ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは。tomekkoです。
文豪クズ男列伝(クズとは失礼な言い方ですが現代の感覚で感じ取るとこういう表現になってしまうという…意図です)として始まったこのシリーズですが、女流作家も濃ゆい人生を生きた人たちがいるのです。
以前紹介した「岡本かの子」の評伝小説を書き、ご本人も奔放な女流作家といえば…「瀬戸内寂聴」先生!
今回は瀬戸内寂聴の人生を見に行ってみましょう!
瀬戸内寂聴といえば一般的には禁欲と清浄をイメージする尼僧の姿でありながら、愛と欲をテーマとした作品を多く世に出している印象がある不思議な作家ではないでしょうか。
普通の主婦には収まり切れない…恋愛体質!
生涯を通して『女』『人間の業』を追求し続けた瀬戸内寂聴ですが…。
本名は晴美。
徳島の仏壇店に生まれ、体は弱いながらも不自由のない少女時代を過ごした晴美は、東京女子大学在学中の20歳の時に見合いで結婚。戦時中の当時の女性としては順風満帆なコースだったと思われます。
夫の任地の北京に同伴し、娘を出産。終戦と共に帰国した晴美ですが、ここで平凡な主婦としての人生から逸れていくのです。
なんと夫の教え子の青年と恋愛関係に…!
見合いで結婚した歳の離れた夫より、4歳年下の若者に惹かれてしまう気持ち…まぁわからんでもないですが…ううむ。
自身の世界観を世の中に発信する情熱を持っているというのは、そもそもパワーがあっていろんな情熱が強い方なんでしょうね。
そして夫と娘を置いて、青年と駆け落ちし初めての小説を書き始めます。ですが…その青年はその後自殺してしまったようです。
…でもこのことが、作家瀬戸内寂聴の誕生には不可欠な出来事だったのでしょう。
本格的な作家デビュー作となった『花芯』。川端康成や三島由紀夫をはじめとした錚々たる文豪たちから評価されたにもかかわらず、文芸評論家からは『子宮小説家』などと揶揄され、その後文芸誌からの依頼が来なかったといいます。
でも、文豪のエピソードをいろいろと見てきた私としては、この評価は納得できないんですよねぇぇ…。実際に読んでみると、淡々と柔らかく美しい文章で表現された女性たちの性と愛の短編集なのです。
作者自身が奔放だったという事実があるために世論の風潮がネガティブに傾いたということもあるようですが、男性作家であれば恋愛遍歴を私小説として発表している人も多いのに…。
男性なら許される(評価される)けど女性側が書くと「生々しい」「はしたない」と言われる、そんな時代に批判を恐れず堂々と発表した寂聴先生! 今となってはむしろかっこいいとさえ思います!
その後数年、文芸誌から干されながらも挫けずに執筆活動を続け、大衆誌や新聞連載などでの活躍を経て、1963年には自身の三角関係の体験を描いた『夏の終わり』で女流文学賞を受賞。作家としての地位を確立しました。
批判されても心折れず、路線変更せずに自分の描きたいことを貫いた意志の強さ…すごいです。
出家してから“さらに”自由に!
ただまぁ、やはりご自身の愛の追求も当然続行しますよね。
小説家、井上光晴と講演旅行を経てまた恋愛関係になりますが、岡本かの子女史とはちょっと違うなと思うところは、そんな自分を良しとはせず、常にどこか悔やんだり自分を責めたりもしているような…一面もあるようです。
そこで禁欲のため、宗教に救いを求めますが…。
子宮作家の汚名のせいでしょうか。キリスト教の修道女になろうとして複数の教会から断れられ、今度は仏門を叩くも複数のお寺から断られてしまったそうです。
そして1973年、ようやく中尊寺にて出家が叶います。