連載記事:新米ママ歴14年 紫原明子の家族日記
八百屋の夫婦の話【新米ママ歴14年 紫原明子の家族日記 第26話】
本来、家族向けマンションの向かいに建っている八百屋なんて便利なことこの上ないはずなのだけど、どうしても近くのスーパーを利用する人が多いせいか、その八百屋にはいつ行っても、私以外にお客さんがいなかった。お客さんがいないから、仕入れた野菜も随分長いこと店先に並び続けて、新鮮さを失っていく。またお客さんがいないから、安く売るということもできない。野菜が特に新鮮でもない、安くもない八百屋にお客は余計に寄りつかず、夫婦の八百屋は傍目に見ても、悪循環が生む悲しい状況に陥っていた。
私くらいは何とか支えなければと、最初のうちは頑張って通った。それでも、生活パターンが変わったりして1週間、2週間と店に行かないと、不義理をしているという後ろめたさがしだいに募って、店の前を通るにしても、夫婦の視線を避けるように、つい足早になる。そういうことが続けば続くほど、どんどん行きづらくなって、いつしか夫婦の方も、私とあまり目を合わせてくれなくなって、目が合ったとしても他人に向ける視線と何も変わらないものになって、そうこうするうち気がつくと完全に、その八百屋には行かなくなってまったのだ。
例によってその引っ越してから数年後。
何かのきっかけで再びその場所を訪れると、八百屋はきれいに潰れてコインパーキングになっていた。瞬時に、罪悪感が胸いっぱいにこみ上げて、逃げたしたい気持ちになったけれど、「あのコインパーキングは相当儲かってるらしいよ」という地元ママ友の本当か嘘か分からない言葉に、どこか少し救われたような気持ちになった。
30年以上同じ場所に根を張り、八百屋を続けてきた夫婦。その間にはきっと私のような人間が、何十回、何百回と彼らの前を通り過ぎて行ったんだろうと思う。ある日ふいに現れ、すっかり根を張ったかのように見せて、時間とともに少しずつ消えていく、私のような、根を張らない者。期待しては失望して、夫婦はそういうことを、何度となく繰り返してきたんだろう。
今でも、梅雨の時期にはついあの橋の上の大変な小旅行を思い出す。根を張らないにしても、根を張らない者なりの正しい振る舞いというものが本来はあるのだろう。
私はずいぶん薄情なことばかりしてきたなと思う。
イラスト:片岡泉
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