パンドラの箱とチキン南蛮【彼氏の顔が覚えられません 第28話】
こんなハズじゃなかった。もっと華やかだと思っていた。3年間のうち、最後の1年間はずっと辞めたいと思い続けていた。仕事も徐々に消極的になっていった。それが社長にも通じたのだろう。
「もう用済みだ。前に進めない人材は、ウチの事務所にはいらない」と、タナカ先輩の才能を全否定するような発言を並べた挙げ句、それでも彼を採用に至った真実を口にした。
「君のお父さんの会社がウチのお得意様じゃなかったら、君なんて最初から見向きもしなかったよ」
裏で自分の父親が関係していた。
それを知ってショックだったが、同時に納得もいった。そもそも初めて受けたオーディションは、父親に紹介されたものだった。
オーディションに向かうとき、「厳しいのは合格してからだ、よく思い知ってこい」なんて言葉もあった。あれは激励の言葉ではなかった。一度現実を味わわせれば懲りるだろうと。父親は息子にさっさと夢を諦めさせて、自分の会社を継がせることしか考えていなかった。
「…だから、あの3年間はムダでしかなかったんだよ。俺はもう…マトモに大学出て、親が望むようなマトモな社会人になる…それしか求められてないんだよ…!」
そして今。
タナカ先輩が、自分が抱えていた闇を――二度とふたを開けまいと思っていたパンドラの箱の中身を、絞り出すような声で必死に私たちに打ち明けてくれたとき。
コモリは顔を真っ赤にして、クスン、クスンと言いながらハンカチで目をおさえていた。悲しいのか。または、こんな過去を先輩に話させてしまったことをいまさら悔いているのか。目の前に置いてある弁当箱には、一切手をつけられていない。
一方、私は。
「ごちそうさまでした」
と言って席を立つ。「えっ」と言って、私を見る先輩とコモリ。
いや、べつに、なにも驚かせるようなことしたつもりないけど。単純に、チキン南蛮定食を食べ終わっただけだけど。ご飯の一粒まで、残さずキレイに。
「時間なんで、もう次の授業行っちゃいますね。じゃあ」
と言って、先輩とコモリを残し、食堂を後にする。
私が先輩の過去を聞いて抱いた感想は、ただこれだけだった。
話、ながっ。
(つづく)
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