過去がどんなに辛くても、最後の最後に幸福であれば、この苦しみや辛さは報われるのか…
「家」によって傷ついた人は、世の中に驚くほどたくさんいます。
生まれおちた「生家」を、私たちは選ぶことができません。
でも、最終的に「帰り着く場所」は、少しは選択の余地があるようにも思われます。もちろん、人生の変転のなかで「ここにいることを余儀なくされる」「外に出ることができない」状態になる人もたくさんいます。ただ「生まれた場所」よりはわずかに、「選べる」部分はあるのではないかと思うのです。
「最終的に帰り着く場所」は、自分の人生の終着地であり、人生の理想が注ぎ込まれる場所、といえるかもしれません。「終の棲家」に憧れ、あれこれと夢を思い描く人は少なくありません。将来こんな家に住みたい、いつかこんな場所で暮らしたい、という願いを叶えた人は、とてもうらやましがられます。
私は(あちこちで書いていますが)、非常に引越の多い人生を送ってきました。生まれたその日が引越の日で、それからよんどころない事情で20回以上も引っ越してきました。夜逃げでもなければ趣味の引越でもなく、不思議なくらい「引っ越さなければならなくなる」人生だったのです。
ですが40歳を越える頃から「最後にはどこにたどりつくのだろう?」