2019年9月15日 06:00
横浜銀蝿 80年代振り返り「アイドルから電話番号を…」
(撮影:福田ヨシツグ)
校内暴力や暴走族が社会問題となっていた ’80年、音楽業界に突如現れたリーゼントにサングラスの4人組。アウトローな見た目から繰り出される“本物感”と親しみやすくキャッチ―な音楽のギャップで一気にスターダムを駆け上がり、短期間で完全燃焼した伝説のグループがオリジナルメンバーで再結成!アラ還の“ツッパリ”たちが当時の思い出から現在の心境までを本音で語り合った。
「音楽をやってるだけで十分楽しかった。だから、女のコにモテたいとかまったくなくて。有名になって、好きな車に乗れたら最高だなぁと思っていたよ(笑)」(翔・61)
活動期間は3年3カ月と短かった。しかし40年がたった今も、’80年代の不良文化の代名詞として語り継がれる元祖ツッパリ「横浜銀蝿」。リーゼントに革ジャン、サングラス、とその風情は健在。
「高校生のときの服が着られます」とJohnny(61)が言えば、高校時代から彼を知る翔は、「全員、シワは増えたけどな。
でも、笑って生きてきた証しだよ」とうれしそうにメンバーの顔を眺める……。
’80年9月、シングル『横須賀Baby』でレコードデビュー。