京都府在住、愛媛県出身。三人兄弟(母親違いの兄二人)の末っ子長女。大学院在学中に鬱を経験し、その後理学博士を取得して憧れの研究者の道に進むが、常につきまとう人間としての自信のなさと「いつかまた鬱になるのではないか」という不安を払拭したくて、心屋仁之助氏が主宰する心屋塾の門を叩く。
「現実(問題)は全て自分が創り出している」「問題は自分を知るためのヒント」など、心屋流の考え方を学んでいくうちに、「自分も幸せになっていい」と自分に許可が出せるように。自分で自分を認めていくことで、がんばる人生ではなく、楽しく幸せな毎日を選べるようになり、人生を自分で歩いている感覚が戻る。
自分の人生を楽しめる人をひとりでも多く増やしたいと、2013年より心理カウンセラーに転身。同年心屋塾の認定講師に。温和で親しみやすいキャラクターながら、生き辛さの根っこを捉え、「こころの仕組み」を伝える論理的なカウンセリングを得意とする。既婚、お笑い好き、ひとり息子との死別経験あり。
メディアで話題の心理カウンセラー、心屋仁之助さんとその一門があなたの相談に答える「凍えたココロが ほっこり温まる、心屋仁之助 塾」。今回は、「他人に迷惑しかかけていない人生。自分に価値がないと感じてしまう」という、かなさん(25歳・フリーター)に、心屋塾上級認定講師のはしぐちのりこさんからアドバイスをいただきました。 ■かなさんのお悩み 私は親の期待を裏切り、実家でフリーターをしています。 よくしていただいた会社も、二度裏切るような形で退職しました。他人に迷惑しかかけていない人生です。 子どもの頃の家族の言動や兄の友人から受けたいじめが原因なのか、自分に対する無価値観がぬぐえません。「生きていくだけで迷惑をかけ続ける存在」だと思ってしまいます。 私はどうすれば変われるのでしょうか。 ※一部、質問内容を編集しています。 ■心屋塾上級認定講師のはしぐちのりこさんより かなさん、ご質問ありがとうございます。 「私はどうすれば変われるのでしょうか」という文章でご相談がしめくくられています。つまり今、かなさんは「こんな自分はいけない」と思っているのですね。 でも、私はこの文面を何度読んでも、かなさんが「いけない人」だとはまったく思いませんでした。むしろ自分に正直に生きている方だなと感じました。 もちろん、かなさんご自身が苦しんでいらっしゃる様子はよく伝わってきました。「こんな自分はダメ、あんな自分はダメ」と自分を否定してしまう。かなさんの中にある“理想の自分”と“現実の自分”が大きく隔たっているので、苦しさを感じてしまうのでしょう。 「どうすれば変われるのでしょうか」という問いかけは、つまるところ「どうすれば理想の自分になれますか?」ということになるかと思います。 結論を先に申し上げますね。かなさんは変わる必要はありません。ただ、気づいていただきたいことがいくつかあります。 かなさんはご自身のことを「生きていくだけで迷惑をかけ続ける存在」と書いています。 でも、ぜひ考えてみてください。「ただ生きていく」という純粋な行為だけを考えてみても、人に迷惑をかけずに生きられる人はいません。 どんな人も家族や周囲の人、赤の他人にも、多かれ少なかれ迷惑をかけながら生きています。食事だって、誰かが育ててくれた作物をいただいています。排泄(はいせつ)だって、誰かが水の処理をしてくれているから問題なく清潔に行えているのです。 誰の手も借りず、迷惑もかけず、ひとりですべてをこなしながら生きていくのは、この現代社会で不可能です。むしろ、そのように人に迷惑をかけながら生きていくのが、人間らしい生き方ではないでしょうか。 こう書くと、かなさんは「いやいや、私は迷惑をかけているだけで、誰の役にも立っていない」とおっしゃるかもしれません。でも「迷惑をかける」ことは、同時に誰かの役に立っていることも多くあります。 例えば、誰かが育ててくれた作物をいただくことにしても、作物を育てた方にとっては「収入」や「自分が作った野菜や果物を消費してくれた喜び」につながってもいます。 人が生きていくことは、それだけで誰かに迷惑がかかっているし、役にも立っています。一方的に誰かに迷惑をかけるだけの人、誰かの役に立っているだけの人というのは、この世の中にいないのです。 「そうか、私、生きているだけでいいんだ」 「そうか、私、生きているだけで役に立っているんだ」 ぜひ上記の言葉を、口に出してつぶやいてみてください。かなさんはなにも変わらなくていいし、変わる必要はありません。 かなさんは「役に立つ」イコール「親や周りが期待するような人でなければいけない」と感じているのかもしれませんね。ご相談にも「裏切る」という言葉が二度出てきました。でも、そうできないことは、本当に「裏切り」なのでしょうか。 誰かの期待するような人になりたいけれどできない、そんな自分に従った結果、退職してフリーターという立場になりました。その選択は、なによりもご自身にとって正直な選択だったのではないでしょうか。 もしそうなのであれば、「周囲のの期待どおりにできない自分」をどうか認めてあげてください。自分は親や周りが期待するような人間ではないし、そうなろうとすることもあきらめてしまいましょう。自分を偽って、できる自分になろうとしない。それは苦しいだけです。 今のままの自分を認めて、「楽しいと思えること」「やりたいと思うこと」を大切にして生きていくほうが、よっぽど正直で素直な生き方です。 子どもの頃の経験は、とてもつらかっただろうと思います。怖かったでしょうし、長年しんどかっただろうと思います。 たまたま、かなさんはそんな目にあって、誰かの気持ちのはけ口にされてしまいました。でも、かなさんに価値がないからそんな目にあった…というわけではありません。「あんな経験をしたから、自分は価値がないんだ」と思ってしまったのであれば、それは後づけです。 かなさんは価値のある人です。ほかの皆と同じく、生きているだけで、すでに誰かの役に立っているし、迷惑もかけています。そうだとするならば、どんな人生を歩んでいきたいですか? 自分のために、どんなことをしてみたいですか? 小さなことでも大きいことでもいいので、ぜひ考えてみてください。そして、それをできるところから実行していく勇気も、ぜひ持ってみてください。 かなさんのこれからを応援しています。 ・このカウンセラーのブログ (編集/外山ゆひら)
2018年10月11日メディアで話題の心理カウンセラー、心屋仁之助さんとその一門があなたの相談に答える「凍えたココロが ほっこり温まる、心屋仁之助 塾」。今回は、「過去の失敗や嫌な出来事を思い出しては、落ち込んでしまう」という、かえさん(33歳・専業主婦)に、心屋塾認定講師のはしぐちのりこさんからアドバイスをいただきました。 ■かえさんのお悩み 過去の失敗や嫌な経験がずっと忘れられず、思い出したり夢に見たりしては落ち込んでしまいます。 例えば、高校の部活でのこと。同級生からうまくないとバカにされたり、自分だけ試合に出られないことがつらかったりで、途中で辞めてしまいました。「下手な自分が悪い、同級生も悪気があったわけではない」と思おうとしますが、退部後は無視され、たまにその事を思い出しては頭から離れなくなり、苦しいです。 以前、勤めていた保育園で、先輩保育士に保護者の目の前で怒られたり、主任に皆の前でバカにされたりしたこともよく夢に見ます。精神的につらくなり体を壊し、入院を理由に2年で辞めてしまいました。 どちらも自分の性格の弱さが原因だと思います。自分にも悪いところがあるし、人のせいにして自分の弱さの言い訳にしているような気もします。 相手への腹立たしさと、自分への情けなさがずっと混在して、一度ネガティブな気持ちになるとなかなか抜け出せず、家族に嫌な態度を取ってしまうことも。この気持ちをどう処理すればいいのか分からず、困っています。 ※一部、質問内容を編集しています。 ■心屋塾認定講師のはしぐちのりこさんより かえさん、ご相談ありがとうございます。 忘れてしまいたい経験や失敗は、誰にでもあるもの。私自身もたくさんの失敗をしてきましたし、忘れてしまいたい過去もあります。 嫌な思い出は時間とともに薄れていくことが多いですが、かえさんのように繰り返し思い出すことで強烈な印象となり、そこから気持ちが離れられなくなる方も少なくありません。夢にまで出てくるとのこと、かえさんの日常のかなりの部分を支配してしまっているとお見受けしました。 まずは、ちゃんと怒りましょう。人前でバカにされるというのは屈辱的ですし、つらい時間でしかなかっただろうと思います。相手を腹立たしく思うのも当然です。 怒りが出てくるのは、かえさんが自分自身を「大切な存在」だと思えている証。たとえ仕事やスポーツが上手にできなかったとしても、露骨にバカにされたり、人前で怒られたりしていい理由にはなりません。 時間が過ぎた今、当時の気持ちを相手にぶつけることはできませんが、感情は「ぶつける」ものではなく「出す」ものと考えてみてください。自分がこんなに怒っているのだということをきちんと感じて、自分の体の外に、言葉として出してみましょう。 具体的には、「あのとき相手に言いたかったこと」を声に出してみる。クッションなどを相手に見立てながらが、そこに向かって言うのがおすすめです。実際にやってみると、かえさんの心の中で、感じ方が少し変わってくると思います。 感情は「きちんと感じてあげること」が大切。それをしなければ、いつまでもおなかの底にたまり続けてしまいます。 かえさんのように「私にも悪いところがあるから」「私が弱いから」と理由をつけて収めようとしていると、怒りをきちんと感じられません。結果、もやもやとした気持ちが残り続け、脳内リフレインが起こってしまう。いつまでも引きずってしまうことになるのですね。 また、視点を「今」に向けてみることも大切です。 過去につらい経験があったとしても、その経験を使って今の自分をいじめているのは、同級生でも主任でもない、かえさんご自身。まずはそのことに気づいていただきたいのです。 心は時間の区別がつきません。頭の中で過去の経験を反すうしていれば、あたかも現実に今起こっているように感じてしまいます。 しかも思い出しながら、自分で自分にナイフをブスブスと刺すように、「こんな自分ではダメだ」と今も自分を責め続けている。かえさん自身が自分で自分を嫌な気持ちにさせてしまっているのです。 ひとつの可能性ですが、かえさんの心の中に「バカにされる人間はダメだ」「これからも自分はバカにされる」といった思いはありませんか? 心の中にその前提がある限り、”自分責め”は止まりません。 これまで、バカにされた経験はあったかもしれない。でも、かえさんはバカにされる人間ではないのです。 かえさんは嫌な目にあった際、相手への腹立たしさもしっかり感じておられました。それはつまり「私は本当はそんな人間じゃない!」と知っているということ。自分をしっかり守ろうとした証拠です。 だから私は、かえさんのことを弱いだけの方だとは思いません。弱いところもあれば、強いところもある。そんな方ではないでしょうか。 「私の性格の弱さが原因」とも書かれていますが、もしご自身のことを弱いと感じているのであれば、弱いからこそ「どうせ私は助けてもらえる人間だ」というセルフイメージに書き換えてみませんか。この言葉を繰り返しつぶやき、自分は”助けてもらえる人間”という前提で、日常を過ごしてみてください。 また、ネガティブな気持ちにさいなまれたときは、「これは自分でやってるだけなんだ」「これは自分で止められるんだ」と言い聞かせ、意識的にネガティブな気持ちのループを切る練習をしましょう。 自分に向けたナイフを手放し、弱さに逃げず、その弱さを逆に利用するように生きてみてください。きっとあなたを助けてくれる存在や、今まで気づかなかったことが見えてくると思います。応援しています。 ・このカウンセラーのブログ (編集山ゆひら)
2018年08月30日メディアで話題の心理カウンセラー、心屋仁之助さんとその一門があなたの相談に答える「凍えたココロが ほっこり温まる、心屋仁之助 塾」。今回は、「自立しない娘に悩んでいます」という、小雪さん(46歳・製造業)に、心屋塾上級認定講師のはしぐちのりこさんからアドバイスをいただきました。 ■小雪さんのお悩み 16歳になる娘がいます。幼稚園の頃から不登校が続き、通信制高校に入ったものの高1の12月に退学。今は毎日ゲーム三昧で、人と関わらず家にひきこもり、昼間は寝て夜遅くまで起きています。 自分に自信もなく、何事にも無気力・無関心な日々を送っています。私が誉めると「そんなに誉めないで。自分はダメな人間だから」と言います。私は娘を自立させたい気持ちがあり、どのような声かけと接し方をすればいいのかわからず困っています。 ※一部、質問内容を編集しています。 ■心屋塾上級認定講師のはしぐちのりこさんより 小雪さん、ご相談ありがとうございます。はしぐちのりこと申します。 娘さんが無気力・無関心で昼夜逆転気味の日々。幼稚園の頃から不登校ということで、小雪さんも長くその生活を見守ってこられたのですね。これからのことを考えると心配でしかない、親としての小雪さんのお気持ちは当然かと思います。 ですが人間、やりたくないことはやりません。不登校も、ゲーム三昧も、他人とかかわらないことも、家にひきこもることも、昼に寝て夜遅くまで起きていることも、娘さん本人がやりたくてやっています。ならば飽きるまで、やらせてあげてみませんか? 小雪さんは「自立させたい気持ちがあり」と書いていらっしゃいますが、それは「今の状況ではダメだ」と思っていらっしゃる…ということ。娘さんが今やっている「やりたいこと」をやめさせて、「やりたくないこと=自立」をさせようとしているわけです。 つまり、いま目の前にいる娘さんを”肯定”しているのではなく、”否定”しているということになります。 それに呼応するかのように、娘さんはこうおっしゃっていますね。「そんなに褒めないで。私はダメな人間だから」。 自分はダメ人間だと否定しながら毎日を過ごしている娘さんは、おそらく、とてつもないしんどさの中にいらっしゃるのでしょう。それを見ている小雪さんも、お辛いと思います。 でもね、小雪さん。気づいていただきたいことがあります。「否定する人間」と「否定される人間」はセットです。「否定する人間」がいなければ、「否定される人間」は生まれないのです。 実は不登校やひきこもりの問題は、それをしている本人の問題ではありません。それを問題にしている側、今回の場合であれば、小雪さんにとっての問題なのです。「これはなんとかしなければ!」と問題視すればするほど、目の前の人物は、問題のある人物になっていきます。 ですので、まずはこのことを”小雪さんご自身の問題”として捉え直してみてください。 いつまでも自立せず、ひきこもっている娘さんを見て、小雪さんはどんな気持ちになっていますか? 自分を否定しながら生きている娘さんを見て、小雪さんはどんな気持ちがしますか? どうして、娘さんを自立させたいのでしょうか? もしかしたら、「子育てに失敗した母親」と思われたくないのかもしれません。自分を否定しながら生きている娘さんを目の前にして、「お母さんのせいだ」と言われている気がしているのかもしれません。娘を助けられない自分に、無力感を感じてしまっているのかもしれません。 自分自身が何を恐れているのか、何を我慢しているのか――。それを見つけ、癒やしていくことが解決の鍵になります。 「声かけ」はそれに合わせ、娘さんに向けてではなく、小雪さんご自身に向けて行っていく必要があります。 「子育て失敗でもいい」 「娘を助けられないダメ母でもいい」 「私みたいに自分を否定しながら生きる子でもいい」 そんな言葉かもしれませんし、もっと違う言葉かもしれません。本当の自分の気持ちを見つけて解放していった先に、目の前の問題が変化していきますよ。 目の前の人物は、”自分自身”を見せてくれています。もし「自分はダメ人間だから」と娘さんが言ってきたら「そうなんだ、あなたはそう思っているんだね」と、今の娘さんとその状況を丸ごと認めてあげてください。その言葉は、小雪さんが小雪さん自身に向かって言っていると捉えてみてください。 娘さんをなんとかしようとするのではなく、ご自身が何を思っているのか、何を禁止し、何を否定し、何を制限しているのか…に向き合うことに、ぜひチャレンジしてみてくださいね。 ありがとうございました。 ・このカウンセラーのブログ (編集/外山ゆひら)
2018年07月05日メディアで話題の心理カウンセラー、心屋仁之助さんとその一門があなたの相談に答える「凍えたココロが ほっこり温まる、心屋仁之助 塾」。今回は、「主人や子どもの悪口を言ってしまう自分が嫌です」という、みーさん(37歳・主婦)に、心屋塾上級認定講師のはしぐちのりこさんからアドバイスをいただきました。 ■みーさんのお悩み 友人の前で、主人や子どもの悪口を言ってしまうことに悩んでいます。主人や子どもたちは私にとっては味方なのに、言ってしまう自分が嫌で嫌で、自分を責めてしまいます。友人に会う前は「絶対に悪口は言ってはいけない」と思って行くのですが、会うとついつい言ってしまう自分が嫌です。どうしたら家族の悪口を言わなくなりますか? ※一部、質問内容を編集しています。 ■心屋塾上級認定講師のはしぐちのりこさんより みーさん、ご相談ありがとうございます。はしぐちのりこと申します。 言いたくないのに、ついつい口に出てしまう家族の悪口。無意識に言ってしまい、あとで後悔の気持ちが出てしまうようですね。「主人や子どもたちは私にとっては味方なのに」という文章からも、みーさんがご家族を大切に思っておられる様子が伝わってきました。 悪口を言うことは一見「いけないこと」のように思えるかもしれません。しかし人間は、必要のない行動はしないもの。悪口を言うことで、みーさんの心の中のバランスを図っているのです。 みーさんは一体、何とのバランスを取ろうとしているのか。どんな点に気づけば、悪口を言わなくて済むようになるのか。その答えは、みーさんご自身の状況によって少し変わってくるかと思います。一緒にひも解いていきましょうね。 まず最初に、2点確認していただきたいことがあります。 ・ご友人と一緒にいるとき、どんなシチュエーションで悪口を言ってしまうのでしょうか ・みーさんは、ご家族やお子さんに対して不満をお持ちでしょうか 例えば、友人たちが自身の家族の悪口や不満を言い始め、なんとなく盛り上がってしまうとき。仲の良い友人間だと、そういうシチュエーションもありますよね。 それほど家族に大きな不満をもっているわけではないけれど、ついつい同調するように「わかるよー、私もね…」と悪口を言い出してしまうのであれば、それは一種の「共感」に近い形です。相手の気持ちに寄り添うための、自身の経験を例としておっしゃっているだけなので、さほど問題ではありません。 それほど不満があるわけではないのに「私もこの話に乗らないとダメかな…」といたたまれない気持ちから悪口を言ってしまうのだとしたら、みーさんの中に「皆と同じでなければ嫌われる」という怖れがあったり、「不満のない幸せな家族であること」への罪悪感をもっていたりするのかもしれません。 これは自分の不幸さを持ち出すことで、人とつながろうとする行為です。安心感を得たくてついやってしまうことが多いので、まずはご自分の中にある「寂しさ」に気づいていただきたいなと思います。 そうではなく、自分から口火を切るように家族の悪口を言ってしまう場合。「悪口を言ってはいけない」と思う前に、家族に対して言わずにはいられないほどの不満を感じていることを、まずは素直に認めてみましょう。 一緒に生活していれば、多少の不満や気持ちのずれが出てくるのは当たり前。「家族に不満をもっている自分はいけない」と思う必要はまったくないのです。むしろその不満は、みーさんの中にある”不要な思い込み”に気づくためのお知らせです。これについては後でご説明しますね。 「主人や子どもたちは私にとっては味方なのに」という記述を見る限り、みーさんご自身はご家族に受け入れられているのに、自分だけがご家族に不満を持っているように感じているのかもしれません。 そうだとすれば、自分だけが家族にネガティブな感情を持っている=「自分だけが家族の味方になれていないこと」が、情けないような申し訳ないような、自分を責める気持ちにもつながり、余計にみーさんを苦しくさせていると思います。 ここで気づいていただきたいのは、みーさんは家族の味方になる前に、ご自身の味方にもなっていない、という点。つい家族の悪口を言ってしまう、不満を持ってしまう自分を「ダメだ」と罰していますよね。どんな気持ちが湧いてきたとしても、ご自分の素直な気持ちを受け入れ、自分の味方になってあげてください。 「家族の悪口を言ってもいい」 「家族に不満をもってもいい」 「こんな私がいてもいい」 声に出して、こんなふうにつぶやいてみましょう。ざわざわするかもしれませんが、今の自分をまずは十分に許可してあげてください。人の味方になれるのは、たとえ家族であっても、その後の話です。 次に、その悪口や不満から、みーさんの中にどんな思い込みがあるのかを見てあげてほしいのです。みーさんの口から実際に出た悪口を、紙に書き出してみてください。「あいつのこういうところが気に入らない」「◯◯しないのはおかしい」「もっと◯◯すべき」こんな形で書いてみましょう。 書き出せたら、それらを最初から読んでみましょう。これらは実は、今まで自分に投げかけてきた言葉ではありませんか? みーさんはこれまで、ご自身に「◯◯してはいけない」「◯◯なところがあってはいけない」と、厳しく接してきてはいませんか? 人に言いたいことは、実は自分に言いたいことです。自分に課してきた「こうするべき、ああするべき」というルールを目の前の人が破っていると、人はイライラし、不満を抱いてしまいやすいです。 もし心当たりがあるならば、そのルールが今のみーさんにとっても必要なのか、見直してみましょう。昔は必要だったルールも、大人になった今は案外、必要なくなっていることもあります。必要のないものはどんどん手放し、自分への縛りをゆるめていくことで、自分も人も許せるようになっていきますし、目の前の不満も減っていきます。 今のご自分を否定するのではなく、ぜひご自身の中にあるルールと向き合ってみてください。これを繰り返しながら、みーさんが悪口を持ち出さなくても済むような、心穏やかな日常を過ごせるようになることを願っています。ご精読、ありがとうございました。 ・このカウンセラーのブログ (編集/外山ゆひら)
2018年05月10日メディアで話題の心理カウンセラー、心屋仁之助さんとその一門があなたの相談に答える「凍えたココロが ほっこり温まる、心屋仁之助 塾」。今回は、「すぐにイライラし、周りの人が敵に見えてしまう」という、さちさん(25歳・フリーター)に、心屋塾認定講師のはしぐちのりこさんからアドバイスをいただきました。 ■さちさんのお悩み 最近自分でも「どうしたんだろう」と思うほどイライラしてしまいます。イライラで終われば良いのですが、周りが全員“敵”に思え、人を見下して怨んでしまいます。 通りがかった人と目が合ってもイライラして舌打ちしたり、この前は職場でひとりになった時、外にまで聞こえる勢いで、さんざん文句を叫んでしまいました。 そんなことをした後には、こんな自分が嫌で嫌悪感で泣いてしまいます。どうしていいかわからず泣いてしまいます。傷つけたくなかった人を傷つける自分がとにかく悲しいです。 ■心屋塾認定講師のはしぐちのりこさんより さちさん、ご相談ありがとうございます。はしぐちのりこと申します。 さちさんの、非常にしんどそうな様子が伝わってきました。周りが全員敵に見えてしまうというのは、目に入ってくるもの全てが疎ましく、攻撃したくなる存在に見えてしまうということでしょうか。 そうであればいつでもどこでも“臨戦態勢”の状態。気が休まる暇がなく、常にイライラ、神経が緊張しておられるのではないかと思います。少しでもいつものさちさんを取り戻して、安心して過ごせる時間が持てるように、さちさんの心を一緒に紐といていきましょうね。 さちさんにとって、周りの人は具体的に「どんな敵」に見えているのでしょうか。さちさんのことを攻撃してくる人でしょうか? それとも無関心で、自分のことしか考えないような非協力的な人でしょうか? 「人を見下して怨んでしまう」と書かれてありますので、能力の低い、役に立たない人たちに見えているのかもしれませんね。まずは、その敵(周りのひと)に言ってやりたい言葉を、紙に書き出してみてほしいのです。 汚い言葉でOKです。罵詈雑言、普段は口に出して言えないような言葉で書いてみてください。溢れ出てくるままで大丈夫。自分の中からこれ以上言葉が出てこないほど、空っぽになるまで書きましょう。 ひどい言葉、たくさん出てきましたか? 出てきたら今度はひとりになって、その書いたものを口に出して言ってみてください。涙が溢れてきたら、そのまま、流れるままにしましょう。 「こんなこと言ってはダメだ」という気持ちが出てきても、止めないください。そこに書いたことが、正真正銘、「敵」にぶつけたい、あなたの本当の気持ちです。ちゃんと声に出して、あなたのお腹の中にある声を言葉にして全部出してあげてください。 言えましたか? 言いながら嫌な気分になったかもしれません。怒りや恨みが大きくなったかもしれません。その時はもう一度書いた言葉を口にしてみましょう。 人は「こんなこと言ってはいけない」と思うと、その気持ちは「認めろ」と言わんばかりに余計に大きくなっていきます。相手は目の前にいません、安心して口に出してみてください。そして言い尽くした時、さちさんの中で新たな気持ちが湧き上がってくると思います。それを感じてみてください。 その上で、ここで、 「あー、さみしいなぁ」 と言ってみてほしいのです。いかがでしょうか。どんな気分になるでしょうか。 「周りが全員が敵に見える」ということは、「自分の味方は誰もいない」と思っているということ。「自分の気持ちをわかってくれる人は誰もいない」「自分はひとりぼっちだ」「自分はひとりで戦っている」そんな気持ちがさちさんの中に渦巻いていないでしょうか。 周りが自分の気持ちをわかってくれないから、ひとりぼっちになるのだと思うかもしれません。でも実は逆なのです。さちさんが「私はひとりぼっちだ」とどこかで思っているから、周りが敵に見えてしまうのです。 人が孤独感を感じる時、それは「ひとりで頑張り過ぎ」のサインです。さちさん、あなたは本当にひとりぼっちなのでしょうか。ひとりぼっちになるように、誰にも頼らず、ひとりで頑張ってしまってはいませんか? 誰にも迷惑かけないように、一生懸命頑張って、仕事ができるひとになろうとしていませんか? 自分ができる人になればなろうとするほど、周りにはできない人が集まってきます。さちさんが「頼りにならない敵」と思っている人は、実はさちさんを“助ける機会”がないだけなのかもしれません。さちさんがひとりで頑張りすぎることで、その機会が訪れないだけなのかもしれません。 私たちはひとりで頑張ろうとする時、心の中では、必ず自分を叱咤激励しています。その言葉は、最初に書いてもらった「周りのひとに言ってやりたい言葉」と同じだったりします。「こんな私ではダメだ」「もっとできる人間であれ」そんな厳しい言葉を自分に投げかけていたりしていませんか? もしそうであれば、その自分にかけている厳しい言葉をゆるめましょう。そしてひとりで頑張るのをやめてみてください。周りを頼って「助けて」と言ってみましょう。 さちさんが先に手をのばすことで、「自分はひとりではない」と気づくことができれば、周りへの見え方もイライラも変わってきますよ。勇気をもってやってみてくださいね。ありがとうございました。 ・このカウンセラーのブログを見る
2018年03月29日メディアで話題の心理カウンセラー、心屋仁之助さんとその一門があなたの相談に答える「凍えたココロが ほっこり温まる、心屋仁之助 塾」。今回は、「自分の気持ちに蓋をして、笑顔でいることがつらい」という、 迷い羊さん(18歳以下・高校生)に、心屋塾認定講師のはしぐちのりこさんからアドバイスをいただきました。 ■迷い羊さんのお悩み 昔、親にこう言われたことがありました。『お前は男なんだから辛い気持ちを押し殺してでも頑張るんだ』と。今は辛い気持ちを抑えて笑顔で過ごしています。 けどそれが何の意味になるのかと考えることがあるんです。もしかしたら自分がこうして辛い気持ちを我慢しているのも、周りの人はわかっているのかもしれない。我慢しなくてもいいかもしれない。でも、いざ振りまいてる笑顔をやめて本当の自分をさらけだしたら…? それで周りが自分から離れてしまったら? そう思ってしまうんです。素の自分を知ってもらうべきか、仮面を被って笑顔を振りまき続けるか。最近はそのことで勉強も手がつかず、気がつけばポロリと涙が出ることもあります。どうすれば、自分にとっても周りにとっても辛くない結果になるのでしょうか? ■心屋塾認定講師のはしぐちのりこさんより 迷い羊さん、はじめまして。はしぐちのりこと申します。ご相談を読ませていただきました。 長い間、親に言われたことを守り、自分のつらい気持ちを抑えてがんばってこられたのですね。気がつけばポロリと涙が出るほど、そのことで勉強も手につかないほどとのこと。とても苦しそうな様子が伝わってきました。もうそれは迷い羊さんにとっての「限界」であり、「次の選択に進んでいいよ」のサインではないでしょうか。 結論から申し上げますね。どうか素の自分をさらけ出して生きていってください。 「つらい気持ちを押し殺すのをやめて、本当の自分をさらけ出して生きていく」というのは、迷い羊さんにとって、親に背いて生きていくような気がするのかもしれません。男らしくなくなってしまうという恐れもあるのかもしれません。書いてくださっているように周りのひとが自分から離れていくという怖さもあるでしょう。 いままで自分が守っていた均衡を崩して新しい世界で生きるわけですから、たくさんの怖さが出てくるのも当然かと思います。怖いままでいいです。その怖いままで、迷い羊さんには次の一歩を踏み出して頂きたいのです。 迷い羊さんの人生です。親に背いたっていいじゃないですか。親に言われた生き方は、親御さんがそうやって生きてこられたのだと思います。そしてそれがたまたまうまくいったから、迷い羊さんにもそう言っているだけかもしれないのです。 でもそれは親自身の生き方であって、迷い羊さんの生き方の正解ではありません。迷い羊さんご自身も書いておられますよね。「それが何の意味があるのか」もうその言葉が答えです。答えは迷い羊さんの中にすでにあるのです。 いざ振りまいてる笑顔をやめて本当の自分をさらけだしたら? 安心してください。笑顔の迷い羊さんだけが好きだった人は離れていきます。でもそれでいいのです。 笑顔仮面をかぶった自分を好きでいられると、それを裏切れなくなりますから、この先の人生ずっと笑顔仮面でいなくてはいけません。それは自分の感情を押し殺す行為です。 私達の中には、悲しさや怒りといった、いろいろな感情が沸き起こってくるもの。それをまるごとひっくるめて、ひとりの人間です。たとえ一部であっても、感情を押し殺すことは、まるごとの迷い羊さんを殺すことと同じなのです。 ちなみに押し殺された(悲しさや怒りの)感情は、残念ながらなくなることはありません。認めてほしいと迷い羊さんの中でくすぶり続け大きくなって、何かのタイミングで出てきます。その期間が長ければ長いほど、心の底では大きく重たくなり、現実での苦しさは増すだけになってしまうのです。 つらい気持ち、弱いところ、ぜひ見せてください。男性がふと吐く弱音って何よりも魅力的なんですよ。ずっと笑顔でいるひとってなんだか嘘くさいじゃないですか。心からの笑顔ではなく、何かを押し殺して無理している笑顔って、やっぱりバレるもの (そう書いてくださっていましたよね)。 笑顔ばかりのうちは、怒らない、当たり障りのないひとと思われているかもしれません。そうすると、自分の周りにも当たり障りのないひとばかりが集まり、どこか上辺だけのような人間関係になってしまうのです。 笑顔の素敵な迷い羊さんも、弱音を素直に吐ける迷い羊さんも両方出してみましょう。そうすると、その両方を見せてくれる迷い羊さんをまるごと好きだと感じてくれるひとが集まってきます。 それは今までそばにいた人とは違う人かもしれません。でもそうして、一緒に怒ったり、悲しんだり、楽しんだり、喜び合ったり、いろんな気持ちを共有しながら、人間らしい生き方をしてみませんか。 そこには苦しさはありません。ただ気持ちを感じ、感情を共有しながら生きていくことが、自分にとっても相手(周り)にとっても幸せな生き方なのです。 人は、「わかってもらいたい」生き物です。自分の中に沸き起こってくる気持ちをまるごと認めて、感じて、表現して、人間らしく生きてみてください。 まずはその勇気を出すだけ。最初の一歩として、迷い羊さんの中にある辛い気持ちを「辛いんだ」と、そっと差し出して周りに見せてみてください。自分にとっても周りにとっても、今までとは違う方向に人生が回り始めますよ。応援しています。 ・このカウンセラーのブログを見る
2018年02月15日メディアで話題の心理カウンセラー、心屋仁之助さんとその一門があなたの相談に答える「凍えたココロが ほっこり温まる、心屋仁之助 塾」。今回は、「人の行動や考えに流されやすく、自分がありません」という、ゆーきさん(18歳・学生)に、心屋塾認定講師のはしぐちのりこさんからアドバイスをいただきました。 ■ゆーきさんのお悩み 私の悩みはいつも周りを気にしてしまうことです。人のペースや考えにのまれやすく流されやすく、人の目や、人がやってることがとても気になります。ほかの人が褒められたり自分本意に生きていると、自分が取り残されている気がして、焦りと嫉妬で自分のことを冷静に見れなくなってしまいます。 また、仲のいい友人と一緒にいても、友人の良い所をみて嫉妬してしまったり、勝手に競って「負けたくない」と思って弱みを見せず、意地を張っている自分がいます。また、そんなことばかり考えているからか、自分がどうしたいのか、何をやるべきなのかがいつもわからなくなってしまいます。この他人を基準にしてしまう考え方は、どうしたらいいんでしょうか。 ※一部、質問内容を編集しています。 ■心屋塾認定講師のはしぐちのりこさんより ゆーきさん、はじめまして。ご相談ありがとうございます。はしぐちのりこと申します。 いつも周りを気にしてしまい、人の目線や行動がとても気になるとのこと。ゆーきさんの意識はいつも自分以外の誰かに向いてしまうのですね。自分はこの世にひとりだけですが、その他はすべて、自分以外の他人。そんなたくさんの人に対してアンテナを張って、常に意識し続けていらっしゃるのであれば、自分の持っているエネルギーをそちらに使うばかりでとてもしんどいのではないかなと思います。 一方、自分に対して考えるエネルギーは残り少なくなってしまいますから、自分を充分見てあげる余裕もなく、書いてくださっているように、どうしたいのかがわからなくなってしまっても当然かもしれません。そこをゆるめられるように一緒に考えていきましょう。 まず、人のペースや考えにのまれて流されて生きていくのはそんなに悪いことではありません。ゆーきさんのように人に同調して生きていけるひとがいるからこそ、ほかの誰かの主張が通る場面があるわけです。自分の主張を通せたひとにとっては、ゆーきさんの存在は、とてもありがたいことだったりします。 ですので、ご自分の今の状態をそんなに嫌わないであげてほしいのです。そんな場面があってもいい。一方で、自分の主張を通したい時は通せる場面があってもいい。どっちでもいい。そう受け止めていただいた上で、次を読んでみてください。 焦りや嫉妬や負けたくない気持ちが出てくるとのこと。その焦りや嫉妬は、実は「自分もあんな風になりたい」と思っている憧れのサインです。自分もそうなれることをどこかで知っている、その要素が自分にあることを知っているからこそ出てくる気持ちです。 焦りや嫉妬がでてきた時には、「ああ、私もああなりたいと思ってるんだなぁ」「私もああなれることを知っているんだなぁ」と、まず声に出してつぶやいてみてください。いかがでしょうか。意識が他人ではなく自分に向いていくのを感じていただけるのではないでしょうか。そして気持ちが少し落ち着いてきませんか。 ザワザワしたり、焦ったり、不安になったり、苛ついたり。こういった感情はもちろんあっていいものですが、「自分を見てあげていない」サインとして捉えてみてほしいのです。そして気づいたらその都度、自分に視点を向けるようにしてみてください。 そして「自分が何をしたいかわからない」のも、自分の気持ちとつながっていない、自分をみてあげていない証拠なのです。これはもう練習というか場数だと私は考えています。日常の行動のひとつひとつから「自分はどうしたいのだろう?」と一度止まって考える癖をつけてみてください。 今日の朝ごはんは何を食べたいだろう? 昼はどこでどうやって過ごしたいだろう? そしてそれをひとつひとつ行動に移してみてほしいのです。何も考えず、冷蔵庫にあるものでごはんを済ませていたりしませんか? 友人と喫茶店に入った時、みんなが珈琲を頼むからと、自分も自動的に珈琲を頼んでいませんか? 「自分がどうしたいのかわからない、自分は何が好きなのかがわからない」そうご相談に来てくださる方は、実はたくさんいらっしゃいます。そんなみなさんに共通しているのは、今まで常に“誰かの意見を尊重”して生きてきたということ。それは元をたどると自分の“親”であることが多いです。 幼い頃から親の言うことが絶対で、自分の意見は聞いてもらえなかった。わかってもらえなかった。そんな経験を繰り返しているうちに、自分が考えることはいつも間違っていて、ほかの人の意見が正しいに決まっているのだ…。そんな思い込みをしている方は少なくありません。自分がどう思っているかを考えることすら諦めているひともいます。 もし、ゆーきさんもそう思っていらっしゃるのであれば、それは勘違いです。親や他人の言うことをきかないと生きていけない時代があっただけ。大人になった今は自分の意見を大事にしても主張しても誰も文句は言わないのです。 「私はもう自分の気持ちを大事にしていい」そうつぶやいて、自分の気持ちとつながる時間をできるだけとってみてくださいね。そうしていくことで、自分を自由に表現できる、自分中心の生き方に戻っていけますよ。 ・このカウンセラーのブログを見る
2017年12月28日メディアで話題の心理カウンセラー、心屋仁之助さんとその一門があなたの相談に答える「凍えたココロが ほっこり温まる、心屋仁之助 塾」。今回は、「母を大嫌いという感情が、溢れでてきてつらい」という、パラさん(48歳・主婦)に、心屋塾認定講師のはしぐちのりこさんからアドバイスをいただきました。 ■パラさんのお悩み 昨年、82歳の母が癌で逝去いたしました。死んでもなお、耐え難いほどの憎しみというか、「大嫌い」という感情が頭をもたげてきます。 母は終末期の在宅緩和医療と入院の繰り返しで大変だったと思います。最後に母を大好きになりたかったし、私のことを「大嫌い!! 憎たらしい!!」と言っていた母に、感謝してもらいたかったし、ありがとうと言って欲しかったから、心からお世話しました。 しかしその一方で「死んでしまえば良いのに!」と悪魔のような思いがこみ上げてきては、弱った母を見放してやりたい、今までの報いを受けているんだ、助けてあげるもんか、などと考えてしまい幾度となく言葉で激しく罵ってしまいました。 そんな自分が恐ろしくて悲しくて死んでしまいたくなって、でもこみ上げる感情は抑えられず…。実の娘である私のことを「憎たらしくて大嫌い!」といい、人様に私の悪口を言いふらし、私をないがしろにしてきた母を、“死んでも許せない”という思いと、それなのに母を思い出しては涙に明け暮れ、会いたくて仕方なくて…。私はうつ病になってしまいました。 自分で自分を癒してあげようと、「寂しかったね」「ちゃんと話を聞いて欲しかったね…」「お母さん、私寂しいよ」など、小さな自分をぎゅっと抱きしめてあげても、まるで白けてしまいます。もうこの闇から抜け出したいです。アドバイスをお願いします。 ※一部、質問内容を編集しています。 ■心屋塾認定講師のはしぐちのりこさんより パラさん、はじめまして。はしぐちのりこと申します。ご相談ありがとうございます。 心からお母さまのお世話をされ、昨年見送られたとのこと。人が旅立っていく、しかも肉親であればなおさら、一緒に生きてきた時間が長いですから、わかってほしい思い、わかりたい思い、がふつふつと湧き出て当然かと思います。 だって目の前の人とはもう会話ができなくなり、気持ちをわかりあうことが、できないのですから。気持ちが大きく揺れ動きながらも最後まで見送られたパラさんご自身にも、お母さまご自身の人生にも、まずは「お疲れさまでした」の言葉を、心から申し上げたいと思います。 文章には「お母さまのことを思い出しては、涙に明け暮れて会いたくなる」、そして一方で「自分のことをないがしろにしてきたお母さんが許せない」とあります。 パラさんの中で、「お母さん大好き」と「お母さん大嫌い」の気持ちが両方混在していて、そしてその両方ともが大きくなり、苦しくなっておられる様子が伝わってきました。 そして、「小さな自分をぎゅっと抱きしめてあげても、まるで白けてしまう」とのこと。これはなぜでしょう? パラさんのほしいものは、それではないのかもしれません。また、もしかしたら、「もうお母さんは現実世界にいないのだから、こんなことをやっても意味がない」と思っておられるのかもしれませんね。 たとえそうだとしても、パラさんにやっていただきたいことがあります。ご自身の中にある気持ちをちゃんと認めて、言葉にして身体の外に出してほしいのです。 「今までの報いを受けているんだ、死んでも許せない」などと考えてしまう、ご自身を責めないであげてほしいのです。それは嘘偽りのないパラさんの気持ち。たくさんの悪口を言われて、ないがしろにされてきたのですから、そう思って当然です。 そして、そう思うことは何よりも、パラさんがパラさんご自身を大事な存在と思っている証拠です。「そんなことを考えてはいけない、自分が恐ろしい」と思ってしまうのは、「自分を大事な存在と思うな!」と自分に言っているようなものです。 まずは「考えてはいけない」と思ってしまうお母さんへの気持ち。それらをお母さんの遺影に向かってぶつけてみてください。 「お母さんなんか大っ嫌い!」 「私の気持ちも知らないで!」 「バカにするな!!!」 「悪口ばっかり言いふらして! 憎たらしいのはそっちのほうよ!!」 できれば大きな声で。どんな汚い言葉でも大丈夫。むしろ猛烈に汚い言葉を使って罵ってください。 亡くなったのにかわいそうとか思う必要はありません。お母さんはもうすべてをわかってくれています。むしろあちらにいるお母さんの力を借りましょう。 叫んで、泣いて、罵って。しっかりぶつけて、パラさんの怒りの気持ちを、しっかり身体の外に出してくださいね。 さぁ、やってみてどうだったでしょうか。何かしら次の気持ちが出てきたのではないでしょうか。もし次から次に怒りが湧いてきてしんどいのなら、少し時間をおいて、また何度でも試してみてください。 やってみるとおわかりいただけると思いますが、その気持ちを持ち続けている自分から、少し解放されていきませんか? 気持ちを言葉にするのは相手に通じさせるためだけではないのです。自分のためなのです。そしてこれをやっていると、「あぁ、もういいかな」と思える“なんとなくの底”が見えます。 その次は目を閉じて、この言葉を声にしてみてください。 「私よくがんばってきたなあー。本当によくがんばってきた」 「お母さん、大好きだよ」 「お母さん大好き。でも大嫌い。それでいいかー」 どんな感じがするでしょうか。 ある人に対して、「好き」と思う気持ちと、「嫌い」と思う気持ちは、本来両方あっていいのです。それが普通です。パラさんの中にも両方の気持ちがあっていい。ただ、それをダメだと思って片方を押さえ込んでしまうがために苦しくなっています。 ぜひ、どんな気持ちも、自分の気持ちとして受け入れてあげてください。そして言葉にして外に出す(表現してみる)ということを、自分のためにしてあげてください。 パラさんの中に気持ちを溜めるのではなく、認めながら、解放しながら、生活してみると、気がついたときにはもうそこには縛られておらず、自由な感じに包まれていると思いますよ。 ご相談ありがとうございました。 ・このカウンセラーのブログを見る
2017年11月02日メディアで話題の心理カウンセラー、心屋仁之助さんとその一門があなたの相談に答える「凍えたココロが ほっこり温まる、心屋仁之助 塾」。今回は、「謙虚である自分に満足し、相手にもそれを求めてしまう」という、まなさん(28歳・事務員)に、心屋塾認定講師のはしぐちのりこさんからアドバイスをいただきました。 ■まなさんのお悩み はじめまして。私は自分を悲劇のヒロインのように、相手よりも下にしたに落として満足する癖があります。仏教ではこれを、“卑下慢”というらしいです。 なにか言われても受け入れられず「私はこんなに下から言っているのだから、あなたも、下から言え」と思ってしまいます。最近癖になっており、相手の意見に対して、受け答えができません。どのように考え方を変えたらよいのか、右往左往しております。 ※一部、質問内容を編集しています。 ■心屋塾認定講師のはしぐちのりこさんより まなさん、はじめまして。はしぐちのりこと申します。ご相談ありがとうございます。 「卑下慢(ひげまん)」 ・自分が愚かな人間だとわかっている私はとても素晴らしい、と思う気持ち ・私ほど謙虚な人間は他にいない、と自慢する心 私、この言葉を初めて知りました。意味を調べてみて、なるほどなるほど…と。 つまりまなさんは、ご自分の非を認めていて、ダメで、愚かだと知っている。その上で自己反省し、謙虚に生きている自分は素晴らしい、と思っておられるのですね。「悲劇のヒロインのようになって満足する」という表現が、状況をとてもよく表していると思いました。 さて、ご相談には「私はこんなに下から言っているのだから、あなたも、下から言え、と思ってしまいます。」 と書いてくださっています。卑下慢の意味を踏まえて、これを言い換えると、 「あなたも私みたいに自分のダメさを認めなさいよ」 「その上でモノを言いなさいよ」 「そして私みたいに謙虚で素晴らしい人間になりなさいよ」 と思っているわけですね。そこには「こんなに素晴らしい私をもっと尊重しなさいよ」という気持ちがあったりしないでしょうか。 まなさんがご自分のことを「こんなに素晴らしい私」と思っておられるならば、一見、そのままでよさそうな気がします。でも相手とコミュニケーションがうまくとれないという弊害が出てきている。いったい何が不具合を起こしているのでしょうか。 それは、自分を素晴らしいと思う根拠なのです。「ダメな私が素晴らしい」ならば、自分を素晴らしいと思うためには「ダメな部分」が必要になります。自分が素晴らしいためには「ダメな部分」がないと成り立たなくなるのです。結果、自分のダメな部分ばかりを集めはじめます。 同じように「自己反省できる自分は素晴らしい」であれば、「自己反省しないといけないような事」が起こらないと、永遠に自分は素晴らしいと感じられなくなるわけです。そして「自己反省しないといけないような事」を無意識で起こし始めます。 人にもそのようにあれと思う、ということは、「あなたもダメな部分を集めろ」「あなたにも自己反省しないといけないような事が起こるように」と願うことにつながります。 これは自分にとっても、相手にとっても本当に幸せでしょうか。自分の素晴らしさを認識するのに、「ダメな部分」を持ち出さないといけないのでしょうか。 「ダメな部分」をわかっている私は、人よりもひとつ深く自分を見ている気がするのかもしれせん。そしてそんな自分が人より優秀に思えたりするのかもしれません。 しかし世の中は、実はとてもシンプルです。「ダメな部分」はあってもいい。でもまなさんには、それと同じくらい「素敵な部分」があるはずです。その「素敵な部分」をそのままに、素直に、ストレートに認めていきませんか? 自分の素敵な部分を素直に認めていくことができれば、他人の素敵な部分も認めていくことができます。そしてどんな自分も、どんな他人もOKになっていきます。「私は私の素晴らしさをストレートに認めていい」これをつぶやいて、自由に自分の「素敵な部分」を評価してみてくださいね。 ・このカウンセラーのブログを見る
2017年09月07日メディアで話題の心理カウンセラー、心屋仁之助さんとその一門があなたの相談に答える「凍えたココロが ほっこり温まる、心屋仁之助 塾」。今回は、「人からおとなしいと言われてしまう」という、ミホさん(32歳・OL)に、心屋塾認定講師のはしぐちのりこさんからアドバイスをいただきました。 ■ミホさんのお悩み 私は小さい頃からおとなしく、何をするにも「おとなしい」がついて回ります。やりたいことをやろうと思うと、結局人が集まる所へ行かないといけなくて、そういう場で必ず「おとなしいね」と言われて嫌気がさし、何もやる気が起きなくなってしまいます。 なんで私ばっかりそんなふうに言われるんだろう…。そう思うと苦しくなって殻に閉じこもってしまい、おとなしい私は何もできないんだ、と思ってしまいます。そして活発な人を見るとモヤモヤします。おとなしいと言われないようになりたいです。 ■心屋塾認定講師のはしぐちのりこさんより ミホさん、はじめまして。はしぐちのりこです。ご相談ありがとうございます。 どんなところに行っても“おとなしい”と言われることで嫌気がさし、気持ちが萎えてしまう。そういう体験を何度もくり返しているうちに、おっくうになり、外に出てなにかをしようという気持ちすら起きなくなってしまいますよね。 まずはミホさんの中にある価値観をちょっと疑ってみてほしいのです。おとなしいのはダメなことでしょうか? なんだかずいぶん良くないことのように捉えているようにみえました。 おとなしいのは、ミホさんの大切な個性のひとつですよね。 そんなに嫌わないであげてほしいのです。 私たちは、育つ過程で周りの人たちからいろんなことを言われ、自分の価値観を作り出しています。ミホさんもオギャアと生まれたときは「おとなしいのはよくないこと」とは思っていなかったはず。 きっとどこかで「おとなしいと何もできないよ」「もっと積極的になりなさい」などと言われたご経験があったのではないでしょうか。そしてミホさん自身も、そういう経験を通じて、どこかで「おとなしい自分はダメなんだ」と思ってしまったのかもしれません。 人って、自分がダメだなあと思っているところを、他人に触れられると、とっても心が痛みます。自分で自分を責めているので、他人のなにげない言葉も自分を責めているように受けとってしまうのです。 実際、周りの人がどんな意味をもたせてミホさんに「おとなしいね」と言ったのかはわかりません。きっと、意味なんて含ませていなくて、ミホさんに感じた「おとなしい人だな」「控えめな人だな」という印象をそのまま表現しただけなのかもしれませんよね。そこに「やっぱりおとなしい自分はダメなんだ」というニュアンスを含ませて、ご自身を責めないでほしいのです。 そして、ミホさんは「やりたいことをやろうと思うと、結局人が集まる所へ行かないと」と考える積極性ももっていらっしゃる。決しておとなしいだけの人間ではないのです。 「おとなしくてもいい」 「おとなしいまま楽しんでもいい」 「おとなしい私を受け入れてもらってもいい」 「おとなしいまま、みんなと仲良くしてもいい」 おとなしいまま、静かなまま、みんなの輪の中に入ってやりたいことをやってもいいのです。そのままで、いろんなことを楽しむことはできますし、そうしてもいいのです。 人から「おとなしいね」と言われたら、「ええ、おとなしいですけど何か?」と、そっと心の中で唱えてみてください。 ひとは、自分以外の何かになることができません。ぜひおとなしい自分も受け入れて、そんな自分でどうやって楽しむかを考えていただきたいと思います。 ・このカウンセラーのブログを読む
2017年07月13日