コミックエッセイ:夫婦・子育ていまむかし
美人で有能で残虐…中国史上唯一の女帝「武則天」は、なぜ最高権力者になれたのか【夫婦・子育ていまむかし Vol.29】
武則天の驚くべき能力とは?
病弱で政治にも積極的でない高宗は勝ち気で賢い照にとって好都合でした。皇后になると垂簾政治と言われる最高権力者を裏で操る形で政治の中心になっていきました。
彼女は徹底した密告・反対勢力の粛清(時には自分の身内ですら)による恐怖政治で国民を震え上がらせました。暗殺や拷問の逸話が数多く残っています…。
あまりの暴政に夫である高宗は廃后も画策しますが、事前に察知して防止し皇帝の権力奪還をさせませんでした。
高宗が崩御するとその皇太子を廃位させ、自分の立てた皇帝を使い傀儡政治を続けました。そしてついに690年、63歳にして自ら帝位につくのです。武周王朝の始まりです。
野心家で手段を選ばない血も涙もない人ってだけでなく(それだけでもうすごいけど)、彼女には驚くべき能力がありました。
それは、人材登用能力。
とにかく有能な人材を見抜く力がすごい!
武照は自分の後見となる親族が有力貴族ではないことを鑑み、非貴族層から人材を積極的に採用するため科挙制を強化。才能があり、且つ忠誠心の強い者で周りを固めることで盤石な政治環境を作り上げました。
特に代表的な宰相、狄仁傑は長きに渡り武照の右腕として支えた人物で、武照の統治下で国内外の難題処理に成功したのは彼の手腕あってこそだったようです。
お墓まで独特って
…すごく変わってない?
殺生しまくりだけど仏教を重んじ、自らを弥勒菩薩の生まれ変わりとして自分の顔に似せた仏像を造らせたり、妖僧や美青年を寵愛したりとやりたい放題やってますがー。
案外彼女の統治下では農民の反乱が一度も起きている記録がなく、安定していたというべきか、統治能力は高く、経済や文化の発展に寄与したともいえます。
そんな武照、705年に没しますが、そのお墓の墓誌に経歴や功績を一切刻ませない『無字碑』が有名です。『無字碑』が何を意味するかについては、歴史家や研究者の間でさまざまな議論が行われていますが「何も刻まない」という選択がかえって関心を呼び、武則天の生涯や彼女の影響力について議論を続けさせる原動力となっています。
武則天の『無字碑』は、彼女のカリスマ性や歴史的な意義をさらに際立たせていますが…やはりどちらかというと無慈悲……。