「母の本当の子だったのかも」山村紅葉 没後30年…初めて小説を書いて気づいた母・山村美紗さんと「似ているところ」
200字詰めの原稿用紙に、青インクの消せるボールペンで執筆する山村紅葉(写真:本誌写真部)
母の美紗さんからはいつもけなされてばかり。お弁当も作ってくれないし、学校の面談にも来てくれない。「拾ってきた子だから」なんて酷い言葉まで。そんな母が、陰で応援してくれていたことを亡くなったときに教えてもらった。それでも……。
生まれて初めて母とのつながりを実感したのは、母が亡くなったのと同じ年齢で、母と同じ小説家になったときだった。
「すでに母より長生きしているわけだから、もう、生きているだけで丸儲けなんです。怒る母もいない。
とりあえず書いてみようという気持ちになりました」
昨年10月、山村紅葉さんは65歳になった。母でミステリー作家の山村美紗さんが、心不全のため急逝したのも65歳。亡くなる直前まで編集者と打ち合わせをし、新しいドレスの仮縫いに出かけるなど、数年先までを見据えて精力的に動き続けていた。
その母と同じ年齢にたどり着いたとき、ある種の解放感があった。
幼いころから文章を書くたび、母には「下手」とけなされ、「自分には文章の才能がない」と思い込んでいた。
「もう書いても怒られないし、それにママ、よく言っていたよね、『今からでも遅くない』って」
そう思うと、不思議とペンを執ることができた。
最初は、パソコンやスマートフォンによる執筆を試み、音声入力も勧められた。だが、どうにもしっくりこない。
「パソコンなんて、1文字入れるのに、なんで2文字も打つのよって腹が立って(笑)。でも、原稿用紙に手書きしたら、バーッと書けたんです」
結局、選んだのは200字詰めの原稿用紙。筆記具もあれこれ試した末、青いインクの消せるボールペンにたどり着いた。太さはいちばん太い1ミリ。
そこで、ふと母を思い出した。
美紗さんも、最後まで原稿用紙に手書きする作家だった。一時期、モンブランの万年筆を使っていたが、インクをつける時間が惜しいとカートリッジ式に。それでもインクが落ちてくるのが遅い、かすれると苛立ち、最後にはサインペンで原稿を書いていたという。
「その気持ちが、めちゃくちゃわかったんです」
月に400字詰め原稿用紙800枚を書いたという速筆の母同様、紅葉さんも取材で聞いた話や浮かんだ情景を一気に書き進めた。「『速いです。先生と似ています』って言われて。文章も読みやすくて、お母さんと似ていますって。似てるって言われたことが、すごくうれしかったんです」
さらに、かつて母が口にしていた言葉の意味も、初めてわかった。
「母は『ペンが書いてくれるの。だからペンじゃないとダメなの』と言っていたんです。昔は何を言っているのかわからなかった。
でも、書いていたら、本当にどんどんペンが進んでいって。母が乗り移ってくれているような気もしました」
小説を書くまで、自分が母にこれほど似ているとは思っていなかった。それが65歳になり、初めて小説を書いたことで、思いがけないところに、母とのつながりを感じた。
「もしかしたら、私、母の本当の子だったのかもしれないなって(笑)。少しうれしくなりました」
母が亡くなって30年。その実感を、初めて自分の手で走らせるペンのなかに見つけたのだった。
■“山村美紗の娘”として注目されるのも、今は「ありがたい」と思える
女優業のかたわら、母との思い出をエッセイにも綴ってきた。ただ、事実に基づくエッセイでは、昔なら笑い話になったことも、今の価値観では誤解を招いたり、相手に失礼だと感じることが増えていった。
約5年前、月に一度の連載が終わると、最初は締切りから解放されたことにホッとした。だが、わずか数カ月後には「母のことを書き残す場所がない」ことを寂しく感じるように。編集者から小説を書いてみてはと勧められたのは、そんなときだった。
「小説だったらもっと自由にいろいろなことが書けるんじゃないか」
最初は母・山村美紗を題材にしようと考えた。だが、実在した人をモデルにすれば、フィクションまで事実として受け取られかねず、周囲への配慮も必要になる。
「なんとなく小説を書きたい気持ちを抱えながら、ここ4年ぐらいの間、あれでもない、これでもないって」
そして昨年、映画『国宝』を見たことで、長い間探し続けていたものが、ようやく一つにつながった気がした。
20歳のころ、母に連れられて足を踏み入れた祇園のお茶屋。そして長年見聞きしてきた歌舞伎の世界……。
自分が親しんできたものをもとに書いてみようと。探し続けてきた物語の輪郭がようやく見つかった。こうして生まれた初小説が、『祇園の秘密 血のすり替え』(双葉社)だ。
舞台は京都・祇園と歌舞伎界。老舗置屋と歌舞伎界の名門、家を存続させるために行われた“血のすり替え”が、20年の時を経て、人々の運命を大きく揺さぶっていく物語となった。
ストーリーの根底にあるのは、名門に生まれ、血や才能を受け継ぐことへの期待を背負わされた人々の苦しみだ。
母は「ミステリーの女王」山村美紗さん。祖父は京都大学名誉教授の民法学者、叔父も著名な政治学者。
父は数学教師を経て洋画家となり、祖母のいとこには名優・長谷川一夫さんがいる。そんな家に生まれた紅葉さんにとっても、このテーマは決して遠いものではなかった。
「名門であるがゆえに期待される。でも、自分の努力では越えられないものってあると思うんです。私も、絵に描いたような幸せな人生っていうことにしてますけどね、バラエティ的には。でも、それだけではないって。それを伝えられれば、書いた意味があり、私が生きた証しになると思いました」
かつては「山村美紗の娘」と言われることに傷ついた。だが今、「山村美紗の娘を卒業したと思うか」と尋ねられても、「今でも娘です。卒業はしたくないです」と答えるという。今回の小説家デビューで、再び「山村美紗の娘」として注目されることも、今は前向きに受け止めている。
「ありがたいですね。今の若い人は、母のことを知らない人も多いから。これをきっかけに知ってもらって、本も読んでもらえたらすごくうれしいです」
執筆中、美紗さんが何度も夢に現れたという。死後、夢の中に出てきては心配そうな表情を浮かべた母。それが、自分の人生をしっかり生きようと決意してからは笑顔で現れるようになった。
「今回、小説を書いている間もそう。ずっとニコニコして出てきてくれたんです。小説については何にも教えてくれなかったですけど(笑)」
女優はこれからも続けていく。そのうえで、また書きたいものが見つかったら、ペンを執りたいと言う。母の口癖の一つは、「口に出せば願いは叶う」。65歳で初小説を世に出した今、紅葉さん自身がそれを体現している。
今度、母が夢に現れたら?
「次に書くときは、ちゃんとアドバイスしてくださいね」
【後編】「私のコネで女優をやれてるから…」山村紅葉女優業に反対していた母・山村美紗さんの死後に聞いた「秘めた親心」へ続く