1984年横浜生まれ 東京都在住 イラストレーター・エッセイスト・漫画家 アジア、中南米などの海外ひとり旅、メキシコ留学の経験から生まれたカラフルでピースフルな作風で、観る人を優しい気持ちにしてくれる不思議な力を持つアーティスト。 NHK総合「妄想ニホン料理」を始めとするテレビ番組のアートワークや広告、雑誌などの紙媒体を中心に、アニメ、キャラクターデザインから、 旅エッセイの連載、映画、テレビ番組、ラジオ、トークショーなどゲスト出演するなど幅広く活動中。 2011年、著書 旅エッセイ「おかっぱちゃん旅に出る」(小学館文庫)がNHK Eテレでアニメ化。 現在、コミュニケーションを目的としたアトリエ兼、イベントスペース「東京おかっぱちゃんハウス」を東京練馬区にオープン。 2015年5月 第一子を出産、一児の母として育児に奮闘中。 ブージル公式ホームページ
イラストレーターのBoojil(ブージル)ことおかっぱちゃんが、新米ママとして育児に奮闘する様子を連載でお届けする、子育てイラストコラムです。
母になって、人生で初めて保護者という立場になり最も驚いた事は地方自治体からやってくる定期予防注射の種類とその数。 1歳になるまでに受けた方が良いとされる予防注射の種類はなんと4種類以上もあり、それぞれ2本、3本と定期的に打ち続ける必要がある。そのどれもがあまり馴染みのない名前…。 例えば「ヒブ」や「ロタ」解説には初めて見る病原菌の名前ばかりが登場し、わたしはまるで高校受験で元素記号を暗記する学生のような気分になった。 最初「ヒブ」と聞いたとき、わたしはハブやマムシの一種かと思った。そして、「ロタ」はロリータの省略系のようなサウンドで、どちらも何を予防するものなのか説明を読まなければ全く分からない名称。 わたしが幼かったころには聞いた事もない病原菌の数々に、本当にこの注射は必要なのだろうか?という考えも出てくる。 できることなら風邪すらも引かぬような丈夫な身体になってほしいと願うけれど、あの小さな身体に何本も注射を打つなんて大丈夫なんだろうか…。 きっと母になったばかりの女性なら、同じ気持ちを持った事があるに違いない。この注射一本、わたしの選択で、わが子の人生を左右する事になるかもしれないと、この決断をとてもとても重荷に感じた。 両親にも相談をし、悩みに悩んだあげく、結局わたしは無料で受けられる予防接種を4本受ける事にした。病院の窓口で受付を済ませ、息子の名前を問診票に記入する。 初めての予防接種、息子はいつもと変わらない様子。先生を前にしても、わたしの膝の上で安心しているようだ。これから痛い注射を打たれる事を知らず、かわいそうにのお。 「はい~腕を出してくださいねぇ。ちょっとチクッとしますよ~。」と、先生。 この感じ、幼少期を思い出す。小学生のころ、わたしは注射が大嫌いだった。今度は自分の番でなく、息子の番。わたしにも守りたい存在が出来たということか! あぁ、感慨深い。 先生が注射をチクンと息子の腕に刺す。 なんともなかったようなボーッとした表情でいた息子だけれど、数秒すると痛みにやっと気付いたのか「びえ~ん」と泣き出した。 やっぱり、痛いよなあ…。すぐさま抱き上げ、頭をなでてやるとすぐに泣き止む息子。母という存在は、こどもにとって大きな安心材料になるのだなぁと感じた。 病院を出ると、外はお天気が良く気持ちのよい風が吹いていた。息子のやわらかな髪がふわふわと揺れる。わたしはその髪をなでながら、この子が大人になるまでに、わたしはあと何回この子の人生の選択をお手伝いするのだろう。と、ぼんやりと近い未来のことを考えるのだった。 つづく 次回は「息子、初めて風邪を引く」をお届けします。
2016年05月30日大阪に泊まった翌日は、京都へ。生後半年になる息子を連れての旅。京都には、大好きな友達が住んでいる。 アーティストの女友達、もんちゃんの家に今回は家族でお世話になる事になっていた。 もんちゃんとは泊まっていたホテルで待ち合わせ。朝、車で迎えに来てくれた。なんとありがたいことだろう。子連れの旅は、何をするにもえらく時間がかかるし、体力もいる。 常に息子を抱っこをしての移動は、米俵を身体に巻き付けて歩いているような物だ。これはかなりの重労働。 やっぱり子連れの旅であれば、車移動をおすすめしたい。 遠出するなら、レンタカーの旅が最適だろう。 さっそく、もんちゃんが京都のお気に入りスポットに連れて行ってくれるというので、ついていくことに。今回の旅は観光地を巡るのではなく、個性的な良いお店を巡る旅。 まずはランチを食べようと、左京区、出町柳にあるカフェ「菜食庵パドマ」へ。ここは京都で作られた無農薬野菜を使用した安心、安全、健康な食事が楽しめる場所ということで、わたしは「平和的ごはんプレート」を注文。 小鉢に一つずつ、詰められたピカピカの野菜たち。丁寧に調理された食材で構成されたランチは、食べた瞬間から幸せな気持ちになった。 普段から仕事と家事、そして育児もしていると慌ただしく時間が過ぎるばかりで、なかなか時間をかけて自分のために何品目も使って食事を作る事ができない。息子が毎日飲んでいるおっぱいは、わたしの食事からダイレクトに生成されているというのに…。 「毎日こんなに美味しい食事が取れるんだったらいいのになぁ」 わたしは口の中をごはんでいっぱいにして、幸せを噛み締めていた。 大満足の「菜食庵パドマ」を出た後、横にそびえ立つ古い家屋に目がいった。突如現れた廃屋のようなその建物に度肝を抜かれた。 築年数はおそらく100年を越えているかいないか、妖怪が出てきそうな外観で、手を加えたような跡もあるけれど、二階の窓がない。現代に窓のない家が存在するとは…。そこから原色で彩られたオブジェが見え隠れしている。おぉ、ここは強烈だ。中が気になる。 キョロキョロと当たりを見回っていると、店の名前に「村屋」と言う文字を発見。 はて、なんか聞いたことあるような…。あぁ! そうだ! もう何年も前に沖縄で知り合ったミナミちゃんという子が始めた居酒屋だ! 旅人の間では噂になっている呑み処「村屋」。ずっと訪れてみたかった場所にこうしてスッと出会うとは。 聞けば、もんちゃんもわたしたちをここに連れてきたかったというし、世界は狭い! さっそく店内に入ると、ミナミちゃんがいた! 「わ~ひさしぶり! いらっしゃい~。え! お母さんになったの~!?」と、覚えていてくれたようでとても嬉しかった。 彼女に案内され、扉を開き店内の奥に行ってみる。一歩足を踏み入れてびっくり! 各地からやってきたアーティストがその場で制作していった作品の数々で店の奥はごった返していた。おびただしい数のお面や人形が飾られたオリジナルの祭壇から、廃車になった車、扇風機、自転車の車輪、象の人形、目玉のオブジェなどが一緒くたに飾られている。床には藁が敷かれ、もうどこのエリアを旅しているかも分からなくなってくる。 おぉ、これは日本中どこを探しても見つけることのできない場所だ。見ているだけで目がチカチカ、胸がドキドキする。 おびただしい数のお面や人形が飾られたオリジナル祭壇の前で記念に息子と写真を一枚。この思い出が息子の成長にどう影響していくのか、楽しみである。 息子との初めての関西旅行はディープなスポットを巡る、子連れにしては随分と濃い旅になった。次はどこへいこうかなあ! すっかり子連れ旅にハマったわたしはもう次の計画を練り始めていた。 つづく!
2016年04月21日みなさん旅は好きだろうか? 実は、こどもができるまでのわたしは、女ひとりであっちこっち国内外を放浪していたほど根っからの旅好き。 これまで20カ国以上を旅して、特に好きな国はラオスとメキシコと、思えばローカルな場所で結構ハードな旅ばかりしてきた。 夫と結婚する前に、メキシコ、グアテマラ、ペルー、ボリビア、アルゼンチンまで半年にわたる留学を兼ねた旅を最後に、もうこれからはひとり旅でなく、誰かと共に旅しよう。この感動を誰かと共有したい。そう心に決めて帰国した。 それもあって、こどもが産まれても旅したい熱は冷める事なくふつふつと湧いて来る。 わたしは息子におっぱいをあげながら「あぁ~旅がしたい」とこぼし、ある日は、息子を寝かしつけながら「あぁ~旅したいな~」と、ぼんやり考えていた。 世間では、「母になったらすべてをこどもにために注ぐべし! 旅行!? 乳児を連れて? 病気になったらどうするの? どうせ覚えていないんだから、止めておけば?」という人も少なくないと思う。 申し訳ないが、旅はわたしの人生において、とてつもなく重要なポジションにある。仕事上、絶対的に必要なのだ。創作に旅の刺激は大きく影響する! 息子よ、ごめん。母さん、旅が好きなんだ…! もうすぐ息子も生後6ヶ月になることだし、お祝いも兼ねて、初めて家族で旅行に出かけることにした。まだ離乳食もスタート前だし、1日おっぱいだけで済むのも今のうち。そうとすれば、出かけてみようじゃないの! ちょうど紅葉の綺麗な秋。今回は3泊4日、友達がいる大阪、京都の旅へ出かける事にした。 子連れの旅は初めてだから、何かと荷物が多くなる。1つのスーツケースに荷物を詰め込む。 着替えに、防寒着、大量のオムツ、タオル類に、ベビーソープ、哺乳瓶にミルク…。スーツケースの半分がこども用品になってしまった。 早朝、自宅から羽田空港へ。今回は関空を利用した。夫にスーツケースを持ってもらい、わたしは息子を抱っこする。 機内でも息子はほとんど眠っていて、一安心。1時間半のフライトはなんてことなかった。想像していたよりも乳児を連れて旅する事はそんなに大変じゃなさそうだ。 大阪に着くなり、ホテル阪急エキスポパークへチェックイン。 子連れには広々としていて治安も良いし、ゆっくり過ごせる良いホテルだ。 荷物を置いて、外へ。さっそく、高校からの親友と合流。せっかく大阪に来たのだからと、親友が新世界にある串揚げの美味しい店に連れて行ってくれた。 新世界か~!レトロな町並みを歩くだけで、良い気分転換になる。 旅行とはなんて素晴らしいのだろう! 意外と子連れでもなんなく楽しめる場所だった。 久しぶりの再会に心は踊り、お互い母になってからゆっくり話すのは初めてだったので話に花が咲く。 親友には3歳の娘がいる。東京から大阪へ、旦那が家業を継ぐために家族みんなで引っ越した。慣れない土地での子育ては容易ではない様子。旦那は仕事で忙しい。 わたしは育児と仕事を両立しなくてはならない悩みを抱えているけれど、専業主婦の彼女は彼女で、いつもこどもと二人っきりで気分転換をする時間もなく、行き詰まる事もあるという。 育児が始まると、何もかもノンストップだから慌ただしい。わたしだって、たまには仕事をほっぽりだして、育児だけに徹したい。休みたいなぁ、そんな思いを巡らせた事だってある。 その一方で、仕事をしたいママもいるだろう。わたしも、ついつい違う立場にいる人を羨ましく思う事がある。 「あの人はいいなぁ」。 でも、そんな気持ちはどこかへ閉まっておいたほうがいいんだ。 誰かと比べても、結局わたしのこどもは一人しかいない。愛すべき、かけがえのないわが子。同じこどもは世界にどこにもいないのだから。愛情さえ持つ事ができるなら、どんなことだってきっと乗り越えられる。みんな立派なお母さんになれるはずだ。自分もそう信じたい。 お互いのこどもを抱いて串カツを食べながら、わたしたちは「母業、お互い頑張ろうねぇ」と励まし合うのだった。 つづく 次回は、vol.25「ハーフバースデーの子連れ旅 IN ディープな関西 京都編」をお届けします。
2016年03月24日産後、気付かぬうちにやって来た「産後クライシス」の気配…。夫に怒鳴り散らした後、わたしは「あぁ、なんであんな言い方しちゃったんだろう…」と反省するも、夫の仕事が決まらないもどかしさから、不安と焦りで心はざわつくばかり。 そういえば、こどもが産まれてからというもの、特にわたしは日々の育児と仕事に追われ、夫に対する以前のような恋人気分はどこへやら? イチャイチャする気も起きない。 うーん、産後女性は性欲が減ると聞いてはいたけれど、ここまでなくなるものか。それもそのはず、人ひとりを自分の細胞の中で作り上げ、血液から母乳が作られ子の栄養として与えているのだから、性欲が子を育てるための食欲に移行してしまうのは仕方が無い気がする。 わたしは大きな変化があったけれど、夫はどうなんだ? 本当は我慢しているのかもしれない! それだったらかわいそうじゃないか。ずばり、ここは率直に聞いてみよう。 わたし「ねえねえ、性欲ってあるの?」 夫「え? うーん、そうだな…なんか、こども産まれてから減ったんだよね」。 えぇ!? なんと! 夫も減ったとのこと。そうなの? 産後は女性の方が性欲が減って、夫の求愛行動に耐えられずギクシャクするものではなかったのだろうか? 夫がどんどんフェミニンになっていく。このままいけば、いつか夫のおっぱいから母乳が出る日も近いのではないだろうか…。 良いのか、悪いのか分からないが、夫婦の性生活についてはお互い同じ波長のようなので今は育児に徹しろ! ということにしておく。 まぁ、喧嘩は増えたけれど、仲が悪い訳ではないからいいのかもしれない。 産後クライシスをどうにか回避するためには、やっぱり、男性が積極的に育児に関わる必要があるとわたしは思う。妻は夫に優しくされれば、応えようと思うはず。 現段階でわたしの夫は育児に積極的だけれど、世の新米お父さんは、育児にどの程度関わっているだろうか? 特にサラリーマンの人は満員電車に揺られ、仕事が終わっても上司の呑みに付き合わされ帰りは終電。忍び足で玄関から部屋に入ると電気もついていないで真っ暗…。家に帰ったら妻とこどもはスヤスヤ眠っている、なんてお父さんは、なかなか育児に関わる事が出来ないだろう。この生活スタイルでは仕方あるまい。 しかし、その状況の人はぜひ奥さんに優しい言葉のひとつでもかけてあげてほしい。お母さんという生き物は、嫌でも頑張ってしまうもの…。 このご時世、夫の収入だけでは家庭がまわらず、共働きの夫婦も多いのでは? 育メンという言葉があるけれど、「そもそも育児とは女性だけがするものなのだろうか?」と、わたしは疑問に思う。 もちろん、女性にしかできないこともある。授乳だけは女性にしかできない。でも、よく考えてみたら乳が出ない以外は、男性が育児でできないことなんて、ほとんどないんじゃないかしら? 一方、バリバリ働く女性は増えているし、「男性ももっと育児に参加すべき~!」と、わたしは声を大にして言いたい。 仕事だって、育児だって平等に、互いに支えあえたらいいじゃないの。育児は夫婦の毎日の楽しみであってほしいし、授かった上の義務でもある。そんな考えが芽生えたのは、もちろん出産を経てからなんだけれど。 思った以上に育児は想像を遥かに超える、歓びと苦労の連続で、とてもじゃないけど共働きなら、なおさら一人で抱え込むのは大変。もう、男性だけが仕事をする時代でも、女性だけが育児をする時代でもない。夫婦対等な関係は、きっときっと心地よいはず。わたしはそう思う。 ということで、就活中の夫に聞いてみる。 わたし「で、仕事はどうするの?」 夫「一緒に仕事がしたい」 詳しく聞けば、わたしのイラストレーターの仕事と、平行して運営していた文化交流複合施設「東京おかっぱちゃんハウス」で飲食の仕事をしたい。と言うではないか。 「えー!? まさか、その選択!?」 わたしは夫がてっきり転職するものだとばかり思っていたので、意外な返答に拍子抜けしてしまった。超安定型の銀行員を辞め、自営業の世界へ!? そのギャップに動揺しながらも、夫の決意は固いようで、わたしは彼を信じるしかないようだ。 もうすぐ、生後6ヶ月になる息子を抱きながら、その小さな手をキュッと握りしめた。 つづく 「 東京おかっぱちゃんハウス 」とは、練馬区上石神井にある、Boojilが主宰の古民家を利用したアトリエ、シェアオフィス、イベントスペース、カフェ、BAR、ショップを併設した文化交流複合施設です。
2016年03月17日産前産後、育児と平行して一度も仕事を休まずいたわたしは、これから始まる離乳食というものに怯えていた…。 これからもっと忙しくなるのかしら…? このままでは身体が持たない。 転職活動中の夫に「家事全般、やってもらえないだろうか?」と頼んでみると、「いいよ」と、夫はすぐに応えてくれた。その日を境に家事に励むようになった夫。あぁ、よかった。なんて、ありがたいこと。わたしの負担もこれで少しは軽くなるかしら。 日課となる離乳食をスタートするには余裕のある時期が良い。とのことだったので、余裕の出そうな、息子が生後6ヶ月になる頃から離乳食をスタートすることにした。 “妻が働き、夫が主夫に” もちろん夫が次の仕事を決めるまでのことだけれど、蓄えだってそんなに多くあるわけではないし、まだ産まれたばかりの息子を思うと、将来のために、わたしはいつも以上に働く気持ちが芽生えるのだった。 家事全般をこなす夫に対し、わたしが唯一不満に思う事、それは、夫が7年間勤め上げたサラリーマン生活からの反動で、無職になってからの1ヶ月は毎朝9時頃まで布団の中でダラダラ過ごしていることだった。 「毎日が夏休み」。そんな黄金状態、フリーランスのわたしだって、大人になってから体験した事がない。 夫が会社を辞める事は、妻のわたしが勧めたことなのに、首が据わり始めた生後4ヶ月の息子と、無職の夫が毎日家にいる、この状況にわたしは頭を抱え始めた。 そのころのわたしの状況はというと、息子の夜泣きがスタートし、毎日寝不足の中、育児と仕事に追われ、ママ友と優雅にお茶をする時間もなく慌ただしく過ごす日々。 鏡を見れば、髪はボサボサですっぴん姿。女性らしさの欠片もないわたしがいる。完全母乳のせいか、すっかり痩せてしまっているし、疲弊している。 最近新しい服も買ってないな…。このままでは、おちんちんでも生えてきそうだ。本当にわたしがお父さんになってしまうんじゃないか…。 それでも授乳だけは、やはりわたしの仕事なので、息子が夜中3、4回起きるたびに授乳をし、疲れきって、乳をしまい忘れたまま朝目覚めると、横には寝癖だらけの夫が気持ち良さそうにぐうぐうとイビキをかいている。 日中は家事と育児もしているとはいえ、次の仕事はまだ決まらないし、夫の朝のぐうたら具合もせっかくの機会だ。多いに休息したら良い。 と、最初は多めに見ていたけれど…。 夫のぐうたら生活も2ヶ月目に突入。わたしからしたら、「寝不足でもないのに就活もせずぐうたらしているなんて、この朝の怠惰な態度はなんだ!!」と怒りMAX。さすがに堪忍袋の緒が切れた! 「おいっ! ふざけるな!! 早く起きろぉぉぉ~!!」 夫は飛び起きて、何が起こったのか訳も分からず、朝から仁王像のように恐ろしい形相で怒り狂うわたしを前に、目を丸くしてポカーンと口を開けていた。 「子どもができると、女の人はすっかり変わっちゃうからね」。 ふと、いつか友達が言っていた言葉を思い出す。 子どもが産まれる前、夫に対して大声をあげて怒った事なんてかつてなかったのに、自分の変わりように驚きを隠せない。 家事、育児にも協力的な夫に対して、この怒り…。 きたきたきた、わたしにも…。これが「産後クライシス」と言うものか!? どうなるの、わたしたち! ※産後クライシスとは? クライシス(crysis)は、危機・崩壊を意味し、産後2年以内に夫婦の愛情が急速に冷え込む状況に合わせてつくられた造語。 つづく 次回は「性欲激減! 産後クライシス」をお届けします。
2016年03月10日息子が産まれ、4カ月になるころ、夫が会社を辞めた。 これからどうするのか何も決まっていない、宙ぶらりんな状況の中、 息子の4カ月検診の日がやってきた。 ちょっと前までぼーっとした表情が多かった息子も、最近はよく笑うようになって、育児がより楽しくなってきている。 1カ月検診の時からどの程度成長したのだろう? おかげさまで母乳の出もとても良く、息子は毎日おっぱいをよく飲んでくれるので、大きめに育っているように思える。 外出した際も… 「あら~かわいいわね。何カ月?」 「4カ月になります」 「あらまあ! まだ4カ月? 大きいわね~」 といった感じで、必ずと言っていいほど「大きい」と言われる。男の子だからなのかもしれないなあ。息子の体重を計るのが楽しみだ。 私の住む地域は、4カ月検診を保健所で行うそうで、時間通り会場へ行くと同じ区民の赤ちゃんがこれまた何人も集まっている。 日本は少子化だと思っていたんだけどな…。男の子も女の子もたくさん、いろんなサイズの子がいる。 輪ゴムを腕にはめたような、ムッチムチの赤ちゃんもいれば、ひょろ~とほっそりした赤ちゃんまで、みんな生後4ヶ月といっても、成長の早さはさまざま。 髪型もふさふさと大人顔負けの立派なヘアスタイルの赤ちゃんもいれば、うちの息子のようにはげ散らかしたような薄毛の赤ちゃんもいる。 どちらにしても、どの赤ちゃんもみんな、とても、とてもかわいい。 こどもが産まれる前のわたしは、赤ちゃんと言う生き物を、こんなにかわいいと思ったりしなかったのに、母となった今、他人の赤ちゃんまで愛せるのだから女性の身体、感覚の変化とは神秘的だなあと思う。 息子は大きすぎず、小さすぎず程よい感じで成長しているようでほっとした。誰かと比べるわけではないが、どれが正解なのか子育てをしているとよくわからなくなる時がある。 おっぱいだって出ているのだろうけど、どれくらい飲んでいるかなんて 目ではちっとも量れないのだから、母は何かにつけ心配になったりする。 検診では身長、体重、胸の音と、聴覚、視覚、おちんちんの状態を調べてもらった。 「特に異常ありません。」 息子の体重は7.4キロ! 産まれた時は2905gだったのだから、4カ月で倍以上に成長したなんて! 母乳だけ飲んで、こんなにも大きくなるとは人間はすごい。 検診のあとは離乳食についてレクチャーがあった。生後5ヶ月、6ヶ月頃から離乳食を始めても良いとのこと。 離乳食は始めたらノンストップですよ~。1日1回から、2回、3回と数カ月にわたり、食事の回数を増やしていきます。 10倍粥からスタートし、少しずつ食べ物に慣れさせ、おっぱいを飲む回数を減らしていき、栄養バランスを考ながら、献立を替え、1カ月ごとにちょっとずつ量を増やしていきましょう。 栄養士さんのお話を聞きながら、わたしは内心オロオロしていた。 時に授乳しながら仕事をするなど、産後一度も仕事をストップせずにやってきたので、今この状況で、これ以上忙しくなるのは危険…。 育児もしっかりしてあげたいので、余裕をもってスタートさせたい。わたしは離乳食をどのタイミングで始めるのが良いのか決めかねていた。 「どうしたものか~…」。 帰り道、ベビーカーを押しながらわたしはとても良いアイディアを思いついた…。 「そうだ、夫が主夫になればいいんだ!!!」 つづく 次回は「脱サラ夫、主夫になる」をお送りします。
2016年02月29日「会社、辞めておいでよ」 サラリと出た言葉だったけれど、思い返すとびっくりする。 こどもが産まれたばかりで、妻から夫に言う言葉とは思えない。 でも、わたしも仕事をしている身だ。 幸いにも、現段階でイラストレーターの仕事は忙しく、このままいくと育児との両立につまづく事も考えられる。子育ても夫と分担できれば助かるのでは? 夫は長い間サラリーマン生活を送っていたことだし、辞めてすぐは退職金や失業保険でどうにか次のステップまで持つだろう。 翌日、わたしの説得もあり、夫は出社し、上司に辞める事を告げてきた。何度も引き止められたらしいが、夫の意志は固かったようで、引き継ぎの終わる2カ月後を目安に退社することを決めた。 大学卒業後、ずっと続けてきた仕事をこのタイミングで辞めることになるとは、こどもの誕生がわたしたちの運命を大きく変える鍵になっているようにしか思えない。 どうなる? わたしたち!! もともと夫も転職したがっていたし、これはきっと良い選択に違いない。そう自分に言い聞かせながら、わたしは不安と戦っていた。 そして「真面目にやってきたんだ。転職だって頑張ればきっとうまくいく」と自分に言い聞かせた。 学生時代、イラストレーターの卵で、まだまだ仕事のなかったわたしを影ながら応援してくれたのは彼だった。 10年が経ち、こうして仕事が忙しいのは彼のおかげもある。 好きな仕事に就きたいのなら、就けばいい。努力したら報われるはずだ。 今度はわたしが夫を応援する番じゃないか。 共に働こう、共に育児もしよう、夫よ! それから、2カ月が経ち夫は会社を辞め、息子は生後4カ月になった。 その間、育児をする上でのトラブルもなく、すくすく元気に大きくなっていった息子。 もう出社する必要の無い夫は、朝起きてからずっと息子にデレデレしている様子。何をしても可愛いらしい。 わたしが仕事で作業をしている間は、ミルクをあげるのも、オムツ替えも、家事も全部やってくれた。 夫と育児を分担することでわたしの仕事は円滑になった。 これまで、授乳をしながら仕事は猫の手も借りたい状態だったので、 夫の助けは、とてもとても大きかった。 毎朝満員電車に乗り、毎日のように頭を下げ、頑張っていた夫。わたしには到底出来ない。 夫が息子を抱き上げ、満面の笑みであやしている姿を見ると、会社勤めをしていたころよりも、確実に良い顔をしているなぁと思う。 ちいさな手、むちむちのあんよ、ふわふわの甘いおっぱいの香り…。 赤ちゃんと呼べるこの貴重な時間を、こうして家族3人過ごすことができるのは「しあわせ」そのものだ。 夫が会社を辞めた。安定を捨てた。 お金は入ってこない。 でも、今この瞬間は誰がなんと言おうと「しあわせ」だと言える。 不安は大きい。 でもきっと大丈夫、なんとかなる。 わたしたちは家族なんだ。 信じよう。 息子のためなら、夫婦力を合わせてきっと頑張れるだろう。 つづく
2016年02月11日みなさん、こんにちは。 おかっぱちゃんです。 突然ですが、育児中のみなさん、お仕事ってどうされていますか? 私の場合でいうと、産前産後、一度もまとまった休みをとらずにここまでやってきた。 それがよいのか、悪いのはさておき、うちの場合は共働き。夫は外で汗水たらして、がむしゃらに働いている。 ここで夫の仕事を紹介すると、彼は大学卒業後ずっと、小さな銀行の営業でサラリーマンとして働いてきた。 わたしのイラストレーターの仕事と比較するとずっと安定しているし、世間からの信用と言ったらすごいもの。銀行員とイラストレーター。完全に庭が違う。 友達に夫を紹介すると、どうやって知り合ったのか?とよく聞かれる。 もともと高校の同級生だった彼は、学生時代からの親友だった。 親友から夫婦になるとは誰も予想していなかったことだけれど、あらゆるチョメチョメ(笑)を介し、10年という親友関係を逸脱し、わたしたちは夫婦になった。 「結婚するならワイルドな人が良い」そう思い込んでいたわたしは、これまでヒッピーのような容姿の“難あり男子”とばかり恋愛をしては失敗してきた。 男運のなかったわたしにとって、こうして真面目で、優しい彼と結婚できたことは奇跡といってもいい。当時わたしは生涯を共にする人が、こんな身近にいたなんてびっくりしたものだ。 話は戻るが、わたしの仕事は自宅でもできてしまうので、基本わたしが育児と仕事を両立せざるおえない。 しかし、これがなかなか難しい。 平日は仕事で夫は夜まで帰って来ない。 わたしは締め切りに追われ、授乳しながら筆を走らせる日々…。 「あぁ、もっと余裕をもって育児に向き合いたいものだなぁ。でも仕事のキャリアを失いたくはないし…」と、この生活に憤りを感じ始めていた。 そんな中、息子が産まれて2カ月が経った夜のこと。 夫がいつもにも増して疲れてた表情で家に帰って来た。 普段ならドアを開けるなり、息子を抱き上げ、お決まりの赤ちゃん言葉で「ただいま~かえりまちたよ~」と笑顔を見せるのに、今日は息子の顔を見てもニコリともしないのである。 心配した私は、あまりにも元気がない夫に「どうしたの?」と聞くと、どうやらこの春人事異動があってから、仕事量が増え、人手不足でかなりつらい状況だと言う。 真面目で、忍耐強さが売りの夫が、珍しくまいっている。こんなこと今までなかった。 息子が産まれる直前に、今の部署になってから忙しいと話は聞いていたけれど、まさかここまで疲れきってしまうとは。忙しさから心を無くしているように見えた。 大学卒業後、あまり興味の持てない金融の仕事を、真面目に7年も勤めてきた彼が初めて愚痴をこぼした夜だった。 思い返すと、わたしは毎日仕事と育児に追われ、自分のことばかり話して、不満をぶつけ、夫の変化に気付かずにいた。夫がSOSを出す前に、なんでもっと気にかけてあげられなかったのだろう。 わたしは好きな仕事をしている一方、夫は仕事を楽しんでいるのだろうか。つらい事ばかりではないのか? 話を聞いて「面白そうな職場だねえ」と言ってあげられたことは一度もない。 人生の楽しみ方は、いろんなところに転がっているはず。 仕事もひとつではない。意志さえ強く持てば、選ぶ権利あるはずだ。 人生のほとんどを締める仕事の時間を夫にも、もっと楽しんでもらいたい。 小さな息子を抱きながら、わたしは夫にこう言った。 「会社、辞めておいでよ」。 つづく~ おかっぱちゃんの夫の仕事はどうなる? 乞うご期待! 次回は「夫が脱サラ!? ~仕事と育児~後編」をお届けします。
2016年02月05日子どもが産まれると、一年を通して何かとイベントごとが増える。 家族にとって、その子が第一子ともなれば「待ってました!」とばかりにおじいちゃん、おばあちゃんは初孫をこれでもかというくらいにかわいがる。 イベント事ともなれば、盛り上がりはすごいもの。 お宮参りに始まり、生後100日目には「お食い初め」がある。お食い初めとは、子どもが一生食べ物に困らないよう家族が願い、産まれて初めて食べ物を口にする行事のこと。まだ食べれないので“フリ”をするのだ。 わが家の息子がこの世に誕生して、100日目を迎える日、西荻窪にある料亭で両家が集い「お食い初め」をすることになった。 良い機会だ! これは息子にオシャレをさせたい。 わたしは産前から、息子のために買い揃えておいたベビー服の中でも一番お気に入りのものを選んで息子に着せた。 お祝いの席に両家が集い、あいさつを済ませるとさっそく食事が運ばれてきた。 「この度はお子さまの生後100日、おめでとうございます」。 お店の方からお祝いの言葉をかけてもらい嬉しい気持ちになる。 うぅ、母になったわたしも100日記念だ。 息子用の食事はというと、鯛の焼き魚、すまし汁、野菜の煮物、香のもの、赤飯、梅干しが用意された。 う~ん、なんて美味しそうなんだ! 見た目だけでも大満足。美しい盛りつけ。 事前に調べておいた順番通り、ごはん、汁物、ごはん、魚、ごはんを三回食べさせるフリをする。 息子は口元に運ばれてくるものがとっても美味しい高級魚とは知らず、終始口をあけたままぼーっとしている。 赤子とは純粋無垢な生き物よ。良いことも悪いことも判別ができないなんて、ある意味すごいことだ。 そんな無表情な息子に怯まず、おじいちゃんとおばあちゃんは、お酒も入ってやいのやいの楽しそう。 そんな中、突然父がポケットからあるものを取り出した。 「いや~この石ね、竜飛岬で見つけてきたんですよ」。 それは、丈夫な歯が生えるように、孫の歯固めを願う小石だった。わざわざ700キロメートル以上離れた場所から拾ってきたというのだ。 たかが石だとしても、これは嬉しい贈り物。 初孫が産まれ、念願だったおじいちゃんになれた我が父。 「この石はきっと縁起がいいぞ!」と、小石を息子の目の前にそおっと置いて、にこにこと目を細めていた。 その日は、みんな良い笑顔でたくさん、たくさん笑った。何度も何度も息子の名前を呼んで、父も、母もとても嬉しそうな顔をしていた。 3世代でこうして集うことができた今日を忘れないでいたい。 息子が産まれたことで、こんなにも家族に笑顔が増えるなんて思っても見なかった。 こどもの存在とは、ここまで人を幸せにするものだったのか。 これから先、5年、10年、20年と時が過ぎて、息子もそのうち大人になるんだろう。息子が立派な成人を迎えたころ、私たちの両親はまだ元気でいてくれているだろうか? 息子の成長とともに、母も、父も歳を重ねていく。思い出が増えるたびに、残された時間は短くなっていってしまう。親孝行をこれからたくさんできるといいなぁ、と切に思った。 そんなことを感じながら店を後にし、父からもらった小さな石を握りしめ、わたしは少しだけ寂しくなった。 つづく 次回は「夫が脱サラ!? ~仕事と育児~」をお送りします。
2016年01月21日あけましておめでとうございます! みなさま、いかがお過ごしでしょうか? 初めて息子と迎えたお正月。 親戚一同集まって美味しいおせちを囲んで笑顔いっぱいの1日を過ごせました。 2016年も「おかっぱちゃんの子育て奮闘日記」をどうぞよろしくお願い致します! さてさて、本編に。 突然ですが、わたしの夫は双子です。 夫には、背丈も顔もそっくりなお兄さんがいる。 兄の名前はヒロシ、弟はアツシ。 弟のアツシがわたしの夫。 一卵性双生児とは、これほどまで似るものか! DNAが一緒なのでそれもそのはず。顔のパーツがほとんど一緒だし、髪が癖っ毛なところとか、視力が悪いところとか、声までそっくりなので、昔紹介してもらった時はえらく戸惑ったものだ。 わたしたちの結婚式に出席した友人たちはあまりにも似ているので「新郎が二人いるみたいだ」と爆笑していた。 それほどまでに似ている二人だけれど、おもしろいことに性格や職業は正反対。 兄のヒロシは明朗活発で職業は俳優。弟のアツシは温厚で慎重な性格、職業は会社員。銀行の営業の仕事をしている。 普段の生活も異なるし、やっぱり嫁ともなれば微妙に違いが分かってくるもので、今は見分けがつくし、目をつぶって声を聞き分けることも容易になってきた。 しかしながら、これが息子となると、はたして違いがわかるのだろうか? 子煩悩な夫にも負けず劣らず、双子の兄もこどもが大好きで、甥っ子が可愛くて仕方がない様子。 毎週のように甥っ子を見に我が家にやってくるものだから、息子にとってはお父さんが二人いるような感覚になっているような気がしてならない。 どちらがお父さんなのか、息子はどのタイミングで分かるのだろう? 夫としては、いつか息子が間違えて「お父さん」と双子の兄のヒロシに言おうものなら、その夜枕を濡らしてしまうだろう。 生後3カ月の現段階で、幸いにも息子は人見知りを全くせず、どんな人が抱いても泣いたりしない。ニコニコと笑顔を振りまいている。 もちろん双子の兄、ヒロシに対しても、終始笑顔で機嫌が良い。お父さんだと思っているのかもしれない。母のことはおっぱいの匂いで選別できているようだけれど、きっとお父さんの区別はついていないんだろう。 そんな中、双子の兄のヒロシが息子をお風呂に入れたいと言う。 いつも夫がお風呂担当だけれど、双子がゆえ、そっくりだし、お父さんみたいなものだから、きっと大丈夫だろうと、任せることにした。 夫から念入りにシャワーの持ち方や、身体の洗い方を教わり、裸ん坊になった息子を受け渡すと…。 「ぎゃ~うぇ~~~!ぎょ~うわ~ん」 と、いつにもなく息子が泣き始めた!! お風呂で泣くことがなかったので、わたしたちも戸惑う。 違いに気付いたのか、 「父ちゃんじゃねーじゃねーか!」 と、言わんばかりに 大声を上げ、わんわん泣いて涙を流している。 「大丈夫だよ~大丈夫だよ~よしよし~」とヒロシがなだめてみるも効果なし…(涙)。 結局、終始泣きじゃくり真っ赤な顔で風呂から上がった息子。 「こんな小さな脳みそでも、分かっていたのか!」と、母は関心するばかり。 「親の見分けくらいつくわい」と、言っているかのような不服そうな顔で息子がわたしを見る。 「やっぱり俺じゃなきゃダメだな〜。」と、ちょっとだけ誇らしげな顔をして、息子を眺めていた夫がなんだか可愛らしかった。 まさに赤ちゃんの感性に驚いた一日であった。 つづく 次回は「生後100日を祝して! お食い初めの巻」をお届けします。
2016年01月14日みなさんは、骨盤矯正を体験したことはあるだろうか? 先輩ママは言う 「産後は絶対骨盤を元に戻しておいた方がいいよ! 体形が戻らなくなっちゃうから」と。 確かに産後の骨盤は開いており、体はゆがみやすい。 授乳するたびに猫背になるし、添い乳(寝ながら授乳すること)なんてしようものならおかしな体制になり、背骨は更に歪む。 毎日の抱っこで腰はどんどん痛みを増していき、産後2カ月が経ったわたしの体は、ガタガタ。あっという間に息子の体重は、生後間もない時に比べ2倍近くになっていた。 そりゃあ、腰に負担が来るわけだ。 今気をつけておかないと、みるみるうちに子どもは10キロ代に到達し、赤ちゃんから子どもへと成長するのだから、腰痛はますますひどくなるだろう。 先輩ママのアドバイス通り、ここは骨盤を整えるべく、骨盤矯正というやつを試してみようかな。 近所に住んでいる友達が評判の整骨院を紹介してくれた。 保険適応外なので、少々高くつくけれど、効果覿面なのでおすすめだと言う。 聞けば、赤ちゃん同伴でも問題なし。 1回20分程度で5,000円程度かかると言う。 しかも、最初の数カ月は毎週通わなくてはならないとのこと。 「うーん、割と高いな…」でも、そんなに良いなら行ってみたい。彼女が通院する際、わたしも一緒に施術をお願いすることにした。 その整骨院は世田谷のマンションの一室にあり、男の先生がたった一人で営業している。完全予約制でドアを開けると、清潔感のある空間が広がり、無駄なものが何一つとしてない。 「こんにちは!」威勢の良い声で先生が出迎えてくれた。 お? 想像していた硬派な感じのイメージと異なり、先生はまさにサーファーのような装いだった。ぱっちりとした二重、浅黒い肌、筋肉隆々、そしてゆるやかなパーマのかかったヘアスタイル。おそらく40代であろう。どうやってみても、整骨院の先生ではない。 この人がわたしの腰痛を治せるのだろうか? 友達が言うには、通院しなくなった途端、調子が悪くなる。とのことで、どんなゆがみも直せる素晴らしい先生だと言う。 さっそく先生に診てもらうことになり、診察ベッドに横になる。道具を一切使わずに、体のゆがみを全身を使って整えていく。 施術が終わったころには、さっきまで手の届かなかった場所に手が届いたり、硬直した筋肉がしなやかになり、痛みの強かった場所は少し和らいでいるような気がした。 おぉ、これはすごい! 紹介してくれた友人に感謝をしてその日は無事初診を終えた。 「これは続けたらきっと効果があるだろう! 腰痛も和らいでいくに違いない。スタイルも良くなったりして! あはは~」。 そして、翌週受診日を迎えた。その時はまだ、あんなことになろうとは思いもしなかった…。 先週に引き続き、痛みを和らげるため少しずつ筋肉を延ばしていく。ずれてしまった骨の位置を整えるために、先生は親指の力で骨にプレッシャーをかけていく。うぐぐぐぐ…。 なんだか今回はちょっと痛みが強いな。きっと効いている証拠だ…。 そんなことを考えながら、施術は続く。 ちょうど腰の下、おしりの両側の筋肉を先生はまたしてもプッシュ! プッシュ!!! 激痛が走る!! 「うおおおおおお痛い~! 痛いです、せんせえ、痛い」 それでも先生は止まらない。 「うぉぉぉぉぉぉぉ~、はがががががあああぁぁぁあ 痛い!! 痛いぃぃぃ!!!! その声に息子も驚いたのか泣き出してしまい わたしの叫びと、息子の大きな鳴き声で部屋中が不協和音に包まれた! 強烈な激痛と戦い抜いて、その日の施術は終わった。 「はぁ!はぁ!」 先生も全身の力を注いだのか、額に汗をかいていた。 「いや~かなり筋肉が固まってますね!」と、先生。 「ありがとうございました……」。 よくぞ、痛みに耐えたぞ! 自分を励ましつつ、お尻を抑えながら家路に着いた。 夜になり、息子をお風呂に入れようと脱衣所で服を脱ぎ、シャワーを浴びる。 そして、鏡に映った自分の姿を見て唖然とする。 どうりで痛いと思った!!! お尻にきれいな青タンが2つくっきりと出来ているではないか! あぁ、なんということだ。 31歳、母になって、息子と同じ蒙古斑のような青タンができるとは…。 こうしてわたしは骨盤矯正を途中で断念し、未だ腰痛に悩まされるのであった。 トホホ…。 (Boojil) つづく 次回は「お父さんはどっち?夫が双子による問題」
2015年12月31日息子の生後1カ月を祝って、お宮参りに出かけることになった。 そもそもお宮参りとは、その土地の守り神にこどもの誕生を報告し、健やかな成長を願うためのもの。せっかくの機会なので、わたしたち夫婦が結婚式を挙げた歴史ある東京の某神社でお宮参りをすることにした。 振り返れば結婚、妊娠と、今の住まいに引っ越してから大きな変化があった。息子の成長をこの土地の神様に見守ってもらえたらありがたい。 お宮参り当日、天気も良好。両家の家族が集まり、それぞれおしゃれをして、息子を囲む。息子には親戚がお祝いでくれた、可愛い刺繍の入ったベビー服を着せた。 家族全員、終始笑顔が絶えない。あぁ、なんと幸せな日なんだろう。 息子が誕生して一カ月が経ったのと同時に、わたしも母親になり一カ月。今日まで体調も良く、しっかり大きく成長してよかった。親バカだけれど、もうそれだけで親孝行な子だと言ってもいい。 お世話になった宮司さんに挨拶を済ませ、受け付けへ。 御初穂料をお渡しすると「こちらにお子さまのお名前をお書きください」と言われたので、お父さんになって、これまた一カ月の夫が気合いを入れて一筆書くことになった。 受け付けが終わり、しばらく待っていると、、 「あれ? 何か違和感が…」 名前を見直すと、これはびっくり! 息子の名前は、「歓」。 しかし、受け付けには「勧」と書いてあるではないか…! 「ちょっと! ちょっと! 間違えてるよ!!」と、激しく夫にツッコミを入れる。 「はははははは…、本当すみません」。申し訳なさそうな顔でわたしの両親に詫びを入れる夫。 まだ書き慣れていない息子の名前とはいえ、間違えるなんて相当な天然である。 大事なお宮参りにこんな珍事件を起こすなんて、さすがわたしの夫だ。 宮司さんも苦笑いをしながら「はは…、新しくお持ちしましょうか。」と快く差し替えてくれた。 子どもの名前を間違えるとは、あぁ、なんと恥ずかしい。もう一度、今度は間違いのないように綺麗に一筆、 「歓」と書いた。これで一安心。 しばらくして、わたしたちの番になり、本殿の中で祝詞をあげてもらう。 ドンドンドン!! と、太鼓の音が響き渡り、息子の名前が読み上げられると さっきまで静かにしていた息子が目を丸くして「おぎゃ~わ~わ~わ~」と声をあげて泣き出した。 まるで神様と会話をしているようで、その声を聞きながらわたしは心の中で「この子が生涯にわたって健康でありますように」と願った。 これから先、育児に悩むことがきっと出てくるだろう。 そんな時はここに戻って来て、今日のことを思い出すんだ。 わたしはきっと、生涯にわたって、ずっとこの子の健康を願うだろう…。 (Boojil) つづく 次回は「あいたたた…悶絶!骨盤矯正」をお送りします。
2015年12月24日産後1カ月が経過し、検診も終え我が家へ戻ることになった。 実家から帰る日、わたしはお気に入りの赤いワンピースに着替え、 息子は親戚から出産祝いでいただいた、高級ブランド“ラルフ◯ーレン”のロンパースを着せた。 実家ではほとんど寝間着で過ごしていたので、今日くらいお洒落をして新生活をスタートさせたい。 晴れ晴れしい気持ちで実家を後にし、東京へ戻った。 これからは両親の助けなしで家事をこなさなくてはならない。 お料理、掃除、洗濯。そして、わたしはイラストレーターとして仕事もしているので家事、育児、仕事を全て両立しなくてはいけない。 夫はサラリーマンだし、日中は一人でやるしかない。 う~む、息子のためだ!少々の不安は置いといて、楽しく頑張れるだろう! さっそく始まった新生活。梅雨真っ只中の時期だった。 子どもが産まれて間もなく、家事の中で一番変化があるものそれは…。洗濯物の量である。 赤ちゃんは汗っかき! 着替えさせては洗濯かごへ。 あぁ、またミルクをこぼしたよ~。着替えさせて、またもや洗濯かごへ。今度はお漏らし!? はいは~い。着替えさせて、更に洗濯かごへ。 こんな感じで朝から晩まで洗濯物は増えていき、 気づいた時には、洗濯かごは一晩で山盛りに…。 そんなことになっているご家庭はたくさんあることだろう。 我が家の洗濯物も見事増え、毎朝洗濯機をまわしている。 洗濯機と同じリズムでグルグルとスピードを上げて過ぎていく日々。あぁ、わたしの母もこうして毎日洗濯をしてくれていたのだなあ。実家から離れた途端、母への感謝が止まらない。 カゴから洗濯物を拾い上げ、一枚一枚干していく。 すると、何かがおかしい…。 ……あれ? 息子の肌着の一部に黒い点がいくつも付いている。よく見てみると、それはなんとカビだった!! 梅雨の影響で洗濯物がカビているではないか。ものすごい勢いで、自分の服も見直してみる。 大丈夫だ! 自分の服はカビていない!!!! それにしても、なぜ息子の肌着だけ…。 思い返してみると、息子の服はいつも母乳がついてしまっていたのだった。 授乳するたびに必ずと言っていいほど、わたしの母乳は勢い良く飛び出し息子の服に飛び散ってしまうのだった。 母乳が出ることはありがたいことだけれど、息子の服は毎度毎度乳臭くなっている。 あぁ、これは遥か昔に嗅いだことがある臭いと似ている。小学生時代給食当番で、こぼした牛乳を雑巾で拭いて、それがそのまま乾いた時の臭いに似ている。ショックのあまり顔が引きつる。 そんな中、最悪の事態が。 「ぎゃーどうしてよりによってこの服が!?」 なんと、息子の一張羅、高級ブランドベビー服にも黒い点がびっしりとついている。 カ、カビが生えているではないか!! 「息子の一張羅があぁぁぁぁ~!」 あまりのショックに何度も見直してみるが、やはりカビに違いなかった。 その週は毎日雨が降っていて洗濯ができなかったのだ。 たった一晩放置しただけで、こうして息子の服はカビだらけになってしまった。 なんということ…。洗濯物との戦いは始まったばかり。今日も、そして明日も洗濯戦争は続いていく。 (Boojil) つづく 次回は「お宮参りで大失敗!」をお届けします。
2015年12月17日ついにその日はやってきた。そう、1カ月検診である。 息子が誕生してから1カ月。初めて外の世界に連れ出す日がやってきたのだ。 今までずっと家の中で暮らしていたものだから、外に出るだけでも何かと心配ごとが増える。 えーっと、お出かけするには何か必要なんだっけ? オムツは何枚? おくるみも持っていった方がいいかな。 着替えは?下着と…帽子もあったほうがいいかしら。 泣き出したときはどうしたらいいんだろうなぁ…。 21歳のころ、初めてのひとり旅でタイとラオスに出かけた時よりも不安だ。自分一人で出かけるときと訳が違う。 外に出る前に、友達から借りていたスリングに息子をいれる練習をしてみる。 両手にすっぽり収まる小さな体。1カ月経ったとはいえ、頼りなく見える。 「わたしが守ってあげるよお~」。誰かに奪われるわけでもないのに、自然とそんな言葉が出て来てしまう。 スリングにくるまれた息子はなんだか安心したようで眠ったまま。 よし、このタイミングで出たほうがいいな。 予約しておいた時間に到着できるよう、余裕をもって家を出た。 ドアを閉め、前日用意した持ち物を念入りに確認し、いざゆかん! 1カ月検診へ!! 眠ったままの息子を抱きながら、駅までの道を歩く。目の前には昔通った小学校がある。 この道は、わたしが幼いころから何も変わっていない。 いじめられて泣きながら歩いたこともあったし、今は亡き愛犬と毎日のように散歩をしたこともあった。母と喧嘩をして家を飛び出したこともあったっけ。この道を何往復もして、わたしはここで育ったんだ。 いろんなことがあったけれど、そんなわたしも今こうして母親になったんだな。 産後体調を崩していたわたしは、外を歩いているだけなのにいろんな想いを巡らせて目頭が熱くなった。さんさんと太陽が輝く、とても気持ちの良い日。 息子を抱っこしたまま、電車とバスを利用して病院へ。 何をするにもいちいち気を使って緊張してしまい、40分の道のりがやけに長く感じた。 病院に到着するなり、入り口に立っていたおばあさんに声をかけられる。 「あらぁ、かわいい。こんなに小さな子、何十年振りに見るわぁ!」 「今日、1カ月検診なんです」わたしがそう答えると、ニコニコと「それはおめでとうございます」と答えてくれた。 きっと息子を抱いていなければ、話すことのなかったおばあさん。 “赤ちゃん”が持っているパワーはすごい。と感じた出来事だった。この子がいるだけで、誰かが笑顔になるなんて幸せだなあ、と思う。 受け付けを済ませ、息子の服を脱がせ、オムツ一枚に。おくるみで巻いたまま抱きかかえ、名前が呼ばれるまで待機。 「歓く~ん」 初めて息子の名前が呼ばれた。 中に入るなり、毎日の授乳回数を伝えてから、体重、身長を計り、聴覚、視覚の検査、そして、おちんちんの状態を先生がチェックする。 見るところ、異常もないように見えるわが息子。はて、結果はどうだろう…。ソワソワしながら先生の言葉を待つ。 「乳児湿疹もないし、肌もきれい。異常なし! 体重も順調に増えているし、とても健康です」 この言葉を待っていた! あぁ、よかったぁ。 息子の体重は4300gほどになり、産まれた時の体重から1.5kg増えたことになる。 たった1カ月の間に、わたしは250回以上おっぱいをあげてきた。 その積み重ねが、この子を大きくしていたんだなぁ。と思うと、感慨深い。産後体調を崩していたわたしは、この結果に本当に救われた。 1カ月検診は、お母さんのオリンピックだ。 子供の成長は、毎日のおっぱいをへてようやく結果が出る。 子供の体重増加は、お母さんの頑張った証。 お母さんはみんなメダリスト。 今日は自分にメダルをあげたい。 帰りも息子はぐっすりと眠っていて、何事もなく無事家に帰ってくることが出来た。 「よしよし、大きくなったねえ。よかったねえ」 これから先、この子が大人になるまでずーっと側で成長を見守ってやりたいと思う。 つづく 次回は「カビと戦う洗濯ママ」をお送りします。
2015年12月10日へその緒。それはお母さんと赤ちゃんをつなぐ、大切な大切な命綱。皆さんは、ご自身が生まれた時についていたへその緒を見たことがあるだろうか? わたしの場合、母が大切に保管していてくれたので、中学生に上がったころ、一度見せてもらったことがある。 小さな木箱に納められた自分のへその緒は、カラッからに乾燥していて、くちゃくちゃになっていた。 それはまるでホームに捨てられ、誰かに踏まれたガムのようだった。 当時の私はこう思った。 「へその緒なんて、つまらないものだな」。 そう思っていた自分が恥ずかしい。 母になった今、へその緒がどんなに尊いものか分かる。 母体の胎盤から赤ちゃんへ栄養を送り届けるために必死に頑張ってきたへその緒。 あぁ、お前がいなかったらこの子が育っていないのだねえ。ありがとう、へその緒よ。 死ぬ思いで産み落とした我が子。あの瞬間のことは今でも忘れられない。 「へその緒、切りますね」先生の言葉がやけに重く感じた。息子と私はまさにつながっていたんだ。 生後4週間が経ったころ、だんだん育児にも慣れてきて、おしめ替えや授乳も暮らしに定着してきた。みるみるうちに大きくなっていく息子。 もうすぐ1カ月検診が迫っている。検診が終わったらいよいよ実家での暮らしともお別れだ。 朝、いつものようにおしめを替えていると、 「ポロリ」とへその緒が取れた。 「わ~! やっと取れた。これがへその緒か」。 まじまじと見つめてみると、昔私が見たへその緒と形状もほとんど同じように感じる。 生まれた瞬間ついていたへその緒は水分を含んだ状態でぶわぶわだったのに、 今はこんなにもちっちゃくなってカラッカラだ。 息子から離れたばかりのへその緒。 なんだか愛おしく感じる。 日本ではへその緒を大切に保管している人が多く、中にはお守りとして扱う人もいるらしい。 「さて、私はどうしようかな。そうだ、後で母に相談しよう。保管するにもケースを買わなくちゃ。とりあえず、へその緒は枕元に置いて…と! さて、朝食にしようかな」。 私の両親は共働きで、その日、母は仕事に出ていた。息子を抱っこしながら、母が用意してくれた朝食を食べる。しばらくゴロゴロしてから部屋に戻ると、、、あれ、ない。へその緒がないではないか! おむつケースの中、枕元、部屋の隅から隅まで探してみるも、さっきまであったはずのへその緒はどこを探してもなかった! はっ! そういえば、さっき朝食を食べている間、私の部屋から掃除機の音がしていたな…。 これは…父だ!!! たまたま休みだった父が、産後の私を気遣い、家の掃除していたのだった。なんと!! まさか、まさかの最悪パターンである。 父は気付かずに、掃除機でへその緒を吸い込んだのである。 「うわ~ん、大事なへその緒が~」 なぜこのタイミングに掃除なんて…。 しかし、悪気のない父を怒れるはずもなく、私は自己管理の悪さも重なって、涙がボロリと出てきてしまった。 いつもなら頑固で絶対に謝ることのない父も、今回ばかりはかわいい孫のためなのか、申し訳なさそうな顔で「きっとあるよ。掃除機のパックをあさったら出てくるかもしれないぞ」と言う。 そこで、わたしは泣く泣く掃除機のパックの中を探すことにした。 悲しいことに、パックの中は糸くずやホコリ、髪の毛、時には虫までもが詰まったゴミの山。 しかし、諦める訳にはいかない!!! この中にへその緒が…!なんとしてでも……! 母は強し。息子のためになんのその。手づかみでゴミの中を探っていったが見つからない。15分くらいして、ようやく出て来た! 「あ! あった!!」 ……と思ってよくよく見てみると、なんとそれはゴキブリの死骸だった。 「ギャーーーーーーーーーーーーー!」 こうして、息子のへその緒の行方は未だ分からず、 残ったものといえば、ゴキブリの死骸の感触だけだった。 (Boojil) つづく 「次回は、いざゆかん!一ヶ月検診へ」をお届けします。
2015年12月03日わたしにとって産後、一番辛いこと。それは日々の睡眠不足。産後間もない、新生児の間は特に睡眠が取りにくい。 夜眠り始めても、2時間もすると我が子は泣き出し、30分かけておっぱいをあげ、お腹がいっぱいになったところで再び眠る。そしてまた、2時間もしたら泣き出すものだから、女性は母になった途端、誰もが寝不足の辛い毎日を送ることになる。 産後、実家での生活も3週間が過ぎ、相変わらず眠れない日々が続いていた。 いくら早い時間に布団に入ったとしても、息子の存在が気になって仕方ない。 またすぐに泣き出すのではないか? そう思うと気がちって眠りに集中できないでいた。 「あぁ…眠い…」 そんな不眠に悩むわたしを余所に、夫はぐうぐうと幸せそうに眠りこけている。あぁ、羨ましい。こっちの気持ちも少しはくんでほしいものだ。 しかしながら、夫は翌朝6時に起きて出社しなくてはならないし、起きてもらったって何をしてもらうわけでもない。 不眠続きで体力が奪われ、起きている間もなんだか気持ちを明るく保てない。あぁ、今日も眠れないのか。そう思いながら日々を過ごしていたら、いつの間にかわたしは、夜中息子が泣くたびに怯えるようになってしまった。 かわいいはずの息子が怖い。そんな気持ちを持つなんて、わたしは母親失格? 「赤ちゃん、育てていけないかもしれない」顔を両手で覆って号泣し、母に泣きついた。まさか! そんな言葉が口から出るとは自分でもひどくショックを受けた。 前の回でも書いたが、産後の体力低下に伴いちょっと前に病気にもかかって、精神的に落ち込んでいる。今思い返せば、これはまさに産後鬱!? まずい、まずい。このまま眠れない日々が続けば精神的にもっともっと落ち込んでいく気がする。そう思った私は、眠れる方法をどうにか編み出そうと色々と探ってみることにした。 お風呂で身体を十分温めてみたり、つまらない小説本を読んでみたり、布団に入る前も後もいろいろと試してみるも、眠れない。 「うーん、これはまいったな…。どうしたらよいものか」 悩みに悩んだ末、リラックスできそうな音楽をかけて眠ってみることにした。わたしが選曲したのは「ノラ・ジョーンズ / don’t know why」 誰もが知っている名盤。いつも聞いているようなボリュームより、もう少し大きな音で「どんのおわあい~どのわい~でぃでぅんか~」 エンドレスでかかるように、リピートにしておく。 「どんのおわあい~どのわい~どんのおわあい~どのわい~」 いつもより曲に集中してみる。すると…? これが、、、、なんと効果覿面!!!!!! わたしの頭は雑念から解放され、思考はすべてノラ・ジョーンズのどんのおぉわあい。 「don`t know why 分からないの…」と彼女は歌うけれど、いや、分かるよお! ノラ~分かるよお!と、頭ではそれを繰り返す。 3回程この曲が繰り返された頃、ようやくウトウトと眠りにつくことが出来た。 こうしてわたしの不眠続きの日々は、ノラ・ジョーンズのおかげで解消されたのだった。 2時間おきの授乳は相変わらずだったけれど、その隙間で眠れるようになるまでに回復し、毎日少しずつ眠る時間を増やしていくことで、わたしはすっかり元気になっていった。 元気になったとたん、自分の子どもの可愛さに再び気づく。 それにしてもどうして眠れなかったのか。 子育てができないなんて、どうして思ってしまったのか。 どんのおわあい、don’t know why あぁ、不眠は怖いよ。あぁ、産後鬱は怖いよ。 こうしてしばらくの間、ノラ・ジョーンズなしでは逆に眠れなくなってしまったわたしだった。 (Boojil) つづく 次回、「ぼくの大事なへその緒はどこへ?」をお送りします。 お楽しみに~!
2015年11月26日不眠、そして体調不良の中、搾乳する日々が続き、実家での生活も3日が過ぎたころ、身体の異常に気づく。 「うぅ、寒気がする」 ブルブルと震え始める唇。身体中が寒い。顔色も悪い。 強い悪寒を抑えるため、母にお願いし、家中の布団をかき集めかけてもらった。 その数なんと6枚! それでも身体の震えは収まらない。 さすがにこれはおかしい。 急性胃腸炎との診断で、薬も飲んだはずだし 少しは症状がやわらぐと予想していたのにこれは…? 熱を測ってみると、なんと39度2分もある。 久しぶりの高熱に、目を疑う。急性胃腸炎ってこんなに高熱が出るもの? この身体の震えは、まずい。更に熱が上がっていくような気がしてならない。このままでは、息子を抱っこしてやることもできないではないか。 私の母もオロオロし始めた。可愛い初孫が産まれたのはいいが、娘がこんな状態ではさすがに心配する。タイミングよく、夫が会社から帰って来た。 「わ! どうしたの? 熱? あぁ~、心配だぁ」 夫もオロオロし始める。この負のサイクル、誰か止めてくれないものか。 その後、父も仕事から帰宅した 「これはひとまず病院にいこう」 その日は土曜日で、病院も夜間救急してやっていない時間帯だった。 わたしは車で父に連れられ、夫と一緒に息子を産んだ横浜の病院に舞い戻った。 「あぁ、こんな状態でまた病院に戻って来てしまうとは。トホホ」。 病院に到着し、熱を測り直してみる。 なんと42度まで上がっていた。こんなに高熱が出たのは産まれて初めて。 頭がぼうっとして、ふらふらする。きちんと歩くことができなかった。それもそのはず、こんなに熱が高いんだもの。 2週間前、わたしはこの病院で息子を産んだ。 全体力を振り絞り、大声を上げて、死ぬ思いで産まれてきた、わたしの大事な赤ちゃん。 でも、ここに息子はいない。 何か大きな病気にかかっているのかもしれない。 わたしはこのまま死んでしまうのかもしれない。 もうこのまま息子を抱きしめられないのかもしれない。 病院のベッドに倒れ込む。 わたしの頭は不安でいっぱいだった。 尿検査、血液検査、点滴、念のためにCTスキャンもした。 結果が出るまで、しばらく待った結果…。 「急性胃腸炎、それに加え膀胱炎ですね。」 え!? なんと?膀胱炎??? 先生の結果はこうだった。 「急性胃腸炎にかかったことで身体に必要な水分がかなりの量、外に出てしまっています。 それに加え、膀胱炎のせいで、本来なら菌を出すための尿がほとんど出ていない。水分不足からやってくる、高熱です。」 なんと! いつの間にやら膀胱炎にもかかっていたとは!! 産後は色んな病気にかかりやすいとのこと。 そして、産後は補給した水分がおっぱいに取られてしまうため、普段より多めに水分をとらなくてはいけないそうだ。 わたしは毎日2リットル以上の水を飲むことになった。 その日を境に高熱からは解放され、再び実家での育児に追われる生活がスタートした。 こどもが産まれてから、この数日の間で味わったことのない幸福感と、心身ともに苦しむ地獄のような時間が波のように押し寄せて、行ったり来たりしている。 そんな中、母や父、そして夫は無償の愛で全力サポートしてくれた。 仕事で疲れているはずの父も、夫も病院でずっとわたしを待っていてくれた。 母も仕事を休んで育児に徹してくれた。 これかあ、家族ってものは。すごい、すごい深い絆で出来ているんだなぁ。 こどもを産む前よりも、家族のありがたみを更に感じている自分がいる。 わたしも母になったんだ。体調を崩している場合じゃない。 不眠続きの毎日をどうにか克服していかなければ…! (Boojil) つづく こうしておかっぱちゃんは不眠対策を練り始める。 次回、不眠に効果的な◯◯が登場。次回もお楽しみに。
2015年11月19日不眠が続いた1週間が過ぎ、体調不良のまま実家に戻ることとなった。 昨夜に比べれば、熱も38度から37度くらいに下がったし、どうにか治りそう。 こどもが産まれて2週間。「母ちゃんになったわたしがこんな状態でどうする!」と、自分に気合いをいれた。 実家に帰るなり、まずは病院へ。 「その症状だと、急性胃腸炎ですね。流行っているし、薬のんで安静にしてください。一応薬は授乳に影響の少ない物を出しておきますが、心配な場合、授乳は控えてミルクをあげることをお勧めします。一概に赤ちゃんに影響がないとは言えないので」 急性胃腸炎か…。やはり。 夫の親戚からもらった急性胃腸炎。この時期になるなんて、ついていない。それも産後の体力低下によるものだろう。 わたしは買っておいた手動の搾乳機を使って、 薬を飲む前に初めての搾乳をしてみることにした。 搾乳は簡単なようで実は難しく、手の力も必要だ。なんせ手動の場合、何度も何度もハンドルをプッシュしなくてはならず、1回のプッシュでほんの数滴しか搾ることが出来ない。 あぁ、乳を搾ることがこんなにも大変なこととは…涙 こんなことなら自動搾乳機にすべきだったか? でもあれは、2万円以上もする高価な品なんだ。うぅ、勇気のないわたしよ…。 体調不良の中、もうこれ以上一人で搾乳機でえんやこらやるのはしんどいものがあり、わたしは夫に声をかけ 「わたしの乳、搾ってくれないかな…」と、危うくAV業界に足を突っ込みそうなお願いをした。 そしてここからが大変! 夫がわたしの後ろに入り、搾乳機を持って何度もプッシュ。わたしは搾乳機と乳の間に溝が出来ないよう支えに入る。 こんな姿、死んでも親にも子にも見せられない! その滑稽な自分の姿に笑いがこみ上げて来た。 くくくくっ…! あぁ、なんだこのコントのようなやりとりは!! スヤスヤ眠る我が子の前で、わたしたちは力いっぱい乳搾りをした。 その姿はまさに牛と牧場の主。約30分搾り続け、ようやく集まった乳はそれでも100ml。搾乳とはもっと楽なものかと思っていた。こんなにも体力がいるなんて。 「ぜえぜえ…」わたしも夫も疲れきってしまった。 世のお母さんたちは搾乳して、それを冷凍保存しているとは! わたしは搾乳するたびに、夫と牛と牧場の主の関係を結ばなくてはならない。 処方された薬を飲んだ。あぁ、これでしばらくおっぱいはあげられないなぁ。なんだか悲しい気分になり、不安な思いを巡らせていると、息子が泣き始めた。 目を覚ましたところに、絞り立てのおっぱいを与えてみる。 哺乳瓶に吸い付く、わが息子。 その姿を見て「あぁ頑張って搾ったかいがあった」と胸をなで下ろす自分がいた。 わたしの体調はいつよくなるんだろう? 今夜は眠れるだろうか? まだまだ続く不安、そして迫り来る産後うつの気配。 (Boojil) おかっぱちゃんの子育て奮闘日記。 いよいよ次回、おかっぱちゃんがノックダウン!? 何があったのか? 乞うご期待!
2015年11月12日夫の実家で眠れない日々を過ごして4日ほどが経ったころ、夫の親戚が遊びにくることになった。 結婚式でもお会いしたことのある伯母さんに、夫の従妹に、そのこどもたちがお祝いに来てくれた。こどもたちも初めて見る小さな赤ちゃんに触れて、終始嬉しそうだった。 一緒に昼食をとり、子育てに関していろいろとアドバイスをもらって良い時間を過ごさせてもらったのだけれど…。 その日の夜も、わたしは寝付けずにいた。 うーんなんだか気持ちが悪いぞ…どうやら熱もあるようだ。身体が熱い。 寝苦しさから喉が渇いたので、夜中水を飲みにキッチンへ。 コップ一杯の水を「ゴクン!」と一気に飲みほして部屋に戻ると、急激な吐き気がやってきた。 夜中3時ごろ、トイレに駆け込み「おえおえおええ~!」 どうしたものか、全て嘔吐してしまった。 ふと昨日のことを思い出す。そういえば、夫の伯母さんが 「ついこの前、急性胃腸炎で家族全員嘔吐と下痢で大変だったのよ~」 と話していたっけ。 ・・・・は! もしや、この急激な吐き気は、急性胃腸炎なのか? 発熱 嘔吐 不眠 産後の体力低下に加えて、この仕打ちはなんなのだろう。 それでも、2時間起きに息子はおっぱいが欲しくて泣き出してしまう。 「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあああああ」 あぁ、おっぱいをあげなくちゃ わたしが頑張らなくちゃ。 わたしが元気でいなくっちゃ、この子は生きていけない。 大きくなれない。死んでしまう。 母になったのに、身体を壊した自分が恥ずかしくて、情けなくて、辛くて、辛くて涙が出て来てしまった。 「あぁ、お家に帰りたい」。 そう思ってしまった。 実家に帰れば眠れるかもしれない。 相変わらず義理の両親はわたしたちにとても良くしてくれて、家事は何一つしないでいい暮らしをさせていただいていたのだけど、気遣いから知らず知らずストレスが溜まっていたようで、不眠の辛さも重なって、体力的にも精神的にも辛くなってきてしまった。 翌日、夫の家族に具合が悪いことを伝えると、とてもとても心配された。 この時、ほとんど眠れていないことも告げると、ふみ婆が 「その夜は授乳は大変だろうから、ミルクをあげてみよう」と提案してくれた。 ミルクか、果たして飲んでくれるのだろうか? ネットで色々と調べてみると、哺乳瓶のちくびの種類によっては赤ちゃんが嫌がってミルクを飲もうとしないこともあるとのこと。 これから先、ミルクを嫌がる赤ちゃんになってしまうと、搾乳するしかなく、 今後誰かに預けることもなかなかできない。と書いてある。 「うちの子はどうだろうか…」不安がよぎる。 ミルクを飲まなかったら、この具合がすこぶる悪い中でも変わらず授乳をしなくてはならない。 ただでさえおっぱいをあげているだけで、ものすごい体力を奪われているのに、この状態はピンチだ。 産前に買っておいた哺乳瓶。このタイミングで早くも使うときがきてしまうとは。 おっぱいの出も良いし、しばらくは完全母乳でいきたかったのに。無念! でも、今は仕方ない。ひとまずちゃんと眠れるように努力せねば。 ふみ婆のお言葉に甘えて、その夜はミルクを代理で与えてもらうことにした。 ベッドで横になり、安心感からか1時間程眠りにつくことが出来た。 その後すぐに息子の泣き声が「うんぎゃあ、うんぎゃあ!」 部屋越しに、夫とふみ婆がミルクをあげているようだ。 飲んだかな、飲んだかな? 大丈夫かなぁ。 わたしは、自分でおっぱいをあげられない不甲斐無さから、責任を感じていた。 やっぱり気になってしまい、ふらふらとした身体で、ドアを開け様子を見に行くと、 歓は、ミルクを飲んでいた。 「あぁ、よかったあ。あぁ、よかったぁ。えらいねぇ、歓。えらいよ、よく飲んだね」 溢れ出す涙。ぬぐってもぬぐっても、止まらない。 ゴクンゴクンと、一生懸命ミルクを飲む姿を見て、わたしは義理の母を前に、初めて号泣した。 その姿を見て、彼女はわたしの背中をさすって 「大丈夫よ、心配しないで大丈夫。ちゃんと元気に育つから、安心して大丈夫よ」と慰めてくれるのだった。 これはきっと産後鬱の始まりだったのだろう。 (Boojil) つづく まだまだ続く、試練におかっぱちゃんは耐えられるのか!?
2015年11月05日産後、実家での暮らしも10日が過ぎ、子どものいる生活が少しずつ定着してきた。 両親は初孫につきっきり。息子の歓がちょっと目を開けるだけで 「おぉ、起きたのか!」 「誰に似てるかな~よちよち」などと、終始笑顔で接している。 わたしの方はと言うと、相変わらず2時間半おきに起きては、授乳をする日々。 1日のうち、授乳している時間以外はほぼ目を閉じている息子。 生まれてまだ10日。小さな身体に小さな手足。 ただ眠っているだけなのに、どうしてこんなにもかわいいものか。 睡眠不足でぼやぼやの頭でも、息子を抱きしめれば何でも頑張れる気がした。 話は変わるが、夫とは高校時代の同級生同士。 そのこともあって、実家同士がとても近い。 初孫となった息子とこの時期一緒に生活できるのは、とても貴重なことだし、何よりの親孝行になると考え、わたしは次の日から、夫の実家でも一週間暮らすことにしていた。 世間では、嫁・姑問題が勃発し、夫の実家で産後過ごすことは稀なようだけれど、おかげさまで義理の両親とはとても仲が良くさせてもらっているし、きっと互いに良い時間を過ごせるだろう。そんな気軽な気持ちでいた。 翌日、揃えたばかりの赤ちゃんグッズを全て車に詰め込み、夫の実家へ。 大量のオムツに、下着、ベビーバス、赤ちゃんとは小さな身体の割に、必要な物が多い。 ちょっとした引っ越しをする気分だった。 わたしは、新しい環境で息子と、夫家族と過ごすことを楽しみにしていた。 義理の両親は、ふみ婆と、すみ爺。 初孫は最高にかわいいようだ。そして彼らは、孫をあやすときだけ、キャラクターが崩壊する。 「あら~かわいいでちゅねえ~」 「しょーか、しょーか(そうか、そうか)」 世の爺さん、婆さんは孫を抱っこしては、こうしてみんな赤ちゃん言葉になってしまうのだろう。 その日の夜はご馳走だった。 「ちゃんと食べて、元気になって、おっぱいがたくさんでるといいからね」 実家でも母が毎晩栄養満点のおいしい食事を用意してくれていたけれど、こうして義理の母も、わたしにとても尽くしてくれた。 あぁ、なんてありがたいこと。 夫も久しぶりに過ごす家族との時間がとても嬉しそう。 結婚して、家族になって、こうしてまた新しいメンバーを迎えられて本当によかった。 夕食を食べて息子の沐浴を終わらせ、「さぁ眠るか~」とベッドに入るも…はて。眠れない。 しばらく目をつむっていても、刻々と過ぎていく時間。 0時、1時、2時…「おぎゃあ、おぎゃあ」その間にまた息子の歓が泣き出した。 すぐに抱き上げ、おっぱいをあげる。 満足したのかまた深い眠りに入る息子。 うーん、うらやましい。わたしもこうして誰かに抱っこされながら眠りたい。 眠気はMAXを迎えているのに、どうやっても寝付けないのは、どうしてだろう? 夫がちょっと寝返りをうっただけで音が気になってしまい寝付けない。 「はぁ、これは困ったな…」 わたしはこんなに神経質だったっけ? 目をつむりながら、眠ろうと努力してみたけれど無理だった。 その間、自分が小さかったときのことを思い出したり、その日の出来事を思い出したりしていたら、いつの間にか外が明るくなり朝になってしまった。 …しまった。眠れない。これは…どうしたものか。 その日以降、わたしは不眠気味になってしまった。 きっと、環境の変化のせいだ。おっぱいも数時間おきにあげないといけないし、眠れないのはなかなか辛いものである。 そんな中、かわいいはずの息子が泣き始めると 「わたしだって泣きたい」と悲しくなってしまい、一人息子を抱きしめながら部屋でしくしく泣いた。 ただ眠れないことでこんなにも追いつめられるとは、思っても見なかった。 こんなにもメンタル面が弱くなるとは、とほほ。 そんなある日、またしても事件が勃発するのであった…。 (Boojil) つづく
2015年10月29日産後1週間目の息子。実家へ帰った夜、初めての沐浴はわたしが担当することになった。 新生児は、想像していたよりはるかに小さい。手足は細く、柔らかで頼りない。 頭も小さく、人形のようだ。強く握りしめたら壊れてしまいそうなほど、生まれたての身体は華奢でやさしく、丁寧に扱わないと死んでしまうんじゃないかと思う。 産前用意しておいたベビーバスに、息子の頭を左手で支えながら入れる。 自由に使えるのは右手だけ。シャワーを扱うのも、身体を洗うのも片手だけで行わなくてはならない。 赤ちゃんの肌は絹のように滑らかで、わたしの肌のようにホクロも、痣もついていない。 石けんひとつとっても、低刺激のものでないと肌荒れしてしまうのではないかと少々心配もした。 息子は、ベビーバスの中で目を開いてなんとも言えぬ気持ちのよい顔をしていた。 まるで仏様のように穏やかな顔つき。「あぁ、なんて可愛いのだろう」。 以前友人が「他人の子も可愛いけれど、自分の子は世界で一番可愛いよ。」と、話していたことを思い出す。 やっぱりこの気持ちは特別だ。 こればっかりは、産まれてみないと分からなかったこと。 わたしもすっかり“親バカ”のようだ。 いろんな想いを巡らせていたら、息子の頭を支えていた左手が思いの外、疲れてきてしまった。 身体のサイズとは裏腹に、想像以上に頭は重い。左の手首がもげそうだ。 手を離したら湯船にどぶんと沈んでしまうし、洗うこっちは必死だ。 産後の体力低下で力が出ない。中腰のせいで腰痛もひどい。 手はブルブルするものだから、頭がぐらぐらして、シャワーの水が顔にざぶんとかかってしまった。 「おぎゃーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」 泣かれた瞬間から、わたしはパニック!! 「ちゃんと助けてよおおおおおおお!」と、夫に責任転換し、シャウト!!大慌てでバスタオルを用意し、おむつを履かせようとするもアタフタ。 終いに、息子は手をバタバタ動かして、伸びていた爪でシャッと自分の顔を傷つけてしまった。「わーーーーーーーーーーー!」 ますますどうしてあげたら良いのか我を忘れて、号泣。 「ごめんねえ、ごめんねえ」。 沐浴デビュー戦は失敗に終わった。 まだ言葉も分からない息子を抱き上げ謝り続け 「はぁ、こんなにも弱虫だったっけ? わたしは…」 産後、メンタル面がずいぶん変わったな。と不思議に感じていた。 じわじわと迫り来る産後鬱の気配に気づかずに・・・ つづく (Boojil)
2015年10月22日息子が生まれ、実家での暮らしがスタートしたのはいいけれど、育児の中で一番心配していたこと、それは沐浴である。 病院に入院中、助産師さんから「明日は沐浴の仕方を教えますね」と声をかけられまず最初に連想したこと、それはインドのガンジス川だった。 以前ひとり旅で行ったインド。濁ったガンジス川で沐浴をする人々を真似て、自分もこの神聖な川で体を清めようと挑戦してみたけれど、水に当たるのを恐れてくるぶしまでしか浸かることが出来なかった。 「沐浴ね…」。遠い目をしながら、あの時のことを思い出した。 …へたれだった。当時のわたしはインドまで出かけたというのに、完全なへたれだった…。 しかし、そんなわたしも今は母親になったのか。あぁ、感慨深い。 翌日、わたしは助産師さんから沐浴の指導を受けた。 簡単な挨拶から始まり、用意するものの説明を聞く。 「必要なものは、ベビーバス、ガーゼタオル、そしてバスタオル、ベビー石けん、おしめ、肌着が2枚です。 おしめと、肌着は事前にすぐ着せてあげられるように、バスタオルの下にご準備くださいね。今の季節は暖かいので、まずはお湯の温度を38度に設定します。 赤ちゃんの耳を抑えて、ガーゼタオルを用意し、顔から洗っていきます。 Sという字を描くようにクルクルと…。 あーしてこーして………最後に背中を洗って、おしまいです」 あぁ~、用意する物はたくさんあるし、沐浴とはこんなにも色んな行程を経る必要があるのか。 沐浴の説明は30分程度で終了し、助産師さんの指導のもと、手取り足取り、実際にやってみた。 息子の首元から頭をぐっと片手で支え、体を洗ってやるとびっくりしたのか「おぎゃぁっおぎゃぁ!」と、ビービー泣いてしまった! 入院中のプレ沐浴を済ませただけで、実家でもすぐに本番を迎えなくてはならないなんて…! あぁ、助産師さんが家に来てくれればいいのに、と何度も思った。 母に「沐浴ってどうやったらいいんだっけ~」と助けを求めると 「え、もう30年も前だから、お母さん忘れちゃったわよ」と残念な答えが返って来た。 一方、夫は「沐浴の仕方、教えてよ~」と、焦る私をよそにワクワクしているではないか。仕方あるまい、わたしが夫に教えるしかないではないか。 ん~それにしても赤ちゃんの沐浴はなかなか簡単ではない。 果たして、初めての沐浴はうまくいくのであろうか? つづく (Boojil)
2015年10月15日産後、数日が経ち、ようやく迎えた退院の日。 入院中に、授乳から、沐浴、産後の赤ちゃんのケアなど、ひととおり教えてもらったし、あとは実践するのみ。あぁ、これからノンストップの育児が始まるのだな。 腕の中にすっぽりと収まる生後間もないこの子に、なんて名前をつけようか…。 そんなことを考えながら、小さな息子を抱いて、病院の外へ出る。久しぶりに浴びる日差しがじんわりと体に沁み渡る。 その日は、とても天気の良い5月10日、ちょうど母の日だった。 「お母さんになったんだなぁ」。嬉しくて涙が出た。 夫と両親が出迎えてくれ、車で実家へ帰る。 里帰り出産だったわたしは、横浜にある実家で夫婦揃って約1カ月程度生活することにしていた。 産後1カ月は、体もガタガタだし体力も低下している。周りの友人から「何もしない方が良い。家事なんてもってのほか!」と、言われていた。 それもそのはず、この時期にいろいろと頑張りすぎると更年期に響くらしい。ならば、こんな機会めったにないし、両親に甘えようかしら。 久しぶりの実家での暮らしは快適だった。 母が全ての家事をこなしてくれるし、父も買い物に出てくれたりと何かと協力してくれる。 わたしは息子が泣けば、おっぱいをあげて、おしめを替えるくらいで お腹が空けば食べ、眠い時に寝る。 2時間置きの授乳で、まだまだ寝不足状態が続いていたけれど、それでもこんなに快適な生活を送れる実家を天国かと思った。 「あぁ、母がマザーテレサに見える。じゃあ、父はなんだ、大黒様か」 両親は、初孫が可愛くて仕方ないようで、まだ名前のない息子に母は 「ちびたん~、ちびたん~」と声をかけて嬉しそう。 強面の父も、孫の寝顔を覗き込んでデレデレしていて、「あぁ親孝行が出来てよかった」と思った。 それにしても、早く名前をつけてやらないといけないなあ。 このままでは、息子は「ちびたん」になってしまう。 妊娠中、夫婦で名前の候補をいくつも考えていた。その数なんと50! あーでもない、こうでもない、キラキラネームではなく、読みやすい名前にしたいなど…。 顔を見て、候補からしっくり来るものにしようとしていたのだけれど、どれをみてもしっくりこない。 改めて名前を考えた時に、出て来た言葉は「かん」という響き。 タイミングよく、産まれた日は、こどもの日。 家族みんなに歓迎され、わたしたちの歓びとなった息子。 仲間と歓声をあげ、歓喜に満ちた人生を送れますように。 そんな願いを込めて、息子は「歓」と言う名前にすることにした。 こんなにもすっと名前が決まるなんて、思ってもみなかったけれど、息子は、お腹にいたときからみんなに歓迎されていたんだった。 何度、お腹に声をかけただろう。 「出ておいで~、出ておいで~」と、産まれる日を指折り数えた日がすでに懐かしい。 これから始まる息子の人生。 命とはなんて尊いのだろう。 (Boojil) つづく
2015年10月08日出産した翌日、目覚めると身体はひどい筋肉痛に悩まされていた。 母子同室だったので、ベッドから立ち上がり赤ちゃんの顔を覗き込もうと立ち上がろうとすると…。 ビシッ!! ………はがぁ!!!!!!! まず……股間が痛い。座っているだけで、痛い…。 そうだ、ここから赤ちゃんの頭が出て来たのだから痛いはずだ。 知りたくない人も多いだろうが、リアルな話なので伝えておくと、出産する際、赤ちゃんの頭をスムーズに通すため、大抵の総合病院では、あそこをメスで切ってしまうのである。 しかしながらご安心いただきたいのは、陣痛は想像以上の痛みなので、メスであそこをカットしたくらいじゃ大したことではない。 全く気づかないうちに切った後の縫う処置も終わっている。 わたしが出産した病院は総合病院だった。 自然分娩の人は5日間入院することが決まっていて、その間に授乳の仕方や、沐浴、おしめの変え方などを教わる。 つまり、退院後も安心して子育てができるよう、きちんと助産師さんがサポートしてくれるのだ。 そこでは毎朝赤ちゃんを助産師さんに預け、健康状態をチェックしてもらうことになっていた。 赤ちゃんを病室から運び出すだけで、身体に稲妻が走る。 ビシビシビシ~!!!! 「いっ痛い…」。 身体は想像以上にガタガタだったのだ。 これは、わたしが30代だから? それとも、産前の運動不足のせい? それともそれとも、難産だったからなのか? おしりを突き出したスタイルで、赤ちゃんベッドを押しながら、がに股でのっそりのっそり亀のように歩く。 出産はフルマラソンを走るくらいの体力が必要だとはいうけれど、この体力の消耗の仕方は想像以上だ。 赤ちゃんを助産師さんに預け、部屋に戻る。 ちょっと着替えようと、鏡を見てみると、そこにはホルスタインのようにパンパンに膨らんだわたしのおっぱいが!「なんじゃこりゃ~!?」 わたしの貧弱なおっぱいは、子どもが産まれた数時間後には叶姉妹のような破裂しそうなおっぱいになっているではないか…! こっこれは!!!!! 夢にまで見たFカップ!?それくらいのボリュームだった。BからF。じゃあ、Fだった人は何になるんだろう。K? じゃあ、Kだった人は……。そんなくだらないことを考えながら、また眠りについた。 1時間ほどして「失礼します~」と助産師さんがわたしの赤ちゃんを連れて部屋に入って来た。 眠い目をこすりながら、赤ちゃんを抱き、助産師さんの指導のもと、授乳の練習をする。右、左とそれぞれあげてみる。この時期、赤ちゃんの目はまだ見えないらしく、吸いやすいように誘導してやらないと上手に吸い付かない。 「う~ん、なかなか難しいなあ。しかも、右の乳首が痛い…」 初めての授乳は乳首も慣れていないからか、その吸引力に耐えきれず、吸われるたびに痛みを生じる。 そして、抱き方にもいろいろあるようで、縦抱き、横抱き、そして、フットボール抱き、といった感じで持ち方を変えながら、どうにかおっぱいに吸い付いた我が子。 その様子を見ていたら、自分がほ乳類であったことを思い出し、なんだか同じほ乳類の動物たちが愛しく思えてきた。 どんな動物も出産後、すぐにお乳をあげていたっけねえ…。 遠い目をしながら、わたしは牛に想いを馳せていた。 ホルスタインのようなわたしのおっぱい。そこに吸い付くわが息子。 牛さんも出産大変だったよねえ。牛乳しぼる時、もしかしたら毎回痛いのかもしれない。なんだか牛の気持ちを想像しだしたら、泣けてきてしまった。 そこに、誕生したばかりの赤ちゃんを見に両親が病室にやってきた。 「おぉ、おめえ乳でっかくなったな!」 父の第一声は、初孫ではなく乳に対する一言だった…。 (Boojil) つづく
2015年10月01日壮絶なお産を経て、ようやく息子が誕生した。 小さな小さな手足。お猿さんのようなくしゃくしゃの顔。 狭い産道を通って来たせいで、頭は宇宙人のように後方に向かって尖っていた息子。 それでも、かわいい。 死にそうな想いをして産んだ自分の子は、想像以上にかわいかった。 「あぁ、本当によかった。本当によかったよ」。 お産に立ち会ってくれた夫も、堪えきれず泣いていた。 世の中のお母さんが同じような痛みを経験して、こどもを産んで来たことに驚きを隠せなかった。あんな思いをして、みんなこお母さんになっていたのか…。 なんたる凄まじい忍耐力なんだろう。 出産は過酷だ。世界中のお母さんに頭が下がる想いだった。あんなに力を振り絞った経験は未だかつてない! 小さな息子を抱いて分娩台に寝たまま、ぼお~と天井を眺めていると、助産師がやってきて 「おっぱいあげてみましょうか」 と話した。 え? もうあげるのか! それよりも、この貧弱な胸から乳が出るのだろうか? 息子を抱き寄せて顔をお乳に近づけてやると、目を閉じたままお乳を吸い出すのだから驚く。そして、わたしのおっぱいも待ってましたと言わんばかりに出てくるのだから、さらに驚く。 何も教えていないのに、自然と身体は動く。 出産も、初めてのおっぱいも想像していたよりもずっと神秘的な体験だった。 しばらくして、病室へ移りベッドの上に横になる。 わたしが選んだ病院は、産まれた直後から母子同室。 産着に包まれた小さな小さな赤ちゃんは、小さなベッドの上ですやすやと眠っている。 20時間ずっとお産に立ち会ってくれた夫もさすがに疲れたようで、身支度を整え明け方家に帰っていった。 身体を起こそうとするも、全身ガタガタ。 身体が言うことを聞かないほど疲れきっていた。 「あぁ、痛かった。痛かったな~」 すぐ隣では寝息を立てている、小さな赤ちゃん。 かわいい寝顔を見ていると、ほっとしたのか、さっきまでの痛みがすでに和らいでいることに気づく。人間て、本当にすごいなあ。 病室の窓から外を眺めると、ちょうど夜が明けるころ。 朝日がとても眩しい。 わたしの新しい朝がやってきた。 (Boojil) つづく
2015年09月24日お産が始まり、病院についてからすでに10時間が経過。 初産にかかる時間の平均は12時間から15時間というから、もうすぐ出て来てほしい…、我が子よ…。 しかしながら、わたしの場合は、この時点で子宮口が3センチ。 そのまましばらく開かず、陣痛がきてもなかなかお産が進まない…。 ああ、早く産ませてくれ…。 陣痛のレベルはかなり強くなっていた。まるで拷問を受けているような感覚に変化している!! お腹に時限爆弾を何個も装備して、10分置きに爆破していくような痛みだ。 こんなことを言ったら世の中の妊婦さんはびびってしまうだろうが、本当なのだから仕方ない。痛みから来る体調不良。病院に着いた直後に気合いをいれるために食べた、病院食”おいしいサバの味噌煮定食”を全てリバースしてしまった! もう笑う余裕すらなくなってしまい、夫はオロオロ。 夫に声をかけられても、上手に反応できなくなってしまった。疲労しすぎて声を出すこともできない。夫は何度もナースコールを押して「妻がやばそうなんです…!」と助けを呼ぶ。 陣痛がくるたびに「ぎゃあああああああああああああ、はががああああああ」 終盤の陣痛の痛みに耐える様子はまるで地獄絵図。 あぁ、こんな想いをするなら本気で人間やめたい。 以前、もうすでに母になっている友達にも、お産の話を聞いたことはあったけれど、みんなすっかり痛みを忘れてしまっているものだから、リアルな痛みの話は産んだ直後でないと聞けないものである。 わたしは、知らなかった!!!!!!! 聞いてないよ! こんな激痛なんて…! 北斗晶、信じてよかったのね!?!? 気づいた時にはもうすでに遅し、わたしは陣痛をなめていた! 「痛い」 「もうだめだ」 「腹切ってくれ」分娩室が壊れるくらい大きな叫び声をあげて、最後の陣痛を迎えた。 子宮口は8cmを超えている!!!! 「まだ全開じゃないので、息まないでください!」 助産師さんはそういうけれど、もう耐えられない…お願い! もう産ませてくれ~。 痛みはMAX。そうだな、この痛みを例えると… “5分に一回交通事故に遭う感じ”だな。 そうだ、まさにこれが合っている! 想像を絶する痛みにどうにか耐えようと、自ら自分の右手を左手で思いっきりつねってみたり、夫に抱きつき夫の襟元を噛んで歯を食いしばってみるも、痛い!!痛い!!! 汗だくの中、時計をみると、もうすでに20時間を経過している。現在23時45分 あと15分すると日を越えてしまう。 「あぁ!どうしてもこどもの日にっっっ…産んでやるうううううううう!」 分娩室が壊れそうなほど絶叫するも、不思議だけれど、最後はどうにでもなれ! とたくましい自分が現れて、いきんで、いきんで、ようやく…頭が出てきた!!!!! ずるんっ!!!!!! 23時58分、2905gの元気な男の子が産まれた! 「おぎゃっ!」 5月5日、こどもの日。 わたしはお母さんになった。 (Boojil) つづく
2015年09月17日初めまして、おかっぱちゃんこと、イラストレーターのBoojilです。 おかっぱヘアがトレードマークなので、おかっぱちゃんと呼ばれています(もう三十路だけど)。 そんなわたくし、最近男の子を出産し、初めて母になりました。 母になるまで、そしてこれからエンドレスに続いていく初めての子育てについて、おもしろおかしく、時には涙しながら!赤裸々に記録していきたいと思います! まずはみなさまにご挨拶。 どうぞよろしくお願いいたします~。 初めての妊娠が発覚したのは夏の終わり。予定日は5月17日だった。 つわりも長く続いたつらい日々を乗り越え、ようやく迎えた臨月。 妊娠中は特に異常もなく、出産予定日の5月を迎えたわたしは、毎日ソワソワしていた。 結局産気づいたのは予定日より12日も早いゴールデンウィーク真っただ中の5月5日3時30分。満月の夜だった。 お腹の子は男の子。長男である。 やった! 5月5日はこどもの日。 端午の節句に産まれたら、縁起がいいじゃないか。 お休みがバッチリ合った夫もこれならお産に立ち会える。 破水から始まったわたしのお産。弱い陣痛がジワジワとやってくるにも関わらずわたしは移動中のタクシーの中で妙にワクワクしていた。 旅に出る前のような高揚感。今日もしかしたら赤ちゃんに会えるかもしれない。 はち切れそうな大きなお腹をさすりながら、不安と期待に胸を膨らませ夫と共に病院へ向かった。 病院に到着後、さっそく陣痛が少しずつ強くなり始めた。 最初は楽しめるくらい、余裕のある生理痛のような痛みに「余裕~余裕~これくらいの痛みなら余裕で産めそうだ~」と安心しきっていた。 そもそも出産の痛みのMAXとはどのくらいのものなのだろう? 以前、北斗晶がプロレスの試合で膝から落ちて、膝の骨が見えた時より、出産の方が痛い。と、テレビで話していたことを思い出し「まさかね~?」と、自分を落ち着かせる。 それから2時間が経過。 陣痛は、波のようにじわじわと襲ってくる。痛みのレベルが強くなってきた。 痛みに耐えないと赤ちゃんが通る子宮口が開いていかない。 誕生に必要な長さは10cm。 赤ちゃんの頭がギリギリ通る大きさだ。 その時のわたしの子宮口はたった1cmしか開いていなかった。この痛みは、これからどうなっていくんだろう…。赤ちゃんを無事この手で抱けるだろうか? (Boojil) つづく
2015年09月10日