IDÉEを企画・運営する株式会社良品計画は、IDÉE TOKYO(東京都千代田区/グランスタ東京B1F)に併設するIDÉE Galleryで、2023年4月14日~5月16日の期間、陶芸家・二階堂明弘の作陶展を開催します。< 左から 錆器三角鉢 6,050円、錆器ドラ鉢 4,400円、やきしめ三角カップ 3,960円、錆器リム鉢 8,800円、やきしめ花器 3万800円 >IDÉEでは、2017年にイデーショップ東京ミッドタウン店で開催されたIDÉE CRAFTS CERAMIC EXHIBITION 「二階堂明弘 作陶展 Spring is here.」から二階堂明弘の作品の取り扱いを始め、今回が5回目の作品展示販売会となります。二階堂明弘が生み出す繊細でモダンな薄造りの錆器は、刷毛で塗り重ねた痕跡が、器に絶妙な表情をつくり、どれも凛とした佇まいのものばかりです。今展示会では、華道家 平間磨理夫を迎え、二階堂明弘が創りあげた花器に季節の草花を活け、会場に華を添えます。二階堂明弘1977 年札幌生まれ。1999年文化学院芸術専門学校陶磁科を卒業、2001年独立(栃木県にて)。2010 年より「陶ISM2010」企画・開催。2011年の震災で「陶ISM2011」を中止し、仮設住宅に直接、陶芸家のうつわを届ける「陶ISMウツワノチカラProject」を開始。「次世代のEnergy」(益子陶芸美術館メッセ・茨城県立陶芸美術館共同展 2013 年)、現代陶芸展「現象」(茨城県立陶芸美術館 2014年)、個展「侘びと今」(ニューヨーク・Globus茶室2015 年)、茶の湯を通し日本文化を表現する「侘びと今 - 輪-」(ニューヨーク各所 2016 年)、「1 月と7 月」にて個展(パリ 2018 年)。2019 年「侘びと今 - 散-」をニューヨーク各所で開催。年10 回ほど個展を開催し、ニューヨーク、パリ、ロンドン、台湾、香港、北京、上海など海外でも多数開催している。▼二階堂明弘公式ホームページ ▼ウェブサイト陶ISM 二階堂明弘 作陶展 (作品は、展示販売します)期 間:2023年4月14日(金)~5月16日(火)※二階堂明弘在廊日:4月14日(金)場 所:IDÉE TOKYO 併設 IDÉE Gallery(入場無料)東京都千代田区丸の内1-9-1JR東日本東京駅構内 グランスタ東京 B1F スクエアゼロエリア48番営業時間:10:00~21:00電話番号:03-5224-8861※営業時間を変更することがあります。詳しくは店舗にお問い合わせください。※改札外からのご利用の場合は、JR東日本東京駅を区間に含んだ乗車券類または入場券(140円)をお買い求めのうえ、ご入場ください。▼店舗情報IDÉE TOKYOJR東日本最大規模のエキナカ商業施設「グランスタ東京」のB1階に誕生したイデーの新しいコンセプトストア。▼IDÉE「生活の探求」をテーマとし、オリジナルデザインの家具をはじめ、インテリア小物、グリーン、アート、音楽や飲食に至るまでを総合的に手掛け、人々がその人自身の価値観や個性に寄り添った“真に豊かで優雅な生活”を実現するのを後押しするインテリアブランド。▼イデーショップ オンライン▼IDÉE 公式Instagramlifewithidee▼IDÉE TOKYO Instagramideetokyo▼良品計画 企業情報サイト
2023年04月02日NjOOAfrica《ジョーアフリカ》(本社:三重県松阪市猟師町345-2、代表:米田 泉(旧姓・刀根)は、2022年5月11日~17日伊勢丹浦和店2階ザッカマルシェにて「アフリカン雑貨展」、2022年5月18日~31日6階リビングフロアにて「ティンガティンガアートとアフリカン雑貨展」を開催いたします。本年度の利益は、ティンガティンガアーティストが集う村に還元。コロナ禍、運営が立ち行かなくなり、閉鎖を余儀なくされている村を救います。同社は、2012年より、東アフリカの伝統絵画「ティンガティンガアート」を世界に広めようと三越伊勢丹グループのポップアップにて販売開始、同時にアフリカの大地にて奮闘しています。アフリカ在住の代表米田 泉が10年目の挑戦です。ティンガティンガアーティストと代表 米田 泉 12022年5月11日~31日の期間、伊勢丹浦和店にて、「ティンガティンガアートとアフリカン雑貨展」を開催いたします。英語もスワヒリ語もできなかった代表が飛び込んだのは「アフリカ」の地。10年前、ティンガティンガアートに魅了された彼女が直面したのは、現地の現実。詐欺、裏切り、病気、死んでいく者たち。それでもなお、日本でティンガティンガアートの魅力を伝え続けた。アフリカの人たちと笑顔になれる未来のために。その集大成が伊勢丹に登場します。 ●NjOOAfricaジョーアフリカとは本展を主催するNjOOAfrica《ジョーアフリカ》の“ジョー”とは、スワヒリ語で「こっちにおいで」の意味です。沢山の人が集い、笑顔になれるアートを作り出せるようにという想いが込められています。2011年、代表の米田が、タンザニアを訪れた際、出会ったティンガティンガアートは、「とっても素敵だけど、なんだか雑で民芸品レベル」でした。このアートをディズニーレベルに知ってもらうため、そしてアーティストの経済的、精神的自立を目指すため、現地に根づき活動を始めました。●ティンガティンガアートとは1960年代末に、タンザニア最大の都市、ダルエスサラーム郊外にひっそりと誕生した「ティンガティンガ」。鮮やかな色づかい、そして素朴ながら味わい深い表情を浮かべる動物たち、タンザニアの野生動物や自然、人々の日常生活などを大胆な構図で描く絵画。その創始者が、エドワード・サイディ・ティンガティンガ。彼はたった4年でこのジャンルを築き上げ、40歳の若さでこの世を去るが、100人余りの弟子たちによってその技法は受け継がれ、「ティンガティンガ」という絵画の一ジャンルとして、その名は今も成長し続けています。●ティンガティンガアートの歴史<天折の天才が生んだ、新たなるアート>当時、田舎から一念発起し、最大都市にやってきたティンガティンガは生計を立てるのに苦労していました。転機が訪れたのは1968年のこと。彼は家族を養うため、あらゆる苦労を惜しまなかった。そんな中、街の観光客向けの土産物店にタンザニアのアーティストの絵画がないことに気づきました。並んでいるのは、隣国コンゴからの輸入品ばかり。専門知識はないが、タンザニア人の自分がタンザニアに誇るアートを描いてもいいのでは?誰もやらないなら私がやろう。自由に画材が手に入らないがゆえに、買い揃えたのが、建築資材のペンキと灯油、キャンバスの代わりは合板でした。そして、36歳にして、絵画の道へ足を踏み入れたティンガティンガ。感性の赴くままに描いた絵は、たちまち近隣に住んでいた北欧人の間で評判を呼ぶこととなりました。少しずつお土産物屋にも置かれるようになり、ティンガティンガ一家の生活は安定していったが、ここで彼は、成功を独占するのではなく、親類や仲のいい友人たちにも分け与えるという選択をします。ティンガティンガ一派は、少しずつ、しかし、確実に成功を納めていきました。そんな中、終幕はあっけなく訪れました。友人の車に同乗していたティンガティンガは、警察からの検問時に誤射を受け、命を落し、風のようにこの世を去りました。アーティストとして活躍したのは、わずか4年。しかし、4年の間に「自由に思いのままに描きなさい」という彼の意志が上手く機能し、その後も、沢山の人々がアートで生計を立てられ、今では、画風は様々に「ティンガティンガ」というジャンルを確立しました。<タンザニアにおけるアートの位置付け>タンザニアでアートを楽しもうという一般人はごくごくごく僅か。土でできた家、もちろん電気が通ってない、子供達はいつもお腹を空かせています。アートを楽しむ余裕なんてもちろんない状況です。<アートとの出会い>ティンガティンガアーティストは元々、道で飲み物を売っていた人たちが多い。灼熱の大地で道ゆく車にあてもなく声をかけ続けます。車に轢かれ命を落とす人は数知れません。しかし、そんな生活がいっぺん、絵を描く楽しさ、それを見て喜んでくれる外国人の存在。自分の存在意義を見出していった人たちがいます。<コロナ時代到来>しかしながら、お土産物として、外国産業に支えられてきたアーティストたちは、コロナ時代に一気に仕事を失うこととなりました。<特殊なアート集団>通常、アートとは、一人の人間が築き上げ、一人の人間によって成り立っていきます。しかし、創始者が選んだ道は皆で幸せになること。築き上げたのはアートの集団でした。<ティンガティンガ村>アートの集団は自分たちのアートのレベルを守るため、協同組合を作った。基準を決め、大多数いるアーティストを認定制度にした。そうして長く歴史を守ってきました。<閉鎖の危機>コロナ禍で外国人観光客や、バイヤー・プロモーターが訪れなくなったタンザニア。アーティストの半分は、絵を描けなくなりました。絵も売れないし、画材も買えないからです。●NjOOAfricaが描く世界今、アーティストが集う工房は必要な経費や税金が払えず、来月にも国からの閉鎖を通告されている現状。初めてティンガティンガアートに出会った時、この愛らしさや、かっこよさ、おしゃれな一面、明るく元気なアートに魅了されました。大人数のアーティストが彩る世界は、それぞれの個性で溢れています。このアートが終わりを告げないように、復活させたい。動画にもしたいし、絵本も作りたい。夢は溢れています。画家達の夢もまだまだ色褪せていません。タンザニアにあるティンガティンガ村を、彼らの世界を伊勢丹で再現し、原画の利益は、ティンガティンガ村に還元。そして、世界のティンガティンガアートになるために更なるステージに一緒に挑みます。NjOOAfricaの作り出す世界お金がなくて詐欺をするもの、病気になっても病院に行けず死んでいった者、次々と巻き起こる難題に立ち向かい、NjOOAfricaは現地の人たちと共に日々、成長しています。代表 米田 泉の10年間を綴ったnote ティンガティンガアーティストと代表 米田 泉 2・学校に行けなかった子どもたちが、笑顔で学校に行ける世界。・ティンガティンガアートが世界中の人たちが認知する世界を目指しています。本展では、彼らがそれぞれ独自に展開する原画の世界を再現します。■会社概要名称 : NjOOAfrica代表者 : 代表 米田 泉本社所在地: 三重県松阪市猟師町345-2設立 : 2012年7月15日事業内容 : アフリカン雑貨の製造と絵画の輸入販売URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年05月10日株式会社幻冬舎ウェブマ(本社:東京都渋谷区千駄ケ谷4丁目9番7号、代表取締役:立本正樹)は、同社が運営する「話題の本.com」( にて2021年11月18日(木)、著書『夢をもたない生き方』を刊行した桑園オリーブ皮膚科クリニック院長・米田明弘医師のインタビュー記事を公開しました。▼【著者インタビュー】留学先での出会いが人生を変えた 医師が語る今をもっとラクに生きるススメインタビュー詳細はこちら : 北海道札幌市の桑園オリーブ皮膚科クリニックで院長を務める米田明弘医師は、研究者としてアメリカに留学をした際にキリスト教の教えに出合ったことで、そこから人生が大きく変わったといいます。人は不安やストレスとは無縁ではいられませんし、また、自分で自分を認めるのも簡単なことではありません。実際にどんな教えが心に変化をもたらす要因になったのか、そしてどんな人生へ導かれたのか。著書に込めた思いについて伺いました。インタビュー記事一部をご紹介――著書『夢をもたない生き方』刊行のきっかけをお聞かせください。私は医師として大学病院に勤め、その間に約4年間の研究留学を経験し、2014年に現在のクリニックを開業しました。ずっと無我夢中でやってきましたが、振り返るとアメリカ留学中にクリスチャンとなり、信仰をもったことが自分に変化をもたらしたことに気づいたのです。おかげさまでクリニックも順調ですが、もしあのときキリスト教と出合っていなかったら、人生がまったく違っていただろうと思うのです。何より心のあり方が変わりましたから、こうした境地に至るきっかけやそこから得られたことを多くの人に伝えたいと思うようになったのです。ただし、必ずしもキリスト教を広めたいというわけではなく、こうした心のあり方を知ってもらいたいという気持ちです。――キリスト教とはアメリカで出合われたのですね。どのような経緯があったのでしょうか。そもそもアメリカへ研究留学をしたのも、私にとって憧れの人が海外でバリバリと活躍していたからです。医師として働き始めたときの上司にあたる人(教授)ですが、「その人みたいになりたい」という気持ちから海外を目指すようになりました。もう20年前のことですが、当時の日本は国際的にも強い国でしたし、自分にも競争意識が強くありました。人に負けたくないという思いでいっぱいでしたし、そして自分ならできると思っていました。ところが、意気揚々とアメリカに渡ってみると、そこには想像以上に厳しい現実が待っていました。その詳細は本に書きましたが、意に反して大きな挫折を味わうことになってしまったのです。キリスト教に出合ったのはそんなときです。住んでいた家の向かいがたまたま教会だったのですが、当時の私は何の興味も抱いていませんでした。しかし、私と同じように海外生活や子育てに悩みを抱えていた妻が、先に教会の子育てサークルに参加するようになり、そこからいろんなきっかけが重なって、妻と私は同時に洗礼を受けてクリスチャンになったわけです。――最初からキリスト教に興味がおありだったのではないのですね。むしろ反対でした。私自身は異国の地で研究者として成果を出そうと必死に孤軍奮闘している感覚ですから、教会のもつ温かな雰囲気に嫌悪感さえ覚えていたのです。今となっては笑い話ですが、当時の私はそれだけ殺伐とした精神状況にあったといえるでしょう。キリスト教に何の興味もなかった私が、ちょっとしたきっかけから教会に足を運ぶようになり、そこからキリスト教の世界に触れていきます。少し本質的な話にもなりますが、聖書の世界の最初にあるのが旧約聖書の第1章の「創世記」のくだりです。神が何もないところから「神は天と地を創造した」とする天地創造のストーリーです。それを教えられたとき、私は「とても信じられません」とはっきり答えたのを今でも覚えています。一般常識として、生物の起源は進化論がベースになっていますし、私は医師であり研究者でしたから、当然といえば当然です。進化論において、生物は「偶然できたもの」と考えられています。一方、キリスト教では、創造主、つまり神様が意志をもって「つくりたい」と考えたことで世界が生み出されたとされています。それまでの自分はとくに疑問も抱かずに「進化論」を信じていましたから、我ながら不思議ですが、聖書の世界に触れていくにつれ偶然できたとするより、愛情深い神様が意志と目的をもって世界をつくったのだとする考えに惹かれ始め、信じてもいいかなと思うようになっていきました。ーーーーーー以上記事一部抜粋ーーーーーーインタビュー全文はこちら : 書籍情報「ありのままの自分でいい」そう思えた瞬間、人生は輝きだす誰かと比べない、ひきずらない・抱え込まない、うまく話すのでなく“聞き屋"を目指す……研究者としての成功を諦めたことで幸せをつかんだエリート医師が教えるあるがままに生きるススメ近年、「やりたいことが分からない」「夢がない」という悩みを抱えている人が少なくありません。そのような悩みが生まれる背景には、「今の自分とは違う自分にならなければならない」という思い込みがあります。しかし「今の自分では不十分だ」と思ったり、違う自分になろうとしたりする必要はありません。むしろ、今の自分を肯定できない状況で大きな理想を掲げると、逆にその理想に追い詰められてしまいます。あるがままの自分を認めることができれば、今のこの瞬間を前向きに楽しく生きられるようになります。そして、前向きな生き方は、仕事や人間関係にも良い影響を及ぼします。本書では、「夢をもたない」ことでラクに生きられるようになった著者が、自身の経験と聖書の言葉に基づく、幸せをつかむための25のヒントを紹介します。書籍情報はこちら : 著者■ 米田 明弘桑園オリーブ皮膚科クリニック院長。1997年に札幌医科大学医学部卒業後、札幌医科大学皮膚科学講座、留萌市立病院皮膚科を経て2002年に札幌医科大学大学院修了(医学博士)。海外への夢を追いかけて2003年より米国Wistar研究所に研究留学、留学中にnature誌に研究論文掲載。帰国後、2007年より札幌医科大学皮膚科教室長、外来医長、病棟医長を歴任し、2011年世界皮膚科学会スカラーシップアウォード受賞。2011年より札幌医科大学皮膚科講師に従事した後、研究生活に限界を感じ、2014年に現クリニック開院に至る。「地域を愛し、地域に愛される」ことを目指す。お問い合わせ本記事に関する問い合わせはこちら株式会社幻冬舎ウェブマ東京都渋谷区千駄ヶ谷4丁目9番7号TEL:03-5413-0701E-Mail: info@gentosha-webma.com Twitter投稿 : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2021年11月18日ミュージカル『サンセット大通り』が3月14日(土)に開幕する。稽古場にて、音楽監督と指揮を務める塩田明弘に話を聞いた。【チケット情報はこちら】本作は、『キャッツ』『オペラ座の怪人』などで知られるアンドリュー・ロイド=ウェバーにより1993年にロンドンで初演された作品で、かつての栄光を忘れられない大女優ノーマ・デスモンドの妄執と、それがもたらす悲劇を描く。日本では鈴木裕美の演出で2012年に初演。2015年の再演を経て、今回が3度目の上演となる。『ジキル&ハイド』『天使にラブソングを~シスター・アクト』『ラ・マンチャの男』など数多くの作品を手掛け、日本のミュージカル界に欠かせない塩田。アンドリュー・ロイド=ウェバー作品も手掛けてきた中で、本作については「『キャッツ』が1981年に初演されて、『オペラ座の怪人』が1986年、この『サンセット大通り』は1993年の作品。“円熟期”の大作のひとつだと思います。美しいバラード『With One Look』や、哀愁を帯びた『Surrender』、ドラマティックに歌う『As If We Never Said Goodbye』など、主人公ノーマの心情を映し出した楽曲が多いのが特徴です」と話す。日本初演から音楽監督と指揮を手掛けてきて、三度目の上演となる今回は「譜面が変わり、楽器の編成も変わりました。ホルン、バストロンボーン、ギター、エレキベースが増えたんですよ。ロイド=ウェバーの得意とする重低音の楽器が増えて、17人編成となり、より壮大になると思います。アレンジメントとしては、登場人物、特にノーマですが、彼女たちの情景を、音楽によってもっと強く見せるというような変更が多いです」。その変化は作品全体とも通じており、「今回、ノーマの想いや、ジョーの想い、いろんな登場人物の想いの表現がより深くなっているなと感じます。カタチでいかず、より内面的なもの、心の中での葛藤のようなものも伝えようとしていると思う。それは音楽でも、演技でも」と明かす。初演、再演では舞台の後方で演奏をしていたが、今回はオーケストラピットにて演奏される。「音が明らかに変わると思いますよ。オーケストラピットだと、役者の呼吸を直で感じることができるので、演奏のタイミングも合わせやすい。そうすると歌声も自然と乗っかっていく。より一層深みのある演技と音楽を、皆様にお届けすることができると思います」塩田が「今回は主演のふたり(安蘭けい・濱田めぐみのWキャスト)の違いがより顕著だと思う」と語ったミュージカル『サンセット大通り』が3月14日(土)から29日(日)まで東京・東京国際フォーラム ホールCにて上演予定。取材・文:中川實穂
2020年03月09日