「妊娠の悩み」について知りたいことや今話題の「妊娠の悩み」についての記事をチェック! (1/14)
妊娠は、女性にとって体も心も大きく変わる貴重な時期です。ですが、夫の理解不足や配慮不足で、悩みを抱えることも少なくありません。今回は、妊娠中に起こりがちな夫婦間トラブルを紹介します。妻を配慮しない外出の計画頻繁に外出することも、妊娠中は負担になります。もし、夫が外出の誘いをしてくる際は「次は一緒に計画を立ててみたいな」と提案してみましょう。これにより、夫も家族としての自覚を持ち、妊娠中のあなたの体調をより意識するようになるかもしれません。家事負担への不満妊娠中は体力的にも制限が多く、今まで通りの家事が負担に感じることも。夫に今の状況を理解してもらい、家事の負担を軽減するため、家事分担について話し合ってみましょう。妻の睡眠を妨害「私の妊娠中、夫は友人と飲み会をすることに。私は先に横になったのですが、夜通し騒ぎ続けられ、一睡もできず朝を迎えました。かなりモヤモヤしましたが、友人がいる手前『楽しかったです』と愛想笑いするしかなく辛かったです」(20代/女性)妊娠中は特に質のよい睡眠を確保することが大切です。夫に、妊娠中の体への配慮をお願いし、夫の理解が得られれば、二人でよりよい妊娠生活を送ることができます。(愛カツ編集部)
2024年09月14日私の夫は元々家事も積極的にやってくれるタイプでした。共働きだったこともあり、家事は早く帰れる方がやる、休みの人がやる、負担が少ない方がやるというのが我が家のモットーです。夫の豹変に困惑!そんな夫なので、妊娠が発覚したときはとても気をつかってくれて、「俺が食器洗うから座ってていいよ」「弁当作っといたよ」と体調を考慮してくれていました。しかし、私が1つの仕事をやめてパートだけになったり、パートも産休に入ると時間があると思ったのか、「今日のごはん手抜いたね」「ごはん、これだけか?」と言われたり、体調が悪くて動けなかったと言うと「大丈夫、あなたは強いから!」と突き返されるようになりました。お腹が大きくなるにつれしんどくなったり不安定になっていくのに、なぜ?と思う行動が増えました。 ◇◇◇ 夫の言葉を全部受け止めず時々聞き流してみたり、母として強くなれの思いで言ってくれてるのかと思い込むようにして乗り切りました。そんな夫ですが、それでも私が仕事を辞めたり、産休で家にいるときに「休めていいね」など、私が言われたくないような嫌味を言うことはなく、なんだかんだ支えてくれるところもあるので、感謝するようにしています。 作画/さくら著者:山田花子20代、結婚2年目の主婦。品出しのパートをしている。実家で両親と同居、現在産休中。
2024年06月28日妊娠中、あるニオイに悩まされたママのお話をご紹介します! どこからにおいが!?私は妊娠中、自分の足の臭いがキツくなるのか、それとも足の臭いがつわり対象だったのか……真実は分かりませんが自分の足の臭いが、本当に無理でした。 どれだけ洗っても臭う気がして、スリッパも臭くて気になると寝られないほどでした。出産が終わると臭いも気にならなくなったのですが、2人目のときも同じように自分の足だけ拒否反応が出てしまいつらい日々を送っていました……。ちなみに、2人目のときも出産が終わったらまったく気にならなくなりました。 作画/きょこ著者:中田音2児の母。育休中。
2024年06月23日初めて妊娠した10年前、当時は知らないことばかりで雑誌やインターネットの情報を見たり、友人に聞いたりして知識を増やしていました。しかし、里帰り出産で転院するまで知らなかったことで、ちょっと大変な思いをした妊娠時の経験談です。マイナートラブルがなかった妊娠初期私は妊娠中、つわりがありませんでした。病院から妊娠初期に体重について説明されたことはなく、もともと食べることが好きな私は「赤ちゃんも含めて2人分!」と言い訳をつけて、いつもよりたくさん食べたりすることも……。 やがて妊娠中期には体重が8kgほど増加していましたが、それでも産院で注意されることはありませんでした。雑誌やインターネットの記事には「出産に向けて、たくさん歩きましょう!」と書かれていたので、できる限り毎日30分以上散歩をしていたこともあり、私自身も体重について気にしていなかったのです。 そして妊娠8カ月になり、里帰り出産のために地元の産院へ転院。そこで先生に言われたことは、「体重が増え過ぎている」だったのです! 転院先の産院では、BMI23だった私の場合、出産時までの体重増加を10kg以内に留めることが理想だったようです。 ※2021年3月に「妊産婦のための食生活指針」が改定され、妊娠期における望ましい体重増加量については、新たに「妊婦の体重増加指導の目安」が公表されています。参考:こども家庭庁「妊娠中と産後の食事について」(外部サイト)※2024年6月20日 参考リンクを訂正何をしても増える体重……要注意妊婦に!?体重を指摘された私は毎日歩き続け、ときには1時間以上歩いたこともありました。食事の内容を気にしたり、量を減らしたりしたのですが、体重は右肩上がり! 臨月になるころには12kg増加していて、母子健康手帳には赤いペンで体重を書かれる“要注意妊婦”になってしまいました。 出産自体は、たくさん歩いていた成果もあったのか安産でしたが、産後に体重を減らすことがとても大変でした。歩いているから大丈夫! という勝手な思い込みから、食べ過ぎてしまった過去の自分に怒りたくなったほどです。 周りに出産経験がある友人が少なかったこともあり、妊娠中の体重管理が大事だとは知らなかった私。その結果、マイナートラブルの少ない妊娠中に調子に乗ってしまい、あとで苦しい思いをすることに……。今では、街でスラッとした妊婦さんを見かけるたびに、うらやましくも感じます。妊娠中は自分の勝手な思い込みで行動してはいけないと感じた出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ※2024年6月20日 参考リンクを訂正著者:高山ななみ2013年、2015年、2018年、2020年生まれの4人の子どたちと夫との6人暮らし。医療系の資格を保有。医療の知識や子育ての経験をもとに、ライターとして活動中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月21日2人目の妊娠・出産でハッピーな産休ライフを過ごせるかと思いきや、想定外のことが起こりお金の心配がつきまとうことに。友人にまで、「お金のことで大変なんだね」と心配させるほど、話題はお金のことばかりになってしまい……。楽しみな産休ライフのはずが…1人目の出産・育休から復帰し、公務員として働きながら2人目を妊娠。1人目の子育てと仕事に追われる日々で体に負担がかかっているのか、体調を崩して休日は動かずに安静にして過ごすことが多かった私。早く産休に入りたいと心から願い、やっとその日が訪れました。 やっと入れた産休ライフでは、楽しみにしていたひとり時間に万歳三唱。大好きな海外ドラマを観まくれる、私だけの時間に浸っていました。2カ月だけの期間限定とはいえ、こんな時間はもう訪れてはくれないと、1人目を出産して痛感していました。 そんな中、妊婦健診に行くと「出産は大きな病院にしましょう」と先生から言われたのです。どうやら羊水の量が少ないとのことでした。 しかし、転院先で初めての健診をしたわずか数日後に陣痛があり、破水してしまったのです。出産予定日の1カ月も前のことでした。 病院を替えた途端に!病院に着いて診てもらうと、やはりもう出産になるということで陣痛室へ。 そんなときでも私は、あと1カ月ある産休ライフがなくなったことの悲しさと、もらえる給与が1カ月分なくなるのではないか(※)、ちょうどボーナス支給月に産休から育休に切り替わってしまうのでボーナスが支給されなくなるのではないかという心配で頭がいっぱいに。(※)公務員の場合、産休(産前・産後休暇)は有給休暇扱いとなり、給与が満額支給されます。 陣痛に襲われながらもお金の心配が頭をよぎりすぎて、職場の友人に電話をして、私のボーナスはどうなるのかわからないかと聞いたり嘆いたりしていました。そして、そんな状況の中ではありましたが、無事に出産したのでした。 結果的に給与1カ月分はなくなりましたが、ボーナスは支給されました。今考えると、生まれてきてくれたうれしさと同時に、そのときはお金のことで相当シビアになっていたように思います。退院した際に友人から「出産祝いを贈るよ」と話がありましたが、「(お祝い返ししなきゃいけないから)お祝いはいいよ」と言ってしまうほどで、友人にもびっくりされました。今でも思い返すと必ず出てくる笑い話です。 イラスト/ななぎ著者:米田のの監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月11日実家を離れて暮らしている私は、出産のとき里帰りをしました。安心できる実家で産前、産後を穏やかに過ごすつもりだったのですが、さまざまな祖父の言動に悲しい思いや悔しい思いをして傷心。苦い思い出が残る里帰りでした。長い里帰り、祖父への不満続出切迫早産の兆候があったので、里帰り出産を予定していた私は、大事をとって妊娠7カ月のときに早めの帰省をしました。平日の日中、父と母は仕事に出ており、在宅している祖父母と過ごす時間が長くなったのです。 祖父は亭主関白な性格で、自分の身の回りのことはほとんど祖母に整えてもらっていたり、上からものを言うことも多かったりして、長い里帰りの期間で祖父への抵抗や苛立ちが私のなかで出てくることが多々ありました。 私は炊事係!?実家とは言え、家事などは進んでする気持ちでいた私は、家の農業の手伝いや食事作りをできる範囲でおこなっていました。しかし、妊娠初期から眠気が強く出ていて睡魔が襲ってくることが多く、家事ができないことがたびたびあったのです。 ある日、お昼になってテレビを観ていた祖父が「まだごはんの用意ができないのか」と怒ってきました。当時、祖母は昼過ぎまで農業に出ていたため、私が昼食を作ることが多くなっていたのです。 食事の時間はわかっていたけれども眠気とだるさで動く気がしなかった私は、祖父の言葉にため息。しかも祖父はただテレビを観ていただけ! 自分本位な言葉に「私はあなたの炊事係なの!?」と悲しい気持ちになりました。 母を悪く言わないで!祖父は嫁である私の母に、厳しいところが昔からありました。里帰り中もたびたび喧嘩をして、母がグチをこぼしていました。普段はあまり深入りしない私ですが、1度だけ祖父の言動にひどく気持ちを揺さぶられて、「お母さんは悪くない!」と抵抗し、祖父と大喧嘩したことがありました。 そのときは、母が祖父のことを思って忠告した言葉に祖父が怒って暴言を吐いたので、私は許せなかったのです。今思うと、産後1カ月経たないころで気持ちが不安定になっていたのかもしれませんが、祖父と喧嘩をしたことが里帰り中何よりつらい体験でした。 祖父にこんな感情持ちたくない!祖父に不快な感情を持つということ自体、娘を産んだばかりの私にとっては悲しいことでした。というのも、娘の祖父となった私の父が、娘をとてもかわいがってくれている姿を目の前にして、将来娘も私と同じように「じいちゃんが憎たらしい」という感情を持つことがあるのかもしれないと考えると複雑な気持ちだったのです。 しばらくして冷静になった私は、否定的な感情に折り合いをつけて、なんとか祖父と和解しました。 7年経った今となっては、久しぶりの長い実家生活で、家族の嫌な部分が見えてきてしまったのかなと思います。祖父に苛立ち立っていたのは少し感情的になっていたのかもしれません。悲しかったり悔しかったりして苦い思い出が残る里帰りでしたが、実家で家族とゆっくり過ごせた貴重な時間でした。 著者:田島さき自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2024年06月02日私が本格的なつわりで悩まされていたときの話です。吐き気に加えて、連日の頭痛でしたが、ただのつわりだと思い、自宅で安静にしていた私。しかし、年始のある日、事態が急変してしまったのです――。 ただのつわりだと思っていたのに…連日、吐き気や頭痛に苦しんでいたものの、つわりだと思い自宅で安静にしていたのが間違いでした。意識を失ってしまった私は、夫が家にいたこともあり、すぐに救急搬送され、そのまま、約20日間の入院生活を送ることとなったのです……。 さまざまな検査の結果、告げられた診断名は「脳内静脈血栓症」というものでした。脳の静脈に血の塊が詰まってしまう病気です。医師の話によると、妊娠中は血が固まりやすくなることがあり、普段よりも起きやすいということでした。 そして、退院後――。 もともと少人数の現場仕事をしていた私は、医師や夫からの説得を受け、泣く泣く退職することに。今は、血液が固まらないように毎日自宅で1日4回の皮下注射をしています。 幸いにも民間の医療保険には入っていたので、今回の入院費用は賄えました。しかし、この1件で妊娠中に加入できる妊婦保険には入れなくなってしまいました。妊活中に入れる保険に入っておけばよかったな、と後悔しています。 緊急搬送時に対応してくれた夫も相当慌てていたようで、救急隊員からの「妊娠何週目なのか?」「持病はあるのか?」などの質問に答えられなかったそうです。何かあったときのために、日ごろからよく話をしてお互いの情報を把握しておくことが大切だと痛感した出来事でした。 イラスト/海乃けだま ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:三浦桜子監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月21日長女を妊娠中のときの話です。急に上の歯の根元が痛くなり、虫歯だと思い歯医者に行ったのですが、「虫歯はありません」と言われました。そんなことあるんだ…そんなはずはない、こんなに痛いのに、と訴えると、歯医者さんが「副鼻腔炎では? 耳鼻科に行ってみてください」とのこと。半信半疑で耳鼻科に行くと、副鼻腔炎だとの診断。実はその少し前に風邪をひいており、何度も鼻をかんでいたのですが、かみすぎで炎症を起こしたのだろうとのことでした。 痛みはそれからどんどん強くなったのですが、それから治るまでの1週間は本当にものすごい痛みでベッドの上から動くことができませんでした。本当につらい1週間でした。 ◇◇◇ それからというもの、鼻水が出ても決して強くかまないようになりました。やさしく「ふんっ」という程度です。子どもたちにも、ママはこんなに大変な思いをしたから副鼻腔炎は大変だよ、鼻は強くかまないでね!と言い聞かせています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/まげよ著者:佐藤玲子40代、結婚17年目の専業主婦。夫・16歳の娘・15歳の娘と暮らしています。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月17日1人目を授かったとき、妊活期間はわずか6カ月でした。きっとまたすぐに授かれるだろう……そんなつもりで2人目を計画しましたが、なかなか飛んできてくれないコウノトリ。年の差が5歳のわが家の2人目妊活エピソードをお伝えします。ある日突然コウノトリにお手紙を書いた娘2人目の妊活に踏み切ったきっかけは、娘が3歳のときの出来事でした。初めての育児、ほぼワンオペ育児だったこともあり、毎日必死だった私にはまだとても2人目を考える気持ちの余裕はありませんでした。夫は娘を溺愛してはいるものの、仕事が忙しいため、子どもはひとりでもいいかなと思っていたようです。 でも娘は幼稚園で下の子がいるお友だちをうらやましく思ったようで、ある日突然、コウノトリさんに「いもうとかおとうとをください。こんなこ」と絵も添えて、つたない文字で一生懸命手紙を書いたのでした。それを見た夫と私は、2人目の妊活をスタートすることに決めました。 不妊治療専門クリニックを受診2人目の妊活も、1人目同様すぐに妊娠できるだろうと思っていたのですが、1年経っても授かりませんでした。娘のためにも2人目を早く産んであげたかったので、アドバイスをもらうつもりで不妊治療専門のクリニックを訪ねました。 まずさまざまな検査をしていただきましたが特に問題は見つからず、そのままタイミング法を続けながら、妊娠の確率を上げるための薬を飲み始めました。 タイミング法から人工授精へ半年くらいタイミング法を続けたころ、先生から人工授精のお話がありました。年齢も30代半ばを過ぎていたため、結果につながりやすいだろうとのことでした。夫に話すと、そこまでしなくても……という反応でしたが、気乗りしないながらも協力してくれてありがたかったです。人工授精を開始したらすぐ授かれるかと思っていましたが、なかなか結果に結びつきません。 娘のお世話をしながらの通院や薬の服用などに疲れてきたので、スポーツジムを契約し、気分転換を図りました。そして5回目の人工授精。検査時の数値もあまり良くなく、今回もダメだろうな……と思った矢先、まさかの双子の妊娠が判明!! 妊活スタートしてから1年と9カ月目のことでした。 バニシングツインを乗り越え、無事出産まさかの双子妊娠で、わが家は喜ぶと同時に大騒ぎになりました。弟か妹のどちらかが欲しいと思っていた娘も困惑していたようです。しかし残念ながら、1人は初期にバニシングツイン(双子のうちの1人が亡くなり、子宮内で消えてしまうこと)で、いなくなってしまいました。 悲しみの中、もう1人の妊娠継続に影響がないか心配しましたが問題なく成長し、健診には毎回娘が一緒に行ってくれて心強かったです。そして出産予定日前に自宅で破水。家には私と娘しかいませんでしたが、娘は5歳になっていたので、私の指示通り動いてくれました。そして夜中の出産だったにもかかわらず、娘の強い希望で出産にも立ち会うことができました! 現在娘は10歳、息子は5歳になりました。2人ともお互いのことが大好きで、本当に仲良しです。また、娘は母性に溢れており、私よりも母らしいことがあります。なかなか2人目を授かれず、歳の差が大きくなっていくことに焦りを感じていましたが、今ではワンオペ育児の中、戦力となってくれている娘に感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月06日私は性交渉が大の苦手で、第2子を出産してから4年間レスでした。でも、3人目が欲しくて始めた妊活。フルタイム勤務と育児で毎日フラフラでした。月に1度、排卵前後3日間の夫婦生活にギブアップし、見つけた妊活アイテムを使うことに。妊活で変化した夫との関係についてお話しします。もう妊活に疲れてしまった3人の子どもをもつ共働き夫婦です。3人目を希望し、夫婦生活を積極的に始めました。しかしセックスは痛いだけの私。いつも夫に誘われるのを寝たふりで4年も避けていたため、内心イヤイヤです。それでも妊活のため、不妊外来で言われたタイミングで、月に排卵前後の3日間は夫のご機嫌をとり、夫婦生活をしました。 しかし、半年過ぎても思うように妊娠できませんでした。毎日の仕事と育児のあと、くたくた状態での妊活。私はなかなかうまくいかない妊活に、精神的にも肉体的にも疲れてしまいました。 「夫婦生活 きらい 妊活」で見つけた不妊外来でタイミングを言われるのもストレスで、通院を中断。私は少しノイローゼになっていたため同じ思いの人がいないか、「夫婦生活 きらい 妊活」でブログ検索を始めました。すると「わが家はシリンジで第2子をつくりました」という記事が。 実は4年間のセックスレス中、ひとりで済ませていた夫。そのせいか、私とのセックスでは最後までできず、「精子だけ直接注射できたら良いのにね」とボヤいていました。まさにコレ!と思った私は、さっそくシリンジキットを取り寄せてみました。 「精子製造機じゃない!」と焦る夫夫にシリンジキットを説明し、「じゃ、よろしく」と言うと、「待て、俺は精子製造機じゃない! することはする」と反抗姿勢。4年セックスレスだったので、また私から誘われなくなるのが心配だったようです。しかし通院は中断しても、個人的にタイミングをとっていた私。 次のタイミングの3日間、仕事から帰宅する夫に私が何度も誘おうとすると、「⋯⋯寝たい。ムリ。あれ持ってきて、トイレで出すから」とついに観念しました。それから第3子を授かると、予想通り夫婦生活はなくなりました。夫は「妊活のときはあんなに求めてきたのに」と、また嘆いています。 この妊活での夫の態度から、子どもができてからの私は、夫への愛情表現がなくなっていたことに気づきました。その後、夫婦生活はなくても、子ども抜きで一緒にお風呂へ入るなどスキンシップをとるようになった私たち。今では夫から夜も誘われなくなりましたが、アイテムを使用しての妊娠をきっかけに、夫婦の愛情は夫婦生活の行為よりも、お互いの意識の問題だと気づくことができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:巳村 糸9歳、6歳、1歳の子どもを持つアラフォーママ。子育てを両親に頼っていたが、コロナ禍で突然孤独なワンオペが始まる。趣味は断捨離。産休中に収納アドバイザー2級を取得。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月04日同性カップルの日常をYouTubeチャンネル『ふたりママFamily(旧Maho Risa Family)』で発信しているMahoさんとRisaさん。パートナーシップ宣誓し、家族となった2人。その後Risaさんが2022年11月に長男・ぽこ太郎くんを出産しました。今回は、Mahoさんが妊娠・出産したということで、1人ずつ出産しようと思った経緯や年子育児のメリット、デメリットなどをお聞きしました。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=『新しい家族のカタチ』について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 職場の同僚のMahoさん(写真左)とRisaさん(写真右)。一緒に仕事をする中でお互いに惹かれあい、お付き合いをスタートし、家族になりました。 付き合ったころから「子どもが欲しい」と思っていたという2人。さまざまなステップを経て、デンマークの精子バンクで1,000人以上の候補の中からドナーを決定。5回目のチャレンジでRisaさんが第一子・ぽこ太郎くんを授かり、2022年11月に出産しました。 育児に専念するため、しばらく動画をお休みしていた2人。久しぶりに更新した内容は、なんと「2人目の妊娠発表」! 今回妊娠したのはMahoさん。2024年3月に第2子を出産しました。2人のママが、1人ずつ出産したわけとは…!? マイノリティだからこそ、分かり合えるきょうだいが欲しかった2人は元々、「子どもは2人欲しかった」そうです。 その理由は、「マイノリティだから、分かり合える相手としてきょうだいがいた方が良い」と考えてのことだと語っていました。 年齢的に子どもを3人もつことは厳しいかもしれないため、話し合って子どもは2人と決めたようです。 2人のママが1人ずつ出産したわけとは?子どもたちの将来を考えて、きょうだいを作ろうと計画した2人。Mahoさんは最初から「絶対に子どもを産みたい!」と思っていたそうですが、Risaさんは自分で産むことに関しては、「どちらでもいいかな」と思っていたそう。 そんな中、「家族が増える=家族としての幸せが倍になる」という話を2人でしているうちに、Risaさん自身も自然と「子どもを産みたい」と考えるようになったといいます。 自分も産みたいけど、2人の子どもを想像したときに「Risaの子どもを育てたい」というMahoさんから熱望もあり、1人ずつ出産することにしたようです。 なぜ「絶対に自分が産みたい!」と思っていたMahoさんからではなく、Risaさんが先に出産したかというと、年功序列で決めたそうです。 年子育児のメリット・デメリット動画では、年子での妊娠・出産・育児を振り返って良かったこと、大変だったことを教えてくれています。 良かったこと・上の子もまだ小さいので、ママが妊娠することによる寂しさをあまり感じていない・1人目の出産・育児の記憶が新しいから、2人目育児の想像がつきやすい・出産準備がラク。上の子のものを使える 大変だったこと・ぽこ太郎が保育園1年目なので風邪をひくことが多かった・妊娠中のMahoさんが子どもと一緒に風邪を引きやすかった・妊娠中の抱っこが大変だった このほかにも、「上の子と同じ産院で出産し、同性カップルという特殊な環境を温かく受け入れてもらえた」ことが良かったそう。 同性カップルだからこそわかり合えること「1年前にパートナーが妊娠・出産を経験しているからこそ、つらさや大変さをわかり合うことができた。これはめちゃくちゃ良いことだった!」と語るMahoさん。 初めての妊娠で不安な中、一度出産を経験しているパートナーが横にいてくれるのはとても心強かったそうです。 また、2人のつわりの重さが違ったことから、「人によっても妊娠や出産の状況は異なる。決めつけた価値観で話さない方が良い」など、お互いに経験しているからこそ理解し合えることもあったといいます。 ◇◇◇ 動画では、終始おふたりが笑顔で見つめ合って話す姿から、お互いを想いあっている様子がとても伝わってきます。そんな姿に、視聴者からは『愛に溢れた素敵な家族だと心から思える。お体お大事に赤ちゃん楽しみにしてます!』など、たくさんの応援コメントが届いていました。 同性カップルの子育てや年子育児はたくさんの苦労もあるかと思います。お互いの気持ちを分かり合えるおふたりなら、支え合いながら笑顔溢れる子育てができそうですね。 YouTubeチャンネル「ふたりママFamily」では、おふたりの日常生活妊娠中や子育てについてなど、さまざまな動画が投稿されています。ぜひチェックしてみてくださいね。著者:ライター 逆井マリ
2024年04月30日長男を妊娠中、後期つわりに苦しめられた私。出産してようやく胃の不調から開放されると思っていたのですが、産後も同じような症状が続いたのです。今回は妊娠中から産後約1年もの間、私が苦しめられた病気についてお話しします。治らない胃の不調に耐えかねて…妊娠8カ月ころから私は、胃の圧迫感や胸焼けといった後期つわりに悩まされました。そのときは後期つわりの症状だとわかっていたので、出産までの我慢だと思い、食事の量を調整しながら耐えたのでした。 しかし出産を終えても、同じような胃の不快感に悩まされる毎日。育児や授乳で体力を奪われていく中で、胃の不調が続き食べられる量が減ってしまい、体重も落ちてしまいました。そのため体力低下や貧血にも悩まされ、私はこのままではいけないと思い、産後10カ月のころ消化器科のある病院で胃カメラの検査をすることにしたのです。検査の結果、私が診断された病名は「逆流性食道炎」でした。病院の先生いわく、後期つわりで発症した逆流性食道炎が産後も治らずに、長引いてしまっているのではないかということでした。 そして授乳に影響のない薬を処方してもらい、それを服用してからは1カ月ほどで症状が治ったのです。おかげで食欲も回復し、体力低下や貧血の症状も改善して、健康的な毎日を送れるようになったのでした。 今回のことで、後期つわりが出産後も逆流性食道炎として長引いていたとは思ってもみなかったので驚きました。そしてそのうち治るだろうと放置せずに、病院でしっかりと検査をすることの大切さを身に染みて実感したのでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ななぎ著者:水沢 雫監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月25日4月は育児休暇を終え、復職する人が多い季節です。子どもの送り迎えやお世話、家事に加え、久しぶりの仕事ともなると、ママの疲労ははかりしれません。最初の数週間は、テンションや気合いで乗り越えられたとしても、次第に疲れが出てくるもの。ゴールデンウィークを迎えるころには、仕事を続ける自信をなくす人もいるのではないでしょうか。そんな4月に話題になるのが「育休明けのママたちへ」と書かれたXのポストです。そこには先輩ワーママからの愛あるアドバイスが詰まっていました。育休明けのママに伝えたいことあたたかな連鎖の発端になったのは尾石晴さんの投稿でした。 この投稿は育休明けのママを応援する先輩ワーママによってリポストされ、コメント欄にはリアルなアドバイスが50ほど寄せられています。神アドバイス!「いつか後輩たちに恩送りをするつもりで今は頼る」「残業ができないことを逆手に徹底的な作業効率化」「必要以上に罪悪感に捉われない」「自分ひとりが完璧になるより、家族で総合得点アップを目指す」 これらは尾石晴さんの投稿に寄せられたアドバイスの一部です。これを見て、心が楽になった人がたくさんいるのではないでしょうか。 「仕事と子育ての両立!」と構えてしまうと、自分に対する手抜きが許せなくなってしまいます。両立できない自分に絶望してしまうこともあるでしょう。 しかし周りを見てみると、同じ境遇の中頑張っているママ、またそれを乗り越えたママがたくさんいます。頑張るママは、いわば戦友。 保育園の送り迎えですれ違う人や電車でいつも会う人が、そうかもしれません。そう考えると、少し気持ちが軽くなるのではないでしょうか。 久しぶりの職場復帰でママは心も体も疲れています。家事や育児を疎かにしないようにと張り切ってしまいがちですが、完璧を求める必要はありません。 手を抜けるところは抜いて良いのです。すべてを背負うのではなく、まわりの人やサービスをうまく頼っていけると良いですね。
2024年04月22日Xにトレンド入りしていた「産休クッキー」というキーワード。元を辿ると、産休に入る女性が職場に配る、よくある“ご挨拶のクッキー”が写真と共に投稿されていました。クッキーにはかわいい赤ちゃんのイラストと共に、「産休をいただきます」「ご迷惑をおかけいたしますがよろしくお願いいたします」というメッセージが描かれています。この投稿には4万を超える「いいね!」が集まり、1万を超えるリポストによって拡散されていました。#産休クッキー職場の親しいグループの人に配ったという産休クッキー。お休みを取るにあたり、仕事を引き継いでくれたメンバーへの感謝の気持ちを込めたクッキーであることがわかります。 コメント欄には「かわいくて食べられない」「幸せのお裾分けをもらった気分」というコメントが数多く寄せられていました。 一方、「不快な思いをさせているのでは?」「不妊治療中の人への気遣いに欠ける」「産休で迷惑をかけるのにお花畑すぎる」などの、辛辣なコメントや引用ポストも……。 賛否両論を説く数多くの投稿により、トレンド入りしたのでしょう。子育てしにくさの根底にあるもの産休育休をめぐる論争は、ここ最近始まったものではありません。ベビーカレンダーで紹介しているマンガ『女女平等』では、産休や子育てをめぐる人間模様を描いています。 このマンガは、同僚の産休・育休や時短勤務、急な早退を疎ましく思っていた女性が主人公。しかし自身の妊娠により立場が一変する……というストーリーです。 育休を取る側・育休に送り出す側、立場は違えど誰しも直面する人生のひとコマ。マンガを読んだ人からは以下のようなコメントが寄せられていました。 ⚫︎「子持ちだからって楽させない」って悪意ありすぎ。でも実際問題、どの職業でも(?)人手は足りなくて、容赦なく仕事振られる時はある。でも上司としては、それを調整するのが仕事でしょ?と思う。 ⚫︎育休、産休、時短でのシワ寄せがこっちに来てもボーナスや給料が上がるわけでもなかった独身時は、前向きな気持ちでその人を送り出してあげることはできなかったなぁ~。そのシステムを構築しきれてない会社が悪いとわかってるから、仕方がないよって笑顔だけは崩さなかったけど。 妊娠・子育てをしている女性の働きづらさは、社会や職場の仕組み不足が原因なのかもしれません。産休は迷惑ではない社会にはさまざまな立場の人がいることは事実です。しかし、出産はとても喜ばしいこと。これから子どもを生むママを社会全体で支える必要があると思います。 また、いつか自分や自分の大切な人が産休を取る立場になることもあるでしょう。何より、子どもを生み・育てる人がいなくなってしまったら、世界は成り立たなくなってしまうのです。 「ご迷惑をおかけしますが」とクッキーには書かれていました。もちろんこれは素敵な心持ちですが、本来であれば出産や子育ては「迷惑」なことではありません。ママになる人が堂々と産休を取れ、みんなが快く送り出せる世の中になってほしいを願います。
2024年04月18日私は20歳の誕生日と同時くらいに、第1子を妊娠しました。初めてのわが子にうれしい反面、不安や苦労もありました。特に、周りから「若いママだから……」という目で見られることに苦痛を感じました。2022年民放改正前の体験です。 妊娠判明は成人式の直前!妊娠が判ったのは、成人式の1カ月前でした。妊娠に対してうれしい反面、まだ成人して間もない自分に、子どもを育てられるのかという不安もありました。 それでも産みたいという気持ちは固く、「私、産むから」と現在の夫に宣言。同い年の夫は「う、うん……」と、押される形で出産・結婚を決意してくれました。そのままお互いの両親に妊娠と結婚を報告し、妊娠4カ月の状態で成人式に出席しました。 「若いママだから」と言われたくない!第1子である長女は、私が20歳のうちに生まれました。幼いころから子ども好きだったので、自分の子どもがうれしくて、かわいくて毎日が幸せでした。初めての育児に緊張しながらも、保健師さんの言うことを堅実に守り、育児書と毎日にらめっこをし、懸命に育児をしました。 子どもが口にする物はすべて手作りし、衛生面、健康面にすごく気をつかいました。子どもに対する愛情からが半分、残りの半分は周りから「若いからちゃんとしていない」と思われるのが嫌だったのです。 それでもやっぱり偏見の目…わが子を連れて外に出かけると、「赤ちゃんかわいいわね~」と声をかけられるのですが、決まって最後に「ちゃんと育てなきゃダメよ」と言われるのです。子どもが細かったためか、時には「ごはんちゃんと食べさせているの?」とか「ごはん作ってないんでしょ?」と言われたこともありました。 夫の親戚からは、はっきり「虐待していない?」と心配されていました。若いママというだけで、周りから育児放棄や虐待などの心配をよくされました。自分なりに懸命に育児をしていたので、周りからの偏見の目は悔しかったです。 私は子どもを愛している付き合いのある人たちは理解してくれるものの、結局のところ、見ず知らずの人からの偏見の目はなくなりませんでした。いつしか私も抵抗することをやめ、「この子のママは私。この子がいいと思ってくれているのなら、それでいい」と思えるようになりました。偏見の目で見られようとも、私は子どもを愛しているのです。長女を産んでから数年間、偏見の目に悩まされましたが、自分なりの答えにたどり着くことができました。 年齢を重ねた現在ならば、当時の偏見の目を理解できます。昨今の子ども虐待のニュースもありますし、何より子どもが子どもを産むようなものですから、心配にもなります。でも当時の私にはその気持ちが理解できず、偏見の目が苦痛で仕方ありませんでした。もし今の私が、当時の私に声をかけてあげられるのなら、「子育て頑張っているね! ちゃんとわかっているよ。大変なことがあれば人に頼ってもいいから、あまり無理し過ぎないでね」と伝えてあげたいです。 イラストレーター/きょこ 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:ライター 木村なち
2024年03月22日皆さんは、義家族の行動に迷惑した経験はありますか? 今回は「妊婦に子どもを預ける義姉」にまつわる物語とその感想を紹介します。妊娠8ヶ月妊娠8ヶ月を迎える主人公には、ある悩みがありました。それは、義姉が頻繁に3歳の甥っ子を預けにくることです。主人公が妊娠中で甥っ子の面倒まで見ていられないと伝えても、聞く耳を持たない義姉。夫に相談するも「家族なんだから、助け合うものだろ?」と言われてしまいます。そんなある日、その日も自宅で甥っ子の面倒を見ていた主人公。すると、甥っ子にお腹を蹴られてしまい…。病院に運ばれた主人公は、安静のため入院することになりました。それから5日が経過して…。夫からSOS出典:Youtube「Lineドラマ」入院している主人公のもとへ、突然夫から「助けてくれ!」と連絡が来ました。主人公が「なによ」と返すと、夫は「姉ちゃんが甥をうちに置いていったんだ!」と言います。どうやら義姉は、主人公が入院していると夫から聞いていながら、甥を自宅の前に置いていってしまったようで…。「仕事から帰ったらマンションの前に甥っ子がいたんだよ!」と慌てた様子の夫。夫から聞かされた衝撃の話に「え?」と驚く主人公なのでした。読者の感想妊娠中に3歳の甥っ子を預かるのは、負担が大きいと思います。主人公が相談しても義姉の肩を持った夫に腹が立ちました。(40代/女性)3歳の息子を家の前に置いていくなんてあり得ません。妊婦に自分の子どもを押しつけるというのも信じられませんし、義姉は考えを改めるべきだと思いました。(20代/女性)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(lamire編集部)
2024年03月16日私は8歳の長男と6歳の次男、そして4歳の三男の3人の子どもを育てています。にぎやかな日々を楽しく過ごしていますが、実は3人目を妊娠したときに、産むかどうしようかかなり悩んでしまったのです。葛藤した当時の体験談をお話しします。4歳と2歳の育児に追われる日々当時4歳のわんぱくな長男と2歳の泣き虫な次男の子育てに追われる日々の中、仕事復帰をした私。そんなときに予想外の妊娠をしました。当時の私は家事や育児、仕事の両立でメンタルがギリギリの状態でした。 こんな私に子どもを3人も育てられるのだろうか? また、経済的不安もあり、人工妊娠中絶も考えてしまいます。夫に相談したところ、できれば産んでほしいが最終的には私が決めてという返答だったので、人工妊娠中絶について調べるとともに、同じ悩みを抱えている人がいるのでは?とインターネットで探しました。 同じ悩みを持つ人が意外に多かった…3人目の妊娠についていろいろと調べているうちに、意外にも同じような悩みを抱えている人が多くいることがわかりました。その中で、人工妊娠中絶が可能な病院自体、少ないことを知ったのです。そのときの私は3人目を育てる自信をなくしていたので、近くで人工妊娠中絶ができる病院があるか、電話で問い合わせて見つけました。 いざ病院に行くと、先生は中絶を希望する理由などは聞かず、「まだ手術をするには早いから、次回までにどうするか決めてきてね」と言いました。私にもう一度考え直す時間を与えるかのような先生の対応により、私の中で何かが変わっていったような気がしました。 自分を見つめ直して考え方を改めた先生が何かを察してくれたかのように感じた私は、考え方を改めてみようと思いました。私の場合は、そのときの現状でいっぱいいっぱいとなっていることから、新たな子育てへの不安を感じていたのです。そこで、家事などもう少し手を抜けるところは抜くことにしました。 また、きょうだいも2人より3人いたほうがうれしいのではないかと思えるようになり、経済的な不安については働きながら節約できるところはするなど、どうにかなるだろうと考え、私は「産もう」と決意しました。このことから、いろいろな物事に対して、今だけではなく先のことも考えながら行動するようになりました。 無事に三男も生まれてきてくれ、現在は、3人で仲良く遊んでいる姿がよく見られます。次男も三男のお世話をよくしてくれるようになり、私は大変どころか上の子に大変助けられています。手を抜くところは抜いて、子どもたちと向き合って過ごすことの大切さを実感しました。そして3人の子どもたちと楽しく過ごしている今、産むという決断をしてよかったと思っています。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/シュー子著者:太田 ゆみ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月08日私は3歳の男の子と0歳の女の子のママです。長男の妊娠期は切迫早産で長期入院になり、2人目は妊娠がわかった妊娠5週ごろから自宅で安静に過ごすよう医師から指示を受けました。それでも切迫流産、切迫早産になってしまったのですが、そんななかで、私が家族に対して後悔していることをお話ししたいと思います。急な里帰り安静期間が長くなるにつれ、私は動けないストレスで精神的にもボロボロ。当時2歳になったばかりでイヤイヤ期の長男にも、ちょっとしたイタズラ程度でも大声で怒鳴るように……。一方、夫は仕事と家事をひとりでこなし、とても疲れている状態でした。 そんなとき、妊娠32週の妊婦健診で医師から子宮頸管があと少しでも短くなったら入院だと告げられたのです。私が入院になると、夫の仕事中に長男のことをみる人がいません。夫と話し合い、私の両親に頼んで妊娠32週に里帰りをすることにしました。 イライラが今度は両親に……実家でお世話になり始めると、普段はあまり両親には頼らず子育てをしているせいか、長男も両親もどのように関わればいいのか模索しているようでした。私からも長男の食事の味つけや、してはいけないことをしたときに注意するポイントなど両親に前もって伝えましたが……。 「やめて」と言っても隠れてお菓子をあげようとする、スマホばかり見せる父や、長男の食事についてなかなか理解してくれない母にイライラして、何度か怒ってしまいました。両親も私がものすごい剣幕で怒るので、驚いていました。 イライラしないためにしたこと両親にまでイライラしてしまう自分が、情けなくてつらくてたまりませんでした。そんなとき、夫に相談すると「ちゃんとご両親に何でイライラしているか、家でもイライラしていたことを伝えたら?」とアドバイスを受けました。 後日、両親に今は入院せずに過ごせるかとても不安なこと、長男のイヤイヤ期も重なり、育児が自分の思うようにいかずにつらいことなどを伝えると、両親は「わかっているから大丈夫だよ」と言ってくれて、安心と同時に少しイライラが緩和されました。 その後もイライラを抑えることは難しかったですが、正期産の時期に入ると動けるようになり、少しずつイライラは軽減されました。夫は長男と外出、母は私の愚痴を聞いてくれて、父は甘い物を買ってきてくれるなど心遣いがうれしかったです。ひどいことばかり言ってしまった私に寄り添い、気遣ってくれた家族のおかげで無事に出産でき、とても感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:八木さつき2歳男児、0歳女児の母。ケアマネージャーの資格を取得。妊娠・出産・子育てに関する体験談を執筆している。
2024年03月03日初めての妊娠で、子どもが逆子であると言われたママのエピソードをご紹介します! まさかの展開に涙医師から「逆子は自然に直ることが多いので様子を見ましょう」と言われていましたが、妊娠後期になっても直る様子がなく、帝王切開で産むことになっていました。ただ「できるなら経腟分娩がしたい!」と思った私は、主治医に相談。 近くの病院で、「外回転術(※外回転術をおこなう際には条件があり、頻度は低いものの常位胎盤早期剥離などのリスクもあると言われています。)」という逆子の矯正をしているところに紹介状を書いてもらい、日帰り入院で治療してもらうことになりました。 もちろんリスクもあるので、ドキドキしながら病院に向かい、いざ治療!治療自体はスムーズにいき、逆子も無事に直ったのですが……赤ちゃんが無事かの確認の検査で、羊水が平均よりも少ない「羊水過少」であると診断され、日帰り入院のはずがそのまま出産までその病院で入院することに……。本来出産する予定だった病院は産後のケアが素晴らしいと評判高い病院で、出産後のごはんやケアを楽しみに頑張ってきていただけに、かなりのショックを受け、さらに突然家に帰れなくなったさみしさに出産まで何度も泣きました。 ただ子どもは元気に生まれてきてくれたので、結果オーライ。まさかそのまま入院することになるとは思ってもいなかったので、入院準備など一切しておらず、夫には病院を行ったりきたりしてもらい、さらには家のこともすべておこなってもらうことになり、申し訳ない気持ちでいっぱいでした……。ただ1カ月ほど病院で快適生活を送れたので、私はとってもラクチンでした(30代/女性/保育士) 作画/市田スナオ監修/助産師 松田玲子 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2024年02月26日2人目の妊娠が判明したのは産後4カ月のときでした。順調にいけば、12、3カ月差の年子になります。思いのほか早く妊娠したことで、現実的にワンオペでの妊娠、出産、育児が可能なのか悩み、葛藤した話をお伝えします。2人目妊娠はいつでもよいと思っていた私は1人目を出産するときに、以前勤めていた職場を退職しました。そのときは専業主婦となり2カ月ほどで1人目を出産し、育児に専念中でした。 私も夫も2人目の妊娠については、子どもは授かりものだから妊娠したときが良い時期なのだと、楽観的に考えていました。さらにそのときは仕事に縛られないことや周りにも年子が多くいたこともあり、2人目は早くてもいいのかなと思っていた産後4カ月目……妊娠が判明したのです。 このまま出産して本当に大丈夫なのか出産予定日は上の子の誕生日の1カ月後でした。周りに年子が多くいたとはいえ、さすがにこの年齢差の年子の知り合いはいません。妊娠が現実となり、2人目の妊娠時期を楽観的に考えすぎていたのかなと思い始めました。つわりや臨月になっても上の子のお世話をちゃんとできるのか、出産したあとに2人の育児をできるのか真剣に悩みました。 年子は子どもが小さいうちはすごく大変でも、大きくなったら一緒に遊ぶようになって一気にラクになるとも聞きます。私は、少なくとも子どもが小さいうちはワンオペで育児をしなければならないので、自分が耐えられるのかたくさん考えました。 結論、産むことに最終的には産む決心がつきました。私は以前から婦人科系の疾患で妊娠しにくい可能性があると言われていたこともあり、順調に2人目を自然妊娠で授かったということは奇跡なのではないかと思いました。 さらにそのときは仕事もしていませんでしたので、縛られることもないタイミングで良い時期だったと感じます。産む決心がついてからはインスタなどを通じて同じ境遇のママさんの投稿を見て励まされたり情報を得たりして、今も育児の参考にしています。 わが家では思っていたよりも早く2人目を妊娠・出産しましたが、年子を産めてよかったと思っています。たしかに産後1年間は壮絶な日々が続きました。今は1歳と2歳になり、喧嘩もよくしますが、それ以上に一緒に遊ぶ姿をみる機会も増え、微笑ましい光景がみられます。あっという間に時が過ぎていってしまうので、日々噛みしめて2人の成長を見守っていきたいです。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:雨宮春季13カ月差の年子姉妹、1歳児と2歳児の母。前職の看護師を辞めて現在は育児に専念中。次女が重くなってきて2人を連れての外出に限界を感じてきた今日この頃。最近は家に引きこもりがち。
2024年02月18日私たち夫婦はお互いに離婚歴があり、お互いに息子がいますが同居はしていません。そんな事情もあり、子どもはつくらず2人の生活を楽しんでいこうということで再婚しました。しかし、入籍して半年くらい経ってから、夫からのあるひと言で妊活を決めたのです。夫との出会いから結婚まで私は2回の結婚経験があり、どちらも失敗に終わりました。しかし、現在の夫と職場で知り合い、この人となら今度こそ幸せになれるかなと思い、同棲を始めたのです。 毎日が楽しく、作ったごはんも喜んで食べてくれて30代後半で普通のカップルがするような素敵なデートもいっぱい体験させてくれました。そして結婚を機にマイホームを購入し、新婚生活を数カ月送っていたときに、夫に言われたのです。 うれしい言葉に悩んだ末、決断何気なくテレビを観ているときに、夫から「おまえとの子どもが欲しいな」と言われたのです。私は「本気で言ってるの?」と聞いたら、夫は「おまえとの子どもがいたら、今とは違う幸せがあるのかなーって思ったんだ」と言われ、うれしくて涙が出たのを今でも覚えています。 言われたことはとてもうれしかったのですが、やはり悩みました。38歳での出産で私は「大丈夫かな? 育てられるかな?」と不安しかなかったのです。私たち夫婦には両親がいないので頼れるところがないということが、私にとっては大きな悩みでした。しかし、やっぱり夫の子どもを産みたいと思い妊活を始めたのです。 妊活を開始後、半年で妊娠妊活を始めて半年、妊娠検査薬を試してみると見事に陽性でした。すぐに夫に妊娠検査薬の写真を添付してLINEで報告すると、「やったね! おめでとう!」という返事がきて本当にうれしかったです。 妊娠が確定し、35歳以上の出産はリスクが高いのも不安の要素で、元々体格がよかったので太り過ぎにもかなり注意していました。 無事に出産して3年出産予定日を過ぎてもなかなか生まれず、結局、妊娠41週2日に緊急帝王切開で娘を出産しました。娘は3歳になりイヤイヤ期真っ最中ですが、とても元気いっぱいです。 娘の笑顔を見ると、本当にあのとき不安を乗り越えて妊活してよかったと心から思います。これから先、親子でたくさんお出かけするのが今の私の楽しみです。 20年ぶりの出産で体力的にも精神的にも不安いっぱいの妊活でしたが、夫のうれしいひと言で前向きになり、頑張って子育てしていこうと思いました。私たちは親もなく、頼れる場所がないことがどれほど大変かを知っているので、妊活にはかなりの勇気が必要でした。何度も何度も夫と話し合った結果、私たちの子どもを身ごもることができ、幸せを実感しています。 監修/助産師 松田玲子著者:のろ ゆうこ結婚3回目にして幸せを手に入れた北海道出身ライター。23年前に息子を出産し、20年ぶりの出産を経て現在は3歳の女の子をワンオペで育てています。美味しいものを食べ歩くことが大好きなアラフォーです。
2024年02月11日私は産前から、足のむくみに悩まされていました。それが2度の妊娠、出産を機に症状が悪化し、大変なことになってしまったのです……。年々悪化する下肢静脈瘤私は産前から、左足に「下肢静脈瘤」を抱えていました。第1子妊娠中に左足だけむくみがひどくなり、主治医に相談したところ、産後に外科に相談しようということに。しかし第1子出産後、育児に追われ、足のむくみで外科を受診することなど忘れてしまっていた私。 そして、外科へ行く間もなくあっという間に2年がたち、第2子の妊娠が判明。そこで、また下肢静脈瘤による足のむくみに悩まされることとなったのです。第2子の妊娠中は第1子妊娠中よりもかなり足のむくみがひどく、足首の境目がわからないほどむくむ日もありました。 見た目も血管がボコボコ浮き出て、足を出すような洋服は着られません。産院では再び、産後に外科を受診するように言われました。私なりに食事に注意したりマッサージをしたりして乗り越えた第2子の出産。 出産が終われば、少しはラクになるだろうと勝手に思い込んでいた私でしたが、一番ひどくなったのは第2子を出産して3カ月ぐらいのときでした。朝、足がむくんで足が痺れたような感じがして起き上がれないことがあったのです。私は、すぐに外科を受診しました。すると、即手術が決まったのです。 私の下肢静脈瘤は遺伝性のものだと診断されました。私の父も祖母も下肢静脈瘤の手術をしていたからです。手術は1泊2日でおこなわれ、無事に成功。私の場合は、レーザー療法と言って、静脈の内側をレーザーで焼いて閉塞させる手術だったため、傷痕もほとんどありません。また、医療保険に入っていて保険が適用されたため、金銭的な負担も少なく手術ができました。 結果、手術をして日々の生活がとてもラクになりました。以前のように足がむくんで足首が見えない、歩くのが痛いということはなくなり、とても快適な生活を送っています。そして今も、予防のために長時間同じ姿勢をしたり、塩分を摂取しすぎたりしないように気をつけています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/森田家著者:なかまる あゆみ
2024年01月15日結婚後、特に妊娠について深く考えないまま、夫婦生活をしていました。ある日、女友だちと飲みに行ったのですが、次の日から今までの二日酔いとは明らかに違う気持ち悪さに襲われて……。友だちとビアバーで生ビール8杯結婚して1年が経ったころの仕事帰り、夫は仕事後に職場の人と飲みに行くと言っていたので、私も女友だちと気になっていたビアバーに寄って帰ることにしました。 久々に会った友だちと話もはずみ、どちらがたくさん飲めるかふざけながらビールを8杯も飲んで、上機嫌でその日は帰宅しました。 ただの二日酔いにしてはおかしい…私はもともとお酒が大好きですが、泥酔した経験はあまりありません。飲んで帰った日もなんともなかったのです。しかし翌日、気持ちが悪くて目が覚めました。次の日になって気持ち悪くなるなんて、代謝が落ちたのかなと軽く考えていた私。 仕事中も気持ち悪さが残ったままで、合間で数時間おきにトイレに行っては吐いてを繰り返して、変な酔い方だと思っていました。 さらにその夜、気持ち悪いのになぜか冷蔵庫に入っていたチキンナゲットが食べたくなって、1袋丸ごと食べたことを覚えています。 地獄のような気持ち悪さの正体は?次の日、通勤中に電車に揺られて気持ち悪過ぎて、途中下車してトイレに駆け込みました。そして仕事中には立っていられないほど気持ち悪くなり、なぜか炭酸飲料が飲みたくて仕方がない! 普段ジュースなんて飲まないのに、何度もペットボトルの炭酸ジュースを買っては一気に飲み干し、今思い返すと変な行動を繰り返していました。 帰宅中も気持ち悪さが続き、もしやと思って慌てて妊娠検査薬を買って検査をすると、すぐに陽性反応が! うれしいの前に、お酒を飲みすぎて胎児に影響を与えたんじゃないかと、顔面蒼白になったたことを覚えています。 そのあとすぐ、産婦人科を受診すると妊娠6週でした。先生に相談すると、アルコールが胎児に影響を与えるとすれば、流産になるかもとのこと。そして「今後はアルコールを摂取しないように」と苦笑いで注意されました。 妊娠の基礎知識がまったくなかったので、お酒の飲みすぎと二日酔いが治らない感覚から妊娠に気付いただなんて、今思い返すと恥ずかしいです。結果的に、流産することなく無事に臨月で出産し、現在、長男は小学生になりました。何も問題なく妊娠と出産ができたものの、排卵日や生理についてもっと注意しておくべきだったと思います。 ※妊娠中に母親がアルコールを飲むと、おなかの中の赤ちゃんの体の発育、脳の発達へ深刻な影響を与え、胎児性アルコール症候群の赤ちゃんが生まれる可能性が高まるため、妊娠中の飲酒は避けましょう。アルコールによる胎児の異常は妊娠4週以降すべての期間に起こりうるとされており、妊娠超初期のアルコール摂取は問題ないと考えられています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/森田家著者:小川 朝美監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年01月07日妊娠と同時に始まったつわりで、毎日嘔吐する日々。1カ月半が経ったころ、水分もとれなくなり入院することに。世の中の妊婦さんはみんな乗り越えているのにと、入院することを情けなく感じていました……。想像以上のしんどさ私のつわりのイメージは、ご飯の炊けるにおいに気持ち悪くなるというものでした。しかし実際は、毎日続く吐き気と嘔吐で、ほとんど寝たきりの生活。 世のお母さんは、みんなこのしんどさを乗りこえるのかと、いつ終わるかわからないつわりに恐怖を感じていました。 8kgの体重減少→入院あまりのしんどさに2回ほど点滴をしてもらいましたが、その帰り道で嘔吐することもあり、状況は良くなりませんでした。つわりが始まってからの1カ月半で8kg体重が減少。食事と水分がとれていないために、医師から入院して24時間点滴する必要があると説明されました。私の周囲にはつわりで入院した人がいなかったので、「みんな乗り越えているのに、自分は弱いな……」と入院することを情けなく感じていました。 実に1カ月半ぶりのご飯!入院して3時間ほど点滴したころ、少しずつ吐き気が引いてきて、つわりが始まってから初めておなかが減った感覚が……。 栄養士さんと食べられそうなものを相談し、お願いした大根サラダと白ご飯が出てきました。ひと口食べて、「おいしい」と感じたことがうれしくて、泣きながら食べたことを私は生涯忘れません。 入院する前は、みんなが耐えていることだからと、しんどさをずっと我慢していました。ひとりで耐えている時間は本当につらく苦しかったです。しかし、入院して周りに頼ると、自分が想像していたより体がラクになったのを覚えています。時には勇気を出して周りに頼ることも必要だと感じた体験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/ななぎ著者:下川 美悠
2024年01月06日皆さんは職場関係の悩みはありますか?今回は「妊娠中の仕事」にまつわる物語を紹介します。妊娠中の出来事会社員の主人公が、妊娠6ヶ月だったときのこと。体調不良や健診で仕事を休みがちだったため、申し訳なく感じていました。ある日、つわりがひどくて仕事を休むと、同僚から「今日もお休み?」と連絡がきて…。イヤミな同僚出典:Youtube「LINEドラマ」同僚に休むことを謝罪し、つわりがひどいことを説明した主人公。しかし同僚は、妊娠6ヶ月でつわりはないと言い「仮病でしょ」と言いがかりをつけてきました。同僚のイヤミはそれだけにとどまらず「迷惑だから辞めろ」と退職まで迫ってきたのです。以前から起業を考えていた主人公は、同僚の言葉もあり退職することに。それから2年後、主人公はデザイン会社を経営して順調に生活していました。すると例の同僚から久しぶりに連絡がきたのです。同僚は主人公が会社を辞めたあとに妊娠したものの、周囲から欠勤をうとまれて辞めたと話します。まさに自分が主人公にしていたことを「ひどいでしょ」と話す同僚に主人公は唖然。さらに同僚は厚かましく「あなたの会社で雇って」とお願いしてきたのです。当然、同僚の頼みをきっぱり断った主人公なのでした。行いが返ってきたイヤミな同僚の言動に悩まされ、仕事を辞めた主人公。同僚も妊娠し、自分の行いが返ってきたエピソードでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(愛カツ編集部)
2024年01月02日私は20歳で結婚し、夫の家族と同居しています。義父はいわゆる亭主関白な人で、義母は何を言われても言い返さず、言われっ放し……。義父はヘビースモーカーで、妊娠中の私の前でもタバコを吸い続けました。夫から注意してもらったものの、義父が態度を変えることはありませんでした。そこで義母に相談したところ、耳を疑う言葉が返ってきたのです……!期待はしていなかったけれど次第につわりがひどくなり、タバコのにおいがダメになってしまったときも義父はお構いなしで近くでタバコを吸っていました。 さすがに、身体もつらくなり、義父のタバコについて義母へ相談すると……。返ってきた返事に私はショックを受けました。 「あなたがタバコの煙を避けるように座ればいいじゃない」 義母が義父に何も言えないことは知っていましたが、妊娠中の体のつらさは義母も理解しているはずなので、少しは共感してくれるのかなと思っていました。ですが、完全に突き放す言葉だったため、私は愕然としました。 その後は、義父がタバコを吸っているときは離れるようにして過ごしました。出産し、月日が経った今では自分勝手な義父にも慣れ、言いたいことを意見できる関係になりました。義母は今も義父への遠慮があるようですが、ストレスを溜めないためにも、都度意見を伝えていきたいと思います。 ※タバコに含まれるニコチンは、血管を収縮させて血流を低下させるため、妊娠中に取りこむと、胎児に十分な酸素や栄養が行き届かず、流早産、胎内発育不全、乳幼児突然死症候群などの発生率が高くなります。また、タバコの副流煙(タバコの火がついた部分から立ち上る煙)は主流煙(喫煙者が直接吸い込む煙)よりも有害物質を多く含むため、妊婦さんが吸わなくてもそばで喫煙されることによって、悪影響が及ぼされます。妊娠中は、タバコの煙を吸わないように煙から離れ、またこまめに換気することが大切です。 著者:佐々木夢子/女性・主婦。20歳で結婚し、今では3児の母。夫の家族と同居している。イラスト:はたこ ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2023年12月30日ゆきさんは、2年間交際していたしょうたさんと結婚し、半年後に妊娠していることがわかり、その後出産しました。ある日ゆきさんは、仲良しの友人りかとまゆみと3人で久しぶりに会うことに。妊娠をしたというまゆみは、つわりもないと得意顔。しかし、ゆきさんの出産時のエピソード聞いたまゆみは機嫌を悪くし、「大袈裟」だと言い放ちました。その後、ゆきさんは、友人のまゆみから「相談がしたい」と大量の連絡をもらいます。困惑しつつも、まゆみのことを心配したゆきさんは、その晩まゆみと電話で話すことに。電話口のまゆみは「体重が増えない」「つわりがない」という悩みを話しながら、なぜか得意げな様子で……。 そんなこと言うなんて信じられない…!私はまゆみを励ましたつもりだったのに「説教」だと言いがかりをつけられて……? ゆきさんがアドバイスをすると、まゆみは突然声を荒げて怒り出します!まゆみはゆきさんから説教をされたと感じたよう。 さらには「妊娠中私と違って結構デブってたもんね!」とまゆみから暴言を吐かれて絶句するゆきさん。これ以上まゆみと話したくないと感じ、一方的に電話を終わらせました。 その後、まゆみから帰宅した夫から体重管理がしっかりしていると褒められたという内容のメッセージが届きます。まゆみは体重管理ができていることを褒められたかっただけなのだと感じて、ゆきさんはただただ呆れるのでした。 まゆみさんは自分の思うように話が進まないために、機嫌を損ねたのでしょうか。妊娠中は体の変化などで思うようにいかず、イライラする気持ちになってしまうこともありますよね。ただゆきさんも忙しい中、時間作ってまゆみさんの話を聞いてくれています。まゆみがひとりで悩みを抱え込む必要はありませんが、まゆみさんにとってゆきさんは出産の悩みや辛さを共有できる友人のひとり。困ったときに頼れる友人として大切に接してほしいですよね。 著者:マンガ家・イラストレーター たに
2023年12月24日私は40代の主婦で、現在結婚15年目です。第1子妊娠の際に強烈なにおいづわりに悩まされたときの体験をお話しします。自分のにおいで吐いてしまうもともとにおいに敏感な私でしたが、第1子を妊娠したときは、ひどいにおいづわりに悩まされました。妊娠自体は喜ばしいことですが、私は24時間、悪臭をかがされているような状態で大変でした。 水のにおいや、挙句の果てには自分のにおい(ほぼ無臭なのですが……)まで気持ち悪くなってしまい、満足に食事もとれずに自宅に引きこもる日々。 人によっては数カ月でつわりがおさまるという話を聞いていましたが、私は妊娠した瞬間から臨月までつわりが続いたのです。 出産前後でにおいが変わった!?ようやく臨月になり陣痛が始まりました。私が出産した病院では、陣痛中にバナナと牛乳が軽食として出されましたが、陣痛中にもかかわらず、そのときの私の感想は「バナナが臭い!」でした。 陣痛でそれどころではないはずなのに、なおも臭く感じる自分に驚いたことを覚えています。それでも生まれてくる子のために力をつけようと、鼻をつまんでバナナを食べた私。やがて12時間の陣痛を経てようやくわが子を抱いたとき、うれしさで涙がこぼれました。 そして、その直後にお昼のサンドイッチとバナナが提供されたのですが、空腹で思わずバナナを頬張った私はびっくり! なんと、バナナが臭くないのです。同じバナナなのに、出産前後でにおいが明らかに変わったことに驚きました。本当に10カ月ぶりの「おいしい!」でした。 第1子の妊娠は、においづわりに翻弄された10カ月間でしたが、第2子を妊娠したときのつわりは3カ月間の期間限定で、それほどひどくありませんでした。当時は本当につらかったですが、出産前後でにおいが変わるという不思議な経験ができて、今ではそれもいい思い出です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/森田家著者:中野 迷子
2023年12月05日まさか自分の身に起きるとは思わなかった出来事です。2人目の妊娠中に義父母からかけられた言葉が忘れられません……。そんなこと言わなくても……第一子となる男の子を妊娠したとき、義父母は「一人目は男の子が一番よね」ととても喜んでくれました。それから時は過ぎ、第二子を妊娠した私。義父母に性別を報告すると耳を疑うような言葉が返ってきたのです……! 第二子も男の子でしたが、義父母は平然と「もう男の子はいらない。女の子がよかったのに」とはっきりと妊婦の私に言ったのです……。義父母の態度から、なんとなく女の子を期待しているのは感じていましたが、「男の子はいらない」の言葉にあまりにも腹が立って泣いてしまいました。 のちに、第三子の女の子が生まれましたが、一度傷ついた心は癒えておらず、義父母が娘に大喜びでいろいろなものを買ってくる姿を見て、さらにうんざりしました。 次男はたくましく育ち、義父母からは「男らしい」とかわいがられています。しかし、私は性別のことであれこれ言われたときのことをいまだに忘れられません。長女が生まれたあと、義父母の家から離れた場所に引っ越してからは、そんな出来事を思い出すことも減り、心穏やかに暮らしています。 著者:さとうしお/40代女性・主婦。40代の母。3人の子ども(息子、娘)の育児に奮闘中。イラスト:ぽん子 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています
2023年11月26日皆さんは、義家族との関係に悩みはありますか?今回は、妊娠中の義母とのトラブルエピソードを紹介します。イラスト:noico妊娠中のお正月挨拶に行くと…夫が怒ってくれて…散々な正月に…医者にも無理をしないように言われていたのに、休むことを許してくれない義母。相手のことを考えた言動を心がけられるといいですね。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。(Grapps編集部)
2023年11月20日