実はみんな「変わっているあなた」が羨ましくて仕方がない
古今東西、成功者の人たちは口を揃えてこう言います。
「自分の好きなように生きたらいいよ」と。
僕は両親と友達に恵まれたこともあり、自分の好きなように生きる自分を肯定して生きて来られたタイプです。
そのためか、「変わってるね」とか「ユニークですね」とか言われると「せやろ?」と関西人でもないのに関西弁を話したくなるぐらい鼻高々になるのですが、社会人になってから「変わってるね」と言われることが嫌だと思う人が結構な割合でいることを知りました。
その人たちの意見をまとめるとだいたいこんな感じです。
自分が多数派じゃないことを間接的に咎められている気がする自分の意思決定を否定されている気分になるみんながいいと思ってるものをいいと思わないと罪に問われる法律でもあるの?ってか「みんな」って何?
そんなあなたに成功者たちはこんな言葉をくれたはずです。
「あなたはあなたのままでいいのよ」と。
でも正直思いませんでした?
「私が私のまま生きると色々と不都合が起きるのよ!」って。
もしあなたがそう感じているなら、ちょっと見方を変えてみて、
「自分らしく生きよう」と自分が思うのではなく、どんなに普通であることを願ってやまない人でも、みんな実は「自分らしく生きたい」と願っているんだ、と考えてみて欲しいのです。
■普通の人と付き合いたいという「矛盾」
過去の恋愛で色々あった人は「普通の人がいい」という言葉を口にします。
僕はこのセリフを聞くたびに毎回「それは無理じゃないか」と思うのです。
「普通の人がいい」という人はだいたいその「普通」の定義をしていないものですが、仮に普通の人を「常識的な思考を持ち」・「リスクを取らず安定した生活を求め」・「別段浮気をすることもなく」・「みんなが右を向けば右を向く人」だと仮定しましょう。
仮にそういった普通の人と付き合えたとして、その人が最終的に彼に望むことは「私のありのままを愛して欲しい」ということなのでしょう?
その人のありのままを愛するということは、その人らしさを愛するということであり、それはイコール、その人とその人以外の人との違いを愛する、ということに他なりません、
果たして、右向け右を是として生きている人が、人と違う意見を持っている人を愛することができるのか?と言われると僕は100%無理だと思います。よく「自分を愛せなければ他人なんて愛せない」と言われますが、これは本当で、「人と自分との違いを愛せた人」にしか「他人のその人らしさを愛せない」のです。
■どうせみんな「自分らしく生きたい」と願っている
なんてことを説教くさく言われなくたって、そんなことはみんな頭ではわかっているのです。
でも、できないんですよ。
あなたみたいに「人と違う選択肢を持つ勇気」がないんです。
だからあなたに「人と同じであること」強要してくるのです。「みんな」という曖昧な言葉を使って、マウンティングしてくるんです。
ですから、あなたに対して「変わってるね」とか「え、これ知らないの!?」とか、普通であることを強要してくる人がいたら、心の中でこう言ってあげてください。
「へぇ、あなたは『普通』の人に好かれて、あなたの『あなたらしさを愛してもらうことなく』、『普通』に生きていたい人なのね。そんなの真っ平御免だわ。」
どうせ、その人も心のどこかでは、「自分らしく生きたい」って思っているんですから。(川口美樹/ライター)
(ハウコレ編集部)