現在放送中のドラマ『恋はDeepに』(日本テレビ系)に出演している大谷亮平さん。『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)の風見涼太や、連続テレビ小説『まんぷく』の小野塚真一など、優しい人の役が印象的な大谷さんが今回演じているのは、綾野剛さん演じる蓮田倫太郎と対立する実兄の蓮田光太郎です。今回の役への向き合い方や、現在の心境について話を伺いました。「悪役に挑戦」という意識はない——ドラマ『恋はDeepに』への出演は新鮮に感じられたそうですね。大谷亮平さん(以下、大谷):はい。ラブコメのようなジャンルに出演する機会が少なく、わりとシリアスな作品が多かったので、新鮮でした。——大谷さんが演じる光太郎は、倫太郎にとって敵対関係にあります。これまで “いい人”の役の印象が強かったので、“ヒール”な役も新鮮でした。大谷:ありがとうございます。ただ、自分では光太郎のことを“悪いやつ”だと思っていなくて、特別に悪く見せようともしていないんです。これまでの放送分(編集部註:インタビュー時は5話まで放送)では弟の行動を邪魔するようなポジションなので、そう見えるかもしれないのですが、光太郎は光太郎の人生を生きているだけなんですよね。——光太郎の人生を生きているだけ。大谷:そうです。自分が信じる道、自分のやり方を貫き通した結果、見る人にとっては悪く見えるかもしれない。そんな感じです。僕は彼の行動には人間味があるなと感じていて。光太郎はずっと会社や仕事のことを第一に考えてきました。むしろそれしか選択肢がないと思っていた。そこに自分にとって脅威となるかもしれない存在が現れたら、正しいかどうかは別として、相手より先に成功を手にしようと焦ったり、邪魔をしてしまったりするのは人間ならば考えられる行動だと思います。仕事で切羽詰まったときや、とあるシチュエーションではそうなっていくこともあるよね、と。だから僕は光太郎を単純な“悪い人”にはしたくなくて、彼なりの生き方、考え方に思いを馳せながら演じました。細部にまで情熱を持つふたりとの共演——綾野さん、石原さんとの共演はいかがでしたか?大谷:おふたりに共通していると感じたのは、作品にかける熱量です。言葉にすると、一見当たり前なのですが……。近くで見ていて、細部に込める思い、魂のようなものをとても感じました。主演なので、僕らよりもずっと出番があって、何シーンも撮るのですが、このシーンはパッと終わるだろうという場面にもこだわる。なんとなくでは済ませない人たちなんです。ふたりの熱量を受けて、僕自身も引き出されていく感覚がありました。特に綾野さんとは、バチバチするようなシーンが多かったので、気持ちを受け取って、返して……というやりとりが面白かったです。綾野さんが演じると倫太郎はこんなふうに怒って、こんなふうにぶつかってくるんだって。芝居では怒るとか叫ぶという表現がよくあるのですが、人によってアプローチが全然違うんですよ。誰がキャッチするかによっても、全く違うものになります。そこがこの仕事の楽しいところで、やりがいだと僕は思っているんです。失敗が糧になるとはわかっているけれど…——著書の『日本人俳優』や過去のインタビューなどを拝見するとたびたび「自信がない」とおっしゃっていて、意外な感じがしました。今年は大河ドラマ『青天を衝け』にも出演されましたよね。何か「自信」に関して変化はありましたか?大谷:意外ですか?(笑)——韓国でのキャリアもありますし、日本に拠点を移してからも多くの話題作に出演されているので、外側から見ると順調なステップアップなのかな、と。大谷:自信は今もないですよ。周りに「こうだよ」「ああだよ」と言われると、そうなのかな?と流されてしまうことも多いですし。その結果、自分の直感を信じるべきだったなと思うことも多いです。失敗することだって怖いし……。だけど、今になって思うのは「若いときにもっと恥をかいておけばよかった」ということ。失敗してこなかったことを後悔しているんです。——たとえば、どのような失敗が必要だったと思いますか?大谷:仕事に関しては、演技で複数のプランが浮かんでも、安全なほうを選択してきたことがすごく歯がゆいです。ちょっとリスクを負ってでも挑戦を選んでいれば、その経験が自分のものになって、引き出しがもっと増えたのではないかと。恥をかくことを恐れて“セオリーどおり”にしてきたので、そこから外れたときどうなるのかイメージできないんですよ。蓄えがある感じがしない……というのが厄介だなと今はとても感じています。——それは、今からでも遅くないのでは?大谷:そうですね。でもやっぱり、年齢を重ねるほど失敗ってしづらいし、周りのことも意識してしまうし。いざその状況におかれるとなかなか……。自分のそういうところがイヤなんですけどね(苦笑)。——たしかに、失敗はしなくて済むならしたくないです。人に励まされても勇気が出ないというか。大谷:「大丈夫だよ」「自信持って」と言われても、結局は本人の問題なので。勇気を出すには「今それを引き受けないと、また10年後に後悔するぞ」と自分で自分に打ち勝っていくしかないのかな、と思います。■作品情報日本テレビ系水曜ドラマ『恋はDeepに』毎週水曜よる10時放送中(スタイリスト:伊藤 省吾(sitor)、ヘアメイク:堤 紗也香)(取材・文:安次富陽子、撮影:宇高尚弘)
2021年06月09日恋する女性のために人を殺した女性と、殺すことを求めた女性の行き場のない逃避行を描くNetflix映画『彼女』がNetflixで世界同時独占配信中です。原作は、中村珍さんの「羣青(ぐんじょう)」(小学館IKKIコミックス)。本作の監督を、廣木隆一さんが務めます。家族に同性愛者であることを打ち明けられず孤独を抱えるレイを水原希子さん、夫から壮絶なDVを受けるも逃げることができない七恵をさとうほなみさんが演じています。インタビューの後編では、おふたりに孤独をテーマにお話を伺いました。彼女が「自分らしさ」を取り戻せたのは…——裕福な家庭に生まれ育ち、医師としてのキャリアも順調で何不自由ない暮らしをしているレイ。結婚して誰もがうらやむような生活を手に入れた七恵。ふたりとも“外側”から見れば幸せそうですが、その内面には孤独やままならなさを抱えています。水原希子さん(以下、水原):そうですね。レイは仕事も順調で、恋人もいる。家族仲も悪くありません。けれど、家族に自分が同性愛者であることを明かせずにいる面もある。そういう苦しみはあったかもしれません。さとうほなみさん(以下、さとう):七恵はずっと両親にも愛されず、友達もいなくて、夫からはDVを受けていました。七恵はきっと本音で生きる経験をしたことがない人なんですよね。誰にも本心を見せられなかったけれど、レイと短いながらも濃厚な時間を過ごして自分を取り戻せたのではないかと思います。水原:レイの場合は、悩みを抱えているといっても、家族や恋人の愛を感じながら生きてきました。そのあたたかくて優しい環境を全部捨ててでも、たったひとりの「愛する人を守る」ことを選びます。自分で決断するということを通じてレイもまた新しい自分らしさを見つけたのかなと思っています。孤独は不意にやってくるもの——お二人は日々の生活の中で孤独を感じることはありますか?水原:ありますよ。私はモデルという仕事と出会って居場所を見つけたと感じましたが、居場所があっても孤独は不意に訪れるものなのかなと思います。あまり暗い話はしたくないんですけど……。そういう感情はあって当たり前だと思うんです。私にもある。そんなとき私はサウナに行ったりしてセルフケアをするんですけど……。さとう:サウナ!前の取材でも言ってたね(笑)。水原:そう(笑)。私の周囲には支えてくれる方がたくさんいますが、人間関係に重きを置きすぎると、それはそれでつらいことになるので。落ち込んだとき、すぐに誰かに助けてもらおうと考えるのではなく、自分のことを自分でケアできるようになったほうがいいなと思うんです。自分を甘やかすなど、うまく孤独と付き合っていく術を日々学んでいますね。——さとうさんはいかがですか?さとう:孤独を感じること、ありますよ。そういうときにどうすればいいか、人にアドバイスできるようなことはないのですが……。涙を流すといいとかいろいろ通説はあるじゃないですか。でも、それがいつでも誰にでも有効かというとそうじゃないですよね。自分の孤独は自分にしかわからないものですから。その気持ちを忘れないようにしておくのがいいのかなぁ……。まったく同じように覚えておくことなんてできないけど、前に同じような苦しさがあったなって経験の一つとして思い出すかもしれない。孤独な感情も、いつか役立つかもしれない水原:そうだね。私は孤独な気持ちがやってきたら、とことんその気持ちに浸ったりもします。一人で車の運転をしながら「私は今、ひとりだなー」って思ったりして。その気持ちを覚えておくことも必要だと思うんですよね。さとう:うん。水原:脳の勉強をしている友達から聞いたのですが、脳はすごくいたずらで、自分が傷つくように仕向けてくるというか。ネガティブなほうに反応しがちなのだそうです。さとう:あると思う!水原:だから、今感じている自分のこの気持ちは脳の罠かもしれないぞ……とちょっと引いてみたり、どっぷり浸かってみたり、話せると思うなら仲間に話してみたりして何パターンか付き合い方を持っているといいのかも。さとう:その感情があるから気づける、他人の痛みもあるかもしれないですよね。水原:そうそう。そうなったら無駄ではないというか。孤独を感じるのは悪いことだと思うとストレスになるので。誰もが孤独や弱い面を抱えて生きているんだと思うことにしています。さとう:みなさん。こんなに太陽みたいに明るい水原希子にも孤独があるんですから、ね。■作品情報Netflix映画『彼女』Netflixにて4月15日(木)より全世界同時独占配信監督:廣木隆一出演:水原希子さとうほなみ(ヘアメイク:白石りえ、スタイリスト:小蔵昌子(水原希子) 、ヘアメイク:野中真紀子、スタイリスト:市野沢祐大/TEN10(さとうほなみ))(取材・文:安次富陽子、撮影:宇高尚弘)
2021年04月16日恋する女性のために人を殺した女性と、殺すことを求めた女性の行き場のない逃避行を描くNetflix映画『彼女』が4月15日よりNetflixで世界同時独占配信されます。原作は、中村珍さんの『羣青(ぐんじょう)』(小学館IKKIコミックス)。本作の監督を、廣木隆一さんが務めます。家族に同性愛者であることを打ち明けられず孤独を抱えるレイを水原希子さん、夫から壮絶なDVを受けながらも逃げることができない七恵をさとうほなみさんが演じています。「すべてむき出しにして挑んだ」という主演のお二人に話を伺いました。作中より原作を読んで少し後悔しました(水原)——本作は2007年に連載が始まった、中村珍さんの漫画『羣青』の実写映画です。オファーを受けたときはどんな気持ちでしたか?さとうほなみさん(以下、さとう):実は私、以前から原作のファンで、もし実写化されるなら出演したいと思っていたんです。オファーをいただいたときは「信じられない!」という気持ちが大きかったですね。——原作のどんなところに魅力を感じていたのでしょうか?さとう:上中下巻の3巻あるのですが、主人公の女性ふたりがずっとジェットコースターに乗っているようで。目まぐるしく変化する感情に惹かれていました。同じ乗り物に乗っているようだけれど、ふたりで同時にアップダウンするのではなくて、どちらかが上がっているときは一方が下がって。そんなすれ違いをずっと見ていて、苦しいのに美しい物語だと思ったんですよね。——水原さんはいかがでしたか?水原希子さん(以下、水原):ほなみちゃんが言ったように、感情の起伏も激しいし、セリフも、こんなこと言っちゃうんだと思うぐらい感情に身を任せてむき出しの状態で。面白いと思ったと同時に、役者としてこのような作品にはなかなか出会えないだろうなと感じましたね。——本当に「さらけ出す」「むき出す」という言葉がぴったりな作品です。水原さんは原作を読みましたか?水原:はい。脚本を読んだ後に読みました。中には「原作のイメージに引っ張られてしまうかもしれないから、読まないほうがいいかも……」という声もあったのですが、どうしても気になって読んじゃいました。そしたら、原作の力が本当にすごくて……。脳裏に画のイメージが張り付いてしまって、読まないほうがいいってそういうことか、と少し後悔しました(笑)。さとう:でしょう?(笑)。私も、元々のイメージがあったので最初は苦しみました。水原:でも、原作を読んだからこそ表現できた部分もあるはずだから、読んでよかったなと思います。「あなたがいないとダメ」という気持ちが役の外でも芽生えた——精神的にも肉体的にもハードな場面が多いので、撮影中はお互いが心の支えになっていたのでは?さとう・水原:本当にそうですね。水原:ほなみちゃんは、戦友。ふたりで戦い抜いたという感じです。さとう:お互いに励まし合わないとやりきれなかったですね。七恵は物語が進むにつれて、レイのことを深く必要としていくのですが、私も同じようにだんだんと「水原希子なしでは……」と彼女を必要とする気持ちが深くなっていきました。本当に役とリンクしちゃって、キャストが増えるシーンでは嫉妬したりしてね(苦笑)。水原:私もレイと気持ちがリンクして、ほなみちゃんの姿が見えないと不安でした。「ほなみちゃんどこ?ほなみちゃんは今何してるの?ねぇ、ほなみちゃんは?」って。メイクのときや着替えのときにも目で追いかけていました。さとう:ずっとふたりでくっついていたよね。核となる気持ちが「あなたがいないとダメ」って。確実に互いの中に芽生えていたと思います。役の中でも外でも。水原:本当にそうでした。次は笑える喜劇を…——撮り終えた今はどんなことを思いますか?水原:先にも言いましたが、役者としてレイを演じることはすごいチャレンジだったなと思います。お芝居が「苦しいもの」であることも感じましたし、こんな経験はもしかしたら二度とないかもしれない。さとう:七恵として生きた期間、ずっと孤独を感じていました。実生活でも友人たちとの連絡も絶って撮影に臨んでいて。つらかったけれど、こういう役作りも悪くないなと思いましたね。希子ちゃんとはまたお芝居したいです。水原:そのときは、笑える優しい喜劇がいいね(笑)。■作品情報Netflix映画『彼女』Netflixにて4月15日(木)より全世界同時独占配信監督:廣木隆一出演:水原希子さとうほなみインタビュー後編は4月16日(金)公開予定です。(ヘアメイク:白石りえ、スタイリスト:小蔵昌子(水原希子) 、ヘアメイク:野中真紀子、スタイリスト:市野沢祐大/TEN10(さとうほなみ))(取材・文:安次富陽子、撮影:宇高尚弘)
2021年04月15日ひとり親の宇宙飛行士・サラと幼い娘・ステラの、ロケット打ち上げまでの日々を描いた映画『約束の宇宙(そら)』(アリス・ウィンクール監督)が4月16日(金)に公開されます。2010年にスペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗し、国際宇宙ステーション(ISS)でロボットアームを駆使した作業を行った、宇宙飛行士の山崎直子さんは「私が宇宙に行ったとき、長女がちょうどステラと同じ7歳でした」と振り返ります。同映画のスペシャルアンバサダーに就任した山崎さんにお話を伺いました。映画『約束の宇宙(そら)』メインビジュアル「周りにヘルプを出す」ことが評価される——まずは映画の感想をお聞かせください。山崎直子さん(以下、山崎):すごくリアリティがあって感情移入しながら見ていました。私が宇宙に行ったときも、長女がちょうどステラと同じ7歳でした。しかも、フランス人のサラさんが宇宙大国のロシアという、自国ではない場所で訓練をするのも一緒だったので、思わず当時のことをいろいろ思い出しました。——途中からミッションに参加することになったサラですが、同じクルーのマイクから冷たく当たられ、男性主導の世界であることが垣間見えます。山崎さんはご自身の経験を振り返られて、自分が女性であることで大変だった部分はありましたか?山崎:訓練そのものというよりも、子育てをしていない男性と比べてハンディがあると感じたことはあります。でも、宇宙では男女の違いを感じることはなかったです。訓練もやることも同じように割り当てられますし、宇宙船の中にいるときは体も浮くので体力的にも楽になります。女性だから不利ということはなかったです。映画の1シーン——山崎さんは宇宙飛行士の訓練中に妊娠と出産を経験されたと伺いましたが、どんなことが大変でしたか?山崎:子育て中の働く女性も同じだと思うのですが、やっぱり子供って自分ではコントロールできないんですよね。いきなり熱を出したり、ケガをしたり、気分のアップダウンがあったり、「今日は仕事に行かないで」と泣かれたり、寂しくなったり……。サラさんもそうでしたが仕事と子育ての板挟みで常に悩まないといけない。どちらかを取ればどちらかに後ろめたさを感じてしまう。その葛藤が大変でしたね。——山崎さんはその葛藤とどんなふうに向き合っていたのでしょうか?山崎:当時はがむしゃらだったのであまり覚えてないんです。でも極力、予測できるところは前もって準備していましたね。朝であれば30分早めに準備をして何か突発的なことがあっても対応できるくらいの余裕を持たせる。保育園からの呼び出しがあっても元夫と2人で連絡を取りながらなんとかやっていましたね。あとは、映画にも出ていたファミリーサポートの職員の方の協力も大きかったです。自分一人ではできないので、いろんな人に助けてもらいました。——いろんな人の手を借りながらやるのは大事ですよね。山崎:誰にこれをお願いしてというマネジメントの部分はやらなければいけないですが、極力アウトソーシングできるところは外部に頼っていました。——これは私の希望ですが、もっと気軽に助け合いができる世の中になればいいなあと思います。山崎:本当にそうですね。1人で抱え込もうとすると本当につぶれてしまうので、そこはお互いさまで助け合えればいいですよね。——周りを見ていてもなかなか助けを求められない人もいます。山崎:そうなんです。宇宙飛行士の訓練でもいくつか評価項目があるのですが、その一つに自己管理というのがあります。それは全部自分でやることではなくて、困ったときに助けを出せることを「自己管理」としています。そうしないと、あとで自分がつぶれてかえって周りに迷惑がかかってしまう。宇宙飛行士に限らず早めにヘルプを出すことが大切だと思います。大変なときこそ遠くを見る目を忘れない——日本では“リケジョ”と理系の女性をやたら特別視したり「女子は理系に向かない」という風潮があります。宇宙飛行士はもちろん、「将来はこんなことをしたい」と夢を持っている女の子たちに向けてメッセージをいただきたいです。山崎:理系の分野も男女関係なく楽しめる分野なので、興味があったら、まず扉を閉ざさないで挑戦してほしいと思います。訓練しているときに思ったのは、確かに大変なのですが、苦ではなかったということ。それは、宇宙飛行士という仕事が好きだと思えたから、自分でやりたいと思っていたからで……。自分が好きだなって思える心って、後々ものすごく大きなエネルギーになります。特に苦しいときとか壁にぶつかったときに、大きなエネルギーになってくる。だからどんな小さなことでも、自分の中で興味や関心があったら、たとえ周りが反対したり、快く思わない意見があったりしても自分の思いを大切にしてほしいなと思います。——最後に読者へのメッセージをお願いします。山崎:人生にはいろいろなフェーズがあると思います。近くを見ていると、波のアップダウンで酔ってしまうこともありますけど、ちょっと遠くといいますか、水平線だったり、遠くの星だったり、空だったりを見るような感覚で、長い目で見ることも大事かなと思います。大変なときもあるかもしれないけど、「いつかはそこに行けたらいいな」「こうなったらいいな」という遠くを見る目も忘れないで思い出してほしい。船でも水平線を見ていると酔わないのと一緒で、そんな感覚を時々思い出してほしいと思います。——最後と言いながらすみません、もう一つよろしいでしょうか?宇宙飛行士のお仕事であれば「人類初」のような初めてのことに挑戦することもあると思います。宇宙飛行士でなくても、人生には大人になっても初めてに挑戦することはあります。病気で初めての手術をするなど、時には「悪い初めて」もあります。山崎さんが初めてに挑戦するときはどんな気持ちで挑みますか?山崎:正直、私も初めてのことはやっぱり不安になります。でも、どうせだったらそこから何か学ぶというか、楽しむ気持ちで臨んでいます。「どんな雲にも光の筋がある」というアメリカのことわざがあるのですが、一見悪いことのように思えても、どこかに必ず何か光の筋はあるんですよね。『約束の宇宙(そら)』フランス人宇宙飛行士のサラ(エヴァ・グリーン)は、ドイツの欧州宇宙機関(ESA)で、長年の夢だった宇宙へ行くことを目指して、日々訓練に励んでいる。物理学者の夫トマス(ラース・アイディンガー)とは離婚し、7歳の幼い娘ステラ(ゼリー・ブーラン・レメル)と2人で暮らす彼女は、「プロキシマ」と名付けられたミッションのクルーに選ばれる。大喜びのサラだったが、このミッションに旅立てば、約1年もの間、娘と離れ離れになる。ステラを残し宇宙へ飛び立つまでに2カ月しかない。過酷な訓練の合間に、娘は母と「打ち上げ前に2人でロケットを見たい」と約束する。サラは約束を果たし、無事に宇宙へ飛び立てるのか……。■映画情報タイトル:『約束の宇宙(そら)』配給:ツイン公開表記;2021 年 4 月 16 日(金)、TOHO シネマズ シャンテほか全国ロードショー!コピーライト:(C)Carole BETHUEL CDHARAMSALA & DARIUS FILMS(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2021年04月15日CHEMISTRY、平井堅、JUJU、三代目J Soul Brothersと言った名だたるアーティストの楽曲を手がけてきた音楽プロデューサーの松尾潔(まつお・きよし)さん(53)による初の長編小説『永遠の仮眠』(新潮社)が2月に発売されました。テレビドラマの主題歌制作に苦心する、音楽プロデューサーの悟を主人公に音楽業界という巨大産業の内実を生々しく描いた作品で、悟が発掘したシンガー・義人との絆やドラマプロデューサー・多田羅との対立が生き生きとつづられています。これまで提供した楽曲の累計セールス枚数は3000万枚を超え、2008年には日本レコード大賞の大賞を受賞するなど、”超売れっ子”プロデューサーの松尾さんですが、30代の頃は「40歳で音楽をやめようと考えていた」と話します。松尾さんが音楽をやめなかった理由は?小説を書こうと思った経緯は?松尾さんに話を聞きました。音楽業界を舞台にした小説を執筆した理由——小説を執筆された経緯から教えてください。松尾潔さん(以下、松尾):子供のころから本が大好きで、中でも小説が大好きでした。それで漠然と文章を書くようなことを仕事にしたいと思っていました。ずっと文字というものに触れ合いながら、じゃれ合いながら毎日を過ごしたいなというくらい、活字が身近なものだったんです。それと並行して、音楽もずっと好きだった。音楽が好きなことと、物語が好きなことは、あるところまでは相互的な関係にあって。つまり、音楽を聴いていろんな感情を揺さぶられることは、小説を読んで感動したり、感激したり、知識を得たりすることとそれぞれ高め合ってくれていた。ただ、音楽のほうを仕事にしてしまったんですよね。だから、僕と“2人の恋人”という感じでずっと仲良く進んでいたのに、こっち(音楽)と結婚しちゃった、というような感覚があるんです。——音楽ライターをやられていたと伺いました。松尾:僕はプロのミュージシャンを目指したことはないんですよ。音楽ライターは、“2人の恋人”との距離の取り方として一番好ましいと思えました。音楽に触れる機会がすごく増える上、文章も書けて、読める。これって最高だな、と。だけど、周囲の人からは「その性格はプロデューサー向きだ」とか「その知識をプロデュースに使わない手はない」とも言われることがあって。何より、久保田利伸さんにお声をかけていただいたのが決定的でした。それで音楽の制作に軸足を移すようになり、結局プロデューサーの仕事に本腰を据えることになります。『永遠の仮眠』を書くきっかけは、僕が尊敬している作家の白石一文さんと初めてお食事したときに「小説なんて何歳でデビューしてもいいし、どんな仕事をしていた人でも書いていいんです」と言われたことです。「小説は大リーグだ」とも言われましたね。大リーグには、アメリカにかぎらず、日本や韓国、メキシコなど、いろんな国のリーグの選手が入ってくる。もちろん、最初から大リーグを狙う人もいるけれど、別の場所にいたから回り道をしたということでもない、その人の体験はそこでしかできないものだから、と。小説の執筆をすすめられて僕が「いやー、取材する時間がないです」とか言い訳を並べていたら、「松尾さんがいる音楽業界なんて、我々が取材したいくらいの場所ですよ。それを書けばいいじゃないですか」とアドバイスを受けました。それで音楽のことを書いたんです。2011年の記憶も新しい2013年のことでした。ちょうど音楽エッセイ集を書いていたので、それがひと段落した2015年頃から『永遠の仮眠』を書き始めました。——東日本大震災がターニングポイントとなって主人公・悟も変化します。震災で世界への向き合い方というか見方が変わるというのは松尾さん自身も体験されたことなのでしょうか?松尾:そうですね、やっぱりエンターテインメントの無力さを感じました。無力さを感じたし、その後に「でもそうか?無力なだけか?」とも思いましたね。テレビではACのCMばかり流れていた。普通に音楽とか流したほうがいいのでは?と思ったのですが、放送業界や音楽業界の知人からは「当分はバラード厳禁なので」とかいろいろと言われました。そのときに、音楽って辛い立場にあるなあと痛感したんです。当時は「不要不急」というキーワードはなかったし、「エッセンシャル」という言葉も使っていなかったけど、「ライフラインの充実を」とか言っていましたよね?それを聞いて「ライフラインじゃないんだ、音楽は」と思いましたね。音楽は、社会の大動脈にはなり得ないかもしれない。なり得るのは、やっぱり政治や経済なのかもしれないけど、ただそういったものが行き届かない、もしくは行こうとしない社会の隅々、末端……「一隅」という言葉がありますけど、そういうところに毛細血管のように入り込んで行けるのが音楽だと思うんです。特にポップミュージックは、音がそこで鳴っていなくても、頭の中で3分4分の曲を思い浮かべて口ずさむだけで元気が出るし、入り込める。そういう意味で音楽ってすごく浸透圧が高いカルチャーだと思います。自分が大衆音楽、商業音楽を作っていることにすごく誇りを持たないとな、と。そう考えたのが2011年、2012年頃のことです。当時、いろんな人から「『Ti Amo』を聞いて幸せになった」と言われたんです。——2008年のレコード大賞で大賞を受賞した曲ですね。40歳で辞めるつもりだった音楽松尾:ええ。でも40歳で音楽を辞めようと思っていた時期もあったんです。——そうなのですか?松尾:30代後半で、やたら疲れを感じるようになってきたんです。それこそずっと仮眠続きで慢性的に疲労していた。早くも老いがやってきたと感じました。老いは大げさにしても、「中年の危機」だったのは確かで、自分がやっている仕事って、どこまで意味があるのかな?もう少し、職業を吟味したほうがいいんじゃないかな?と考えるようになったんですね。それで、「40歳の年に仕事を辞める」と周囲に宣言しました。まだ楽しいと感じられるところで辞めようと思って。2008年の正月に40歳になり「これからの1年は音楽プロデューサーとしての終活にしよう」と。当時は年末年始をハワイで過ごすことが多かったのですが、2008年は少しセンチメンタルな気分で妻や両親と一緒に誕生日を祝いました。同じホテルに80歳目前、つまり僕の倍の年齢であるバート・バカラック(20世紀を代表する名作曲家)のファミリーが泊まっていて、毎朝ダイニングで一緒になるんですよ。御大がすごくお元気だったことを鮮明に記憶しています。で、僕は実際にその年は年間5曲しか作りませんでした。——それまではどのくらい作っていたのですか?松尾:それまでの数年間は、多いときで年間50~60曲は作っていたと思います。少なくとも30曲は作っていたはずですね。——それが5曲になってしまったんですね。松尾:極端に少ないですよね。それで、9月に「これで最後」というつもりで出した5曲目のEXILE『Ti Amo』が、日本レコード大賞をいただいて。その前年に出した『Lovers Again』が大きなヒットを記録したことを受けて、再び楽曲提供を依頼されて、「EXILEであれば」と引き受けたんです。EXILEサイドが「これで念願のレコード大賞を獲りたいんですよ」と言うから、「僕も気合い入れて作ります」と。受賞した瞬間は、「レコ大なんていただいちゃった。ここで辞めるって最高に格好いい終わり方かも……」なんて、ちょっとうっとりしましたけどね(笑)——引退後のことは考えていたのですか?松尾:当時は「人生80年」と思っていたので、ここからの40年は自分の好きなことだけではなく、何か社会にタッチしているようなことをやりたいなあと考えていました。音楽の仕事は「好き」を仕事にした結果なので、社会のために役立っているかどうか、実感が得られなかったんです。——誰もがすごいと思う結果を出してきた松尾さんでもそんなふうに思うのですね。松尾:はい。だからでしょう、レコ大授賞式後の打ち上げでHIROさんに「ありがとうございます。松尾さんのおかげです。また来年ここに立ちたいので、ひき続きよろしくお願いします」って言われると、「もちろん!」と調子よく応えてしまいました。その後も業界誌の取材を受けたりして「これからお仕事お幅を広げられるんじゃないですか?」って記者から問われたときは「いや、実は引退のつもりだったんです」なんて言えなかったです。むしろ「このあとの自分が楽しみですね」なんて答えちゃったりして(笑)。——そうなのですね(笑)。松尾:そんなことを繰り返しているうちに自分はやっぱり、人を喜ばせる仕事が好きだな、と気づきました。エンターテイナーのお手伝いをしているつもりだったけど、僕自身もそのイズムを持ってなきゃといけないな、とか、そういうことにだんだん気がついていったんです。ずいぶん遅い気づきですが。——それで辞めるのをやめたのですか?松尾:そうですね。もう1年、もう1年と伸ばしていたら2010年の暮れに、平井堅さんから「最初にヒット体験を共有した松尾さんと、久しぶりにドラマの主題歌を作りたい」と約10年ぶりのプロデュースを依頼されたんです。『永遠の仮眠』に出てくる話のようですけど、本当にそういうことがありました。ラブソングを書きながら学んだこと——まさに小説の内容とシンクロしますね。ということは、義人のモデルは平井さん?松尾:そう思っていただくのも自由ですよ、と言っておきましょうか。小説の内容と僕のウィキペディアを見比べれば、きっと「このドラマがモデルなのかな?」と大体の当たりはつくことでしょうし。でもフィクションだから、『永遠の仮眠』に書いた内容と同じことは起こっていないし、固有名詞も実在するものと僕がでっち上げたものが混在しています。——それも面白かったです。小説に出てくるレストランやブランド名をいちいちスマホで調べながら読みました。実在するものといくら調べても出てこないものがあって、「ああ、これは実在しないお店なんだな」とか。松尾:ありそうなもののほうが嘘ということもありますよ。一番分かりやすい例を挙げると、紀尾井町にテレビ局なんてありません。あってもおかしくなさそうなところで設定しています。虚実ない交ぜのところは意図的にそうしているので、その辺は楽しんでいただきたいですね。——それをあれこれ想像しながら読むのも楽しかったです。松尾:ファンタジーにひとつの事実を織り込むとリアリティが増すと思っているんです。それはラブソングを書きながら学んだことですね。例えば『Ti Amo』や『この夜を止めてよ』を聴いて「松尾さん、どんだけ修羅場くぐったんですか?」と言う人がいるんですけど、僕自身は静かな生活を好むタイプで、日常も穏やかそのものなんです(笑)。だからこそなのか、いろいろな人から話を聞いたり相談を受けたりして世の中のさまざまな事実を見てきてはいるんです。それを曲に織り込むことで、ラブソングがすごく立体的になったり、リアリティを帯びたりするのをたくさん見てきました。それは小説も一緒だと思います。——最後に読者にメッセージをお願いします。松尾:一見、きらびやかに見える世界を描いた小説ですが、「音楽を止めちゃいけない」「考えることをやめてはいけない」というシンプルなメッセージを込めた物語でもあります。大切なことは小さな声で言う、とか、難解なことこそやさしいメロディーに乗せて歌う、とか。真面目なことを伝えるためにチャラいこともたくさん入れている。音楽が好きな人はもちろん、世代や自分が置かれた立場によってもいろいろな読み方ができると思うので、じっくりと楽しんでいただきたいです。(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2021年04月10日4月9日に公開される映画『砕け散るところを見せてあげる』(SABU監督)で中川大志さん演じる主人公の母を演じた女優の矢田亜希子さん(42)。1995年に『愛していると言ってくれ』で主人公の妹・栞役で女優デビューして以来、ドラマを中心に活躍。最近はバラエティー番組にも出演するなど活動の幅を広げ、今春からスタートした朝のバラエティー帯番組「ラヴィット!」(TBS系、月~金曜、午前8時)では水曜レギュラーを務めています。「(デビュー当時は)自分が42歳までこの仕事をするとは思っていなかった」と話す矢田さんにお話を伺いました。撮影中は息子役・中川大志を観察映画は俳優の中川大志さんと石井杏奈さんがダブル主演。アニメ化もされた「とらドラ!」「ゴールデンタイム」の竹宮ゆゆこさんの同名小説が原作で、平凡な日々を送っていた正義感の強い男子高校生・清澄(中川さん)が学年一の嫌われ者と呼ばれる孤独な少女・玻璃(石井さん)と出会ったことから始まります。——矢田さんが演じた清澄の母は女手一つで息子を育てる明るい女性です。オファーを受けたときの感想を教えてください。矢田亜希子(以下、矢田):まず、SABU監督の作品と伺っただけで「絶対やりたい!」と思いました。改めて台本を読んでみると、「高校3年生の主人公のお母さん」とあって「え?私?」と驚きました。撮影は3年前の2018年だったので、こんなに大きな息子のお母さん役がなかなか想像できませんでした。清澄の母は市内の病院で働く看護師。明るくてチャキチャキしたお母さん像だと思ったので、それをどうやったら表現できるかな?という部分に心を砕きましたし、すごくプレッシャーを感じました。——実際に演じてみていかがでしたか?矢田:撮影の前に中川さんと軽く読み合わせをしたんです。中川さんのセリフや親子の何気ないシーンが本当に自然すぎて「ああ、こんな感じの子を育てているんだなあ」とたくさんのヒントをいただけました。清澄は真っすぐで正義感が強くて本当に愛情いっぱいに育てられたんだなあと思い、とにかく中川さん演じる清澄を常に観察して愛情を込めてお芝居をしました。デビュー作『愛していると言ってくれ』を見直して思ったこと——去年の自粛期間中に『愛していると言ってくれ』が再放送されて話題になりました。私もドラマを25年ぶりに拝見して矢田さんが「新人」としてクレジットされていたことに驚くのと同時に、矢田さんの演技にくぎ付けになりました。矢田:見てくださってありがとうございます!私も気づけば40代であっという間と言えばあっという間ですし、同時に「こんなに長い間、やっているんだ」という気持ちにもなるんです。『愛していると言ってくれ』のときは16歳だったのですが、「私、よくやっていたな。すごくない?」って(笑)。16歳なんてまだまだ学校に行って勉強する時期なのに無我夢中で自分がやっていたことに恐ろしくなっちゃって。当時は右も左も分からない状態で目の前にあることで精一杯。仕事とは思っていなくて、ただただがむしゃらでしたね。私も再放送を見たのですが、本当にいろんなことがありましたし、やっぱり自分はこの仕事が好きでやれてたんだなとを実感できたというか……。あの時はまさか、自分が42歳までこの仕事をしているって思ってなかったし、あのドラマの先、次すら見えてなかった。自分がまさか芸能人になるなんて思ってなかったけれど、いろんな人と出会って今この仕事ができているのは本当にありがたい気持ちになりましたね。——一概に言うのは難しいと思うのですが、10代、20代、30代と仕事に対する向き合い方も変わってきたのでしょうか?矢田:そうですね、20代の頃は「こういう役はやりたくない」「こういういのは抵抗があるな」と思っていた時期もあったのですが、30代になってからはいろんな役に挑戦するのもいいなと思い始めました。40代に入ってからはとにかくどんな役でも、なんでもやってみようと思うようになりました。私に声をかけていただいたのであれば、自分では想像できないけれど、できるかなと。——矢田さんのインスタを拝見してもいつも楽しそうで元気をもらえます。40代に入っていろいろ楽しくなったというのは何かきっかけがあったのですか?矢田:きっかけというか、自分のスタンスとして常に楽しんでいたいなとは思っています。基本的には楽しいと思わないことはやりたくないし、たとえそうではないことがあったとしても楽しめるように工夫するというか、どんな状況においても楽しむことを意識しています。「年を重ねるってそれだけで楽しい」——ウートピの読者には矢田さんより下の世代、30代の女性が多いのですが「楽しく年を重ねるコツ」を教えてください。矢田:年を重ねるってそれだけで貴重ですし、楽しいじゃないですか。だって、いろいろな経験もできるし年を重ねただけ余裕も出てくる。最近本当に年齢って関係ないなとつくづく思うんですよ。前は大人になってから友達をつくるのは難しいと思っていたのですが、今でもずっと親しくしているママ友だったり、下の世代の人とすごく親しくなれたり、逆に一回り上の友達ができたり、いろんな世代の友達ができたんです。だから年齢って関係ないと思うし、いろんな経験をしたからこそ感じることがある。年を重ねることで楽しみがいっぱい増えていくんだと思います。——確かに中には大変なこともあるけれど、経験が増えていくのは楽しいですね。矢田:役を演じていてもそうで、若い頃は「え? ここで怒るの? 泣くの?」と自分で演じる役に疑問を持ったり、「いや、ここはこうならないよね」と勝手に決めつけてたりした部分もあったのですが、30代に入ったくらいから「確かにこういうときもあるよね」「こういう人もいるよね」と思えるようになりました。例えば「子供の歌声を聞いて涙する」とかも、昔は「なんで泣くの?」と思っていたけれど、実際の我が子がってなると歌ったりランドセルを背負った姿を見ただけでうわーっと泣けてくる。いろんな感情がどんどんプラスされてくる。これはほんの一例ですが、いろんな経験をすることで役にも幅が広がってくるのかなと思います。私もだまだまだ42歳で、未知の世界やまだ経験してないこともたくさんありますが、これからが楽しみだし、やっぱり年を重ねるのってそれだけで楽しいと思います。■映画情報タイトル:『砕け散るところを見せてあげる』配給:イオンエンターテイメント公開表記;2021年4月9日(金)新宿ピカデリー、イオンシネマ他にて全国公開コピーライト:(C)2020 映画「砕け散るところを見せてあげる」製作委員会(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2021年04月09日ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル・ギター尾崎世界観さんの小説『母影(おもかげ)』(新潮社)が1月に発売されました。マッサージ店で働く母の姿をカーテン越しに見つめる少女の視点からつづられた物語で「第164回芥川賞」の候補作品にも選ばれました。尾崎さんにお話を伺いました。前後編。いつの間にか「選ばれる立場」になった——前回のお話を伺っても、尾崎さんは言葉に対してすごくこだわりや思い入れがあるのかなと感じました。尾崎世界観さん(以下、尾崎):そうですね。言葉を介さないと、コミュニケーションは成立しないので。でも、言葉に対しては「これでいいのかな?」と疑ってもいるんです。言葉に、すごく執着してしまうし、感情も左右されるけれど、それは文字や文章だけでなく、声も加わってのことなんですよね。だから、最近は何でも書き起こされてニュースになるけれど、いろいろ考えてしまいます。実際には声と間を使って表現していることもあるし、あえてしゃべらないもので伝えていることもあるけれど、それもカットされて手軽に短時間で読めるような記事になってしまうのは怖いですね。このインタビューも、きっと何かしらのキャッチがつくと思うんですけど、そこで興味を持たれるかどうかは分からない。本のインタビューって、ストレートに出してもなかなか読んでもらえないみたいですね。——少しでも読んでもらうためにほかのキャッチーな要素を絡ませるとか……。尾崎:そうですよね。それはすごく分かります。音楽もそうで、「今回はこういう作品で……」とインタビューに答えても、あまり広がらない。それよりも、誰かが勧めたりするほうが大きい。自分で宣伝するより、誰かの評価、口コミのほうが大事になってきていると思います。「広めたい」という気持ちで本人がしゃべる言葉より、そこに何の損得もない人がストレートに褒めているものをみんな当てにしているんだと感じます。——ウートピも通勤電車で読んでもらうことを想定して朝や夕方に記事を掲載することが多いのですが、いかに通勤電車に乗っているときや日常の中で読んでもらえるようにするか、は意識しますね。尾崎:自分自身も無意識に記事を精査しているんですよね。他の人が読み飛ばしているような記事の中に、確実に自分の記事もある。飛ばされてしまって残念だと思うけれど、自分だってそんなふうに「これはいいや」とスクロールして記事を飛ばしているから、一概に文句は言えないんです。今は選択することがすごく多くて、何かにつけて選ぶ機会が増えました。だから、切り捨てることに慣れている感じがします……今しゃべっていることも、どうにかして今っぽい話題にしようと思って話しているんですけど(笑)。——お気遣い、ありがとうございます。尾崎:でも、そんなふうに悪気もなく「選ぶ」ということは、それ以外を「はじく」ことでもあるんですよね。自分の子供の頃はもっと選択肢が狭かったから、今ほどじゃなかったのかもしれません。メジャーデビューをして何年かたったころから、いつの間にか選ばれる立場になった。基本的に誰かに選ばれる立場だから、無意識に何かを捨てたり拾ったりする時代の中で、これからどう闘っていくのかをすごく意識しています。芥川賞ノミネートに救われた——「キャッチーな話題」と言えば、『母影』が芥川賞にノミネートされたことでご自身に変化はありましたか?尾崎:単純に、すごくうれしかったです。自分で自分を許せるというか、本当に救いになりました。文芸の外の世界から来たという自覚があるので、書くことに対して常に何か後ろめたい気持ちがあったんです。——それは、ミュージシャンが小説を書くことに対して後ろめたさを感じている、ということですか?尾崎:そうですね。だからノミネートは“お守り”のような感覚があります。これがあるから、また次もやらせてもらえると思える。——「次はこういう作品が書きたい」という構想はありますか?尾崎:メモはしています。でも、まだ具体的にはないですね。次は、時間を空けずに書きたいです。——「救い」というのは何か救いになるようなものを求めている?尾崎:救いというか、安心というか……。ただ、本当に落ち着けばいいかというと、必ずしもそうではなくて、逆に悩み事があることによって安心したりもするんです。たまに、何にも悩みがないな、すごくフラットな状態だな、満たされているな、という日があるんですけど、そういうときのほうが逆に不安になるんです。常に何らかの悩みがあるほうが、自分としては正常ですね。——「後ろめたさがあった」ともおっしゃっていましたが、ミュージシャンが小説を書いたということ以外でも何か後ろめたさがあるのでしょうか?尾崎:やっぱり、新人賞を獲ってデビューしたわけではないし、バンドのボーカルだからということで買ってくれる人もいっぱいいると思うので。うらやましいと思う人はいっぱいいるし、この人みたいになりたいと思う人もいるけれど、その人はその人で、高いレベルで同じくらい悔しい思いをしているだろうし、そう思うとキリがないですね。バイトしながら音楽をやっていた頃と今を比べて、悔しさが減っているわけではないから。その場所なりの悔しさ、情けなさは毎回ちゃんとあります。——その頃になりたかった自分にはなれていますか?尾崎:確実になっていると思うんですけど……それでもやっぱり悔しいです。でも理想が上がって、ステージがどんどん変わっていくので、それは健全だと思います。まったく志が変わらなければ満足できると思うけれど、昔から悪いところ、足りないところを見てしまうクセがあるので。昔に比べたらできていても、「ここはできていない」と、また新たな課題が見つかるんです。囚われることもあるけれど、取り外す力もある「言葉」——この記事を読む人や『母影』を読んだ、そしてこれから手に取るであろう人たちにメッセージをお願いします。尾崎:言葉に対して、接する角度を変えてみたら面白くなるのではということを伝えたいです。言葉に囚(とら)われてしまう瞬間もあるけれど、それを取り外す力だってあると思うので。——言葉に囚われる瞬間?尾崎:人に言われた言葉が気になるじゃないですか。っても、ちゃんと言葉を疑っていれば、絡(から)めとられてもまた外せる。そういう能力を身に付けていくことも大事なのかなと思います。——「ウートピ」は、実は「呪いを解く」というのが裏テーマにあるんです。特に女性は世間や周りからの言葉が呪いになって「こうしなきゃいけない」とか「こうすべき」と思い込んでしまっている人が多いと思います。そんな人たちが少しでも楽に、自由になれる言葉や情報を発信していきたいという思いがあるので、尾崎さんがおっしゃったことに通じると思いました。尾崎:「言ったらいけない、言われたらいけないこと」というのはあるけれど、何かの拍子にそんな言葉を受け取ってしまったら、言われたほうがそういう言葉をしっかりかみ砕いて取り外す力が、「疑い」なんだと思います。(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2021年03月30日ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル・ギター尾崎世界観さんの小説『母影(おもかげ)』(新潮社)が1月に発売されました。マッサージ店で働く母の姿をカーテン越しに見つめる少女の視点からつづられた物語で「第164回芥川賞」の候補作品にも選ばれました。「今が一番幸せ」と話す尾崎さんにお話を伺いました。前後編。「少女」を主人公にした理由——『母影』を読んで何とも言えない嫌な気持ちにもなったんですが、それが逆に心地よかったです。子供の頃にうっすらと感じていたことやなかなか言葉にできなかった何かを思い出しました。読者からの反響はいかがでしたか?尾崎世界観さん(以下、尾崎):今おっしゃったように自分の話として作品に入り込んで疑似体験するような読み方と、「自分には関係ない」と切り離す読み方の半々という印象ですね。いい悪いではなく、「自分がいるところから降りてきて作品に入り込む人なんだ」とか「この人は自分がいるところから動かずに作品に向かう人なんだ」と、その人の感覚が分かるのが面白いです。(物語に登場するのは)決して裕福で幸せそうな人たちではないのですが、だからと言って“不幸な人たち”を書きたかったわけではないんです。ただそこに暮らす人たちがいて、その生活を淡々と描きたかった。——「少女」を主人公にしたのは?尾崎:前作(『祐介』)が自分自身のことを書いた作品だったので、今回は違う題材で書きたかったんです。それに「ミュージシャンが小説を書いた」と先入観を持たれることも分かっていたので、自分とは違う存在を書こうと思いました。でも、小説にはどう頑張っても自分が出るので、どうせなら自分から極力遠いところにボールを投げて、止まったところ―今回でいえば小学校低学年の女の子―と思い、そこから始めました。でも結局、自分から離れれば離れるほど、自分が出てしまう。それは不思議な経験でした。僕の場合、特に子供の頃の記憶が強く残っているほうだと思うので、それを思い出しながら書いていきました。子供の頃は自分の気持ちを言葉にして話す機会が少なかったので、冷凍保存されているみたいにしっかり記憶が残っているんです。人と話して言葉にするとだんだん気持ちがそがれていって、記憶も良い意味で壊れていくと思うんですけれど、子供の頃はそういうことがなかったので、しっかりと原形のまま残っている。そういう記憶を小説に書くことで、自分の中で昇華するような感覚がありました。——「まだ言葉になる前の段階で保存されている」というのは分かる気がします。尾崎:人は、言語化することである程度「これは何か」ということに対して折り合いをつけている。大人には責任があるじゃないですか。だから、日常生活を送る上で、仕事としての会話と、仕事を終えて家に帰ったときや何かほかのことをしているときの言語が違う。特に仕事中は、みんなで同じ目標に向かっていかないといけないことも多いから、そのための言語になっていきますよね。だから、強引に言葉に気持ちを当てはめている部分があると思います。自分の場合は、こうして話す機会があるので恵まれていると思うんですけれど、機会が与えられているからこそ「しっかりしゃべらなきゃいけない」というプレッシャーもあります。でもある程度「仕事のためにこの言葉を使う」という部分もあって。そこに気持ちを当てはめていくのも、大変だと思う。だからこそ、そういうことから離れるのも一つの目標でしたね。みんなが言葉で表現している気持ちを、もう一回、もっと厳密にその言葉以外の言葉で表してみたい。それはまだ言葉自体を知らない子供だからこそできるのではと思いました。今回、物語はもちろん、細かい不思議な感性や、「まだ誰も表現したことがない」と思えるものを書きたかったんです。——仕事のコミュニケーションでは情報伝達が優先ですもんね。尾崎:ノイズを極力排除してきれいな言葉でコミュニケーションをするのが仕事だと思うので。だけれど、たまに仕事で「そうじゃないその人の一面」が出てしまうと怖いですね。この間も、間違えてマネージャーにプライベートなラインを送ってしまって……。仕事の人間関係と、そうでない部分をしっかり分けるのが社会人だと思うので。だけれど、そこをもうちょっとわがままにやってみようと思ったのが今回の作品でした。大人になった今が一番幸せ——別のインタビューで「子供は受け身なことが多いから、そういうことを書きたかった」とおっしゃっていたのが印象的でした。尾崎:子供はほとんどの時間、大人からの力を受けて生活していく。それを楽だと思うか、不自由だと思うかはその人次第です。たとえば何も気にせず好きに遊んで、ただ純粋に小学生をやっている人もいると思うけれど、自分はそうではなかったんです。「なんかこれはつまらない」とか「なんでこのタイミングで走らなきゃいけないんだ」と思うこともあって。「一緒に遊んでおいで」って言われても、よく「なんでこの子と一緒にいなきゃいけないんだよ」と思っていた。子供に対する大人の感覚が1と5と10しかないのに、自分は2.7とか6.8という感覚があるから、「6.8なのに1の人と会わないといけない」と気が重くて。そういう目盛りが少ない感じが、ずっと違和感としてあったんです。——ちょっと分かります。「みんな仲良くしましょう」と言われるのが子供で、大人になった今はそんなこと言われないのですごく楽です。子供の頃の自分は無理していたんだなと大人になって気づきました。尾崎:大人になるにつれて、やらなくてもいいことが分かってくる。子供はそんなふうに自分から何かを潰(つぶ)していくことはできないので、そういう気持ち悪さがずっとありました。——そう考えると、やっぱり大人になった今のほうがいいですか?尾崎:「今が一番楽しい」とずっと思っています。でも、10代後半から20代前半は、生活のためにバイトばかりしていてきつかったですね。本当にバイトが嫌いだったので、いまだに起きたときに「あぁ、バイトに行かなくていいんだな」と思います。当時はどうしてもバイトに行きたくなかったから、シフトも最低限しか入れていなかったんです。一人暮らしだから最低限12万円ぐらいあれば生活できる。みんな「これが欲しいからバイト増やす」と言うけれど、自分にはそれがなかった。最低限生活ができる分 だけ稼いで、贅沢はしないようにしていました。バイト中、とにかく仕事ができなくて。今はできることを仕事にしているので、本当に幸せなんです。——特に今の30代半ばの世代は「できないことをできるようになりましょう」と言われて育った世代だと思います。「できない自分」に対してはどんなふうに思っているのでしょうか。尾崎:できなくて悔しいと思うことは、時間をかけてでもできるようにします。自分の場合は一回でできることがまずないので、何回かぶつかって、ちょっとずつ壊して何回目かでやっとできるというパターンが多いですね。音楽は「まだ続けていたんですか?」と言われることもあったけれど、できなくて悔しかったことは音楽が初めてだったんです。でも年をとると、できなくて悔しくなることとそうでもないことがすごく明確になりますね。音楽活動と並行して小説を書いているのは、やっぱりできなくて悔しかったからなんです。さっきも言ったように、どうでもよくてできないことはやらなくていいと思っているんです。段階で言うと「できないからやめちゃう」が一番下で、真ん中が「もとからできること」。最上級が「できなかったときに悔しいこと」ですね。音楽と小説を書くことは、両方とも「できなかったときに悔しいこと」だったんです。(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2021年03月27日NHKの人気料理番組『平野レミの早わざレシピ』など、テレビや雑誌を通じて数々のアイデア料理を発信している料理愛好家の平野レミさんによるエッセイ集『家族の味』(ポプラ社)が3月9日に発売されました。同書は2007年に筑摩書房から刊行された新書『笑ってお料理』に加筆・修正して単行本化。レミさんが初めて料理を作った思い出から、和田誠さんとのなれそめや子育て方針まで家族と料理についてつづっているほか、29品のオリジナルレシピに加え、亡き夫・和田誠さんとの対談、阿川佐和子さん、清水ミチコさんとの鼎談(ていだん)も収録しています。レミさんに夫・和田さんとの結婚生活で大事にしていたことや「自分らしさ」を貫くことについてお話を伺いました。前後編。【前編】夫を亡くした平野レミが上野樹里から言われたこと「こうしなきゃダメ」はさっさと取っ払おう——レミさんをテレビでお見かけするたびにいつも楽しそうにお料理をしてらっしゃって「もっと自由に楽しんでいいんだ」と思うんです。料理だけじゃなくて生き方も教えてもらっている気がします。平野レミさん(以下、平野):「こうしなきゃダメ」を取っ払っちゃうのよ。人に迷惑をかけたり、悲しませたりしなければ、何をやってもいいの。そのくらい大きな気持ちで人生を楽しめばいいじゃん。——子供のころからそんなふうに自由だったんですか?平野:そうね。うちの両親がすごい自由人だったの。「~しちゃいけない」とか何も言われないまま、大きくなっちゃったのよね。「泥棒して見つかったら、泥棒になっちゃうんだよ」みたいな(笑)。そういう育てられ方だったから、本当に自由にやらせてくれて。小さいときからずっとこのままで来ちゃったけど、生活してて何も不便を感じないしね。それに、私みたいなものを、和田さんが良しとしてくれて、結婚してくれたんだからさ。きっと、間違ってなかったんでしょう。“平野レミらしさ”を発揮できるのは和田さんがいたから——レミさんはいつも、“平野レミらしさ”を存分に発揮してらっしゃいますよね。平野:NHKの『きょうの料理』に初めて出演したときは、「牛トマ」を作ったんだけどトマトをぐしゃっと手でつぶしちゃったの。そうしたら、賛否両論のハガキがたくさん届いて、大変だったんだって。プロデューサーから、「視聴者から抗議が来たので、今度から注意してください」って注意されたときに、「はい」って返事をせずに、「私は私のやり方しかできません」って言ったの。——私だったら「分かりました!次から気をつけます」って言っちゃいそう……。平野:それは、私には和田さんがいたから。和田さんが後ろ盾になってくれていたから、失敗したっていいし、何をやってもOKだったの。和田さんが私を大きく包んでくれていたから、自由にできたんだと思うのよね。もし、和田さんがいなくて、両親もいなくて、たった一人だったら、「はい、分かりました。もうそんなことはしません」って言っちゃったかもしれない。——自分を貫くことは、すごく難しいことですよね。平野:そうそう。私はいつも、自分の気持ちに正直にやってるの。学校も辞めたくなったら辞めちゃうし、子供のころからずっと自分に逆らわないで、自分の思うままに生きてきたのね。それは、両親や和田さんもいたから、安心してたのかもしれないし。でも今は、両親も和田さんもいなくなっちゃって、気が付いたら私一人ぼっちなのよね。——さきほど(前回の記事「つかめる思い出があったんだ」夫を亡くした平野レミが上野樹里から言われたこと)、息子さんとの良いお話をお聞きしましたが……。平野:あ、そうそう。息子がいるのよね(笑)。でも、息子は息子よ。彼らは彼らの世界を持っているし。楽しくやっててもらえば言うことな~し。そうでしょう?手抜き料理、上等!——「お料理を楽しむために手抜きをする」という考えがとてもいいなあと思いました。というのは、“母親”や“妻”が手抜き料理をすることに対して世間の風当たりが強い気がしていて……。平野:コロッケを作るのだって、面倒くさいでしょう?“ごっくんコロッケ”だって、ごっくんしてコロッケになればそれでいいと思って作ったの。幼稚園から帰ってきた息子に、「お母さん、今日はコロッケが食べたい」って言われて考えたレシピなのよ。パン粉も面倒くさいから、コーンフレークを上からパラパラ振りかけて、食感をプラスして。このレシピも、40年前になるのよね。食べればシリーズの第一号ね。だから、それでいいのよ。何だっていいのよ。料理には、「こうしなきゃいけない」っていう決まり事は何もない。食べておいしければ、手抜きだって、何だって構わないと思うの。ごっくんして、「幸せだな」「おいしいな」って思えれば、プロセスなんてどうだっていいと思うね。人に迷惑をかけなくて、自由に自分が楽しくやってれば、それでいいのよ。——「こうしなきゃいけない」と思っている人は、料理愛好家であるレミさんの言葉を聞くことで気が楽になると思います。平野:何で真面目に、「こうしなきゃいけない」って思っちゃうんだろう?誰がそういうふうに教えたのかしら?だいたいね、世間の目なんて気にしなくていいのよ。世間が100万円くれたり、1億円くれるならそうしてあげてもいいけどね(笑)。何もしてくれないのに、世間の言うことなんかなんにも聞くことないじゃない。そうでしょう?思う存分楽しく自由に生きましょうね。(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2021年03月11日NHKの人気料理番組『平野レミの早わざレシピ』など、テレビや雑誌を通じて数々のアイデア料理を発信している料理愛好家の平野レミさんによるエッセイ集『家族の味』(ポプラ社)が3月9日に発売されました。同書は2007年に筑摩書房から刊行された新書『笑ってお料理』に加筆・修正して単行本化。レミさんが初めて料理を作った思い出から、和田誠さんとのなれそめや子育て方針まで家族と料理についてつづっているほか、29品のオリジナルレシピに加え、亡き夫・和田誠さんとの対談、阿川佐和子さん、清水ミチコさんとの鼎談(ていだん)も収録しています。レミさんに夫・和田さんとの結婚生活で大事にしていたことや「自分らしさ」を貫くことについてお話を伺いました。前後編。和田誠さんとの結婚生活で大事にしていたこと——本では2019年10月に亡くなった夫の和田誠さんとの思い出もたっぷりつづられています。レミさんが、和田さんとの結婚生活で大事にしていたことはどんなことですか?平野レミさん(以下、平野):和田さんのことを、とっても尊敬してたのよね。新婚のころ、一緒に朝ご飯を食べるじゃない?それで、靴を履いて玄関を出て行くときに、もう仕事の顔になっちゃってるのよ。「ああ、私の和田さんじゃなくなっちゃった」って思うんだけど、それが嫌じゃない。家庭とは違うキリッとした和田さんがいて、それも格好いいなって。和田さんにはいろいろな面があって、その全部を尊敬できたの。——お互いの世界観を大事にしていたんですね。平野:でも、そうやって尊敬できたのは、私に対しての和田さんの優しさがあったから。みんなにとっても優しい人だったし、大きな気持ちを持っている人だったのね。私はもともと自由に育ったけど、結婚しても、和田さんの手の平の上で自由にやっていて。両親のところから和田さんのところへそのままスーッと行けたのが、とっても良かったんだと思う。「ちゃんとつかめる思い出があったんだ」上野樹里から言われたこと——今のレミさんは、和田さんの影響を受けている部分もあるんですね。平野:私は和田さんよ。和田さんに育てられたの。だから、今は大変よ。和田さんがいなくなっちゃったんだから!人生の中で、初めての大事件よ!こんなに思いがけないことがあったんだなって。和田さんが死んじゃって、心の支えがなくなっちゃって……。和田さんとすごい仲良しだった黒柳徹子さんに、「私はどうしたらいいんでしょう?」って相談したら、「和田さんに愛されたこと、レミちゃんが和田さんを愛したことをずっと思ってればいいじゃないの」って言ってくれたの。でもやっぱり私、思い出がつかめなくて……。「何もつかむものがなくて嫌だ」って言ってたら、知り合いの人が「2人の息子がいるでしょう」って。そのあと、息子(「TRICERATOPS」の和田唱さん)と(上野)樹里ちゃんと一緒にご飯を食べに行ったの。「思い出を大事にしろって言ったって、つかむものがなくて悲しいし、本当に心の支えがない」ってつぶやいたら、樹里ちゃんが、「唱さん、手を出して。ほら、レミさんとしっかり握って」って。それで、息子と手を握らされちゃったの。息子となんて、何十年もこれから先も手を握ることなんてないと思っていたのに息子が私の手をグッと握ってくれたのよ。あの紅葉みたいな小さくやわらい手だった息子が今はギターを弾いてるガッチリした手になってて……。そのときに、ちゃんとつかめる思い出があったんだと思ってうれしくなっちゃって。とっても自信が出てきて、明るい気持ちになれたの。和田さんはいなくなっちゃったけど、息子の半分は夫だし、その手が私の手をグッと握ってくれたときに、今まで落ち着かない気持ちだったのが、スッと取れちゃったの、心のつかえがストンと取れた感じかな~樹里ちゃん、良いこと言ってくれたな~と思って。——なんだかドラマのシーンみたいですね……。平野:でもね、とっても好きな人と結婚しないほうがいいわよ。だって、悲しくて寂しくて、会いたくて会いたくて、ますます好きになっちゃって……。だから、あんまり好きな人とは絶対に結婚しちゃダメだって、本当に思ったのね。あとがつらいから。もし、嫌なジジイだったら、「あの野郎!あんなこともあったな。こんなこともあったな」って思って、諦めが早いけどさ(笑)。——本当に愛してらっしゃったんですね。結婚したときは、「この人だ!」と思ったんですか?平野:思っちゃったわよ。私だって、モテないわけじゃなかったけど、どの男性もみんな違うから、「私は一生結婚できないのかな……」って思ってたの。そうしたら、和田さんが、私のことを見つけてくれて。和田さんと会って、一緒にご飯を食べることになったのよ。でも、久米宏さんに、「和田さんから『僕んち来ない?』って言われても、絶対行っちゃダメだよ」ってクギを刺されてて。当時は、久米さんの言うことを無視してやろうと思ってたから、和田さんが「僕んち来ない?」って言った途端に、「行きます!行きます!」って二つ返事で行っちゃったわよ(笑)。それで、会って10日後に、「結婚しよう」って言うから、「しましょう!しましょう!」って。そしたら、次の会話から、「レミちゃん」じゃなくて、「レミ」になっちゃってさ。「ずいぶん現金な人だな」って思ったけどね(笑)。(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2021年03月09日25年前に放送されたドラマ『白線流し』(1996年)でその名を広め、その後人気絶頂期を迎えた酒井美紀さん(43)は、ほとんど休みなく働いていました。当時、20歳。その隣にいたのが、若きマネージャーの田島未来さん(42)でした。「いつかまた、一緒に仕事ができたらいいね」田島さんが別の事務所に転職したため一度は離ればなれになったものの、折に触れ連絡を取り合う関係は続き、同い歳となる第一子を出産するなど、縁を繋いできた2人でした。そして2年前、酒井さんと田島さんは湘南で「muaプロダクション」を設立。20年前の約束を果たして、再び2人はタッグを組んだのです。酒井さんにこれまでのキャリアや仕事にかける思い、今情熱を傾けていることなど話を聞きました。マネージャーの田島さんと話す酒井美紀さん(右)女優として順風満帆も…アメリカ留学を決意した理由——20代の初めの頃は、一年のほとんどを田島さんと過ごしていたとか。若かりし頃の田島さんは、どんな人だったのでしょうか。酒井美紀さん(以下、酒井):田島さんの最初の印象は、ギャルでした(笑)。ギャルがマネージャーやるんだって驚きましたね。でも見た目と違ってとっても真面目で、仕事に対して情熱的。芯の部分は、今と変わっていないんですよ。私たちは2人ともやりたいことが早い段階で明確でした。そこが共通点でしたから、お互いに前を向いて突き進んだ、全力疾走の20代という感じでしたね。一緒に仕事に行って、ちょっとした隙間時間にショッピングしたり、息抜きしたり。1年のうちほとんどを一緒に過ごしていたんですが、たまの休日に渋谷に行ったら、スクランブル交差点でバッタリ会ったことがあるんですよ。大爆笑してすれ違ったあの時のことは、忘れられないですね。——田島さんが酒井さんの所属事務所(オフィスジュニア)を辞めるとき、ちょうど酒井さんもキャリアシフトを考えているタイミングだったそうですね。酒井:長く一緒にやってきた田島さんがやめてしまうことは、やっぱり寂しさもありました。でも、彼女には彼女の人生があります。転職をするのは、相当悩んだでしょうね。頑張ってほしいな、と素直に思いました。私も20代の半ばに差し掛かかり、ずっと自分の意見を主張できないまま仕事を続けることに不安を感じていました。何か一度ガラッと環境を変えないと、私自身、変わることができないと考えて、アメリカ留学を決意しました。——順調だった俳優業を休止して留学をすることに、周囲の反対はなかったのでしょうか。酒井:ありましたね。「え、このタイミングで行くの?」と。それでも気持ちはゆるぎませんでした。やるからにはきちんとこなそうと考えて、留学先からアパートの手配まで、業者に頼むことなく、すべて自分自身でやりました。留学先でも、いろいろ苦労しました。日本では世に名前が出るお仕事をしていても、アメリカではまったくステイタスがありません。銀行口座を開設するのにも一苦労。でもその思い出は、すべていい経験。私の財産だと思っています。——留学経験は酒井さんにとって、どんな影響がありましたか?酒井:仕事への取り組み方が、がらりと変わりました。それまでは、すべて事務所が仕事を決めてくれて、それにしたがってこなすというパターンでしたが、帰国後は仕事内容に関して、きちんと私自身もしっかり考えてから進める形になりました。留学先のアメリカでは何をやるにも自己判断が求められたんです。「自分で決める」って、責任も伴いますが、その自信が勇気になって、先々の自分を支えてくれます。どんな結果になろうとも、決断したのは自分。折れそうになったら、途中でやめてしまうのもいい。それを決めるのも自分。自分で決めて、自分が進む。それでいいんだ、と思えるようになったことは、私にとって、大きな意識改革でした。「こうあるべき」にとらわれていた——俳優として活躍しながら、大学にも通った酒井さんは、若い頃からなんでも器用にこなせる人というイメージがあります。酒井さんにもコンプレックスはあるのでしょうか?酒井:ええっ、私はいわば、コンプレックスの塊ですよ(笑)。こういう仕事をしていて言うのもアレですが、「私を見て!」とは、なれないタイプ。今でもそうです。でも若い頃は、もっとその思いは強かったですね。酒井美紀という俳優には、ドラマの役柄から清純派で真面目という“パブリックイメージ”が強かったので、そこから外れてはならない、こうであるべき、という呪縛にとらわれていました。——その「こうであるべき」という呪縛は、どのようにして解いていったのでしょうか。酒井:年齢を重ね、経験を積むことで、心が強くなっていったと思います。自分で決めて達成する、それを繰り返すことで、自信がなかった自分が、少しずつ変わっていきました。そして振り返ってみたら、「ああ、以前は“べき”にはまっていたな、思い込みで自分自身の首を絞めていたんだな」と気づくことができたんです。——決断と達成と言うと大きなことをイメージしてしまいますが……。酒井:本当に、どんな些細なことでもいいと思うんです。今晩食べるものを決める、それくらいの小さな決断からでいい。自分自身で決めて、その結果を受け入れることが大切かな、と。そして、進むペースも、人それぞれでいいと思います。時々休憩したって構わない。一度は決めた道から離脱したっていい。何かを続けるにしてもやめるにしても「自分で決める」ことが大事なのかなと思います。“べき”ではなくて、“したい”という気持ちに正直に生きていれば、肩肘張らず、楽しく過ごすことができるのではないでしょうか。「不安や失敗も含めて自分らしく年を重ねていきたい」——マネージャーの田島さんも、まさしく決断・達成を繰り返して自分の人生を決めてきた人です。今、彼女とふたたび組むことで、どんなことが実現できると考えていますか?酒井:田島さんの魅力は、情熱と戦略を併せ持っているところです。いつでも思いがけないアイデアを出してくる。そういう素質を持ったマネージャーにはなかなか出会えるものではないんですよ。私が移籍をすることになり、その相談をしたとき、もう復帰はしないと思っていた田島さんがもう一度マネージメントの仕事をすると言った。ぴったり合ったこのタイミングは、千載一遇のチャンスだと思いました。神様の前髪は、すぐにつかまなければと(笑)!再び一緒に仕事をすることになった今、20年前とはずいぶん芸能界を取り巻く環境も変わっています。時代の流れに乗って新しいことにもチャレンジしていきたいですね。とはいえお互いに家庭を持ち、年齢も重ねているので、私たちらしいスタンスを第一に。新鮮な気持ちで仕事に取り組みながら、私たちのペースで、スタッフみんながそれぞれの人生で大切にしているものを守っていけたらいいね、と話しているんです。——最近は新しいことにどんどんチャレンジしていますが、挑戦し続けるための原動力は?また、酒井さんはどのように年を重ねていきたいですか?酒井:新しいチャレンジはいくつになってもできるものです。やりたい!と思ったときが、そのタイミング。その思いを後回しにしないようにしています。チャレンジの先にある新しい景色にワクワクするんです!さらに好奇心と情熱を忘れずに、心や魂が求める方へ舵を切っていきたい。一歩一歩丁寧に歩みを進めながら、不安や失敗などもひっくるめて自分らしく年齢を重ねていくことが理想です。——これから「こうしていきたい」などの展望はありますか?酒井:現在私は大学院に通っていて、国際協力の研究をしているんですが、そこで得た学びと、これまで続けてきた演劇のメソッドを組み合わせてみたいという希望があります。海外ではすでに多く取り入れられていますが、演劇は、教育にとてもマッチするんですよ。授業の前にシアターゲームのようなことをして集中力を高めたり、もちろん語学のトレーニングにも生かされています。まだ具体的ではありませんが、将来的には、スクールのようなものをつくって、タレントとしての才能だけでなく、人生をよりよく生きるための表現方法を伝えられたらいいな、と。そんな大きな展望も、“情熱と戦略“の田島となら、きっとうまくいく……そんな予感があります。■これまでの連載を読む【第1回】向井理に背中を押されて、私はマネージャーという仕事を辞めた。【第2回】酒井美紀と再タッグ! “どんくさかった私”がマネージャーという天職を見つけるまで【第3回】向井理のマネージャーを辞めて家庭に入るも…湘南でスイッチがオンになった瞬間(取材・文:山野井春絵、写真:宇高尚弘)
2021年03月06日東京・松濤で生まれ育った「箱入り娘」の華子と地方出身で猛勉強の末、名門私立大学に入ったものの家庭の事情で中退した「地方出身者」の美紀。異なる境遇(せかい)を生きる2人の女性を描いた映画『あのこは貴族』(岨手由貴子監督)が2月26日に公開されます。原作は山内マリコさんの同名小説で、「結婚=幸せ」と疑わずに育った裕福な家庭の子女・華子を門脇麦さん、富山出身で大学進学とともに上京した美紀を水原希子さんが演じています。華子を演じるにあたり、「型にハマったお嬢さまを演じるのではなく、人間ドラマとしていかに成立させるか」に心を砕いたという門脇麦(かどわき・むぎ)さんと岨手由貴子(そで・ゆきこ)監督にお話を伺いました。門脇麦さん(左)と岨手由貴子監督「ひたすら受けの芝居が続く」華子を演じる上で難しかったこと——『あのこは貴族』の映画化の企画が本格的にスタートしたのは、2016年の山内さんの出版イベントだったそうですね。山内さんに映画化したいと直訴したということですが、岨手監督が強くこの作品を映画化したいと思った理由を教えてください。岨手由貴子監督(以下、岨手):『あのこは貴族』って、今までの山内さんの作品とはちょっと違ってて、もちろん、ずっと山内さんがテーマに据えてきた地方出身の女性はこの作品では美紀として描かれるのですが、お金持ちの階層の華子を描くというのは山内さんの作品の中で新しいフェーズに突入したんだなと思いました。同時に、東京という街の構造もすごく研究されている。映画として描くのは難しいけれど、面白そうだなと思ったんです。その頃ちょうど私も一作目の『グッド・ストライプス』を撮ったばかりで、自分としてもステップアップというかハードルが高いものに挑戦したいという気持ちもありました。——華子は東京・松濤に居を構える良家の子女という設定ですが、上流階級の方たちに緻密な取材を重ねたと伺いました。岨手:華子を取り巻く家族や周辺の人たちというのはまったく想像もつかない人たちなので、映画化にあたってはまず取材相手を探すところから始まりました。山内さんが本を書かれた際に取材された方や「知り合いの知り合いの知り合いの娘さん」レベルのすごく細いツテをたどって話を聞かせていただきました。それでもやはりマナーとして自分たちの生活をひけらかさない方たちなので取材も難しかったですね。——門脇さんは華子を演じるにあたり意識したことや難しかったことはありますか?門脇麦さん(以下、門脇):多くの人が想像するテンプレ的なお嬢さまを演じてしまうと、ただ「お嬢さま」と東京の街を描いた、人間ドラマとして深みがあまりない作品になってしまうと思いました。なので、所作やしぐさなど外側の部分も大切にしつつ、華子の実在感をちゃんと感じられるように、どう厚みを持たせるか、人間ドラマとして成立させられるかを一生懸命考えました。「品がある/ない」は生まれ持ったものなので、そこを意識しすぎてもと思いましたし、衣装やしぐさは所作の先生が現場にいらっしゃるのでお任せしました。むしろ意識しないことが華子を演じる上で大事なことだと思いました。難しかったことと言えば、芝居をした感があるシーンがあまりなくて日々不安だったことくらいですね。ここの芝居場さえ決まれば少し安心……といった手応えのあるシーンが一個もなくて、毎日これで大丈夫かな……?と思いながら撮影していました。——芝居をした感がない……。門脇:華子が能動的に自分の人生を生きるようになるのは、やっと後半で東京の街を散歩して初めて歩いて家に帰ったあたりくらいからなんですよね。その辺からやっと華子の人生が楽しくなっていく。それまではほぼ受け身でひたすら受けの芝居が続くのでその不安との葛藤がありました。「華子を演じられるのは門脇さんしかいない」——岨手監督は「華子は門脇さんに」と脚本の段階からイメージを固めていたそうですね。岨手:華子は確実に難しい役柄というのは分かっていたので、絶対信頼できる俳優にやってほしいと最初から考えていました。主役でしかも自分の本音をなかなか表に出さない難役なので、門脇さんくらいの方じゃないとこの役は難しいとプロデューサーとも話していました。美紀のキャラクターはすごく生き生きしてるし、私自身もすごく分かる世界観なので見える部分は多いのですが、華子は主役なのに華子の世界観が俯瞰で分かるわけではないので私自身もすごく不安でした。でも、撮影が進んでいく中で華子のキャラクターがだんだんと具体性を帯びて立体的になっていったんです。私はひたすら現場で生まれた華子像と、脚本段階で想定していた華子像の溝を埋めるような作業をしていました。現場で生まれた華子のほうに寄せていくような……。なので、役柄に関しては門脇さんに一人で背負わせてしまったかもしれませんが、私は「今、どんな華子になっているのか」を常に見守りながら脚本を直していきました。——門脇さんも華子を演じるうちに華子像をつかんでいったのでしょうか?門脇:真っ白な子がいろんなことを経て何色になっていくのかという物語なので、私も実際に演じてみないと分からない部分はありました。そこはもう相手との化学反応というか、華子がいろんな人と関わっていく中で少しづつ変わっていく話なので、誰かとの芝居でしか華子がどうなっていくかの手がかりがなかったんです。(高良健吾さん演じる華子の婚約者の)幸一郎と初めて出会うシーンはまさにそうでしたね。岨手:高良さんも最初から「僕の芝居、これで大丈夫ですか?」って言っていたんです。私は「難しいと思いますが、幸一郎自身が社交で話しているので手応えはないと思うのですが、このままで」と言っていました。そして華子と初めて会うシーンでまた高良さんが「すみません、僕ちょっと華子がかわいいなと思っちゃっているんですが、この幸一郎でいいんですか?」と言ってきたんです。脚本の想定とはちょっと違ったというか、脚本上では機械的に華子を奥さん候補として合格か不合格かで見ている設定だったのですが、「そう思っちゃっているならそうしましょうか」と変えたんです。だから、高良さんの幸一郎についての設計も門脇さんとの芝居でちょっとずつ変わっていったんじゃないかなと思いますね。「古い価値観を背負わされている若者たちの青春譚」——華子と美紀が初めて対面するシーンで、華子の親友でバイオリニストの相楽逸子(石橋静河さん)に言わせていたセリフがこの映画を表しているなと思いました。世間では、例えば「ライフステージが変わると女同士は分かり合えなくなる」とか、「女の友情はもろい」という言い方がよくされますが本当だろうか?と。ある意味、そういうふうに思わされちゃってる部分があるのかなと思っているのですが、この映画ではそんな世間の思い込みやステレオタイプが見事にかわされていてシスターフッドが描かれていると思いました。岨手:原作はシスターフッドについて厚く描かれていますが、映画版では「女対男」のような二項対立とは捉えていなくて。親世代の古い価値観を背負わされている若者たちの青春譚だと思っています。例えば華子と美紀が出会うシーンでも一見対立しそうと思うんだけれど、そうではない。「はい、ここで対立すると思ったでしょ〜?」みたいな(笑)。もちろん要素としてシスターフッドはありますが、人が持っている自然な感覚として描きました。傷ついているであろう女の子が目の前にいたら当然手を差し伸べるし、温かい飲み物を出してあげて優しい言葉の一つもかけてあげますよね?人と人との自然なやりとりだと思うし、それは相手への優しさであると同時に自分自身もそういう人間でありたい。人として正しくいようとするのは自分のためにもなるというか。なので、男女の二項対立や女性同士のシスターフッドを強く意識したというよりも、ベーシックな部分での人間賛歌と捉えています。門脇:私もあまり女性同士の対立というのはピンとこなくて。今まであまり苦労していないんでしょうね。そしてこの作品は本当に人類愛の話だなと思いました。岨手:ただ、社会の中で女性同士が対立するように仕向けられていると感じたことは何度もあります。例えば、同じチームに女性がいると「岨手さんと何とかさんは仲悪いから」と言われたりね。こっちは真摯(しんし)に仕事に向き合って意見しているだけなのに、その真剣な気持ちを娯楽として消費されていると感じるし、それですごく不本意な思いをしたことは死ぬほどありますね。門脇:みんな好きですよね。あの女優とこの女優は仲が悪いとかよく記事になるじゃないですか。それで言えばこの映画は「そんなの(女同士の対立を)見せるかよ」っていう映画なんだと思います。■映画情報『あのこは貴族』2021年2月26日(金)全国公開【クレジット】 (C)山内マリコ/集英社・『あのこは貴族』製作委員会【配給】東京テアトル/バンダイナムコアーツ(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2021年02月25日2021年2月19日公開の映画『あの頃。』(今泉力哉監督)で主演を務める松坂桃李さん。ふとしたきっかけで「ハロー!プロジェクト」(以下、ハロプロ)にハマり、遅れてきた青春を捧げるアイドルオタクを演じています。本作は、『あの頃。男子かしまし物語』(イースト・プレス)を実写化。原作者の劔樹人さんが、「推し」を通じて出会った大切な人たちとの愛しい日々を記録した作品です。インタビュー後編は、松坂さんに推しがいる人生について話を聞きました。原作の『あの頃。男子かしまし物語』あの体力が、うらやましい——本作はハロプロを推すことで「遅れてきた青春」を謳歌する青年たちの物語ですが、推す人生の魅力とは何だと思いますか?松坂桃李さん(以下、松坂):僕もBUMP OF CHICKENさんが大好きなので、誰かを「推す」気持ちには共感できます。その魅力とは、没入して自分の世界を作れることではないでしょうか。居心地のいい空間を自分の中に持てるというか。その時間があるから、いろんな景色を見ることができると思うんです。以前、BUMP OF CHICKENさんとお仕事をさせていただいたのですが、何がきっかけで人生がどうなるのか、本当にわからないなと思いましたね。——今泉監督、仲野太賀さん、山中崇さんと、モーニング娘。’19のコンサートを観に行ったそうですね。いかがでしたか?松坂:「体力おばけ」と言われている理由がわかりました。あの体力は正直、うらやましい。一曲目からものすごく激しいパフォーマンスがあって、それがずーっと続くんですよ。落ち着いた曲調になるのは1、2曲ほどで、あとはアップテンポで飛ばしっぱなし。これをライブでできるのは相当な努力の積み重ねがあるとすぐにわかりました。彼女たちはプロだと、尊敬の念が湧きました。あややは「圧倒的に歌がうまい」。好きな楽曲は…——『あの頃。』の時代(2000年代初頭)のモーニング娘。との違いは感じましたか?松坂:当時のモーニング娘。をリアルタイムで知っている世代として、輝きが全然変わっていないのが本当にすごいなと思いました。脈々と受け継がれているその感じが素晴らしかったです。コンサートの現場で印象に残ったのは……「おじさん」が多かったことですね。ファンがハロプロとともに年齢を重ねている証だと思いました。根強いファンがしっかりいるということ。僕が見た感じでは40代、50代の方も結構いらっしゃったように思います。それから、女性のファンも多い。他のガールズグループとはちょっと違ったファン層が構成されてのではないかと思いました。——よく見ていらっしゃる。楽曲などについてはどんな印象がありますか?松坂:改めてつんく♂さんはすごいと思いました。僕は「あやや」推しの役なので、松浦さんの楽曲を中心に聴いていたのですが、圧倒的に歌がうまい。スキルが高いだけでなく、元気をもらえる感じがあって、パワーがやっぱりすごい。人生が思うようにいかなくて、弱っていた劔さんが『♡桃色片想い♡』と出会ってグッと心を掴まれるのは、なるべくしてなったことだと理解しました。——あの、ちなみに松浦亜弥さんの楽曲で一番好きな曲は?松坂:『Yeah!めっちゃホリディ』です!何とどう向き合うかは自分で決める——松坂さんが思わず推したくなる人ってどんな人ですか?松坂:その一点において、一生懸命になっている人ですね。たとえば……『マツコの知らない世界』に出てくる人を見ていると応援したくなります。いろんなジャンルの推しを持っている人たちが登場しますよね。何かに没入できて、しかもそのジャンルについてくまなく説明できるって本当にすごいことだと思うんですよ。「なんとかマツコさんを唸(うな)らせてくれー!」と気づけば画面の前で力が入っている自分がいます(笑)。——好きなことを語る姿って素敵ですよね。推しがいると、年齢も環境もいろんな縛りを超えられるような気がします。松坂:そうですね。推しでも好きなことでも、自分の生活の中に複数の軸を持つことによって、充実感のようなものが増えて人生が豊かになるのではないでしょうか。たとえば、その1日が豊かになれば、1週間、1ヶ月、1年と結果的に長期間いい時間になるはず。それが、自分の人生を謳歌することにつながるのかなと思います。——とはいえ、2020年は辛いことの多い年でした。人生をどうしていこうかなと考えた人が多いと思います。私自身は、運よくわずかな影響で済んでいますが、この先も必要とされる人でいられるだろうかと焦りを感じることもありました。仕事のオファーが途絶えない松坂さんに、何か心がけていることがあれば教えていただきたいです。松坂:必要とされるために頑張る……のは、どこかでムリが出てくるような気がします。評価され続けようとすると疲れてしまいますし。僕らの仕事は、どうしても人の目を意識せざるを得ない場面が多くあります。好感度を気にしなきゃ、とか。振る舞いを意識するのは、プロとしてもちろん大切なことなのですが、そこにとらわれすぎると、ちょっとずつ本質から離れていくような気がするんです。大切にしたいのは、この仕事、作品にどんなふうに関わっていきたいか自分の声を聞くこと。向き合い方を自分で決めることが大事なのではないかと僕は思います。■作品情報2021年2月19日(金)より、TOHO シネマズ日比谷ほか全国ロードショー配給:ファントム・フィルム©2020『あの頃。』製作委員会公式サイト @eiga_anokoro(取材・文:安次富陽子、撮影:宇高尚弘)
2021年02月17日2021年2月19日公開の映画『あの頃。』(今泉力哉監督)で主演を務める松坂桃李さん。ふとしたきっかけで「ハロー!プロジェクト」にハマり、遅れてきた青春を捧げるアイドルオタクを演じています。本作は、『あの頃。男子かしまし物語』(イースト・プレス)を実写化。原作者の劔樹人さんが、「推し」を通じて出会った大切な人たちとの愛しい日々を記録した作品です。「いま、このタイミングで本作が公開されることに意味があると思う」と話す松坂さんに話を伺いました。前後編の前編です。“松浦先輩”のキラキラが今も鮮明に——本作のオファーを受けたときの感想を教えてください。松坂桃李さん(以下、松坂):話をいただいたとき、運命めいたものを感じました。というのも、僕が中学1年生のときに同じ学校の3年生に松浦亜弥さんがいたんですよ。遠目に見ていただけでしたが、歩くたびにキラキラしたものが見えるようで……「これがスターなのか!」と。その記憶が鮮明に残っていたので、マネージャーさんから「あややのことが大好きな男の役です」と言われた段階で、「はい。やりましょう!」と二つ返事でお受けしました。——その「あややファン」の劔さんを演じるうえで、気をつけたことや意識したことはありますか?松坂:いまも第一線で活躍されている劔さんを演じるのは、やはりプレッシャーを感じました。実際にお会いして話をしてみると、すごく物腰が柔らかい方でした。けれど、「絶対お腹の中で毒を吐いているだろうな」とも感じたので、ただ優しいだけではない部分も大事に演じることを意識しました。——たしかに。仲野太賀さん演じるコズミンの悪事をこっそり録音して、イベントにしてしまうシーンもありましたね。松坂:ちょいちょいそういうことをするんですよね(笑)。原作の『あの頃。男子かしまし物語』歌唱シーンは「この感じでいくしかありません」——本作ではベースを演奏するシーンもあります。松坂さんは左利きなのに、右利きで演奏されていますよね。松坂:いやぁ、大変でした。この先、できれば習得系は避けられたらと思っています(苦笑)。劔さんは「テキトーで大丈夫っすよー!」とおっしゃるんですけど「いやいや!全然、適当じゃないです!」って。——適当のクオリティが違った、と(笑)。けれど、松坂さんはどの作品でも見事に習得なさっていて、さすがだなと思います。そういえば、劇中には歌唱シーンもありますね。松坂:監督には「うまく歌う必要はないですよ」と言われましたが、もしうまく歌うように指示があっても「この感じでいくしかありません」と提供するのみ。僕に選択肢はありませんから(苦笑)。若葉竜也くんは、あえてちょっと外して歌っていましたけどね。——今泉監督とは初のお仕事となるそうですが、印象はいかがでしたか?松坂:監督は、ひじょーーーに、人見知りっぽい雰囲気の方です。けれど、心の中では雄弁な感じというか。たまにメールで連絡がくるとき、文章はすごく雄弁だったりするんですよね。ふふふ。『あの頃。』の現場に関していうと、温かく優しく、生々しく。ちょっとした生っぽさのようなものを大事にする演出をなさっていました。現場で演者が見せたものを、監督が温かく料理していくような感覚で、アドリブが入っても、監督の演出でうまく鮮度を保ったまま、お芝居としてちゃんと続けられたと感じました。「中学10年生」のような時間——コカド(ケンタロウ)さんは「昔から友達だったかと錯覚するくらい気の合う共演者の皆さん」とコメントをされていました。現場の雰囲気について教えてください。松坂:わりと短い撮影期間だったのですが、和気あいあいとして居心地のいい現場でした。学生の頃の部活動のノリでしたね。誰かが歌唱シーンの練習をしていると、ひとり、またひとりと歌い始めて、最後は全員歌っている感じとか。まさに「中学10年生」のようでした。それから、今回の現場には「(原作の)恋愛研究会。」の方々が現場に来てくださったんですよ。迷惑なことに(笑)。——迷惑!松坂:ご本人に見られていると思うと緊張して、落ち着かないじゃないですか。……とは言いつつも、助けられた部分も多くありました。本当にこういう方なのだなと確認できたり、発見もあったり。細かな部分を掘り下げることができました。『あの頃。』は、心の栄養になる作品——少し前に、コメディ作品に参加したいとお話しされているのを拝見しました。今作はコメディではないけれど、明るい役でした。撮り終えていかがですか?松坂:そうですね。ここ最近、重たい役が続いていたので、もう少し気楽に観られる作品に参加したいと思う気持ちがありました。『あの頃。』の現場はとても楽しかったです。——出来上がった作品を観て、どんなことを思いましたか?松坂:最初に試写を観たとき、この作品は心の栄養になると思いました。決してメッセージ性の強い作品ではないけれど、甘酸っぱい青春の群像劇を通じて、それぞれの“あの頃”——好きなことを友人と共有していたあの時間——を思い出せるというか。そんなことを感じるだけでも、心の中に優しい風が通って、温かい気持ちになれるのではないかと思いました。このタイミングでこのような作品を公開できることにも何か意味があるような気がしています。■作品情報2021年2月19日(金)より、TOHO シネマズ日比谷ほか全国ロードショー配給:ファントム・フィルム©2020『あの頃。』製作委員会公式サイト @eiga_anokoro後編は2月17日(水)公開予定です。(取材・文:安次富陽子、撮影:宇高尚弘)
2021年02月16日俳優の役所広司さん演じる、人生の大半を刑務所で過ごしてきた元殺人犯・三上が社会のレールに外れながらもなんとかまっとうに生きようと悪戦苦闘する姿を描いた、西川美和監督の最新作『すばらしき世界』が2月11日に公開されました。原案は佐木隆三さんの小説『身分帳」で、小説が刊行された1990年当時の時代設定を現代に置き換え、人間の愛おしさや切なさ、社会の光と影をあぶりだしています。前編に引き続き、西川監督に「他者とのつながり」をテーマにお話を伺いました。三上が立ち直れたのは人とのつながりがあったから——長い刑期を終えて“シャバ”に出た三上は、身元引受人の弁護士夫婦をはじめテレビマンの津乃田、スーパーマーケットの店長・松本、ケースワーカーの井口などさまざまな人と出会い、衝突しながらも絆を深めていきます。血の気が多く、けんかっ早かった三上がふと“仲間”のことを思い出し振り上げようとした拳をこらえるシーンは印象的でした。というのも、自分には支えてくれる友人や知人、仲間がいるからこそ何とか社会の中で生きていけるというのは自分にも思い当たります。例えば非常に腹が立つことがあったとしても、相手に向かって最低なことを言わないで済むのは「自分ができた人間だから」ではなくて、友人や自分を信じてくれている人たちを裏切りたくないからという理由であることが少なくないのかなって。西川美和監督(以下、西川):この映画のシナリオを作るにあたり、私が三上と似たような境遇の人を取材する過程でも今おっしゃったことに非常に近いことを皆さん口にされていました。やっぱり、人間がトラブルを起こさずに、法を犯したり他人を傷つけたりせずに済むのには他者との結束が必要なんですよね。「バンド」という言い方をされていました。——バンド?西川:結びつきであり、それが命綱のようになっている。やっぱりそういうものが抑止力にもなるんだろうし、人としての一線を踏み越えないためには、お金や仕事があるだけじゃダメなんだそうです。他人とのつながりが大事で、それもたった1人や1つのコミュニティじゃダメ。たくさんではなくても、別々にいくつかのバンドがないと、やっぱりまた道を踏み外してしまう。——そういう意味で三上の周りの人間関係の温かさや人とのつながりが描かれていたのがすごく希望でした。三上だけではなく周りの人たちも三上と出会い、会話を交わし、時にはぶつかり合うことで互いに変わっていく。人と人が出会ってお互いが変わっていくことがとても丁寧に描かれていると思いました。西川:そう言っていただけて光栄です。ただ、一方で佐木さんが『身分帳』を書かれた時点でも、「周りの人が優しすぎる」という批判もあったらしいのです。でも、それが全くない悲観的な世界を描くことだけが本当のリアリティなのか? と思いますし、世界がどんな境遇になってもこぼれ落ちそうになった人を助ける人が必ずいるのも現実です。人とのつながりや周りの優しさがあったからこそ三上は少しずつ人間らしい生活を取り戻していけるし、そんな三上を見ているとすごく温かい気持ちになるのではないでしょうか。もちろんシビアな現実も描いていますが、三上が他人とのつながりを支えにして少しずつ立ち直っていく過程の美しい物語をぜひみなさんに見てもらいたいと思っています。佐木さんの小説でも、人と人とのつながりが時にはポンと外れるときもある。でも、一個外れたとしても他がつながっていれば凧(たこ)のように飛んで行かずに済む。そういうところも含めて、複数のつながりについて書かれたのかなと思いました。他者とのつながりを絶やさないこと——映画が出来上がったのがコロナ禍の真っただなか2020年の6月と伺いました。コロナ禍で世界は瞬く間に変化しました。小説家の方や作り手の方にインタビューすると「コロナ禍の世界を描くこと」について悩まれている方も多いです。西川監督自身はコロナ禍でご自身の仕事に変化はありましたか?西川:書き手としてはまったくの同感ですね。私はやっと映画ができたばかりなのでしばらくは休もうかなとも思っているのですが(笑)、でも作り手側はかなり悩まれていると思います。特に映画やドラマは人間と人間が関わる話なので。そういう意味では物語の作り手もすごく悩んでいると思うし、自分が考えた価値観が来年に通用するかどうかもわからない。何が危険で何が大丈夫なのか、すごいスピード感で世の中は変わっているし皆さん悩まれていると思います。ただ、私自身はそんなに変わっていないのかなって。映画を撮っていないときはだいたい一人なので、静かに勉強でもしようかなと思っています。中にはスピード感が求められる現場もあると思いますが、私たちみたいな立場の人間は焦って結論を出そうとせずにゆっくりじっくりものを見ていったらいいんじゃないかなって。わりと悠長に構えていますね。——そういうお話を伺うとほっとします。時間感覚があるようなないような中で自分も変わっていかなければと焦っている人も少なくないのかなと。西川:また変わりますしね。だから無理についていこうとしなくてもいいし、少々ずれていてもまたアジャストできるときもくるから、一人一人が他人と足並みをそろえようとしなくてもいいんじゃないかなと思います。それこそ、こんなときこそきちんと他者とつながりを持っていることがとても大事だから。いろいろなつながりの人とのコンタクトを絶やさないでおくことが大事なんじゃないかなと考えています。■映画情報『すばらしき世界』2021年2月11日(木・祝)全国公開【クレジット】 (C)佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会【配給】ワーナー・ブラザース映画(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2021年02月16日俳優の役所広司さん演じる、人生の大半を刑務所で過ごしてきた元殺人犯が社会のレールに外れながらもなんとか真っ当に生きようと悪戦苦闘する姿を描いた、西川美和監督の最新作『すばらしき世界』が2月11日に公開されました。原案は佐木隆三さんの小説「身分帳」で、小説が刊行された1990年当時の時代設定を現代に置き換え、人間の愛おしさやせつなさ、社会の光と影をあぶりだしています。前作の『永い言い訳』から約5年ぶりの新作で、長編映画としては初めての原作ものに挑戦した西川監督にお話を伺いました。前後編。西川美和監督初の原作ものに挑戦した理由——私小説的な側面があった前作の『永い言い訳』に対して、今回の『すばらしき世界』は西川監督が世界や時代、社会に目を向けた位置付けの作品と伺いました。「身分帳」を映画化しようと思った理由を教えてください。西川美和監督(以下、西川):これまで犯罪を犯した人のその後について、特別に関心を寄せてきたわけではありませんでした。人が悪に染まっていく話が面白いのはわかるのですが、真人間になろうとしていく話は考えたこともなかった。でも、「身分帳」という作品に出会い、ある一人の男が当たり前の日常を取り戻していく話であるのにも関わらず、これだけややこしくて苦労も多くて七転八倒を繰り返す日々がまるで冒険小説のように面白いなあと思いました。自分からは絶対に出てこない発想なのでぜひ映画にしてみたいと思いましたし、映画にすることでより多くの方が「身分帳」をもう1回手に取るチャンスになれば、佐木さんのファンの一人としてこんなにうれしいことはないと思いました。——その上で挑戦したことは?西川:これまでは自分の発案のアイデアをもとにしたオリジナルの脚本しか書いてこなかったのですが、初めて原案がある作品をやること自体が挑戦でした。モデルになった方も有名人ではないし身寄りがなかったのでまったく資料がなく、唯一、深く関わった人が佐木さんで、佐木さんが亡くなったことがきっかけで私はこの小説に出会ったので本当に手がかりがなかったんです。でも、佐木さんがたくさんのことをきちんと調べて小説を書かれたのに準ずるように、自分もいろいろなことをちゃんと裏を取った上で、確かな情報として出していかないといけない責任感もありました。多分に社会的なテーマも含まれているので、想像だけで書いていくのは違うと思ったので、たくさんの方にお会いしました。服役経験のある人やかつて暴力団に籍を置いていた人にお会いして、どうやって社会復帰をしていったのか、あるいはそういう人たちを受け入れている側はどんな努力をされているのか、というお話を聞きながらシナリオに落とし込んでいきました。それが自分にとっての新しい体験でもあり、良い作品を背負っているからこそ自分の作品以上に緊張感がありました。「正解は役所広司の中にある」——役所さんとの初タッグはいかがでしたか?西川:やっぱり憧れの人と相対するもんじゃないなっていうくらいものすごく緊張しました(笑)。自分が自分じゃないくらい緊張しました。それは役所さんが私の憧れというのもそうですし、俳優としての力量が申し分ないので私ごときがNGを出すとかそういうレベルではないんですよね。一方で、役所さんに気圧されて、黙りこくってイエスしか言わないのでは意味がない、何かお願いしたいことがあれば遠慮せずに相談したほうがせっかく私の作品を選んでくださった役所さんにとってもきっと誠実なんじゃないかなと思いました。——役所さんと作品についてお話したことは?西川:作品についてはほとんど話さなかったです。だけどそれは役所さんが全てを受け入れて、演出家の世界観が自由でいられるように、静かに尊重してくださっているのだと私は勝手に理解していました。ただ、クランクインの1年以上前から脚本に書かれたセリフの一言一句まで、言い回しも含めてものすごく細かくチェックされました。「この言葉はなくてもいいですか?」とか「省いてもいいですか?」とおっしゃっていて、その程度の言い換えは現場でも「構いませんよ」と言えるレベルの話なのですが、役所さんはものすごく時間をかけてしっかり役を自分の中に落とし込む準備期間を持たれるんだなと思いました。後日、ご本人に話を聞いたら「現場でこういう言い方にしたいと言って監督のお時間を取るのが嫌なんです」とおっしゃっていました。クランクインしてスタートをかけたときにはもう、三上正夫という人物になっていましたから。正解は役所さんの中にある。そういうお芝居だったように思います。撮影の様子「人目を気にする雰囲気や息苦しさ」仲野太賀や長澤まさみの役に込めた思い——小説の舞台はバブルの時代ですが、今の時代に設定されるにあたり意識したことや気づいたことはありますか?西川:原案の小説の時代のほうがまだ何となく人と人がダイレクトに関わる時代だったのかなと思います。今って、電話かけるのでさえ躊躇(ちゅうちょ)するというか、いきなり電話するなんて不躾なこととされますよね。——確認しますもんね。「今電話していいですか?」って。西川:LINEで確認してから電話するなんて、すごく人と人の距離が遠くなっちゃったなあと。私はそういう関わりの仕方が苦手かもしれないです。SNSのように最初から顔が見えない、名前も知らない者同士が関わることって私自身は馴染みがないことなのですが、そういう人ってどんどん孤立してしまう。何かを挟んでコミュニケートするのが得意な人は、時代のコミュニケーションに乗れていけるけれど。そういうものが信用できない人間はすごく孤立していく世の中だなと思います。最近は「多様性」や「インクルーシブ(包摂的な)」という言葉をよく耳にしますが、実は結局、あい通じる価値観の人たちだけを選別してやり取りをしていて、自分と境遇がまったく違う人との交わり合いの場ってかえって少なくなっているような気もします。映画に話を戻すと、原案では人と人とのダイレクトなつながりが描かれていたのでそのまま書きましたけど、若い世代の俳優が担った役、仲野太賀くんとか長澤まさみさんの役に、私たちが感じてる、今の時代の便利で簡単でスマートだけど一方で異様なほど人目を気にしている雰囲気や息苦しさを込めました。■映画情報『すばらしき世界』2021年2月11日(木・祝)全国公開【クレジット】 (C)佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会【配給】ワーナー・ブラザース映画(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2021年02月13日たった一人の家族だった祖母の遺影が、集合写真を拡大したピンボケ写真だった——そんな寂しい場面からはじまる映画『おもいで写眞』(1月29日公開)。祖母の死をきっかけに、東京から富山に戻った音更結子(深川麻衣)は、町役場で働く幼なじみ・星野一郎(高良健吾)の依頼で、お年寄りの遺影を撮る仕事をはじめます。はじめは「縁起でもない」と敬遠されるも、<おもいで写真>と名を変えたことでたちまち評判に。思い出の場所をめぐりながら、結子自身が怒って泣いて、成長していく人間ドラマです。結子に優しく寄り添う星野を演じた、高良健吾さんにお話を伺います。前後編の後編となる今回は、「なりたい自分」について高良さんに語っていただきました。年齢を重ねるうちに気づいた、自分や他者との向き合い方とは——?目先の目標だけを追いかけていた日々——遺影にすることを目的としていますが、自分の好きな場所で撮る<おもいで写真>は、撮る側も撮られる側も、撮影を通じて「自分の好きな自分」「なりたい自分」を探していたように思いました。高良さんは、「好きな自分」「なりたい自分」像はお持ちですか?高良健吾さん(以下、高良):たしかに、この映画は「なりたい自分」や「なりたかった自分」を探す物語という側面もありますね。僕自身は、一つひとつの作品や役に対して、説得力を持たせられる人間になりたいと思っています。いま33歳で、人生の半分以上でこの仕事をしてきました。長くこの仕事を続けられたうれしさがある一方、自分は全然できていないと思うこともあって……。作品一つひとつを振り返ると、「あのシーンはもっとよくできたはずだ」と思ってしまう部分も少なくありません。だけど最近は、そういう瞬間的な反省にとらわれず、自分がどう存在したいか長い目で考えられるようになりました。劇中より——長い目で見る、とは?高良:たとえば、昔は現場単位で「こういうことがしたい」「これができるようになりたい」という細かい目標があるだけだったんです。一瞬一瞬を一生懸命に、先のことは考えず楽しくやる感じ。でも、いまはもう少し将来のことまで俯瞰して「こういう人間になりたい」という意識も持てるようになってきました。俳優の仕事だけにこだわらず、どんな人生を送りたいかまで考えられる、というか。それでやっぱり、説得力を持っている人や、自分らしさを大切にできる人でありたいと思うようになりました。そういう人は、自分のこともほかの人のことも大切にできると思うので。自分の幸せは、自分で決める——10~20代のときに比べて、生き方や周囲との向き合い方は変わってきましたか?高良:昔よりも「自分はこう思う」「こうしたいんだ」などの主張の仕方が、少しずつ変わってきたと感じています。以前は、周りの人を自分の望む方向に変えようとしていました。自分がいいと思ったものを相手にもいいと思ってほしいとか、意見の違いに聞く耳を持てないとか。むしろ「あなたもこうしたほうがいい」「こうすべきだ」と、我を通そうとして頑固になっていたかもしれない……。でも、そうやって相手を困らせて、自分自身をも苦しめるような経験を経て、反省したんですよね。誰かを変えようとするのはなんだか違うな、と。——大切なのは周りではなく自分が変わること、なんでしょうね。では30代のいま、自分の人生を切り拓くために、高良さんが心がけていることを教えてください。高良:いま自分に与えられていることを、まず精一杯やること。それから「俳優という仕事にこだわらない」という感覚も、大切にしています。生涯ひとつの仕事を突き詰める人生もすばらしいけれど、人生にはほかにもいろんな道がある。だから「俳優」という枠にとらわれず、どういう自分でいたいかに向き合い、変わっていくほうが面白いんじゃないかと思っているんです。もちろん、この仕事を辞めたいと思っているわけではありませんが。——忙しいとつい目の前の仕事のことしか考えられなくなり、他の選択肢まで目が行きにくいです。高良:そうですよね。僕も昔は仕事のことしか考えられなくて、つらくなってしまった時期がありました。——どうやってその時期を抜け出したのですか?高良:ほかの人たちの生き方を見て、ですかね。たとえば、自分が誰かをかっこいいと思うときや、心から尊敬の気持ちが湧いてくるようなとき、その人の仕事や成果だけを見て判断しているわけじゃないと思うんです。その人の生き方や物事に向き合う姿勢を含めて、かっこいいと思っているはず。——たしかにそうですね。高良:俳優を極めている人に憧れを持つこともあれば、地方で全然違う仕事をしている人に憧れることもある。でも、その人たちには共通点があるように思います。それは、自分の幸せを自分で決めている人だということ。世の中には「これが幸せでしょ」みたいな決めつけがいっぱいあるけれど、そんなの本当は全然関係なくて。自分の幸せを自分で決めることが、人生を前に進めてくれるのだと思います。■作品情報『おもいで写眞』2021年1月29日(金)全国ロードショー配給:イオンエンターテイメント©️「おもいで写眞」製作委員会(スタイリスト:渡辺慎也 (Koa Hole)、ヘアメイク:高桑里圭、取材・文:菅原さくら、撮影:宇高尚弘、編集:安次富陽子)
2021年01月30日たった一人の家族だった祖母の遺影が、集合写真を拡大したピンボケ写真だった——そんな寂しい場面からはじまる映画『おもいで写眞』(1月29日公開)。祖母の死をきっかけに、東京から富山に戻った音更結子(深川麻衣)は、町役場で働く幼なじみ星野一郎(高良健吾)の依頼で、お年寄りの遺影を撮る仕事をはじめます。はじめは「縁起でもない」と敬遠されるも、<おもいで写真>と名を変えたことでたちまち評判に。お年寄りたちと思い出の場所をめぐりながら、結子自身が怒って泣いて、成長していく人間ドラマです。劇中より結子に優しく寄り添う幼なじみ・星野を演じた、高良健吾さんにお話を伺いました。前後編の前編です。「人をジャッジしない」「その人らしさを認めて受け入れる」——まずは、台本を読んだときの印象を教えてください。高良健吾さん(以下、高良):じつは、僕の祖父の遺影もピンボケ写真だったんです。だから、そのときの寂しさを思い出しました。きっとこういう問題はどこにでもあるはずだから、作品を通じて現状を伝えられるのはいいことだと、やりがいを感じましたね。——高良さんが演じる一郎は、役所に勤める勤勉な好青年です。どんなふうに役作りをされましたか。高良:熊澤(尚人)監督は考えや演出を細かくおっしゃるタイプではなく、役者に任せてくださる方。僕は「台本にすべてがある」と考え、書かれた台詞や状況に素直に向き合うようにしました。演じるうえで気をつけたのは「一郎は人をジャッジするような人間ではない」という感覚を、自分のなかに持つことです。——たしかに、悪態をつく結子を否定することなく、優しく包み込むおおらかな役でした。高良:僕が思う一郎の長所は「その人らしさ」を大切にできるところ。結子はまっすぐで我が強いぶん、他者の「らしさ」を尊重できず、周りと衝突してしまうことがあります。でも一郎は、目の前にいる人の「らしさ」を汲み取って、大切にしてあげられる。結子が悩みから抜け出せなかったり、怒ったりしているときでも、それを「結子らしさ」だと認めて接しているんです。そのうえで、彼女が間違ったことをしているときには、きちんと指摘する。必要な言葉と言い方で、言うべきときに大切なことを伝えられる人間なんです。そのあと「言い過ぎた」と謝りに行くような優しさもあるし。——結子と一郎、いいコンビだと思いました。高良:一郎は、結子の「夢を追いかけて上京する行動力」や、「自分を曲げない姿」に自分にはない長所を感じていると思うんです。だから、お互いに「ない部分」を補っているいいコンビなんですよね。物語が進むにつれ、結子も自分自身や他人の「その人らしさ」を大切にできるようになっていくので、成長にともなうさまざまな変化を見ていただきたいです。“なんちゃない”河川敷が、大切な思い出の場所——一郎は地元への愛情を持ちつつも、上京への憧れもあります。高良さんも地元・熊本への思いが強い方だと伺っていますが、上京してくるときはいかがでしたか。高良:そうですね。僕は熊本がすごく好きなので、はじめは上京せずに俳優として活動できる道を模索したんです。東京の高校を勧められても「卒業するまでは地元にいる」とお断りして。いざ高校を卒業しても「熊本から通いで(仕事を)できませんか」「熊本が無理でも、福岡から通えませんか?」などと相談していたほど(笑)。その提案が全部難しいとわかってから、ようやく上京しました。——そこまで残りたかったのに、決心した上京。いまその決断を振り返って、どう思われますか。高良:東京に来てよかったと思っています。いろんな人と出会っていろんな価値観にふれ、いろんな世界を見ることができて、本当によかった。10~20代のときはうまくいかないことがあると「東京に来たせい」と思ったりもしていたけれど、いまは「東京に来たおかげ」だと思えることがたくさんあります。そう思えるのはやはり実際に上京したからであって……。地元に残っていたら残っていたで、その人生も絶対に楽しんでいたとも思うんですけどね。熊本は本当にいいところだし、もしかしたら結婚して子どももいる人生を送っていたかもしれません。そうなったら逆に「上京すればよかったな」と思っていたりするんでしょうね。きっと。——高良さんの熊本愛とポジティブさが、ひしひし伝わりました。作中では、お年寄りが自分の好きな場所で<おもいで写真>を撮影します。高良さんならどこで撮りたいですか?高良:やっぱり熊本ですね。もう地元より東京での生活が長いし、東京には東京の楽しさがあるんですけど……熊本にいたころの僕は、何者でもなかったんです。俳優でもなんでもない、ただの学生だった。<おもいで写真>を撮るなら、そのころによくみんなで集まっていた河川敷がいいなと思います。——すごく景色がいいとか?高良:……なんちゃない(「なんでもない」の方言)河川敷ですよ。ほかの人にとっては、なんの心にもとまらないただの河川敷。でも、僕はそこでみんなと過ごした時間が本当に楽しかったんです。作中でお年寄りが<おもいで写真>を撮った場所もそうでしたけど、ほかの人にとっては“なんちゃない”ところでも、その人にとって大切な場所があるんですよね。この映画を観ると、人それぞれの思い出や大切にしているものを、より大切にできるようになる気がします。■作品情報『おもいで写眞』2021年1月29日(金)全国ロードショー配給:イオンエンターテイメント©️「おもいで写眞」製作委員会インタビュー後編は1月30日(土)公開予定です。(スタイリスト:渡辺慎也 (Koa Hole)、ヘアメイク:高桑里圭、取材・文:菅原さくら、撮影:宇高尚弘、編集:安次富陽子)
2021年01月29日「三軒茶屋」を「三茶」と略す資格がない、「ポスト出川」から舵(かじ)を切った瞬間、人付き合いについての考察――。お笑いタレントや司会者として活躍するふかわりょうさんによるエッセイ『世の中と足並みがそろわない』(新潮社)が11月17日に発売されました。どこにもなじめない、何にも染まれないふかわさんのいびつな日常を書き下ろした同書について、今年で芸歴26年目を迎えるふかわさんにお話を伺いました。前後編。“銀河系”を作れるかどうかが大人の証し——「拝啓実篤様」でつづられていた「私が望むのは、友達の数が尺度にならず、孤独や孤立が弱者として奇異な目を向けられない世の中です」という箇所がすごく響きました。やはり「友達100人できるかな」に縛られて、嫌いな人がいることに罪悪感を感じたり、人間関係に悩んでいる人は多いと思います。ふかわりょうさん(以下、ふかわ):まず大前提として、「仲良くないといけない」というのが大きな誤解であり、「別に仲悪くていいんだ」からスタートしないとダメだと大人になって気づきました。人との付き合い方も銀河系、惑星のようで、毎日会う人もいれば月1回の人もいれば年に1回の人もいる。すごく好意を抱いている人もいれば関心を持ってない人、ちょっと苦手だと思う人もいる。でもそれが一つの自分の銀河系。嫌なものの存在を否定すると苦しいんですよ。——何かを嫌うってすごくエネルギーがいりますよね。ふかわ:そうそう、それをすごく感じます。逆もしかりで、好きだからといってつい近づきすぎるとアラが見えてくる。無理に距離を詰めようとするとたちまち嫌悪感が相手にも自分にも生まれる。それぞれにほどほどの距離感で接する、銀河系を作れるかどうかが大人の証しだと個人的に思います。LINEを交換しない距離感でいることも大事——そう思うようになったきっかけはあったんですか?ふかわ:いろいろ失敗を経験して、ですね。仲が良い人も油断すると近づきすぎてパーンとなることがあるから、加減というか距離感を大事にするようになりました。誰かを手助けするときも、手を差し伸べてはいけないわけではないのですが、何でも優しくするのではなく、ある程度ドライな関係性、距離感を保つのもすごく必要だなと感じます。——見守るということなのでしょうか?仕事の関係においてもそうですか?ふかわ:「仕事でも」と言うか、まさに仕事での関係がそうですね。「意気投合したからLINEを交換しましょう!」と交換したとして、LINEのメッセージや返信がなかなかこないときに「何でこないんだろう?」と悶々(もんもん)としてしまうし、「やっぱりその場のノリだったのかな?」「社交辞令だったのかな?」とか考えたくないじゃないですか。だったらLINEを交換しない距離感でいることも大事だと思うんです。この人はLINEでやり取りをする人、あの人はメールだけの人、といろいろな距離感の人がいていいと思います。——すごく分かります。SNSだけの人とか。別に仲が悪いとかではなくてそういう距離感の人なんですよね。距離感を無視してくる人は隕石だと思うふかわ:でもたまにその距離感を急に飛び越えてくる人もいますよね。——います!!ふかわ:僕は隕石と呼んでいます。「隕石が来たぞ!」って(笑)。でもその隕石はしょうがいないんですよね。こっちは気にしている軌道があるからその軌道に沿って距離感だ銀河系だとか言っているけれど、隕石はそういうのないから。ただ落下するだけなので。みんなに「軌道を守って!」「距離感を守って!」と求めるのはダメなんですよね。距離感を気にする人もいればまったく気にしない人もいる。たまたま僕は気にするタイプだったというだけです。——そういう意味で敬語ってすばらしいなと思います。距離感がきちんと守れるから、距離を詰めたくない人にはひたすら敬語で接すればいい感じで距離感を保てますよね。ふかわ:僕もそう思います。特に呼び方は距離を表しますしね。僕は、距離感とかそういうのを大切に丁寧にしている人のほうが個人的には好きなのですが、意外と結婚相手は隕石のほうがいいのかなと思うこともあります。パートナーとして全部ひっくり返してくるのもアリなのかなと思います。ただ、繰り返しになりますが「その人を理解しよう」とか「この人との関係を良くしよう」と思うのは本当にもう苦しみの始まりというのは確か。理解できないことを理解し合ったほうがいいんじゃないかなと思います。【前編】ふかわりょう「人生は音楽。一人一人の音色を大事にして」(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2020年12月07日「三軒茶屋」を「三茶」と略す資格がない、「ポスト出川」から舵(かじ)を切った瞬間、人付き合いについての考察――。お笑いタレントや司会者として活躍するふかわりょうさんによるエッセイ『世の中と足並みがそろわない』(新潮社)が11月17日に発売されました。どこにもなじめない、何にも染まれないふかわさんのいびつな日常を書き下ろした同書について、今年で芸歴26年目を迎えるふかわさんにお話を伺いました。前後編。ポタージュのような日常で味わうスープ——新潮社から「エッセイを書きませんか?」と声を掛けられたのが今年1月だったそうですね。ふかわりょうさん(以下、ふかわ):そうですね、 実際に書き出したのは2月です。今回、エッセイを書くにあたり自分で決めたテーマとして「自分をさらけ出す」というのがありました。書き始めたら、書く内容やネタに困るということは特になくスルスルと書き進められました。——「自分をさらけ出す」をテーマにしたのはなぜですか?ふかわ:「文学とはそうある(自分をさらけ出す)べきだ」という思いが自分の中にあったんです。それで「さらけ出す」ってどうすればできるんだろう?と考えて……。タレントとしてもあまりそういうことが得意ではない気はしていたのですが、担当さんが全部開放して大丈夫なんだよという気持ちにさせてくれたので文章でさらけ出せた気がするし、書き進めていくうちに「こうすればさらけ出せるんだな」と分かってきました。それぞれさらけ出す部位は違うのですが。——一冊の本になっていかがですか?ふかわ:こうして取材やインタビューを受けて改めて感じたことなのですが、自分が日常の中で感じた違和感、何らかの気持ちの揺らぎで生じた感情がSNSなどですぐに外に吐き出されるのではなく、心の中に沈殿していって固まりつつあった――。そんな“固形物”をちょっとスプーンですくってお湯で溶かして差し出したのがこの本のような気がしました。——スープなんですね。ふかわ:そう、スープです。優しいスープ。特にゴージャスでも特別でもないただただ日常で味わうスープ。ポタージュのような。ちょうど今思っただけなんですが、そういうことですね(笑)。達観しているのではなく沈殿しているだけ——本ではふかわさんの「世の中と足並みがそろわないこと」についてのエピソードがつづられていますが、ふかわさんは達観されているのだなあと思いました。ふかわ:僕は、達観どころかただただ沈殿しているので。ただ、世の中と足並みがそろわないことを悲観も楽観もしていません。この隔たりのような、川のような小川のようなものをただただ眺めるに過ぎない。それを喜ぶでもなく、悲しむでもなく、「ここに川が流れていますね」と言っているだけなので。その川のせせらぎに耳を傾ける日々なんです。川のせせらぎ、隔たりを小川と感じ、耳を澄ませる気持ちでいいと思うんですよね。一人一人が音を奏でる楽器——新潮社の方から「『生きづらくてもいいじゃない』というのがこの本のテーマのひとつです」と伺ったのですが、「生きづらさ」についてはどう思われますか?ふかわ:もちろん「生きづらくてもいいじゃない」という部分もあると思うのですが、僕は人生というものは音楽だと思っています。一人一人がそれぞれ音を奏でる楽器で、いろいろな楽器があっていい。一人一人がいろいろな音色を奏でるのだけれど、やっぱり誰かが演奏することによって音色が響くので、人との関わり合いだと思うんですよね。この人といるときはこういう音色、あの人といるときはああいう音色というように……。音色の違いがあるに過ぎなくて、そこに均一的なものを求めたり、何かに当てはめようとしたりするから「生きづらさ」を感じると思うんです。どこにも当てはめる必要はないし、何かに当てはまらないからと言って、それは決して孤独を意味するものでもない。そういう意味では、自分の音色を大事にするというか受け入れることが大事なのかなと思います。だから僕は「この本を読めば、みんな心が軽くなりますよ」と言うために作ったものでもないですし、「世の中にはこういう人間もいるよ」というだけです。よく日曜の昼間にやっているドキュメンタリーとかあるじゃないですか。それを見て、何か救われる人もいると思うんです。そこに出演している人は別に世の中の人を救おうなんて思っていないですよね。それに近いものだと思います。だからこの本も、決して処方箋でもお薬でもなんでもなく、ある中年のドキュメンタリーです。しょうもないドキュメンタリーです。(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2020年12月03日ドラマ『これは経費で落ちません!』の奥手な経理女子や『私の家政夫ナギサさん』の仕事は完璧だけれど家事は苦手なアラサー女性など、等身大の女性を演じて同世代のみならず幅広い世代から支持を得ている女優の多部未華子(たべ・みかこ)さん(31)。10月23日公開の映画『空に住む』(青山真治監督)では、両親の急死という出来事を受け止めきれないまま、叔父夫婦が所有するタワーマンションの高層階に住むことになった直実を演じています。長年の相棒・黒猫のハルと暮らし、出版社で気心の知れた仲間と働きながらも喪失感を抱え日々葛藤する彼女の前に現れたのは同じマンションに住むスター俳優・時戸森則(岩田剛典さん)だった——。こちらの問いかけに、時には「うーん……」と考えながら、時間をかけて誠実に答えてくれた多部さん。映画について、仕事の向き合い方について伺いました。理解できない部分もあるのが人間関係——脚本を読んだときの感想をお聞かせください。多部未華子さん(以下、多部):脚本を読んだときは……すごく難しいなと思いました。ストーリーというよりも、会話の中の哲学っぽいセリフ部分がすぐに表現できるとは思えなかったので、感覚で演じていたような気がします。青山監督は「直実はこういう女性でね」と役柄について事細かに伝えてくる方ではなく、いい距離感を保ちながら接してくださったので、とてもやりやすかったです。——多部さんは直実はどんな女性だと思いますか?多部:台本を読んでいただけのときは、直実につかみどころがなくてあまり理解ができなかったのですが、出来上がった作品を見たら人間らしいところもあって、理解できないこともないなと思いました。それは直実に限らずほかの登場人物についてもそうですね。——実際に演じてみていかがでしたか?多部:「悲しい」とか「うれしい」のような単純な言葉じゃないセリフの羅列は楽しかったですね。曖昧な表現であとから考えさせられたり、哲学的な表現で「きっとこういうことを言いたいんだろうな」というようなふわっとした表現が多かったのですが、演じていてそれが楽しかったです。人間関係も「ここは理解ができても、ここは理解できないな」ということは友達でもありますよね。例えば、映画では直実の部屋に(美村里江さん演じる)叔母の明日子さんが勝手に入ってきます。直実の目線で見ると考えられないんだけれど、一歩引いた目線で見ると「こういう人いるよな」って思えたり。明日子さんには明日子さんなりの苦しみや、答えがない悩みがあるんだろうなって理解できる部分がありました。一方で、理解できないからと言って友人関係をやめるということはないですし、(人間関係というのは)そういうものなんだと思います。——直実は両親を亡くしたけれど泣けないという女性です。「なぜ泣けないのか?」については映画を見た人がそれぞれいろいろ感じたり、思ったりするところがあるのかなと思うのですが、多部さん自身は直実が泣けないことについてどのように理解していましたか?多部:直実の“泣けない問題”に関しては「泣く人もいれば泣けない人もいるのかな」という感じでした。「なんで泣けないの?!」「両親が亡くなったのにどうして?」とは思わなかったです。それを言ったら、この映画には他にも「なんで?」がたくさんあって、例えば(岩田剛典さん演じる)時戸さんと直実の関係もそうですよね。非現実的ですが、直実はなぜ時戸さんを受け入れようとしたんだろう?と。「なんで?」がたくさんありました。でも「理解できない」と思っていたわけではなく、「こういう感覚になるときもあるんだろうな」と思いながら演じていました。「特別だと思わない」仕事への向き合い方——多部さんが直近で出演なさったドラマ『私の家政夫ナギサさん』も大好評のうちに最終回を迎えました。ドラマでは等身大の働く女性を演じることも多いと思いますが、多部さん自身の仕事へのスタンスというか向き合い方について聞きたいです。多部:向き合い方……あまり深く考えないようにしています(笑)。——というのは?多部:なんでだろう?……誤解を生む表現かもしれないですが、何事も“特別”だと思わないようにしています。「この仕事は特別!」と思うと肩肘を張ってしまいそうなので「私はこの作品に賭ける!」などとはあまり思わないようにしています。もちろん一つ一つの仕事は大事ですし、その仕事に携わっているときのベストを尽くすのですが、「これがあるから人生が変わる!」とは思わないようにしています。それが「深く考えない」につながっている気がします。——それは昔からですか?多部:そうですね、昔から変わらないです。——多部さんの過去のインタビューを拝見すると「30歳を迎えて」のような記事をいくつか見かけました。質問するほうは「30歳は区切りだから」「同世代の女性に向けて」という意図で質問すると思うのですが、多部さん自身は年齢は気になりますか?多部:30歳になったときはさすがにいろいろ思いましたね(笑)。20代の頃は「30代になると楽だよ」とよく言われていて、確かになってみたら本当にその通りだなと思いました。周りの友達も、結婚している子なら「30歳までに出産したい」、独身の子なら「30歳までに結婚したい」と言っていましたが私自身はそこまで思っていなかったですね。プライベートでしたいことは特になくて、むしろ仕事で「こうしたいな」とか「これに挑戦したい」と思っていました。——どんなことに挑戦したいと思っていたのですか?多部:仕事ではある役者さんと一緒に仕事をしてみたいと思っていて運良く実現しました。他に挑戦したいこととして、ミュージカルをやりたいと思っていたのですが、ちょうどお話をいただいて「これは20代最後の挑戦になるかもしれない」と思いお引き受けしました。「やりたいことをやる」は変わらない——30代でやりたいことや挑戦したいことはありますか?多部:それが……「20代最後」と意気込み過ぎて目標のないまま30代を迎えてしまったんです(笑)。特にこれという目標が今はないのですが、「やりたいことをやる」というのは昔から変わらないので、継続してやりたいと思えたことをやっていきたいですね。——やりたいことをやるのが一番ですよね。多部:選択は自分がするものだと思うので、自分が後悔しない選択を考えたら、やっぱりやりたいことをやるのが大事だと思います。自分が不得意なことは得意な人にお願いする——『私の家政夫ナギサさん』では周りの期待に応えようとするあまり、頑張りすぎてしまうメイを演じられていました。メイのように頑張りすぎてしまう人って少なくないと思うのですが、多部さんからアドバイスをいただきたいです。多部:そうですね……でも頑張りすぎちゃうのはいいことだと思います。私は頑張らないですから。他力本願で生きているので(笑)。——どういう意味ですか?多部:自分がやりたいことをやるけれど、それをやっていく中で他の人が手助けしてくださる部分は、素直に「お願いします」と頼りますね。自分が得意なことは自分でやればいいけれど、逆に自分が不得意なことを得意とする人がいれば、その人の力を借りればいいのかなと思います。だから頑張りすぎる人って偉いなと思うし、悪いことではないと思います。——最後にお聞きしたいのですが、多部さんの「仕事ルール」ってありますか?例えば「嫌なことがあった日はさっさと寝る」とか。多部:仕事ルール……そうですね、ドラマの撮影となると長丁場なので、セットがあるときはそこを自分の部屋のようにしてくつろぎます。「私は仕事場に来ています!」という感覚にならないようにするというか……。かと言って具体的に何をしているかと言ったら、自分のマグカップを持っていくくらいなんですけれど(笑)。好きな飲み物を持っていって、いつでも飲めるようにしています。映画『空に住む』メインビジュアル■映画情報『空に住む』2020年10月23日(金)全国ロードショー【クレジット】 (C)2020 HIGH BROW CINEMA【配給】アスミック・エース(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2020年10月17日売れない女優マチ子の眼差しを通して、“女”であること、“女優”であることは何か?を問いかける4人の監督による連作長編『蒲田前奏曲』が公開中です。そのうちの一作、安川有果監督が手がけた「行き止まりの人々」に出演した瀧内公美(たきうち・くみ)さん。とある作品のオーディションでセクハラの実体験を話す女優・黒川を演じています。瀧内さんと言えば、ドラマ『凪のお暇』で主人公を追い詰める“イヤな同僚”を演じたと思ったら、『恋はつづくよどこまでも』では主人公の頼れる先輩を演じ、作品によって見せる表情がガラリ。直近では、2019年に公開された映画『火口のふたり』での演技が評価され、第93回キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞を受賞するなどその演技が高く評価されています。「女を演じるなんて、くだらない」というコピーが印象的な本作。瀧内さんに映画や女優という職業についてお話を伺いました。演じたのはセクハラ体験を告白する女優——「行き止まりの人々」で瀧内さんが演じた黒川はオーディションで自身のセクハラ体験について赤裸々に告白します。黒川を演じるにあたり意識したことはありますか?瀧内公美さん(以下、瀧内):正直、セクハラや#MeTooについて積極的に自分が興味を持っていたわけではないので、そんな人間がこの題材に関わっていいのかと思い、悩みました。「私にできるのだろうか?」と不安だったのですが、マチ子を演じたプロデューサーの松林うららさんが「この映画で描かれたことの中に実体験がある」と明かしてくださり、この映画が「女性の置かれている立場や生きづらい部分を女性目線と男性目線を交え、1人の女性が環境によって多面的な姿が見えてくるのがテーマ」というお話を伺って、監督と作品を信じてやってみようと思いました。『蒲田前奏曲』の1シーン「ないものはない」と思ったら楽になった——「女を演じるなんて、くだらない」というのがこの映画のコピーです。女性は身体を持っている存在であり見られる存在と考えたときに、女優という職業は女を演じる、見られる究極の職業だと思うのですが、瀧内さんはどうお考えですか?瀧内:確かに、舞台あいさつで人様の前に立ったり、カメラの前に立ったりするときに「見られる」ことを意識しますが、「自分自身を演じているか?」については正直分からないですね。ただ、この質問の答えになるかどうかは分からないのですが、私自身「ないものはない」と思っています。——ないものはない?瀧内:演技でも何でも自分の中にあるものしか出せないので、逆にどんな私演じている姿も自分なんだろうなと思います。人間は多面的なものだし、関わったすべての皆さんからいろいろな自分を引き出してもらっている。質問とズレるかもしれないですが、私にとって女優は「あ、こんな自分がいるんだ」「私にはこんな感情があるんだ」と気付かされる職業でもあるのかなと。——そんなふうに考えるようになったのは何かきっかけがあったのでしょうか?瀧内:ある作品をやっていたときにあるスタッフの方が助手の方にその話をしていたんです。「嘘をつくな。ないものはないんだから」と話しているのを近くで聞いていて「あ!」と思いました。生き方にも通じるなと。それ以来、そんなふうに考えるようになったら、生きるのが楽になりました。一人でやっている意識はない——女優は評価される職業でもあると思います。瀧内さんはこれまでの出演作でも数々の映画賞を受賞されていますが、評価されることに怖い気持ちや恐れなどの感情はありますか?瀧内:評価されることが怖いという気持ちはないですね。単純にうれしいです。そもそも自分が何かをしたと思っていないからかもしれません。『火口のふたり』ではキネマ旬報ベスト・テン主演女優賞いただきましたが、あの作品は秋田の地元の皆さんと協力して作った映画で、スタッフにも支えられました。賞をいただいたことで皆さんへの恩返しになると思ったし、受賞を機にたくさんの人に見ていただけるかもしれないと思ったら、うれしかったですね。ちょうどDVDの発売時期とも重なりましたし(笑)。——期待されることにプレッシャーを感じたりすることは?瀧内:期待も感じたことがないんです。作品が目の前にあるのは単純にうれしいですし、一緒にお仕事した人からまた呼んでいただいたときは、より一層気合いが入るタイプですね。やっぱり、映像作品はキャストの皆さんやスタッフの皆さんと作るので一人じゃないんですよね。カメラの演出、照明の演出、役音の演出、空間の演出などすべてに演出が入っているものなので、「みんながいれば大丈夫でしょう」という安心感があります。(プレッシャーを感じないのは)自分一人でやっているとは思ってないからでしょうね。■映画情報『蒲田前奏曲』【クレジット】 (C)2020 Kamata Prelude Film Partners【配給】和エンタテインメント、MOTION GALLRY STUDIO(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘、メイクアップアーティスト:藤原玲子ヘアスタイリスト:YAMA、衣装協力:Ray BEAMS)
2020年10月04日作家の山内マリコさんが25歳の女の子に向けて書いたエッセイ『The Young Women’s Handbook〜女の子、どう生きる?〜』(光文社)が6月に発売されました。同書は2018〜2019年にかけて女性ファッション誌『JJ』(同)で連載された文章をまとめたもので、その月の巻頭特集のコピーをテーマに山内さんが綴(つづ)っています。「女っぽいを目指さなくていい」「年相応であるかより自分らしいかどうかが大事」など、同誌を読んでいる女の子たちにメッセージを送っています。最近はフェミニズムに関する情報を発信するなど精力的に活動している山内さんにお話を伺いました。前後編。※インタビューはオンラインにて実施。作家の山内マリコさん地元にいながら“変な人”になれるタフさはなかった——デビュー作『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎)をはじめとして、山内さんの小説のテーマに「地方」があると思うのですが、山内さんにとって「地方」や「地元」はどんな存在なのでしょうか?山内マリコさん(以下、山内):前回、「こうしなきゃ」の呪いから自由になるには、“変な人”になることとお話ししましたが、私の場合、地元じゃそうはいかなかった気がします。保守的な土地柄だし、人の目も気になるし、精神的な窮屈さを感じてしまう。大好きだけど一緒にいると自分がダメになってしまう男、みたいな感じですね(笑)。でも、そういう故郷があるからこそ、東京でのびのびやれているんだなぁとも思います。東京は、地元でちょっとはみだした人が全国から集まってくるから、いろんな種類の人がいて風通しがよくて、マイノリティにとっては圧倒的に居心地のいい場所。女性って人数でいうと半数なんだけど、社会的にはマイノリティだから、ちょっとでも自由を欲する人は東京に引き寄せられる。地元では自分を曲げないといけなかった人も、堂々とありのままでいられる。私も、東京がくれる自由な空気に後押しされている部分はすごくあります。地元で己を貫くって、ある意味いちばんタフなことかも。フェミマガジンで田嶋陽子を特集した理由——最近はフェミマガジン『エトセトラ』(etc.books)で作家の柚木麻子さんとの責任編集で女性学研究者の田嶋陽子さんを特集されるなど、フェミニズムに関する情報を積極的に発信されていますが、きっかけがあったのでしょうか?山内:フェミニズムに目覚めたのは20代後半のころ。ヤバい結婚しなきゃ!という内圧と闘ううちに、結婚が女性差別の温床なのに気づいて、一気に覚醒していきました。なので作家デビューした31歳の時点で、自分はフェミニストだという自覚はすごくありました。『アズミ・ハルコは行方不明』という小説もそういう意図で書いているし、『あのこは貴族』は対照的な立場の女性2人の間にもシスターフッドは芽生えるかをテーマにしています。なので、フェミニズムについて書くことは自然なことでした。2010年代に少しずつフェミニズムが盛り上がってきて、#MeToo運動が起きた2008年からは、爆発的に風向きが変わりましたね。私が2008年に出した『選んだ孤独はよい孤独』は、あえて男性視点で書いた短編集。その担当さんがetc.booksを立ち上げられ、責任編集スタイルの雑誌を刊行するにあたり声をかけてくださった。尊敬する編集者さんだったこともあり、二つ返事でOKしました。——『エトセトラ』で田嶋さんを特集しようと思ったのは?山内:フェミニストといえば田嶋陽子さんというくらいの有名人。90年代にテレビ番組を通して田嶋先生のメッセージを受け取り励まされた女性はたくさんいました。ですが、その当時まだ10代だったわたしは、田嶋先生の言葉をまったく理解できていなかったんですね。むしろ「おじさんとケンカしてる人」「怒っている女性」というネガティブなイメージを植え付けられていて、しかもそのイメージはこの20年、放置されたままになっていました。ところがフェミニズムに開眼してから田嶋先生の『愛という名の支配』を読み、こんなに素晴らしい方だったのかと驚いたんです。女であることで苦しんでいる女性を楽にしようと、わかりやすい言葉で書かれている。優しい人柄を感じる、熱いけど温かいフェミニズムの本です。この本をもっと推したいという気持ちと、田嶋先生を誤解してきたことへの反省も込めて、「We Love 田嶋陽子!」と銘打ちました。フェミが当たり前の空気を作っていきたい——今後書いていきたいテーマなどはありますか?山内:これまでもフェミニズム要素を物語に取り入れてきたのですが、ごくごく一部の、わかってくれる読者までしか届いていないのが見えてきて、もうちょっと飛距離のある作品を書きたいなと思いはじめています。フェミニズムでありながら、まったく新しい物語を生み出したいですね。「あ、こういうのがあったんだ」と驚きをもって読んでもらえるような。——「空気」も大事なのかなと思います。日本社会で「空気」と言うと、「空気を読む」とか「同調圧力」とかマイナスの意味で使われることが多いですが、これだけ空気に敏感な社会であればプラスに持っていくこともできると思います。例えばいじめをしている人がいたとして「まだいじめなんてダサいことしているの?」のような感じで、フェミニズムに関しても「まだそんな考え方してるなんてダサいよね」とフェミが前提の空気を作るような……。山内:それは同感ですね。空気を醸成するのに、物語はすごく影響する。フェミニズムを当たり前にした作品がたくさんあれば、それがやがて空気になる。そんな作品を一つでも増やしていければ。そうやって女性が息をしやすい空気の濃度を、少しずつ上げていければいいなと思います。(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘、モデル:久保田メイ)
2020年06月27日作家の山内マリコさんが25歳の女の子に向けて書いたエッセイ『The Young Women’s Handbook〜女の子、どう生きる?〜』(光文社)が5月27日に発売されました。同書は2018〜2019年にかけて女性ファッション誌『JJ』(同)で連載された文章をまとめたもので、その月の巻頭特集のコピーをテーマに山内さんが綴(つづ)っています。JJ編集部によると山内さんに連載を依頼したのは「上から目線ではなく、シスターフッドの考え方を持った女性だから」と言います。「イケイケなコピーが躍っている赤文字系の雑誌で『無理をしなくていいんだよ』と伝えたかった」と話す山内さんにお話を伺いました。前後編。※インタビューはオンラインにて実施。作家の山内マリコさん『JJ』読者に伝えたかったこと——『JJ』と言えば、男の子の視線を意識したコンサバファッションが中心のいわゆる「赤文字系雑誌」です。そんな雑誌で、例えば「インフルエンサーになれなくても」(Chapter.7)で書かれていた「大事なのは、他人が自分をどう思っているかじゃなくて、自分が自分をどう思っているか。」というメッセージは目を引きました。連載の経緯を教えてください。山内マリコさん(以下、山内):JJ編集部の方と親しくしていて、「JJを読んでいる女の子に山内さんからメッセージを送ってほしい」と言われたのがきっかけです。私も彼女も10代のとき『mc Sister』*の読者だったこともあって、すぐに方向性が決まりました。『JJ』で『mc Sister』的なメッセージを発信するのが裏テーマでした。昔から雑誌は好きなのですが、本屋さんで女性誌がばーっと並んでいるのを見ると「うっ」となることもあって。「こうしろ」「ああしろ」「かわいくなれ」「きれいになれ」と言われている気がして、どこか疲れも感じていたんです。それでも欲しい情報があるし、ときめきを求めて雑誌を買うんだけれど、同時に強い刺激も受けて、毒と薬を一緒に飲んでいる気がすることも多かった。そんなことを思い出しながら、『JJ』という、イケイケなコピーが躍って、キラキラな女の子が読んでいる雑誌で、かつての『mc Sister』魂を炸裂させたというか。大事なのは自分だし、誰にも自分を明け渡す必要なんてないし、無理もしなくていいんだよと、伝えられればいいなあと思いました。*『mc Sister』:1966年に婦人画報社(現・ハースト婦人画報社)から創刊され、2002年に休刊した女性誌。——連載が1冊の本になってみていかがでしょうか?山内:エッセイはJJの読者ターゲットの25歳の独身女性に向けて書いてほしいということだったんですが、改めて読み返してみると、もうすぐ40歳になる私にも響いて驚きました(笑)。年下の女の子に向けて書いているからといって、自分にはもう必要のない言葉というわけではなく、自分で書いた文章に、なんだか励まされる部分もありました。「若い」ってそれだけで弱い存在——読者に向けてのメッセージということで、執筆する際に気をつけた部分はありますか?山内:「こうしろ」「ああしろ」とか、お説教みたいなことは絶対言いたくないなと(笑)。あんまり強い言葉は、人を疲れさせる。読むお守りというか、サプリというか、心が弱ってるときに逃げ込める場所になればと思いました。読者が若いからって、上からものを言わないように、なんなら下から書いてます。——上からじゃなくて下から?!山内:やっぱり「若い」というだけで、いろんなことを言われるんですよね。若いってそれだけで弱い存在だったんだなと、今なら分かります。世間からはひよっこ扱いなんだけど、25歳にもなれば人間としてほぼほぼ出来上がってくる。10代の頃はどんな言葉にも耳を傾けられたけど、そういう素直さは薄れてくる年齢でもありますよね。自分が25歳の頃の感覚を思い出しながら、できるだけすっと届くよう、言葉は選びましたね。——私も山内さんと同じくらいの世代なのですが、20代の頃にいろいろ言われて嫌だったことを思い出しました。昭和世代からいろいろ言われた世代というか、私のために言ってくれているのかもしれないけれど、それだけでは割り切れないことも多かったというか……。山内:私たちの世代ってもしかしたら、説教に慣れ過ぎちゃっているのかもしれないですね。しかもその説教を「うるさいなぁ」とか「古いなぁ」と思っていたのに、内面化してしまってもいる。今は、それを現代の価値観にアップデートさせていっている最中ですよね。下の世代には老害的な意見の押し付けはしたくない。私たちの世代でせき止めて、ろ過して、いいものだけをパスしていかないとと思います。——反響が大きかったテーマは?山内:「Chapter.5」の「どうしてあんなに疲れていたのか?」という回は、私のツイッターにリプライが来たり、担当の編集者さんから、編集部まで電話をかけてきてくれた読者がいたと聞きました。20代は若くて元気いっぱいみたいな言われ方をするけど、私自身は仕事が忙しくなった30代より、暇で自分を持て余していた20代の頃のほうが圧倒的に疲弊してました。世間との摩擦に弱いというか、心身ともにまだ柔らかすぎて、ちょっとのことでへとへとになってた。そういう実体験を書いたところ反響をもらって、すごくうれしかったです。もっと彼女たちの励みになったり、張り詰めた気持ちを楽にしてあげられるようなメッセージを届けなければと気合いが入りました。「こうしなきゃ」よりも「こうしたい」——雑誌やメディア、世間が発信する「こうしろ」「ああしろ」というメッセージをウートピ編集部では「呪い」と呼んでいるのですが、呪いを解く方法があるとしたらどんなことだと思いますか?山内:私は、積極的に“変な人”になるのをおすすめしています(笑)。女性は従順におとなしく、みたいな美徳を押し付けられてきたので、自分から“女らしく”雑用や苦労を買って出てしまう。これを田嶋陽子さんが「内なる奴隷根性」と呼んでいて、「まさに!」と思いました。無理して我慢していると、のびのび自由に楽しくやっている人を妬(ねた)ましく思ってしまう。でも、ネガティブな感情は結局は自分を苦しめることになる。「こうしなきゃ」よりも「こうしたい」のほうが楽しいし、「こうしたい」を選んでいけばおのずと自由になる。自由な人っておおむね変わっていますよね(笑)。私自身も、内なる奴隷根性をやっつけるべく闘っている最中ですが、お仕着せの女性観から自分を解放するには、「あの人は変わってるから……」と呆(あき)れられてるくらいでちょうどいいんじゃないかな。(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘、モデル:久保田メイ)
2020年06月25日「月曜日はみんないつもより性格が悪い」「更衣室のハロゲンヒーターの故障は、私たちにとって命に関わる問題」「更衣室ではよくコンセントをめぐって揉め事が起こる」バカリズムさんが銀行に勤める「私」を演じ、銀行で働くOLたちの日常を描いた映画『架空OL日記』(住田崇監督)が2月28日に公開されます。『架空OL日記』は、バカリズムさんが2006年から約3年間、銀行に勤めるOLになりきり日々のあれこれをこっそりつづっていたブログを書籍化。2017年には連続ドラマとして放送され、淡々としたストーリーの中に仕掛けられたシュールな笑いと毒が多くの人の心を捉え、人気を博しました。原作・脚本・主演を務めたバカリズムさんと、バカリズムさん演じる「私」の後輩・サエちゃんを演じた佐藤玲(さとう・りょう)さんに話を伺いました。【前編】なんで私たちのことが分かるの?『架空OL日記』のリアルさの秘密『架空OL日記』メインビジュアル更衣室の撮影で「帰ってきた」と思った——映画はドラマ版の2年後という設定でした。久しぶりの現場はいかがでしたか?バカリズムさん(以下、バカリズム):撮影も3年ぶりだったのですが、最初の何時間かは夏休み明けに会ったクラスメートに会うような感じで照れのようなものがありました。でも、いざ撮影が始まったら勘が戻ったというか、いろいろ思い出していつもの感覚に戻っていました。更衣室の撮影が始まった時に「帰ってきたな」と懐かしい気持ちになりました。佐藤玲さん(以下、佐藤さん):監督の「用意スタート」の声が掛かったらあの時のままで、本当に2年後のような感じでしたね。バカリズム:もしかしたら服装がスイッチなのかなと思いました。僕が男性の格好をしているとみんなそわそわした感じなのですが、銀行の制服に着替えるといつも通りの空気になる。それがラインなのかもしれないですね。台本はカッチリ“特別なレシピ”で作られている『架空OL日記』——職場の最寄駅から職場までの「私」とマキちゃん(夏帆さん)の会話や更衣室の会話など、OL同士のなんてことない会話がこの作品の魅力の一つですが、台本ってあるんですか?バカリズム:台本はかっちりあります。みんな台本を守りながらも、それを台本と思わせないように空気をつくりながら演じています。台本は終わっているんだけど、監督がカットをかけなくてそのままの流れでアドリブでしゃべった内容が使われていたこともありますが、基本的には台本がしっかりあってみんなで演技しています。——なんとなく、台本がないと思っていました。バカリズム:そう見えるのが理想です。佐藤:一度、「台本なくていけます?」と言われたことがあったんですが、台本ないのは無理だと思いました(笑)。ただ、ほかのお芝居と違うなと思うのは、作っているはずなのにセリフをしゃべってはいるんだけれど、待っている間とカメラが回っている間の違いがないんですよね。セリフもすごく多い作品なのですが、口なじみがよくてどんどん覚えやすくなっていく。それは多分、台本もそうだし登場人物のキャラがしっかりしているからだと思います。バカリズム:撮り方も含めて、このチームでないと『架空OL日記』は無理だと思います。監督の住田さんとは(2017年に日本テレビで放送されたドラマ)『住住』から「どうすれば台本がないような感じで映るんだろう」と話し合いながら作ってきてその進化系が『架空OL日記』なので、この作品を見て手法を真似(まね)してもうまくいかないと思うし、失敗すればいいと思います(笑)。佐藤:二番煎じは……。バカリズム:そうね、二番煎じは失敗しちゃうパターンだと思う。“特別なレシピ”というかいろんなバランスがある。監督は住田さんじゃないといけないし、書くのは僕じゃないといけないし……。佐藤:「できそう」って思われるのはうれしいですね。「できそう」って思わせておいてめちゃくちゃハードルが高い……みたいな。一番リアルなのは、サエちゃんをめぐる人間関係?——佐藤さん演じる「サエちゃん」は妹キャラでやや天然。一歩間違えると周囲をイラッとさせる女子だと思うのですが、そうは感じさせない、ギリギリのところで許されている感じがあります。演じるのが難しいキャラだと思うのですが、佐藤さんは演じていていかがでしょうか?佐藤:私自身、サエちゃんのような役は初めてで、私とは真逆のところにいる子です。だからこそ分かる部分もあって「ここはイラッとするな」とか「ここは許容範囲だな」とか……。なので、その匙(さじ)加減というかバランスはビクビクしながらやっている部分はありますね。イラっとするけど、一応許せるし、かわいいとも思えて後ろからくっついてきても嫌じゃないという感覚は大変ですね。バカリズム:実は、サエちゃんと周りの女性陣の関係性がこのドラマのすごくリアルなところだと思います。——というのは?バカリズム:酒木さん(山田真歩さん)と小峰様(臼田あさ美さん)はサエちゃんとだいぶ年も離れているので「かわいい」で処理できているんですよね。でも、ちょっと上のマキちゃんと「私」は二人よりも許していない部分がある気がします(笑)。やっぱり二人にとってはサエちゃんは直の後輩だから「先輩たちはかわいいって許してるかもしれないけど、うちらは認めないからな」みたいな、学校の部活の3年2年1年の関係性がすごくきれいにできている。先輩二人がいないときの僕ら二人はサエちゃんに対してちょっと当たりが強いところがある。そこがすごくリアルだなって。でも、これは台本ではなくて、自然にそうなったんです。臼田さんと山田さんの演技も自然にそうなった。多分、ここで上の先輩たちが厳しいと殺伐としちゃうんですよね。上の二人が優しくて、その間にいる次女の私とマキちゃんは末っ子に厳しい感じ。人間関係が、それぞれの組み合わせによって空気が変わるのは一番リアルだなと思うし、僕自身も上の先輩には甘えるけれど、一個上の先輩には甘えないでおくというのは経験があったので、自然にその関係性ができた。にじみ出た空気感だと思います。■映画情報『架空OL日記』公開表記:2月28日(金)全国ロードショー配給:ポニーキャニオン/読売テレビ(C)2020『架空OL日記』製作委員会(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2020年02月29日「月曜日はみんないつもより性格が悪い」「更衣室のハロゲンヒーターの故障は、私たちにとって命に関わる問題」「更衣室ではよくコンセントをめぐって揉め事が起こる」バカリズムさんが銀行に勤める「私」を演じ、銀行で働くOLたちの日常を描いた映画『架空OL日記』(住田崇監督)が2月28日(金)に公開されました。『架空OL日記』は、バカリズムさんが2006年から約3年間、銀行に勤めるOLになりきり日々のあれこれをこっそりつづっていたブログを書籍化。2017年には連続ドラマとして放送され、淡々としたストーリーの中に仕掛けられたシュールな笑いと毒が多くの人の心を捉え、人気を博しました。原作・脚本・主演を務めたバカリズムさんに話を伺いました。バカリズムさんネタ元は「何も起こらない」日常——『架空OL日記』は「女子ってこうでしょ?」という決めつけのないリアルさが魅力です。何度も同じ質問をされていると思うのですが、なぜこんなにリアルな脚本を書けるのでしょうか?バカリズム:僕は、仕事以外の時間は作業場にこもって作業をしているんです。ほかの芸人さんのようにいろんな人とご飯に行ったりすることもなく、レギュラー番組が終わった後は朝まで脚本を書く生活が何年も続いている。そうなると、基本的にエピソードとなる出来事が起こらない。自分の中の出来事のスケールがどんどん小さくなってくる。家の中とか、コンビニに行く途中の出来事とか、普通の人ならスルーすることに気付くしかなくなってくるんです。誰かに何かを話そう、何かを生もうと思ったら、何もないから仕方なくスケールが小さなことに目を向けている感覚ですかね。「しいて挙げるなら」の連続というか……。リアルなのは僕の日常に何も起こらないからかもしれません。——マーケティングもしていない?バカリズム:特にしてないですね。20代の銀行員の友人に話を聞いて、銀行のルールや習慣を教えてもらったり、リサーチはしましたが、今の女性に関する細かいリサーチはしていないです。——映画版もドラマ版と同じく、特に大きな事件は起こらない展開でした。今回、映画化するにあたり意識したことはありますか?バカリズム:『架空OL日記』は、事件は起こらないほうが面白いし、どうやって今まで通りにするかを意識しました。この脚本を書くこと自体も久しぶりだったので、台本上での温度感も気を付けました。ほかの作品の脚本もいろいろ書いているので、最近の手癖が出ないように意識して書きました。「女性っぽい」しぐさやセリフはNG——脚本を書くだけではなく、自ら主演も務めていらっしゃいます。「私」を演じる上で意識していることは?バカリズム:ドラマも映画も、女性っぽくならないように意識していましたね。「女性っぽく」は一番のNGワードというか……。間違った解釈をされるので、この作品の世界観を守るには女性っぽくしないことを意識しました。周りの演者の方にもなじんでもらうには僕がいわゆる「バカリズム」に近い感じでいることだと思ったので、女性っぽいしぐさはゼロにしようと努めました。悪口が楽しいのは仕方がない?——「私」をはじめOLたちが上司の悪口を言って盛り上がるシーンや普段の会話のところどころ挟まれる“毒”もこの作品の魅力です。悪口と言うと世間では悪いことと捉えられていますが、「私」たちのそれは陰険な感じではなく、むしろスッキリする系ですよね。「悪口で盛り上がっている自分」を肯定された気がしました。“業の肯定”が作品の根底にある気がします。バカリズム:悪口を言っちゃうのは、健全なことだと思います。僕は、いつの時代も後輩や部下は上司の悪口を言うもんだと思っています。それをバレないようにするとか気付かれないようにするのがマナーですよね。これだけの人たちが集まったらそうなるし、仲がいいのも共通の敵がいるからで、いなかったらここまで仲良くはなっていないかもしれない。悪口も、自分たちで楽しむ範囲で言う分にはいいと思うし、やっぱり好きなものが合う相手よりも嫌いなものや許せないものが合う相手のほうが深く仲良くなれるのは、どこの世界でもそうだと思うし、そこが面白いんだと思います。——最後にファンに向けてメッセージをお願いします。バカリズム:ハラハラドキドキはないですが、見心地のいい映画になっています。ドラマ版から見てくださっている人たちはご期待通りの内容だと思います(笑)。本当に、一切期待を裏切らない、期待通りの内容なのでぜひ劇場で見てください。<後編は…>リアルなのはサエちゃんをめぐる人間関係【バカリズム×佐藤玲】■映画情報『架空OL日記』公開表記:2月28日(金)全国ロードショー配給:ポニーキャニオン/読売テレビ(C)2020『架空OL日記』製作委員会(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2020年02月28日ラブドール職人であることを妻に隠し続ける夫・哲雄(高橋一生さん)と秘密を抱えながらも夫を献身的に支える妻・園子(蒼井優さん)の美しくも儚(はかな)いラブストーリーです。美人で気立てもよく、周囲から”理想的な妻”と思われている園子を演じた蒼井さんにお話を聞きました。【前編】誰かと関係を築いていくために必要なことうまくいかないときは「自分っぽい!」と口に出してみる——蒼井さん演じる園子はまわりからは完璧な妻として見られています。まわりの女性を見ていても、つい「ああすべき」「こうすべき」に縛られてよき妻・よき母になろうとがんばりすぎてしまうことがあるなあと思いました。蒼井優さん(以下、蒼井):多分、自分をがんじがらめにするのって結局自分なんですよね。だから自分で自分に期待をかけ過ぎてないかというのを確認して、合格ラインをちょっと下げてあげるのが必要かなって。私も元々、自分に期待していた部分が大きかったし、自分のことを「できる人」だと思っていたところがあります。でもあるとき、「あれ?そうでもない」と気付いたんです。「そういえば、誰にできるって言われてたんだっけ?」って。「あ、自分だ」と思って、うまくいかないときに悲しくなるのは自分ができると思っていたからで、元々できないと思ったら、うまくいかなくても「自分らしい」と捉えるようになりました。それが30歳を超えて見つけた、自分が生きる上で楽になるコツです。だから、嫌なことが起きたときも「自分っぽいな」って言っちゃうんです。「私っぽい!」と口に出すと、諦めるわけではないけれど変に悲劇のヒロインにならなくて済む。これは本当に自分が生きていて見つけた逃げ道ですね。今日はかわしておきたい日ってあるじゃないですか?「今はちょっと、そういうのいらないです」みたいな。そういうときに口に出すと楽になる魔法の言葉だと思います。「誰を好きか」より「誰といるときの自分が好きか」の意味——蒼井さんが去年の6月に結婚された際、ヒャダインさんが「『誰を好きか』より『誰といるときの自分が好きか』が重要らしいよ」と友達が教えてくれて、その通りだなあと思ったので書いておきます」というつぶやきの“友達”は蒼井さんだったと明かしたことが話題になりました。どうしても、あの言葉の意味について蒼井さんに直接伺いたかったんです。蒼井:本で読んだんです。私もそれを読んだときに、「なるほど」と思ってヒザを打って。それって恋愛に限らず、友人関係でも言えることなんですよね。例えば、友達と会ったり、人と会ったりした帰り道に、私は「今日の自分は好きだったか?」と自問自答して判断しています。それでいつも良い友達に囲まれているなあと思いながら帰っています。——「今日の自分は好きだったな」と思うときはどんなときですか?蒼井:相手に合わせて会話をしているのに楽しかったなとか。2人でキャッキャと盛り上がったときとか。ストレッチもそうですが、前屈すると後ろが伸びている感覚のほうが強くて、限界に感じるけれど、限界にきたときにおなかの内側を縮める感覚にすると、もう一歩先に行けるんです。それと一緒で、人間関係に悩んだときも自分の主観という視点を真逆に持っていってあげるともう一歩先に進めたり、いま固執していることがどうでもいいことに感じたりするんじゃないかなと。——逆から見てみるんですね。蒼井:自分を好きかどうかは、素の自分を認めてあげられるかどうか。大人になると、自分が楽しめているかどうか、認めてあげられるかどうかの基準が子供の頃と比べてまったく変わってくる。大人になった今は、その感覚でいいんだろうなという気がしています。■映画情報『ロマンスドール』公開表記:1月24日(金) 全国ロードショー配給:KADOKAWA(C)2019 「ロマンスドール」製作委員会(構成:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2020年01月24日文筆家・マンガ家の能町みね子(のうまち・みねこ)さんによる最新エッセイ『結婚の奴』(平凡社)が12月20日に発売されました。“結婚のやつ”をめぐるモヤモヤとした気持ちを抱えながら、ゲイライターのサムソン高橋さんと暮らし始め、恋愛でも友情でもない2人の生活をつくるまでや、過去の恋愛や結婚への思いについて赤裸々に語った意欲作です。恋愛や交際など一般的に“結婚へのプロセス”とされているものをすっ飛ばして「お互いの生活の効率性」を追求するために「結婚」した能町さんに話を聞きました。前後編。カタカナ7文字の固有名詞に込められた仕掛け——章のタイトルが全部カタカナの7文字なんですね。「ジェラートピケ」とか「エクストレイル」とか「ポプテピピック」とか……。能町みね子さん(以下、能町):元々は「ウェブ平凡」で「結婚の追求と私的追究」という固いタイトルで連載していたんです。最初の章タイトルは「ジェラートピケ」でゆるくてほんわかした感じですが、本文はいきなりうんこ漏らした話なんですよね。なので、章タイトルはいかにも“ハッピーな結婚”のような感じにしようと思いました。「ジェラートピケ」のメルヘン感とタイトルの論文感とうんこ漏らしてる話があって、全部ゴチャゴチャで一貫してない感じがギャップだらけで面白いかなと。第二章のタイトルは「エクストレイル」ですが、連載時は「ソファーベッド」だったんです。新婚の甘い感じがするし、「ジェラートピケ」と同じ7文字だし。こうなったら7文字でそろえたほうがキレイだし、型にハマった感じでいいなと思ってカタカナ7文字にまずそろえました。そして、いざ本にしようと思ったときに、「ジェラートピケ」のような固有名詞はもしかしたら10年後に誰も分からなくなるかもしれないから、そういう言葉をひたすら並べたほうが時代を表して面白いなと思って、すべて固有名詞のカタカナ7文字に統一しました。——注も丁寧に付けられていますよね。それこそ「ジェラートピケ」や「王様のブランチ」、「キリンジ弟」まで。能町:そのうち分からなくなるような固有名詞が多いので、注をたくさん付けたかったんです。ちょっとだけ意識したのは田中康夫『なんとなく、クリスタル』です。あの小説ほど多くはないですけど。——「エクセシオール」と「エクセルシオール」は違うんですよね。「そういえばエクセシオールってあったかも……」と思わずネットで調べました。タイトルは『ジェラートピケ・ストロングゼロ』だった——タイトルはなぜ『結婚の奴』なんですか?能町:タイトルはすごく迷いました。章タイトルのように7文字にこだわっていたので、最初の案は『ジェラートピケ・ストロングゼロ』だったんです(笑)。でも、商標の問題でダメになって、その後はなかなかこれといった案が出ませんでした。そんなとき、たまたまこの本にも出てくる「星男」というバーに行ったのですが、そこで「結婚のやつ、読んでるよ。あれ本になるんでしょ?」と何気なく言われて。それで「結婚の奴」っていいなあ、と思ったんです。「奴(やつ)」っていろいろな意味がある。「結婚について書いたやつ」というシンプルな意味もあるし、「結婚という概念の奴隷」とも取れるし、「結婚といういまいましいやつ、でも憎みきれないやつ」というニュアンスもあります。しかも「けっこんのやつ」ってちょうど7文字なんです。結婚は大成功——サムソンさんと暮らし始めてもうすぐ2年だそうですね。結婚生活はいかがですか?能町:私はお陰で効率的な生活ができるようになりました。精神的にも落ち着いた日々を過ごしている気がします。誰かと一緒にいると生活に多少しまりが出るのがいいなって。「今日は用がないからずっとダラダラしてしまった」がなくなる。どちらかが起きたら片方も起きる。午前中にちゃんと起きて出かけるようになりました。一人暮らしのときは一応10時くらいには起きるんですけど、朝ごはんを作るわけでもなく、おなかが空いたままダラダラする。おなかが空いているから外に出るのも面倒くさいし、14時くらいまでほとんど何もしない、ということが結構ありました。——じゃあやっぱり、能町さんにとって、この「結婚」は成功でしたか?能町:今のところ大成功ですね。すごいです。計画がうまくいきました。——「これは想定外だったな」というのはありますか?能町:2人の衛生観念とか細かい部分ではありますけど、でもその程度ですね。猫を飼ったのも大成功——ツイッターで知ったのですが、最近、猫を飼い始めたそうですね。能町:そうなんです。きっかけは何だったかな?前から猫が好きで、本気じゃない感じで「猫飼いたい」とはずっと言っていたんです。でも、私が仕事場として借りているビルの1階に誰かが餌付けした猫が住み着いていて、見かけるたびにかわいがっていたら“猫飼いたい欲”がリアリティを持ってだんだん膨らんできちゃって……。知り合いに保護猫がいないか聞いていたら、うちの親のツテで「猫がいる」と。写真を送ってもらったらもうダメでしたね。「飼おう!」となっちゃいました。——猫が家族に加わったんですね。能町:結婚もそうなのですが、責任感を持ちたい気持ちがあるのかもしれない。一人暮らしのときはあまりにも自由で、縛るものがなさ過ぎて、掃除も料理も一切しないで洗濯も週一でギリギリやっているような感じで、どんどんだらしなくなっていったんです。でも、誰かと暮らすと、家事でも縛りができるし、さらに猫なんて飼ったら、ちゃんと世話しないといけない。子供はさすがに現実的に厳しいと思うので、猫だったらいい縛りになるんじゃないかと思いました。猫にとっては勝手で都合のいい話なんですけれど。——じゃあ猫も飼ってよかったですか?能町:今のところ何の問題もなく、大成功だと思っています。——こんなことを言うと怒られるかもしれないですが、猫を飼うのって子供がいるのとちょっと似ているのかなと思います。能町:似ているとは思いますね。こっちの意思が通じないところもいいんですよね。区切りや義務感をつくりたい——猫を飼うと、自分のためだけではなくて猫のために働いているというふうになる気がします。能町:そういう“義務感”を自分でつくりたい気持ちってありますよね。あと、区切りを付けたい、という気持ち。この前、ジェーン・スーさんと『結婚の奴』の刊行記念トークイベントをしたときにもその話になったんです。学校に通っていると、区切りは勝手にできる。小学校6年、中学校3年、高校3年、大学なら4年。「大学1年生のときに、こういう事件があったなあ」って、わりと思い出しやすいですよね。でも社会に出ると、下手すると20年、30年、何の区切りもない。日々ダラーと過ぎていってしまう。そこに何か区切りを付けたい気持ちが生じるから、人は結婚したり、子供を産んだりするんじゃないかと。もちろん全部が全部じゃないけど、そういう面もあるんじゃないかと。——そうかもしれないですね。ライフイベントが発生しますもんね。能町:イベントをつくりたいんですよね、きっと。猫を飼うのもその一環かもしれない。自分で箱をしっかり作って、そこに収まりたい気持ちがある気がします。子供がいる人はつい話題が子供一色になりがちですけど、私も最近はつい猫の話をしそうになります。「何か話題ないかな?」って思ったときにまず猫が出ちゃう。——すごく分かります。それは仕方ない現象ですよね(笑)。能町:写真も見せたいし。——私も猫を飼っているんですが、あっという間にスマホの待ち受けもラインのアイコンも猫になりました。能町:私はまだ待ち受けにはしてないですね。そこはちょっと守っておこうかなって(笑)。※後編は1月23日(木)公開です。(取材・文:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2020年01月23日文筆家・マンガ家の能町みね子(のうまち・みねこ)さんによる最新エッセイ『結婚の奴』(平凡社)が12月20日に発売されました。“結婚のやつ”をめぐるモヤモヤとした気持ちを抱えながら、ゲイライターのサムソン高橋さんと暮らし始め、恋愛でも友情でもない2人の生活をつくるまでや、過去の恋愛や結婚への思いについて赤裸々に語った意欲作です。恋愛や交際など一般的に“結婚へのプロセス”とされているものをすっ飛ばして「お互いの生活の効率性」を追求するために「結婚」した能町さんに話を聞きました。前後編。【前編】「大人は区切りや義務感が欲しくなる」能町みね子が結婚した理由世間の「常識」から逃れられない自分——能町さんがやられていること――今回は「結婚」ですが、それらは擬似的なプレイで、世間の「当然」や「常識」にはどうやっても一生手が届かないと綴られていました。世の中で「普通」や「一般的」とされていることへの執着や憧れのような気持ちがあるのでしょうか?能町みね子さん(以下、能町):「常識」とされていることをやらなければという義務感のような思いは、一生消えないと思います。「常識」とか「普通」なんてくだらないと思っているはずなのに、「そこを守らないとダメ」と考えるすごく保守的な自分がどこかにいるんです。どこかで「本来はそれが正しい」って思っているんです。家を継がなければとか、たくさん子供を産んで子孫を繁栄させなければとか、古風にもほどがある考えが正しいという固定観念が自分の根っこのどこかにある。刷り込みに近いものです。そこから逃れたいがゆえに、わざわざそこに反することを頑張ってやろうとしているところがあります。——この本を書いたことで「常識」への執着が薄まったり、考えが変わったりというのはありますか?能町:うーん。今でも、刷り込みはそう簡単に抜けないと思うんですよね。それが正しいと思いたくはないんですけれど、どこかにはある。田舎に帰って、家を継いで、子供を育てている人を、今でも無条件でどこか「偉い」と思っちゃう。「偉い」と思う必要は全くないはずなのに、やっぱり瞬間的には思っちゃうんです。——いち読者として能町さんの著作を読んできて「こういう生き方もあるんだ」「常識にとらわれなくていいんだ」と勇気づけられてきたので、能町さんがそんなふうに感じているというのが驚きというか、意外でした。能町:心の底にある「こうすべき」という保守的な規範が自分でもすごく嫌で、どうにか打ち消したいなと思っているので、全部、反動なのかもしれません。もういい加減そこから解放されたいと思っているんだけど、そう簡単に脱出できない。——だからこそ、恋愛のプロセスをすっ飛ばしていきなり「彼氏」をつくっちゃうとか、結婚までの面倒くさいあれこれをなくして「結婚」しちゃうとか、行動力がすごいなあと思います。能町:行動することで形骸化させたいんです。恋愛は向いていないと気付いた——本の中では過去の恋愛についても書いてらっしゃいます。能町:恋愛は出だしだけは多少楽しいですね。中学生レベルのお付き合いまでは。といっても、その人のことが好きで一緒にいられるから楽しいというわけではない気がします。みんなが楽しんでいる恋愛を自分もできている、という達成感に近い。——バレンタインだから恋する女の子がやっているチョコ作りに挑戦しようか、とか……。能町:マニュアルをなぞる満足感ですよね。でも、ほかの人はどうなのかなって。——実は能町さんだけじゃなくて、みんな擬態している可能性もありますよね。「恋愛とはこういうものだから」と少女マンガや恋愛ドラマをなぞるような……。能町:もしかしたら多くの人が擬態かもしれないですよね。みんなが本当に混じりっけない気持ちでバレンタインチョコを作っているかというと、実は「プレイ」でやっているだけなんじゃないかと。恋愛のプレイに満足している、みたいな。でも、失恋してめちゃめちゃ落ち込んだという話は知り合いでも結構聞きますけど、私は本当にその経験だけはないんです。「恋人と別れて何も食べられなくなり、げっそり痩せた」なんてことが全くない。ちょっとへこんでも2日くらいで気持ちが戻るし、未練もほとんどない。やっぱり自分は恋愛に向いていないんだ、ということはこの本を書きながら改めて気付きました。——“実験”して分かったんですね。恋愛に限らず、ほかのことでも“実験”してみてもいいかもしれないですね。世間ではみんな当たり前のようにやっていることも自分には合うとは限らないし。コンプレックスと言っていいのかは分からないのですが、そういうモヤモヤがあったら一度“実験”してみてもいいかもしれないですね。能町:コンプレックスと向き合って、モヤモヤした部分を実験で確かめるのは面白いです。大人になると、できることが結構多くなるので。子供のときだと、自信がなさ過ぎて何もかもうまくできないけど、大人になると冷静に動けることもある。結婚の話とはズレてしまいますが、私は子供の頃から運動が本当にダメで、体もものすごく固かったんです。でも最近、ストレッチ教室に通うようになって、子供の頃から一度も手が床に着かなかったのが、一年かけて着くようになった。できないことも一個一個つぶせるんだな、と気付いたんです。大人ってそういうところがいいなって。「恋愛」だった?雨宮まみさんへの思い——恋愛の文脈で、(2016年に亡くなった、ライターの)雨宮まみさんへの思いも綴(つづ)られていました。能町さんの、雨宮さんへの思いは「恋愛」だったのでしょうか?能町:結論は出ていないんですけれど、書いているうちに恋愛に近いものに思えてきました。でも、恋愛感情って結局何なのか、突き詰めると分からない。恋愛と性欲って、近いようで全然違います。雨宮さんに対して別に性的な魅力を感じていたわけじゃないけど、それ以外の面で「恋愛はこういうもの」というチェックリストを作ったときに、たくさんチェックが当てはまるんです。そういう意味で恋愛っぽい、と思いました。「結婚」の箱に入ることで安心する自分——この本を読んで、恋愛って何なのか、結婚って何なのか、分からなくなりました。能町:それは本望です。分からなくしちゃいたいですね。でも、例えば「結婚」という箱に入ることで安心する部分もある。私は今の自分の状況を無理やり「結婚」と言い張っているんですけど、一般的な意味で「とりあえず結婚したい」という人の気持ちも分かるんです。自分に何か区切りをつけたい、何もすがるところがないのが不安定過ぎて、とりあえず世間体として安定した形に落ち着きたい。そういう意味で「結婚したい」となるのも分かります。——ウートピは編集方針として、ずっと「世間の『こうしなきゃ』の呪いにとらわれないで」というメッセージを発信してきました。でも、今回能町さんにお話を伺って、「常識」の箱に入ることで安心したり、救われたりすることもあるんだなと思ったら、その気持ちや生き方自体を決して否定できないし、否定しちゃいけないんだなと思いました。能町:「常識」のほうを無理やり自分に引きずり込むというか。「結婚」を求めているんだとしたら、どんな状態でも「結婚」って言っちゃえばいいんだと思います。言ったもん勝ちです。男とか女とか関係なく、結婚と言い張れば結婚だし、事実婚と言い張れば事実婚だし、家族って言えば家族。そうやって定義を曖昧にしていきたいです。(取材・文:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2020年01月23日平穏な日常の中でいつの間にか変わってしまった夫婦の10年間を描いたタナダユキ監督の最新作『ロマンスドール』が1月24日から公開されます。ラブドール職人であることを妻に隠し続ける夫・哲雄(高橋一生さん)と秘密を抱えながらも“理想的な妻”である園子(蒼井優さん)の美しくも儚(はかな)いラブストーリーです。『百万円と苦虫女』(2008年)以来、映画では約12年ぶりのタッグとなったタナダ監督と蒼井さんにお話を聞きました。蒼井優さん(左)とタナダユキ監督夫役・高橋一生は「親鳥のような存在」——映画はタナダさんが2008年に執筆された同名小説が原作です。12年を経て映画化された経緯について教えてください。タナダユキ監督(以下、タナダ):小説を書いた頃は、ラブドールという存在の認知度もそれほど高くありませんでした。その後、2017年に渋谷のギャラリーでオリエント工業40周年記念展「今と昔の愛人形」が開催されたのですが、お客さんの半分以上が女性でした。長蛇の列を目の当たりにして、今なら映画化できる、純粋に作品として受け取ってもらえるのではと思いました。小説を書いた頃と比べると何て時代は変わったのだろうと思いました。——蒼井さん演じる園子は、理想的な妻と思われているけれど、実はかたくなで弱い部分もある女性です。園子を演じてみていかがでしたか?蒼井優さん(以下、蒼井):小説が出たときに「タナダさんご自身で映画化されないのかな?」「一緒にやれるといいな」と思っていたので、時間がたってからこうしてお話をいただき、今の自分で良いのだとうれしかったです。最近、男性に寄生してばかりの役がずっと続いていたのでこういう自立した女性の役はありがたいなと思いました。タナダ:オファーしても断られると思っていたので受けていただいてこちらが驚くっていう……(笑)。元々の設定で30代をメインに描きたいと思っていたので、蒼井さんが30代になったこのタイミングでよかったです。——蒼井さんは高橋一生さんとの夫婦役はいかがでしたか?蒼井:高橋さんとはデビュー作『リリイ・シュシュのすべて』(岩井俊二監督/2001年)でご一緒させていただきました。一緒のシーンはなかったのですが、当時私が15歳くらいで一生さんは20歳くらい。すごく大人で遠い存在だったのですが、デビュー作でご一緒した方は私にとっては親鳥のような存在なので、勝手に親近感を抱いていました。そういう存在でありながらも、高橋さんは当時の何もできない自分を知っているという安心感がありました。「夫婦は他人」の“不思議さ”を描きたかった——ラブドールに夫婦の物語を絡ませようと思ったのは?タナダ:夫婦って絶対に他人ですよね。それで一緒に居続けるという“不思議さ”を描いてみたいなと思いました。この物語は、夫婦のある一つの形でしかないし、ちょっとファンタジーな部分もあるのですが、他人との生活の困難さも含めて(夫婦を)描いてみたいなと。私は結婚していないのですが、持論として、子供が大きくなったら親子は離れたほうがいいと思っているんです。血がつながっているから離れたほうがいいと思っているのですが、夫婦は血がつながっていないので一緒にいることをなるべくしたほうがいいのかなって。もちろんお互いに努力をしてそれでも難しければ解散でもいいと思うのですが(笑)。血がつながってないからこそ、よりお互いのことを「この人はこういう人だろう」という枠にはめちゃダメだと思うし、でも、家族になっちゃうと結構はめがちだよね、という部分を描ければと思いました。夫婦の数だけ夫婦の形がある——蒼井さんは夫婦を演じてみていかがでしたか?蒼井:演じてみて思ったのは、この2人の夫婦でしかないっていうこと。夫婦の数だけ、夫婦の形があるんだなと演じてみて分かりました。——この夫婦を演じてみて、共感したところや、逆に自分は全然違うなと思ったところはありますか?蒼井:隠し事かな。これだけそばにいるのに園子が夫の哲雄に対して隠し事ができるのはすごいなと。私は絶対に言いたくなっちゃうので(笑)——バレちゃいます?嘘(うそ)はつけない?蒼井:クイズとか出しちゃうかも。「実は、私は落ち込んでいます。さて、なぜでしょう?」って(笑)。長く関係性を築いていく上で大切にしていること——お二人に伺いたいのですが、夫婦やカップル、友人同士が長く関係性を築いていく上で大切にしなきゃいけないことって何だと思いますか?タナダ:私は猫と一緒にいる10年が最長だからな(笑)。人間とまだ10年一緒にいたことはないので……。って言うと、すごく問題がある人間みたいですが、まあ何も問題がない人間ではないだろうとは思いますけれど(笑)、やっぱり人が一番難しいと思います。友人関係は全然いいんだけれど、一緒に住んだり近しい存在になったりすると途端に難しくなる気がします。こんなことを話すとますますダメな人間だと思われるかもしれないですが、猫と10年間一緒にいて毎日飽きないんですよ。毎日飽きない存在ってほかにないんじゃないかって、猫を飼っている人同士でよく話していますね(笑)。蒼井:猫と人間は何が違うんですか?私は猫アレルギーで飼ったことがない。タナダ:毎日かわいくて毎日発見がある。多分、相手が人間になると過剰な期待をしてしまうのかもしれないですね。「自分の気持ちを分かってくれるはず」とか。でも、猫は分かってくれようとする気がないですし、むしろこっちが察してあげたいという気持ちになる。人間の場合はお互いに甘えが出てくるんじゃないかと気付きました。蒼井:私は、自分の家族を見てでしか答えられないのですが、父は何が何でも母を守ると腹をくくっている。それは父と母が血がつながっていないからこそなのかなと思いました。父は子供たちを敵に回してでも母を守るという意識が強くて、100対0で母親が悪くても私が責められるんです(笑)。きっと、子供たちは血がつながっているから時間が経てば理解してくれると思っているからなのかもしれない。そういう意味で、父親は家族を信じているのだと思うし、母を守る父も一人の人間として素晴らしいと思います。友人関係で言えば「あ、今はこの人のことちょっと好きじゃないかも」と思ったら一回離れます。向こうが支えてほしがっているときはいいけど、自分が過度に相手に期待しているときは逃げて距離をとる。すべてが終わったあとに「あのときはすごく性格悪かったよ」と、お互い笑い話にして言い合えるくらいになったらいいですね。■映画情報『ロマンスドール』公開表記:1月24日(金) 全国ロードショー配給:KADOKAWA(C)2019 「ロマンスドール」製作委員会※後編は1月24日(金)公開です。(構成:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘)
2020年01月23日