半世紀の空白を、背番号1が埋めた——横手、57年ぶりに夏の甲子園へ|第108回全国高校野球選手権 秋田大会 決勝 横手 - 大曲工

最後の打者を打ち取った瞬間、背番号1が両腕を突き上げた。マウンドに歓喜の輪ができ、エース・佐藤宙斗(3年)が宙に舞う。秋田・横手にとって、この夏の甲子園はじつに57年ぶり——1969年以来、2度目の出場である。半世紀を超える空白の時間が、ひとりの右腕の力投とともに、ようやく埋まった。

波乱の夏に、立ちはだかった横手

今年の秋田大会は、序盤から波乱の連続だった。昨秋の県大会を制した明桜、今春の王者・秋田商、その春の準優勝校・鹿角——秋と春の決勝に駒を進めた実力校が、7月9日までに相次いで初戦で姿を消した。そして翌10日、最後のひとつが崩れ落ちる。夏の秋田を連覇し、大会3連覇を狙っていた金足農(今大会はノーシード)が、2回戦で横手に1-3と競り負けたのだ。
秋春の決勝に進んだ4校が、夏はそろって初戦敗退——異例の大混戦のなかで主役に躍り出たのが、ほかならぬ第6シードの横手だった。

その金足農戦は「因縁の一戦」でもあった。両校は今春の3回戦でも対戦し、そのとき勝利したのは横手。敗れた金足農は夏の大会でノーシードに回っていた。しかも6月の抽選会では、最後まで相手が決まらなかった横手のくじを、最後に金足農が引き当てるという巡り合わせ。マウンドに立ったエース・佐藤宙斗は、雪辱に燃える王者を9回4安打1失点に封じ込めて完投した。「カナノウキラー」の異名そのままに、この一勝がチームを勢いづけた。

立ち上がりで決めた決勝

10年ぶりの県南勢対決となった決勝。
横手は初回から試合を動かした。1死満塁の好機に、5番・武田修治(3年)の犠牲フライで1点を先制。続く2回にも無死満塁のチャンスをつくると、1番・三浦悠聖(2年)が2点適時打を放ち、リードを3点に広げる。序盤で主導権を握った時点で、流れは大きく横手に傾いていた。

あとは、エースがいつも通りに腕を振るだけだった。佐藤宙斗はこの日、9回を117球、4安打1失点、12奪三振で完投。大曲工対策として磨いたスライダーを軸に、持ち前の制球力で的確にコースを突き、何度もバットに空を切らせた。「この1勝を絶対につかみ取りたい。
この大会を通して実力のある高校相手にも自分ひとりで投げてきたので、決勝も自分ひとりで投げ抜くぞと思っていました」。宣言どおりの完投劇だった。今大会は5試合中4試合を完投。投球イニングは通算39回に達し、失点はわずか5という数字が、この右腕がどれだけチームを背負ってきたかを物語る。10年ぶりの頂点を狙った大曲工の粘りを、最後まで寄せつけなかった。

1969年からの、長い道のり

横手は1898年(明治31年)設立の県立校で、生徒数は624人。野球部の創部は1902年(明治35年)にさかのぼる。だが、夏の甲子園の土を踏んだのは、これまでたった一度、1969年だけだった。


その1969年という年は、高校野球史に深く刻まれている。全国大会の決勝で松山商と三沢が延長18回を戦い抜いて0-0の引き分け、翌日の再試合の末に松山商が競り勝った「伝説の夏」。横手が最後に聖地に立ったのは、まさにその舞台と同じ年だった。1県1校制となった1978年以降では、今回が初めての決勝進出でもある。制度の変遷も含めれば、いかに長い挑戦だったかがわかる。

指揮官の言葉は、どこまでも穏やかだった。山信田善宣監督は決勝を前にこう語っていた。「持っているもの以上のことはできないので、普段通りのことをしっかりと。
こういった舞台に登って来られたことも当たり前ではない。後悔を残さないよう、せっかくの舞台を楽しんでいきたい」。気負わず、選手を信じ抜いた姿勢が、半世紀ぶりの結実へとつながった。

聖地へ

第108回全国高校野球選手権大会は、8月5日から22日まで阪神甲子園球場で開催される。組み合わせ抽選会は8月1日。57年という時間を経て戻ってきた横手が、あの舞台でどんな夏を描くのか。背番号1の右腕とともに、秋田の球史に新たな1ページが刻まれようとしている。

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