「浮気を疑う気持ち」をあるものと置き換えれば、全て解決する
恋では、相手のことを全部知ってしまいたいという気持ちから、また、相手から絶対に裏切られたくないという気持ちから、ついつい全てのことに目を光らせてしまいがちです。
ですが、一度それを始めてしまうとどこまでもキリがなくて、いつしか、どんどんと自分と相手を苦しめてしまう存在になるかもしれません。ですので、「浮気されないかな、大丈夫かな」という気持ちを、それとは別のもっとポジティブな要素で埋めてみるのはいかかでしょうか。
■■疑う恋人、疑われる恋人
恋人が浮気をしないか、もっと日常的なレベルでは、自分の知らないところで勝手に他の女子と仲良くLINEをしたり、会話したり、会ったりしていないか、そういったことがどうしても気になってしまうことはあります。
こんなときに、「女子とふたりで会うの禁止!」とか「この子、絶対に君のこと好きだから、もうLINE来ても返事しないで」とか「元カノはブロックして」とか束縛したり、そこまでいかなくても、頭の中で「あの子とどうにかなっちゃったりしないかなぁ・・・・・・」とただただ悶々と不安になったり。
束縛、嫉妬、不安、心配、悩み。
形はいろいろとあるけれど、どれも本質としては「疑い」というものがあるはずです。そして、疑いはまた、次の疑いを生んでいきます。
「誰とLINEしてるんだろ」と疑って、ちょっとスマホが光った瞬間に覗いてしまったときに女の子からのLINEを目にしてしまったら。きっと、それは「この子、どういう人なの?」という疑いに変わって、そしてまたLINEの文面を見て、「彼はこの子のことどう思ってるの?」とさらに疑いは大きくなって、やがて、疑いがこびりついて離れなくなる。
最初の小さな疑いが、やがて大きな疑いに変わっていく。
そうなったら、辛いのは自分だけじゃありません。疑われる相手も、何一つ悪いことをしていないのに、いつのまにか自分には全然見合わないくらいの大きな疑いをかけられて、場合によっては、それ相応の束縛だって受けるかもしれません。疑う恋人、疑われる恋人の間には、こんなどうにも悲しいスパイラルがあるはずです。
■■「信頼」で置き換える
この負のスパイラルに陥らないためには、最初の第一歩のところで、疑いじゃなくて信頼を使ってみることなんじゃないでしょうか。疑えば、いろんな可能性に目がいってキリがありませんが、信じれば、道はひとつだけです。
これなら自分も、相手も、無用な苦しみを味わわずに済むと思うんです。
と言いながらも、「信じる」というのは言うのは簡単で、実行するのは難しいこと。それによって傷ついてしまうかもしれません。逆に、疑うのはすごく簡単なことです。だけど、信じることの難しさは百も承知の上で、それでも、「信じてみよう」と思うことこそが、付き合ってくれた相手に対する最低限な礼儀なような気もしますし、逆に、「難しいからできないよ」と簡単に諦めてしまえるような自分で、「難しいからできないよ」と簡単に諦めてしまえるような相手と、愛し合うというのは一体どういうことなんだろうとも思うわけです。(遣水あかり/ライター)
(ハウコレ編集部)