後天的にだって「賢い子」は育てられる。わが子のタイプに着目すれば長所は確実に伸びていく

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勉強だけでなく、どんなことでもあってもわが子に「苦手なこと」があれば親は心配になるものです。しかし、「短所を克服させよう」と頑なになるのは避けたほうがいいのかもしれません。20歳で学習塾を創業して以来、35年以上にわたって子ども教育に携わってきた石田勝紀さんは、「賢い子」に育てるためにも「わが子のタイプ」に着目して「長所を伸ばす」スタンスをもってほしいと語ります。
構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)
「賢い子」とは「抽象度が高い子」
いわゆる「賢い子」とは、どのような子を指すのでしょう?いろいろな考えがありますが、私自身は「抽象度が高い子」が賢い子だととらえています。
そのような子どもには、抽象的な質問を投げかける傾向が見られます。たとえば、3歳など幼い段階でも、「これなに?」というような具体的なものにフォーカスした質問にとどまらず、「人はなんのために生まれてくるの?」「勉強はどうして必要なの?」など、親からすればびっくりするような質問をしてくるのです。
抽象度の高さが賢さに結びつく理由は、「共通項」を見つけられる点にあります。
抽象度が低い一般的な子どもは、「違い」を見つけることはできます。幼い子どもは自分を守るためにも親とそうでない人を見わける必要がありますから、その能力はおそらく本能的に備わっているのでしょう。
一方、抽象度が高い子どもは、たとえば数年間分の過去問を見たときに、「これが共通して問われている重要なことだ」といった共通項を見つけることができるのです。あるいは、問題の全体を捉えて「こういうことをやらせたいのだな」といった出題者側の視点をもつこともできます。そのため、勉強において高い成果を挙げられるのです。
抽象度が高い、共通項を見つけられることを別の表現にすれば、「俯瞰できる」となるでしょうか。山の頂上に立って周囲を俯瞰的に眺めれば、「あの辺が住宅地」「あそこは工業地帯」というように、全体をまさしく抽象的にざっくりと把握することができますよね。でも、地上にいれば目の前しか見えません。
山の頂上の景色とは、すべてが違って見えるでしょう。
そのため、抽象度が高い子どもが問題全体を捉えて出題意図などに着目するのに対し、抽象度が低い子どもはたとえば算数の細かい数字ばかりに目が向かう、または、問題そのものを暗記しようとするなどしていい成績を残しにくいのです。