尽くすことは愛情ではなく、ただの自己満足です。
旦那を影で支える妻の内助の功、甲斐甲斐しく彼女の看病をする彼氏、そんな「尽くし」の美談が語られているからか、多くの人は「尽くすこと=良いこと」だと思っているようです。
僕は、こちらに異議を唱えたい。
■なぜ人は尽くしてしまうのか?
そもそも人がなぜ恋人に尽くしたくなってしまうのか?
それは自己重要感を感じたいから、に他なりません。
「相手の喜ぶ顔が見たい」と言えば聞こえは良いかもしれませんが、要するに「自分が役に立っている実感を得たくて」尽くしてしまうわけです。
その証拠に、彼氏の「ありがとう」がなくなってくると、尽くすことで自己重要感を感じられなくなり、「なんでこんなことをやってるんだろう」という虚無感に覆われてしまいます。
逆に言えば「相手の喜ぶ顔が見えない」のであれば、そもそも人に尽くそうだなんて思わないのです。
■尽くすことは悪いことではない、が・・・
尽くすこと自体は悪いことではありません。尽くしたいと思うならつくしたらいい。
ただ、その見返りを相手に唱えるのは間違っています。
もし彼氏が「俺に尽くして欲しい。その代わりに最大の感謝を君に送る」という契約書にサインでもしたのであれば、「感謝しろ!」と要求しても良いですが、そうでもなく勝手に自分が良かれと思ってやったことに感謝を求めるなんて自分勝手も甚だしいことです。
言い方は悪いですが、それは彼という存在を利用した自己満足です。そんなもの遅かれ早かれ感謝されなくなって当然でしょう。
尽くすことは決して「褒められた」行為ではないと僕は思います。
■本当の愛情は尽くしている「ように見える」だけ
こういうことをいうと、「世の中には本当に恋人に尽くし続けている人がいるじゃないか!あの人はきっと毎回相手が感謝しているから続いているんじゃないのか!」と、反論したくなるかもしれません。
しかし、世の中に確かに存在している「尽くし続ける女性」たちは、周りから見てそう見えるだけで、本人は相手に尽くそうだなんて微塵も思っちゃいないんですね。
ただ、そうしたくてそうしているんです。あるいは半自動的にしていると言っても過言ではありません。これは非常に極端な例ですが、あのマザーテレサが「人からの見返りが欲しくて」あんなに「尽くして」いたのだと思いますか?
もしマザーテレサがそのモチベーションでやっていたらここまで偉大な女性として語り継がれなかったでしょう。
周囲がどうとか、感謝がどうとか、そういうことを一切抜きして純粋に自分がしたいと思ったからしているのです。だからマザーテレサは「愛の人」だと賞賛されたわけです。
■尽くさなくても満たされる方法
尽くすという行為は、「認められたい」「役に立っていると思いたい」「大事にされたい」という欲求からきます。
であれば、その欲求を「尽くす」という行為以外で埋めてあげれば良いのです。ではどうすればいいか?
単純に働けばいい。
あるいは趣味をTwitterにアップしていいねやリツイートを貰えばいい。
要はその欲求の求める報酬を社会的な対価(お金やいいね!)にすればいいのです。
そっちの方がやったことがダイレクトに跳ね返ってきますし、自分の能力も上がって一石二鳥です。
え?そうじゃなくて大好きな人からのありがとうじゃなきゃ意味がないって?
だ・か・ら、いつまでも苦しいんだ、ということに早く気付いた方がいいですよ。(川口美樹/ライター)
(ハウコレ編集部)