さて、第2回目。今回からホームレス経験から得た生きる術について書いていきたいと思う。その経験は今の僕にとても影響を与えていることのひとつだ。■ホームレス経験から得た生きる術『礼儀とルールと人との交流』■ホームレス生活の中、食べ物やお金がなく通行人や他人様にすがるようにお願いした時の経験を少し話そうと思う。当時、僕はホームレス生活数日目だった。汚い格好で、お金もなく、なにより空腹だった。「死んでしまう……。」そう思った僕は、街行く人たちに話しかけ、食べ物やお金を恵んでくれるようにお願いしたのだ。一般の方からしてみたら、非常識なのはあきらかに僕。けれど常識・非常識言っていられないくらい切羽詰った状況だった。街行く人に話しかけるけれど、僕がホームレスだというだけで、話を聞いてくれない人が多かった。はじめは、「すみません、食べ物かお金を恵んでいただけないでしょうか。」と話しかけた。しかし、なかなか立ち止まってくれない。そこで僕はこうお願いした。「すみません、お財布を落としてしまったのでお金を少し頂けないでしょうか。」と。しかし、やはりそれも怪訝な顔をされる。悲壮感を漂わせて「食べ物を分けてください。」といろいろな言い方に変えてみた。勿論、中には快く恵んでくださる方もいた。しかし、殆どが無視。そんな中なかなか立ち止まってくれない人たちをみて、「あぁ…なんだか世界が変わったみたいだ」、「今まで人からこんな対応された事ないのに」と率直に思った。芸能人になる前ですらこんな経験はなかった。もちろん芸能人になってからは尚更なかった。厳しく教えてくれる両親や先生、先輩方はいても、あんなに冷たい目線を送られたり、無視をされたのは初めてだった。でも、これが今の現実の「僕」だった。それからはもう、プライドもなにも捨てて、もはや泣きつくレベルでお願いした。だけど、そうすればする程、相手にされなくなって無視を通り越し逃げられるようになった。そこである日考えてみた。「もし自分だったらどうだろう」と。もし自分が見ず知らずの汚い格好した人に道端で急に声かけられて、物を恵んでくださいと言われたら確かに「怖っ!」と思って逃げてしまうかもしれない。…無視してしまうかもしれない。そこで、ひとつひとつ相手の気持ちに立って考えてみたのだ。まず内容どうであれ、僕に対して時間を割いてくれること、話を聞いてくれることに感謝だなと思った。そこで『すみません今、少しよろしいですか?』と声をかけ、もしお話を聞いてくれそうならお礼を言い話を続けた。次は、偽らずありのまま『実は自分は今家もお金もない状態でしてここの公園に寝泊りしているホームレスなんです。』と言った。ここでビックリする方もいれば、無視して去ってしまう方もいた。僕に使ってくれる時間は1秒1秒が貴重なので、なるべく早く簡潔に話した。『お話聞いてくれてありがとうございます。大変失礼なのですが、もし宜しければ食べ物か、お金を少しだけでもわけていただけないでしょうか?』と言った。ありのまま伝えるしかなかったのだ。心の中や体の状態的にはもう泣きたい、すがりたい、土下座してでも恵んでいただきたい。けれどそこまでしてしまうと、それは自分のワガママであり相手に迷惑かけてしまうのだ。だから非常識ながらもなるべく、『相手と話せる状態の自分』でいることを心がけた。それがせめてもの相手へのマナーだと思って。もちろん…何度も言うようだが、その僕の行動事体、非常識なのは前提だが…。でもこの経験は、社会に出て一緒にお仕事をする職場の方々、仲間、友達、すべての『自分以外の人』と関わる空間で役立っている。相手の気持ちに立ってみて僕が思ったのは『相手は自分を写すの鏡』だという事。自分が機嫌悪そうな顔で接すれば、相手だって気分が悪くなる。だから、相手も同じような顔になる。例えば、お店の店員さんに対しても、なにかと悪く言うのではなく、気持ちよく接すればきっと店員さんも気持ちよくサービスしてくれると思う。だから『人の気持ちと気持ち(気持を行動で表せる)』よう心がけた。そう行動し始めてから、些細な幸せも感じる事ができる。普段から人と接するときに相手を気遣って、気持ちを行動で表すとそれが身に付いて、きっと自分の職場や取引先、仕事そのものにもいい意味で影響してくるのではないかと思う。自分がどうであれ、自分以外の誰かと何かしらの交流を持つ場合、まずは自分も相手のステージに立たないと始まらない。昔、綺麗で落ち着いたレストランに、七分丈のズボンにTシャツとカジュアルな格好で行った時に追い出された事があった。それと同じ。その場所に沿った服装があるように、相手のステージが高ければ、同じ場所に行けるよう、相手の気持ちになって考え行動しないといけない。当時、たしかに僕は非常識だった。常識をわきまえてはじめて、その空間をその人達と共有できるということを知った。自分の思いや都合を「ありのままぶつける事」と「素直」とは違う。本当の意味での『礼儀』というのをホームレスという体験ではじめて知ったのだ。みなさんも、なにかと「自分」「自分」と自分の都合だけ押しつけていないか? 相手の立場に立って考えてみるといろいろと見えてくるものも多いと思う。みなさんはどうだろうか。(岸田 健作)
2012年03月15日10代目いいとも青年隊【With-T】としてタレントデビューして以来、さまざまなドラマ・バラエティ・舞台・ラジオなど に出演してきた岸田健作。そんな彼がつい先日、ワイドショーをにぎわせた。その理由は……、彼がホームレスをしていた過去を週刊誌に打ち明けたからだった。彼がホームレスになった理由……それは、ウーマンエキサイトユーザーも共感するだろう、いくつかのストーリーがちりばめられていた。『今を生きたい』そんな方に向けたストーリー。夢や希望に気づきにくい今だからこそみてほしい。今回から約半年間、毎月第一・第三木曜に彼の衝撃の数年とこれからをひも解いていこう。***次のページから本編へ***僕がまだ10代の頃、『ニート』という言葉はなかった。学校のクラスメイトたちだって、頭がいい悪い関係なく、皆なにかしら『夢』や『希望』を持っていて、それをガムシャラに追っている人が多かった。その頃は、『リストラ』や『就職難』、そんな言葉もあまり耳にしなかった。そんな時代だった。今では、テレビをつければ、『不況、不況』と取り立たされ、その結果として『ニート』『リストラ』『就職難』という言葉もよく聞くようになった。ニュースでやっているような『リストラ・就職難』をたったひとりの僕が変えられるわけもないのだけれど、タレントという職業につき、今を生きる『岸田健作』という1人の男が、『ホームレス』になってしまったという経験から、なにかみなさんの心に伝わる“なにか”を届けられたらと思いこうやって、ここに記そうと思った。僕は18歳で『笑っていいとも!青年隊』として芸能界デビューし、今日に至る。しかしその間、一度芸能の世界を自ら退いた。それと同時に、僕は『ホームレス』になった。芸に能力がある人。それが『芸能人』。芸能人でありながらも僕にはその『芸』がなかった。そう……『芸NO人』。18歳までは普通高校に通う高校生で、卒業と共に芸能界入りした僕は、『芸』だけがないのではなく、『生きた』ということもなかったのかもしれない。なんとなく勉強し、なんとなく年をとる。そんな生活を送っていた僕に、突然きた芸能界の話。それもやはり、自分からが目指して進んだのではなく、『やってきた』のだった。つまり僕は、『夢』や『希望』、『理想』を持って生きたことがいままでなかった。なんとなくの人生は送っていた。糧もなかった。目的がないから、それを達成するために必要なものさえなかった。例えば、『腕時計が欲しい』→『アルバイトしてお金を貯めるよう!』そんなことさえなかった。うーん、これは例えにならないかな。もっといえば、最低限の生活が家にいることで保障されていたから、それ以上を特に望むわけでもない僕は、アルバイトの経験さえもなかった。小遣い稼ぎでダンスのインストラクターはやっていたけれど、それは、飲み会や遊びに消えていった。そんな学生生活から卒業と同時に芸能界へ行ったのだ。そこでも『目的』という仕事は用意されていて、『生活』という保障もあった。今考えると本当に裕福な人生だ。ただ、なにか小さい不安とゆうモヤがあって、それが年々大きくなっていったのだ。芸能界にいながら、自分には『芸』がない事。そんな自分が果たして、このままこの場所にいていいのだろうか。芸能人である前に社会人として、もっと言うなら人として右も左もわからない状態のまま、周りの方々と環境の支えだけで僕はそこに立っていたのだ。25歳を越え、20代後半にさしかかった時……、僕は決心した。なにもかもリセットして『0』から始めようと。『1』ではなく『0』から。冒頭で書いた通り僕には生きる糧がなかった。だからこそ、本当に『0』からスタートしようと。もし本当にぼくには生きる糧がないのなら、生きる意味がないのではないかなって。生かされているのではなく、『生きたかった』。芸能界を離れ、僕は誰にも言わず1人、ボストンバックと手ぬぐいタオル、毛布にスエットを持ち、代々木公園に向かった。そして、その日からホームレス生活を始めたのだ。お腹が空いた→ご飯が食べたい→ご飯を手に入れたい→お金が必要→お金を手に入れたい→どうやって手に入れる?こんな小さなことでも、僕にとって、それは初めてできた『目的』だった。今まではお腹がすけば、なにかしら家にあった。しかし今はないのだ。お金も、必要な分がなくなれば、小遣い稼ぎをしなくてはならない。そんなことで、ひとつひとつの目的を達成できていたけれど、物事を根本を自分ひとりで解決できていたわけじゃなかった。お金は必要な分がなくなれば小遣い稼ぎする、そんなの今までと同じ…ではなかった。そんなレベルではなく、生きる上で家賃や光熱費や食費など、必ず必要になってくるものに対して、自らで生んだお金を使ったことがなかった。なんだか、とても低レベルな話してるようだけれど、このくらい最低限なところまで自分を戻さないとダメだった。『0』から『1』へ。『1』から『2』へ。『2』から『3』へ。そうやって物事を理解と経験した上で、ひとつひとつ進みたかった。『芸』を志すために、『芸』を探し、その『芸』を磨くことが目的だったのだけれど、それと同時に僕には生きるための『生き方』を探すことも必要だったのだ。前置きが長くなったけれど、そんな僕「岸田 健作」がこのコラムでホームレスの経験により身に付けた『生きる術』を書いていこうと思う。― 続く ―(次回の更新は、3月15日。お楽しみに。)
2012年03月01日