「サッカー少年少女の親として何より大事なのは、子どもをプロにすることではない」 昌子源選手の父・昌子力さんが語る親の心得
どうしても正解を欲しがるんですよね。「1+1=2」みたいな。そのような、すべてにおいて正解を求める気持ちに何か拍車がかかってるような気がしますね。
よく例えられる話で、外国だったら「□+□=5」という問題があれば、□に何が入るかな?と聞いたら、1と4が入ったり、2と3が入ったりいろいろあるよねというそのプロセスがすごく大事だけど、そういうことが今なされていない。
ここでもまさに質問力ですよ。質問によって会話や求めていくもの、得られるものが広がっていかないんですよね。
■スポーツでさえも正解を欲しがる選手が増えた
そんな状態で唯一の救いがスポーツのはずなんですが、そのスポーツでさえも「YES」を欲しがる傾向があるように感じます。コーチも選手のプレーに対して否定したり、そうじゃないだろうとすぐに答えを言ってしまう。
選手に「今のは何か狙いがあったの?」というワンクッションを入れて尋ねてあげるということが本当に少ない、全然足らない感じがしますね。
スポーツって唯一冒険ができて。サッカーなんて特に合法的に相手を騙すことが許されているスポーツなんですよ。100m走のように号砲より早く出発したら失格になる競技ではないんですよ。自分が先に動いたり先に何かをやれば、それが自分に有利になり、先手を打てる訳ですよ。
なのにそれを許さない指導者が増えてしまうとちょっと残念ですね。ライセンス講習会でも見られますし、一般的な少年サッカー現場でも習慣になっちゃってるんでしょうけど、ゲームスタートさせるとき「いくぞ、いいか?せーの」とボールを入れるんです。
「『せーの』なんて声かけはしないまま、ポンとボールを出して始めさせればええねん、ぼーっとしてる方が悪いねんから」と言うと、それじゃ不公平になりますから、と返ってくるんです
それは、子どもたちに気を遣いすぎですよ。
だって試合というのはそんなものでしょう?ゲーム中にこぼれ球が出るたびに誰かが「せーの」と言ってはくれません。
不公平、理不尽なことがサッカーにはいっぱいあって......。サッカーだけでないですね、スポーツみんなですよ。場合によっては試合のあらゆる環境にそんな理不尽さを思い知らされることもある訳です。でもそれらを含めてサッカーなんだから、サッカーの競技特性を日頃の練習に取り入れないといけないんですよ。
■子どもの頃から周りを見たり、考える力をつけておくことは大事
最近はやれボール扱いだの、戦術だの、フォーメーションだのってそんなことばっかり先立っていますが、そんなことは後回しでもいいんじゃないか。