一児の母でイラストレーター。何事にも前向きな性格に育ててくれた母親をお手本に初めての育児に奮闘している。育児疲れは絶大なヒーリング効果を持つ息子のむちむちに癒してもらう自給自足的な毎日。
一児の母でイラストレーター。何事にも前向きな性格に育ててくれた母親をお手本に初めての育児に奮闘している。育児疲れは絶大なヒーリング効果を持つ息子のむちむちに癒してもらう自給自足的な毎日。
こんにちは、ちひろです。今回は息子と幼少期の私の体型についてのお話です。 よくいろんな方から、 「うちの子よりすごく大きい!」(息子より月齢が上) 「うちも同じくらいムチムチです! 安心しました!」 「うちの子は平均より痩せていて心配で…」 と、様々なお声を聞かせていただきます。 我が子の体型ってやはり気になりますよね。 平均より大きくても小さくても、心配になってしまうのが親だと思います。 私も幼少期は(も?)ムチムチで、痩せている兄とよく比較されたものです。 ■ムチムチだった幼少期、「ミルク好き」が原因? 息子は私の幼少期ととても体型が似ています。ムチムチでちぎりパンのような腕とモッチモチのほっぺ。 写真を見返すと私の方が肉付きが良いようにさえ思えます。 母曰く「好きなだけミルクを飲ませてしまったから…」とのことでした。 本当によく飲む子どもだったそうで、ミルクを飲んでいると大人しくしていたそうです。 母は母乳があまり出なかったので、私も兄もほぼミルクで育っています。 記憶にはありませんし、関係あるかわかりませんが今でもミルクシチューとか牛乳好きです…。 自分自身パンパンだった幼少期が嫌ではないので気にしていませんが、母は「飲ませすぎた」と、少し申し訳なく思っていたそう。 ■息子もムチムチに成長中 息子は生まれてすぐは太っていなかったし完全母乳なので、ほぼ完全ミルク育児だった私とは体型は違う育ち方をするのだろうと思っていました。 主人は今も昔も痩せ型なので、顔も主人に似ているしそっちに似るのかな~と。 しかし生後3週間ほどで「あれ? 私の幼少期に寄ってきてない?」と気づきました。 生後5ヶ月時点(離乳食が始まる前)で、母乳のみで9.5kgと1才児の平均にまで成長した息子。その様子を見て、私はミルクのせいで太ったわけじゃなかったんだ…と思いました。 離乳食が始まり授乳の時間もだいぶ減ってきましたが、順調に私の幼少期体型を辿っています。 たまに太りすぎでは? という声もいただきますが、食事量は平均より少食ですし、無理に与えているわけでもないのであまり神経質にならず息子の成長を見守りたいですね。 いろんな体型の子がいて当たり前だし、親に似るのも自然なことなので、他の子と比べて一喜一憂するよりも我が子の 個性 を精一杯愛したいなと思います。
2019年08月29日こんにちは、ちひろです。 今回は小さい頃大好きだった「物語」についてのお話です。 さて、今もぽっちゃり体型の私ですが幼い頃はさらに太っていて顔なんかパンパンでした。ヒョロッとした痩せ型の兄とよく比べられたものです。 そんな私に対して「よく肥えている」という言葉は日常茶飯事でした。でも父は他の人とは趣向を変え、ストーリー仕立てで私に太っていることを伝えてきました。 あるときは、 「実は昔お母さんとデートしたときなんだけど、中華料理店で食材にされそうになっていた豚が可哀想になってきて、譲ってもらったんよ。そしてその豚を家に持ち帰って育ててみたら…ちっち(私)になったんよー!」 そしてまた別の日には、 「昔そこの公園で散歩しよったら怪我をしたイノシシがいてね、家に連れて帰って元気になるまで治療してあげていたら…なんと、ちっちになったんよー!!!」 そう、父はあらゆるパターンで豚(猪)を育てたら私になったという物語を話して聞かせてくれました。 他にも川で溺れている豚パターンとかもありました。 私はその話を聞くのが結構好きで「なにそれー!」とちょっと怒ったフリをしつつも内心楽しくてしょうがなく、父の「実はね…」のくだりが始まるといつもワクワクしていました。 話すたびにシチュエーションは変わるけど、どれも元は豚(猪)だったのが今の私になったというところは一緒。 当時はそれを聞くのが楽しくて楽しくて。ぽっちゃりが自分のコンプレックスにならなかったのはしつこいくらいのこの「自分の(豚)物語」で笑わせてもらっていたおかげな気もします。 そして今では、ムチムチに育っている息子にしてあげたい話のひとつになっています。 ちなみに私が三十路になった今もたまーーーにその話をしてくる父。 将来息子が子どもを持つようになった時、私と同じように「子どもに話してあげたい」と思えるようなお話を、今からたくさんして笑わせたいなと思いました。
2019年07月05日こんにちは、ちひろです。 今回は子どもの頃にやっていた秘密(?)の遊びについてご紹介します。 もしお子さんが何もないところでジャンプを繰り返していたら、私と同じ遊びをしているのかもしれません…。 3才から保育園に通い出し、大勢の同年代の中で過ごすことが増えた私は従来の性格「構ってほしがり」をこじらせ「私は他の子より大人なんだ」という主張が強いものになっていきました。 人形劇に行けば「これはね、中に大人が入っているんだよ!」と言ってしまう目立ちたがりの子どもでした。 いま考えると恥ずかしいのですが、当時は「こんなことも知ってるんだよ!すごいでしょ!」という気持ちでいっぱいでした。 保育園の中でも、大人が知っていることはなんでも分かっていると見せたくて持てる知識の全てをひけらかしていたように思います…。 普段はみんなと同じように人形やオモチャで遊ぶのですが、先生とかが近くにいると構って欲しくて聞こえるように言っていました。浅はか…(笑) そんな大人ぶっていた私にも、隠れてやっていた子どもらしい(?)遊びがありました。 園庭の砂を手のひらに握って、風の来るタイミングでパッと離す!! そしてその砂埃めがけてジャンプ!! 砂埃を起こしては「これに飛び乗れば筋斗雲になって空を飛べる!」と思い込んで何度も挑戦していたのです(笑) 保育園でやっていた秘密の遊び第一位はコレ「筋斗雲ごっこ」です。 (本人はいたって本気で乗れると思っていましたが…) 第二位は念力で花瓶が割れないか念じる遊び。 第三位は自分の手のひらから波動砲が出ないかと何度も試し打ち(?)…。 普段は大人ぶったりしているぶん、実現(筋斗雲に乗ったり、念力出したり)できるかどうかも分からない遊びを堂々とできず、隠れて一人でやっていたのですが 幼いながらに「純粋な気持ちで信じていないと筋斗雲は来ない!」というルールがあると信じていたので砂埃起こすたびに心の中では「次こそ乗れる!」と信じてやっていました(笑) どれも恥ずかしくってこっそりやっていましたが、今思えば園庭の真ん中で何度も砂埃を起こしてはその中に突っ込んでいっていたので不審な園児だったろうなぁと思います。 もし自分のお子さんが不思議なポーズで花瓶を眺めたり、手のひらを外に向けて力んでいたら生暖かい目で見守ってあげてくださいね…。
2019年05月30日こんにちは、ちひろです。 この記事を読んでいる皆さんの多くは女性かと思いますが、小さい頃に母親のメイクしているところを見て真似たり欲しがったりしませんでしたか? 今日はそんな女の子あるあるなお話です。 物心ついた頃から母親のお化粧タイムは「特別なこと」のように感じて羨ましく見ていました。 しかし、当時私は絶賛イヤイヤ期!あまのじゃくな態度ばかり取っていたため「やってみる?」とビューラーでまつげを上げてくれようとした母を全力で拒否しました。 それでも頭の中はお化粧のことでいっぱい。母親には断ったけど本当はメイクしてもらいたかった…そんなとき私は「自分でなんとかしてみよう!」と思いつきます。 自分から断ったメイクをしていたら笑われるかもと、子供ながらにプライドの高かった私は母親からこっそり隠れて自ら編み出した「メイク」を施していました。 コソコソとなにかしている私に気づいた母は振り返った私の様子を見てびっくり。 私は「どう?私一人でもメイクできるのよ!(ドヤァ)」といった心境だったのですが… そう…なんと私は母から勧められたビューラーをハサミと勘違いし、自分のまつげを綺麗に切り落としていたのです…!! 似てません? ビューラーとハサミ…。幼子からしたら同じようなものなんです。 「まつげを切る」それが当時の流行なのかと思っていました。 今でも覚えています。目を怪我しないように丁寧に一生懸命まつげを切ったあの日のことを…。 今ではちゃんとまつげも生えてきて人並みの長さはあります。(笑) 当時を振り返ると本当にどうしようもないアホだったのですが、子どもって思いもよらない解釈や思い込みで行動したりするので、自分の息子は近い将来どんなことをやってくれるのだろうと、少し怖くもあり楽しみでもあります。
2019年05月20日こんにちは、ちひろです。 皆さんはご自身、またはお子さんのいらっしゃる方、兄弟(姉妹)っていますか? 今日は私の兄についてのお話です。 私には年子の兄がいるのですが年齢がかなり近い(11ヵ月と2週間差)こともあったのでケンカの絶えない日々を送っていました。それはもう激しく大泣きすることも多く、母はノイローゼ気味になる程です。 しかし同時に仲もすこぶる良かったので、幼い頃はどこに行くにも一緒でした。ごっこ遊びとか近所の冒険とか…本当に気の合う遊び仲間といった感じ。 いつもくっつき合っていた私たちは、ご近所さんから心配されていたそうです(笑) 幼い兄妹ってそんなもんだと思うのですが…そんな不審に思われるほど仲良かったとは。 仲はすごく良いのにケンカは絶えないって兄妹あるあるですよね。気を許しているからこそ何事も本気で突っかかっていました。まぁ親からしたら本当たまったもんじゃなかったと思います(笑) ある日、兄がよそ見をしながらコップを家族分運んでいて全部落として割るという失態をおかしました。その時は父が大激怒し兄も大泣き!見るに絶えないほど叱られていました。 その時はもういてもたってもいられなくて一緒になって号泣(私は叱られてませんよ(笑)) 年の近い兄弟(姉妹)って物心つく前から一緒にいるのでもはや自分の分身みたいなところありませんか?双子とかまさにそうですが、兄が叱られていると自分のことのように悲しくなるという… ケンカした時は相手をいかに親から叱ってもらおうかと画策するのに(笑)不思議です。 そんな分身のようだった兄も歳を重ねるごとに別の人間なんだとしっかり認識していきます。 高校生のころなんかもうほとんど口をきいてませんでした。 見ているものが全て一緒だった世界からどんどん景色は変わり、いつの間にか全く違う道を歩んでいました。 20歳を過ぎてからは数年会わない時期もあったりしましたが、会えばなぜかしょーもない冗談でも涙が出るほど笑います。 全く会わなくなったとしても心のどこかで「ちゃんと元気にしているかな」と気にかけ、会えば笑いっぱなしになるくらい気があう、たった一人の兄。 息子がこのまま一人っ子か兄弟ができるかは神のみぞ知る未来ですが、どちらにせよ他人の悲しみを自分のことのように悲しめる子に育って欲しいなぁと、里帰り中の実家で息子をあやす兄を見てしみじみと思いました。
2019年05月03日こんにちは、ちひろです。 今回は幼い頃おどろいた、他の家族とは違う親の愛情表現についてです。 物心ついた頃から、両親は子どもの前でも普通にキスをしていました。 もちろんハグもするし、お風呂も一緒に入ったりしていました。 私は当たり前だったので、疑問に思ったことなどなかったのですが、小学校低学年になったある日、友人との会話の中で… 「ちゅーって大人の好きな人同士がするんだよ」というような会話の流れだったと思います。 私が「両親も普通にしてるよね、結婚してるもんね」というとその場にいた友達がフリーズしてしまいました。 周りのお友達家族の中では、両親が子どもの前でオープンに愛情表現することは無いということでした。 カルチャーショックを受けた私は「ウチってもしかして他の家と違うのか?」と疑問を持ちます。 大人になった今は、いろんな家庭があるから我が家がおかしいわけでも周りがおかしいわけでも無いことは理解していますが、当時は結構衝撃でした(笑) 子どもの頃って自分の家の常識が世間の常識だと思っていることありますよね。 友人宅へ行った時など友人のお父さんがすごく厳格で驚いたり…(私の父は常に冗談ばかり言っている人だったので) 帰宅後、母に「お友達の家では、両親がチューとかしないらしい!」と報告しましたが母はいつも「お父さん大好きだから!」と言う人だったので、それからの愛情表現も特に変わりませんでした。 そういったアメリカンスタイルな両親のことを誇りに思えど恥ずかしいとは思いませんでした。もはや当たり前と思っていたからかもしれませんが、大人になった今も言葉や表情、態度で愛情を伝えることって本当に大切なことのような気がします。 我が家の生まれたばかりの息子にも、愛を惜しみなく伝えられる人になってほしいので包み隠さず主人への愛情表現をしています。(ただイチャイチャしたいだけという理由もありますが…) 将来、息子にお嫁さんが出来たら「(好きって)言わなくてもわかるでしょ?」ではなく毎日「大好き」と伝えられるような子に育ってくれることを願って…自分の両親を見習い、主人にも息子にも毎日たくさんの愛を伝えていきたいなと思います。
2019年04月12日こんにちは、ちひろです。 今回の話は子供の頃ショックだった親の一言についてです。みなさんは心に残っている悲しい言葉ってありますか? 私にとってのその言葉は「悲劇のヒロイン」でした。 小さい頃の私は活発なほうで、よく外で遊んだり元気いっぱいだったのですが、買い物などお出掛けになると話は別。 よく腹痛になって親を困らせる子供でした。痛くなったらもう歩けなくなったり…本当に迷惑かけたと思います。 そんなとき両親から言われたのが「 悲劇のヒロインちっち 」このセリフ…純真無垢な子どもからしたら 悪意の塊です。 恥ずかしいやら悔しいやら複雑な気持ちで憤慨していたのを覚えています。 大人になった今なら、それを言われるとむしろ 「ナイスアシスト!」 とか思えるんですけどね。大人の腹痛は心配されるより、笑って欲しいぐらいですから… 子どものころ実際にお腹が痛くなる状況はいつもと違う環境、状況だったことが多いです。そう、これ親からしたら 最悪のタイミング ですよね。 子連れのお出掛けが、いかにハードルの高いものか親になって気づきました。 泣き出したりしないか 漏れ出したりしないか 吐いたりしないか(以下略) 外出中ずっと気にしています。1才過ぎるとこれに 「走り出さないか」 も出てくるんですよね…(ヒィィィィ) 中学生の頃には自分が 緊張性の腹痛持ち ということに気づきます。陸上部だったのですが、試合直前に100%おなかをくだしていました…腹痛になりたくないと思えば思うほどプレッシャーで腹痛を引き起こすツラさを知っている分、もし自分に子供ができたら「悲劇のヒロイン」なんて傷つくようなこと言わないように…と思っていました。しかし、思い通りにいかないのが育児ですよね。 実際わたしの「歩けない」がすべて本当だったかというと 8割ウソ でした。(ごめんなさい) 子供の頃アパートの3階に住んでいたのですが、保育園の帰りには一階でタコのように地面にへばりつき「もう歩けない!」 と大泣きしていました。(母さんごめん…笑)疲れてたり、構って欲しい、甘えたい 「こっちを見て!」という気持ちが強かった気がします。 けれど、こどもの浅知恵、本当に歩けないかどうかは母に大抵バレてたみたいですが…年子の兄がいたので、私の「歩けない」いわゆる愛情の 試し行動 だったように感じます。 甘えすぎて オオカミ少年化 してしまっていたため、お出掛けの時などの「お腹痛い、歩けない」が全く通用しなかったわけですが…汗 「本当に歩けない」かどうかは置いておいたとして、本人としてはいたって真面目に甘えているので 冗談でも悲劇のヒロインなんて傷つく言葉で突き放さずにやさしく抱きしめ…愛していることを伝え… そして 歩いてもらえるよう うながせると良いなと思っています。
2019年03月29日はじめまして、こんにちは。このたびウーマンエキサイトで子育てに関するお話を書かせていただくことになりました、ちひろと申します。 こちらでは私の幼少期の話をおもに書いていこうと思います。 なぜかというと私は自分の母のことが スーパー好きだから です。 そして私も息子から スーパー好き と思われたいじゃあないですか!←えっ 30年間、自分の「なりたい母親像」暫定一位を獲り続ける母との記憶を思い出すことで、母のような母親に近づきたいと思っています。 私は父、母、兄、そして私の4人家族で育ちました。なんと兄とは11ヵ月違いの年子!(同じ年齢の時期が2週間あります) 常に騒がしく、はちゃめちゃな毎日でした… そんな騒がしく多忙な毎日を送る母は、私が物心ついたころからワーキングマザーで ワンオペ上等のパワフルかあちゃんだったのでした。そして、いつだってやさしく明るい印象でした。 朝は誰よりも早く起き、兄妹を保育園へ送り出したら仕事へ。 兄と二人で一番最後のお迎えということもありました。 帰れば夕飯を作り、洗い物、アイロンがけ、弁当のおかず作りなどなど。 眠るのはもちろん私たちのずっと後です。ちなみに父は家事育児にほぼノータッチ! 今もそうですが、本当になんでも一人でこなす母でした。 兄妹の年が近いこともあり、本当に毎日のようにケンカしていました。 そして二人して自身の正当性を母に訴えて大泣き… 自分が母親になり、あらためて客観的に見ると さながら地獄絵図 だったと思います。 そんな母も昨年、私が息子を出産し「祖母」に昇格。ムチムチな息子を「小さい頃の私にソックリ!」という祖母バカを発揮しています。 私の育児にはいつも「育児してもらった記憶」が背中を押してくれています。不安なとき、悩んだときは母が私にしてくれたように私も息子と向き合うのです。 そしてあわよくば ママがスーパー好きな息子 になってもらいたいのです。
2019年03月26日