愛せない女子は愛されない。ってことを知るには「遊びの恋」もアリだと思う
主体的に愛することができない人は、誰からも愛されないと言われます。「わたしのことを愛してよ」とばかり言う人は、誰からも愛してもらえず、反対に、みずから誰かのことを愛する人は、誰かからすごく愛される――ここにひとつの愛のパラドックスがあります。というところまではきっと、誰もがわかっていますよね。わかっているけど、でも主体的に誰かのことを愛して、万が一失敗したらイヤだなとか、主体的に愛することに必ずついてくるリスクをとるのがイヤだなとか、そういったことがネックになっていますよね。
■■女子にとって切実な問題をさて置きすぎなんですよね
誰かのことを主体的に愛そうと思えば、かならずリスクがついてきます。こっちが愛しても、相手がまったく振り向いてくれないかもしれないというリスクがありますよね。主体的に愛した結果、彼と相思相愛になったはいいけど、じつは彼はフリーターで結婚相手に向いてない・・・。けど、そう思った時はもう抜き差しならない状態にあった、というのもリスクかもしれない。
でも、こういう問題をさておき、「主体的に愛さないと誰からも愛せないので、主体的に愛しましょう」といった意見が世の中に多くないですか?女子にとって切実な問題をさて置きすぎじゃないかと思えるほど、「主体的に愛すること=正しいこと=正しくない人は幸せになれない!」