元NHK記者。現在NHK国際放送局のアナウンサーとして活躍。「Science View」では全国を駆け巡り、日本の技術力を支える「匠」を世界にリポート。アメリカで生まれ、幼い頃からイギリス、フランス、ドイツなどで海外生活を経験。国際的な感覚をもちながらも、日本の伝統的な「和の美しさ」に対する関心は高い。記者時代に過ごした京都をはじめ、日本の伝統美の取材を独自で続けている。その他、コミュニケーション指導として、桜美林大学講師、各企業での講演会等でも活躍中。
著書「見るだけ30分!!あなたに合った「聞く」「話す」が自然にできる!」(すばる舎)
▼アラフォー総研コラム
「国際派キャスター 山本ミッシェールの和美探訪」
「鏡」 、私たちは一日何回目にするでしょうか? 朝起きて顔を洗うとき、化粧ポーチの手鏡、お手洗いにある洗面台の鏡、お店の姿見、駅のホームなんかにもありますね。様々な場面で身だしなみを整えるのに普段から使っている鏡ですが、日本では古来より 信仰の対象 でした。 今回は 「和鏡」 と 「魔鏡」 の不思議な歴史と秘密を紐解いていきます。 「鏡」の始まり 童話『白雪姫』では女王が「鏡よ鏡、世界中で一番美しいのは誰?」と魔法の鏡に語りかける場面がありますね。魔力さえも持つと思われてきた鏡は古くから我々の生活の中で様々な使われ方をしてきました。そんな鏡、起源はどこなのでしょうか? 最初に作られた鏡はさすがにまだわかりませんが、確認されているもので最も古い鏡はトルコ中部の遺跡で発見された黒曜石を磨いた 6000年前 の鏡だと言われています。そして古代メソポタミア、エジプト、ギリシャなどでは銀や銅を磨いた鏡が作られました。その貴重さから鏡は 神聖 で 霊力 が宿るものとして昔から世界中で大切にされてきました。 また、「mirror」(鏡)の語源は、 「mirari」(英語: miracle)奇跡、不思議 という意味のラテン語に密接に関連していると言われ、いかに鏡が人々を驚かせていたのかがわかります。 古事記にも登場する「和鏡」とは? 日本には弥生時代前期に中国から鏡がもたらされ、当時は 宗教・祭祀用具 としての意味合いが強かったとされています。皆さんが学校の教科書で見た卑弥呼の鏡 「三角縁神獣鏡」 (さんかくえんしんじゅうきょう)もそのひとつです。その後、古墳時代には日本でも製造できるようになり有力者の埋葬品として多く使われるようになりました。 平安時代後期には、中国からもたらされた唐鏡をもとに製作した鏡 「和鏡」 が確立しました。そして、日本流の文様の山吹や桜、萩、長尾鳥や鶴、千鳥、雀など自然の動植物が描かれるようになりました。 しかし、鎌倉時代に入ると鏡の信仰が薄れ、江戸時代になると細密な図案の描き込まれた鏡や柄のついた鏡、懐中鏡が大量生産され 婚礼道具 の一部など庶民にも使用が広がりもっと実用的な用途で使われるようになりました。 古事記や日本書紀にも登場し、古くから鏡は剣や勾玉とともに祭具として、重要な意味を持って扱われていました。そんな鏡を現在一番身近にみられるところは 「神社」 です。もともとは、神社にお祀りされる神様には具体的な姿や形は無く、岩や木などに神様が宿ると考えられていて、またその中で鏡も神様が宿る “依代(よりしろ)” の一つと考えられています。 信仰を秘めて守った「魔鏡」 神社では神の依代だった鏡ですが、実は江戸時代は、 「魔鏡」(隠れ切支丹鏡) が迫害を受けていたキリスト教信者の心のよりどころになっていました。 フランシスコ・ザビエルが来日した1549年以降、キリスト教の布教がおこなわれて改宗した(キリシタン)が国内では増えていましたが、1614年に徳川家康による禁教令でキリスト教信仰は禁止されることになりました。続いて1637年に起きた島原の乱の前後からは幕府によって徹底したキリシタンの取り締まりが行われました。当時のカトリック信徒(キリシタン)やその子孫は、国内にカトリック司祭が一人もいなくなった1644年以降、 表向きは仏教徒 として生活しながら 密かにキリスト教の信仰 を代々伝えていきました。 そんな中でキリシタンたちは慈母観音菩薩を 聖母マリア に「見立て」、また一見、普通の鏡にしか見えない鏡に光を 反射 させることによって、内部に隠された キリスト像 を光で投影することができる 「魔鏡」 などを使って、明治維新後の宗教の自由まで200年以上も信仰を守ってきました。 しかし、キリスト教を信じることが許されると「魔鏡」も必要ではなくなり、ガラス製の鏡が普及したことで、銅鏡自体が衰退し、魔鏡も姿を消し作れる職人もいなくなってしまいました。 消えた「魔鏡」を再び 親子が引き継ぐ技術 2014年1月、京都国立博物館の発表で、 「卑弥呼の鏡」 とも言われている古代の青銅鏡 「三角縁神獣鏡」 の精巧な金属製レプリカを3Dプリンターで製作をしたところ、鏡の背面に刻まれた文様が、光の反射で浮かび上がる 「魔鏡」 と呼ばれる現象が起きることが分かり、世間を驚かせました。 しかし、この再発見よりも前から国内で唯一手作りで魔鏡を作る父と息子が京都にいます。江戸末期の創業で、神社や寺に納める金属製の和鏡を製作する 「鏡師」 を代々継承してきた山本合金製作所では1974年に3代目山本真治さんが復元に成功しました。その技を受け継ぐ 「日本最後の鏡師」 と呼ばれる5代目の 山本晃久 さんに作り方や職人としての思いを伺いました。 【山本晃久Akihisa Yamamotoプロフィール】 鏡師。1975年生まれ。大学卒業後,国内では数少ない古来製法による手仕事で和鏡・神鏡・魔鏡を製作する山本合金製作所に入る。祖父山本凰龍に師事し,伝統技法を受け継ぎ,神社仏閣の鏡の制作や修理,博物館所蔵の鏡の復元に携わる。平成26年には,安倍首相がバチカン訪問時に,ローマ法王へ贈呈した隠れ切支丹魔鏡を制作。京都神祇工芸協同組合。 「魔鏡」の作り方 魔鏡はヘラで模様を施した鋳型に地金(青銅・白銅・銀等)を流しこみ反射させる背面の文様を作り、鏡面側を専用の道具で一か月かけて鏡面を4ミリメートルから1ミリメートルまで薄く削り、硬さの異なる炭を使い丁寧に磨いていくと微細な凸凹が生まれ、そこに光を当てると乱反射して背面の模様を映し出されます。とても緻密で集中力のいる繊細な作業です。削り足り過ぎても魔鏡現象は起こらなくなってしまいます。 「魔鏡はなかなか見ることが出来ないかもしれませんが、和鏡は神社などに行けばみることができます。こうして伝統産業にたずさわっていると、よく人に『残してほしいわね』って言われますが、では残すためにどうアクションをするかがすごく大事だと思うんです。 だから “伝えたい” んです。必要とされないと絶対に残らないから。必要とされないものは消えていくから、必要であり続けないといけない。残したいと思ってくれる人がいてくれなくては消えてしまう。だから残すにはどうすればいいのか考えます。 つまり、人に思ってもらえるようにならないといけないと思う。どうやって儲かるかを考えるのではなくて、どうやって本当に良いものを作るかを考える職人でありたい。工場にはよく修理に昔の鏡が持ち込まれます。作り手の思いや、持ち主が大切に残したいという気持ちをしっかりと汲み取りたい。きっとその時に僕らの技術が生きてくるのだと思う。残したい思い出がある人のために、それを残してあげられる職人でありたいと考えています」 山本さんは手作りの鏡の技術を多くの人に見てもらえるようにペンダントの魔鏡作りを始め、色々な場所での実演や工場見学の機会などを作り職人の思いを「伝え」続けています。 鏡は古くから不思議な力を持つと世界各地で信じられてきました。様々な歴史や伝承、言い伝えがあります。これから神社や博物館で鏡を見る時、その鏡が何を映し、何を伝えようとしていたのかを考えてしまいます。 取材協力/ 山本合金製作所 住 所:京都市下京区壬生川通七条上る 連絡先:tel.075-351-2338 神具製造,仏具製造,仏壇製造
2016年03月06日近年「香り」は、人間の身体に多くの効果をもたらすことが科学的に実証されつつあります。そんな中、様々な香りのグッズも多く見かけるようになりました。今回は香りの中でも和の香り 「お香」 についてご紹介しましょう。 シェイクスピアと香りと科学 香りは感情や行動を司る 大脳辺縁系 に 直接 働きかけて、様々な効果を与えているということが研究によりわかってきました。ウィーン大学の研究によると、歯科医の待合室でオレンジの精油の香りを患者に嗅がせたところ、女性患者の不安感が少なくなったという結果が出たのです。 また、イギリスのノーサンブリア大学の研究によると ローズマリー のアロマオイルを嗅いだグループが、そうでないグループに比べて長期的な 記憶力 がおよそ60%から75%ほどアップしたというから驚きです。 ローズマリーと記憶の関係は古く、古代ギリシャ時代に遡ります。頭脳を明晰にし、記憶力を伸ばすはたらきがあると信じられていました。また、シェークスピアが書いた 「ハムレット」 の中でも、オフィーリアが、ローズマリーを持って語る場面があります。 OPHELIA There's rosemary, that's for remembrance; Pray you, love, remember. (Hamlet, Act 4. Scene 5. by William Shakespeare) オフィーリア ほら、ローズマリーがあるわ 思い出のためにですって。 ねえ、だからお願いあなた、わたしを忘れないで。 (ウィリアム・シェイクスピア 『ハムレット』 第4幕第5場) ローズマリーの香りの効果は古くからの言い伝えでしたが、科学的にも立証されたとても良い例です。 香りはどのように世界に伝わったのか 香りの文化は古く、4000年前の古代インドにも遡ることができるそうです。古代インドを中心に西に伝わった香りは「液体」、つまり「香水」になり、東に伝わった香りは「固形」、「お香」などになったそうです。どのように香りは旅をして、変化していったのかを考えるとなんだかロマンを感じますね。 日本の香りの歴史 飛鳥・奈良時代は隋・唐から入ってきた濃密な香りを持つ焚香料(ふんこうりょう)を仏教儀礼で使用する宗教色の強いものでした。ほかにも経本や衣服の防虫・加香に用いられたことから、実用品としても生活に取り入れられていたことが伺えます。 香りの文化が花開いたのは平安時代。自分だけの香りをブレンドし身にまとった貴族たちは、姿を見なくても香りだけで誰なのかが分かったそうです。しかし高価な香木は貴族の特権であり、香りを作るためには、財力・知力・感性が備わっている必要がありました。 自分の「美」を香りで演出することは、のちに香道に発展し、茶道などと並び身につける教養のひとつにまでなったのです。今ではいろいろなお香販売店などで、香道体験をすることができます。 香の十徳 十一世紀の北宋の詩人 黄庭堅(こうていけん)の作品。その後、一休禅師により日本に紹介された、と言われています。 (一)感覚を研ぎ澄ます (二)心身を清浄する (三)汚れを取り除く (四)眠気を覚ます (五)孤独感を癒す (六)多忙時でも心を和ます (七)沢山あっても邪魔にならない (八)少量でも芳香を放つ (九)何百年をへても朽ち果てない (十)常用しても害がない 偶然から生まれる神秘の香り 香木で有名な 「伽羅」(きゃら) は樹木の中で 偶然 に生成される半化石状態のもので、ほかの香りは科学的に作る事はできても伽羅だけは現代の科学を持ってしても未だに解明ができていません。 それだけ貴重なものなので、発掘されるベトナムの山岳地帯では、伽羅の香木ひとつで一生食べていくことができるだとか。伽羅が取れる地域は未だに歴史的に秘密とされており、現地の住民が守っているのだそうです。 香りで時(とき)を数える 最近、お香でお気に入りの使い方があります。朝、出かける前にバタバタするからこそお香を焚くのです。時計を見ながらあくせくとお化粧をするのではなくスティックなどのお香を焚いて 時間 を計っています。 お香は燃焼時間がはっきりしているので、 「時間を計りやすい」 という特徴があります。例えば7cmほどのお香は15分~17分ほど。禅宗などでは、お線香1本が燃え尽きる時間で時間を計っていました。 香りの力を日常で活用する 香りを嗅ぐ事により、その時の記憶や感情が蘇ることを 「プルースト効果」 と呼びます。“プルースト”とはフランスの作家 マルセル・プルースト のこと。 その半生をかけて執筆した大作 『失われた時を求めて』 の中で、語り手が口にしたマドレーヌの味をきっかけに幼少期の家族の思い出が蘇ることから、香りによって記憶などが蘇ることを 『プルースト効果』 と呼ぶようになりました。 香りで記憶がフラッシュバックするということは、私たちの日常においてもよくある出来事だと思います。例えば、友人がいつも同じ香水をつけていて、街角でその香水の匂いがするとその友人をふと思い出す…など。 私は、名刺入れに入れる 名刺香 を愛用しています。名前を忘れられても香りで印象を残せるように。 いろいろな活用法がある「お香」。自分のライフスタイルに合わせて、“香りの力”を取り入れてみてはいかがでしょうか。
2016年02月06日山形県朝日町、電車の駅もなく決してアクセスが良いとは言えない場所がいま注目を集めています! 名産のりんご、ワイン、自然、民泊…、山形県朝日町の魅力の秘密に迫ります。 自然溢れる、山形県朝日町 「山形県朝日町」といわれてもピンと来る人は多くないかもしれません。山形県のほぼ中央にある人口およそ7400人の町。町の中心部を日本三大急流と言われる最上川が南北21kmにわたって流れ、また町の76%ほどが国立公園をはじめとする山林やブナ原生林などで占められいます。豊かな土壌と寒暖の激しい気候は、果樹や作物の栽培に適した土地だといわれ、特にりんごの栽培とワイン作りには定評があります。 しかし海外から人を呼ぶという意味では東京からも遠く、あまり条件は良いとは言えません。そんな中、朝日町ではある試みが多角的に行われていました。 1人の青年の体験が、世界への扉を開く 今回はりんごの産地としても有名なフランスのノルマンディーからの視察団に同行取材をしました。そもそも朝日町とノルマンディーとのつながりは、一人のフランスの青年が偶然町で行われたイベントに参加したことにありました。 その時の町ぐるみのおもてなしと自然の豊かさ、りんごの美味しさに感激した青年は、フランスのパリに帰り友人知人に話をしたところ、「行きたい! 」という人たちがあっという間に集まったことが発端でした。 そこからは毎年公式行事としてノルマンディー地方を中心としたメンバーによるフランスとの国際文化交流行事が開始され、今年で3回目を迎えました。すべてのきっかけはたった一人の 「話したくなるような感激」 でした。 ありのままの日本が知りたい 今回のフランス視察団の心を最も打ったのは、朝日町の 「飾らないおもてなし」 でした。民泊(民家に宿泊すること)またはファームステイでのありのままの生活体験、手作りの歓迎、そして言葉が伝わる、伝わらないに関係なく笑顔で迎えてくれる気持ちが大きかったようです。 一緒にりんご農家で民泊をした、パリ市観光計画企画室を定年退職して今回ツアーに参加したニコル・プボーさんによると 「私たちが知りたい日本のすべてがここにありました。ホテルや旅館といったよそ行きの空間ではなく、 本当に人が生活する空間 に入ることができました。 今回私たちは京都、大阪、東京も見ました、ほかの地域で少し過剰なおもてなしも受けました。しかし、朝日町での体験や出会いに勝るものはありませんでした。このような温かなおもてなしは一生忘れないと思います。ここに来なければ見られない景色や出会えない人達がいます。 あ、それと日本人女性は本当によく働くことにも驚きました! 例えば朝食の種類や手際は私たちフランス人には真似できないわね! 今回の体験はインターネットやガイドブックでは感じることはできません。そして観光のあり方の参考にもなりました。フランスに戻ったらこの旅のことをたくさんの友達に話すわ! 」 飾らない「おもてなし」とは何だったのか? 朝日町で行われた二泊三日のおもてなしは、 自然体 で 手作り 。子供たちが受け継ぐ和合豊年和太鼓の演奏や地元のミュージシャンによる演奏。新しくできたばかりの道の駅では、りんごを食べて育った豚のポークバーガーやアイスクリーム。夜はそれぞれの民泊先で過ごす夕食と家族の時間。翌日はブナ林のトレッキング、りんごもぎ体験、芋煮会、りんご温泉、夜は朝日町の名産のワイン、焼きそばなど、B級グルメの数々で懇親会などなど。 すべては和やかで温かい。もちろん準備はしっかりと行った上での 「ありのままのおもてなし」 。しかし、町で過ごす中、とてもポジティブな自信も感じられました。 地域のブランディングの効果 また朝日町は地元のブランディングにも力を入れている。人気のブランド戦略の専門家、村尾隆介氏には2年間のプロジェクトで朝日町に暮らしてもらい、「朝日町丸ごとブランド化」の目標の元、数々の新しいブランド戦略、無料の勉強会など町民のモチベーションを高めて来ていました。その結果、町民全員が「ポジティブな自信」を持ったプレイヤーになったのではないかと強く感じました。 そして地元では当たり前のことが外国人には新鮮な驚きにつながります。フランス視察団はりんご農家でりんごもぎ体験のほか、その生産方法などにも自国との大きな違いを感じたようです。 中でも最も驚いていたのが 「玉まわし」 というりんごを一個ずつ太陽に当たるように日陰になっている面を表に出す作業。りんご一つ一つにこれだけ根気良く手を掛けるということ、食べた時の瑞々しさ、バランスの良い甘さと酸味、そしてサクッとした歯ごたえに感激の声が上がっていました。 駅もない、バスも少ない、観光客には不便な場所だけれども、その不便さを超えた温かさや心が通ったおもてなしがありました。これからも地方の挑戦から目が離せません。
2015年12月26日岡山県の 倉敷 にある 美観地区 、様々な映画やドラマで使われるこの町並みはどこを取ってもフォトジェニック。そして実は各地からのアクセスも良好。そんな倉敷美観地区にこの秋は行ってみませんか? 今回は町の魅力を支える人たちをご紹介します。 近くて魅力がいっぱい倉敷美観地区 岡山県倉敷市は江戸時代には幕府の天領として栄えた場所。なかでも「倉敷美観地区」は一歩足を踏み入れると美しい町並みと懐かしさが感じられます。また、和と洋が入り混じる古きよき日本の町並みとして、 伝統的建造物群保存地区 にも指定されています。2014年には電線の地中化工事も完了し、電線に邪魔されない町並みと空を楽しむことができるのです。 観光客は年間340万人以上! 新幹線と在来線を使って東京から3時間半、大阪から1時間半、博多から2時間少々、と本当に近い。少し早起きをしたら日帰りも可能な近さ。小旅行にもぴったりですね。 そんな倉敷美観地区には見所が満載。格子窓の歴史的な町家やなまこ壁の蔵、船流しや世界的な照明デザイナーによるライトアップ、エル・グレコの「受胎告知」やクロード・モネの「睡蓮」など世界的な西洋美術のコレクションが見られる大原美術館… など。どれもが歩いて見てまわれる距離にあります。 しかし今回は、ガイドブックには載っていない、美観地区を守る人たちのお話を伺いました。 新しいことにチャレンジしながら古きを守る人々 「美観地区はいつ来てもイベントがありますね」と言われることが多いそうです。そしてそれらの大小のイベントはそれぞれ町の有志の発案であったり、観光局が主催であったり、自治体の主催であったり、小さな町のカフェやレストランの企画であったり… 町全体で情報を発信 していることに驚かされます。 そして、いま、若い世代も町の魅力作りに大きな力を発揮しています。美観地区の中には町屋をリフォームして作られたおしゃれなカフェがたくさんあります。そこで人気の自家焙煎コーヒー店を営む 小林恭一 さんに、美観地区との関わり方を伺いました。 「美観地区は一つの組織が町を作っているわけではなくて色々なグループがイベントを企画しているんです。活性化にはまず自分たちも楽しまないといけないと思います。 いま、自分が作りたいのは “音楽を奏でる町” です。倉敷には音楽大学もありますが、あまり披露する場所がないのが現状です。これからは若い人たちが発信する場やチャンスを作って行く事も大事だと思います。ふっと来て音楽を奏でる場があってもよいと思うんです。 自分が出来ることは若手のミュージシャンや地元のアーティスト、作家さんなどにお店の空間を提供して、より多くの人に知ってもらい楽しんでもらうことだと思います」 またもう一軒所有している店舗でも、小林さんの発案で地元の大学生たちが週末のカフェ経営にチャレンジをしています。 「経営からコーヒーの基本的な入れ方などの指導はしましたけど、今ではメニュー作りからお店のコンセプトも学生たちに任せています。何かやりたいという気持ちは形にしていけるようにしてあげたいんです。 自分がやりたいのはどちらかと言うと昔ながらの喫茶店。コーヒーを楽しむ場所ではあるけれど、人とのつながりが持てる場所、ハブのようにみんなのアイディアの拠点になればいいなって思います」 魅力の源は暮らす人々にあり この町の魅力は観光用に作りこまれているのではなく、そこで暮らす人々の “本物の生活の息遣いを感じることができる” ことでもあります。 実は美観地区の中にはコンビニエンスストアがありません。立ててはいけないと言う条例は無いそうなのですが、住民が美観地区の中には必要がないと感じるからなのだそうです。 「美観地区にはコンビニや夜型の飲食店はないのは、人がまだちゃんと住んで生活をしているから。もしここが繁華街のようになったら、生活している人たちや年寄りが町から出て行ってしまう。今まだこれだけの建物が並んで観光客の人たちにも一日楽しんで過ごしてもらえる場所はそうない、だからこそ暮らしているもの同士のコミュニケーションは大事。この町を人が住まない映画村のようにしてはいけんとおもうんよ」 と話してくれたのは、美観地区の中で奥様と二人で国内外の木工おもちゃなどを取り扱うおもちゃ屋「伊勢屋」の店主であり、「倉敷伝建地区をまもり育る会」の事務局を務める 角谷義浩 さん。 角谷さんがメンバーとして力を入れているもののひとつに「倉敷町家トラスト」があります。 倉敷町家トラスト代表理事・中村泰典さんによると、空き家になってしまった建物をただ朽ちさせてしまうのはもったいない。『まちに灯をともす』を合言葉に、美観地区周辺にすむ住民など、市民有志によって発足したNPO法人で、美観地区の町家を現代的で機能的に再生させて、訪れた人たちが快適に暮らすように滞在できる施設を作っています。 そうすることによって、地域の生活文化が継承されると同時に美しい景観を保つことも可能になりました。 「丁寧な暮らし」を町屋で学ぶ また倉敷町屋トラストが中心になって去年から毎年10月に行っているイベント「備中 no 町家 de クラス」はなんと期間中に50近くのプログラムを美観地区を中心に備中の各地の町屋などで体験することができます。 中村さんにイベントを始めたきっかけを聞いたところ「ハードだけでは魅力はちゃんと伝わらないからソフトの面でも伝えて行こうと思いました。特別なものはないんやけど、当たり前の町屋生活の文化、これをわしらの世代、50代、60代がもうすでに知らない、そうすると次の世代に引き継げない。自分が知らないことは次には繋げられない。例えば黒竹とモス地から “はたき” を作る講座もありますが、もうハタキは使わない人が多いでしょう? でも、はたきを知ることで丁寧な掃除を知ることが出来るんです。 特別な伝統文化ではない何気ないことを知ることって大事なんだと思います。 “丁寧な暮らし” をもう少しやってみるのも良いんじゃないかと思います。」 ただ形だけの保存ではなく、自分たちの生活もしっかりと大切にしているからこそ美観地区は “本物の魅力” に溢れています。倉敷美観地区で生活する方々のお話から今回強く感じました。 ガイドブックには載っていない暮らす人たちの思いや “丁寧な暮らし” を感じに行ってみませんか? 取材協力/ koba coffee 倉敷川店 住所:岡山県倉敷市本町5-27 TEL:086-425-0050 時間:10:00~18:00 定休日:火曜(祝日の場合は営業) 伊勢屋 住所:岡山県倉敷市本町4-5 TEL: 086-426-1383 時間:9:00~19:00 定休日:月曜 倉敷町屋トラスト 住所:岡山県倉敷市東町1-21 イベント「備中 no 町家 de クラス」 開催期間:10月23日~11月3日
2015年10月02日