キスどころじゃない観覧車【彼氏の顔が覚えられません 第40話】
近づいてきたマナミの唇から、とっさに片方の掌で自分の唇をかばう。もう片方の手は、観覧車の手すりをぎゅっとつかんでいる。
「…なんで」
マナミが俺をにらみながら言う。俺の胸に添えられた手に、ぎゅっと力がこめられる。
「なんで…なんで!? 私、こんなにカズヤのこと想ってるのに…まだ、イズミのことがスキなの!?」
胸ぐらをつかまれ、体を揺さぶられる。それに合わせ、ゴンドラも揺れる。ちょうど、降下を始めようとしているところ。血の気がさぁっと引いていく…や、やめてくれ…。
しかし唇をふさぐ俺の手を引きはがそうとするマナミ。そんなに既成事実がつくりたいのか…揺れるゴンドラの恐怖に震えながらも、何とかそれだけは免れねばと抵抗を続ける。
と、急にマナミの手が止まる。「…もしかして、イヤだった…?」俺の目を見ながら。きっと、伝わってしまったのだろう。高さへの恐怖に怯える俺の気持ちが…。
「そんなに、私のことがイヤだったのね!」
…あ、そういう意味に――。
パンッ。
快い音がゴンドラ内に響く。やはり弁解する間もなかったが、したとしても無駄だったかもしれない。続いて彼女の足が伸び、俺のスネを蹴った。何度も何度も。手も、また出た。今度はグーで頬をなぐり、胸を殴り、腹をなぐった。女の力と言えるような打撃ではない、重みがあった。全体重をかけてきてるような。
拍子に、俺の口の中も切れたようだ。
しかしその痛みよりも、暴行を加えられる度にゴンドラが揺れる恐怖の方が俺にはつらかった。もはや唇をかばう必要もない手も手すりに回し、じっとしがみついていた。
ゴンドラの回転が残り45°を残すのみになったころだろうか、マナミの攻撃は止んだ。俺にそっぽを向き、黙って下界を見下ろし続けていた。もうすぐ終わる。夢の時間が――いや、悪夢か。
ゴンドラが地上に帰ってきて扉が開いた瞬間、俺は外へ転がるようにして出た。
続いてマナミも降りたが、その場にへたり込む俺には目もくれず、スタスタと通り過ぎていった。
観覧車のスタッフが俺の肩に触れ、「大丈夫ですか? 具合でも…」と声をかける。しかし俺が彼と目を合わすと、すべてを察してくれたようだ。
殴られて、腫れた頬を見て。
「あ…フラれちゃいましたか…」
…まぁ、そう見えるだろうな…と言うか、実際そうだ。
結局、マナミに言うべきことは言えなかったものの、気持ちはぜんぶ伝わってしまったようだ。結果オーライ。俺が、ダサイ姿になってしまったこともふくめて。
自業自得、ってやつか…。
口の中に広がる血の味は、ただただ苦かった。
(つづく)
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