危険なDV男にあるのは自己愛だけ! 愛のムチが許されるのは…
こんにちは。栗原達也です。
今回は、暴力について話をします。
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僕のところにくる相談者の中には、家族が暴力をふるうっていう悩みを抱えている人たちも来る。
物理的な暴力、言葉の暴力…本当に許せないことだ。
ストレスからくるイライラなど、自分の感情を抑えられずに、配偶者や子どもに手をあげたり、デリカシーのない言葉を吐き続けたり…。
相談者の話を聞いて、あまりにひどい状況で、相手に改善の余地が見られない場合は、別れたり、距離を置くことをすすめるときもある。
そうすると、相談者の中には「でもあの人は自分がいなかったら」「自分が受け入れてあげないと」などと言う人もいるけれど、それは違うんだよ。
夫婦、親子、恋人…そういった密接な人間関係にとらわれてしまって、逃れられない状態になり、そこで自分の生きる意味を探して、痛みや苦しみを受け入れることが、自分の役割だと思ってしまうんだ。
人はみんなしあわせになるために生きている。
殴られる状況を受け入れる必要はないし、ひどい言葉を言われ続けるのを耐えたりしなくていいんだ。
そんなところに自分の価値を見いだしたりしてはいけない。
しあわせになる道は必ず他にある。
それにね、暴力をふるう人っていうのは、ふるわれる人がどんな痛みを感じるのか考えないんだ。
自分が逆の立場だったら…ということに思い至らない。
つまり、想像力が欠けているんだ。
だから相手のことさえ見えていないといえる。
自分の欲求をただただぶつけているだけ。
僕は人とかかわるってことは、相手の立場や心情を理解し、その心に近づく努力の積み重ねだと思うんだ。
それをおざなりにして、乱暴をはたらいたり、自分が言いたいことだけ一方的に言ったりと、自分がしたいように勝手に振る舞うなんて言語道断だよ。
でもね、僕がひとつだけ認める暴力がある。