ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは。tomekkoです。
文豪シリーズですが、意外な一面を知れば知るほどその人に親近感や愛着を感じるということに気づきまして…。
これは文豪に限らず、いろんな偉人の意外な一面も知りたいぞ!
ということで調べるジャンルを広げてみました。
というわけで、今回は大河ドラマ『光る君へ』で大注目の、あの方…!
そう、藤原道長。平安時代の摂関政治の仕組みを完成させ最高権力者となった人で、源氏物語の光源氏のモデルとも言われているのです。
実は私、それくらいしか知らないんです。
日本史好きと言うより装束オタクなので、自分の好きなジャンル以外は高校日本史の知識なのです。
なので以前女性文豪編で紫式部と清少納言を描きましたが、その時もまだ教科書レベルの道長イメージで描いています。
やはり成し遂げた功績とそこまでの経緯にいささか悪どい印象があるからでしょうか。はたまた道長といえばこの歌!! ぐらい有名な 「この世はすべて私のためにあると思う!」と詠んじゃった自画自賛ソングのせいでしょうか…。
ただ、ただね?
紫式部たちのように自らの経験をしたためることのできた女性ですら多くが謎に包まれているのに対し、道長については千年前の人とは思えないほど詳しいエピソードが残されているのです。
なぜかというと…。
それは本人含め多くの公人が日記に記しているから。
当時の日記は人に読まれることを前提としており、特に男性の書く日記は政治に関する公式記録と言えるものなので、政治の中心部に長く存在感を示していた道長のことが多く書かれるのは当然です。
そこで多くの人々に記録された道長のエピソードから、特に意外なエピソードを探してみました。
実は愛妻家だった?
道長の成功の秘訣は、もちろん本人の戦略や才覚や運の良さもありますが、何よりの功労者はその妻と子どもたちでしょう。
多くの女性の元に通った道長ですが、主な妻は二人。同居して公にも「北の方」と称された源倫子と、同等に身分は高いものの第二夫人的扱いの源明子。
この二人の妻がすごいんです! なんと女性の平均寿命が40歳程度だった(ただし幼少期の死亡率が高いため平均を下げている)時代に、どちらも80代まで生きた健康長寿!さらに二人は、それぞれ6人ずつの子どもがいるのです。
早すぎる妊娠出産や難産、産後の肥立ちの悪さなどで亡くなる女性も多い中…この結果は偶然とは思えませんね。
倫子も明子も、20歳を超えてから道長と結婚しており、また出産の頻度も程よく間が空いていて、体への負担が少なかったのではないでしょうか?
と考えると、女性たちの持って生まれた体の強さはあるにしても道長は(この時代の男性にしては)、子育てや母体への負担に配慮していたのかも。
まぁ他にもたくさん通うところもあり、仕事も忙しかっただけ…なのかも知れませんが、結果的に健康な妻が多くの子を成したことで三代の天皇にそれぞれ一族の娘たちを入内させ皇后にすることができたわけで、この妻と子なくして道長の大出世は語れないのです!
と、この成功要因を本人も痛感していたからなのかは分かりませんが、道長は自分自身の昇進を辞退して妻や家族の授位を優先しているんです。
五男の末っ子でありながら、邪魔な者は身内でも排除して兄弟たちを踏み越えのし上がった出世欲モンスターみたいなイメージありません?私はありました。
でも実際には正妻倫子の方が位が上という状態が続くのです。
もともと道長よりも家柄的にも高い人ではありますが、こういうところにも道長の妻への感謝と心配りがあるように思えますね。
そしてやっぱりどんなシゴデキ男だって孫にはメロメロ。
溺愛する孫におしっこ引っかけられて喜ぶなんて、千年経っても貴族でも庶民でもジイジってどこも同じなんですね。
とはいえこのほっこりエピソード、その孫が中宮となった娘彰子が産んだ皇子で次期天皇だったからこそのお喜び、だったのかもしれません。
自分と血縁関係の人間がついに天皇になる。『夢が叶う』という言葉にはちょっと裏を感じてしまうなぁ…。