左から中山三善 様(スヌーピーミュージアム館長) 、草刈大介 様(クリエイティブ・ディレクター)
子どもから大人まで、幅広い年齢層から愛されているスヌーピー。実は本国のアメリカを除くと、世界的にも断トツで人気が高いのが日本なのだとか。そんなスヌーピーの知られざるルーツを探るべく、六本木にあるスヌーピーミュージアムに行ってきました。
スヌーピーの歴史からキャラクターが持つ“オシャレ感”の秘密まで、同ミュージアム館長の中山三善さんと、クリエイティブディレクター・草刈大介さんに、その魅力をたっぷりと語っていただきました。
■スヌーピーの生い立ち
スヌーピーが誕生したのは1950年。『PEANUTS』というマンガに登場するキャラクターで、もともとは主人公のチャーリー・ブラウンが飼っているしゃべらない脇役の犬でした。でも作者のチャールズ M. シュルツ氏は、スヌーピーを徐々に子犬から人間以上の存在にしていったと言います。
草刈「シュルツさんが子どもの時に飼っていたスパイクという犬が、とても変わった犬だったみたいで。
家族の中では人間の言葉を50くらい理解できると言われていたり、コーラを飲んだり、画鋲を食べちゃうなんてエピソードもあるんです。この時から、シュルツさんの心の中には、普通とは違う“変わった犬”のイメージがあったんですよね。
実は『PEANUTS』の前にも『リル・フォークス』などいろいろなマンガを描いているけれど、そのすべてにおもしろい犬が出てきます。恐らくそこには、小さな時に飼っていたスパイクの影響がある。シュルツさんは『PEANUTS』の連載が長く続いていくに連れて、スヌーピーがスパイクみたいだったらどうだろう?と考えるようになったんです。
深層心理の中にあった“変わった犬”のイメージが、スヌーピーに人間以上のことをさせるようになったルーツであり、大きなキッカケになっています」
(c) Peanuts Worldwide LLC
■スヌーピーの今と昔
長年に渡って絶大な人気を誇り続けるスヌーピー。親世代、子ども世代という今昔で、人気のあり方に違いはあるのでしょうか?
草刈「今はキャラクター人気が先行していますが、昔はコミックの人気があったと聞いています。1967年に『PEANUTS』が日本で刊行されて、現代詩人の谷川俊太郎さんがマンガを翻訳しているっていうのが新鮮だったし、日本で出版されていたマンガと比べてすごくオシャレだった。
表紙は日本語だけど裏表紙が英語で書かれていて、カッコつけて裏面にして置いてみたり…当時の若い子たちは、コミックにすごく影響を受けていたんです。コミック発行から1年ほどでグッズが出るようになって、これは日本のキャラクターグッズの走りでもあります。
白黒のシンプルな絵柄が日本人はすごく好きだし、今までの日本のキャラクターにはないオシャレさがあった。なので当時は、コミックもグッズも両方人気があったんですよね。
今はキャラクターのほうが人気になってしまって、意外とコミックが読まれていない。爆笑するようなものではないけれど、ユーモアがあるコミックのおもしろさが伝わっていないので、ミュージアムではその本来の部分を伝えたいっていうのがありますね」
シュルツ美術館にある壁画の製作者である大谷芳照さんが手掛けた壁画。約4500枚のコミックを立体的に組み合わせて作られており、大迫力のスケールで来場者を迎えてくれる。
■スヌーピーの変遷
スヌーピーにとって、もっとも大きな進化は四足歩行から二足歩行になったこと。
他にも50年の歴史の中で、鼻が丸くなったり、お腹がポッコリ出てきたり、容姿が少しずつ変化しています。
草刈「意図してやっている部分と、描いていたら自然とそうなったっていうのが混ざっているんじゃないかな。たとえば子犬の姿だと、犬小屋の上に乗る姿が想像できないじゃないですか。でも胴長になって手足が動くようになると、人間のすることができるようになる。
そうすることで、もっともっと人間みたいなことをやらせてみようとか、動物の真似をさせてみようかとか考えるようになったのではないかと。60年代になると、二本足で立って、普通の犬じゃできないことをさせるようになりますが、当時はずっと立っているわけではなくて、完全に立つようになるのは70年代になってからなんです。
でも、なぜか晩年の頃になると、普通の犬のように座っているポーズが増えている。実はシュルツさんが新たに犬を飼ったっていうのもあって、それが影響しているっていう話もあるんですよ。
マニアックな話ですけどね(笑)」