「ただの長雨」か「趣ある秋霖」か 雨の名前を知ると景色が変わる日本語の豊かさ

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「ただの長雨」か「趣ある秋霖」か 雨の名前を知ると景色が変わる日本語の豊かさ

吉元由美の『ひと・もの・こと』


作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。

たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。

「季節を味わう」という精神文化


晩夏から秋にかけて、今年は長雨でした。

晴れてお日様が出た日はほんの三日ほどだったのではないでしょうか。

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それも台風やら線状降水帯で激しく降るときには災害級でした。

ジメジメとし、家の中も空気が澱んでいるような。

カビが原因で肺を痛めた人も多いと聞きます。

それだけではなく、低気圧が続くことで体調も今ひとつに。


1日、晴れて久しぶりの青空が広がった日、家中の窓を開け、空気を入れ替えました。

夏の間は強い日差しにうんざりしていましたが、太陽のありがたさをつくづく感じたのでした。

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そんな秋の雨。古の人は秋の雨に名前をつけました。

秋小雨、秋雨、秋時雨、秋湿、秋梅雨、秋黴雨(あきついり)、秋霖、秋雷、雨冷え、豆花の雨。

鷹渡りとは宮崎県地方の言葉で、鷹が南へ渡る9月末くらいに降る長雨のこと。

薬雨とは、陰暦10月の雨のこと。冬眠に入る生き物たちが、この時期の雨水を飲んで冬ごもりの支度をするということから生じた名前だそうです。


同じ秋の雨でも、その降り方、降る時期によって味わい深い名前をつけた古の日本人の感性の豊かさを感じずにはいられません。

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そして、その雨の名前を通してどんな情景が思い浮かぶか。

夏の終わりを告げ、秋の始まりを告げる秋雷。

遠い雷鳴を聞きながら、風が変わったことを知る。

日常の中にそんな瞬間を感じられるのは、何と豊かなことか。季節の移り変わりを味わえるのは、四季のある国に住んでいるからこそ。移り変わる季節と言葉を重ね合わせ味わうのは、個人的な豊かな文化活動なのです。

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日本語には雨の名前でも400近くあると言われています。


同じように風の名前、空の名前、雲、雪、空の名前など、天気や気象を表す言葉が数多くあります。

それも気象用語のような言葉ではなく、趣のある言葉です。

それだけ日本人が自然と共に生きてきたという証であると同時に、自然に敬意をはらい、自然を愛で、季節の移り変わりに心を砕いたのでしょう。

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万葉集などの和歌集の中には貴族や僧侶の和歌だけでなく、読み人知らず、防人といった人々の和歌も収録されています。

自然の中に、季節の移り変わりと心情を重ね合わせ歌を読むという文化は、私たちの中にもその感性のDNAが受け継がれているはずです。

日本人は、この日本語という言語が包有する精神文化の豊かさに気づいていないかもしれません。

国を失うとは国土だけの問題ではなく、母語を失い、文化を失うということ。

少し大袈裟な言い方になりますが、大きな変化が起きている時代だからこそ大切にしたいのです。


「ただの長雨」か「趣ある秋霖」か 雨の名前を知ると景色が変わる日本語の豊かさ

秋が深まっていくのを楽しみ、冬の訪れの足音に耳を澄ます。

そうして季節を味わう。美しい言葉に触れましょう。

そんなささやかなことを楽しみが、日本の精神文化を育んでいくことにつながっていくのです。

作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー

※記事中の写真はすべてイメージ

[文/吉元由美構成/grape編集部]

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