「あの日以来、乗ることができません」シンドラー社製エレベーター事故で16歳長男を失ってから20年…階段を上り続ける74歳母の“消えぬ問い”

女性自身
「あの日以来、乗ることができません」シンドラー社製エレベーター事故で16歳長男を失ってから20年…階段を上り続ける74歳母の“消えぬ問い”

東京都・港区役所の正面玄関右手に設置された石碑「安全の碑」とその周囲を、毎日清掃する市川正子さん(撮影:高野広美)



「あの日以来、エレベーターには乗ることができません。エレベーターに対する不信感がぬぐえないからです」

1階から自宅のある12階まで階段を使うと往復528段。彼女はそれを、外出のたびに繰り返し、上り下りしてきた。6月3日で、もう20年になる。石の上にも三年と諺ことわざにいうが、528段を20年、である。一体なにが、74歳になる母親をそうせしめるのか──。

’06年6月3日夜、市川正子さん(74)は、想像を絶する事故で愛する息子を奪われた。東京都立小山台高校2年生だった市川大輔くん(当時16歳)が、突然ドアが開いたまま急上昇した自宅マンションのエレベーターに挟まれ、息を引き取ったのだ。


当時この「シンドラー社製エレベーター戸開走行死亡事故」は大きく報じられ、「シンドラー社」の名は全国に知れ渡った。さらに事故の前から同マンションの事故機と隣接機では、閉じ込めや段差などの不具合が頻発していたことが判明。全国各地でも同社製エレベーターのトラブルが相次ぎ、社会問題へと発展した。

母の正子さんは、夫・和民さん(故人)ともども、やがてこう考えるようになった。

「なぜ代わってあげられなかったのか。なぜ防ぐことができなかったのか。なぜ、息子が命を奪われなければならなかったのか──。事故の原因を知りたい。
徹底的に事故の原因を調査解明したい」

しかし、関係各所は責任を認めず謝罪もない。警察の捜査や国土交通省の調査も、進捗すら見えなかった。

「突然理不尽に奪われた16歳の命。この事故には複合的要因があるんです。情報共有がされていないこと、戸開走行保護装置の設置が進まないこと。エレベーターの利用者の安全は、いまだに確立されていないんです」

20年にわたり“再発防止”を訴え続けてきた母の切実な声に、耳を傾けた。

■「1番ではない、2番がいいんだ」仲間に愛された16歳野球少年の素顔

正子さんと夫・和民さんのあいだに、長男・大輔くんが生まれたのは、平成元年も暮れようとしていた’89年12月12日のこと。「大輔=ひろすけ」と読むように名付けたのは、和民さんだ。
正子さんは、幼少時の大輔くんを、こう振り返る。

「幼稚園のころは、サッカーが好きでしたね。その後、小学校に上がってから野球を始めました。お友達がやっていた野球チームに入って、バレーボールまでやったんですよ」

スポーツ好きの大輔くんは友達も多く、中学校では生徒会副会長を務めるほど信頼も厚かった。

「野球のポジションはセカンド(二塁手)で、打順は2番でした。生徒会副会長もそうですが『自分は1番ではない、2番がいいんだ』と言っていました」

“目立つより支える側”を好む彼は、練習にも実直だった。

「お友達と野球の“朝練”をして、夜はマンションの下で、バットを振っていましたね」

正子さんは「ひろすけくん」と「くん」付けで呼んでいたのだが、中学時代にこんなことがあった。

「学校に用事があって私が行ったとき、なにげなく『ひろすけくん!』と呼びかけたんですね。
そしたら息子が『学校では“ひろすけ”と呼べ!』って」

着実に成長していった大輔くんは小山台高校に進学した。もちろん部活は野球班(同校では部ではなく班と呼ぶ)に入部。朝練習、午後練習に加え帰宅後も素振りや走り込みを日課にした。

正子さんも「毎朝5時に起きて息子の弁当作り」が日課となった。そのかいあって、彼は2年生時にセカンドでレギュラーに。ただ一人の2年生レギュラーだった。

「息子は『先輩に顔向けできないプレーはしたくない』と言って、一生懸命練習していました。学校生活も楽しんでいて、男子からも女子からも『いっちゃん、いっちゃん』と呼ばれていました」

そんな大輔くんが不慮の事故に遭ったのは、’06年6月3日19時20分ごろのことだった。
チームメートと新しいバットを購入して帰ってきた大輔くんは、自宅マンションのエレベーターに乗り込んだ。

エレベーターは12階で止まり、扉が開いて、大輔くんが降り始めている最中に、突然かごが急上昇してしまった。大輔くんはエレベーターのかごの床部分と、外枠の天井部分とのあいだに挟まれた。

いわゆる戸開走行事故であり、およそ1時間後にようやく救出され、病院に救急搬送されたものの、16歳の若い命が力尽きた。

■謝罪なき企業対応と進まない調査母が抱え続ける20年消えぬ無念

「どうしても、助けられた命、防ぐことができた事故だと、悔いが残るんです。あれから20年がたとうとしている、いまでも」

正子さんは、背を丸めるように言った。小柄な彼女が、よけいに小さくなったように映る。

「事故が起きる前から、あのシンドラー社製エレベーター(2基)は不具合がたくさん出ていました。
異常音や停止階手前のストップ、ドアが開かない、閉じ込めなど。閉じ込め事故では、救急車も出動していたんです」

大輔くん自身も、不具合を経験したことがあったそうだ。

「息子が『段差があった。怖いね』と私に言ったことがありました。もちろん私は防災センターに伝えています。でも、もっとやれることがあったのではと悔やんでいます」

一家が暮らしていたのは、地上23階建ての公共住宅だった。その管理者である港区住宅公社は、事故後の調査で「過去3年間に不具合が43件あった」と報告している。

大輔くんの事故は、業務上過失致死の疑いで警視庁が捜査を開始した。
エレベーターは当たり前のことだが扉が閉まり切るまで動かないように建築基準法施行令で定められているからだ。

茫然自失だった正子さんだが、事故から6日後、まだ事故原因が調査される前の報道に、大きなショックを受けたという。

《シンドラーホールディング(同機を製造したシンドラー社の本部でスイスに所在)は6月8日「(エレベーター事故は)不適切な管理か、利用者の危険な乗り方に起因していることが多い」とする声明を出した》(朝日新聞’06年6月9日付より抜粋)

正子さんが憤る。

「真実の事故原因が明らかになる前の報道は、誤った知識を多くの人々に与えてしまう危険がある感じます。事故後、遺族も支援者も『自己責任だよ』『飛び降りればよかったのに』といった言葉をかけられました」

同社はこの段階で、遺族に対し《深く遺憾に思い、お悔やみを申し上げたい》と、いわゆる「遺憾の意」を表明。しかし同年11月、事故の原因を「ブレーキを開放する電磁コイルの不具合とブレーキパッドの摩耗」とする意見書を警察当局に8月の段階で出していたことがわかった。つまり同社は、警察には不具合を認めたものの、遺族には一向に謝罪しなかったことになる。

「事故の直後はもちろん、あとにも謝罪はありませんでした。私は、シンドラー社と一度も会えないままだったんです……」

警察は「業務上過失致死事件として捜査中」と言うのみで、事故原因は、はっきりしないまま。「警視庁、検察庁、国交省と何度も訪ねて回ったんですが、原因も、責任の所在もわかりませんでした」

(取材・文:鈴木利宗)

【後編|写真あり】「息子の命を無駄にはさせない」シンドラー社製エレベーター事故遺族の母が20年訴え続ける“再発防止”への願いへ続く

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