「W杯は自国の監督でしか獲れない」——森保続投論を、90年の歴史から考える

ブラジルに1-2で敗れ、日本はまたも決勝トーナメント1回戦で大会を去った。試合後、森保一監督は自身の去就を明言しなかったが、続投を巡る議論はすでに始まっている。

日本の次の監督を考えるとき、参照に値する事実が一つある。2026年時点で、外国人監督がW杯を制したことは一度もない。優勝したすべての監督が、自国の代表チームを率いていた。

まずは、その歴史を並べてみたい。

「W杯は自国の監督でしか獲れない」——森保続投論を、90年の歴史から考える

外国人監督がまったく躍進できなかったわけではない。ただ、決勝の舞台に届いた外国人は、90年でわずか2人だけだ。
1958年にスウェーデンを率いたイングランド人ジョージ・レイナーと、1978年にオランダを託されたオーストリア人エルンスト・ハッペル。その2人でさえ、優勝には届かなかった。

なぜ「自国監督」なのか


理由としてよく挙げられるのが、「信頼」だ。W杯は約4年間の準備をわずか数試合に凝縮する舞台で、戦術・文化・感情のいずれの面でも、意思疎通のズレが許される余地はほとんどない。だからこそ各国協会は歴史的に、あらゆる意味で「ロッカールームの言葉を話せる」監督を選んできた。クラブと違い、代表監督が選手と過ごす時間は圧倒的に短い。日々の練習で細部を詰められないぶん、言葉にせずとも通じ合える関係が、短期決戦では効いてくる――そういう見立てである。

日本サッカーのこれから


ただし、これは「自国監督なら勝てる」という話ではない。
優勝には監督個人の質と選手層が不可欠で、今大会で繰り返し指摘された日本の課題――終盤に主導権を握られ、交代の選択肢が乏しかった点――は、監督の国籍とは別の次元にある。

それでも、一つの事実は動かない。過去22回、W杯を掲げた監督は、例外なく自国の人間だった。日本がいつか「新しい景色」を見る日が来るとして、その隣に立っているのは誰なのか。90年分のデータは、声高にではなく、静かに一つの傾向を示している。

文:SPORTS BULL(スポーツブル)編集部

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