家族も当人も、追い詰められてしまう。発達障害が知られていなかったころの育児はなおさらですよね」
小島さんは「あくまで私の場合は、ですけど」と前置きして、こう続ける。
「発達障害の特性が出やすいのって、親密な間柄の場合が多いんです。仕事先など公の場より、気が緩んでるプライベートで。衝動が抑えられず、しゃべりすぎたり、きつい表現になったり。たとえて言うなら高圧洗浄機みたい。上手に扱えば少し距離を置いた壁の汚れはきれいに落ちますけど、近くの人に向けようものなら『イタタタッ』となる。そう、私の家族もつらかったはずです」
だから、あの日、ひどい言葉をぶつけてきた姉の心情も、いまなら小島さんは理解できる。
かつて、『解縛』(新潮文庫)という自伝的エッセイで、過去のエピソードを紹介し、一時的とはいえ「毒母」のレッテルを貼ってしまった母のことも、いまでは思いやる気持ちが強い。
「母もつらかったと思います。当時は情報もゼロですし、わが子が発達障害であることも知る由もなかったでしょうから」
かつては距離を置き、7年もの間、顔を合わせなかった母を、いまでは小島さんはこうして、おもんぱかることもできていた。