▶︎ 特集「小1の壁」の記事はこちら実は必要な「忘れ物をして怒られるということ」くわばたりえ(以下、くわばた)犬山さんは子どもの登下校が心配でまだ送っていくって言っていたけど、もしかして翌日の学校の用意も全部やってるの?犬山紙子(以下、犬山)学校の用意は、一応子ども自身にさせるんですけど、私が忘れ物チェックをしちゃうんです。忘れ物をして怒られる、という経験も大事だとわかっているのに、宿題とかも見ちゃうんですよね。でもほんとうは自分ひとりでできるようになってほしいので、2年生から放っておいてみましょうかね。くわばた私わかったぞ!あなた絶対にできない!あなた絶対にムリだってしゃべっててわかりましたよ!犬山ええーーー!実は今朝も「あっ!宿題のプリントまだやってないよ!」と言ってきちゃいました(笑)。けど、自分の責任で宿題を忘れて、学校で注意される経験を阻止しちゃっているんですよね。くわばたそうそう。忘れ物をして怒られて、そこから自分でチェックするようになったりするからね。私は「お母さんはなにも知らんから、勝手にしてな」って言っているんです。学校から帰って「今日は習字道具が必要だったのに、ママなんで教えてくれなかったの!?」と言われても、「知らんから。自分でチェックしとけって言ったやん」って。それでも「どこにも持って行くって書いてないし」と言うんだけど、ちゃんと配布プリントに持ち物が書いてあるんですよ。子どもに任せるほうが、あとあとお互いに楽だと思うんです。私も子どもたちのすべての予定を把握できへんしね。ーー自分のタスクも大量にあるから、全部を網羅するのは難しいですよね。犬山子どもの責任感が養われそうですね。くわばたあとね、忘れ物をしたとき、先生に怒られる前にこっそり友達に借りるという知恵もつく……というのもあるのよ。借りられる相手がいるということは友達がいる証拠だし、そう思うと忘れ物も悪いことじゃないかなって思って。犬山いい話!なんだか自分の過保護ぶりが浮き彫りになって反省です……。中学生になったら内申点も気になってしまうし、失敗しまくるなら小学生の今のうちですね。くわばたそう!小学生なんて、失敗しまくるタイミングよな。いっぱい失敗したほうがいい。犬山じゃあ私、約束します!誓います!明日から忘れ物チェックしない!くわばた子どもには失敗する権利があるからな。まあ中学校でも失敗したらいいんですけどね(笑)。ーー犬山さんの「チェックしなくちゃ」という不安はどこからくるのでしょう?犬山たぶん、自分がそうやって育てられたからだと思います。それを無意識に内面化して同じことを繰り返しているのかも。思い出したら、私の母はみかんの白いところを全部剥いてくれていたんですよ。だから今日はこういう話を聞いて、改めなきゃなと思うことがたくさんありますね。くわばたいきなり改めるというよりは、子どもに合わせたらいいと思いますよ。100人おったらうちの子みたいに「夏休みから学童に行きたくない」という子もおれば、「学童楽しい!行きたい!」という子もおるし、ひとりでお留守番できる子・できない子もおるし。自分の子どもをよく見ることが大切やもんね。子どものスマホ利用を無制限にした結果……?ーーそこに、親から子への信頼感が垣間見えます。くわばたダメ親のほうが子どもが育つのかなって。ほんま言いにくいんですけど、私、朝ごはん作ってないんですよ。子どもは7時40分くらいに家を出るんですけど、私、更年期で最近は朝起きるのがしんどくなってて8時くらいに起きてて。子どもたちは勝手に7時に起きてパンを焼いて食べて「行ってきます!」って。犬山すごい!えらい!最高!そんなことやってくれるなんて……!くわばたこれができるようになったのは、番組で自宅の片付け企画をやったことがきっかけなんです。このとき、食器や食材をすべて子どもたちの手の届く位置に入れ替えたの。それまではキッチンのいろんなものを高いところに置いていたんだけど。犬山たしかにうちも子どもが取れない場所に置いてますね。くわばたそうでしょ?未就学児の頃は手が届くと危ないから高いところに置くんですよ。だから下げるねん。犬山そうか!子どもは成長してるんですもんね。くわばたうちの子たちは最初はぶーぶー言っていたけど、こっちがなにもせえへんかったら腹も減ってるし勝手に食べて行くしかないからと、強くなったんです。うちのお母さんはフルーツ盛りなんて作れないから、「バナナ剥いたほうが早い!」ってな。バナナは剥けば食べられますから。犬山うちも過保護とはいえ、朝ごはんは全然ちゃんとしてなくて。おにぎりとバナナとプチトマトを切ってぼんぼんって出すだけ。あとはパンですね、5本入っているやつ。くわばたあのパンな!私もほんまにあれ好きや!犬山ありがたいですよねえ、あれ。ーースマートフォンはいかがですか?主にGPSを使うために小学生から持たせるご家庭もあるかと思います。犬山うちは「BoTトーク」という見守りGPSガジェットを使っています。学校に行くときに持たせていますが、一言くらい会話ができて。くわばたうちは長男にスマホを持たせはじめた当初、制限をかけなかったんですよ。ーーえー!アプリもネットも使い放題ということですか。くわばたはい。そのかわり言葉で「これはしたらあかん」と説明して。結局、課金とかアカウント開設とか子どもだとできないことも多いしね。インスタは見られるけどアカウントは作れなかったりコメントできなかったり。そんな中で、長男は自分で、◯時から◯時まではスマホが使えないようにする制限をかけていました。ーーええーーー!どうしてそんなことができるんですか!?くわばたなんで?と思ったら、無制限だからあまりにもやりすぎて、「これじゃあかん」と思って制限をかけたんやって。たとえばYouTubeを何時間も見ていると「そろそろ止めたほうがいいんじゃないですか?」みたいなアラートが出てくるように、自分で設定していたんですよ。子ども宛に届いた謎の荷物、中身は……犬山ええーー!お子さんもすごいし、そこまで見守れるくわばたさんもすごくないですか!?そうなる前に口を出しちゃいますよ!「見すぎだよ!」「YouTube消すよ!」って。くわばた長男はサッカーばかりやっている人でそこまでスマホを1日中見るタイプじゃないから、口出ししなかったのもあるな。ほったらかしにするとそうなるのかなあ。逆に制限をかけすぎると、上手いこと解除する方法を覚えたりするのかな?スマホを持たせてよかったと思ったのは、彼がYouTubeでおもしろいと思った動画を私に教えてくれて、「この子はこういう動画に感銘を受けているんだな」と気付けるようなやりとりができたこと。それって楽しいなあと思いました。犬山ステキ!お子さんのこと、信用されているんですね。くわばたでもね、信用しすぎた。この前ね、長男宛に荷物が届いたんです。親戚のおじさんが長男宛に送ってくれることもあるから、それかなあと思って「開けたら?」と声をかけたら「あとで開ける」と。「いま開けや」と言うと、渋々開けたら変なガラクタみたいなおもちゃが出てきて。これ何!?って。勝手にネットで注文していたんですよ。犬山あらま!くわばた怖ない!?クレジットカードもないし、振り込みもできないし、どうやって買い物したのかわからなくて聞いたら、「コンビニ支払いを選択した」というんです。犬山最近は子どもに対する詐欺も横行しているんですよ。子どもはクレジットカードを登録できないからネットでお金を使えないだろうと思いきや、そうやってコンビニ支払いにさせるんです。Xでやりとりして、メルカリに移動させて、「コンビニ支払い」を選択させるとか。先日取材したときに聞いて、えげつないと思いました。くわばたそんなことあんねや……教えてくれてありがとう!これは子どもに言おうかな。禁止するんじゃなくて、「こういう手口があるから、こういうことを言ってきた人にお金を払っちゃダメだよ」って。ーーちなみに、くわばたさんのお子さんが買ったおもちゃというのは?くわばた高額でもないし、180円のボールみたいなやつとか、すごくしょぼい指を鍛えるやつとか。サッカーやってんのになんで指鍛えなあかんねん!「こんなんいる!?」って思いました。犬山かわいい買い物じゃないですか!くわばたそれは怒りました。「勝手に買うのはやめて。お母さんに言ってくれ」と。犬山その失敗は理想的ですね。いいなあ。私も子どもを信用できる親になりたいし、自分も母に信用されたかったですね。ーーそれが根底にあるのですね。犬山だと思います。信用してくれたら、将来の夢を母に言えていたのかな、とか。だって漫画家になりたかったこと、ひた隠しにしていましたもん。親が、というより当時は大人が冷笑的だったから、夢をあまり語れなかった。子どもなりにそんな空気を察知して「夢?べつにないし」って。そういう子は結構いるように思います。だから、子どもがどんな将来像を抱いていようと、否定せずに「応援するね」と言おうと思っています。子どもがいるときは、なるべく「ながら喋り」をやめてみるーーとにかく時間が足りないような日々で、お子さまとそういった突っ込んだ話ができないご家庭もあると思いますが、おふたりはどうしていますか?くわばたうちはごはんを食べるときにめっちゃ会話が多いんです。長男は特にお喋りで。帰宅してから30分くらいずっとひとりで喋っています。うれしかったこと、友達の面白い話ーーびっくりするくらい喋ってる。犬山いいですね!なんでも喋ってくれるんですね。くわばた止まらないのよ。犬山お母さんが話を聞いてくれて、キャッチボールになるから喋りたくなるのかなあ。子どもが話しているとき、スマホやパソコンを見たりしますか?くわばた見ないねー。犬山そこですよね。忙しいときはどうしてもスマホを見ながら「うん、うん、あ、ごめん仕事のメール……」となりがちだけど。うちもごはんを食べながらお喋りします。あとね、うっとうしがられるんですよ、子どもが大好きすぎて。隙あらば「抱っこしていい!?」って聞くんですけど、スーンとしながら「1日2回までね」って(笑)。くわばたもうそんな感じなんや(笑)。ママのラブラブ攻撃がすごいのね。犬山そんな感じで、子どもがいるときはなるべく仕事をしないようにして、お絵描きが好きな子なので隣同士で描いたり、一緒に寝て、ベッドでいろいろな話をしてくれます。仕事で子どもと離れている時間が多いと思うからこそ、抱きしめながら話をして濃密な時間にしています。ーーそういうふれあいがない日はちょっと様子がちがう、と感じることもありますか?犬山私が出張で丸1日会えない日でも、娘は「ママは私に会いたいに決まっている」と思っているんですよ。実際、私も口に出してそう言っているし、帰宅したら「会いたかった!」と真っ先に飛びつきます。だからか、離れていても娘は落ち着いています。「どうせママは私に会いたいでしょ?」という自信がある。ーーステキですね!私は話を聞きながら原稿を書いてしまっていますね……。犬山私もやってます。くわばたうちは「ながら聞き」できへんくらい子どもが喋ってます。ほんでマイムもあるから、見なあかんのよ。犬山マイム!(笑)かわいいですね!くわばたスマホも置かなきゃいけなくなっちゃうんですよね。長男はね、いまもぎゅーさせてくれるんですよ。犬山へえーーー!それ知りたい!くわばた何年か前に、ごはんを作っている合間に「ぎゅーさせて」とお願いしたことがあったんですよ。いつもはすぐにさせてもらえるねんけど、このときは「ドラえもん(の放送時間)が終わるまで待って」と言われて。そのとき、むっちゃ長かったの!その30分が。それで私、はっとして。「ママ、◯◯やりたい」と言われたときに「ちょっと待ってて」と言って30分は平気で待たせていたのよね。やることいっぱいあるから。犬山待たせちゃいますね~。子どもの「ちょっと待って」で気づいた「ちょっと」の長さくわばた私は『ドラえもん』が30分後に終わるのがわかっているし時計も読めるから待てるけど、時間の感覚がわからない子どもにとっての「ちょっと待って」ってすっごく長いんじゃないかなと思って。そのときから、子どもに「ママ、◯◯やりたい」と言われたら「うん!」ってすぐに行くようにしたんです。よほどのことがないかぎり、「ちょっと待って」をやめたの私。犬山すっごく大切な話ですね。言うのは簡単かもしれないけど、なかなか実行できることじゃないと思うんです。くわばたそうやってぎゅーするんだけど、「私が手を広げたらぎゅっとしに来て」って言ったんですよ。そうしたら長男、「ハイハイ」って来たんだけど、ガラスに映る長男の顔、ニコニコしてて。喜んでるやん!って。犬山えーーーいい話!くわばたそしたらあるときね、洗い物していて、ぱっと振り向いたら長男がこうやって手を広げて立っていたんですよ。ーーハグ待ちのポーズですね!くわばたいつも私が手を広げるけど、向こうも来てほしいときがあるんやなあって。「ママぎゅーして」とは言われへんけど、黙って立っているの。だから私も黙ってぎゅーする。犬山はあ〜〜いい話!報われるなあ。「小1の壁」の話をしていたけど(笑)、子どもはいくつになってもかわいいっていう話になっちゃいましたね!赤ちゃんの頃のようにずっとベタベタすることはなくなるかもしれないけど、ずっとハグをし合える関係性、すごくいいですね。希望が持てます。くわばた親が子どもに弱音を吐くのもいいかもしれないと思っているんですよ。お母さんが「うわあ、どうしよう、すごくイヤなことがあった~」と話していると、子どもも何かあったときに「こんなイヤなことがあった」と打ち明けやすくなる気がするんです。いつもニコニコして何でも乗り越えられる完璧なお母さんの姿を見せていると、「『そんなの気にしない!だいじょうぶでしょ』と言われるかもしれない」と、言いにくいのかなって。だから完璧じゃないお母さんを見せたほうがいい……ということで、ダラダラしているんですよ(笑)。犬山あはははは!たしかに私も『プレバト!』(TBS系)でめちゃくちゃ順位が低いときとか、子どもに慰めてもらっています。「がんばってね!また次があるぞ」って。ありがたいです。ーー最後に、小学校入学を控えるママとパパにメッセージをお願いします。くわばた「小学校は楽しいところ」とどんどん伝えたほうがいいと思います。「お兄さん・お姉さんになるからこれができるようにならないといけないよ」というと、すごくプレッシャーになるから「楽しいところだよ。はじめてのお友達もいるよ。鉛筆が持てて、お勉強もできるよ」と。そうすれば、楽しく行けるのかなって思います。犬山「小1の壁」で、会社員の方の中には、お迎え時間や夏休みが原因で働き方を変えざるを得ない方もいらっしゃると思うんです。未就学児の場合は、会社も時短勤務ができたり、育休が取れたりしていましたが、小学生になると会社側のそういった制度も使えなくなることが多いと思います。そうなったときに、子どものためにすべてを犠牲にするのを当たり前とせず、どうすれば自分の人生を守れるのか、を大切にしてほしいと思います。今日のくわばたさんのお話も、とても参考になりました。仕事を辞めたり、時短する判断をされる方もたくさんいらっしゃると思いますが、どうか孤立しないように、パートナーや頼れる人としっかり話し合ってほしいです。女性が必ず仕事を減らさなきゃいけない……ではなくて。「私さえ我慢すれば」のマインドになっていたら孤立のサイン。話し合い、チームとしてどうすればみんなが納得して生活できるのか、第三者や行政の力も借りながら模索してほしいです。くわばたりえさん/お笑い芸人1976年3月24日生まれ、大阪府出身。2000年に相方の小原正子さんとお笑いコンビ「クワバタオハラ」を結成。2009年に会社員男性と結婚。4月から中学2年生の長男、小学5年生の次男、小学3年生の長女の3児の母。ただただしゃべりながら料理を作り、子どもとの食卓を映す公式YouTubeチャンネル『バタやんちゃんねる』が登録者数40万人を越えた。東野幸治さんが「芸能事務所を開くなら、ママタレの筆頭としてくわばたをスカウトしたい」と絶賛。犬山紙子さん/イラストエッセイスト1981年12月28日生まれ、大阪府出身。2011年、女友達の恋愛模様をイラストとエッセイで書き始めたところネット上で話題になり、マガジンハウスからブログ本を出版。『ドデスカ!+』(メ〜テレ)、『ピタニュー』(広島ホームテレビ)、『newsランナー』(関西テレビ)などでテレビコメンテーターとしても活動。『プレバト!!』(TBS系)では俳句などで才能を発揮。2014年にミュージシャンで漫画家の劔樹人さんと結婚。4月から小学2年生の長女を育てる。2018年にボランティアチーム「#こどものいのちはこどものもの」を発足した。(撮影:松野葉子取材・文:有山千春)
2024年04月05日<TBSドキュメンタリー映画祭2024>ライフ・セレクション上映作品『私の家族』監督・語り:久保田智子(c)TBS================久保田智子さんが監督を務めた映画『私の家族』は、久保田さん・夫の典昭さん・特別養子縁組で迎えた娘「はなちゃん」(仮名)という三人家族の軌跡、そして久保田さんの両親との関係性を再構築する対話を捉え、家族のあり方に真摯に向き合った作品です。当事者であり、取材者であり、監督でもある久保田さんに、この作品に込めた思いを聞きました。「原爆が落ちた日」のことばかり聞いていた自分職業柄、「人の話を聞く」のは得意な方だと思っていたという久保田さん。オーラル・ヒストリーを学び、重要なことに気づいたといいますーー映画『私の家族』には、久保田さんが結婚して築いた「家族」との会話はもちろん、ご実家のご家族との会話もたくさん出てきます。久保田智子さん(以下、久保田)じつは私の実家では、家族の会話があまりにも少なかったんです。長くそれを問題とも思っていませんでした。でも振り返ると、私自身、父母や妹、そのほかの人たちの話をきちんと聞いてきたつもりでしたが、相手の気持ちをわかっていなかったなと思うこともあり、人の話を聞く難しさを感じていました。「インタビュー」は自分にとって仕事でもあったので、夫の海外赴任に伴うニューヨーク滞在時に「オーラル・ヒストリーを学んでみよう」と思ったんです。オーラル・ヒストリーというのは簡単に説明すると、様々な出来事の体験者に聞き取りし、研究する学問です。==========【オーラル・ヒストリー】文字史料では明らかになりにくい対象や領域について、当事者やその関係者にインタビュー形式などの調査を行い、既存の口述史料の分析を行うことでアプローチする研究方法。==========ーー実際に学ばれてみて、「話を聞くこと」の意識が変わりましたか?久保田話を聞くこと自体の難しさはあるとしても、それでも私は職業的に得意なほうだろうと思ってたんですね。だけど本当はそうじゃないのかも……ということに気づかされました。私は戦争体験者に戦争の記憶を聞くインタビューを長く続けてきたのですが、語り手によって見ている景色が全然違ってくることがわかったんです。たとえば広島への原爆投下について私が持っていたイメージは、教科書的な知識から得たものにすぎないのに、それでわかった気がしていました。でも、それぞれの方の生活にどんな影響を与えたのかを丁寧に聞くと、その人ごとに違うストーリーがある。もっと言うと、原爆が落ちた当日のことだけでなく、それ以降にも大変な思いがあって、それを含めて「被爆した大変さ」です。それなのに自分はどうして原爆が投下された日のことばかりを聞いていたのか。それはメディアで表現しやすく、自分にとって印象的な日だからです。私は間違っていたと思いました。ーー大切なのは、思い込みやバイアスをなくして相手の話をそのまま聞く、ということでしょうか。久保田そうだったんです。ライフストーリーアプローチというのですが、1人の人間として誕生から現在までの人生を振り返ってもらうと、その人にとって「原爆が投下された日」は一つのコマでしかない。その日以外のところに、たくさんの思いが散らばっています。人の話って、こうやってじっくり、自分の思い込みを抑えながら聞くことで、やっと理解が深まるんだということを知りました。「どうしてそう思うのか」を一緒に探っていく<TBSドキュメンタリー映画祭2024>ライフ・セレクション上映作品『私の家族』監督・語り:久保田智子(c)TBSーーそのことに気づいてから、ご両親との会話は変わりましたか。久保田先にお話しした通り、私は家族と本音での会話がなかったと思っているんですが、オーラル・ヒストリーを学んで、本音の会話は対等な関係じゃないと難しいことに気づきました。上下関係があると下の人が上の人に気を遣ってしまうので、対等な会話はすごく難しいんですね。親が子どもに寄り添えば対等に話せるのですが……。ーー確かに子どもは力関係で大人に敵いません。そのままでは対等な関係になれませんよね。久保田そう、絶対になれません。だから大人がきちんと意識して、子どもが委縮せず対等に話せるようにする必要があります。そうして生まれるのが、会話……というか対話「ダイアローグ」です。そうでない会話はじつは独白「モノローグ」で、一方的なものになりかねません。世代的なものもあるかもしれません。昔は特に年功序列の社会で、学校教育でも先生が生徒に向けて一方的に話(モノローグ)を聞かせるのが普通でした。今では子どもの声に耳を傾けること、子どもの主体性を促すことが推奨されるようになってきていますが、私の親世代では一般的ではありませんでした。ーー「対話」というのは、具体的にはどのようにしたらできるのでしょうか?久保田オーラル・ヒストリーでは、「何を問いかけるか」を重視します。そして、まだ言語化されていない部分を共同作業で言葉にしていきます。具体的には「なぜそう思うんですか?」という質問を重ねます。たとえば「沖縄戦」というテーマについて、話すとしましょう。年号や結果どうなったかなど教科書的な知識で答えられる問いをするのではなく、「なぜ沖縄戦が起きたと思いますか?」と、シンプルな正解のない問いかけをします。すると、その人の答えから「どうしてそう思うのか」を一緒に探っていくことができます。そういう対話の深め方をしていくんです。これは親子関係でも同じです。子どもの動機や気持ちが知りたい場合には「どうしてそう思ったの?」と聞く。同じように、自分が子どもに何かを禁じたり、すすめたりする場合には、子どもの「なぜ」を解消するために理由をしっかり説明することが必要です。ーーなるほど。でも我が子に対して、毎回きちんと丁寧に対話できるかというと……多くの保護者が心配になるのではないでしょうか。久保田「なぜ?」に答えるのは、すごく大変だし、面倒くさいことですからね。「これはなんですか?」に「水です」と答えるのは簡単だけれど、「これをなぜ水だと思うんですか?」と問いかけられたら、面倒くさいじゃないですか(笑)。そんなやり取りをするのが面倒だから、お互いに勝手に判断することが出てくる。特に家族という親密な間柄だと、それまでの積み重ねもあって「この子はいつもこうだから」「またワガママ言ってるんだね」って済ませてしまうことがあります。こうした決めつけをしないようにすることが大切です。親子関係の悪循環をほどくかつては親子の会話が極端に少なかった、と久保田さん==========「父は子どもの頃、怖くて対話ができない人だと思っていた」「母は私にとってネガティブ思考が強い人。『そんなの無理じゃない?』とよく言われていた」という久保田さん。映画『私の家族』では、そんなご両親との“対話”も映し出しています。==========ーー久保田さんはなぜ、ご実家の家族と対話をやり直そうと思われたのでしょう?久保田うーん。いろいろあるんですけど、やっぱり私は親や家族が好きなんだと思います。そして、「わからない」と思う相手こそ、その背景に面白さがあると思うんです。予想通りのことを言う人より、思いもよらないことを言った人の背景を聞くほうが面白いんですよね。つまり、水を「これは水じゃないよ」と言う人。そこには「その人の事実」があるんです。「その事実がどうして生まれたのか」という部分に面白さがあります。私はうちの両親に対して「どうしてこんなにダメダメ、無理無理って言うんだろうな〜」と思っていて、そういう理解できない部分に好奇心が湧いたのかもしれません。ーー実際にご両親の話を聞くにあたって、どんなことを意識しましたか。久保田先ほど親子は上下関係があると言いましたが、子どもが成人して自立し親が年をとると、今度は親より子どものほうが力関係で上になることがあります。うちの場合も私が就職してから、「うちの子はテレビに出てるし偉いのかな」と親が思ったらしく、ずいぶん前から私のポジションが上になっているように感じていました。対等な会話をするためには、今度は大人になった子どもが親に寄り添う必要が出てくる。そうしないと親の本当の気持ちはわかりません。だから、こちらから寄り添うことを心がけました。ーーお母様が久保田さんに「あなたのほうがずっとしっかりしてる」とおっしゃる場面が印象的でした。このときはどう思われましたか?久保田「お母さんがしっかりしてないから、私がしっかりしなきゃって思ってたんだよ!」と思いました(笑)。実家で暮らしていた頃の私は、なんでも自分でしなきゃって気持ちが強かったんですね。進学する高校や大学を選ぶときも全く親に相談しなかったし、就職活動をしてアナウンサーになるのも内定が出るまで言いませんでした。親に頼れないことだというだけでなく、言ってもきっと応援してもらえないと思っていたからです。ーー希望を伝えても、「ダメダメ」「無理無理」と否定されるかもしれないと思われていたのでしょうか。久保田そう、それが怖かったんだと思います。頑張っている時にネガティブなことを言われたらつらいなあって。だから親に相談しないで1人で決めてきました。だけど、もしも親がきちんと話を聞いてくれて頼りになっていたら、私はこんなにしっかりしていなかったかもしれない。裏を返せば、私がなんでも自分でしっかりやろうとしてきたから、母は私と関わりづらいというか、必要とされていないと思ったのかもしれない、とも思いました。そうして親子で会話ができなくなって、すれ違いの溝が深まり、誤解されたまま関係性が崩れていく……という悪循環だったんでしょうね。初めて知った、母の本音プライベートな部分に深く踏み込んだ作品作りをするにあたって、「当事者」であり「取材者」である観点から悩んだことも……ーー映画の中でお母様は、自身が子ども時代に厳しくされてきた、褒められてこなかったから……と本音をおっしゃっていましたね。久保田それを聞いて、母から私へのネガティブな発言は、母にとっては「娘を守るための手段」だったんだと思いました。その方法を、良かったとは思いません。でも、母は別に私のことを本当にダメだと思っていたり、期待していなかったりしたわけじゃない。ここに気づけたのは大きかったです。「失敗した時につらいから、その前にやめといたほうがいい、心構えをしたほうがいい」というのは母が自分の育つ過程で得た「自分の守り方」で、同じことを私にもしていたわけです。こうして母を理解できたことで、今も似たようなことを言われますが、「ああ、なるほどね。そんなふうに思うんだ」と穏やかに受け止められるし、「でも、私はそう思わないよ」と素直に意見を言えます。ーーお父様は車の中で、そんなお母様への尊敬の気持ちも表していましたね。ご家族との関係性は大きく変わりましたか?久保田もちろん!今はすごくいい関係になりました。じゃないと、こんな映画出せません(笑)。よくOKしたなって思いましたもん、うちの親も。だけど不思議なもので、インタビューすると驚くほど話してくれるんです。昔は父も母も仕事や家事や子育てに追われていてそれどころじゃなかったけれど、今は語りたいことがあるんだなあって。もしかしたら話を聞かれてこなかった寂しさっていうのもあったのかもしれません。今、それをきちんと聞いてあげるのも、お互いにとって大切だなと思います。ーーそうした場面も含めて非常にプライベートな部分に踏み込んだ作品ですが、制作していて悩まされたところはどこでしょうか?久保田当事者でありながら取材者であるというのが、難しい部分だと思いました。当事者としては「これを出していいの?」と迷う部分も、取材者としては「あれもこれも出したい!」と思いますし、線引きが大変で……。その辺りは編集時に、信頼できるプロデューサーや手伝ってくださった方々に相談しながら、取捨選択しました。また、自分が当事者で取材者だと、なんとなく良い感じのことを言えるし、視聴者側から求められるだろう映像を撮ることも可能です。でも、そんなことをしたらノンフィクションではなくフィクションになって何も残りません。できるだけそうならないよう、映画のためでなく、普段から撮りためていたプライベートな映像を使うようにしました。ーーこのような形で映画化することに対するご家族の反応はどうだったんでしょうか?久保田夫も娘も応援してくれていて、父や母、妹の子どもである姪たちも賛成してくれました。家族の合意があったから公開することができました。ただ、娘が将来なんて言うかな?というのは、一つの懸念点です。成長に合わせて気持ちは変わりますから……。完成した映画はまだ見せていないのですが、家族みんなで一緒に見たいと思っています。ーーそれは素敵ですね。直接言ったことはないというお父様からお母様への思いも、とうとう伝わっちゃいますね。久保田映画の中で父が母への気持ちを話していることを伝えたら、うちの母は「あら、ばからし!」って言っていました(笑)。でも今、私たちの家族には、はなちゃんや姪たちもいて、みんな仲良くてとても幸せです。(取材・文=大西まお、撮影=尾藤能暢)久保田智子(くぼたともこ)1977年広島県生まれ。大学卒業後、2000年にTBSに入社。アナウンサーとして活躍後、2017年TBSを退社、夫とともにNYへ。コロンビア大学にてオーラルヒストリーを学び、修士号を取得。2019年、特別養子縁組で娘を迎える。2020年に帰国し復職後は報道局デジタル編集部に所属。監督を務めた初のドキュメンタリー映画『私の家族』が3月15日~公開。TBSドキュメンタリー映画祭20242024年3月15日(金)より東京、大阪、名古屋、京都、福岡、札幌の全国6都市で順次開催。第4回の開催となる映画祭では、人種や戦争、社会問題など現代を取り巻く重要なテーマを考える今だから見るべき作品を選んだ「ソーシャル・セレクション」、家族の形や身体的な障害など、多様な生き方や新たな価値観を見出せる作品を選んだ「ライフ・セレクション」、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚など、感覚を司る表現者たちやテーマを通して新たな感性に出会える作品を選んだ「カルチャー・セレクション」と、3つのテーマに沿って選出された15作品を一挙上映する。<TBSドキュメンタリー映画祭2024開催概要>★東京=会場:ヒューマントラストシネマ渋谷|日程: 3月15日(金)~3月28日(木)★大阪=会場:シネ・リーブル梅田 |日程: 3月22日(金)~4月 04日(木)★名古屋=会場:センチュリーシネマ|日程: 3月22日(金)~4月 04日(木)★京都=会場:アップリンク京都 |日程: 3月22日(金)~4月 04日(木)★福岡=会場:キノシネマ天神|日程: 3月29日(金)~4月11日(木)★札幌=会場:シアターキノ |日程: 3月30日(土)〜4月11日(木)公式サイト: 公式X:@TBSDOCS_eigasai久保田智子初監督作品『私の家族』<TBSドキュメンタリー映画祭2024>ライフ・セレクション上映作品『私の家族』監督・語り:久保田智子(c)TBSSTORY2019年に特別養子縁組で新生児の娘を家族に迎えた久保田は、2歳になった娘に対し、生みの母の存在や出自について伝える“真実告知”を行うことを決意する。さらに、自身の両親・家族の過去とも向き合い、さまざまな対話を重ねる中で、久保田がたどり着いた“真実”と伝え方とは……。
2024年03月08日<TBSドキュメンタリー映画祭2024>ライフ・セレクション上映作品『私の家族』監督・語り:久保田智子(c)TBS================20代のときに自身が不妊症で子どもを持つことが難しいとわかったという久保田智子さん。2019年に生後まもない女の子・はなちゃん(仮名)を特別養子縁組で迎え、家族になりました。久保田さんが監督を務めた映画『私の家族』は、久保田さん・夫の典昭さん・はなちゃんという三人家族の軌跡、そして久保田さんの両親との関係も含め、家族のあり方に真摯に向き合った作品です。当事者であり、取材者であり、監督でもある久保田さんに、この作品に込めた思いを聞きました。プロポーズされて「特別養子縁組を考えてる」と話したらドキュメンタリー番組がきっかけで、一気に「特別養子縁組」への理解が深まったという久保田さんーー久保田さんが初めて「特別養子縁組」を意識されたのはいつ頃ですか?久保田智子(以下、久保田)20代後半に、テレビで特別養子縁組のドキュメンタリーを見たことがきっかけだったように思います。もともと制度自体は知っていましたが、養子を迎えて幸せそうに暮らしているご家族の姿を見て「こういう選択肢が本当にあるんだ!」と。「制度」としてしか知らなかったものが、実際の映像を見ることによって解像度が上がって自分ごとになったんですね。ーーパートナーの「のりさん」とは結婚を決めた段階で「特別養子縁組」についても話し合っていたのですか。久保田夫にプロポーズされたとき、子どもができないことは伝えていました。同時に、私としては特別養子縁組を選択肢に入れたいと思っていることも話したんですけど、明るく「ああ、そうだね!いいと思う!一緒に考えていこう!」と(笑)。夫は何に関してもフラットで肯定的。「これもいいよね!」「あれもいいよね!」「その選択肢もありだね!」というタイプです。私は考えすぎて重苦しいタイプだから、夫婦ですごくバランスが取れていると思います(笑)。ただ、夫の仕事の都合でニューヨークへ行くことが決まっていたので、すぐなんらかのアクションを起こしたわけではありませんでした。ーーニューヨークから帰国して、すぐ行動に移されたのでしょうか。久保田はい。2018年12月に帰国し、「とりあえず話を聞きに行ってみよう」と、養親になるための説明会に夫婦2人で行きました。私は随分前から特別養子縁組制度を人生の選択肢に入れていたし、調べ物が得意なので、ある程度の知識を持っていましたが、夫はまだそこまででもなかったので、とりあえず説明を聞いたのがよかったです。ーーその時点では、久保田さんとのりさんとで知識量にかなり差があったんでしょうか?久保田そうです。私としては「ご縁があったら、すぐにでも迎えようよ!」という気持ちだったんですが、夫は「ちょっとだけ待って!きちんと調べて考えをまとめるから」と。彼は何事も軽やかに肯定的に受けとめるのですが、いざとなれば真剣に調べて考えます。今思えば、真摯な態度だったなと思います。2歳から伝えてきた「生みの母」の存在<TBSドキュメンタリー映画祭2024>ライフ・セレクション上映作品『私の家族』監督・語り:久保田智子(c)TBSーーその後、ご夫婦で意見が一致して、養親の登録まで進まれたのですね。久保田はい。養親の登録をするにあたって、特別養子縁組や子育ての研修を受けたのですが、これがとても良い内容でした。実は夫婦だけで話していると、「お互いがどこまで理解できているのか」がわかりづらいんです。でも、相談員さんが私たちにいろいろな質問をしてくれることで、夫婦双方の理解度や、気持ちがよくわかりました。ーーどのような質問をされるのでしょう?久保田たとえば「どうして子どもを育てたいのですか?」だったり、子育てについても赤ちゃんの育て方だけでなく「もしも反抗期に荒れたらどうしますか?」など先まで見据えたことを聞かれたりします。そういうひとつひとつが本当にためになることばかりで充実した研修なので、特別養子縁組を希望する人だけでなく、子育てする人みんなが受けられたらいいのにって思いました(笑)。ーー単に知識が得られるだけでなく、夫婦の相互理解も深まりそうですね!久保田そうなんです。夫婦2人だと話しづらいようなことも正直に話し合えたし、研修終了後にも2人でさらに深く掘り下げることができました。特別養子縁組をしたいけれど迷っているという方には、ぜひ一度説明会などに行ってみることをおすすめしますし、そのうえで率直に話をしてみてほしいと思います。==========養親登録を経て、2019年にご夫婦で赤ちゃんを迎えました。初めて産院へ会いに行ったとき、はなちゃんは生後5日め。病院で泊り研修の後、自宅で一緒に生活を始めました。==========ーーはなちゃんが2歳になった頃から久保田さんは、「生みの母」がいることを子どもに伝える「真実告知」をされています。久保田養子縁組についていつ伝えるかは家庭によるのですが、今は「子どもが自然に受け入れられるように」という考えから、多くの養親が幼いころから真実告知をしています。私が特に気をつけているのは、その伝え方です。特別なことではなく当たり前のこととして伝えたいので、生活の中でたとえば寝る前などに自然な流れでお話しています。産んでくれた人をどう表現するかについてはよく考えました。「ママが2人いるんだよ」と言うと、娘が戸惑うかも知れないと思ったんです。私は自分自身のことを母とは呼ばないので、産んでくれた人と言う意味を込めて「生みの母」という呼び方をすることにしました。伝え方や呼び方については夫とも共有し、混乱がないように気をつけています。ーー何年にもわたって、はなちゃんをはじめご自身の家族を撮影した映画『私の家族』の企画は、いつ頃スタートされたのでしょうか?久保田昨年のTBSドキュメンタリー映画祭への出品も考えていたのですが、なかなか内容がまとまらなくて構想に一年がかかりました。ーーどのシーンでも、はなちゃんの笑顔がとても自然でかわいらしいことが印象的でした。久保田じつは、この作品の映像の多くは、映画のために撮ったものではなく、私が日々ライフワークとしてスマホなどで撮ってきたプライベートなものなんです。血のつながりはありませんが、私たち家族は日々を積み重ねて絆を積み重ねる。毎日必ず動画や写真を撮り、アーカイブしてきました。基本はホームビデオだから、全員の表情や発言が自然だし、とてもリアルなのだと思います。「自分勝手」という表現は事実と異なる特別養子縁組は「可哀想なこと」ではなく「幸せなこと」だと知ってもらいたいーー『私の家族』では、はなちゃんとは直接関係のない方ですが、特別養子縁組で子どもを託した「生みの母」の女性が出演されていますよね。久保田これは『news23』の取材で撮った映像を使わせてもらいました。彼女は私が特別養子縁組で子どもを育てていると公表した後に、メールをくださった方なんです。彼女は養親について知りたいという気持ちがあり、私も「生みの母」についてもっと知りたいと思っていたので、3〜4年間メールのやりとりを重ね、番組の企画でやっとお会いすることができました。ーー「生みの母」という立場の女性、そして「養親」という立場の久保田さん。メールのやり取りと取材での対話を通して、どのようなことを考えられましたか?久保田もっとも考えさせられたのは、「生みの母」の声が可視化されていないことでした。それぞれの「生みの母」には、病気や経済的な問題など様々な事情があるにもかかわらず、「私は子どもを特別養子縁組に出しました」ということはなかなか言えません。だから「生みの母」の思いや状況は知られていません。なぜ言えないのかというと、周囲から責められかねないからです。すると、どういうことが起こるかというと、子どもを産んだのに育てないのは「自分勝手なんだ」「甘えがある」などとさらに誤解されてしまう。「自分勝手」と表現するなら相手の男性はどうなのかと思いますし、「甘え」などではなく本当に困難な状況があるのに……。そうして、さらに声があげられなくなるという悪循環です。ーー確かに「養親」以上に「生みの母」の話を聞く機会は非常に少ないと思います。久保田本来なら特別養子縁組を選択肢に入れることができたはずの人が、制度を知らないため、また周囲から責められるなどの理由で、困難な状況下で出産・子育てし、追い詰められているケースもあるのではないか……と思います。ですから、特別養子縁組をするしないに関係なく、多くのみなさんに当事者の声を聞いてほしいのです。ーーそれは本当に大切なことですね。子どもたちを守るためにも広く知られてほしいことです。久保田さんの映画制作の動機は、そうしたところにあったのでしょうか。久保田そうですね。特別養子縁組に関わる人たちの声を知ってもらいたい、という思いがすごくあります。そして、特別養子縁組という選択肢の側面も知ってもらえたら。子どもの幸せが第一ですが、産んだ人も新たな一歩を踏み出すきっかけになり、養親も子どもとの生活へと歩き出すことができる。特別養子縁組は、この三者を前向きに支えてくれる制度です。この制度の理解が広まることで、どうにもならない状況に追いやられている人に新しい選択肢が生まれるのではないかと思います。なにより、制度へのネガティブな誤解が訂正されることで、養育を委託された子どもが「自分は望まれて生まれ、望まれて新たな家族のところに来た」と思えます。「きちんとしたママ」って、何だったのかな?<TBSドキュメンタリー映画祭2024>ライフ・セレクション上映作品『私の家族』監督・語り:久保田智子(c)TBSーー最後に、久保田さんにとって「母」とはどういうものでしょうか。映画の中で「ママごっこをしてるような虚構感」と口にする場面がありましたが、じつは出産を経験した私も、子育てが始まった当初は同じように感じていたことがあって、共感しました。新生児期からはなちゃんを育てている久保田さんを見て、「全然変わらない、同じだ」とも思います。久保田ええ!そうなんですね?そうなんだ……。当時の私は、自分がはなちゃんを産んでいないことに、劣等感があったと思うんです。妊娠期間がなかったので、急に母になった戸惑いもあったのかもしれません。「きちんとしたママにならなきゃ!」「私は本当にママなのかな?」という気負いがありました。でも、その「ママ」って、何だったのかなと、今では思います。「母乳じゃなくて育児用ミルクでいいのかな」と悩んだこともあったけれど、そんなのどっちでもよかった。やさしく穏やかな「理想のママ像」があったけれど、人は必ずしもそういうふうではいられませんし、私もイライラしたり、ついつい叱りすぎてしまうこともあります。でも、試行錯誤しながらも、日々を積み重ねていく中で徐々に、自分たちらしい関係性でいいんだ、と思えるようになりました。ママはママですから。ーー「ママはママ」、間違いなくそうですよね。久保田今、娘は夫のことを「ダダ」でも「パパ」でもなく、名前で「のり」って呼んでいるんですけど、そのうち私のことも「ママ」ではなく「智子」って呼ぶのかもしれません(笑)。それはそれで私たちの家族像ですから、いいのかもしれないなって。お互いが生きていく上で大切にしあえて、ほどよく依存しあえて、手助けし合える……そういう関係性が家族だと私は思います。あえて言えば私は「ママ」という役割なんですが、役割分担もあるようなないようなもので、私の実家でもその役割は流動的に変わってきました。そう考えると、最近は「ママ」という像からも解放されつつあるのかもしれません。(取材・文=大西まお、撮影=尾藤能暢)久保田智子(くぼたともこ)1977年広島県生まれ。大学卒業後、2000年にTBSに入社。アナウンサーとして活躍後、2017年TBSを退社、夫とともにNYへ。コロンビア大学にてオーラルヒストリーを学び、修士号を取得。2019年、特別養子縁組で娘を迎える。2020年に帰国し復職後は報道局デジタル編集部に所属。監督を務めた初のドキュメンタリー映画『私の家族』が3月15日~公開。TBSドキュメンタリー映画祭20242024年3月15日(金)より東京、大阪、名古屋、京都、福岡、札幌の全国6都市で順次開催。第4回の開催となる映画祭では、人種や戦争、社会問題など現代を取り巻く重要なテーマを考える今だから見るべき作品を選んだ「ソーシャル・セレクション」、家族の形や身体的な障害など、多様な生き方や新たな価値観を見出せる作品を選んだ「ライフ・セレクション」、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚など、感覚を司る表現者たちやテーマを通して新たな感性に出会える作品を選んだ「カルチャー・セレクション」と、3つのテーマに沿って選出された15作品を一挙上映する。<TBSドキュメンタリー映画祭2024開催概要>★東京=会場:ヒューマントラストシネマ渋谷|日程: 3月15日(金)~3月28日(木)★大阪=会場:シネ・リーブル梅田 |日程: 3月22日(金)~4月 04日(木)★名古屋=会場:センチュリーシネマ|日程: 3月22日(金)~4月 04日(木)★京都=会場:アップリンク京都 |日程: 3月22日(金)~4月 04日(木)★福岡=会場:キノシネマ天神|日程: 3月29日(金)~4月11日(木)★札幌=会場:シアターキノ |日程: 3月30日(土)〜4月11日(木)公式サイト: 公式X:@TBSDOCS_eigasai久保田智子初監督作品『私の家族』<TBSドキュメンタリー映画祭2024>ライフ・セレクション上映作品『私の家族』監督・語り:久保田智子(c)TBSSTORY2019年に特別養子縁組で新生児の娘を家族に迎えた久保田は、2歳になった娘に対し、生みの母の存在や出自について伝える“真実告知”を行うことを決意する。さらに、自身の両親・家族の過去とも向き合い、さまざまな対話を重ねる中で、久保田がたどり着いた“真実”と伝え方とは……。
2024年03月07日「子どもの塾代が高すぎる」と嘆く声を聞いて……「子どもの居場所になる、激安の学習塾を作りたかった」——哲夫さんが「寺子屋こやや」を立ち上げたきっかけを教えてください。哲夫さん(以下、哲夫)きっかけは事務所の社員さんが「子どもの塾代が高い」と嘆いていたことからなんです。もちろん塾にもよるとは思いますが、小学生でも月6~7万円もかかると聞いて、これでは今は一部の裕福な家庭の子どもしか塾に行けないのでは?と思いました。もっといろんな家庭の子が通える塾があったらいいのに、と考えるようになりました。——学生時代に塾講師のバイト経験もあったんですよね。哲夫大学時代は塾講師や家庭教師、教職課程の単位をとって勉強をしていたので、ずっと教育には興味を持っていました。そこで同じような志を持つ友人に声をかけ、どんな家庭の子でも通える激安の塾を開こうという話になりました。現在は小学校3年生から中学3年生までの子どもが通っていて、後輩芸人にも手伝ってもらいながら経営しています。——小学生は3500円/月から、中学生は通い放題でも最大20,000円/月という価格設定は確かに激安だと感じます。「寺子屋こやや」はどんなスタイルの学び舎なのでしょうか?哲夫一般的な塾のように、集団で決まった時間に授業をしているわけではありません。授業や宿題などでわからないところを、その場にいる大人に聞いて個別に理解していくというスタイルの学び舎です。生徒一人ひとりが苦手な科目を克服する場、と思ってもらえたら想像しやすいと思います。「あんたはもともと賢い子やのに、なんで勉強せぇへんの?」「子どもの頃は勉強なんて嫌いでした(笑)」哲夫僕自身も小~中学生のころ、学校が終わってから近所のおばあちゃん先生に月3,000円で勉強を教えてもらっていました。そこでは家族や学校以外の大人に叱られたり、褒められたりという、貴重な経験をしました。——哲夫さんは子どものころ、勉強が好きでしたか?哲夫嫌いでした(笑)。あるとき、おばあちゃん先生に「あんたはもともと賢い子やのに、なんで勉強せぇへんの?」と言われました。そのときは「だって勉強嫌いやもん」と答えたことを覚えています。勉強をするようになったのは中学に入ってからですね。どうしても高校でサッカーの強豪校に進学したくて、そこからスイッチが入り、猛勉強しました。——小学校の時に出会ったおばあちゃん先生は、哲夫さんがスイッチさえ入ればものすごく頑張れるということを見抜いていたのかもしれませんね。哲夫どうでしょうね(笑)。でもあの言葉は、僕にとっては自信につながるものでした。その言葉をお守りにして、学生時代は勉強に向き合えていたんだと思います。——学校や家庭に心地よい居場所がなく、生きづらさを感じている子どももいます。そうしたお子さんにとって、まったく別の人間関係を築ける塾は第三の居場所になり得ますよね。「寺子屋こやや」もそうなっていると思いますか。哲夫そうですね。思春期の子どもにとって、学校が終わってからの自分の居場所があることは大事だと思います。子どもはそういう場で社会経験を積んで大人になっていきますから。それにね、夜の時間に、堂々と家の外で友達や大人と過ごしているって、ちょっと冒険っぽくてワクワクすることだと思いませんか?これからも「寺子屋こやや」が子どもたちにとって、“親に認められた冒険の場所”であってほしいと思っています。「いじめはダサイ」という空気が必要「自分ではあまり覚えてないんですが……ヒーローだったらしいです(苦笑)」——春から一番上のお子さんが小学生になります。哲夫さんが日本の教育現場に望むのはどんなことですか。哲夫とにかく“いじめ”がなくなったらいいなと思います。今も昔も先生たちも本当に忙しいと思うので四六時中、子どもを見守ることは難しいと思います。でも、相手は子ども、先生は大人ですからクラスでは受け皿の存在でいてほしいです。そのためにも先生たちの労働環境はもっと向上させるべきだと思いますし、きちんと子どもを叱れるように保護者の側にもある程度の寛容さが求められると思います。それともうひとつ、教員側、学校側の「いじめを容認しない」という態度はもちろん重要ですが、子どもたちの側もそうであってほしいです。僕は、いじめをやめさせるには、「イケてるやつ」が空気を変えることが必要だと思っています。ーー「イケてるやつ」が、ですか?哲夫どういう意味かというと……これは自分の子どもの頃の話なんですけどね。小学校6年生のとき、クラスに女の子が転校してきたんです。今でも覚えていますが、可愛らしい子でした。次第にクラスの目立つ女子グループに目を付けられ、陰口を言われるようになってしまいました。まあいじめですよね。さて当時の僕はサッカーが一番上手で、学年1のイケイケだったんですが……ーー学年で一番イケている哲夫さんが……哲夫その集団に向かって、「女子、おもんないことすんなよ!」って言ったそうなんです。それがきっかけでいじめがなくなった、と聞きました。——「言ったそう」「聞きました」ということは……哲夫さんは当時のことをあまり覚えていないんですか(笑)?哲夫そうなんです(苦笑)。実はこの話は大人になってから、その転校生と再会したときに聞きました。「哲夫くんのあの時の言葉に私は救われた、ありがとう」と御礼まで言われてしまったんです。当の本人は「そんなこと言ったっけ」な状態ですけど、たしかに当時の僕はイケイケでした(笑)。だからいじめ問題が勃発したら、イケてるやつが正論を言うと、空気がガラッと変わり、「いじめ=ダサい」となるんじゃないかなと思っています。だから自分の子どもも、空気を変えられるイケてるやつになってくれたらいいなって思います。笑い飯 哲夫(わらいめし・てつお)1974年奈良県生まれ。2000年に西田幸治さんと漫才コンビ「笑い飯」を結成し、2010年には『M-1グランプリ』で優勝。2014年より小・中学生に向けた格安補習塾「寺子屋こやや」の運営をスタートし、教育分野にも積極的に関わっている。著書に『がんばらない教育』(扶桑社)、『えてこでもわかる 笑い飯哲夫・訳 般若心経』(ワニブックス)など。0歳、3歳、6歳の3児のお父さん。みんなのお悩みに哲夫さんが答える!『がんばらない教育』(扶桑社)『がんばらない教育』¥ 1,540(取材・文=安田ナナ)
2024年03月05日「去年、3人目が生まれたんです。まだまだがんばらなあかん」三児の父に!——哲夫さんは芸人としてステージに立ちながら、テレビやラジオ出演、学習塾「寺子屋こやや」の運営、農業、そして子育てと非常に多忙です。現在はどのようなスケジュールで活動されているのでしょうか。哲夫さん(以下、哲夫)芸人としては主に劇場や営業、ラジオやテレビで活動していて、お寺巡りのロケなんかもあります。吉本の劇場はあちこちにあるので、いろんな場所で漫才をやっています。特に決まったスケジュールはないのですが、子どもたちの保育園の送り迎えやお風呂はできるだけやるようにしていて、寝る前にカルタやトランプで遊んだりもします。——お子さんの年齢はおいくつですか?哲夫一番上の子が6歳、次が3歳。そして昨年の9月に3人目が誕生しました。奥さんは赤ちゃんに付きっきりなので、とにかく自分が家のこともやらないと回らないですね。——第三子が! おめでとうございます。それは毎日にぎやかですね。哲夫そうなんです。3人目が生まれてさらに責任感が増しました。49歳ですがまだまだがんばらなあかんなって思っています。最近は上の2人の子をラジオの仕事現場に連れていって、収録中、現場のスタッフさんにお世話になりました。そんなに長い時間じゃなかったのに、終わって戻ると子どもたちがスタッフさんにあだなを付けたりして、すぐに仲良くなっていてびっくりしました。——お父さんと一緒に仕事をしている人など、親や保育施設の人だけでないいろんな大人に触れることも、お子さんにとって良い影響がありそうです。哲夫まさにそうで、子どもだからといって子どもだけの世界にいるのではなく、多くの大人に会っていろんな考え方があるということに触れることは社会勉強になると思います。僕自身も小さいころから、両親以外に祖父母や近所の人など、さまざまな大人に触れてきました。子どもながらに「ここではこれを言うたらあかん」など、場の空気を読んで言ってはいけないことをほどよく理解しながら子ども時代を過ごしていたんじゃないかと思います。春から故郷・奈良に家族で移住自分が育った環境で子どもたちを育ててあげたい、という哲夫さん。——子育てに関して奥様と衝突することはないのですか?哲夫僕も妻も奈良の田舎で育って、比較的同じような感覚で子育てをしているので、衝突するようなことはないですね。お互い、子どもにはYouTubeを見せない、遊びと言ったら川遊び・土いじり・虫とりというような感覚が一致していて、ともすれば古臭いかもしれません。でも我が子にはそうした自然との触れ合い経験をある程度積んでほしいと思っています。この春から、故郷の奈良に移住して子育てをする予定なんです。——新生活が楽しみですね。哲夫自分の育った環境で子育てができることは本当にありがたいです。両親もすぐ近くにいるので、子どもたちにとっておじいちゃん、おばあちゃんがすぐそばにいる環境はすごくいいと思います。ご近所さんも昔から知っている方ばかり。僕が東京や大阪で仕事がある時も安心です。——慣れ親しんだ環境での子育てはリラックスできそうでいいですね。いろんな大人に触れる、自然と遊ぶ……お子さんたちを育てるうえで哲夫さんが大事にしていることは他にもありますか?哲夫実家が農家をしていたので、僕は子どものころから「ご飯粒は残さない」ということを厳しくしつけられてきました。これは我が子にも徹底しています。そして、叱るときと叱る、褒めるときはしっかり褒めます。——「褒め方が難しい」という声もよく聞きます。子どもを褒めるときのコツはありますか?哲夫よその子と比較するのではなく、その子自身の成長をしっかり褒めてあげてほしいです。たとえば、うちの3歳の子は動作が遅いことがありますが、そんな時は「1,2,3……」ゆっくりカウントするんです。先月までは靴を履くのに5秒ほどかかっていましたが、今月になって3秒で履けるようになりました。「めっちゃ早なってるやん!」と褒めまくると、得意満面の顔を見せてくれました。ちょっとしたことでもいいんです。その子の変化を褒めることは本当に大事だと思います。駆けていく我が子の後ろ姿を久しぶりに見た「子どもの考えることは、面白い!」——昨年発売された哲夫さんの新刊『がんばらない教育』(扶桑社)ではさまざまな質問に答えていますが、人のお悩みに回答するときはどんなことに気をつけていますか?哲夫目線を配ることを大事にしています。これは相談を受けるときに限らず、漫才をするときも一緒なんですが、相方にしか目線を向けない芸人がたまにいるんです。そういう人を見るとがっかりします。自分はいま誰に向けて話しているのか、ということを意識すると、おのずと相手の目を見て話すと思うんです。でも、それができていない人が最近多いように思います。——言葉を伝えたい相手をしっかり見るということは、親子の関係でも同じかもしれません。哲夫それに加えてお悩み相談の場合は、相手が求めていることは何なのかを判断し、適切な提案することを意識しています。でも芸人なので面白いこと、相手が笑顔になってくれるような話を無意識にしたくなってしまうんですよね(笑)。——パパとして、ご自身のお子さんから質問されることもありますか?哲夫真ん中の3歳の子が最近は「なんで? なんで?期」なんでしょうね、どんなことでも質問してきます。たとえばこのあいだ、「どうして車は動くの?」と聞いてきたので、僕は「エンジンがあるから」と答えました。すると次は「エンジンがあるとなんで動くの?」と聞いてきました。しばらくは子どもが質問する、僕が答えるのやり取りを続けましたが、僕も八方塞がりになってくるので(笑)、最後は「自分で考えてみ」と提案すると、3歳なりの面白い答えを出してくるんですね。こういうやりとりの時間も大事にしたいなと思います。——0歳児もいて、哲夫さんはまだまだ子育て世代ど真ん中ですね。哲夫よく「40代での子育ては大変でしょう」と声をかけられますが、僕自身は大変だとは思っていません。体力的にもまだ問題ないので、子どもの送り迎えも楽しんでいます。先日、保育園の帰りに子どもが自転車を降りて走りたいと言うので「車に気を付けて走るんやで」と言って自転車からおろしました。すると、しっかりとした足取りで走っていました。ここのところ我が子の走る姿を後ろから見ることがなかったので、「ああ、大きくなったな」と成長をつくづく感じました。人によっては、子どものやることに先回りしてなんでも「ダメ」と言ってしまう人もいるかもしれません。自転車から降りて走るなんて危ないし、早く帰りたいのに時間もかかるし、って。でも、しっかり注意してからやらせてみると、子どもの意外な一面が見えることもあるんですよね。笑い飯 哲夫(わらいめし・てつお)1974年奈良県生まれ。2000年に西田幸治さんと漫才コンビ「笑い飯」を結成し、2010年には『M-1グランプリ』で優勝。2014年より小・中学生に向けた格安補習塾「寺子屋こやや」の運営をスタートし、教育分野にも積極的に関わっている。著書に『がんばらない教育』(扶桑社)、『えてこでもわかる 笑い飯哲夫・訳 般若心経』(ワニブックス)など。0歳、3歳、6歳の3児のお父さん。みんなのお悩みに哲夫さんが答える!『がんばらない教育』(扶桑社)『がんばらない教育』¥ 1,540(取材・文=安田ナナ)
2024年03月04日夫を亡くし、きょうだいを亡くしても前を向いていた母ーーおばたのお兄さんはブログでもたびたびメンタルコントロールについて書かれていますよね。長くスポーツを続けてきて、精神力が鍛えられたのでしょうか。おばたのお兄さん(以下、おばた)それもあるかもしれませんが、もともとは母親の影響かもしれません。母はすごい苦労人で、夫を亡くし、自分の弟と妹も亡くして、それでもすごく前向きでパワフルな人なんです。宮沢りえさん主演の『湯を沸かすほどの熱い愛』という映画があるじゃないですか。ーー余命宣告を受ける主人公の物語で、さまざまな映画祭でいくつもの賞を受賞した作品ですね。おばたあの作品のレビューを読むと、「実際にあんなに強い人はいない」という意見が多かったんですが、僕は「いやいや、うちの母ちゃん強いけどな」と思うくらいの母親でした。おばた中学生のときに父親が亡くなって、葬式は僕の14歳の誕生日だったんです。僕は当時から人前でモノマネとかをして笑かすタイプだったので、葬儀屋さんをめちゃめちゃイジったりして、家族を笑わせていました。ちょっとでもしんみりとした空気を吹き飛ばしたくて。僕がそういうふうになったのは、母の前向きな姿勢を肌で感じていたからだと思います。ーーそういった影響力の強いお母さんがいると、自分の妻にもそのイメージを求めたくなりませんか?おばたそれはまったく別です。べつに母ちゃんと結婚するわけじゃないし、そんなことを妻に求めないですね。むしろ母の背中から教わったことはちゃんと自分の身になっているので、妻に求める必要がないように思います。経験にないことは絶対に言わないーーお父さんが亡くなったとき、おばたのお兄さんはまだ中学生で。2人のお兄さんと妹さんもいらっしゃるんですよね。おばた当時、兄は大学生で「大学を辞めて働こうかな」と言ったら、母は「絶対に大学を卒業しろ」とつっぱねて。次男が「専門学校に行きたい」と言えば「行きなさい」と後押しして。ーー急にシングルマザーになったのに、とても気丈ですね。おばたパワフルですよね。父が死んだあと、母は父の会社を畳んで、そこで培ったコネクションを元に清掃会社を立ち上げるんです。身を粉にして働いている姿を見て、「俺は負担になっちゃいけないな」と。野球部だったんですが、泥だらけのユニフォームを手洗いしたり。洗濯機に入れる前に予洗いするだけでも、汚れ落ちが全然ちがうじゃないですか。そんなことも知って、おかげで家事スキルが身につきました。ーー10代のうちからそんなふうに家事をやっていたんですね。おばたそれまでは僕はジャイアン気質で、野球部でも「なんで今のボールが取れないんだよ!」なんて言うタイプだったんです。でも母の頑張る姿を見ていて、徐々に「ごめん、俺がちゃんと投げなきゃいけなかったんだな」という意識に変わっていきました。ーースポーツから得る精神力は変えがたいものだと思います。おばたのお兄さんは「メンタルトレーニングスペシャリスト」という資格も持っていますよね。おばたスポーツの経験は、今、育児や結婚生活を送る上でめちゃくちゃ生きていますね。そういった経験があると、いろんな子育てアドバイスを請われることもあるのですが、僕は自分が経験していないことは絶対に言わないようにしているんですよ。「5歳の子どもを育てているんですが、どうすれば」という話をいただいても、「いやいや!あなたのほうが親として絶対に先輩だから、僕は言えないです!」って思います。経験にないことを偉そうに言わない、これはポリシーとしてありますね。まだ父親1年生なので、これからも精進していきます。おばたのお兄さん/芸人・俳優1988年6月5日生まれ、新潟県出身。2017年、『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』(フジテレビ系)で披露した小栗旬のモノマネでブレイク。日本体育大学出身で芸能界屈指の運動神経を誇り、芸人草野球チームやスキーの大会で活躍、『SASUKE』(TBS系)の常連でもある。SNSでは『もののけ姫』のアシタカなどジブリ映画の登場人物モノマネで人気を博しているが、2022年より舞台『千と千尋の神隠し』の青蛙役に抜擢。ミュージカル俳優としても頭角をあらわす。2018年に山﨑夕貴さんと結婚、2023年8月に第一子が誕生した。(撮影:松野葉子取材・文:有山千春)
2024年03月02日深夜のミルク担当は臨機応変にーー昨年8月に第一子誕生を発表しました。とてもかわいらしい姿をYouTubeやSNSで発信していますが、育児がしんどくなった時期もありますか。おばたのお兄さん(以下、おばた)やっぱり“魔の3週目”はほんとうに……なにをしてもお手上げ状態という感じでした。夜中は2時間おきに起きるから、なるべく夜中に起きてミルクをあげていました。ーー「ミルクをあげる」「お風呂に入れる」など、夫婦で明確な役割分担はありましたか?おばた明確には決めていませんでした。たとえば、夜寝るときに泣いたとしたら、「さっきおっぱいをあげたばかりだから、ミルクで対応しよう」「じゃあ僕がやるね」とか、臨機応変にやっています。ーーできるときに、できる人がやるということですね。出産後、夫婦の関係にどんな変化がありましたか?おばた妻を見ていると「お母さんになっている」とすごく実感します。そこで「男性ってこういう寂しさを味わっているのか」と、みんなが言っていることがすごくわかりましたね。ーー寂しさがあるんですね。おばたありますね。もう妻は赤ちゃんに恋愛感情すらもっているんじゃないかってくらいですし「ちっちゃい彼氏」って言ってますからね。それは当然だと思いますし、逆もしかりで。僕も子どもに100注いでいますが、たとえば帰ってきたときに真っ先に「ただいま!」と言う相手は子どもじゃなくて、まず妻に「ただいま。ありがとうね」と言ってから子どもに「ただいま!」と言うようにしています。妻のアイスを必ず2個買う理由ーー意識的にやっているんですね。おばたそれは決めてやっていますね。「ただいま。ありがとう。たいへんだったでしょ?」と言ってから子どもに向かいます。だって子どもはまだわからないですしね。大きくなってからも「お母さんが一番大事」という姿勢は見せたいとは思いますけどね。「おまえもお母さんを守らなきゃいけないんだよ」というのは早い段階から言おうとは思っています。ーー山﨑さんは「先に言ってくれているな」と気づいているんでしょうか。おばたブログでも発信しているから知っているかもしれません。「いつも私のことを考えてくれてありがとう」という感じでいてくれます。というのは、僕は最寄り駅に着いたら必ず「帰りコンビニでなにか買っていく?」という連絡をして、自分が食べたいアイスを1個買うんですが、妻の食べたいアイスは2個買っていくんです。ーー2個?おばた逆の立場だったら、「自分のアイスは1個だけど、俺のアイスは2個買ってきてくれたの!?」と思うと、僕のことを思ってくれている感が強調されてすごくうれしいんですよ。ーーなるほど!特別感を演出するんですね。おばたそうですね。いやらしいかもしれないけど、言わなきゃ伝わらないので。服を買うときも、レディースフロアも見て「似合うと思ったから」と買っていくことがあります。ほんとうに似合うと思ったから買うし、常に頭の中に妻がいるからなんですけど、そういうことは口に出さないとわからないから言うようにはしています。読者から「心が折れた」という声もーー育児って、“対・赤ちゃん”だけではなく、”対・妻”でもあるんですね。おばた僕はそう思っています。結局、夫婦の関係性を見て子どもは育ちますもんね。「この人が喜んでくれた」「笑顔になってくれた」とか。それと同じように、いまは言葉がわからないけど、子どもにはめちゃくちゃポジティブな言葉しかかけていないです。喧嘩まではいかないですけど夫婦で話し合いをすることもあって、それは絶対子どもが寝ているときにします。ーーブログやYouTubeでも夫婦のこと、お子さまのことを発信されていますが、どんな声が届きますか?おばたそれが……妹の友達のママから、妹づたいでこんなことを言われたことがありました。「絵空事をブログに綴ってるよね?あんな人いないよ」と(苦笑)。おばたほかにも、Xでエゴサすると、「今日、おばたのお兄さんのブログを妻に見せられた、俺は普通にお父さん&夫をやっていたつもりだったけど、心が折れた」と、こんなことをやられては困る、といったことを思う方もいます。でも僕は過去の浮気のこともあったし、世の中の男性全員が「こうなれ」と思って発信していないです。あくまで「僕はこうしています」で発信しているんです。ーーよくも悪くも、読者や視聴者の刺激になっているんですね。おばた妻に対してだけ、個人的にずっとやっているだけなんですけどね。そんな中でも夫婦のYouTubeのコメントに「明るい気持ちになれる」「癒やしの時間」と書いてくださる方もいてうれしいです。おばたのお兄さん/芸人・俳優1988年6月5日生まれ、新潟県出身。2017年、『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』(フジテレビ系)で披露した小栗旬のモノマネでブレイク。日本体育大学出身で芸能界屈指の運動神経を誇り、芸人草野球チームやスキーの大会で活躍、『SASUKE』(TBS系)の常連でもある。SNSでは『もののけ姫』のアシタカなどジブリ映画の登場人物モノマネで人気を博しているが、2022年より舞台『千と千尋の神隠し』の青蛙役に抜擢。ミュージカル俳優としても頭角をあらわす。2018年に山﨑夕貴さんと結婚、2023年8月に第一子が誕生した。(撮影:松野葉子取材・文:有山千春)
2024年03月02日2月14日は、チョコレートを通じて愛を告白するバレンタインデー。もらえるかどうかでドキドキする人たちを差し置いて、人気芸能人たちはとんでもない数のチョコをもらうことも。彼らの“モテ伝説”を振り返ろう。平野紫耀(27)がもらった最高数は64個。8日放送の『DayDay.』(日本テレビ系)にVTR出演し、その思い出を語った。当時小学4年生だった平野は、保存方法に困って、なんと「全部のチョコをフライパンに集めて、1つのでっかいチョコにした」そうだ。「『みんな、心は1つ』って言い聞かせて作ってましたね」と、アイドルらしいコメントでまとめていたが……。志尊淳(28)は、《男子校だったのでお姉ちゃんの友達にもらったり、あと近くの学校の子に学校の前で待ち伏せされた思い出が。最高記録は40個くらい》(『ananweb』’21年1月16日配信)と、男子校ながら驚異のモテ具合を見せていた。意外なのは松坂桃李(35)。学生時代は本命チョコをもらったことがなく、過去最大でも4個だという。その内訳は当時の恋人、そして姉、妹、おばあちゃんとほとんどが家族だ。「この時期が来ると寂しい思い出が多い」とバレンタインデーの印象を語っていたこともあった。今年のバレンタインも、“モテ伝説”を更新する芸能人がいることだろうーー。
2024年02月14日人々と専門家をつなぐポータルサイトを運営する弁護士ドットコム株式会社が発表した「誹謗中傷に関する実態調査:2023年版」では、芸能人や有名人への誹謗中傷をしたことがある人にアンケートを行っています。その結果、誹謗中傷をSNSなどで投稿する人は、それが「正しい」と思っている場合が多いという実態が見えてきました。誹謗中傷コメントを投稿したことがある人は3.5%「SNS等で芸能人・有名人の誹謗中傷を投稿したことがあるか」を尋ねたところ、「ある」と回答した人は3.5%でした。数字だけ見ると少ないですが、たとえ1つの投稿でもそれが他の人によって拡散されることを考えると、決してその影響を低く見積もることはできないでしょう。半数以上がX(旧Twitter)で誹謗中傷を投稿では、そうした誹謗中傷はどのソーシャルメディアで投稿されているのかというと、主に「X(旧Twitter)」であることがわかりました。52.1%と圧倒的な割合を占めます。そのほか、「匿名掲示板」が20.8%、「Instagram」と「ニュースメディアのコメント欄(Yahoo!ニュースなど)」が12.5%で上位となっています。6割の人が「正当な批判だと思って」投稿では、誹謗中傷をするのはなぜなのでしょうか?その動機について尋ねたところ、60.4%の人が「正当な批判・論評だと思ったから(誹謗中傷と認識していなかった)」と回答しました。次いで、「その人物が事件、不祥事を起こしたから」(41.7%)、「元々その人物が嫌いだったから」(33.3%)、「その人物の間違いを指摘しようとする正義感から」(29.2%)となっています。多くの人は自分の投稿の暴力性に無自覚であり、むしろ、「正しいこと」「正義」だと思って投稿していることがうかがえる結果でした。誹謗中傷の内容は「容姿や性格、人格」が8割超誹謗中傷の内容はどのようなものだったのか、4つの選択肢を設けて尋ねた結果、圧倒的多数を占めたのは、「容姿や性格、人格に関する悪口」でした。83.3%に上っています。その他の選択肢の結果は、「虚偽または真偽不明情報を流す」が12.5%、「プライバシー情報の暴露」と「脅迫」が同数で10.4%でした。具体的な投稿内容の一例また、具体的な誹謗中傷の投稿としては、以下のような回答がありました。✅「元アイドルの番組での態度や、顔の変化や体型について」(40代・女性)✅「女優の不倫に絡めて人格を否定するようなコメントをしてしまった」(30代・女性)✅YouTuberの生配信にて、臭いとコメントしてしまったこと。元々視聴者でそういったノリができていたため、しても問題ないと思った(10代・男性)✅アイドル事務所の性加害問題で、事務所擁護をした女性タレントの発言が腹立たしく過去の経歴、素性など書き込みした(60代・女性)✅女性タレントについて頭が悪い、図々しいと書いた(50代・女性)✅違法薬物を使用して逮捕された女優の悪口を書いた(30代・その他)こうして見ると、その場のノリや一時の感情、偏った正義感などで誹謗中傷を投稿してしまうことがわかります。まとめ投稿前に「面と向かって言えるか」を考えるSNSでの誹謗中傷が社会問題になっている昨今。とくに相手が芸能人や有名人の場合には、その投稿に共感する人(「いいね」をする人)がいることで承認欲求が満たされやすいという側面もあると考えられます。誹謗中傷には法的な定義などがありませんが、他人を傷つけたり勝手な思い込みやデマを流すことは、倫理にもとる行為にほかなりません。今回の調査結果によると、投稿者はあくまでもそれが正当な批判だと思って投稿している場合が多いようです。実際に誹謗中傷を行ったことがある人は3.5%とわずかでしたが、自分が意識せずに誹謗中傷を行ってしまう可能性はゼロではありません。投稿する前に「同じな内容を、面と向かって相手に言うことができるかどうか」を冷静に考えることが求められます。また、誰かの誹謗中傷を目にしたときに安易にリアクションしないことも大切でしょう。(マイナビ子育て編集部)調査概要■誹謗中傷に関する実態調査:2023年版/弁護士ドットコム調査対象:弁護士ドットコム®の一般会員1355名調査時期:2023年11月22日~12月5日
2024年02月04日子どもが3歳になったタイミングで、ドラマ主演に挑戦ーー2023年6月から放送された連続ドラマ『やさしい猫』(NHK)は、優香さんにとって産後初の主演作品でしたよね。優香産後初めての仕事は怖くてたまらなくて、それから1~2年は徐々に体に慣らしている感覚でしたが、このドラマの話をいただいたときは「ちょっとがんばってみよう」と思ったタイミングでした。ーーなぜそう思ったのでしょう。優香「子どもが3歳まではできるだけべったり一緒にいたい!」という気持ちがあったんですが、撮影の時期がちょうど3歳になる頃だったんです。いまももちろん一緒にいたいんですが、仕事場で人と会って話す時間の大切さを感じたのもこの時期です。ーー今はお子さんは保育園に預けているのですか?優香はい。ママチャリでお迎えに行ったりしています。「もうちょっと自分のことを考えたい、けど」ーー拘束時間の長いドラマ撮影があり、育児もあり。そんななかで、ご自身をケアする時間はどうしていますか?優香自分のケアまでは余裕がなくて、もうちょっと自分のことを考えたいなと思いますが、まだやっぱりどうしても、当たり前のように子ども優先の生活。子どもが怪我したりすると気持ちがすごく揺さぶられちゃうし。元気でいること、健康でいることがいかに幸せか、身にしみて考えますね。だからこそ、自分も元気でいなきゃいけない。とはいえ、子育てって、ずっとニコニコしているわけにはいかないじゃないですか。ーーいかないです。ムリですよね。優香ママっていつでもニコニコしている、みたいなイメージがあるけど、でもそうもいかなくて。特に3歳を超えると行動範囲も広がるし、たとえば道路に飛び出したりしたら「危ない!」とか強めに言わなきゃいけない場面が多くなってきますよね。赤ちゃんのうちは「かわいいねえ」なんて言いながらニコニコしていたのに、どんどんそうもいかない時間が増えて、それで真顔でいると、「ママ、ニコニコして」と言われてしまうこともあって(笑)。でも、それで私が笑うと、子どももものすごい笑顔になってくれるんですよね。母親だって、仕事もあるし、体調がすぐれないときもあるーー子どもは、笑顔の伝播がわかりやすいですよね。優香仕事もあるし、体調がすぐれないときだってある。でも、そういうときもあるけど、やっぱり私が幸せで笑っていることが、家族の幸せにつながるんですよね。だから笑顔でいたい。それがめぐりめぐって、自分の健康にも繋がり、お母さんだけじゃなく子どももお父さんもきょうだいも、みんなが笑っていられるのが理想ですよね。マスクをして表情がわからない期間があったからこそ、よりいっそう思います。ーーコロナ禍での育児を経験したからこそ、笑顔の力を実感したんですね。優香顔を見て笑い合えるのってほんとうに心が気持ちよくなるんだなと、いろんなことを経て改めて感じました。どんなときも笑顔でいることを心がけたいな、と思っています。優香さん/タレント1980年6月27日生まれ、東京都出身。スカウトされたことをきっかけに、1997年デビュー。バラエティ番組で活躍する一方、女優としても才能を発揮し、TV、映画、舞台など幅広く活躍。2016年6月に俳優の青木崇高さんと結婚、2020年4月に第一子出産を報告した。現在放送中の連続ドラマ『ジャンヌの裁き』(テレビ東京系)に出演、3月23日特集ドラマ『広重ぶるう』(NHK BSP4K)の放送を控える。=========衣装協力)シャツ ¥29,700(ailéFanM)パンツ ¥31,900(ailéFanM)アクセサリー:スタイリスト私物(スタイリスト:宇賀愛ヘアメイク:AYA(TRIVAL)撮影:松野葉子取材・文:有山千春)
2024年02月03日産休中に観ていたテレビは別世界だったーー産休に入ったのはいつ頃ですか?優香仕事を詰め込んでいたわけではありませんが、ギリギリまで働いていて、出産1ヶ月前から産休に入りました。その後は数ヶ月で復帰しましたけど、わりとゆったり休んだ気分でしたね。ーーそうなると、再開したときの緊張感も際立ちそうですね。優香そうなんです。夜中に授乳して3時間しか眠れないという生後1ヶ月くらいのときよりも疲れたというか、大変でしたね。休んでいる間はどっぷりと子どもと向き合って、仕事から離れていたので、テレビを観ていても自分の仕事だとは思えないというか、別物、みたいな感覚でした。この世界にあれだけずっといたのに、産前産後の期間で「自分自身に戻った」んだなと。そんな話を、母や夫にしましたね。ーー本来の自分に戻って生活していた中で、復帰最初となる仕事は何でしたか?優香CMの撮影でした。スタジオでカメラの前に立ち、いざ「お願いします」となると、本来の自分に戻りすぎていてどうしていいかわからなくなってしまったんです。みんなが自分を見ている……というあの感覚、デビュー直後に写真を撮られたときの感覚が舞い戻ったような感じでした。メイクが完成に近づくにつれ、心臓がバクバク優香「慣れ」ってすごいですよね。産休以前はカメラの前に立つことに対して、麻痺してしまっていたんですね。だからこの日は久しぶりの撮影で、「ムリ……」と、体が震えてしまいました。みんなからは「いやいや、ウソでしょ。大げさに言っているんでしょ」と言われたんですけど、私はほんとうにムリだと思ったし、倒れ込みそうになっちゃって。楽屋に戻ってきても、ずーっと心臓がバクバクしちゃうし。ーー照明が自分ひとりに当たり、みんなの視線が集中しているという状況は、たしかに冷静に考えたらすごいことです。優香スタジオ内は暗いですし、そこにはスタッフさんなど人がいっぱいいて、自分を見ていることがはっきりわかるんです。だから余計に緊張しますし、モニターの自分を見るのも怖かったです。ーー久しぶりのヘアメイクに気分が上がることはありませんでしたか?優香それが、久しぶりのお化粧は「楽しい」というよりも、完成が近づくごとにどんどん緊張しちゃうといいますか。「あと10分だ……」「あと5分で行かなきゃなんだ……」って。ーーそれでもなんとか、無事に撮影を終えて。優香もう帰ったら疲れがどっと溢れました。そのときは「お仕事をいただけてありがたいと思わなきゃ!」と思う自分と「もうムリかも……」という自分が同居している感覚でした。新たなオファーには「もうムリです!」ーーでも、徐々に本格復帰が近づいてきますよね。優香ちょっと及び腰になりました。お仕事の話をいただくと、「たぶんもうムリです!」みたいな(笑)。だってほんとうに震えちゃうし、「目も合わせられないかもよ!?」って。あんなに慣れているレギュラー番組も、すごい緊張してしまいました。ーーそうだったんですね。優香ほんとうに徐々に徐々に慣らしていって。そもそも、コロナ禍でずっと家の中でさえもマスクをしている生活だったじゃないですか。だからマスクを取ることも恥ずかしかったんですよね。ーー仕事を休んで、世間から忘れられる怖さよりも……。優香それよりも、カメラの前が怖かったですね。2021年の1年間はそういった恐怖心を引きずっていて、バラエティに出るときも「恥ずかしい」「申し訳ない」という気持ちばかりで。「どうしよう、自分、どうするの!?自分、がんばれ!」と、1年くらいはずっと自分を奮い立たせていました。「構えなくていい!」と吹っ切れたーー連続ドラマに復帰されるのは、2022年からになりますよね。優香もう大丈夫、と思えたきっかけはよくわからないんですが、ドラマの撮影をしていく中で時間が解決してくれたのかな。「こういうことがきっかけで、恐怖心が消えました」と言えたらいいんですけどね(笑)。ーーいつの間にか、という感覚がリアリティがあります。優香単純に楽しかったんですよね、ドラマの現場が。このときに不思議と「構えなくていいんだ。何を思われようと別にいいんだ。まあ、いいか!」と、急に吹っ切れたんです。コロナ禍も落ち着いてきた頃で、以前よりもコニュニケーションが取れるようになってきたからかもしれないですね。ーーやっぱり人と会って向き合って喋ることが一因だったのかもしれませんね。優香そうですね、人と会って喋ることで、自分の気持ちがこんなにもリラックスしたり、楽になったりするんだな、とすごく思えました。気負わず仕事ができるようになったこの瞬間は、ほんとうに印象的でした。優香さん/タレント1980年6月27日生まれ、東京都出身。スカウトされたことをきっかけに、1997年デビュー。バラエティ番組で活躍する一方、女優としても才能を発揮し、TV、映画、舞台など幅広く活躍。2016年6月に俳優の青木崇高さんと結婚、2020年4月に第一子出産を報告した。現在放送中の連続ドラマ『ジャンヌの裁き』(テレビ東京系)に出演、3月23日特集ドラマ『広重ぶるう』(NHK BSP4K)の放送を控える。=========衣装協力)シャツ ¥29,700(ailéFanM)パンツ ¥31,900(ailéFanM)アクセサリー:スタイリスト私物(スタイリスト:宇賀愛ヘアメイク:AYA(TRIVAL)撮影:松野葉子取材・文:有山千春)
2024年02月03日コロナ禍で臨んだ出産「この先どうなるの?」ーー2020年4月に第一子の出産を発表しましたが、当時は新型コロナウイルスが急速に広がりを見せ、「ステイホーム」「三密回避」が盛んに呼びかけられていました。優香出産直後の病院では誰とも面会できないし、産んでからずっと1人で。新型コロナウィルスがどういうものなのかわかっていない時期だったこともあり、とにかく「この先、どうなるんだろう」という不安でいっぱいでした。ーー毎日不安と向き合う日々を、どんな心境ですごしましたか?優香お友達にも会えないし、子どもを見てももらえない。抱っこしてほしい人たちがたくさんいるのに……と思いながら、半年。結構長かったですね。ーー半年、長いですね。世の中も止まっていましたしね。優香仕事もなかなかできない状態で、みんながいろんな気持ちで苦しんでいて、しんどい時期でしたね。ーー産後はただでさえしんどいのに、コロナ禍が重なるなんて想像を絶します。優香世の中が普通だったときに出産していたらもっと違っていたのかな、とはすごく思います。お友達と「赤ちゃん同士でいつか会わせたいね」なんて話して、その「いつか」が1年後とか2年後になって、赤ちゃんが大きくなっちゃって。ーー家にパパとママと赤ちゃんだけ、という環境が続いたんですね。優香そうですね。私の母は近くに住んでいて来てくれていましたが、高齢なので「なにかあったら申し訳ない」と常に気になっていました。夫婦で赤ちゃんの成長を見守ることができたーー閉じた空間だと、思い詰めてしまうことも?優香そのときはそういった自覚はありませんでしたが、あとから考えると「思い詰めていたかも」という部分はあります。子どものことになると一生懸命がすぎて神経質になり、さらにいろいろ重なって……でも、そういうことをお友達に話すと、「みんなそうだよね」と共感できました。ーーどんなことがいちばん気になっていましたか?優香育児以前に、「外に出て大丈夫なの?」とか、世の中よくわからないことだらけで。息抜きがうまくできなかったように思います。ただ、ほかのママさんとも話しますが「夫の仕事がリモートになったのはよかったよね」って。ーー産後、家にパートナーがいてくれるのはほんとうに心強いですよね。優香はい、家でみんなで赤ちゃんを見られることもよかったですね。テレビなどの撮影も中断していたので、夫も何ヶ月か、ぎゅっと一緒にいられて、子どもの成長を一緒に見ることができました。ーー助かったのはどんなことですか?優香やっぱり1人だと心細いじゃないですか。「これ、大丈夫かな?」と聞いたときに、隣で「大丈夫だよ」と答えてくれる人がいるだけでも全然違います。いてくれるだけで安心しましたね。ーー不安をその場ですぐに共有できるのはいいことですよね。優香近くにいて話せるのはいいことですよね。それは自由に人と会えるようになってからも、とても実感しています。「話すだけで、心が軽くなるんだ」と改めて思うんです。優香さん/タレント1980年6月27日生まれ、東京都出身。スカウトされたことをきっかけに、1997年デビュー。バラエティ番組で活躍する一方、女優としても才能を発揮し、TV、映画、舞台など幅広く活躍。2016年6月に俳優の青木崇高さんと結婚、2020年4月に第一子出産を報告した。現在放送中の連続ドラマ『ジャンヌの裁き』(テレビ東京系)に出演、3月23日特集ドラマ『広重ぶるう』(NHK BSP4K)の放送を控える。=========衣装協力)シャツ ¥29,700(ailéFanM)パンツ ¥31,900(ailéFanM)アクセサリー:スタイリスト私物(スタイリスト:宇賀愛ヘアメイク:AYA(TRIVAL)撮影:松野葉子取材・文:有山千春)
2024年02月02日17歳でデビュー、最初は「すぐ結婚して辞めよう」とーー優香さんは若い頃、結婚願望はありましたか?優香すごく若い頃にはありましたけど、20代後半からはまったくありませんでした。いちばん結婚願望があったのは10代の頃、たぶんみんなそうだと思うんですけど。「仕事よりも、好きな人と一緒にいたい!」みたいな(笑)。私は17歳でデビューして、最初は「20歳くらいまで芸能界にいられたらいいかな」なんて。だからほんとうに「好きな人ができればすぐに結婚して辞めよう」くらいのモチベーションでした。ーーでもどんどん売れっ子になって。優香忙しくなりましたね。それで、別に結婚する相手もいないし、あれよあれよと約20年……あっという間に。ーー20歳を過ぎて、仕事が楽しくなってきたんでしょうか。優香「仕事って楽しいよね!」という感覚を掴むのが、私はちょっと難しくて。「仕事って、すごく大変だな。苦しいな」と感じていて、楽しめる余裕がまったくなかったんです。それなのに、当時は「仕事、楽しいですよね!」と振られると「はい!」と言うしかなかったり……。「目の前にある仕事をやるしかない」が変わった瞬間ーー仕事がきらい、では決してなく、「苦しい」なんですね。優香はい。もちろん現場ではすごい方々に会うし、その場その場で人に会うのもすごく楽しいし、現場は楽しいんです。でも、「口に出して『楽しいです』と言えるような仕事を、私はしているのかな」って。自信を持って「楽しい」と言えない自分がいました。ーーお話を聞いて、何事も全力で真面目に取り組んでいらっしゃるから、そう感じるんだろうなという印象を受けました。優香たしかに、性格もありますよね。10代から仕事を始めて、「どこから大人と呼ばれるんだろう?」と葛藤するような時期もありました。ーー自分はもう大人だと自覚したのは、どんなタイミングでしたか?優香自分で仕事を選ぶようになってきた頃ですね。それまではいただいた仕事を、内心「できるかな、どうしよう、怖いな」と思いつつ、「わかりました!がんばります!」と受けて、体当たりでやっていました。仕事を選ぶ立場でもないし、とにかくやるしかないと思っていました。仕事があること自体、素晴らしいしありがたいし、とにかく「目の前にあるものをやるしかない!」と踏ん張ってずっとやっていた感じで、心に余裕がなかったんだと思います。ーー30代に入ってからはいかがでしたか?優香そうした姿勢が変化した時期ですね。31歳のときだったかな。31歳で体調の変化を実感、働き方を変えたーー31歳、明確に何かタイミングがあったんですね。優香そうですね。よく周りが「女の人は30代でいろんなことが変わるよ」と言っていましたが、私も31歳のとき、体に変化が出てきたんです。ーー体調の変化が表れたんですね。優香それまで風邪すらひいたことがなかったのに、頻繁にひくようになっちゃって。体力がついていかなくなったんですよね。それで、自分と向き合う時間を作るようになりました。ーー優香さんが31歳のときというと、ドラマに主演したり、番組の司会を務めたり、とても多忙だったかと思います。優香そうですね。当時は「具合が悪いとか言っちゃいけないんじゃないか。怪我なら外側からわかるけど、体調不良は周りに見えないものだし、嘘をついていると思われるかもしれない」とか思ってしまって、なかなか言えなくて。生放送の番組では、合間に楽屋に戻ってきて寝込むこともありました。ーー責任のある仕事を任される年代だけあって、余計に言いにくさはありますよね。優香「ただの体調不良を、言い出していいのか」と躊躇していました。こんなふうに体調の変化があるなんて予期していなかったし、自分でも戸惑いましたね。「自分を守ることができるのは、自分しかいない」ーー葛藤の時期を経て、どうしたんですか。優香最終的には、体の声を尊重するようにしました。体がついていけなくなったのが大きいです。10代、20代のペースと同じように仕事をすることは、心身ともにできないと確信しました。それに、「仕事の仕方がキャパオーバーかもしれない」ということは薄々感じていたんです。結局、「自分を守ることができるのは自分しかいない」と気づいたんですよね。具合が悪いことは自分にしかわからないから。ーー本当にそうですよね。ーーそんなふうに仕事観も変化した30代、2016年放送のドラマ『ちかえもん』(NHK)で青木崇高さんに出会い、半年の交際期間を経て結婚。20代後半から結婚願望がなかったとおっしゃってましたが……優香結婚願望はまったくなくて、親や兄姉からも「この人は結婚しないんだな、と思っていた」、とのちに言われたくらいです(苦笑)。でも時期的にはちょうど、バランスよく仕事ができるようになり、心に余裕ができ、仕事が楽しくなってきたところでした。体が元気になってきたからか、それまで飲めなかったお酒もだんだん飲めるようになって、何もかもが楽しくなってきて。「30代で変わるよ」は「これかあ!」と思ったんです。良い方向への変化だったな、と。自分を大切にしようと思うことって、ほんとうに大事なんだと実感しました。ーー心身ともに自立できたんですね。優香そうですね、仕事をして、お友達とお酒を飲んで、ほんとうに楽しい時期でしたね。そんなときに、まあ、ご縁があったのかな(笑)。優香さん/タレント1980年6月27日生まれ、東京都出身。スカウトされたことをきっかけに、1997年デビュー。バラエティ番組で活躍する一方、女優としても才能を発揮し、TV、映画、舞台など幅広く活躍。2016年6月に俳優の青木崇高さんと結婚、2020年4月に第一子出産を報告した。現在放送中の連続ドラマ『ジャンヌの裁き』(テレビ東京系)に出演、3月23日特集ドラマ『広重ぶるう』(NHK BSP4K)の放送を控える。=========衣装協力)シャツ ¥29,700(ailéFanM)パンツ ¥31,900(ailéFanM)アクセサリー:スタイリスト私物(スタイリスト:宇賀愛ヘアメイク:AYA(TRIVAL)撮影:松野葉子取材・文:有山千春)
2024年02月02日ずっと自分の外見に自信が持てなかった――幼少期の蒼川さんはどんなお子さんでしたか。蒼川愛さん(以下、蒼川)引っ込み思案で、人からどう思われているのかが気になるタイプでした。自分の気持ちを人に伝えるのが苦手かもしれないと、はっきり自覚したのは中学生くらいのときですね。所属していた合唱クラブに、歌も踊りも常に1番で憧れの女の子がいたんです。その子に憧れる反面、どこかで自分に劣等感を感じていました。自分の容姿や体型にも自信がなかったし、周りの友達と比べてなんで私はできないのかと、自分を下げるような悪いクセがついてしまったのかもしれません。――今の蒼川さんからは考えられないです。自分を好きになるために続けてきたことや意識的に変えたことはありますか?蒼川まずは外見から変わって自分のことを受け入れたいと思って、ダイエットや肌について勉強をしたり、メイクの仕方を練習したりしました。もともと勉強することは好きだったし、美容にも興味があったので夢中になって。でも間違ったダイエットで摂食障害になってしまったこともありました。大学生になって美容熱がもっと高まると、美容メディアを運営する会社のインターンとしてライター活動に取り組みました。メイクの勉強は、今もデパートの美容部員さんの意見を参考にすることが多いです。アイテムの扱い方や自分に似合う色の選び方など、プロの貴重な意見を聞くことができますし、商品を見ているだけでもワクワク。自分にはなかった視点で似合うものが見つかることもあって、足を運ぶたびに新しい発見がありますね。美容整形について興味を持ったのも大学生のころからで、コンプレックスだった奥二重の目や、目の下のクマとりなどの施術をしています。美容クリニックを選ぶときのポイントはある?――キレイになって、自分に自信を持てるようになりましたか?蒼川そう簡単ではなかったですね。本当の意味で「私は私のままでいいんだ」と思えたのは、子どもを産んでからだったと思います。ただ、外見って、人に与える印象も大きいと思うのです。私は少しずつ変えていくことで、人の目を見て話しやすくなったし、コミュニケーションをとりやすくなったように感じます。美容整形はハードルが高いと思っている人もまだ多いと思いますが、それでコンプレックスが払拭できて明るくなれるなら絶対にいい。私は日常的なお肌のメンテナンスも信頼できるクリニックやサロンに通うようにしています。――お肌がツヤツヤピカピカですよね。日常的にされているメンテナンスを教えてください!蒼川年齢とともにへこんでくるこめかみや、おでこや頬はまるく見えたほうが若々しい印象になるので、ヒアルロン酸を入れています。あとは、溶ける糸を注射して目の周りのしわを目立たないようにしたり、フェイスラインと肩にボトックス注射をして筋肉を緩めたりしています。産後はシミや肝斑が出やすくなったので、悩みに合わせて定期的にレーザーで治療もしていますね。おそらく、気になるところや肌悩みがあるものの、クリニックの施術となるとちょっと気が引けてしまって一歩を踏み出せないとか、クリニックやメニューもたくさんあってどれを選べばいいかよくわからないというママもいらっしゃると思います。私はセルフケアでカバーしきれないところは、美容医療やエステなどプロの手を借りるのもいいと思っています。クリニックでプロからアドバイスをもらって、デイリーケアに活かせることもたくさんありますよ。――「やってみたいけれどどこを選べばいいのかわからない」と迷う人も多いと思います。美容クリニックの選び方にコツはありますか?蒼川まずはホームページを見て、取り扱っている機械やメニューの豊富さ、肌のお悩みなら肌管理のメニューが豊富かなどをチェックすること。メニューが多いほうが施術の幅が広がって、より個人の悩みに寄り添った施術を受けやすいと思います。カウンセリングも大切です。本当に肌のことを考えてくれているクリニックなら、希望している施術やイメージについて、しっかり詳しく説明してくれると思います。美容医療ははじめてで、まだ右も左もよくわからないという人こそ、専門家のアドバイスを通じて、その後のケアや方向性を明確にできるのではないでしょうか。――カウンセリングをして自分とクリニックの相性を見極めることが大事なんですね。蒼川そうですね。あとは、クリニックのインスタグラムなどから症例写真を見比べるのも参考になります。実際の施術例を見るとイメージもつきやすいですよね。何よりも睡眠が一番大事!――産後は美容に力を入れるのもなかなか難しい時期がありますよね。蒼川本当にそうですよね。私も子どものお世話に必死になっていたから、3日くらい自分の髪を洗えない日が続いたことがあって。自分のスキンケアをする時間がとれなかったり、髪を洗えても乾かす時間がとれなくて、気づいたらボサボサのまま乾いていたり……。仕方がないことですが、鏡を見たらそこにはボロボロの自分が写っていて、つらいときもありました。それにはとてもストレスを感じていたことをよく覚えています。――やっぱりそうですよね。そんな中でも続けていたことはありますか?蒼川睡眠時間だけは気をつけていて、できるだけ0時までには寝るようにしています。これは高校生のときから続けていて、習慣化していますね。もともとロングスリーパーで、多いときは10時間近く寝ていることもありました(笑)。夜中も授乳がある時期は無理でしたが、子どもの睡眠リズムが安定してからは、子どもを寝かしつけるタイミングで一緒に寝ることで、睡眠時間を確保しています。睡眠時間を十分に確保できているとお肌の調子もいいし、メンタルも安定しやすくなりますね。逆をいえば、しっかり睡眠時間を確保できていないと、どんな美容方法も効果が半減してしまうような気がします。――睡眠は大切ですよね。普段のスキンケアについても教えてください。蒼川朝は洗顔フォームを使わず、水かぬるま湯だけで顔を洗っています。単純に時間がないこともあるのですが、必要な油分まで落としすぎてしまうような気がして。洗顔後は摩擦をかけないように使い捨てのコットンタオルでやさしく顔を拭きます。保湿はRMKのプレケア用のトリートメントオイルを導入してから、Medical Proofの化粧水と、同じラインのクリームかUVクリームをつけて終了。全部で10分かからないくらいでさっとすませます。クリームはかためのテクスチャーのものが好みなので、朝と夜で使いわけていますね。――夜のスキンケアのこだわりはありますか。蒼川朝よりは時間をかけて保湿しますが、夜の場合はとにかくメイク落としですね。クレンジングの順番にはちょっとしたこだわりがあって、入浴前や入浴中ではなく、すべて洗い終えてから入浴後にクレンジングしています。ずっと続けている美容法のひとつですが、お風呂で洗ってしまうとメイク汚れがちゃんと落とせていなかったり、流しきれていないシャンプーやトリートメントの成分が顔に残ってしまったりするので。一番最後にクレンジングすれば、肌も乾燥しにくくなるのでおすすめです。――当たり前のように最初にメイク落としをしていたので、目からウロコです。最後に、今も自己肯定感を維持するために日ごろから心がけていることはありますか。蒼川毎日必ず鏡を見て、自分のいいところを見つけるようにしています。美容をがんばっている以上、最終的な評価は自分自身が決めること。「今日は昨日よりも肌の調子がいいな」「ここは前よりも好き!」など、自分で自分の努力を認めてあげることで、また明日からもがんばろうという気持ちになれるんです。蒼川愛さん/インフルエンサー島根県生まれ。早稲田大学政治経済学部在学中に『バチェラー・ジャパン』シーズン1に参加、初代バチェラーのハートをつかみ一躍時の人に。その後「ミスiD2018」に選出され本格的な芸能活動を始める。美容やファッションに精通し20代前半から30代の女性に絶大な支持を得るインフルエンサー。初の著作「蒼川愛という生き方。」(フローラル出版)も好評発売中。Instagram@tougarashi_suki『蒼川愛という生き方。』(撮影:渡会春加、構成:宮本貴世)
2024年01月25日「バチェラー」配信後は「あざとい」と言われて――「バチェラー・ジャパンシーズン1」に参加したときは、大学生だったのですね。蒼川愛(以下、蒼川)そうです。事務所関係者の方からオーディションへの参加をすすめられて、就職活動もあるしはじめは迷いがあったのですが、アメリカで人気の番組をはじめて日本版として制作するということで、「シーズン1に参加できることに意義がある」と強く背中を押していただきました。撮影期間はスマホの使用も漫画などの娯楽も厳禁。メンバーとボードゲームをして過ごしていました。――カップル成立から放送までは少しタイムラグがありますよね。蒼川撮影が終了してから番組の配信がすべて終わるまでの期間は、私がローズをもらったことは絶対に誰にも知られてはいけませんでした。違約金も発生するので、私も久保さん(初代バチェラー・久保裕丈さん)も、デートで移動するときは別々に歩いていましたし、とても用心していました。撮影終了後、スタッフの方から久保さんと私に沖縄旅行をプレゼントしていただきましたが、飛行機もそれぞれ別の便で、到着日をずらして現地集合に(笑)。極力人目につかないよう徹底していました。――配信後、周りからの反響を受けてご自身に変化はありましたか。蒼川最初は「あざとい」「売名」と言われて炎上するようなことも多かったです。今は「あざとい」という言葉が世間に良い意味で浸透しているように感じますが、当時はどちらかというとマイナスの印象が強い言葉でした。批判を真に受けて傷つくこともあったし、SNSを開くこともつらく感じて「出なければよかったかな……」と思った時期もあります。でも悩んでいるとき、大学の先輩から「嫌いな人って、実は全体の2割くらいしかいないものだよ。好きの声は届きづらいけど、嫌いの声は届きやすいから。だから、愛ちゃんのことを好きな人のほうが圧倒的に多いよ」と言ってもらえて。ああそうかもしれない、と素直に思えて、心の持ち方が変わりました。シングルマザーの道を選んだ理由――25歳のときにお子さんを出産されたのですね。蒼川久保さんとお別れしたあと、結婚を前提につき合っていた方がいました。でも、つき合っていたころから彼との関係に悩むことが多く、ストレスから体調を崩して、当時の私はかなり痩せ細っていて。高校生のころから生理不順だったこともあり、体調不良で病院にいくまで、妊娠していることに気づかなかったのです。――気づいたときには何ヶ月だったのですか?蒼川そのときすでに妊娠6ヶ月で、お腹の子はしっかり育っていました。私には産む以外の選択肢はなかったのですが、彼との関係をどうするかはとても悩みましたね。出産のため地元の島根に里帰りし、物理的に彼と離れたことで気持ちがとても落ち着いて体調もよくなってきたので「やっぱりきちんとお別れしたほうがいい」と決断でき、シングルマザーの道を選びました。――不安はありませんでしたか。蒼川子どもを産むことへの不安や迷いはありませんでした。妊娠がわかって、病院で「あなた、ママになるのよ」と言われたときにどこかスイッチが入ったような気がします。一気に覚悟を決められたというよりは、少しずつ自然と受け入れられるようになった感じですね。また、地元という安心できる環境にいて、母のサポートがとても心強かったことも大きいです。出産してからもしばらくは実家の世話になっていましたが、1歳を過ぎたころに息子の病気がわかったんです。そのときも、一人じゃなくて良かったと思います。――どのような病気なのですか。蒼川「赤芽球ろう」といって、赤血球をつくる機能はあるものの、それが正常にはたらかず、貧血を引き起こす病気です。もともと息子の肌は色白だとは思っていたのですが、ある日スーパーで買い物をしているとき、唐突に知らない女性から心配そうに「お子さん、肌が白いけれど大丈夫?」と声をかけられて……。健診で指摘されたことはありませんでしたが、言われてみればそのころ、息子はすぐゴロンと寝転がったり、あまり活動的でない様子が見られていて、やっぱりおかしいのではないかと病院を受診しました。そこで、ヘモグロビンの数値が極端に低いことがわかって、病名の診断がくだりました。あと少し数値が低かったら命が危なかったといわれ、すぐに入院することになったんです。――それはショックでしたよね。蒼川当時はなんでもっと早く気づけなかったのかと自分を責める気持ちが強かったですね。ただ、つらい時期もありましたが、入院を経て状態が安定し、とても元気になりました。今ではとても活発です!最近は電車に興味があるみたいで、プラレールが大好きですね。車種にもとても詳しいです(笑)。息子が2歳になるころには東京に戻り、今は母子二人で楽しく暮らしています。SNSの自分と本当の自分がズレていって……――蒼川さんは美容インフルエンサーとしてSNSで様々な発信をしていますが、お子さんのことはすぐには公表できなかったそうですね。蒼川はい、妊娠中はもちろん、出産後も子どものことはすぐには公表できませんでした。「父親は誰ですか?」「結婚しているのですか?」という質問が寄せられることは予想できましたし、当時は自分もまだ不安定で、はっきりしたことはなにも言えない状態だったんです。中途半端な状態で公表しても苦しくなるだけなので。――公表しようと決めたのは、何かきっかけがあるのですか?蒼川子どもが成長するにつれて徐々に母子のコミュニケーションや意思疎通が増えてくると、今まで私が続けてきたような世界をSNS上で維持していくことは難しく感じられました。プライベートの私はもう、たった1人の息子のママだから。SNSでの自分と私生活とのズレが大きくなってしまうことには耐えられそうになかったので、気持ちのためにも公表しました。息子が1歳半くらいのときのことです。でも、子育て中のママのフォロワーさんが多かったこともあってか、公表してみたら予想以上に温かな反応がとても多くて。もっと早く伝えたらよかったと思うほどでした。――ほっとしましたね。子育てを通じて感じている変化はありますか。蒼川ずっと自分に自信が持てずコンプレックスを抱えていたのですが、「私は私自身のままでいいんだ」とちゃんと自分のことを認めてあげられたのは、この子の親になってからです。シングルマザーとして息子と頑張っていこうと決意できてから、自分の人生は自分で決めていいんだと気持ちがラクになったこともあると思います。息子には「こう育ってほしい!」という強い願望はなくて、本人が好きなこと・やりたいことをできる限り応援したいですね。蒼川愛さん/インフルエンサー島根県生まれ。早稲田大学政治経済学部在学中に『バチェラー・ジャパン』シーズン1に参加、初代バチェラーのハートをつかみ一躍時の人に。その後「ミスiD2018」に選出され本格的な芸能活動を始める。美容やファッションに精通し20代前半から30代の女性に絶大な支持を得るインフルエンサー。初の著作「蒼川愛という生き方。」(フローラル出版)も好評発売中。Instagram@tougarashi_suki『蒼川愛という生き方。』(撮影:渡会春加、構成:宮本貴世)
2024年01月24日“再開”ではなくゼロからのスタートーー2022年にドラマ『恋なんて、本気でやってどうするの?』(フジテレビ系)で8年半ぶりに連続ドラマのレギュラー出演に挑み、本格的に俳優業を再開されました。それまで、どんな心境ですごしていましたか?香椎由宇さん(以下、香椎)やっぱり仕事に関しては、常に不安でした。特にこの世界は移り変わりが早いので、不安や焦りがあったんです。なので、いまこうして少しずつお仕事を再開させてもらい、「どれだけの人が私のことを知っているんだろう」「これからどれだけの人に見てもらえるんだろう」と思うと同時に、「どうやって広げていこうか」と考えています。そう思えるまではやっぱり、忘れられることが辛かったですが、離れていたからこそ今、いいきっかけをもらえたな、と。「"ゼロスタート”にできるな」と思って出ています。ーー“復帰”や“再開”ではなく、ゼロからのスタート、という表現なんですね。香椎そうですね、リスタート。そういうふうに思えたのは、自分にとってとてもラッキーだったと思います。ーーなぜそう思えたんでしょう。香椎自分も年齢を重ねましたし時代も変わったのか、オファーをいただく役柄が、以前とまったく変わったんです。たとえば『恋なんて~』では、すごくびっくりするようなセリフをはっきりと言う役柄で。私のイメージってたぶん、「喋らずにキレる人」みたいなのが残っているんじゃないかなと思うんです。どちらかというと、キツイ人。みなさんはよくいい言葉で「クールビューティー」と言ってくださいますけど……「あ、冷たいのね」みたいな(笑)。キャリアはあるけど「新参者」として香椎そういう印象を、なかったことにできるな、というのがリスタート。もうちょっと笑ったり、感情を出すことが多い役柄が、リスタートした時点で来るようになったんです。私自身も以前のイメージを引きずっていたけれど、「あ、そうじゃないんだ」と思えたことは、すごく大きかったですね。ーー仕事観も変わりましたか?香椎変わりましたね。ブランクの間にコロナ禍もあり、現場に行くとまったく知らない状況の現場があって、ああ、これは本当に「新参者です」と言ったほうがいいな、と。なので、この世界にいる年数は長いけれど、わかったような顔をせず、素直に「わかりません」というのを全面に出しています。ーーキャリアがあって「わかりません」と言うことは、なかなか難しいことだと思います。香椎周りは「いやいや、わからないじゃないよ」と言うかもしれませんが、本当にわからないことが多くなっていたんですよ。ーー休業中は、ご家族から復帰を促されることはなかったのでしょうか。香椎まったくなかったです。「やりたいならやれば」くらいのことはありましたが、「やればいいのに」とは言われませんでした。『恋なんて~』の出演オファーが来たと話をしたときも「本当にやりたいならやればいいと思うよ」という感じだったので、「じゃあやろうかな」と。「家に帰ってお母さんがいない」を受け入れる子どもの順応性ーー復帰作品に出演することは、どのように決めましたか。香椎単純にオファーをいただき、台本を読んだからですね。自分がいままで求められていたものと違うものを求められていることは、いいきっかけになると思いました。それで家族に復帰について相談すると「相談してくるということは、やりたいんでしょ?」という感じでした。ーー仕事と育児は、どのように両立していますか?香椎家庭内の生活リズムや家族のやることが少し変わって、まだあまりうまくバランスを取れていないと思います。最近少しずつ「この時間だったら大丈夫」と、自分が稼働できる時間がわかってきたところです。子どもたちの視点で考えると、家に帰ったらお母さんがいるのが当たり前だったのに、撮影期間は私があまりいない。家族の協力はありましたが、「お母さん、いないんだ」という経験をして、変化が大きかったと思います。ただ、子どもたちは本当に柔軟なんですよね。新しい生活に順応してくれています。ーー香椎さん自身は、「新しい私」に出会いましたか?香椎そうですね、先ほど話したように、リスタートして新しい自分を見せていけたらいいなと。それとプライベートでは最近、新たにマシンピラティスを始めました。ーーいいですね! もともと運動はお好きなんですか?香椎全然です(笑)。通っている友達が「すごくイイよ!」と言うので行ってみると、本当によくて。体質的にすごくむくみやすいのですが、マシンの力を借りて無理なく体を動かすことができるので、1時間もやると見違えるようにむくみが取れて体もスッキリします!「午前中に夕飯も作って、午後はひたすらダラダラします」香椎マシンピラティスはまだ始めて1ヶ月ほどですが、週1回なので日時を決めて、無理なく生活リズムのひとつとして取り入れられました。基本的には、家事も午前中にすべて終わりにして、午後はダラダラしたい人なので、用事は午前に集中させています。ーー香椎さんの「ダラダラ」、想像がつかないのですが……。ソファでゴロゴロ、みたいな感じですか?香椎そうそう、ごろんとしながら刑事ドラマの再放送も観ますし、情報番組も見ますし(笑)、もうイメージ通りのダラダラです。午前中に家事も夜ご飯の準備までイッキにやってしまうので、午後は本当に動けません(笑)。ちなみに、今夜はオムライスです。もう作ってきました。香椎由宇さん/俳優1987年2月16日生まれ、神奈川県出身。2001年にデビュー。2005年の主演映画『リンダ リンダ リンダ』をはじめ、さまざまなドラマや映画作品で活躍。2022年に『恋なんて本気でやってどうするの?』(フジテレビ系)で8年半ぶりに連続ドラマレギュラー出演。2023年は『Dr.チョコレート』(日本テレビ系)で物語の鍵を握る女性を演じるなど、活動の場を広げている。=========衣装協力)コート¥44,000(AMERI/Ameri VINTAGE)タートルネック¥15,400シャツワンピース¥48,400スカート¥39,600(レキップ)ピアス¥71,500リング¥305,800(マリハ)(スタイリスト:後藤仁子ヘアメイク:神戸春美撮影:松野葉子取材・文:有山千春)
2024年01月03日「この子はどうなるんだろう」という漠然とした不安ーー香椎さんは「チャイルドマインダー」の資格を取得されているんですよね。香椎由宇さん(以下、香椎)はい、勉強して資格を取ったのは4年くらい前ですね。きっかけは、上の子の育て方で「子育てって、こんなに大変なの……!?」と悩んでしまって、どうにか自分で予習をしておかないとまずいぞ、と思ったことでした。ーー予習、ですか?香椎上の子は赤ちゃんのときからずっと、こだわりが強いタイプ。「この子はこの先どうなるんだろう」という不安が大きかったんです。そのとき身近に、上の子の年齢以上の子どもを育てているママ友がいなくて、成長して大きくなったイメージがわかないというか、先の見通しも持てなかったんですね。それでいろいろ調べたところ、チャイルドマインダーの勉強をすることで0歳から12歳までの成長について理解できると思って、「これだ」と。ーー学んだことは実生活でどのように生かされましたか?香椎「いろいろなタイプの子どもがいるんだ」と学べたことが、すごく勉強になりましたね。それぞれいろいろな個性があるのだとわかり、それぞれの子の個性に合わせた接し方がわかるようになったのは、すごくいいことでした。外で泣いている子に声をかけたこともーーそれまで持っていたご自身の価値観が、広がった感覚ですね。香椎広がりました。それに、気持ちの余裕ができました。それまでは、外で癇癪を起こして泣き叫んでいる子どもと親御さんを見かけると、「わかるよ……! お母さん、大変だよね……」なんて思っていたんです。お母さんは「もう慣れていますよ」という表情で、「放っておけば落ち着くから、放っておこう」としていることが多く、クールダウンさせるためにお子さんから少し離れていくこともありますよね。私もそうだったので、気持ちがすごくわかります。たとえばそういう場面で、第三者として子どもに声をかける方法を学びました。ーー香椎さんが声をかけるんですか?香椎そういうこともありますし、私も子どもと一緒にいたら、「ちょっとあの子のところに行って声をかけてみなよ」と促したり。そうすると癇癪を起こしていた子はびっくりすると同時に気持ちが切り替わって、落ち着いて、お母さんのところに向かいます。ーー声をかけてくれたのが香椎さんだと気づいたら、お母さんもすごくびっくりしますよ。香椎たぶん気づいていないと思います(苦笑)。「できるだけ子どもたちのやりたいことを、受け入れたい」ーーご夫婦では、お子さまとの関わり方に共通の指針などはありますか?香椎うーん、すべてにおいて行き当たりばったりで、長い目で見て「こうなってくれたらいいな」というのがないんですよね(苦笑)。なので、子どもが「これをやりたい」と言うことは、とりあえず「やってみれば」というスタンス。それで痛い目を見ることもありますが……(笑)。「できるだけ子どもたちのやりたいことや知りたいことを、受け入れたいよね」というのは、夫婦共通のスタンスかもしれません。ーーしかし実際に子育てしていると、子どもの「やりたい」にどこまで付き合うべきか、加減が難しいと感じます。香椎ね。本当に難しいし、時間にも限りがあるし。「あれやりたい、これやりたい」と言われても、タダでできることじゃなかったりもしますしね。その辺の折り合いが、ものすごく難しいです。今振り返ると、小さい頃は習い事よりももっと公園で遊ばせてあげればよかったのかな、と思ったりもします。正解がないので、悩みますよね。ーー習い事はいろいろしていたんですね。香椎そうですね。でも「やりたい」と言ったから通わせたけど、すぐに「辞めたい」と言うし。「え、やるって言ったの自分じゃん……」って。「やめぐせがつく」というけれど……ーーそう思いますよね(笑)。香椎そうなんですよ。それで辞めると「やめぐせがつくんじゃない?」と言われることもあるし、私自身もそう思っていたので、葛藤しました。そこで最終的に、「そのつど目標を作って、それを達成したら辞めようか」と折り合いをつけたんです。「辞めてもいいけど、とりあえずクロールができるようになるまでやろうか」とか。近めのゴールを決めて、そこまでは頑張ってみようって。香椎そんな中で、空手だけは辞めさせなかったんですけどね。ーーなぜでしょう?香椎これから大きくなってなにかあったときに、自分の身も周りのことも守れるようにいてほしいから、「辞めたい」と言われても空手だけは通ってもらっていました。今でも続けています。ーーもう「辞めたい」とは言わなくなったんでしょうか。香椎もう言わなくなりました。でも本当に長かったです、「辞めたい」と言っていた時期が(苦笑)。ただ、空手道場の先生が「無理しなくてもいいんだよ」と子どもに寄り添ってくれる方たちだったので、なんだかんだで続けてこられたというか。本当にいい方たちに巡り合うことができて、恵まれていると感じます。香椎由宇さん/俳優1987年2月16日生まれ、神奈川県出身。2001年にデビュー。2005年の主演映画『リンダ リンダ リンダ』をはじめ、さまざまなドラマや映画作品で活躍。2022年に『恋なんて本気でやってどうするの?』(フジテレビ系)で8年ぶりに連続ドラマレギュラー出演。2023年は『Dr.チョコレート』(日本テレビ系)で物語の鍵を握る女性を演じるなど、活動の場を広げている。=========衣装協力)コート¥44,000(AMERI/Ameri VINTAGE)タートルネック¥15,400シャツワンピース¥48,400スカート¥39,600(レキップ)ピアス¥71,500リング¥305,800(マリハ)(スタイリスト:後藤仁子ヘアメイク:神戸春美撮影:松野葉子取材・文:有山千春)
2024年01月03日妊娠中に感じた「出産は奇跡の連続」ーー妊娠・出産に伴う変化についても伺いたいです。これまでを振り返り、香椎さんはいかがでしたか?香椎由宇さん(以下、香椎)上の子は特に問題なく妊娠期間をすごせたのですが、それ以降の妊娠は入院して管理が必要な状態になったりました。「出産や子育てが大変なのは知っていたけど、妊娠もこんなに大変なんだ……」と、初めて知ったんです。「なぜもっと情報がないの?」と思いながらすごしていましたね。共感し合えるような声になかなかたどり着くことができなくて。検索すると、ネガティブな情報しか出てこないので、メンタルがぶれてしまったり、常に頭のどこかで不安がつきまとっていました。ーー妊娠中にネガティブな情報にとらわれてしまう気持ち、すごくわかります。香椎そういった時期を過ごすと、出産は奇跡の連続なんだな、ということを実感します。きょうだいの個性の違いにビックリ!ーーいま、お子さまはいくつですか?香椎中学生と小学生です。それぞれ個性がまったく違って、出産時の泣き声から違いました。特に上の子はほんとうに手のかかる子で、とにかく抱っこすると下ろせない。抱っこでゆらゆらして、やっと寝てくれたかなと思って下ろすと、絶対に起きちゃうんです。ーー背中スイッチが敏感だったんですね。香椎だから常に、お腹の上で抱っこした状態で寝る「トトロ寝」。そうしないと寝てくれませんでした。だから下の子のときも覚悟していたのですが、下の子はそんなに苦労して寝かしつけなくても勝手に寝てくれるし、気づいたらひとりでミルクを飲んでくれているという(笑)。きょうだいでも全然違うんだなって。また、下の子が赤ちゃんのときには、哺乳瓶を自分で掴んで持てるグッズもあったり、お助けグッズがたくさんあったのも助かりましたね。ーー赤ちゃんグッズは年々すさまじい進化をしていますよね。香椎そうなんです!進化を感じます。香椎成長してからも、それぞれの個性がまったくちがうことを目の当たりにしました。下の子は争いをまったくしない平和主義者で、上の子はとにかく個性が際立っているタイプ。上の子は、お友達のことを「好き!」となったら、100%の愛情で向かっていくところがあります。周りのお母さんたちがいい人で恵まれていることに、感謝しかありません。とても助けられてきたんです。ささいな悩みを話せるママ友への信頼感ーーママ友の存在ってありがたいですよね。香椎本当に! 結構、頻繁に集まっていて、この間は総勢18人でディズニーランドに行きました。ママ友とは日々、ちょっとしたことでもお互いに相談し合ったりもします。「朝起きないんだけど!」とか、「朝ごはん、食べないよー」とか。ささいなやりとりですが、「うちもそうだから大丈夫」みたいな返信があるとうれしくて、そう言ってもらえるだけで十分なんですよね。ーー中学生だと小さい頃とはまた違った悩みが出てきますよね。成長期となると、食欲もすごいのでは?香椎そうなんです。いま朝にお米を3合炊いて、お弁当と朝ごはんで全部なくなって、夜は夜でまた3合炊いて全部なくなります。ーー1日6合、お米を食べているんですね。さすが育ちざかり!香椎だから、ふるさと納税はほぼお米ですね(笑)。いつもお鍋でお米を炊いているのですが、もっと大きいの買わないとと思っています(笑)。香椎由宇さん/俳優1987年2月16日生まれ、神奈川県出身。2001年にデビュー。2005年の主演映画『リンダ リンダ リンダ』をはじめ、さまざまなドラマや映画作品で活躍。2022年に『恋なんて本気でやってどうするの?』(フジテレビ系)で8年半ぶりに連続ドラマレギュラー出演。2023年は『Dr.チョコレート』(日本テレビ系)で物語の鍵を握る女性を演じるなど、活動の場を広げている。=========衣装協力)コート¥44,000(AMERI/Ameri VINTAGE)タートルネック¥15,400シャツワンピース¥48,400スカート¥39,600(レキップ)ピアス¥71,500リング¥305,800(マリハ)(スタイリスト:後藤仁子ヘアメイク:神戸春美撮影:松野葉子取材・文:有山千春)
2024年01月02日「結婚について何も知らずに決めたんです(笑)」ーーそのミルクティー、高校時代にみんな飲んでいました。香椎由宇さん(以下、香椎)いろんな方からそう言われるので、「あ、そうなんだ」と思いました。私は高校時代をずっと引きずっているのかなって(笑)。ーーそれって一途ですね!香椎一途です。ーー今回、「新しい私」というテーマでお話を聞きたいのですが、まもなく結婚生活16年目に突入されますよね。2008年に21歳の若さで結婚を決めたことは、それこそ新しい世界に飛び込むような大きな決断だったのではないかと思います。香椎振り返ってみると、「決断した」というよりも、ほんとうに何も知らなかったんです。結婚に対するイメージが何もなかったので、できたんだと思います。いま私は36歳ですが、周りの同級生を見ると、結婚についてもっと真面目に考えています。お金のこと、今後のライフプラン……全部ひっくるめて考えた上でみなさん結婚しているのですごいなと思いますね。もともと特に結婚願望が強かったというわけでもないのですが、あのときはそうすることがただただ自然な流れだったんだと思います。ーー結婚すると報告したとき、ご両親の反応はいかがでしたか?香椎「あ、そうなの」という感じでしたね。両親にしてみれば、「この子が決めたのなら、何か言ったところで聞かない……」というのがあり、何も言わなかったんだと思います。ーー信頼されていたんですね。香椎信頼なのか、諦めなのか(笑)。結婚して初めて「自分で自分を背負っていく」責任感が芽生えたーー結婚されてもう15年。あっという間でしたか?香椎そうですね。結婚後に妊娠、出産、そして子どもたちの成長があり、ほんとうにあっという間でした。ーー結婚が香椎さんにもたらしてくれた「よい変化」って、どんなことですか?香椎そのタイミングで実家を出て、初めて自分で生活することになったのが、いちばんよかったことですね。それまでは常に親が助けてくれたし、私も甘えていましたが、やっと自分で自分を背負って生きていかなきゃいけないという自覚が持てるようになったんです。ーー夫婦で新しい家庭を築くにあたって、新しく決めたルールなどはありましたか?香椎まったくないです。私は仕事をしながら大学にも通っていたので、登校して、仕事に行き、帰ってくるーーの繰り返しで、「ちゃんと家のことをやらなきゃ」「いい奥さんにならなきゃ」とは思わなかったし、私自身もできるとは思っていませんでした。向こうも、それを期待している感じはしませんでしたね。ドラム式乾燥機で初めてニットを洗ったら……香椎ここ最近結婚をした同級生たちからは、やっぱり「家事分担とか、ちゃんとすり合わせてから結婚するよ」という話をよく聞きますが、それぞれ大人としてひとりで生活をしていた者同士がする結婚と、実家暮らしの私みたいな人がぽんっとする結婚とは、ちょっとパターンが違うのかなと思いました。ーーということは家事の分担はどうされていたのでしょうか。香椎それこそ私、初めてドラム式洗濯機を回したときに、乾燥機にかけた服をものすごく縮ませてしまったんですよ。赤ちゃんの服みたいに縮んでしまって(笑)。ーーそんなことがあったんですね!(笑)香椎それで「ほんとうに何もできないんだな」というのがわかったようで……。年が離れているのもあって、夫からは生活の仕方をいろいろと教えてもらいました。香椎由宇さん/俳優1987年2月16日生まれ、神奈川県出身。2001年にデビュー。2005年の主演映画『リンダ リンダ リンダ』をはじめ、さまざまなドラマや映画作品で活躍。2022年に『恋なんて本気でやってどうするの?』(フジテレビ系)で8年半ぶりに連続ドラマレギュラー出演。2023年は『Dr.チョコレート』(日本テレビ系)で物語の鍵を握る女性を演じるなど、活動の場を広げている。=========衣装協力)コート¥44,000(AMERI/Ameri VINTAGE)タートルネック¥15,400シャツワンピース¥48,400スカート¥39,600(レキップ)ピアス¥71,500リング¥305,800(マリハ)(スタイリスト:後藤仁子ヘアメイク:神戸春美撮影:松野葉子取材・文:有山千春)
2024年01月02日株式会社ジーエムインターナショナルが日本総代理店を務めるスイス高級時計ブランド EDOX(エドックス)が、各界の第一線で活躍する著名人へのインタビューによる連載ページ「エドックス ラヴァーズ」を、2023年12月20日(水)に更新。12月11日にエドックスのブランドアンバサダーに就任したプロSUPアスリート田口頼(たぐちらい)選手に密着しました。田口頼選手下記リンクより、田口選手のインタビュー記事をご覧いただけます。 ■田口選手のプロフィール沖縄本島やんばる在住。20歳。幼少期からSUPを自在に操る、SUPの申し子。ワールドツアーや世界選手権など、日本代表として世界中を飛び回る。2023ワールドツアーランキング現在4位(アジアトップ)。【2023年の主な大会実績】・第10回全日本SUP選手権大会RACEテクニカル部門・優勝、ディスタンス部門・優勝、男子歴代最年少2冠。・SUP ASIAN CHAMPIONSHIP(SUPアジア選手権)(韓国)スプリント部門・優勝、ディスタンス部門・優勝、総合優勝、初代アジアチャンピオン。・ISA(国際サーフィン連盟)世界選手権(フランス)テクニカル部門・銅メダル、ディスタンス部門・銅メダル。・ICF(国際カヌー連盟)SUP世界選手権(パタヤ)ディスタンス部門・銅メダル、男子団体ディスタンス部門・金メダル、男子団体テクニカル部門・金メダル。 ■田口選手の愛用時計田口頼選手も愛用◆『クロノオフショア1 クロノグラフ オートマティック サンセット スペシャルエディション』自動巻き、Φ45mm、316Lステンレススティールケース、ピンクゴールドPVD、50気圧/500m防水、ハイテクセラミック製の逆回転防止ベゼル、オートヘリウムエスケープバルブ、ラバーストラップ、日本限定50本。12月25日発売。お取扱店舗はSafari Lounge、エドックス コンセプトショップ、エドックス オンラインストア(日本限定50本)。12月11日よりSafari Lounge、エドックス オンラインストアにて予約受付中。【Safari Lounge】 【エドックス オンラインストア】 大人カジュアルを格上げ■エドックスについて◆THE WATER CHAMPION優秀な時計職人クリスチャン・リュフリ=フルーリーが、妻の誕生日を祝うため自身でデザインして作った懐中時計。この贈り物の美しさに感動した妻から、時計ブランドを立ち上げることを勧められ、1884年にスイスのビール/ビエンヌでエドックスを創業しました。ブランド名は、「時間」を意味する古代ギリシャ語に由来しており、ブランドエンブレムである砂時計のマークは「不朽」を象徴しています。創業当時は懐中時計で名を成していましたが、1950年代から腕時計の製造にシフト。世界初の特許を取得した防水機構を開発するなど、過酷な環境下でも計時機能を維持できる高性能な時計づくりを追求してきました。1961年に発表したブランド初の防水時計『デルフィン』に始まり、現在のフラッグシップコレクション『クロノオフショア1』、海の神を象った最新シリーズ『ネプチュニアン』に至るまで、50年以上にわたってダイバーズウォッチ開発の先駆者として最前線を走り続けています。国際的なラグジュアリースポーツの大会オフィシャルタイムキーパーを務めるなど、スポーツシーンとのパートナーシップを数多く締結しています。耐衝撃性や防水性などのタフネスに優れたエドックスウォッチは、一流アスリートからも厚い信頼を得ています。エドックス オンラインストア: ■株式会社ジーエムインターナショナルについてスイス製の高級時計を中心に取り扱う、日本輸入総代理店です。取り扱いブランドは「エドックス」「レイモンド・ウェイル」「コルム」「ルイ・モネ」「サルヴァトーレ フェラガモ タイムピーシズ」など、スイスのラグジュアリーウォッチからジュエリーウォッチ、ファッションウォッチまで幅広く展開しています。魅力ある商品を供給するとともに、店頭での販売促進活動や広告活動など、付加価値の高いトータルなマーケティング施策のご提案もいたします。有名百貨店や老舗時計専門店を中心に250店舗とのお取引実績があり、ビジネスパートナーとしての厚い信頼を頂いております。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年12月21日芸能人たちがチームを組み、さまざまなジャンルの格付けチェックに挑戦する正月恒例の特別番組『芸能人格付けチェック!』(テレビ朝日系)。2024年1月1日、午後5~9時に放送される『芸能人格付けチェック!2024お正月スペシャル』に、歌手のGACKTさんの出演が決定し、話題となっています。『芸能人格付けチェック!』出演の本心2023年12月14日、GACKTさんがX(Twitter)を更新。同番組の出演について、心境を明かしています。1年間で1番気が乗らない仕事。格付けに関してはかなりのストレス。でも浜田さんに「ガクちゃん、今年もしっかり頼むで!」と言われれば、返事は1つしか無い。(本当は断りたいが)しかも、今年のパートナーはアイツだ…。どんな結果になるか元旦まで楽しみにしてくれ。— GACKT (@GACKT) December 14, 2023 GACKTさんは、『芸能人格付けチェック!』に対して「気が乗らない仕事で、ストレスになっている」と告白。しかし、同番組で司会を務める、お笑いコンビ『ダウンタウン』の浜田雅功さんから、「ガクちゃん、今年もしっかり頼むで!」と激励されたため、断りたい気持ちがありつつも出演を受けたことをつづっていました。2009年に初登場して以来、格付けチェックで71連勝を記録しているGACKTさんにとって、番組に参加することは、相当なプレッシャーになっているのかもしれませんね。過去には、収録が近づくと、腹痛に悩まされたり、円形脱毛症になったりしたことを明かしており、連勝記録の重圧と闘いながら参戦しているようです。また、ともに『芸能人格付けチェック!』に出演するパートナーについて「今年のパートナーはアイツだ…。どんな結果になるか元旦まで楽しみにしてくれ」と投稿。含みを持たせた投稿に「『ゴールデンボンバー』の鬼龍院翔さんがパートナーになるのではないか?」といった予想の声も。鬼龍院さんといえば、2023年にGACKTさんとペアになった際にクイズで不正解となり、GACKTさんを降格させてしまったことで、『スライディング土下座』をしています。【ネットの声】・プロ意識が高いからこそ、プレッシャーがきついですよね!・『アイツ』って誰だろう。まさか鬼龍院さんのリベンジか…?・格付けチェックといえばGACKTさんですね。楽しみにしています。・連勝記録を期待しています!GACKTさんの番組出演を楽しみにしている人は多いのではないでしょうか。GACKTさんは、『アイツ』呼びしたパートナーと、無事に連勝記録を更新できるのでしょうか…注目ですね![文・構成/grape編集部]
2023年12月18日この記事では、2023年11月に妊娠・出産を発表した芸能人や有名人をご紹介! 妊娠・出産時期が自分と近い芸能人や有名人には、なんとなく親近感がわくものですよね。鈴木ちなみさん、ギャル曽根さんなど、多方面でご活躍中の方々からおめでたいニュースが届きました。俳優・タレントなど、7名の出産のニュースをお届けします。 出産発表鈴木ちなみ(34歳)モデル・タレント 妊娠発表:2023年9月8日(2人目) 出産発表:2023年11月3日 ブログ・SNS:Instagram(@chinami_suzuki0926)May J.(35歳)歌手 ※夫は尚玄(45歳)俳優 妊娠発表:2023年5月12日(1人目) 出産日:2023年11月16日 ブログ・SNS:公式サイト植村花菜(40歳)シンガー・ソングライター ※夫は清水勇博(40歳)ミュージシャン 妊娠発表:2023年6月16日(2人目) 出産日:2023年11月17日 ブログ・SNS:「愛があればそれでいいのだ」ギャル曽根(38歳)タレント 妊娠発表:2023年11月9日(3人目) 出産日:2023年11月18日(女児) ブログ・SNS:「ごはんは残さず食べましょう」北林明日香(44歳)俳優・ダンサー 出産日:2023年11月21日(1人目・男児) ブログ・SNS:Instagram(@asuka_kitabayashi)パパになった芸能人・有名人金子ノブアキ(42歳)俳優・ロックバンド・RIZEのメンバー 出産発表:2023年11月6日(2人目)福井俊太郎(43歳)お笑いトリオ・GAG 出産日:2023年11月9日(1人目・男児) ブログ・SNS:X(@shuntarofukui)気になる芸能人や有名人はリストの中にいましたか? 同じくらいの妊娠週数だったり、わが子と近い月齢の赤ちゃんが登場したりする芸能人のブログには、マタニティライフや子育てのヒントがあるかもしれません。家事や子育ての息抜きにチェックしてみてはいかがでしょうか。
2023年12月10日「家庭ではまったく芸能人らしくなくて、そのへんのオジサンですね。ママチャリに乗って、近所をウロウロしていますから。芸能人の驕りとかプライドとかは全然ありません。マネージャーから『もう少し芸能人らしいプライドを持ってください』と言われるほどなんですよ(笑)」本誌にそう語っていたのは島崎俊郎さんの妻・A子さんだった。12月7日、キャラクター“アダモちゃん”などで人気を博した島崎さんの逝去が報じられた。享年68。死因は急性心不全だったという。島崎さんが地方局のレポーターだったA子さんと結婚したのは1992年、2人の男の子にも恵まれた。A子さんが本誌に登場したのは2003年。『あなたへの遺言』という連載企画で、有名人の妻が夫の素顔と、“遺言”という形式で感謝の思いや要望を語るという内容だった。長男が誕生したのは島崎さんが30代後半のころ。A子さんは子供たちに対する溺愛ぶりも明かしてくれた。「『孫のように可愛い』って言うぐらいですから。“この子のためにはいつでも死ねる”って気持ちが私にも伝わってくるんです。異常なほどの過保護ですよ。(長男がヨチヨチ歩きのときは)滑り台で遊んでも、自分も一緒に上まで上っていって滑り降りてくるほど。本人に言わせると『オレは仕事で危険なことを人一倍してきたから、どこが危険かわかるんだ』って威張るんですから」島崎さんは、日本テレビのバラエティ番組の企画のために、一家4人で鹿児島県の屋久島に移住したこともあった。だが交通事故でスタッフが死傷し、放送は1回で打ち切りに。「ディレクターとカメラマンの方が亡くなったり、重傷を負う交通事故があって、私は海を見ては泣いてばかりでしたね。カメラを向けられても笑うことができる状態ではありませんでした」島崎さん一家にとっても不幸な出来事だったが、東京に帰ってきてからは島崎さんに変化が。「最近は、主人が朝食を作ってくれることもあるんです。私が深夜まで仕事をしていて、朝、どうしても起きられないときは、みそ汁やダシ巻卵なんて上手に作るんですよ。テレ臭いので口にはしませんが、とても感謝しているんです」この企画は、A子さんの島崎さんへのこんなメッセージで締めくくられている。《あなたは私と2人で出かけるのがテレ臭いのか、新婚旅行以来、どこにも連れていってくれませんね。最後のお願いは、新婚旅行で行ったバハマにもう一度連れていってほしいこと。あのあたたかな海の雰囲気をもう一度味わってみたいいんです。(中略)どうぞ、私が好きな“普通の人”でいてくださいね》良き夫で優しい父であった島崎さんの急逝は残念でならない。
2023年12月08日業界では知らない人がいないほどの名物映画宣伝プロデューサーで、漫画家・倉田真由美さんの夫としても知られる叶井俊太郎さん。「だめんず・うぉ〜か〜」作者も認めるバツ3の「だめんず」だったものの、倉田さんとの間に娘が生まれてからは、子育てに夢中になっていきました。12年にわたって続けたwebの子育てコラム連載からも、その様子はありありと伝わります。お子さんの毎日の洋服選びから学校行事、毎週末の上履き洗いまで、料理以外のほとんどを叶井さんが担当し、ママ友たちには「叶井さんの家にはママが二人いる」と言われるほど。朝の旗振り当番やPTAも精力的にこなし、当たり前のように仕事と子育ての両立に奮闘していました。そんな叶井さんが2022年6月、すい臓がんに侵されていると発覚。余命半年を宣告されました。しかし余命宣告されてからも、日々会社に行き、変わらない毎日を過ごしているそうです。お子さんに向けて「遺したいメッセージはない」という父の心境とは……。娘に伝えた「死ぬのは怖くないから、大丈夫」2022年の春ごろ、周りの人から「黄疸が強いから病院に行きなよ」と言われて病院を数軒回って検査したら、膵臓がんが発覚しました。医師には「余命半年、楽観的に見ても1年」と言われたのに、もう1年半も生きてます(笑)。オレ自身は、宣告されても「へー、そうなんだ」ぐらいにしか思わなかった。まあ人は誰でも死ぬんだから、しょうがない。そう言うとつよがりだと思われるんですが、マジで思ってるんですよ。ただ、痛いのだけは本気でイヤなんで、「激痛がきたらすぐにモルヒネを打ってくれ」と、妻くらたまと担当医にお願いしています。オレとしては「想定より早く死ぬな~」と思ったぐらいですが、娘に伝えるタイミングがよくわからなくて。薄々気づいていたとは思うのですが、今年の夏に数週間入院することになり、ようやく娘に告げたんですよ。はじめはショックを受けていたんですが、オレが「死ぬのは怖くないから、大丈夫」と言ったら、「よかった」とケロっとして自分の部屋に戻っていきました(笑)。うちの家族は、オレががんになっても暗くならない!くらたまは裏で泣いているみたいだけど、家ではメソメソしてないし、仕事で家も空けるし、娘も中学に入ってからは自分の部屋にいる時間が長いし、がんになっても通常モードです。この間も娘に「オレが死んだら家事もやらなきゃいけないんだから、洗い物を手伝って」と言ったら、「できる限りがんばって」だって。オレを使い倒す気満々ですよ!小学校のPTA会長に推薦されたが……娘が生まれたときは全然かわいいとは思わなかったんです。ただ世話はしていました。くらたまが仕事でいない夜は泣くから、ベビーカーに乗せて数時間も近所を歩いたこともあったなぁ。子育てが楽しくなったのは、2~3歳になって、意思疎通ができるようになってからですね。娘が楽しそうに遊んでる姿を見るのがうれしくて、毎週末のように全国の子育てスポットや赤ちゃん・子ども対応ホテルなどに行ってました。まったく記憶にないけど、旅行先で見かけたからってベビーカーで秘宝館を訪れたこともあったらしいです(笑)。まあ娘が赤ん坊で、なんにもわからない時期だったから入れたんだろうな。娘の幼稚園ではママ友ができて、ご近所ゴシップやら遊び場やらいろんなことを教えてもらいました。くらたま抜きで、ママ友+子どもたちと一緒にどこかに遊びに行くのも日常茶飯事。小学校に入ったらその名もズバリ「おやじの会」という、父親だけの会にも入ったけど、こちらは結局仕事の話とか差しさわりのない話ばかりで、イマイチ面白くなかったなあ。オレがあまりにも学校行事に参加するので、一度PTA会長に推薦されたことがあったんですよ。でも役員の方がネットで検索したみたいで、「叶井さん、もしかして犯罪歴あります?」と謎の疑いをかけられて……結局推薦もなかったことに。犯罪歴なんてありませんよ!娘が小学校中学年でバドミントンを始めたころは、土日に片道1時間半かけて試合を見に行ったりしたけど、いま中学2年になった娘には自分の世界ができているし、オレもそこまで行く気力がなくなりました。ある意味、子育ては終わったんだろうな。とはいっても反抗期もないし、「服を買いに行くから付き合って」と言われて出かけたり、美容院も一緒だから月1回は一緒に行きますけどね。余命宣告後も日常を選んだ理由「余命宣告されたのに、家族と過ごさなくていいんですか?」「旅行とかは?」とよく聞かれるんですが、今の娘には親じゃなくて友達中心の世界がある。くらたまも仕事があるし、みんな忙しいんだからわざわざオレと過ごさなくていいんですよ。オレはオレで、人生ずっと映画を見て、漫画や本を読むという毎日を送ってきました。あと子育てか。そんな生活ができればよかったのに、最近はもう夜になると体がだるくなって、映画も漫画も見られなくなってきました。だからくらたまには「もう生きなくていい」と言ってます。裏を返せば、日常が幸せだったんじゃないかって?確かにそう言えるかもしれないですね。あと、「旅行に行けば?」と言われても、仕事が気になって全然楽しめない。今も毎日会社に行って、来年公開の映画の仕事もしてますから。そこまで生きていたいけど、ある意味「死ぬ死ぬ詐欺」になっちゃうな(笑)。子育ては楽しかったんですが、自分の中では人生の優先順位の一番上は仕事。例えば、くらたまが地方に行っていて、オレも試写会に立ち会わなければいけないときなどは、娘を現場に連れていくとか、ママ友に託すとか、いろんな手段を使ってでも仕事はこなしました。逆に、娘の寝かしつけのために一旦帰宅して、終わったら会社に戻るということもしょっちゅう。だから、「仕事が忙しいから、子育てできない」という感じではなかったはずです。娘のことを心配しなくても、もう大丈夫遺書やビデオレターを残さないのかと聞かれることもありますが、そんなことを考えたこともない!娘になにか言うとしたら「好きに生きろ」、それだけです。娘にこうなってほしい、こういう道に進んでほしいと思ったこともないし、「勉強しろ」と言ったことも一回もない。自分がやりたくないことをやらせようとしても、やらないでしょ。本人がやりたいことを優先して、本人がやりたいって言ったらやらせる。それしかないんじゃないですか?娘を叱ったこともないんですけど、道をそれたり人を傷つけたりすることもないと思います。普段は門限を設定していますが、娘が友達とディズニーシーに行ったときに「今日は門限を気にせず楽しんできていい」とLINEしたら、23時過ぎには帰ってきました。日常での小言は言うけど、もうなにかを伝えなくても大丈夫じゃないですかね。ディズニーシー行く前には3万円もお小遣いをせびられたけど(笑)。「がんばって生きろ」と言うのもイヤなんですよね、がんばらなくていい。自分が楽しいと思うことを見つけられない人も多いけど、好きだな、楽しいなと思うことを見つけてくれたら御の字ですね。子育て中の親御さんへのメッセージですか?うーん……、同じですね。子どもじゃなくて、自分が楽しむことを優先していいということですかね。自分が楽しくないことを無理してやっても、やっぱり楽しくないから。小さいうちは、親が一緒にどこかに行って楽しくしていれば、それだけで子どもは楽しんでくれますよ。まあ、だからといって秘宝館は勧めませんが(笑)。エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論¥ 1650『エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論』余命宣告を受けた叶井俊太郎が、親交の深い15人の文化人に会いにゆき、映画ビジネスにまつわる常識外れのエピソードや破天荒は私生活、人生観などをぶっちゃける無礼講対談を敢行。さらに叶井がゲストに「余命宣告されたらどうする?」との究極の質問をぶつけると……。遺されるパートナーや子どもへの想いや関係性も人それぞれ。「命」の意味やその使い方をも再考させられる哲学的娯楽本。(取材・構成=佐伯香織撮影=天田輔)
2023年11月07日初めての七五三は、境内で1時間砂利遊び!?ーーYouTube動画の撮影、とても楽しそうでしたね! エハラさんも和装がとてもお似合いです。エハラマサヒロ(以下、エハラ)最初は2歳の杜羽(とわ)がグズるかなと思ったんですけど、すごく楽しんで撮影していましたね。ーー現在お子さんが5人いて、上から13歳・長女の美羽(みう)ちゃん、11歳・次女の風羽(ふう)ちゃん、8歳・三女の音羽(おとは)ちゃん、4歳・長男の羽汰(うた)くん、そして2歳・次男の杜羽(とわ)くんで、七五三は何度も経験済みかと思います。思い出に残っていることはありますか?エハラ長女の美羽が明治神宮で3歳の七五三をしたときのことです。神社って、境内に砂利がいっぱい敷いてあるじゃないですか。そこで、美羽が歩いているときに砂利で遊びだして、本殿に着くのに1時間以上かかったことですかね(笑)。ーー子どもは石が好きですよね(笑)。エハラもうずーーっと石触ってるから。「いや、行くよー」と言っても、ずーっと石を触っていたんですよね。ーー大人は辛抱強く待っていたんですか?エハラはい(笑)。知り合いの写真家の方に撮影を頼んでいたんですが、ずっと砂利を触っている写真だけ。でもそれも、今となってはいい思い出ですね。ーーそのときの写真を美羽ちゃんに見せたりしますか?エハラそうですね。本人は覚えていませんが、やっぱり七五三はどんな瞬間もものすごい思い出になるし、特に写真は記念になるので、撮っておいたほうがいいですよね。1人目の子どもだと、七五三のときって、ちょうどいろいろな大変な時期を乗り越えて、ようやくでっかい記念撮影ができる日だと思うんですよ。で、いつもとは違う服を着て、すごく大事なときだと思って。そういう記念日を大事にしたいと思っています。ーーそうですよね。美羽ちゃん以外にもハプニングはありましたか?エハラ三女の羽汰は七五三の衣装をレンタルして撮影しようと思ったんですが、なぜかわからないけどレンタル衣装の店内になかなか入らなくて。お店のドアの前に敷いてあるマットの上からずっと動かなかったんですよ(笑)。お店の前まで行ったのに、そこでトミカで遊びだして。あと数メートルで着替えられるのに!ーー原因は?エハラわからないんですよ(笑)。撮影の時間も決まっているし、僕は横でイライラしていたんですけど、妻がずーっと羽汰に付き合って、20分くらい。それて説得してお店に入ってきてくれました。ーーママ、すごい!エハラガーッと連れていかずに、納得するまでずっと羽汰に付いていてくれて。すごいですよね。『北風と太陽』みたいですよね。僕は「とりあえず着替えさせたら大丈夫やろ!」みたいな感じでいたら、「いや、そんなことはやらない方がいい」と。ずっと寄り添って遊んでいました。ーーもし無理やり連れていっていたら……。エハラそうそう、無理やり写真を撮っていたら、いい思い出にならなかったかもしれないし、いい顔も撮れなかっただろうし。だから僕は、妻から学ぶことがめちゃくちゃ多いです。大変な時期を過ぎると、あとはプラスに転じるだけーー5人のお子さんを育てていますが、楽しさ、大変さ、それぞれどんなことがありますか?エハラマックスで大変だったのは、上から5歳、3歳、1歳の未就学児3人のときですね。毎日ギャーギャーギャーギャー、大変でした。1人目はなにもわからない状態で、2人目もあたふたしちゃって。泣きの連鎖があるんで、ひとり寝かしつけていたらもうひとりが泣いて連鎖して起きる、とか。これがキツかったですね。長女の美羽が小学校に入ってからはちょっと手がかからなくなったり、お手伝いをしてもらえるようになって、すごく楽になりました。よく「5人ってすごいですよね。ひとりでも大変なのに」と言われますが、逆に5人いるから楽なんですよ。むしろ「子どもがいること」って、育てていったらどんどんプラスが増えていくことだと思うんです。将来家族が増えるだろうことを想像すると楽しいし、孤独にならないし。だから、マイナスの時期が0歳から5、6歳までにギュッと集まっていて、そのあとはずーっとプラスに転じる、みたいなイメージですね、子育てって。ーー大変さは、その時期に凝縮されていると。エハラそう。しんどいし、自分の時間もない、自分のものを汚される、イライラする……という思いが最初にギュッときて、そこから6歳、7歳になっていくとしんどさがどんどんどんどん減っていくし、かわいくなっていくし、戦力にもなってくれる。どんどんプラスが増えていくんです。ーー今、長女の美羽ちゃんは13歳ですよね。エハラ美羽は本当にいろんなことをやってくれるんですよね。仕事のことを手伝ってくれて、それが本人の学びにもつながることもあるし。だから全然手がかからないどころか、逆に僕が若者の文化を教えてもらうこともある(笑)。ほんっとうにありがたいことしかないんですよ。子育てっておもしろいですよね。ーー育児の醍醐味ですよね。未就学児3人の時期のドタバタぶりが伝わりましたが、その時期、夫婦でしっかり会話をする時間は作っていましたか?エハラお互いにコミュニケーションを大事にしようと意識していました。パートナーを第一にしよう、よく会話をしよう、と。ちょっとでもほころびが出そうになったら、放っておかずにとりあえず解決するようにして。虫歯のように、一個にちょっとほころびがあると、放っておいたらとんでもないところまでいってしまうような、「未然に防いでおいたらよかったな」みたいなことがあるわけですよね。だからお互いに「ありがとう」「ごめんなさい」を大事にしています。それに、どんなに忙しくても、今はLINEなどの繋がれるツールがいろいろとあるから、それはもうめちゃくちゃするようにしていました。子どもに言う「ありがとう」「ごめんなさい」は、大人の倍の力を込めてエハラあとは、「毎週日曜日のこの時間は、10分でも話せる時間を作ろう」とか。ーーそういうルールがあったんですか?エハラルールというわけではなかったんですが……。僕は家でもちょっとおかしいくらいしゃべるんですよ。だいたいは遅く帰ってきて、妻が家事をしている隣についてまわって、ドラクエのパーティで歩くときみたいな状態で喋っていました(笑)。その間、もちろん家事を手伝いましたが、逆に足手まといになることもあるんですよね。ーー妻と夫で、やり方が違うことがありますもんね。エハラそう。洗濯物の畳み方が違って、妻が畳み直しするはめになったりとか、あるじゃないですか。だから邪魔はしないようにしていました。ーーママは家事をしながら話を聞いてくれるんですね。マルチタスク!エハラたとえるなら、学校から帰ってきた息子が「今日さ、学校でこんなことあってさ!」みたいな、アレですアレ。だから妻はずっと言っていましたね、僕が長男だって(笑)。ーー(笑)。円満の秘訣は、やっぱりコミュニケーションですか?エハラそうですね。「お礼と謝罪は自分からする」は鉄則です。ーー最近の「ありがとう」「ごめんなさい」はどんなことでしたか?エハラ「ありがとう」はほぼ毎日ずっと言っています。なにかにつけて。今日も言った気がするな。20代のときなどの若いころは、自分が間違っていても「俺からは謝らん」みたいな、意地の張り合いのようなものがありましたが、今はいとも簡単に謝ります(笑)。意地って、一番ジャマですよね。夫婦関係がこじれる原因だと思います。それは子どもに対しても同じで、自分が悪いと思っても、ほったらかしにする人もいますよね。そうすると、子どもと心の距離ができてしまうことって絶対にあると思うんです。だから僕は子どもにも、悪いと思ったら「ごめん、パパが悪い」と、倍くらいの力で謝っています。子どもは親から「ごめんごめん」と適当に謝られても、文句が言えない立場だからこそ、よりちゃんと謝らないとですよね。ーーたしかに、子どもはそういうことを敏感に感じ取ると思います。とても大事な心がけですよね! 最後に、エハラ家の子育てのモットーを教えてください。エハラそんな格言みたいなものはないですが、「同じ目線でしゃべる」ですね。4歳には4歳の、6歳には6歳の自分になって、「遊んであげる」ではなく「一緒に遊ぼう!」というテンションで接しています。たとえば繊細な悩みがあるとき、友だちには言えるけど親には言えないということが自分にもたくさんありました。そこで僕が同じ年の一番の友だちになれたら、親であっても言えると思うんですよね。悩み事があるときに、真っ先に相談される友だちでありたい、それを目標にしています。エハラマサヒロさん/芸人2009年に『R-1ぐらんぷり』決勝初進出にして準優勝を果たしたことをきっかけに、さまざまなネタ番組に出演。歌やモノマネを武器に各メディアで活躍中。5児の父。Instagram:eharamasahiroX(旧Twitter):@eharamasahiroYou Tube:エハラ家チャンネル(取材:マイナビ子育て編集部文:有山千春撮影:梅沢香織)<関連記事>✅潮田玲子さん・増嶋竜也さんファミリーの七五三フォトが素敵すぎる! スタジオアリスのキッズファッションショーに子どもたちと登場✅シャトレーゼに動物モチーフのかわいい「七五三ケーキ」が期間限定で登場! 華やか&キュートなケーキに子どもが喜ぶこと間違いなし♪✅とことんカッコいい七五三の前撮り写真! 袴でキメた女の子「最高に輝いてる」
2023年11月02日ミュージシャンのASKA(65)が著名人の訃報などに対して、自身の考えを続々と投稿。ファンの間で注目を集めている。もともとX(旧Twitter)を通して、コロナワクチンに対して懐疑的であることを表明しているASKA。7月から休養しているフジテレビの渡邊渚アナウンサー(26)が10月22日、Instagramで《この4ヶ月で私はいろんなものを失いました。食べられなくなった。うまく歩けなくなった。うまく指が動かなくなった。大切にしていた仕事もなくなった。目標もなくなった》などと綴ったというニュースを引用し、Xで《彼女は原因を特定できるんだな》と“意味深”に綴った。同日、もんたよしのりさん(享年72)の訃報については《大動脈解離、血栓、心筋炎、心膜炎、多すぎる》とコメント。ユーザーからの投稿に返信する形で《その人の身体の状態で(症状が)早く起こる人、まずは体調不良から始まる人、忘れた頃に起こる人、突然死となる人・・。そして何も起こらない人。本当によくできた兵器です》とも語っていた。また24日、BUCK-TICKの櫻井敦司さん(享年57)の訃報に際し、《みなさん、変だと思いませんか? 何かが起こってると思いませんか?》と投稿。さらに同日、ブログを更新し、谷村新司さん(享年74)や、もんたよしのりさん(享年72)、櫻井さんと訃報が続いていることに対する不安をつづっていた。そんなASKAの発言に共感するファンもいる一方で、理解が追い付かず動揺するファンも。《ASKA大丈夫か》《どういう意味だろうね。。》《ASKAさん。。。》26日、Xで《フォロワー30万になると1メディアと同じ発信力を持つとのこと。考えたことなかったけど、必要な気がしてきた》と綴っているASKA。これからも積極的に発信していくようだ。
2023年10月26日たとえ夢の中であったとしても、華やかな世界で活躍する芸能人と触れ合うと波動が上がるとされています。そんな波動の高い「芸能人と遊ぶ夢」は、あなたの魅力や才能が開花していく暗示。しかし状況にもよるので、それぞれの意味を理解することが重要です。そこで本記事では、芸能人と遊ぶ夢の意味をシーン別に詳しく解説していきます。ぜひ、自分の見た夢を思い返しながら読み進めてみてくださいね。Check!:【夢占い】芸能人の夢の意味とは?シーン別暗示45選■「芸能人と遊ぶ夢」の基本的な意味とサイン芸能人は憧れを表す象徴。そんな華やかな世界に憧れている人も多いのではないでしょうか?まずは、芸能人と遊ぶ夢がどんな意味を示しているのかを紹介していきます。◇才能が開花する前兆芸能人はあなたの才能を表します。そんな芸能人と遊ぶ夢を見たということは、もうすぐあなたの才能が開花する予兆であるといえます。今努力していることが成功に繋がっていく可能性があるので、引き続き懸命に取り組んでいくといいかもしれません。◇「芸能人と仲良くなりたい」という願望芸能人と遊ぶ夢を見る場合は、あなたが芸能人と仲良くしたいと感じている証拠。「現実世界で芸能人と遊びたい!」という欲求から来ている可能性があります。人気のある芸能人はセレブやお金持ちのイメージがありますよね。自分もそうなりたい、彼らに近づきたい、と感じる気持ちが夢の中に表れているといえます。■【シーン別】「芸能人と遊ぶ夢」の意味どんな芸能人と遊ぶ夢を見たかで、夢占いの意味が変わってきます。ここからは、シーン別に「芸能人と遊ぶ夢」の意味を解説していきます。◇(1)好きな芸能人と遊ぶ夢は「目立ちたい」好きな芸能人と遊ぶ夢は、あなたもその芸能人のように周りから「認められたい」「評価されたい」と感じている可能性があります。好きな芸能人は憧れの象徴。脚光を浴びて、周りから注目される人生に憧れている気持ちが夢に反映されているのでしょう。Check!:【夢占い】好きな人が夢に出てくる意味は?シーン別解説◇(2)嫌いな芸能人と遊ぶ夢は「自分の才能に不安がある」夢の中であっても、嫌いな芸能人が無視してきたり、嫌なことをしてきたりしたら、不快な気分になりますよね。それは、あなた自身が自分の才能を認めていないという証拠。もっと自分に自信を持って、才能を発揮していきましょう。Check!:【夢占い】嫌いな人が夢に出てくる理由◇(3)芸能人と運動して遊ぶ夢は「夢が叶う前兆」芸能人と一緒に運動をして遊ぶ夢は、あなたの掲げた夢や目標が花開くという暗示です。ただし、全力で楽しそうにしていたかがポイント。あまり楽しくなかった場合は、逆に夢が叶いにくいというメッセージだといえます。◇(4)芸能人とゲームをして遊ぶ夢は「評価を気にしている」芸能人とゲームをして遊ぶ夢は、周りからの評価を気にしている可能性があります。承認欲求が満たされていない場合があるので、自分の良いところを書き出して、満たしてあげることをおすすめします。◇(5)芸能人とお金で遊んでいる夢は「自立心が欠乏している」ギャンブルやカジノなど、芸能人とお金を賭けて遊んでいる夢を見た場合、誰かに依存している可能性があります。依存するのが悪いというわけではありませんが、自分の考えをしっかり持つことも大切です。心当たりのある人は、自立心を持つように心がけるといいでしょう。◇(6)芸能人と水遊びをして遊ぶ夢は「人間関係に問題を抱えている」プールや海など、芸能人と水遊びをして遊ぶ夢は、今の人間関係について気にしている可能性があります。周りとあまり良好な関係を築けていないと感じた場合は、他人の内側を見るようにしてみるといいでしょう。そうすることで、あなたとの意外な共通点が見つかるかもしれませんよ。Check!:【夢占い】海の夢の意味は?綺麗な海・泳ぐ・溺れるなどの暗示28選Check!:【夢占い】プールの夢を見る理由とは?泳ぐ・遊ぶ・溺れるなど状況別に解説■【感情別】「芸能人と遊ぶ夢」の意味ここからは、芸能人と遊ぶ夢の「感情別」の意味を解説していきます。◇(1)芸能人と遊んでつまらない夢は「行動に移した方がいい時」芸能人と遊んでつまらない夢は、目標の実現に向けて行動に移すべき時を示しています。何かと理由をつけてやらない選択をしてしまっていませんか?今こそあなたの才能を開花させる時です。人生は一度きり。ぜひ、やりたいことにどんどん挑戦していくことをおすすめします。◇(2)芸能人と遊んで悔しい夢は「自分の実力不を感じている時」芸能人と遊んでいて悔しさを感じている夢は、あなた自身が自分の実力について、まだまだだと感じている暗示。悔しさをバネにして、自分のレベルを上げていける時です。練習が必要なことに対して、もう少し練習時間を増やすなどして、今までの失敗を成功に繋げていくといいでしょう。□「芸能人と遊ぶ夢」は才能を開花させるためのヒントこの記事では、芸能人と遊ぶ夢について解説してきました。芸能人と遊ぶ夢を見たら、あなたの才能が開花するチャンス!状況によっては夢が叶いにくいという意味を持つ夢もありますが、心配しすぎることはありません。夢には改善点を探るヒントが隠されています。あなたの才能を開花させるためのヒントを見逃さないように、夢からのメッセージを受け取ることが重要なのです。(清水まり花)※画像はイメージです
2023年10月17日子どもたちのこんな笑顔はなかなか撮れない!ファッションショー本番の一幕。子どもたちも堂々としてる!七五三シーズン本番の秋。スタジオアリスは、全国から集まった25人のキッズモデルとともに七五三の新作衣装とおすすめ衣装をお披露目するファッションショーを開催しました。増嶋ファミリーはオープニングで華やかに登場。新作衣装のデザインテーマである「ライラック」をモチーフにしたあでやかな和装姿でそろえ、大人は優しく淡いピンクカラーの羽織袴と訪問着です。それぞれカラーこそ違えど、同じライラックモチーフで統一感がありとても素敵ですね。家族そろって和装する機会は初めてだそうで、みれいちゃんとりゅうせいくんはパパとママの着物姿を「かわいい」「かっこいい」と絶賛。増嶋さんは「ピンクを着るのは初めて。でも主張の強いピンクではないので着やすく、家族全員でまとまりがあってすごくよかった」「着物は重いイメージがあったけれどすごく軽い」と笑顔です。スタジオで撮影した家族4人の和装写真。めちゃくちゃキマッてます!先だってスタジオアリスで和装ショットの撮影体験をしたといい、潮田さんは「七五三はお子さんがメインで、パパママの衣装は適当になりがちですが、お写真に残したときに着物を着て良かったとすごく感じました」と撮影した写真に大満足だったそう。特に「子どもたちのこんな笑顔はなかなか撮れない」と、ナチュラルな兄妹のショットに感激したといい、「ちゃんと撮影できるのか心配だったけれど、スタッフさんが盛り上げてくれてすごくナチュラルな笑顔を抑えていただいた。スピーディな撮影であっという間でした」と、潮田さん。お子さんたちが撮影中とても楽しそうにはしゃいでいた姿が印象的だったようです。そんな増嶋ファミリーに特別インタビューをしてきました!家の中でもスポーツ三昧!運動神経抜群な増嶋兄妹。ナチュラルな笑顔が引き出された1枚。ーーファッションショー出演は緊張しましたか?増嶋さん緊張しました! 思った以上にたくさんの方が来てくださって、ショーを見てくれていたので。潮田さん緊張感ありましたね。子どもたちもステージに出る前は舞台袖で「緊張する~」と言っていたので大丈夫かな? と思ったんですけど……え、バッチリでした? あ~良かった~。ーー家族そろって和装するのは初めてとおっしゃっていましたが、これまでお兄ちゃん5歳、妹さん3歳の七五三ではどうでしたか?潮田さん私は写真だけ和装で撮りましたが、子どもと私だけの写真で、家族4人のスタジオフォトはなかったんです。でもこうやって和装の家族写真を撮ってもらってすごく良かったなあって。実は去年、結婚10周年のときに、写真を絶対撮ろうとパパが提案してくれて家族で写真を撮ったんですよ。増嶋さんスタジオではなく景色のいい屋外のロケ―ションでたくさん撮ってもらいました。潮田さんそれがすごい「撮って良かったな」と感動する写真だったんです。節目節目に子どもの成長も感じられるし、「これからは記念日はモノより写真だよね」という話をしていたので、今回も本当にいい記念になりましたね。ーーお子さんたちもランウェイで堂々としていました。りゅうせいくんはラグビー、みれいちゃんはテニスをやっているそうですが、家でもファミリーで体を鍛えるようなことをしていますか?潮田さんめちゃめちゃ運動してます。我が家では普通の風景なんですけど、室内で体を動かしまくっているので、遊びに来てくれた人にはよく驚かれるんです(笑)。息子が昨日ドッジボールの大会に出たのですが、出場が決まったときから家の中でキャッチの猛練習をしていました。少し前には息子が野球の体験に行ったこともあって柔らかいボールを使ってホームラン対決をしたり。増嶋さんあとは走り高跳びとか……部屋の中にロープを張って、どっちが高く飛べるか兄妹で競争しています。昨日は娘がずっと縄跳びしてましたね。結構、部屋の中でスポーツをがっつりやるのが日常なんですが、柔らかいボールなので窓が割れたり家具が壊れたりはないですよ。ーー戸建てとはいえ、室内でがっつり体を動かしていい環境を整えているというのはすごいですね!潮田さんコロナ禍であまり自由に外に出られなくなって、体を動かす機会も制限されてしまったので、「じゃあ家の中で思いきり遊べるように」とパパが屋上テラスにブランコや鉄棒を設置してくれたんです。それが始まりかもしれません。とにかく家の中で遊べるように工夫したので、今ではいつでもどこでも運動が始まる感じですね。ーーおかげでお子さんたちの体力もついてきていると思いますか?潮田さん思います、本当に思います。子どもはもちろんテレビを見たりゲームをしたりもしますが、ちょっとした隙間時間に「この動きを何回できるか挑戦しよう」と誘ってみたりもしています。先日はタオルをまるめてボールに見立て、リフティング競争をしました。増嶋さん競わせると意外と本気でやる。娘も器用なので、二人で互角に競い合っています。ーー二人とも負けず嫌い?潮田さんそうですね。みれいは私の小さい頃を見ているようで、要領が良くて負けず嫌いです(笑)。りゅうせいはシャイだけど頑張り屋で本番に強いですね。去年、市のちびっこ相撲にりゅうせいがエントリーして、一回戦の試合前まで「やっぱり出たくない」と泣いていたのに、初戦で勝ったら楽しかったらしくて、気づいたら優勝していました。今年も連覇して、我が家の横綱と呼んでいます(笑)。ーーラグビーにドッジボール、野球や相撲と、いろんなスポーツに挑戦しているんですね。潮田さん私たちはそれぞれ、サッカーとバドミントン1本で、それはそれでもちろんいいのですが、他のスポーツをやることによっていろんな筋肉を使えるようになりますし、豊かな発想が生まれると思うんです。プロになってほしいというよりは、スポーツに打ち込むことを通じてそこでいろんなことを学んでほしい気持ちが強いので、本当にいろいろ挑戦させていますね。増嶋さんどのスポーツも、親から「これをやりなさい」と強制されると反発したくなってしまうものなので、なるべく子ども自身のタイミングで興味を持ったことをやらせてあげたいと思っています。素敵な衣装が盛りだくさん!ここからはファッションショーの様子をお届け!2023年度の七五三向け新作衣装のデザインテーマは「ライラック」。「思い出」「友情」の花言葉を持つライラックは、お子さまの成長を祈願するハレの日にぴったり! 和装3着、洋装6着、ご両親用の訪問着・着流し2着の計11着の新作衣装が全国のスタジオアリスに導入されているので、和装も洋装も大人も子どももみんなお揃いでリンクコーデができちゃいます。スタジオアリスのオリジナルブランド「京都豊匠」の着物シリーズ。伝統技法を守り古典柄をあしらいながら、今のお子さんたちに人気の色を用意しています。ニコニコ笑顔でウォーキングするキッズモデルたちに思わずこちらもにっこり。メジャーリーグで話題の「兜」も登場! キリリとかっこいいです!みんな大好きなポケモンコラボの着物! 和柄の中にポケモンたちが隠れていて、赤ちゃん用の着ぐるみ衣装なども用意されているそうですよ。ピカチュウもやってきて会場の熱気はどんどんヒートアップです。©Pokémon. ©NintendoCreatures Inc.GAME FREAK inc.可憐なディズニープリンセスもお目見え! 「塔の上のラプンツェル」と「美女と野獣」のドレスは髪型も完コピで、映画から飛び出してきたかのような美しさ。和装ver.はパスカルがデザインされた紫と黄色の着物と、「美女と野獣」の着物(七五三のお出かけレンタル限定)。みんな上品なプリンセスの風格が漂っていました。ⓒ Disneyディック・ブルーナのイラストがキュートな和装。ブルーナカラーを基調に、ミッフィーのイラストもあしらわれてとっても可愛いです。被布はなんとうさみみフードつき!©Mercis bv(取材・文=マイナビ子育て編集部)
2023年10月12日最長40分睡眠が、産後約2年続いたーー娘さんの育児で、最初の試練はどんなことでしたか?森理世(以下、森)ショートスリーパーなことですね。長くても40分しか寝ませんでした。泣きながら目を覚ますのですが、お兄ちゃんは学校があるし、夫は朝早くから仕事に行くので、「彼らの邪魔をしたくない」と、とても神経質になり、私は泣き声が聞こえたらすぐに抱きかかえて別室に移動し、あやしていました。ーーということは、森さんご自身も最長でも40分のこまぎれ睡眠だったんですね。森そうなんです。まとまって寝てくれるようになったのは、本当にここ最近のことです。ーー約2年間、想像を絶する睡眠不足生活でしたよね。森ママ友に話を聞くと「うちは夜寝たら朝8時まで起きないよ」というご家庭もあり、「こんなことになっているの、うちだけなのかな……」と、すごくショックを受けたこともありました。そんなときに、出会ってしまったんですよね、添い乳の存在に。ーー(笑)寝ながら授乳ができるのは、本当に楽ですよね。森そう!40分間隔で起きて、上半身を起こして授乳するのがしんどくて、あるとき「おや?自分も横になりながら授乳できるぞ?なんなのこの最高な体勢は!」と気づきまして。ただ、添い乳には「おっぱいを吸っていないと寝ない子になってしまう。癖がついてしまう」という声もありますよね。アメリカでは特に、赤ちゃんのうちから別室で寝かせるの主流ですし、添い乳は一般的ではありません。それに添い乳は危険な部分もあるので私も気をつけながらおこなってはいましたが、小児科で「どんなふうに寝ていますか?」と聞かれるのがプレッシャーで。ーー親子一緒に寝ていると、小児科で指導をされる?森そうですね、「ああ、オッケー。そろそろ別室で寝かせる訓練をしましょうか」と言われる程度でしたが……。それで別室で寝かせるチャレンジをしても、やっぱり泣いて起きてしまうんです。泣いても我慢して放っておけば自力で寝られるようになる、といいますけど、この子は絶対に一人では寝なかった(苦笑)。いつまでも泣き続けて翌朝には声が枯れてしまうほどなので、そんな姿を見ていたらたまらなくなって。ある程度は我慢してチャレンジを続けましたが、別室で寝かせることができないまま、結局いまでも夫婦の寝室で川の字で寝ています。ザ・日本式です(笑)。「動画は見せない!」と理想を持って挑んだけどーーもうすぐ2歳になりますが、お子さんを見ていて心を動かされるのは、どんな瞬間ですか?森少しずつ成長しているんだなと気づかされる瞬間は、胸が熱くなります。私はいま、スタジオでバレエやダンスを教えていますが、その時間は娘も同じスタジオですごしているんですね。私自身が幼少期から母のスタジオにいたように。あるとき娘が、お姉さんたちが踊っている姿を毎日間近で見ているからか、教えていないのに真似して踊っていたんです。昨日は、レッスンの最後にみなさんでお辞儀をするとき、一緒にお辞儀をしていました。ーーとてもかわいいですね! ずっとスタジオで待っていてくれるなんてすごくないですか。森ずっとおとなしくしているわけではなくて、YouTubeを見せちゃうことももちろんありますよ。私、出産前は「お砂糖は絶対あげない。動画は見せない、絵本で育てる!」なんて思っていましたが、そんなことは不可能でしたね(笑)。頻繁にアメリカと日本を行き来して、一緒に飛行機に乗っていますが、搭乗直後はステッカーブックで遊んだり、恐竜の絵本を見せて。でも一番役立つのはタブレットなんですよね。なんとかシールや絵本で繋いで、「もうムリ……!」と思ったら、お世話になっています。両立の難しさを痛感するも「夢を持って進みたい」ーーすごくよくわかります。最初は理想があるんですよね。森私自身がタブレットを使う動画やゲームなんてない幼少期を送ってきましたし、目にもよくないことがわかるから、なるべく控えたいと思ってしまいますよね。でも一度見せてしまえば、もっともっと、と欲しがるようになる面白さがあるのもわかります。だから産む前は、「最初から見せなければいいんだ」と意気込んでいたんです。お砂糖も同じです。アメリカでは甘いスムージーを飲む人が大勢いて、お兄ちゃんもよく飲んでいます。やっぱり美味しいから子どもは求めるんですよね。これも「最初から味を知らなければいいんだ」と排除しようとしても、やはり避けて通れないんだなと気が付きました。生活やTPOに合わせて徐々に解禁することで、自らに課していた肩の荷を降ろすことは、自分にとってなにより健康的だと思っています。ーー最後に、森さんの今後の目標を教えてください。森私の母は、私と弟の2人を育てながら自分のダンススクールを大きくしていきました。バリバリ踊って、バリバリ働いていたけれど、私たち子どもがないがしろにされていると感じたこともありませんでした。そんな母の背中を見て育ったので、育児と仕事の両立は決して不可能なことではない、と思っていました。が、いざ自分が同じ立場になると、ままならないことだらけなんですよね。周りの協力や、自分の精神力と体力がないと、両立は難しいと痛感しています。でも、やっぱり母親が夢を持って進んでいくことは、子どもにとって何よりのいいお手本になると思っています。子どもとの時間を大切に、自分の人生もしっかり見つめていけたらいいなと思っています。森理世さん/モデル、ダンス アーティスティック・ディレクター1986年12月24日生まれ、静岡県出身。4歳からジャズダンスを始め、高校生のときに留学先のカナダでバレエ学校に入学し、ハイスクールと両立して卒業。2007年、ミス・ユニバースジャパンとしてメキシコで開催されたMISS UNIVERSE 2007世界大会へ出場。満場一致の得票で優勝。第56代MISS UNIVERSEに就任した。現在はチャリティ活動、モデル活動を継続する一方、母とともに「I.R.M.ダンスアカデミー」で講師を務める。2021年にアメリカで第一子を出産。(取材・文:有山千春撮影:天田輔)
2023年10月08日しぼり出した10mlの母乳をこぼし「絶望」森理世(以下、森)コロナ禍でしたが、分娩には夫も立ち会うことができました。分娩室に入ってからは、無痛分娩の麻酔が入って久しぶりにリラックスできた時間でしたが、驚いたことに、無事赤ちゃんを出産したと同時に妊娠6週目から産む直前までずっと続いていたつわりの吐き気が消えました!ーー産後の心身の調子はいかがでしたか?アメリカは産後2日ほどで病院から帰宅を促されますよね。森理世(以下、森)私も産後2日目に帰宅しましたが、無痛分娩だったからか体はとても元気な一方、その日は雨が降っていて「新生児が雨に濡れてしまったらどうしよう!」と心配するところからスタートしましたね。日本では病院で教えてもらってから退院ですが、私は沐浴の仕方やおむつの替え方など、わからないことがたくさんあるまま退院したのでてんやわんやでした。コロナ禍だったので母親学級もなく、助産師さんに「YouTubeを見ておいてね!」と言われましたね。ーー自分で動画を見てなんとかしてね、と。森そうなんです。アメリカって育児に限らずわりとなんでも「動画でチェックしておいて」で済ませるところがあります(笑)。生まれて2日以内に小児科に予約を取って赤ちゃんの健診に連れていかなければなりませんし、無痛分娩だったとはいえ、なかなか削られました。女性ホルモンの影響や睡眠不足、そして私は母乳の出が悪かったことが重なり、日に日に心がしんどくなっていって……。特に、母乳については本当に大変でしたね。頻回授乳しているのですが、足りなくてお腹が空くのか娘はとにかくよく泣いていました。遠方まで車を走らせて、大きな病院で診てもらったこともあります。ーー授乳の苦労があったのですね。森なかなか軌道にのらなかったんですね。搾乳もしていたのですが、がんばってやっとのことでしぼり出した10mlの母乳をこぼしてしまったときは……もうね、絶望感がいっぱいになって泣いてしまったほどです。そういったことが重なり、産後1ヶ月間、手伝いにきてくれていた義理の母が帰ったあと、限界が来てしまったんです。夕日を見つめ、涙を流して「怖くて、悲しくて」森10月に出産してから約1ヶ月。カリフォルニアの秋は日が沈むのが早くて、5時くらいには外が暗くなります。夕日を見ているとすごく寂しくて、怖くて、涙が流れてしまって……。そのときは日本にもう2年間ほど帰っていないし、夫も息子もいるけれど日中「初めての育児」に向き合うのは自分だし、ひとりぼっちの孤独を感じました。「日本の家族がいてくれたら……。私はいつ帰れるんだろう」と思うと、悲しくなってしまったんです。ーー抑うつ症状が出ていたんですね。森後になって思えば、そうなんです。お風呂に入ることさえ面倒になっていたほどでした。この胸が詰まるような気持ちを誰に言えばいいんだろうと、うつうつとしながら、病院へ子どもの健診に行きました。森母親用のアンケートがあって何気なく回答を記入したのですが、その結果を見て小児科の先生が「Are you ok?」と一言、聞いてくださいました。それは産後うつに関するアンケートだったんですね。私はいつも、心配されても「大丈夫」と言っていたけれど、そのとき初めて「私は大丈夫じゃありません」と号泣しました。泣きながら、ああ、私は産後うつだったのか、とわかったんです。先生の「Are you ok?」というセリフが、深く胸に響きましたね。ーー小児科の先生が、母親も見てくれるんですね。森そうなんです。母親が心身ともに健康でないと、子どもに影響があるからでしょうか。だから、ママがハッピーかどうかをすごく聞いてくれるんです。「なんでそんな抱き方をするの!?」些細なことが気になった時期ーー産後、パートナーとの接し方は変わりましたか。森今はそんなことはないのですが、当時の私は、彼が赤ちゃんと接することについて、すごく心配性になっていました。たとえば、彼がしたことに対して「なんでそんな抱き方をしているの!?」「こんなにキツくおむつを止めたら、息ができないかもしれない!」などとすぐに怒ってしまい、結局いつも「私が全部やりたい!」となってしまって。そんなふうに一時期、私が些細なことで傷ついたり怒ったり、いろんなことに敏感になっていたので、彼はなるべく触れないように静かにしていました(苦笑)。ーー息子さんはいかがでしたか?森妹ができたことをすごく喜んでくれました! 「僕はお世話できるぜ!」という姿を見せたくて抱っこをしてくれるんですが、やっぱり私は怖くて(笑)。でも、パパには怒れるけど彼には怒れない。だから、落っことさないように手を添えて常に追いかけていましたね(笑)。少し経ってようやく客観的になれたころ、「このときの私、ちょっと大変だったな」と気付くことができました。ーーそう思えるようになってからは、生活に変化はありましたか?森同じタイミングで、運動が解禁になって、今まで通りの生活に戻ることへのOKが出たので、バレエのレッスンを再開しました。体を動かしはじめて、家族以外の外で会う人に「Hello!」と声をかけてもらって……うつ状態から徐々に脱し、元気なっていきました。そうすると、それまで食欲も落ちていたのに、美味しいものを食べて「美味しい」と言えるようになり、それだけでなんてありがたいんだろうと実感しましたね。森理世さん/モデル、ダンス アーティスティック・ディレクター1986年12月24日生まれ、静岡県出身。4歳からジャズダンスを始め、高校生のときに留学先のカナダでバレエ学校に入学し、ハイスクールと両立して卒業。2007年、ミス・ユニバースジャパンとしてメキシコで開催されたMISS UNIVERSE 2007世界大会へ出場。満場一致の得票で優勝。第56代MISS UNIVERSEに就任した。現在はチャリティ活動、モデル活動を継続する一方、母とともに「I.R.M.ダンスアカデミー」で講師を務める。2021年にアメリカで第一子を出産。(取材・文:有山千春撮影:天田輔)
2023年10月08日