10月28日から11月10日の14日間、伊勢丹新宿店本館5階で、 清水敏男のアトリエ・ギャラリー<セ・ル・ポエム>による 「Autumn in Paris フランスのアンティークでお茶をたのしむ清水敏男の眼×村瀬治兵衛の漆」を開催。 アール・デコを中心とした銀のポットやカトラリーなどと三代目村瀬治兵衛の漆を組み合わせ、アンティーク×現代アートを日常に取り入れたティータイムを演出します。清水敏男 Photo by Herbie Yamaguchiドーム・ナンシー 水差し (1900年頃)、ピュイフォルカゴブレット(純銀1935年頃)、嘉門工藝 古帛紗Photo by Hirofumi Taniクリストフル ティーポット (design リュック・ラネル、1930年代)、ピュイフォルカ トング (純銀、他4本セット) 村瀬治兵衛 沢栗香炉台、村瀬治兵衛 沢栗山皿(小)Photo by Hirofumi Taniオフィスや学校、駅、商業施設など、街の中で人とアートの出会いをプロデュースするパブリックアートの総合コンサルティング会社「TOSHIO SHIMIZU ART OFFICE」の代表・清水敏男が、2020年、葉山にアトリエ・ギャラリー<セ・ル・ポエム>をオープン(営業日はwebサイトでご確認ください)。パブリックのみならずプライベートな空間でも、アートプロデュースをはじめました。フランス語で「それは詩」を意味する店名<セ・ル・ポエム>は、「山路を登りながら、こう考えた」ではじまる夏目漱石の『草枕』にインスピレーションを受けたことばです。「人の世は住みにくい」と嘆きながらも、「詩つまり芸術が私たちを救ってくれる」と考えた漱石。コロナウイルスが蔓延し自宅で過ごす時間が増えたいま、個人空間でも本物のアートや工芸に触れることは、豊かな時間や心の余裕を生みます。とりわけ清水は、フランスのアンティークは、美しい装飾や素材の経年変化による味わい、そして再現できないほどクオリティの高い100年前の職人の技が詰まっていて夢があると考えました。<セ・ル・ポエム>では、テーマ展、トークショー、ワークショップなどを通じて、時代を超えて愛されるアンティークや工芸の魅力、そしてアートを生活に取り入れ、豊かな詩心に満ちた日々をお届けすることを目指しています。<セ・ル・ポエム>のデビュー企画である本展覧会は、漆芸家である三代目・村瀬治兵衛の作品ならびに村瀬亜里プロデュースの嘉門工藝とのコラボレーション。パリのティータイムを素敵に演出する銀のポットやカトラリー、美しい装飾の陶磁器やガラスなど、アール・デコを中心にしたアンティークと村瀬治兵衛の漆を組み合わせたアンティーク×現代アートで楽しむティータイムをご提案します。清水と村瀬治兵衛氏・村瀬亜里氏は、「葉山アート茶会」をはじめ、2019年12月に開催した在英国日本大使館の「The New look of Tea 村瀬治兵衛展」で協働し、日本のアートと伝統を世界に発信する試みを展開しています。清水敏男 Toshio SHIMIZU1953年東京生まれ。77年東京都立大学人文学部フランス文学科卒業。83年Ecole du Louvre(ルーヴル美術館大学)修士課程修了後、東京都庭園美術館キューレーター、水戸芸術館芸術監督を歴任した。97年TOSHIO SHIMIZU ART OFFICEを設立。企業や芸術家と協働し、東京ミッドタウン(六本木)の安田侃「意心帰」、大手町フィナンシャルシティグランキューブのダニエル・ビュレンヌ「À partir de la grande porte, tout le parvis: travail in situ Tokyo 2015/2016」など数々のパブリックアートの設置を実現。2016年フランス芸術文化勲章シュヴァリエ章受章。2020年に<セ・ル・ポエム>を立ち上げた。セ・ル・ポエム ウェブサイト 清水敏男がプロデュースした作品事例などは、こちらをご確認ください。東京ミッドタウン(六本木)安田侃「意心帰」Photo by Hirofumi Tani大手町フィナンシャルシティグランキューブダニエル・ビュレンヌ「À partir de la grande porte,tout le parvis travail in situ Tokyo 2015 2016」Photo by Daishi Saito企業プレスリリース詳細へ本記事に掲載しているプレスリリースは、株式会社PR TIMESから提供を受けた企業等のプレスリリースを原文のまま掲載しています。FASHION HEADLINEが、掲載している製品やサービスを推奨したり、プレスリリースの内容を保証したりするものではございません。掲載内容に関するお問い合わせは、株式会社PR TIMES()まで直接ご連絡ください。
2020年10月26日次々と無謀な企画を繰り出し、芸人への容赦ない無茶振りなど、『電波少年』シリーズで“T部長”として恐れられた日本テレビの土屋敏男氏。7月からは企画・総合演出を手掛ける、3Dアバターを使った超新感覚のライブエンタテイメント『NO BORDER』がスタートする。飽くなきチャレンジを続ける土屋が、いま最も注目している芸人とは誰か?直撃してみると、カラテカ・矢部太郎の名前があがった。――最新型3Dスキャナで観客のアバターを生成し、それがステージで踊るという、超新感覚のライブが誕生します。リードダンサーとして、森三中の黒沢かずこさん扮する“千手観音かずこ”のアバターが登場するとのこと。土屋さんと黒沢さんと言えば、『電波少年』シリーズ「電波少年的15少女漂流記」でご一緒したことが思い出されます。今回リードダンサーが必要だと思ったとき、やっぱり黒沢かなあと(笑)。黒沢って、相変わらずの引っ込み思案なんですよ。「電波少年的15少女漂流記」でもメンバーの中でお笑い芸人って、いとうあさこと黒沢の2人しかいなかったんだけど、黒沢はものすごく目立たなくて、すぐに後ろへ、後ろへと行こうとする(笑)。『世界の果てまでイッテQ!』でも、わりと目立たなかったりしますよね。その癖は、相変わらずですね。でもひとつキャラが乗っかると、ものすごいキレる。“千手観音かずこ”もキレ方が面白いんだけど、僕は「もっとキレろ! もっとキレろ!」と言っていますね。今回もアイツだけ自由に踊っているので、面白いと思いますよ。――たくさんの芸人さんを目にしてきて土屋さん。そんな土屋さんにとって、いま最も注目している芸人さんは誰でしょうか。矢部太郎、ということにしておきましょう(笑)。黒沢もそうなんだけど、自分が関わったヤツらはやっぱり気になる。矢部も『電波少年』でいろいろなことをやらせました。モンゴル人やアフリカ人を笑わせにいこうとか、本当にいろいろなことをやった。でも認知度は出ても、いまひとつ芸人としてブレイクしなかったじゃないですか(笑)。そんな矢部が書籍「大家さんと僕」が大ヒットして。アイツのほのぼのとした、バカみたいに純粋なところや、そんな性格が生み出す関係性が、あんなふうに昇華することってあるんだなって思ったんです。人間、捨てたもんじゃないなって思った。黒沢にも「キレるのが面白い」と言い続けていたら、そこでまた今回一緒にやることができたりね。ずっとやり続けていると、なにかあるもんだなとも思う。――感慨深いお話ですね。やっぱりみんながみんな、(明石家)さんまさんやダウンタウンになれるわけじゃない。西野(亮廣)くんみたいな存在感の示し方だってあるし、渡辺直美ちゃんみたいに海外に進出することだってある。僕はそれぞれ違っていいし、日本というマーケットは小さいから、笑いも日本からどんどん輸出されるといいなと思っているんです。今回の『NO BORDER』も、ワールドツアーのスタートという考え方で、ここから世界に進出して行きたいと思っているんですよ! 今ロンドンの大英博物館では「マンガ展」というのをやっていますが、人がものすごく集まっているらしいんです。『NO BORDER』も世界へ出て行って、「日本のアイデアって豊富だね」と思ってもらうこともできると思う。『NO BORDER』の会場には各国からお客さんが集まって、一緒に踊ったり、手をつないだりすることができます。政治的、経済的なことではなく、日本が各国の接着剤になれることだってあると思うんです。――エンタテインメントは、国境を超えてあらゆる人々がつながる最高の手段にも思います。そうだと思っています。自国の産業を守ることで、あらゆるトラブルも起きている。でも本当は助け合って、触れ合って、知恵もシェアしていったほうが、トータル的にはいいに決まっていますよね。インターネットで知恵をシェアすることで、医学をはじめいろいろなことが発達していますから。シェアする方向に考えるためには、文化やエンタテインメントで手をつなぐ、温かさを感じるということも大事だと思っています。――確かに矢部さんの人柄のよさは、世界中どこに行っても伝わるような気もします。そうでしょ! 世界中のどこに行っても(笑)。調べたらアイツ、2万人以上のフォロワーがいるんですよ。『NO BORDER』の宣伝員として、勝手に指名しようと思っているんです。これまで培ったものを駆使して、こき使っていきたいです!■土屋敏男1956年9月30日生まれ。静岡県出身。1979年、日本テレビに入社。『電波少年」シリーズ、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!』など数々のバラエティ番組を手がける。LIFE VIDEO社を立ち上げ“人生の映像化”を提案、1964 TOKYO VRでは過去の写真から記憶の街並みを最新テクノロジーで再現するなど、さまざまなプロジェクトに携わっている。
2019年07月02日『電波少年』シリーズや『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』など大ヒット企画を続々と手がけ、テレビ業界に新風を巻き込んだ日本テレビの名物プロデューサー、“T部長”こと土屋敏男氏。「今はまったくテレビに興味がない」と告白する彼が、次に世に放つのは3Dアバターを使った超新感覚のライブエンタテイメント『NO BORDER』(7月7日~9月16日、大坂・クールジャパンパーク SSホール)だ。「この歳になっておかしいんだけれど、僕は“安定する”っていうことがダメなんだよね。好奇心しかない(笑)。自分の見たことのないものが、まだまだ世界にはたくさんある。それを全部見たいし、見たことのないものを作るのが大好きなんです」という永遠の冒険者。「『NO BORDER』では、お客さんも巻き込んで一緒にワクワクドキドキしたい」と目を輝かせる土屋の、新たなチャレンジに迫る。――『NO BORDER』の会場では最新型3Dスキャナを使って、観客のアバターが生成されるとのこと。それがステージで踊る…というライブになるようですが、着想のきっかけはどのようなものだったのでしょうか。きっかけは、吉本興業の社長の大崎(洋)さんから「大阪に来る外国の人が楽しめるようなものを、なにか考えてくれないか」と言われたことですね。パッと思い浮かんだのが、「が~まるちょば」の存在。「が~まるちょば」となにかやりたいなって。言葉を使わない、ノンバーバルなものがいいと思ったので、パントマイムであらゆる表現ができる「が~まるちょば」にはぴったりだと思ったんです。――今回MCを担当される「が~まるちょば」さんのことを、一番最初に思いついたんですね。さらにその頃、「AR三兄弟」のラジオに呼ばれて、なにか一緒にやりたいという話になって。彼らから「見せたいものがある」と行って連れて行かれたのが、3Dスキャンのスタジオでした。見ていたらスキャンしたものが、画面上ですぐに歩いたり走ったりするんですよ。これはいいなあと思って、「ライブ会場にやってきたお客さんが、空港の金属探知機のようなゲートを通って、パシャッと撮影をする。それが5分後にライブステージに出る、みたいなことは可能なのか?」と考えたんです。――人脈をつないでいくことで、どんどんアイデアが膨らんでいったんですね。そうなんですよ。さらには当時ちょうど、トランプ大統領が「メキシコとの国境に壁を作る」なんて話をしていて。日本と中国の問題もいろいろ出てきた。なんだか自国主義で嫌だなあって思っていたんですが、でもそれって、政治経済の話ですよね。僕らはエンタテインメントをやっているので、文化やエンタテインメントの側から、他国の人たちに「日本って悪くないよね。隣の国と仲良くするって悪くないよね」と思ってもらうことはできるはず。世界各国の人と一緒に踊ったり、手をつなげたらいいなあと想像しているうちに、“NO BORDER”というコンセプトが降りてきたんです。――「が~まるちょば」は今年の4月からHIRO-PONさんおひとりで活躍されていますが、今回は「が~まるちょば」にとっても新たなチャレンジになりそうです。そう思います。企画を思いついて「こういうのやろうよ」って話したときは、2人だったんですけどね(笑)。2人の「が~まるちょば」ももちろんいいんだけれど、1人になった「が~まるちょば」には、「ちょうどいいじゃん」って思って。「仕事がなくなったとしても、『NO BORDER』は2カ月半やるイベントだから、毎日仕事あるよ。血反吐を吐くことになるかもしれないけど、俺も毎日付き合うからさ」と。――ステキな励まし方です!彼らはずっとアナログなやり方で表現をしていたんですが、今回はアバターを使ってなにができるかを考えたり、スクリーンの中の自分と絡んでみたり、「が~まるちょば」にとっても新たなエンタテイメントを作ることになるでしょうね。きっといろいろなチャレンジをして、これからさらに世界を驚かせてくれると思います。――誰も見たことのない、新たなエンタテインメントが誕生します。見たことのないものを具現化していく上で、もっとも大切なものとはなんでしょうか。妄想力だと思います。こんなことができたらステキだよな、面白いだろうな、と妄想すること。僕は昨年の5月にスキャンされている自分が画面上で踊っている姿を見て、これはいいぞ、おもしろいぞと思った。テクノロジーも進歩して、できること、やりたいこともどんどん増えているんですよ。――『電波少年』シリーズや『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』などで、テレビ業界に衝撃を与えた土屋さん。テレビの枠を超えた活動に力を入れるようになったのは、なぜでしょうか。基本的には、もうテレビはあまりやりたくないというか…。演出はしたいけれど、テレビはだいたいやったからなあ…。正直、今は地上波テレビにまったく興味がないんですよ(笑)。フィリピンの人が見るとか、アラブの人が見るとか、そういうテレビなら興味はあります。「タイでテレビを作れ」って言われたら、喜んで行くでしょうね。――今の日本のテレビは規制が厳しくなっているなど、そういった状況は関係していますか?まったくそういうことはないです。僕は“好奇心”しかないんですよ。好奇心だけで生きている。2008年から2011年にかけて間寛平さんと「アースマラソン」をやっていたときに、寛平さんと一緒にあちこち行ったんですね。例えばアメリカの中西部とかも、見たことのない坂や見たことのない貨物列車など、驚くような風景ばかりだった。「すごいなあ、世界にはまだまだ見たことのないものがたくさんあるな」と思った。となると僕は、そこに全部行きたいんですよ(笑)。やったことのないことをやるのが好きだし、見たことのないものを作るのも好き。やったことのないことをやると、まったく新しいアイデアにも出会える。『NO BORDER』の会場には1回につき250人のお客さんが入れますが、その人たちが「面白かったね」と顔を上気させている姿を想像すると、ドキドキするんです。その顔も、これまで見たことのない表情なんじゃないかって。――土屋さんの好奇心がたっぷり詰まったのが、今回の『NO BORDER』なんですね。お客さん250人を一緒に巻き込んで、ワクワクドキドキしたいですね。ステージに上がった自分のアバターがキレキレで踊っている姿を見るなんて、どんな気持ちになるんだろうと。会場には中国、韓国、アラブなど、いろいろな国の人が集まって、周囲の人と握手したり、ハイタッチしたくなったりするかもしれません。きっと温かい気持ちになるんじゃないかな。そうすることで、なんとなく“NO BORDER”な気持ちになって、国際社会も悪くないな、仲よくしようぜって思いながら帰ってくれたら最高だなと思います。■土屋敏男1956年9月30日生まれ。静岡県出身。1979年、日本テレビに入社。『電波少年」シリーズ、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!』など数々のバラエティ番組を手がける。LIFE VIDEO社を立ち上げ“人生の映像化”を提案、1964 TOKYO VRでは過去の写真から記憶の街並みを最新テクノロジーで再現するなど、さまざまなプロジェクトに携わっている。
2019年06月23日