子育ては「自己犠牲」?「自分優先」? 納得いく子育ての選択とは
「母親は自分のやりたいことを我慢して『子どものため』を優先すべき」と思い実行するママは多い。一方でそれに異論を感じ、産後も自分の好きなことを優先するママもいる。自己犠牲と自分優先の狭間で過ごしながら最近思うのは、その中間が1番自分も納得行くということだった。
筆者も1人目のときは、「自分のやりたいことは諦めたくない」と思っていた。独身時代から旅行が好きで、長男産後も京都、三重、小豆島、和歌山、奈良、大阪、広島…と様々な場所へ旅行した。仕事は生後9ヶ月から在宅で始め、2歳を過ぎてから預け始めた。
それでも1人目のときは、「自己犠牲感」が強かった。自分のご飯を後回しにして息子に離乳食をあげたり、見たいTVは見なかったり…「自分のことは後回しの生活」だった。
また子ども好きではあるが、赤ちゃんと遊ぶことには慣れなかった。よく児童館で子どもの遊びに付き合いながら作り笑いのママを見かけるが、私も同じ表情をしていたと思う。
ガラッと変わったのが、2人目である。長男とは正反対のヤンチャだったため、まず車や公共機関に1時間も乗っていられない。仕事は相変わらず続けているが、旅行へはしばらく行けなそうだろう。その意味では「自己犠牲的」と言えそうだが、そう感じないのが2人目の特徴だ。
それは生活全体が、ほどよく手が抜けて「自分も大切に」なってきたから。ご飯は自分も一緒にしっかり食べるし、自分へのご褒美スイーツもしっかり用意。
長男はもうすぐ6歳である程度手を離れたため、「子育てで大変な期間はほんの一時」とわかっているのもあるだろう。逆に、「今だけのこの時間を思いきり味わおう」と日々思うくらいだ。子どもと遊ぶのも楽しく、人前ではできないがイヌとネコの真似には自信がある。
そして現在、3人目を妊娠中。今回はおそらく人生最後の妊娠、子育てになるため「人生で育児を1番最優先する」と決めた。人生80年の1年ぐらい育児に没頭することを選択した。
基本的に私は、「自己犠牲」には異論を唱える。
また「自己犠牲」なんて言われたら、はっきり言って子どもが迷惑だとも思う。「自分のやりたいことができないのを、私のせいにしないでよ!」なんて思春期に言われかねないし、死ぬ時に「やりたいことができなくて可哀想な人生だった」なんて子どもに後悔させかねない。これは自分が母子家庭で育ったゆえに想像がつくのだろう。
一方で、「自分優先」も私は自分の中でしっくりこない。世界にはいろんな育児スタイルがあり、育児を祖父母やベビーシッターに頼むのが普通、という文化もあるだろう。
しかしこれは産後直感的、かつ本能的に感じていることだが、子どもと母親の絆は想像以上に深い。
結局大切なのは、「納得いく子育てを自分はできているか?」と常に問うことだと思う。そのときには是非、「動物的な勘や直感、心の声」も大切にしてほしい。つい頭で仕事への焦りなど重視しがちだが、体の声も聞いてほしい。
子育てはどうやっても失敗はつきものだが、母親の納得があれば子どもも納得するだろう。
ライター:宮野 茉莉子
初めての子育ては「自分優先」と「自己犠牲」
筆者も1人目のときは、「自分のやりたいことは諦めたくない」と思っていた。独身時代から旅行が好きで、長男産後も京都、三重、小豆島、和歌山、奈良、大阪、広島…と様々な場所へ旅行した。仕事は生後9ヶ月から在宅で始め、2歳を過ぎてから預け始めた。
それでも1人目のときは、「自己犠牲感」が強かった。自分のご飯を後回しにして息子に離乳食をあげたり、見たいTVは見なかったり…「自分のことは後回しの生活」だった。
また子ども好きではあるが、赤ちゃんと遊ぶことには慣れなかった。よく児童館で子どもの遊びに付き合いながら作り笑いのママを見かけるが、私も同じ表情をしていたと思う。
「自分も育児も優先する」子育てへ
ガラッと変わったのが、2人目である。長男とは正反対のヤンチャだったため、まず車や公共機関に1時間も乗っていられない。仕事は相変わらず続けているが、旅行へはしばらく行けなそうだろう。その意味では「自己犠牲的」と言えそうだが、そう感じないのが2人目の特徴だ。
それは生活全体が、ほどよく手が抜けて「自分も大切に」なってきたから。ご飯は自分も一緒にしっかり食べるし、自分へのご褒美スイーツもしっかり用意。
少し泣くくらい「待っててね〜」と言いながら泣き顔も可愛いと思えるし、1日30分はTVも見ている。
長男はもうすぐ6歳である程度手を離れたため、「子育てで大変な期間はほんの一時」とわかっているのもあるだろう。逆に、「今だけのこの時間を思いきり味わおう」と日々思うくらいだ。子どもと遊ぶのも楽しく、人前ではできないがイヌとネコの真似には自信がある。
そして現在、3人目を妊娠中。今回はおそらく人生最後の妊娠、子育てになるため「人生で育児を1番最優先する」と決めた。人生80年の1年ぐらい育児に没頭することを選択した。
常に問いたい、自分の納得
基本的に私は、「自己犠牲」には異論を唱える。
人間は自分が満たされなければ、たとえ我が子であっても、幸せにはできない。子どもを幸せにしたいなら、まずは母親が幸せになるべきである。
また「自己犠牲」なんて言われたら、はっきり言って子どもが迷惑だとも思う。「自分のやりたいことができないのを、私のせいにしないでよ!」なんて思春期に言われかねないし、死ぬ時に「やりたいことができなくて可哀想な人生だった」なんて子どもに後悔させかねない。これは自分が母子家庭で育ったゆえに想像がつくのだろう。
一方で、「自分優先」も私は自分の中でしっくりこない。世界にはいろんな育児スタイルがあり、育児を祖父母やベビーシッターに頼むのが普通、という文化もあるだろう。
しかしこれは産後直感的、かつ本能的に感じていることだが、子どもと母親の絆は想像以上に深い。
日本の母親神話に賛同する気は全くないが、動物的な勘で想像以上に母親の存在は重要であり、人一人育てる以上、一定期間はその子に時間をかける必要があるとも感じる。
結局大切なのは、「納得いく子育てを自分はできているか?」と常に問うことだと思う。そのときには是非、「動物的な勘や直感、心の声」も大切にしてほしい。つい頭で仕事への焦りなど重視しがちだが、体の声も聞いてほしい。
子育てはどうやっても失敗はつきものだが、母親の納得があれば子どもも納得するだろう。
ライター:宮野 茉莉子