松田聖子 結婚で生まれた「歌への執念」自ら作詞作曲を手掛けるようにーー

14年、紅白歌合戦に出演した聖子
福岡県に住む16歳の少女だった蒲池法子(松田聖子の本名)。その歌声を発掘しトップアイドル・松田聖子へと押し上げたのが当時CBS・ソニーに勤めていたプロデューサーの若松宗雄氏(82)だ。7月19日に若松氏が出版した『松田聖子の誕生』(新潮新書)には、いかにして聖子をスターダムに押し上げたかが、秘話を織り交ぜ克明に綴られている。
■聖子を感激させた『ザ・ベストテン』での百恵さんからの檄
芸能界入りを反対する父親の説得や事務所探しを経て、ついに‘80年4月にデビューを果たした松田聖子(60)。
その後、瞬く間にスターダムに上り詰めていったのは周知のことだ。時代は山口百恵の引退フィーバーの真っただ中。しかし、「ポスト百恵」といったプレッシャーは微塵も受けなかったという。
「百恵さんも誰かと比較できるような人ではないですが、やはり聖子はほかのどのアイドルとも全く違う存在でした。
だから、その素質を生かすことだけ考えていて、外野がどうとは全く気にしていませんでしたね」
ただ、当の本人には、ほかの同年代の少女たちと同じく、百恵さんに対する憧れはあったようだ。