最近、『コラム読んでいます』や『書籍読みました』の声を多く受け取るようになった。ホームレス経験というのがメディアに出てから、それを1つのキッカケとして『経験からのメッセージ』というのをコラムや書籍を通して発信し、何かパワーを受信していただけたら本当に嬉しく思う。 前回第5回ではそんな皆さんからの具体的な声に対してお答えするような形で執筆した。今回も自分の所に来たメッセージから伝えられることを書いていきたいと思う。Bさん「岸田さんこんにちは。私は今年高校を卒業するのですが、その後の自分が見えません。周りはとりあえず進学するといった子や、とりあえずバイトしながらやりたい事探すなど、とりあえずって感じで具体的な事はないみたいです。私は美容師さんになりたいっていうぼんやりとした夢はあるのですが、全然知らない世界だし諦めないでずっとやっていけるのかと言われれば何とも言えません。でも、他にこれと言ってやりたい事もないし、この先どうしたらいいか…。変な質問ですみません。」 実はこのメッセージは、僕が高校生の時に漠然と思っていたことと同じなのだ。『とりあえず』程度でこの先を考えてしまうのもどうかと思ってたし、これといって目指す物も夢もなかった。そこに僕は『芸能』という世界からお誘いがあり、『やってみたい』と思い飛び込んだわけなのだが、やはりどこの仕事の世界も技量がものをいう。好奇心やぼんやり程度では生き残るのは難しいのだ。 僕個人の意見としては無責任かもしれないけど、『やりたい事や夢や希望は無理矢理探す事じゃない』と思う。 卒業するから…、周りがこうだから…、自分の人生は時間や周りに左右される事じゃないと思う。 無理矢理歩んだ道は後で必ず無理が応じるから。時間や周りと自分の気持ちがついていかないならそれでいいのではないかなと思う。義務教育というのは義務だからしっかりと果たして、その先はあくまで任意なのだから。 やりたい事や夢や希望を持つ事や、周りに合わせる事や、進学するというのは義務ではない。美容師さんになりたいというぼんやりとした夢があるとゆう事だがぼんやりならぼんやりなりの行動をとってみてはどうだろう。 全然知らない世界というなら、まず自分がその世界に飛び込むのではなく世界を調べるのもいいと思う。 僕の頃とは違い、今はこれだけインターネットが普及しSNSが盛んな情報社会になっているので自宅でも色々と知る事はできる。 そうやって、少しずつその世界を覗いてみて、やっぱり無理だなと思えばやめればいい。逆にまず飛び込んでみてから考えるのもいい。 人生は自由。自分の人生であれば何より自分が納得する形が一番いいと思う。それが僕の個人的な意見。 僕も無知で好奇心のみで飛び込んだ芸能界。結果的に無力さを痛感し、身を引いてホームレスという経験から始める事にしたが、全部自分が選んだ道なので後悔はしていない。 後悔した事は自分にではなく、その頃支えてくれた周りの方々へちゃんと恩返しができなかったこと。 Bさんも、もし今、ご家族やお友達など支えてくださる方々がいるのであれば、自分の気持ちに嘘をついたりせず、ありにまま正直な気持ちを伝えてあげるといいと思う。 ぼんやりでも何か希望があるならそれで充分。人生は何度でもやり直しがきくと僕は思っている。 確かに歳を重ねるごとに難しくなっていくのも事実。けれど、大切なのは自分の気持ち。30代後半や40代後半になって初めて自分の行きたい方向が見つかる人だっている。 自分のやりたい事が、もしかしたら愛する恋人と一緒にいる事だったりするかもしれない。結婚や自分の子供を育てる事が生きがいという人もいる。 人生いろいろというのは、自分への充実や幸せの形がいろいろ違うことだと思う。頑張りすぎず、けれど頑張って欲しいと思う。(岸田 健作)【書籍】昨日、ホームレスになった。著者:岸田健作価格:¥1,365 公式サイト 【連載】ホームレスになってしまった芸能人、岸田健作のゼロからのスタート ■01.ホームレス芸NO人の一歩 ■02.礼儀とルールと人との交流 ■03.物事の0 ■04.水が変えてくれたこと ■05.壁は1つ1つしか越えられない ■06.ぼんやりとした夢への向かい方
2012年05月24日ホームレス経験の中から得た思いをコラムとして書いてきましたが、僕のこの経験と半生をつづり、4月16日に『昨日、ホームレスになった。』というタイトルで書籍を発売した。ホームレスでの経験もこのコラムとは、また別の角度から書いたので是非、読んでほしい。自分には「芸」の能力もなく、一般常識も欠けていて、社会勉強もまともにせず、社会に飛び込み、環境や人のありがたみさえ分からなかった。そんな自分に苦悩し自ら「0」にリセットし、ホームレスの道を選らん僕は、とにかく半生体当たりだった。痛い目にあわないと分からない人間なので、手探りで進んで怪我してということを繰り返してきた。そんな僕が今手にしたのは『生きる糧と充実と希望』。僕の思う『幸せ』だ。書籍を発売した事や報道に出る事でそれを見た、聞いた方から多くのメッセージをいただくようになった。今日はそんなメッセージの中から1つ紹介したいと思う。Aさん 「私は、絵を書いたりアクセサリーを創ることが大好きなのですが、それを仕事にしていくこと、それをどう始めていけばいいのかを悩んでいます。ホームページをつくって、ネット販売を始めるのがいいか、どこから踏み出せばいいのかわからないのです。伝える事が不器用なので、上手く伝えられず申し訳ありません。」というメッセージ。もちろん何事にもまだ見ぬ世界へ飛び込むのは勇気がいるし、不安だ。『○○した方がいい!』と断言はできないけれど、僕の場合は『まだ見ぬ世界へ飛び込む不安』を抱いたとき、投げかけて頂いた言葉で救われた言葉がある。『君がやりたいと思っているのであれば、それをやってみるのが一番いい』一見無責任な言葉に聞こえるかもしれないけれど、すごく深い言葉だなと思う。自分以外の人や物から自分の思いとは違う事を教わって、結果失敗したときおそらく後悔する事になると思う。『自分が決めればよかった』と。もし仮に成功したとすればそうは思わないのかもしれないけど、どちらにせよ成功も失敗も結果を出すのは自分が選んだ道の方が気持ちいいんじゃないかと僕は思う。例えばAさんのメッセージの中で…『ホームページをつくって、ネット販売などから始めるのがいいかなど…』とありますが、もうAさんの中で見いだせている。ホームページをつくって、ネット販売を始めても、またそこで壁が待っていると思う。だけど今よりももっと具体的な壁だと思う。そうやって、いくつもいくつも壁を乗り越えて行けば、自ずとAさんにとっての正解が見えてくるはず。仮に僕なら、ホームページをつくって、ネット販売などから始める。しかしホームページを作った所で見てもらわないと意味はない。そのためにはまず多くの方に知ってもらう事…。そしたらまずはより多くの方に宣伝する。けれど、宣伝の仕方がわからない…。それなら、まずは知り合いや友達からでも知ってもらおう!けれど知り合いだけでは限界が来るな…。そうしたら同じような業種の方と知り合いになって宣伝の仕方を色々教えてもらおう!…というように最初に起こりうるであろう問題や解決策を想定してメモ書きして1つ1つ解決させていく。結局遅かれ早かれぶつかる問題なら想定内の問題は早めに解決してしまった方が早く進める。しかも、ここまでは特に特別な能力も大きなお金が必要なわけでもなく等身大の自分でできる範囲。まずは、等身大の自分ができる範囲で体当たりして、上手くいけばまた1つ上の悩みにぶつかっていくのだ。何事にも階段を飛び越える事はできない。1段1段着実に踏みしめた実感を持って登って行けば、気づいた時には必ず今よりも上に行けるはず。Aさんのように夢と希望を持ち、1からスタートし始めるような方々を応援していきたいと僕は思う。(岸田 健作)【書籍】昨日、ホームレスになった。著者:岸田健作価格:¥1,365 公式サイト 【連載】ホームレスになってしまった芸能人、岸田健作のゼロからのスタート ■01.ホームレス芸NO人の一歩 ■02.礼儀とルールと人との交流 ■03.物事の0 ■04.水が変えてくれたこと ■05.壁は1つ1つしか越えられない
2012年05月10日今回は少し見方の角度を変え『水』というタイトルで書こうと思う。ホームレス経験があった事を報道された時、一番よく聞かれるのは食事の事だ。『どうやって餓えをしのいでいたの?』と。最初のうちは、多少お金を持っていたのでおにぎりやパン買っていた。しかし、みるみるお金がなくなってしまい残り数百円になってしまったのだ。最初は一日におにぎり2つにパン1つと、贅沢していたのが、お金がなくなってしまうと共にお腹もだんだん多くを望まなくなってきたのだ。体に物を入れる回数が少なくなると同時に、当たり前だがみるみるうちに痩せていくのがわかった。一番ひどかったのは、起きたら頭がクラクラし、体はフラフラで歩けなくなってしまったこと。思考力も薄れてしまい動く事すら嫌になってしまったのだ。それでも食べないと死んでしまうので、ゴミ箱をあさったり道行く人から恵んでいただいたりと、そこにプライドなんてものはなく、何としてでも生きねばとゆう気持ち一心だった。もちろん毎回ゴミ箱をあさり、何か食べ物を見つけることや、道行く人から恵んでいただけたわけじゃない。そんな時はもう水を飲むしかなかった。お腹が満たされるわけじゃないし空腹感は止まないけれど、それでも人間の体の60~70パーセントは水分でできているというのを信じてガブガブ飲んだ。水を飲むと排尿の回数が増え体の中を浄化はしてくれるので、拾ったお弁当でお腹をくだした以外はホームレス生活中に病気になる事はなかったのが今考えれば驚くことだ。水を飲む習慣はその後、僕も身につき今でも毎日1L以上飲むことが当たり前になっている。僕も風邪をひきやすい体質だったのだが、それ以来まったくひかなくなった。勿論それで餓えはしのげない。皆さんは『水しか体に入れる物がない』なんて状況ではないと思いますし、今は割りと多くの方が生活の中で水を飲むようにしていると思うのですが、喉が渇いていなくても水を飲むようにしてみるとまた体質が変わってくると思う。究極の状態から出た結論だか、みなさんも今日からでも試してみてはいかがだろうか?
2012年04月18日皆さんには、それぞれの生活がある。仕事へ行き、ご飯を食べ、家に帰り、お風呂に入り、友達と電話やメールをして、寝る。もちろん例外の方もいると思うけれど、少なくとも、この記事を読んでいる方々は、パソコンか携帯電話で見ていると思うから、当時の僕のようにホームレス状態ではないと思う。その程を確認した上で、今回タイトルにした『物事の0 』ということについて話したいと思う。皆さん、日常会話の中で『仕事が辛いor 楽』、『家賃が高いor 安い』、『良い or 嫌な友達』と比べることがあると思う。もちろん僕だって今までいろいろと比べてきた。そんな中、ホームレスをしているあくる日、ふと考えてみた事があった。【ホームレス中の僕】『仕事が辛いor楽』…仕事がないし、アルバイト等の仕方さえわからない。『家賃が高いor安い』…家賃どころか家がない。『良いor嫌な友達』…友達がいない。そんな状態だった僕は、「一体今までなにを0(ゼロ=基準)として物事を考えていたのだろう…」と思ったのだ。『仕事が辛いor楽』という発想の前に、職につけているありがたさ、お給料をいただけるありがたさがある。『家賃が高いor安い』という発想の前に、どのような家でさえ、屋根があって壁があって生活ができる家に住めるとゆうありがたさがある。『良いor嫌な友達』という発想の前に、これだけ多くの人間がいる中で自分とゆう人間に気持ちや時間を費やしてくれる人がいることのありがたさがある。もちろん、あの時の僕に『仕事』も『家賃』も『友達』もなかったから『良い・悪い』の選択肢さえなかった。僕はこういった事を『今に甘えず、常日頃からしっかり感じていないと、すべてをなくすのだな』と、真夜中の公園で自然と思ってしまったのだった。そこで、「あれ? 今考えていることは、以前と価値観が違う」ということに気付いたのだ。『仕事』、『家賃』、『友達』についての善し悪しや大変さを感じているうちは、幸せなだったなと。それは、既に仕事があり、家を借りる事ができ、友達がいるって事からスタートできるという考え方だから。以前、とても悲しいニュースを見た。『自宅が差し押さえられてしまい生活苦からの自殺した』というニュースだった。人の事情はさまざまだけど、僕はこのニュースを見て、「なぜ、命を絶たないといけなかったのだろう」と思ってしまった。たとえば、僕には家があってさらに『5』という幸せがあるとしたら、家がなくなるというのは僕にとっては数字が0に戻るだけなのだ。また1,2…と培っていけばいいと思う。けれど、みなさんは口をそろえて言うかもしれない。「それは、ホームレス経験したからでしょ? 普通ホームレス経験なんてした事ない人ばかりだから」と。そこで疑問なのは、『普通』という言葉がなにを示すのか? 僕は幼稚園に行き、小学校を卒業し、中学入学して、高校卒業し、就職したという人生を歩んできた人間。皆さんと同じ人間。でも、ホームレスをしたから『普通』ではないのだろうか?もし、自分がホームレスの経験から、物の見方を変え、どのような状況になっても生き抜く術が身についたのだとしたら、ある日自分がまた路頭に迷ったとしても、食べ物がなくて危機的状況になっても、死ぬという選択肢を取らないと思う。『人生は何度でもやり直しができる』とは、よく言うけれど、命はやり直しができない。そう考えたら、『生きている』という事に対して、それが普通とは思わず感謝すべき事だと思うのだ。両親からいただいた唯一無二の大切な物だから。辛い事や悲しい事がたくさんあるけれど、笑えること、たまにちょっと贅沢ができること、恋愛ができること、楽しい趣味ができること、旅行へいくこと…それが『生きている』者だけが経験できることなんだなと思う。僕の「0」は、ホームレス生活によってみなさんが考える生活の根底や幸せよりも低いと思う。それは、僕がホームレスという経験をしてきたからだ。けれど、あなたにだって違う根底の時があったはず。その時に戻らないよう努力するからこそ、上を目指して、見る『景色』が変わってくるのだと思う。そう、考え方ひとつでみなさん一人一人の観たい景色は変わってくる。物事の0の置き所次第で。(岸田健作)
2012年04月06日さて、第2回目。今回からホームレス経験から得た生きる術について書いていきたいと思う。その経験は今の僕にとても影響を与えていることのひとつだ。■ホームレス経験から得た生きる術『礼儀とルールと人との交流』■ホームレス生活の中、食べ物やお金がなく通行人や他人様にすがるようにお願いした時の経験を少し話そうと思う。当時、僕はホームレス生活数日目だった。汚い格好で、お金もなく、なにより空腹だった。「死んでしまう……。」そう思った僕は、街行く人たちに話しかけ、食べ物やお金を恵んでくれるようにお願いしたのだ。一般の方からしてみたら、非常識なのはあきらかに僕。けれど常識・非常識言っていられないくらい切羽詰った状況だった。街行く人に話しかけるけれど、僕がホームレスだというだけで、話を聞いてくれない人が多かった。はじめは、「すみません、食べ物かお金を恵んでいただけないでしょうか。」と話しかけた。しかし、なかなか立ち止まってくれない。そこで僕はこうお願いした。「すみません、お財布を落としてしまったのでお金を少し頂けないでしょうか。」と。しかし、やはりそれも怪訝な顔をされる。悲壮感を漂わせて「食べ物を分けてください。」といろいろな言い方に変えてみた。勿論、中には快く恵んでくださる方もいた。しかし、殆どが無視。そんな中なかなか立ち止まってくれない人たちをみて、「あぁ…なんだか世界が変わったみたいだ」、「今まで人からこんな対応された事ないのに」と率直に思った。芸能人になる前ですらこんな経験はなかった。もちろん芸能人になってからは尚更なかった。厳しく教えてくれる両親や先生、先輩方はいても、あんなに冷たい目線を送られたり、無視をされたのは初めてだった。でも、これが今の現実の「僕」だった。それからはもう、プライドもなにも捨てて、もはや泣きつくレベルでお願いした。だけど、そうすればする程、相手にされなくなって無視を通り越し逃げられるようになった。そこである日考えてみた。「もし自分だったらどうだろう」と。もし自分が見ず知らずの汚い格好した人に道端で急に声かけられて、物を恵んでくださいと言われたら確かに「怖っ!」と思って逃げてしまうかもしれない。…無視してしまうかもしれない。そこで、ひとつひとつ相手の気持ちに立って考えてみたのだ。まず内容どうであれ、僕に対して時間を割いてくれること、話を聞いてくれることに感謝だなと思った。そこで『すみません今、少しよろしいですか?』と声をかけ、もしお話を聞いてくれそうならお礼を言い話を続けた。次は、偽らずありのまま『実は自分は今家もお金もない状態でしてここの公園に寝泊りしているホームレスなんです。』と言った。ここでビックリする方もいれば、無視して去ってしまう方もいた。僕に使ってくれる時間は1秒1秒が貴重なので、なるべく早く簡潔に話した。『お話聞いてくれてありがとうございます。大変失礼なのですが、もし宜しければ食べ物か、お金を少しだけでもわけていただけないでしょうか?』と言った。ありのまま伝えるしかなかったのだ。心の中や体の状態的にはもう泣きたい、すがりたい、土下座してでも恵んでいただきたい。けれどそこまでしてしまうと、それは自分のワガママであり相手に迷惑かけてしまうのだ。だから非常識ながらもなるべく、『相手と話せる状態の自分』でいることを心がけた。それがせめてもの相手へのマナーだと思って。もちろん…何度も言うようだが、その僕の行動事体、非常識なのは前提だが…。でもこの経験は、社会に出て一緒にお仕事をする職場の方々、仲間、友達、すべての『自分以外の人』と関わる空間で役立っている。相手の気持ちに立ってみて僕が思ったのは『相手は自分を写すの鏡』だという事。自分が機嫌悪そうな顔で接すれば、相手だって気分が悪くなる。だから、相手も同じような顔になる。例えば、お店の店員さんに対しても、なにかと悪く言うのではなく、気持ちよく接すればきっと店員さんも気持ちよくサービスしてくれると思う。だから『人の気持ちと気持ち(気持を行動で表せる)』よう心がけた。そう行動し始めてから、些細な幸せも感じる事ができる。普段から人と接するときに相手を気遣って、気持ちを行動で表すとそれが身に付いて、きっと自分の職場や取引先、仕事そのものにもいい意味で影響してくるのではないかと思う。自分がどうであれ、自分以外の誰かと何かしらの交流を持つ場合、まずは自分も相手のステージに立たないと始まらない。昔、綺麗で落ち着いたレストランに、七分丈のズボンにTシャツとカジュアルな格好で行った時に追い出された事があった。それと同じ。その場所に沿った服装があるように、相手のステージが高ければ、同じ場所に行けるよう、相手の気持ちになって考え行動しないといけない。当時、たしかに僕は非常識だった。常識をわきまえてはじめて、その空間をその人達と共有できるということを知った。自分の思いや都合を「ありのままぶつける事」と「素直」とは違う。本当の意味での『礼儀』というのをホームレスという体験ではじめて知ったのだ。みなさんも、なにかと「自分」「自分」と自分の都合だけ押しつけていないか? 相手の立場に立って考えてみるといろいろと見えてくるものも多いと思う。みなさんはどうだろうか。(岸田 健作)
2012年03月15日10代目いいとも青年隊【With-T】としてタレントデビューして以来、さまざまなドラマ・バラエティ・舞台・ラジオなど に出演してきた岸田健作。そんな彼がつい先日、ワイドショーをにぎわせた。その理由は……、彼がホームレスをしていた過去を週刊誌に打ち明けたからだった。彼がホームレスになった理由……それは、ウーマンエキサイトユーザーも共感するだろう、いくつかのストーリーがちりばめられていた。『今を生きたい』そんな方に向けたストーリー。夢や希望に気づきにくい今だからこそみてほしい。今回から約半年間、毎月第一・第三木曜に彼の衝撃の数年とこれからをひも解いていこう。***次のページから本編へ***僕がまだ10代の頃、『ニート』という言葉はなかった。学校のクラスメイトたちだって、頭がいい悪い関係なく、皆なにかしら『夢』や『希望』を持っていて、それをガムシャラに追っている人が多かった。その頃は、『リストラ』や『就職難』、そんな言葉もあまり耳にしなかった。そんな時代だった。今では、テレビをつければ、『不況、不況』と取り立たされ、その結果として『ニート』『リストラ』『就職難』という言葉もよく聞くようになった。ニュースでやっているような『リストラ・就職難』をたったひとりの僕が変えられるわけもないのだけれど、タレントという職業につき、今を生きる『岸田健作』という1人の男が、『ホームレス』になってしまったという経験から、なにかみなさんの心に伝わる“なにか”を届けられたらと思いこうやって、ここに記そうと思った。僕は18歳で『笑っていいとも!青年隊』として芸能界デビューし、今日に至る。しかしその間、一度芸能の世界を自ら退いた。それと同時に、僕は『ホームレス』になった。芸に能力がある人。それが『芸能人』。芸能人でありながらも僕にはその『芸』がなかった。そう……『芸NO人』。18歳までは普通高校に通う高校生で、卒業と共に芸能界入りした僕は、『芸』だけがないのではなく、『生きた』ということもなかったのかもしれない。なんとなく勉強し、なんとなく年をとる。そんな生活を送っていた僕に、突然きた芸能界の話。それもやはり、自分からが目指して進んだのではなく、『やってきた』のだった。つまり僕は、『夢』や『希望』、『理想』を持って生きたことがいままでなかった。なんとなくの人生は送っていた。糧もなかった。目的がないから、それを達成するために必要なものさえなかった。例えば、『腕時計が欲しい』→『アルバイトしてお金を貯めるよう!』そんなことさえなかった。うーん、これは例えにならないかな。もっといえば、最低限の生活が家にいることで保障されていたから、それ以上を特に望むわけでもない僕は、アルバイトの経験さえもなかった。小遣い稼ぎでダンスのインストラクターはやっていたけれど、それは、飲み会や遊びに消えていった。そんな学生生活から卒業と同時に芸能界へ行ったのだ。そこでも『目的』という仕事は用意されていて、『生活』という保障もあった。今考えると本当に裕福な人生だ。ただ、なにか小さい不安とゆうモヤがあって、それが年々大きくなっていったのだ。芸能界にいながら、自分には『芸』がない事。そんな自分が果たして、このままこの場所にいていいのだろうか。芸能人である前に社会人として、もっと言うなら人として右も左もわからない状態のまま、周りの方々と環境の支えだけで僕はそこに立っていたのだ。25歳を越え、20代後半にさしかかった時……、僕は決心した。なにもかもリセットして『0』から始めようと。『1』ではなく『0』から。冒頭で書いた通り僕には生きる糧がなかった。だからこそ、本当に『0』からスタートしようと。もし本当にぼくには生きる糧がないのなら、生きる意味がないのではないかなって。生かされているのではなく、『生きたかった』。芸能界を離れ、僕は誰にも言わず1人、ボストンバックと手ぬぐいタオル、毛布にスエットを持ち、代々木公園に向かった。そして、その日からホームレス生活を始めたのだ。お腹が空いた→ご飯が食べたい→ご飯を手に入れたい→お金が必要→お金を手に入れたい→どうやって手に入れる?こんな小さなことでも、僕にとって、それは初めてできた『目的』だった。今まではお腹がすけば、なにかしら家にあった。しかし今はないのだ。お金も、必要な分がなくなれば、小遣い稼ぎをしなくてはならない。そんなことで、ひとつひとつの目的を達成できていたけれど、物事を根本を自分ひとりで解決できていたわけじゃなかった。お金は必要な分がなくなれば小遣い稼ぎする、そんなの今までと同じ…ではなかった。そんなレベルではなく、生きる上で家賃や光熱費や食費など、必ず必要になってくるものに対して、自らで生んだお金を使ったことがなかった。なんだか、とても低レベルな話してるようだけれど、このくらい最低限なところまで自分を戻さないとダメだった。『0』から『1』へ。『1』から『2』へ。『2』から『3』へ。そうやって物事を理解と経験した上で、ひとつひとつ進みたかった。『芸』を志すために、『芸』を探し、その『芸』を磨くことが目的だったのだけれど、それと同時に僕には生きるための『生き方』を探すことも必要だったのだ。前置きが長くなったけれど、そんな僕「岸田 健作」がこのコラムでホームレスの経験により身に付けた『生きる術』を書いていこうと思う。― 続く ―(次回の更新は、3月15日。お楽しみに。)
2012年03月01日