千葉県在住30代主婦。イザム似の夫と息子(3歳)、娘(2歳)の4人家族。
趣味は柔軟体操と絵を描くこと。家族が寝た後夜中にこっそり柔軟をして、その後絵を描くのが毎晩の小さな楽しみ。そんな趣味が高じてイラストレーターとして活動できるようになりました。身体も随分柔らかくなったのですが、まだどこにもお披露目する機会がありません。
インスタグラムにて日々の育児絵日記を綴っています。
グラハム子:@gura_hamuco
母が私に整形をすすめたのは、中学を卒業した春のこと。「あなたのためになんでもしてあげる」と、すでに美容整形の予約まで取ってあったのです。あれから20年、現在私には子どもがいます…。
インスタグラムで人気のグラハム子さんによる、育児絵日記。イザム似の旦那さん、息子くん、娘さん、の4人家族が繰り広げる、楽しい日常を、あたたくてやわらかなイラストで綴ります。
■前回までのあらすじ 自分と同じ辛さを抱えて頑張っている人の存在が心の支えになるハム子。「物には恵まれたけれど心は恵まれなかった」そんな複雑な辛さ。しかしこの経験によって得られたものもあると思えるようになり…。 ■幼少期の体験で得られたものは… この過去があったからこそ得たものがあります。 それは ●『大人になってからでも性格や価値観は変えられる』を実体験できたこと ●『人に優しくなった』こと ●『心を喪失させて生きる苦しみを知っているからこそ、今の日々がとても幸せに感じられる』こと 私は自分で経験したことではないと、真には理解できないといったことが多いタイプ。だからこそこの3つのことに気付くことができたのは本当に良かったです。 この過去があって良かった! 母の元に生まれてこられて良かった! とは言えません。でも、母の元に生まれてきたことをもう悔やんでも嘆いてもいません。 ただただ、まあすべて仕方なかったんだな、感謝できるところは感謝しよう、感謝できないところはしなくていいや、と思っています。 そしてそれよりもこれからを大切にしていきたい。そう思っています。 「これからの私の人生、何があっても大丈夫だろう、きっとどんどん楽しいものになるだろう」 と何の根拠もないのだけれど、信じられています。 最後までお読みいただきありがとうございました。 読んでくださる方がいたから、最後まで描き切ることができました。 私自身、描きながら自分が心の変化・消化・成長していくのを感じられた作品となりました。 どうもありがとうございました! グラハム子 【完結記念! グラハム子さんインタビュー】
2021年11月19日■前回までのあらすじ 「人に嫌われた」と思うと、「自分の存在価値そのものが否定された」と思っていたハム子。でもその考え方の歪みに気づいて、自分で修正できるようになってきたとき、「私は私で良い」と思えるようになっていき…。 ■多くの人が「生きづらさ」に悩んでいる… 私だって、できればこんな経験したくありませんでした。 整形なんてさせられず、感情を抑圧することもせず、あるがままの自分を受け入れてほしかった。自分らしく生きていきたかった。 …でももう過去はいくら嘆いても、自分や誰かを責めても、変えることはできないし消し去ることもできません。 だから『過去は変えることも消すこともできない』を受け入れて、『じゃあどうすればいいのだろう?』と考え始めた時、私はまた前に進み始めました。 たしかに経験したくなかった過去ですが、そんな過去からも得たものはあります。 こんな経験をしたからこそ得られたものは、私の中で今でも心のお守りになっているのです。 →次回いよいよ最終回! ※この物語は私の経験を基に、一部編集しています。
2021年11月18日■前回までのあらすじ 子どもの頃からずっとイライラしていたが、最近ではそれがなくなり身体の調子が良くなっていることに気づくハム子。しかしある朝、幼稚園のママに無視されてしまい…!? ■もし誰かに嫌われたとしても… 過去の私だったら、次のような自動思考になっていたことでしょう。 無視される=嫌われている=私が悪いからだ… でも今はもう、自分の思考の歪みに気付き、自分で修正できるようになってきました。 過去の私は他人からの評価でしか自分の価値を決められなかったので、「人に嫌われる」ということは、「自分の存在価値そのものを否定される」と同じ意味でした。でも「自分の価値は自分で決めて良い」とわかってからは、人に嫌われることが怖くなくなってきました。 もちろん嫌われた理由がわかっているのであれば、謝罪し改善に努めます。でも理由がわからなかったり、その理由が自分にはどうしようもできないことだったりした場合には、もう嫌われたとしてもしょうがない。誰かに嫌われていたとしても、私は私のままでいい。そう思えるようになりました。 心を喪失した状態で生きてきた25歳までに比べ、心が生きている状態で生活すると、学びの深さが段違いに違う。心を失っていた時の生き方は、「毎日を通過していく」だったのが、心が生きてからは「毎日何か学ぶ」という感じ。 つまり私は26歳以降に、「生き方や人間関係を学び直した」と言っても過言ではない。おそらく中高生で悩むであろう人間関係や、自分の気持ちの折り合いの付け方などを、私はアラサーになってから真剣に悩むことになりました。 その悩む時間は苦しみもあるけれど、それでもいつか悩みが自分の中で消化され、自分がどんどんレベルアップしているかのような感覚は、とても気持ちが良くて…。まるで遅れてきた思春期の自己の確立を、私はようやくアラサーでできたといった感じです。 そして自己が確立してくると、自分を信頼できるように。「私はもう何があっても大丈夫だろう」と根拠のない自信がつきました。 すると、昔からずっと同じ世界を生きているはずなのに、まるで別世界に来たのかというくらい、生きるのが楽しくなっていきました。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部編集しています。
2021年11月05日■前回までのあらすじ 母との関係を絶縁とも、許すとも決めきれずにいたハム子。しかし世の中には、白黒はっきりする必要がないこともあるとわかり、「年に1、2回数時間だけ帰省」「プレゼントは郵送」などの折り合いを見つけることができて…。 ■子どもの頃からずっとイライラしていたけど… この頃になると、小さい頃からのクセだった歯ぎしりもしなくなり、食欲も落ち着いてきました。 また体質なのかな? とあきらめていた頭痛や腹痛、さらには頻繁に風邪に引くといった症状も治まっていったのです。もしかしたら心が安定してくると、身体も安定してくるものなのかもしれません。「心と身体は繋がっている」と、よく言われることを実感した瞬間でした。 そうした平和な日々を過ごしているなか、幼稚園であるママさんに挨拶をしたところ、顔を背けられるという出来事が…! 「嫌われている!?」と、私はひどく動揺してしまうのですが…。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部編集しています。 ※この記事に記載された症状の改善は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師や専門家に相談いただき、ご自身の判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2021年11月04日■前回までのあらすじ 「子育てには正解がある」と白黒の世界しか教えてくれなかった母。しかし子どもの個性を考えたグレーのゾーンがあることを知ったハム子は…。 ■母との関係は白黒つけるべきなのか…? 「ベストなグレー」とは、自分にとって気持ちの折り合いがつくところだと思います。 私は今まで、自分の気持ちの折り合いの付け方を学んできませんでした。 なぜなら自分の気持ちは、「封印する」か「ゴリ押しする」かのどちらかしかなく、母と一緒に過ごすときはほとんど「封印する」しかなかったから。 でも、気持ちに折り合いをつけられるようになったら、生きるのがとても楽になりました。 気持ちに折り合いをつけられるようになると、自分の心を安定させられるようになり、自分で自分の心をコントロールできるようになると、だんだんと自分に自信がついていきました。 すると、今まで「自分には正解は出せない」と思い込んでいたことが、「そんなことはない。自分にとっての正解は自分で出せる」というように変化していったのです。 そしてこれまでの「世間一般の意見と自分の意見が違う時は、世間一般の意見を正解とする(自分は間違った人間だ)」という考え方から、「人に迷惑がかからない限りは自分を尊重して良い」という考え方に変わっていく自分を実感しました。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部編集しています。
2021年10月22日■前回までのあらすじ サッカーの習い事で足が遅い息子のために、ある提案をするハム子。しかし「親の希望を子どもに押し付けているのかも」と考えるように。もしかしたら自分も母と同じことしているの? と、自分が恐ろしくなってしまい…。 ■親の希望どおりに子どもを動かすことは悪?それとも…? 自分の考えが極端だったことに気付きました。 何事においても「白」か「黒」か、 「100」か「0」か… 常にそんな考え方で、「正解はひとつしかない」と思い込んでいました。 それはまるで、母が私に「世間体が良い生き方だけが成功である」と教え続けたように、「〇〇だけが正解。それ以外は間違っている」という考え方そのもの。 けれども私にとっては当たり前だったこの極端な考え方は、他の人にとっては当たり前な考え方ではなかった…。 他の人は心にグレーゾーンがある。 そしてそのグレーゾーンのなかにも、さらに自分に合った、生き生きと過ごせる「ベストなグレーゾーン」があるんだろうと思います。 息子に合った、息子が生き生きと過ごせるベストゾーンを私は見つけたいと考えています。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部編集しています。
2021年10月21日■前回までのあらすじ 「私の人格を否定しないで」と願い続けたが、母にはそういう生き方しかできなかったと気づくハム子。ようやく母を恨む苦しみから解放される。そして「息子にはやりたいことをやらせてあげたい」と、息子が希望する習い事を始めたが…。 ■もしかしたら私はお母さんと同じことを息子にしてる? 「母のように、子どもに親の希望を押し付ける子育ては絶対にしたくない」 そう思っていたにも関わらず、自分も当たり前のように子に希望を押しつけてしまったことに気づきました。 しかも、母とまったく同じで 「これが子どものためになるだろう」 とすら思ってしまったのです。 そんな自分が恐ろしくなりました。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部編集しています。
2021年10月08日■前回までのあらすじ 自分がツラい人生を送る羽目になったのは、過去の自分のせいと思ってきたハム子。でも幼い頃の自分も母親の幸せのため頑張ってきたことを理解し、ようやく丸ごとの自分自身を受け入れることができるようになり…。 ■母ももしかしたら精一杯生きていた…!? 『ただ、ただしかたなかった』 そう思える時が来ました。 私が精一杯生きてあの生き方しかできなかったように、母も精一杯生きてあの生き方しかできなかったのでしょう。 「大人なんだから、親なんだから、子どもの人格を否定してはいけないということぐらいわかっているべきだ」。 ずっとそう思っていました。 でも、母はちょうどその部分が歪んでいたのでしょう。 ただ、ただ仕方がなかったのです。 これ以上恨んでも意味がありません。 この時の心情は、『恨みがなくなった』というより『恨むことを手放した』という表現の方があっています。 恨んでもしかたがない。 私の大切な人生を、恨むことに費やしたくない───────そう思ったのでした。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部編集しています。
2021年10月07日■前回までのあらすじ 好きなことをやれる我が子に嫉妬する、心の中にいる幼い頃のハム子。「でも過去の私が強ければこんなことにならなかった」と思う自分も。しかしこれこそが自分で自分を傷つけている原因だと気付き…。 ■私のツラい人生は過去の自分のせい? この時、ようやく過去の自分を許すことができました。 よく本などで「ありのままの自分を受け入れよう」とか、「等身大の自分を愛そう」という言葉を目にしてはいましたが、今まではそれがいまひとつピンと来ることがありませんでした。 でも、この時「ああ、こういうことか…」と、ストンと腑に落ちたのです。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部編集しています。
2021年09月24日■前回までのあらすじ 子どもが産まれてから自分の幼かった頃の記憶とリンクするようになるハム子。そこで思うのは、母は子どもが望む愛には無関心だったこと…。そのため子どもを尊重してあげられる親になりたいと思うハム子だったが…。 ■自分の子どもは好きなことができるのに、なぜ自分は…? 私は今までずっと、過去の自分を責めていました。 「過去の自分が、もっと自分の意志を貫き通せばよかったのに」と、 過去の自分を許せませんでした。 でもそれこそが、自分で自分を傷つけている原因であることに気付いたのです――。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部編集しています。
2021年09月23日■前回までのあらすじ まだ幼い頃、体調が悪くなると、おかゆを作ってくれた母。しかしそれは「嫌いだからやめて」とお願いした梅干し入りのおかゆだった…。 ■母の言い分は間違っていないけれど…でも… 子どもが産まれ、自分の子どもの頃の記憶とリンクすることが起こるたびに、私は自分自身を分析できるようになっていきました。 たとえば今回の「苦手な食べ物を食べなかったから否定された」話…。 本当に言葉にすると、とても小さなささいなことです。 でもこういった小さなことが毎日、長年積み重なっていって、私の心は失われてしまった― だからこそ私は、自分の中でこう答えを出しました。 絶対に私は「我が子の心を喪失させない」、「心を尊重してあげたい」と。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部編集しています。
2021年09月10日■前回までのあらすじ プレママ教室で出会ったママは母と同じく自分の考えを他人に押し付けてくるタイプ。しかし自分とは合わない価値観の人もいると割り切れるようになったハム子は、自分は理想を子どもには押し付けないと決意する。 ■自分の子どもの頃の記憶がよみがえる… 子育ては楽しいと感じています。 もちろん夜泣きなど、大変だなと感じることもたくさんありました。 けれどこれまでの「本心から納得したわけではないがやっている」さまざまなことと比べたら、全然ツラくはありませんでした。 自分で望んで選択した子育てのツラさは、大変ではあるけれど、苦痛ではない、幸せなツラさ。 だからこそ「納得していない状態のままやること」がどれだけツラく苦しいものであったのかが、これまで以上に自分の中に溢れかえっていました。 そしてこのことがわかってしまうと、 「子どもの頃から自分が納得した生き方ができていたら、もっとずっと生きるのが楽しかったのだろうな…」 そう考えてしまい、やはり母を憎く思ってしまう時も。 また、子育てをしていると、自分が子どもの頃の記憶とよくリンクするようになりました。 今まで忘れていたはずの記憶まで思い出される。とても不思議な感覚でした。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部編集しています。
2021年09月09日■前回までのあらすじ 妊娠し、母親学級に行くと「里帰り出産」が参加者の話題に。「親との関係が良くないから帰らない」と伝えると、「なんだそんなこと」と言われて…。 ■「自分の考えが正しい」と信じる 母みたいな人に出会ったとき この頃になると、随分と考え方が強くなっていました。 今までのような「他人や世間一般の考えが正しい答え」とするのではなく、「自分の中で出した答え」を大切にできるように。 いま思えば、子どもの頃は家でも学校でもどこでも、「皆と同じようにすることが正しい」「一般的な考え方が正しい」と学ぶ機会が多かったなぁと思います。 だから、 「一般的ではない考え方=ダメなこと」 だと思ってしまっていました。 でも、そんなことはない。 たとえ一般的な考えではなくても、 自分にとってベストの考えなら、それでいい 。 それに気付いたら、生きるのがとてもラクに、楽しくなっていきました。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部編集しています。
2021年07月23日■前回までのあらすじ 母親に「ありのままの自分」を受け入れてもらうのを諦めると、すごくスッキリした気分になったハム子。母が「自分の望む理想の子」に固執していたようにハム子も「自分が望む愛の形」に執着していたことに気づくのだった…。 ■子どもの出産、里帰りはどうする? 入籍して自分の名前が変わった時、いままでの自分にサヨナラできたような、晴れやかな気分になったのを覚えています。 「自分に子どもを育てられるか」 という不安は少しありましたが、それよりも子どもが欲しいという気持ちが大きかったです。 『親から受けた育児態度やしつけは連鎖する』 よくこういった情報を聞くことがあります。 でも私は、「 世代間連鎖を防ぐ 。負の連鎖は私で断ち切るんだ」と、母を反面教師にした子育てを思い描いていました。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部編集しています。
2021年07月22日■前回までのあらすじ 母にとって「その子らしさは潰すべきもの」で、子育てとは「自分の理想通りの子を育て上げる」ことだとハッキリ気づいてしまい…。 ■母と私のハッピーエンドとは…? 私は今まで、 「母に受け入れてもらう」 ことに執着しすぎていた…と、このとき気付きました。 それ以外には、幸せになる道はないとすら考えるほどに。 それはまるで、母が「頭も容姿も良く、良い職に就かなければ幸せになれない」と言っているのとそっくり同じことだったのです。 人生、幸せになれる方法がひとつしかないわけがない。 幸せになる方法はたくさんある。 A案がダメだったらB案にすればいい。B案もダメだったらまた新たな案を考えて、実行してみればいい。 自分の望むものが、すべて得られるわけではない。 自分の心に折り合いをつけて生きていく…。 そんな当たり前のことが、ストンと自分の中に落ちていくことを感じました。 そして、これ以来生きるのがとても楽しくなっていきました。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部編集しています。
2021年07月02日■前回までのあらすじ 結婚式前の整形を勧める母に自分の気持ちはまったく通じない。かすかな希望も打ち砕かれ、母にとって私の気持ちは「どうでもいいもの」だとあらためて思い知らされるのだった…。 ■「いらない個性」は親が潰すもの…? 母から離れた私がこのとき考えていた子育てとは、 『子どもの人格を尊重しながら育てること』。 しかし母にとっての子育てとは、 『親の理想どおりの子を育てること』。 母にとっては、私がもっとも苦しんできた『自分らしい心を喪失させること』が、正しい教育方法だったということです。 私にとっての正しさと、母にとっての正しさは、まったく異なっている。 こんな母と私では、きっと最初から分かり合えるはずがなかった…そうハッキリと気づいたのでした。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部編集しています。
2021年07月01日■前回までのあらすじ 結婚式前に整形するよう言う母に、容姿よりも人間性の方が重要と気づいたハム子は、「もう整形をやりたくない」と告げるのだが…。 ■母にとって私の気持ちはどうでもいいことなの…? 母には私の気持ちは伝わりませんでした。 いえ、伝わらないというより、母にとっては私の気持ちなど 「どうでもいいもの」 なのだということがよくわかりました。 今まで、「幼い頃の自分の伝え方が下手だったから伝わらなかったんだ」、「冷静に、真摯に話せば母もきっとわかってくれる」…そんなかすかな希望を持ち続けていました。 しかしそれがすべて打ち砕かれました。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年06月11日■前回までのあらすじ 結婚の挨拶に実家を訪れると、母は「こんなに素敵な人がこんなブスな娘を…」と卑下する発言を始める。しかし彼の口から出たのは「自分にとって世界一可愛い女性」という言葉だった…! ■「もう整形をやめたい」私の気持ちを母はわかってくれる? 母に自分の気持ちを説明しました。 これまでは母に言われたことは、「私のため」で、それを実行することはあたり前だと思って生きてきました。 でもこの頃の私は、「自分にとって何が必要で何が必要ではないのか」ということが、だんだんとわかってきた時期でした。 私にとっては、整形は必要ないと思ったのです。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年06月10日■前回までのあらすじ 母に結婚の挨拶に行かなければと思うが、母がなんて言うか想像ができてしまう。見るたびにため息つかないで、傷つけないで―そう願いながらも、心の中で思うのは「世界で一番会いたくない」…。 ■実家に刻まれた母から受けた言葉の痛み この頃になると、頭と心が同じ意見か、分離されてないかを確認しながら生きることができるようになっていました。 頭と心が同じだととても清々しく、安心できました。 今考えると母の会話はとても複雑でした。実家にいた頃の母の会話を振り返ったコマを入れましたが、どれも母のいろいろな感情が混ざり過ぎています。 私は母との会話で、清々しさや安心を感じたことはありません。会話の後は、いつもモヤッとした気分だけが残りました。 そしてそのモヤは、子どもの頃は複雑であるがゆえに、消化できませんでした。ただ、毎日母と話すたびにモヤモヤが少しずつ追加されていくのでした。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年05月21日■前回までのあらすじ 彼からの思いがけないプロポーズ。母に愛されるため感情を封印してきたハム子にとって生まれて初めて「心から喜ぶ」出来事だったのだが、彼に「親に挨拶しないと…」と言われてしまい…。 ■母に結婚の報告をすると… 私がこの世で1番会いたくないのは母でした。 これが他人だったらどんなに良いことか…何度もそう思いました。 心が生き返り、元気になればなるほど、今まで抑えられていた母へのネガティブな感情がタガが外れたように溢れてくるのでした。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年05月20日■前回までのあらすじ 彼に告げられるだろう別れの言葉。でも今の自分ならどんなことがあっても乗り越えられる! そう思って話し合いの席に着くのだが…。 ■彼からの言葉…自分の思い込みと真逆だった! 話の内容は、予想とは真逆のプロポーズでした。 自分が思っていることと人が思っていることはこんなにも違うと知った出来事でした。 私はこの時生まれて初めて、「心から喜んでいる」という感情がわかりました。 いままでは、「感情とはコンピューターのように頭で考えるもの」だったのです。 そしてそれが当然だと思って生きてきました。 心を殺して頭で考えられることが「優秀な大人の生き方」だとすら思っていたのです。 この日、心のままに感情を表せることが、こんなにも清々しいことなのだと、初めて知りました。 この初めての体験が、今後を生きていくうえで私にとって大きな気づきとなりました。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年04月30日■前回までのあらすじ 夢だった仕事を開始。さらに付き合いが途絶えていた友人とも交流を深めていこうとするが、どうしてだか彼は反対する。そしてとうとう彼に「話がある」といわれてしまい…。 ■もし、彼と別れても… 恋人との別れはすごくつらいこと。 それはほとんどの人がそう思うことでしょう。 でも、そのつらさがずっと続くわけではないことも、多くの大人は知っていると思います。 『人は、つらいことがあっても乗り越えることができる』 私はそれを摂食障害を克服したことで学びました。 一生治らないと諦めていた摂食障害。 時間はたしかに9年もかかってしまったけれど、私は回復することができた。 このことが私の大きな自信になりました。 これまでの私なら相手の顔色を伺い、相手の意に沿わないようなことは決してしなかったでしょう。 でも今の私なら、恋人と別れても、1人でも生きていける。 そう思うことができるようになったのです。 だから逃げることなく、落ち着いて話し合いにのぞむことができました。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年04月29日■前回までのあらすじ 仕事依頼が来たけれど反対する彼。しかし心の声は「やってみたい」と言っていて…。ずっと母の意見に従って生きてきた私が、はじめて自分の意思を尊重することに! ■自分の好きな生き方と誰かの希望を優先する生き方 はじめて自分の心の意見に従って始めた仕事は、順調に進んで行きました。この成功体験は私の自信になっていました。 そうして少しづつ自信がつき始めると、多少傷つくことが起こったとしても、自分の中で処理できるようになっていきました。 例えば、SNSで嫌なコメントが来たとしても、 「自分で選択して漫画を描いているんだから、このくらいで負けないぞ!」と、 自分の中で気持ちの処理ができるようになりました。 それがまた、自分への自信となっていきました。 だんだん自信がついた私は、引きこもりも解消し、友人に会いに行くことができるように。 トシさんは心配してくれて良い顔はしませんでしたが、それよりも自分の心に従って行動していました。つまり、トシさんの希望はないがしろにしてしまっていたのです。 すると、とうとうトシさんから「話がある」と言われてしまったのです…! →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年04月09日■前回までのあらすじ コミック執筆に熱中するうちに摂食障害が治ってきたが、体重は増えてしまう。でも「安心して太りたまえ」と言ってくれる彼。これまで太ったら周りに見下されるという思い込みが消えていくことを感じて…。 ■好きを仕事にすること。彼は反対したけれど… ずっと沈黙を続けていた私の心でしたが、退職するあたりから声が聞こえ始めました。そしてこの頃になると、心の声がだいぶはっきり聞こえるようになってきました。 幼いころから打ち込まれてきた釘も溶けていき、それによって私も元気になっていきました。そして結果として心は声が大きく出せるようになっていました。 いま、はじめて、私は自分にとって大切な人の意見よりも、自分の心の声を尊重することにしたのです。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年04月08日■前回までのあらすじ ずっと好きだった漫画を描き始めたハム子。すると「漫画なんてみっともない」と小さい頃に植え付けられた釘が溶けたことがわかる。自分を苦しめていた無数の釘は、もしかして…!? ■摂食障害で食事に脳が支配されていた私が…! この頃ちょうどガラケーからスマホが一般的になり、SNSやブログブームが始まったころでした。 この 「誰でも手軽に投稿できる」 が、この頃の私にはとても合っていました。 もし従来型の『出版社に応募する』方式だったら、ハードルが高すぎて、きっと始められなかったと思います。 この気負わずに一歩を出せたのが幸運でした。 最初の一歩を出せると、少しずつ、ゆっくりと、前に進み始めたのです。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年03月19日■前回までのあらすじ 同棲によってニートになったハム子。猫の飼育で少しずつ元気を取り戻し、SNSを見ると他人の幸せに落ち込むことも多く…。そんなときある投稿に目が留まる…! ■「好きなこと」を「好き」って言っていいの? 少しずつ 『自分を縛り付けているのは自分自身』 ということがわかってきました。 でも釘を溶かすことは、当時の私には、まだ自分だけの力ではできませんでした。 信頼している人、1番愛されたい人の力が必要でした。 もしかしたら多くの人は、この作業を幼少期に家族にやってもらっているのではないのかなと思っています。 たとえば学校などの外の世界で、レッテルや固定概念といった釘を打たれてしまっても、家族が自分を信じてくれれば溶かすことができる気がします。 さらに子どもの頃だったら頭も心も柔らかいから、釘は比較的簡単に溶けるかもしれない…。 こうして周囲に打ち込まれた窮屈な釘を「溶かすことができる」を経験できた子は、大人になってもし釘が刺さってしまったとしても、その経験を糧に自分一人の力で溶かしていけるのではないか。 でも、もしその経験がないままに大人になってしまったら… その人は、1人ではなかなか溶かすことができない。 というよりも、そもそも溶かせるということすら知らず、ただただ耐え、新たな釘は増える一方で、どんどん生きづらくなっていく。 しかも大人になると心も固くなってしまうから、釘はガチガチに固まってしまう…。そんな風に私は思っています。 この頃の私は、まるで幼い子が親に甘えているような感覚でした。 もう一度、子ども時代を生き直している――そんな感じでした。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年03月18日■前回までのあらすじ 誰も知らない場所で彼と同棲を開始したが、仕事を辞め所属を失ったことで「誰からも必要とされてない」と絶望感が加速。いつしか何もできない引きこもりに…。 ■自分は必要とされていると思えること 生活に猫が加わったことで、少しずつ動けるようになりました。 「猫のお世話をする」という自分の役割ができたからだと思います。 役割があるということは、 『自分はここにいていいんだ』 『自分は必要とされているんだ』 と思えて少し気が楽になっていきました。 当時はSNSが流行り始めたころ。 私の周りも多くの人が頻繁に更新をしていました。 おそらく私にとってSNSに投稿するということは「人に幸せだと思われたい」からだったのではないかと思います。 だから身体と心の調子が良いときは、「自分も投稿したい!」という気持ちになるのですが…。 SNSには自分よりもさらに幸せな投稿がたくさんあり、結局自分と比べてかえって落ち込んでしまう…ということもしばしばでした。 このころの私は気分に波がありました。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年02月26日■前回までのあらすじ 「俺のせいにするのはおかしい」母に言われたのと同じセリフを彼に告げられる。相手の望みに従わないと愛されないと思いこんでいた私は、自分の考えが歪んでいることにまだ気づけなかった…。 ■私の存在価値が見当たらない… 今まで目に見えるステータスこそが自分の価値だと信じてきた私にとって、それがなくなるということは、「自分の存在価値がなくなった」と同じことでした。 どこにも所属していない、美しさもない…そんな自分は価値のない存在だと、このときは信じ込んでいたのです。 それなのに一緒にいてくれるトシさん。 「自分のせいで私を退職させてしまったから、罪滅ぼしで一緒にいてくれている。でも数年したら私は捨てられるんだろうな…」 そんな風に思っていました。 なぜならステータスのない私なんて誰にも愛してもらえるはずがない…と思い込んでいたから。 でもそう考えれば考えるほど、トシさんに申し訳なくて、「早く仕事を始めなくちゃ」と気持ちだけは焦るけれど、体も頭も思うように動いてはくれず、ツラい日々を過ごしていました。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年02月25日■前回までのあらすじ 彼の転勤先についていくために仕事を辞めたことを伝えると、「泣くほど嫌なら辞めなければよかったのに…」と言われて…。 ■私は彼に母の時と同じことをしている…!? 私は、自分の心の声というものがもうずっと聞こえなくなっていました。最後に聞いたのは、過食症に陥る直前の高校生の頃でした。 そしてその自分の心の声が、今回の出来事を境に、また少しずつ聞こえるようになってきました。 心の声――それは「とりつくろわない本心」。 私が自分よりも人の希望を尊重してしまうのは、それが幼少期に培った『自分が愛されるための手段』だったことに気付き始めていました。 そして、同時に、とても弱い自分が心の中にいることに気付きます。 「自分の判断で失敗したら嫌われた上に、さらに責められ見下され続けてしまう。そんなの私には耐えられない」 と、弱い私は責任から逃れて、判断を誰かに委ね依存しようとしてしまう。 実際には、 自分の希望を尊重しても嫌われることはないし、 一度や二度の失敗で、責められ続けたり見下され続けたりもしない。 もし仮に失敗してつらい事態に陥ったとしても、人は耐えられるし、立ち直ることができる。 しかし子どもの頃に形成された思考はなかなか変えられないのです。 でも、何かきっかけがあれば変えることは可能。 そのきっかけさえ掴むことができれば────… →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年02月05日■前回までのあらすじ 小さい頃から母の顔色を伺ってきたので、自分の気持ちを封じ込めればうまくいくと信じていた私は、彼のの望み通り退職届を出すことに…。 ■母は喜んでくれなくても彼が望むなら… 誰かに仕事を辞める理由を話すときのために、『他にやりたいことができた』というセリフを用意していました。 上司には正直な「恋人の希望」などは伝える必要がないでしょうし、同僚に話してもこじれることが予想できたからです。 しかし、母は辞める理由を聞いてくることもなかったので、用意していたセリフも必要ありませんでした。 聞いてこないのは、おそらく母にとって私が辞める理由には興味がなかったからでしょう。 昔からずっとそうでした。 私が何かをやりたい理由も、やりたくない理由も、母に聞かれたことはありません。 母にとって重要だったのは、「結果として人にどう思われるか」だけで、「私がどう思うか」ではなかったんだと思います。 →次回に続く ※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年02月04日