過去がどんなに辛くても、最後の最後に幸福であれば、この苦しみや辛さは報われるのか…
という思いが湧いてきました。「終の棲家」があるとすれば、それはどこなのか。それは幸福な場所なのだろうか。この問いは、このところ年々、私の中で重みを増しています。
それは単に「場所・建物」の問題だけに留まらず、「最終的にはなにをして、どう暮らしているのか」という、生活全体のイメージにつながります。つまりは「人生の最後」ということなのです。
『椿姫』のように、ジェンのように(※前編参照:https://cocoloni.jp/culture/1331568/)、私たちは自分の人生において「最終的にたどり着く場所」がなんとか、美しく幸福なものになることを願ってやみません。
金メダルを目指し、社会的成功を目指し、幸福な人と羨まれ、立派な人と尊敬されることを目指した後で、一人の人間として「最後に、本当に欲しいもの」はなんなのか。
これは、人生の早い段階で準備できるものではないのかもしれません。でも、そのことを心の中で、常に探し続けることができるとしたら、はまらずに済む落とし穴もあるのかもしれません。
「最後の最後が幸福であれば、人生の全体が幸福の光に照らし出される」「過去がどんなに辛くても、現在がどんなに苦しくても、最後の最後に幸福であれば、この苦しみや辛さが全て報われる」。