6歳までの育ちの違いがその後を決める? 改めて幼児教育が注目されるワケ
今、子育てや教育は危機の時代。取材の中でその現状と課題、人間教育における乳幼児期の重要性が見えてきました。
※この記事は全2回でお送りします。本記事は1回目です。
画一化された日本の学校教育
今の日本の学校というのは社会に選抜していくためのシステムのようで、言ってしまえば、多少の無理難題を与えたときに頑張って耐えた人を優秀と評価するかたちになっています。残念ながら学校教育の勉強で得た知識はその選抜を通過するためであって、社会に出たときのためのものではありません。
アメリカの調査において、「仕事力が高い」「リーダーシップがある」「新しいアイデアがどんどん出せる」というような人は学校の学力が高かったのかを調べたものがありますが、結果はNOでした。「仕事力が高い」「人間力が高い」「信頼されている」という人は “非認知能力”が優れている人だったのです。
次に何が起こるかわからないことや、答えが決まっていない問いなどに対して、的確に判断できるかどうか。そうしたときには、非認知能力が試されます。社会に出ると、正解のない世界で自ら考えて適切な答えを導き出し、自分なりの答えをつくらなければなりませんが、そういうことができる人が仕事力も人間力も高いのです。
学校での訓練は、社会で生きる力のベースのほんの一部しか身につきません。それよりも、子どもの頃から遊びや探究を始めとした正解のない世界で多くの体験をしてきた人のほうが、社会的な力が身につくのです。
子どもを取りまく根深い格差問題
「体験格差」という言葉がよく聞かれるようになりましたが、そういうことをようやく言えるようになったんだな、というのが私の素直な感想です。経済格差や貧困問題が体験の質や量に影響していることが間違いないのは数十年前からわかっていたことでした。
80年代、ある荒れていた東京都の区に勤めていた教師の友人に、学力テストの結果を見せてもらったことがありました。
そうしたら、ホワイトカラーと呼ばれる親が多い区の学校の平均点が、その友人の学校では学年トップになれるくらいの差があることがわかったのです。これをどうするかと話したときに、学会では発表するけれど、解決策もないまま報道するのはやめようということになりました。経済格差と学力格差との関連は宿命論になってしまい、「お金がない家の子どもは……」といった世論を生み出してしまうことが安易に想像できたわけです。