま学業面をどんどん伸ばせば将来はエリート!」と思われていました。

両親からの期待とプレッシャーをひしひしと感じた私は、進学塾に入って中学受験→ 中高一貫の進学校→ 難関大学受験 というレールだけを必死に走ってしまった。


でももし当時、誰かが私の発達障害特性に気づいてくれていたなら、きっと「身体を動かす/身体を使う」習い事や訓練を勧めたでしょう。

だって、私は「身体を動かす/身体を使う」のがとても苦手で、その練習の機会もまったくとらず、家で座って頭を使うことしかしていなかったから。

本当はやりたかったこと


本当は、私にはずっと、「身体を動かす/身体を使う」範疇(はんちゅう)のことに強い憧れがありました。

武道、楽器演奏、絵画やクラフト、歌や踊り、演劇、話し方……。

「本来、考えたり文章を書いたり、ということは人間活動の非常に限られた1手段でしかない。せっかく肉体と五感を与えられたのだから、それを存分に使いたい。それでもって世界や人とつながり、何かを表現したい、成したい。でも私にはそれができていない。
人間として与えられたポテンシャルを十分に使い切れていないのではないか」という思いがありました。

当時、私にもし「療育」が与えられたなら、療育も受けたかった(質の良い療育であればですが)。私の欠けたところを理解し、そこを補っていけるように段階を追ってサポートしてもらえる。コミュニケーションがいかに大事であるかも教えてもらえる。

小さな頃に上記のような習い事ができていたら、私はもっとずっと自由に生き生きと、楽に生きられただろうに、と思います。

大人になった今、やってみたい習い事


体調が安定したら近く始めたいこととして、ゆるめの武道(太極拳や合気道など)、ボイトレや話し方講座があります。

今は家で身体の使い方の練習や軽い発声練習をしています。練習の現在の目的の大半は神経系の調整ですが、ゆくゆく神経系がもっと安定してきたらだんだん負荷を上げ、どこか教室に通うことも考えています。


宇樹義子/文

(監修者・鈴木先生より)

故佐々木正美先生がノースカロライナからTEACCHプログラムを日本に紹介してくださり、私は何度か佐々木先生の講演のMCをつとめさせていただいたことがあります。当時としては画期的な、自閉スペクトラム症における療育の仕方が盛り込まれていました。一部の人たちの勉強会から始まり、徐々に日本全国に広まっていったのです。当時、学習障害のことを学習困難と教えてくれたのは佐々木先生でした。障がいではなく、困難さを持っているという考えは画期的なことでした。ピアノやプールという困難な時期はつらかったのではないでしょうか。習い事ではできるのが当たり前だった当時は「支援」という言葉ではなく、「根性論」という言葉が先行していたのですから……。障害から特性と言う考えになった現代、大人の「私」がやりたいことをやって楽しく過ごせればいいのではないでしょうか。


(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。

神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。

ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。

ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。

提供元の記事

提供:

LITALICO発達ナビ

この記事のキーワード