大阪出身の30代主婦。3人の男の子を持つ母。「なんかいけそうな気がする~♪」とただただフィーリングで生きる女。思い立ったら即行動せずにはいられない猪突猛進な性格ゆえ、猛烈子さんとの異名をも持つ。幼少期より鍛え抜かれた雑草魂により、相当打たれ強く、年々鉄の女化が加速。だいたいのことにおいて三日坊主なのにブログだけは6年間ほぼ毎日書き続けており、ありのままの失敗談(!?)を等身大にぶちまけている。モットーは「大変なことほど笑いにかえて」。である。
やんちゃ3兄弟との育児絵日記! アメブロで大人気のブログ「kosodatefulな毎日」の作者がつづる爆笑(たまにホロリ…)のエッセイです。
夏が近づいてくると、年頃の子を持つママたちは「そろそろ…」「うちもそろそろ…」と右見て左見て動き出すのではないでしょうか。 2歳の夏はトイトレの季節。 なんとなーーく、2歳の夏ごろになると「トイトレちょっと1回頑張っとこかぁ~」みたいな雰囲気出てきますよね? え? 出ません? わが家も3人ともその波に乗って、ちょうど6月とか7月とかその頃にチャレンジしました。 長男が1歳7か月の夏で完了して、次男が2歳7か月の夏で完了して、三男は…ちょっと覚えてませんけど…(3人目とか記憶があやふやですんません)2歳前半でした。 正直、わが家の3兄弟はスッと取れたほうでそんなに苦労していないのですが、だからといってこれを聞いて焦らないでくださいね! 大丈夫です! 月並みの言葉ですが、絶対いつかははずれるので大丈夫です! わが家の子どもたちがたまたますんなり取れただけであって、子どもの性格や気質・排尿のリズムなど本当に千差万別ですし、早くに取れるのがいいとか、遅いと恥ずかしいとかそんなことは気にする必要全くありません。 ■私が実践した「いきなりパンツ手法」 わが家は強行突破派で、ある日突然いきなりパンツを履かせてみて、漏らしたら「トイレでするんだよ」と連れていって教えるという手法を取っていました。 ただ、この手法は子どもよりもママの性格によって合う合わないがありますので、お部屋が汚れても耐えられる精神の人はチャレンジしてみてください。 もし、「いきなりパンツ手法」にチャレンジしてみようかな? と思われる方は、布オムツを1セット用意されるといいかもしれません。 わが家はおもらしをしたときに布オムツで拭いていたのですが、布オムツの生地は吸水力がありますし、洗濯しても乾きやすいし、匂いも残らないし、とても使いやすくとても重宝しました。 逆にトレーニングパンツはわが家はほとんど使いませんでした。おもらしをした時にはトレーニングパンツとはいえ結局漏れちゃうんですよね。 3層と6層を何着か買いましたが、6層でも漏れます。どうせ漏れてしまうのならパンツでいいかと諦めました。それに、6層トレパンは特に洗濯した時にものすごく乾きにくいのでこれを使いまわそうとすると一体何着必要なんだ!? と頭をよぎり、2着買っただけでやめました(あくまで個人談です、人それぞれ合う合わないがあると思います)。 子ども目線でいえば個人的には、1回パンツを履かせてみて、おもらししちゃった時に「わ!! 漏れちゃった~!」ってびっくりするタイプの子ならば出だし好調だと思います。 自分は今オムツを履いていないんだ、おしっこが漏れちゃったんだってことを理解している証拠です。私もこの反応だった場合は「よしっ!」と思いました。逆におもらししちゃっても気にせず遊び続けているようなら、そっとオムツに戻して成長を待ったほうがいいかもしれません(笑) 長男が1歳代でとれたものですから、次男にも1歳代で同じようにチャレンジしてみましたけれど、本人が漏らしても気にせず遊んでいたので、1か月ほど継続しましたが全く効果がなく、一度オムツに戻し約1年後にチャレンジしました。 すると3日で取れましたので、やはりその子それぞれで「時期」というものがあるんだと思います。 さて、わが家のトイトレでいうと、実は一番苦労したのが…三男なのです。 ■オムツをはずしてからが大変だった! 三男はオムツをはずすこと自体は楽で、記憶にないぐらい順調にはずれたのですが、その後が長かったです。 オムツってはずれたほうが楽だと思うでしょう? 私も長男時代にはそう思っていました。オムツがはずれたらお尻も気持ちいいだろうし、荷物も減るし、すごく楽になるんじゃないかと思っていました。 が、現実は、正直言って、 オムツを履いている時期の方が親は楽チン です。 オムツがはずれると、オムツを替える手間は減りますが、始終トイレのことが頭の隅に飛んでいるような状態になります。 オムツがはずれてすぐに自分から尿意を伝えられるわけではありませんので、最初のほうは親が気にかけて定期的にトイレに連れていかばければなりません。2時間おきなら2時間おき、3時間おきなら3時間おきにトイレに連れていくのですが、うっかりこっちが忘れていようもんなら外出先でも漏らしちゃうわけです。 そうなるとこっちもトイレに連れていかなきゃ! っていう意識が強く働いて、事あるごとに「トイレ大丈夫!?」と確認するようになるのですが、今度は子どもがそれをうっとおしがり始めて トイレスト するんですよねーー。 トイレに行っておいたほうがいい時間なのに「トイレ行かない!」とか言い出して、散歩を嫌がる犬みたいにトイレから遠ざかっていくんです。おおおぉ…君の行く道はそっちじゃないよ! 戻れ! 戻れ~~!(無視) そして、トイレに行かせたい母親とトイレに行きたくない息子とで「トイレ大丈夫!?」「出ない」「おしっこいこ!?」「やだ」「ねぇ、おしっこ行っとこうよ!」「ねーーー」「ねぇねぇねぇ」と押して引いてが始まって、説得して、捕獲して、最終的に人参ぶら下げて脅す…あ、違う、情に訴えかけるんですよ。 トイレひとつで母さん必死ですわ。 また、三男の場合は、オムツをはずして1年後の夏になんと! ぶり返したのです。オムツはとっくにはずれたはずなのに3歳の夏休みに見事に逆戻り! こんなことってあるんですね。 ■3歳でまさかの「お漏らしぶり返し」 オムツがはずれてから1年が経っているので、こちらも最初は「分かってて漏らしてる」って思っちゃって叱ってたんです。でも、叱っても、叱らなくても、優しく教えても、毎日おもらしは続きました。 パターンはいつも決まって、 遊んでいる時 です。遊んでいる最中に、トイレに行きたいけど…めんどくさい…まだ我慢できる…我慢できるぞ…と思っている最中にジャァァァと漏らしちゃうんです。 そして、おしっこよりも困ったのが、 うんちを漏らしちゃうこと です。 今までうんちを漏らしちゃうなんてことほとんどなかったのに、夏休みの間はほんとーーーーにひどくて、ほぼ毎日うんちを漏らしちゃってました。これには参りましたねぇ。 うんちを漏らされたことあります?(何の質問) ある人には分かると思うんですけど、後処理がたいっへんなんですよね。ズボンとパンツを下すと、そのままうんちが太ももや足にベチャァァっとついてしまって、うんちの状態にもよるんですけど粘土状とかだと拭いても拭いても取れなくて…もう、泣きたくなります。 あまりにも続くので、もうオムツに戻そうと決めたのですが、今度は 本人がオムツ拒否 。一応彼なりにプライドがあるらしく、「オムツは履かない!」と全力で拒否。 オムツは履きたくない、でもうんちは漏れちゃう、というなんとも言えない夏でした…。ははは(遠い目) ■トイトレにてこずった私が伝えたいこと 自分でトイレに行けるようにもなっていたし、オムツがはずれて1年が経っていても、急にザザザ~~っと後戻りすることもあります。 私はそれになかなか気づけずに、どうしてこんなに毎日漏らすのかと叱っちゃいましたが、いってもまだ3歳。昨日までできていたことが急に出来なくなっちゃう時もありますよね。トイレも同じです。 きっと本人も混乱していたと思うのですが、きつく叱ってしまってかわいそうなことをしました。一歩進んで二歩下がる、そうやって子どもは発達していくんだということを頭に入れておくべきでした。 たとえトイトレが完了したとしても、なんだかんおもらししちゃったり、飛び散っちゃったり、ズボンに付いちゃったり… 下の世話は続くと思って、気長にがんばりましょう。 排泄は自立への一歩と言いますが、トイトレ完了はゴールじゃない。スタートです(うまいこと言うた!!)。 【お知らせ】 第73話 「好き嫌いが多い子は給食にどう立ち向かう!? 次男の驚きの変化」 の記事下アンケート「Q.子どもの好き嫌いや偏食についてどう対応したか、教えてください」のアンケート結果はこちら↓
2018年05月31日4月に入園したお子様をお持ちのママさんたち。いかがですか? お子様たち、楽しんで登園してくれていますか?! 中には初日からスタスタと登園する子もいますが、ママと離れたくなくて 泣いちゃう子がほとんど なのではないでしょうか。 入園してからしばらくは毎朝、響き渡る泣き声がこの時期の風物詩のようなもので、「教室に誘い込む先生」、「必死に説得するお母さん」、そして「泣きわめく子ども」という3点セットがあちこちで出来上がっております。 あぁ…お母さんたちからしたら大変だろうなぁと思いつつも、それを卒業した身としてはどこか懐かしく、微笑ましく見ています。 私も思い出します。 今日は泣かずに登園できるだろうか、どうやればすんなりと登園してくれるようになるだろうかと、ビクビクしながら朝を迎えていたことを。 だいたい入園して少しは慣れてきたかなという頃にゴールデンウィークがあるから余計ややこしいんですよね。 せっかく慣れてきつつあったのに、ゴールデンウィークでおうちの人と過ごす時間が多くなり、休み明けに振り出しに戻って、また1からスタートするっていう。オォ…(泣) ■泣く子に悩むママたち、心配ご無用です! スムーズに登園している子を横目で見ながら、わが子には「行きたくない!!」なんて泣かれたらママとしては辛いですよね。 特に保育園とは違って幼稚園となると、どうしても預けなければならない理由があるようでなかったりするので、「こんなに泣くんならあと1年幼稚園に行かせなくてもよかったんじゃないか…」と悩むこともあると思います。 でも!!! これまでに3人、幼稚園に通わせている私から少しだけアドバイスをさせていただくと… 大丈夫です!! わが子の経験上、そして先生のお話から言いますと、泣いてるのって、それ、 朝のほんのひとコマだけ みたいです。 別れ際には泣いちゃっても、いざ教室に入ってしばらくすればたいていの子は泣き止んで遊んでいたりします。 中にはお母さんのお迎えまでひたすら泣き続けたという強者もいるでしょうが、きっと1年通してずっと登園から降園まで泣き続けた子はいないと思います。 そして、朝いつまで泣き続けるのかも その子それぞれ です。 最初の3日で泣き止んだ子もいれば、1学期が終わるまで泣き続けた子、中には最初に1年間毎朝泣き続けた子もいると思います。人それぞれなので誰かと比べて落ち込んだり、責めたりしなくて大丈夫だと思います。 もちろん、入園から2か月が経とうとしている5月末の現在でも、毎朝全力で泣いている子はたくさんいます。 先日も見かけました。 お父さんが見送りに来ていたのですが、お父さんに向かって「おうちに帰る~~!!」と大号泣で訴えながら、先生に捕獲されている男の子を(笑) おぉ~~がんばってるな~~~とついかわいくて見ちゃいました。きっと、普段はお母さんが見送りをしてるんでしょう。お父さん、わが子のあまりの泣きっぷりに困惑し、苦笑いしながら立ち尽くしていました(笑) 男の子は泣いて泣いて、なかなか教室に入ろうとせず逃げ出そうとするので先生は必死に抱っこをしているのですが、お父さん…あの…もし、私からひと言助言させていただけるとすると、立ち尽くしているのなら、 さっさと姿を消されたほうがよいかと思います!! ドロン!! ■子どもが泣いても「帰る」に尽きる 教室の前まで来たら、あとはもう泣こうがわめこうが、先生に「よろしくお願いします!」とお任せしてサッと帰る。これに尽きると思います。 これはお父さんに限らず、お母さんも一緒で、泣いてるわが子をひっぺがして立ち去るのは心の痛むでしょうが、教室の前で一生懸命説得して、言葉をかけて、なんとか納得して教室に入ってもらおうと思っても、目の前にお母さんがいる限り、やっぱりお母さんが恋しくなっちゃって、どんなに説得してもいざ離れる時には涙が出ちゃうもの。 お母さんの姿が見えなくなって、教室に入ると子どももそのうち 気分を切り替えて遊び始める ので、泣かれるわが子をふりほどくのは辛いでしょうが、帰ってきた時に思いっきり抱きしめてあげることにして、姿を消してみてください。 また、つい先日、こんな光景を見かけました。 私は三男と遅めに登園した日がありました。正門はもう閉まっていて、周りにももう見送りの親子は誰もいない状態でした。 教室の中では園児たちがおのおの自由に遊んでいるのですが、教室のドアの前で男の子が1人、泣いていました。 あたりにはもうお母さんもいないし、先生も教室の中に入ってしまっていますが、本人はまだ頑張るつもりらしく、「おうちにかえる~~」と言って泣いています。 と、そこへ、なんと… 同じクラスの女の子たち(みんな3歳児です)が3人出てきて、男の子をぐるりと囲み始めたのです。 そして、口々に、男の子を 励ましはじめた のです!! 女の子A:「お母さんがいなくてかなしいの?」 女の子B:「大丈夫だよ。お母さん、おうちにいるから」 女の子C:「あとで会えるからね」 も~~~、私、思わず感動しました! 女の子しっかりしてる~~~!!!! あ、じゃなかった。3歳でも子どもたち同士で励まし合ったりするんですね。しかも、みんなで お母さんがいない悲しさを分かち合っている(笑) 男の子は女3人衆に話しかけられたことにより泣き止みました。だがしかし、動こうとはしません。床に座ったままです。 そこで、先生が教室から出てきて、「たろうくん(仮名)、お部屋に入ろうか~?」と声をかけました。きっと先生もたろうくんの気持ちが切り替わる瞬間を教室の中から見計らっていたんだと思います。 がしかーーし、たろうくん! 先生の声を聞いた瞬間、さっきまで泣き止んでたのに「ハ! しまった!」みたいな感じで もう1回泣き始めました!!(笑) 私が見ていたのはここまでなので、その後たろうくんがどうやって教室に入っていったのかまでは見届けられませんでしたが、子どもって結構賢いし、意外とたくましいなと思いましたよね。 親も先生も見ていないところで子ども4人で励まし合っていたり、先生の顔見た瞬間、「あ、しまった! もっかい泣いとこ」みたいな感じでもう1回泣いてみたり、あの手この手でこの不本意な状況をなんとかしようと3歳児なりに知恵しぼって頑張ってるんです。 幼稚園・保育園に行きたくない子どもと、行かせたい親。 どちらが勝つか負けるかの知恵くらべみたいなもので、毎日子どもも戦っています。 幼稚園に行きたくないと泣いてしまうわが子に後ろ髪を引かれる気持ちは私もよくわかりますが、園の前まで来たらあとはもう先生にお任せして、 笑顔でバイバイしてサッと帰る のが結局子どもの気持ちが切り替わる近道だと私は思います。 幼稚園から帰ってきたら思いっきり抱きしめて、お話を聞いてあげたらそれでよし。その都度先生とママと協力して乗り切っていきましょう。
2018年05月24日4月から小学校1年生になった次男。彼は生まれてこの方ずぅぅぅぅっと好き嫌いの多い子なのです。 思えば離乳食の頃からそうでした。口に入れた離乳食を吐き出し、仰け反って泣いて、暴れるわ飛び散るわで 食事というかもはや格闘 。 その後も本当に食べられるものが少なく、特に野菜と果物は大の苦手食材でしたので、入学が近づくにつれ「この子は給食に苦労するだろうなぁ~~」とそればかり心配していました。 幼稚園時代はずっと私の作ったお弁当を食べていたので、慣れ親しんだ味に馴染みのある食材ばかりでした。しかし、 学校給食は献立表を見ただけでも次男が苦手な食材のオンパレード です。 野菜がたくさん出ますし、今まで食べたことのない味もたくさん出てきます(いまどきは香草風味とか、韓国風味など本当にバリエーション豊かです)。 私自身もどこか給食に向けて身構えてしまうところもあって、無理強いする気はないけれど苦手な食材もせめてひと口だけでもかじってもらおうと「ひと口でいいから食べてみよう」と促していたのですが、まっったくもって暖簾(のれん)に腕押し状態。 どんなに励ましても、押しても引いても絶対に食べようとしないので思わずボヤいていました。 がしかし、彼。この手のボヤキが始まると急に心のシャッターを閉め、まるで聞こえていないかのように気配を消してしまいます(笑) そしてやってきた給食スタートの初日。さっそく次男が苦手な果物が出てきます。 学校から帰ってきた次男に給食のことを聞くと、「食べられなかった」と言いました(やっぱりそうか…)。 2日目も、果物が出てきて食べられず、3日目もお味噌汁の野菜を食べきることができなかったようです。 しかし、 食べられなくとも給食の時間自体はその雰囲気が楽しい らしく、ご飯を残しても先生にも特に何も言われないので本人はさほど気にしていない様子。 そんな折、家庭訪問があったのでさっそく先生に相談しました。 私:「次男はものすごく好き嫌いが多いので給食が苦労しているんじゃないかと心配しています。」 すると先生は、ピンと来たようで察してくださいました。 先生:「たしかに今は残す日が多いですね。ただ、今は昔のように掃除の時間になっても残して食べさせるという事はしませんし、まだ給食が始まったばかりですので 残したいという子には無理強いせずすんなりオッケーを出しています 」 先生:「しかし、 やはり好き嫌いなく食べられるようになった方がいい と思いますので、そのうち学校の生活が軌道に乗ってきたら、食べきれていない子はみんながごちそうさました後でも5分ぐらい残って食べさせるとか、ひと口でもいいから食べてごらんと促すとか、徐々に完食できるようにしていきたいと思っています」 はい! よろしくお願いいたします! 次男よ。あなた、今に生まれたからよかったものの時代が違かったらものすごくしんどかったと思うよ!! がしかし!! そんな次男に…!! あの超偏食っ子の次男に…!!! 変化がみられるようになったのです。 ゴールデンウィーク中に家族でイチゴを食べていた時のこと。 今まで目の前でイチゴを食べていても一切欲しがらなかった次男が(勧めても拒否)、「ちょっと食べてみようかな」と言って、パクッと口に放り込んだんです!!!! なんとイチゴを初めて口にしました!!! びっくり!!! 嫌いな食材を口にすると全身でえづくので吐き出すかな? と思って見守っていたのですが…見事飲みこんだんです!! わぁぁ~~! 驚きです! 今まで、かたくなに食べようとしなかった次男が、自らイチゴを食べました!! そして、さらに夏みかんも少し食べてみたところ…ひと切れ食べました!! たったひと切れですが彼のことを考えると信じられないことです。 そして、色が緑色というだけで拒絶していた葉物の野菜も「見て! 食べてみるよ~!」と言って食べ始めました(おお…!!)。 一体彼に何が起こったんだろうかと思って驚いていたのですが、どうやらゴールデンウィーク前からたま~に給食を完食できる日があって、今までは見た目だけで苦手だった野菜も 食べてみたら案外イケることに気づいた ようです。 家では一切飲めない牛乳もなぜか学校では飲んでいるようですし、家ではいまだに手をつけようとしない汁物も学校では随分飲めるようになったそう。 学校でチャレンジしてみて食べられることに気づいた彼は、家でも今まで食べたことがなかった食材にチャレンジしてみる気が起きたようです。 そして、今日の給食では、どう考えても苦手なトマト煮込みを完食してきました!!! 正直びっくりです。こんなにスムーズにいくとは思っていませんでした。 もっと苦労すると身構えていたのに、意外にも順調な滑り出しな上に家での食事にもプラスの影響が出るだなんて…全く期待していなかっただけにうれしい誤算です。 以前、かつて偏食っ子だった人のお話を伺った時に、大半の人が 「何かのきっかけでふと食べられるようになった」 と言っていたのが印象的だったのですが、次男の場合、その最初のきっかけは学校給食だったのかもしれません。 もちろん今でも好き嫌いはまだまだありますが、あんっっなにかたくなだった次男が野菜や果物を少し食べてみようかなと言い出しただけでもすごい進歩です。 そして私は何より 給食の時間を楽しんでくれていることがうれしく 、「今日全部食べれたよ!」と嬉しそうに帰ってくる姿も誇らしげです。 今、お子さんが好き嫌いが激しくて心配になっているママもいると思います。せっかく作っても食べてくれなくて悲しいですよね。時には怒りも湧いてきますよね。 わかります。私も本当に何度も味わいました。 ただ、 本人が自分から食べてみようと思い始める時っていつかきっと来るんだな… とこの春実感しました。 それが小学校1年生なのか、高校1年生なのか、それとも大人になってからなのかはわかりません。 でも、無理強いして泣いてまで口にスプーンを突っ込んでいた離乳食時代…「いつかきっと自分から食べる日がくる」と信じることが出来ていたらあんな死闘は繰り広げずに済んだだろうなと思います(食べてほしいという親心は間違っていたとは思わないですけどね)。 みんながみんな次男のように給食がプラスの作用をするケースばかりではありませんが、 きっといつかその子のペースで食べてみようとスイッチが入る時が来ると思います。 次男もまだまだ好き嫌いは多いですが、本人のやる気を大切に、ともに彼らの成長を見守っていきましょう。 【お知らせ】 前回の 「夫婦の家事分担バトルに決着! 夫が食器を洗うようになったワケ」 の記事下アンケート「Q. やらなくてはいけないことに追われて「自分の時間がない」と感じていますか? 」のアンケート結果はこちら↓
2018年05月17日「もっと働きたい!」という意欲を持ちながらも日々の家事育児雑務の負担が大きく、なかなか思うように仕事を進められない私が、 ある日突然夫にその思いをぶつけたときの記事 の続きです。 妻(私)側の現状と夫側の認識にズレが生じています。 夫:「忙しいって言ったって、そんなの今だけでしょ? 平日は時間があるんじゃないの?」 私:「いやいやいや、あなたが思ってるよりもそんなに余裕ないよ!?(ほらっ! そうやって主婦は暇でしょみたいに思ってる~~!!)なんだかんだ1年の半分ぐらいは長期休みや短縮授業で思うように時間が取れないんだけど!!」 夫:「そしたら、その限られた時間の中でもっと効率あげて集中して仕事すればいいんじゃないの?」 私:「いや…だからそうじゃなくて…ちょっと待って? そうだ!!! どうしたらいいのか分かった!!!」 夫:「…なに。」 私: 「今の家事分担率を見直そう!!」 夫:「はああ?」 私:「だいたい、今までどうして平日の家事分担はしてなかったんだろう。週末は、あなたが食器を洗って台所を片付けてくれているけれど、よく考えたらあなたの仕事それだけだよね!?」 夫:「…」 私:「昔は家事を一切しない人だったから、週末に食器を洗ってくれるようになっただけでもすごく感謝してたけれどよくよく考えたら いつまで昔を引きずってんだって話だよね。 私はもう毎日仕事もしているし、気が付いたらわが家、とっくのとうに共働きだったわ。家庭環境はどんどん変わって行ってるのに なんでいつまでも夫だけ平日の家事全面免除にしてたのか意味わかんないよね。 はい! というわけで、今日から平日も食器を洗ってくださーーーーい!!」 夫:「えええええ~~~~!!!? 嫌だぁぁぁぁ~~!!」 私:「じゃぁ、他のことやってもらってもいいけど? 洗濯回して干して畳んでくれる? それとも料理がいい? トイレ掃除もあるよ」 夫:「ええええ~~~~…オレ、帰ってくるの遅いんだけど」 私:「そんなの関係ないし。遅くても洗えばいいじゃん」 夫:「えええええーーー!!」 私:「だいたいね、あなた食器洗うだけでしょ? 私、掃除も洗濯も料理もやってるよね? しかも、それをずっっと12年やってきたんですけど!! 平日毎日食器洗ったとしても 全家事中で言えばまだ10パーセント だし!! なんなら食器洗うだけじゃなくって、三男の幼稚園の送迎とかも全然してくれていいんだけど!?」 夫:「わかったわかった…! 食器洗います」 私:「イェェェェイ!!」 夫:「ただし、オレが洗いやすいように置いとけよ」 私:「なんでよ」 夫:「洗う人の気持ちになって洗いやすいように重ねておくことなんて当たり前やろ。洗ってやってもいいなって思うように並べておいて」 私:(なんかハラタツ!!! ハラタツけどここは我慢)「はいはい」 夫:「キレイに重なってなかったら洗わないから」 私:(あああん!?)「はいはい」 夫:「じゃぁ、いいよ」 私:「イエェェェェェイ!!!」 はい、というわけで、この春から平日の食器洗いも夫に担当してもらうことになりました!!(パンパカパーーン!) 現在、夫は仕事から帰ってきたあとにせっせと食器を洗っております。ほほほ。私もバタバタする夜に子どもたちの宿題見て、食器も片付けて…っていうストレスがなくなった分、随分と気が楽になりました。 一方、夫側の世界ではというと、職場でボヤいているそうです(笑) 夫:「はぁぁ、僕、仕事が終わってから食器洗わないといけなくなったんすよ~~」 先輩:「マジか~~」 夫:「嫁が強くなって困りますわぁ~~」 先輩:「ほんとだな~」 夫:「やっぱあれっすよ。金は自信につながるんすよ。自分で稼ぎ始めてから一気に強くなったっす…」 先輩:「金は自信に…それは間違いない」 ふぅぅう…(遠くの空を見つめるパターン) ちょっと!!!(笑)まるで私が酷い嫁のようじゃないですか!!! まぁ、いいですよ。私を使って会話が盛り上がるのであればどうぞどうぞ。きちんと皿を洗ってくれればそれでよし。 夫:「仕事終わってから食器洗わないといけなくなったんすよ~~」 A:「あぁ~…それな。うちも」 同士いた!!((笑) A:「オレもな、最初は一生懸命食器洗ってたんだけど、よく考えたら食洗器買えばいいんじゃね?と思って食洗器買ったら、もう今では食洗器なしでは考えられない。君も食洗器を買いたまえ」 夫:「マジっすか~~」 食洗器について語る夫陣。数年前の夫なら考えられなかったでしょうね。 夫が自力で食洗器を買って帰ってくる日も近いかもしれません。 わが家の場合は専業主婦→共働きという変化を遂げて数年経ち、ようやくこの春家事分担を見直し少しは私側の負担を減らせるように改善しました。 しかし、専業主婦家庭であったとしても、小さな子どもがいると共働きであるのと変わらないほど忙しいですので、自信を持って家事分担を申し出てみてもよいと思います。 また、今既に家事分担をしているご家庭でも、定期的に見直してみるのもアリだな、と今回身を持って思いましたので、わが家も定期的に会議してより平等に分担できるようにしていきたいと思っておりますっ!! キリリッ! 【お知らせ】 第70話 「心配性は女の子に多い? 怖がりな子どもが安心する接し方」 の記事下アンケート「Q.子どもが心配し過ぎているな(心配性だな)と思ったことはありますか?」の結果はこちら↓
2018年05月10日4月の新学期ダッシュも落ち着いた今日この頃。ドッッと疲れが押し寄せてきました。私は在宅ワークをしているので、 育児と仕事の両立をどうバランスとっていくのか が永遠のテーマとなっています。 思えば我が家、3月の半ばから幼稚園が既に春休みに入っていたんです。子どもとずっとべったりの生活を約1ヶ月過ごし、その後新学期スタートや入学式を迎えても、しばらくは午前保育&短縮授業が続くため子どもたちが早々に帰宅してきます。 それに加えて、新入学&進級時は大量の書類の記入やら、学級懇談やらPTA役員決めやらで予定がパンパンで、やれ子どもたちのお昼ご飯は作らないといけないだの、やれ公園に連れて行ってくれだの、まぁ~~~とにっっかく、 思うように仕事ができませんっ!! それでも、子どもを育てるのが私の務めですし、家にいながら働けるのが私の仕事のいいところでもあるので、文句を言っちゃいかんと思って頑張っていたのですが、ある日、思わず本音を夫にぶつけてしまいました(少し長くなるので前後編に分けたいと思います。よろしければお付き合いください)。 ■思い通りに仕事が進められない! 働くママの叫び 「私、男の人が羨ましい!!」 突然の私の叫びに夫は驚いていました。 私:「私がもしも男の人だったらもっと全力で仕事に打ち込めると思うのに、今の私にはそれができないのが悔しい」 結婚当初の私からは想像もできないような言葉です。専業主婦が憧れでしたから。 夫もまさか私の口から「もっと仕事に打ち込みたい」なんて言葉が出るようになるとは思ってなかったでしょうね。 私:「私にもやりたい事や夢はあるけど、 お母さんだから 、子どもの世話だってしないといけないし、ご飯だって作らないといけないし、宿題だって見なくちゃいけないし、学校の行事だって送り迎えだって…やれお茶こぼしただ、やれおやつこぼしただとか次から次へと雑務が降りかかってきて全然思うようにことが進まない! 家事と育児で日が暮れていくんだから、仕事どころじゃない!! 私が男だったら思う存分仕事に打ち込めるのにぃぃ~~!! 毎日不完全燃焼ですっごいストレスフル!」 夫:「そんな事言ったって、今はしょうがないんじゃないの? 子どもたちもまだ小さいんだし」 私:「 子どもたちが小さかろうが大きかろうが、あなたの仕事にはほとんど影響しないのに? 私だけが、子どもが小さいと仕事をしにくくなるのはどうして? あなたは心おきなく仕事に打ち込めるのに、私は家事に育児に仕事にいくつも1人で抱えなくちゃいけない」 夫:「だって我が家では物理的にそうせざるを得ないんだからしょうがないじゃないか。オレは日中仕事に行ってるわけだし、仕事をどんなに早く終わらせようと思ってもいつもの時間になるわけだし」 私:「そうやってすぐ 家にいないことを『仕事』という大義名分で逃げ切れる のも羨ましい!! 夫なら仕事だからって家事も育児も奥さんに任せておけるのに、私にはそれができない」 私:「仮に夫のあなたが今の私と同じような在宅ワーカーだったとしても、『お父さん』だからってあなたは家事も子育ても丸投げで部屋に閉じこもって仕事すると思うけど、私はお母さんだから、それができない」 夫:「いや、それは男の人がとか女の人がとかっていう問題じゃないと思うけど」 私:「いーーーや、結局我が家はそういう構図になっているの! 世間的なイメージも、お父さんが子どもほったらかして仕事してても『仕事熱心ね』で済むことが多くて、お母さんが子どもほったらかして仕事してたら『仕事よりももっと大事なものがありますよ』とか言われがち。もうやだ!! 私だって、今このタイミングでグッ! と打ち込んで集中したいってときがあるのに、 日常の子育て家事雑務が多すぎてできないんだもん。 ひとつやればひとつつまづいて…」 私:「今週、仕事関連の宅急便ひとつ送る事すらできなかったんだよ? ネットで手配して集荷を頼むだけなのに、それすらできなかった。 やりたいと思ってることができない時のストレスって地味にきついんだから! あなた、ひたすら打ち込める時間が欲しいって思ったことある!? ないでしょ」 夫:「…仕事ひとつひとつの作業に対して、もう少し時間が欲しいなって思うことはあるよ」 私:「そういうことじゃなくて、もっと仕事がしたいのに思うようにできない!! ってジレンマのこと」 夫:「…それはないかな」 私:「この気持ち分かってくれる!?」 夫:「じゃぁもっと効率あげて、いかに早く、無駄を省いて集中して仕事をするか考えればいいし、時間をもっとうまく使うことも必要なんじゃない?」 私:「私が言いたいのはそういうことじゃない!! たしかにそれも必要だけれど、私が言いたいのは仕事のスタイルを工夫するとかそういうことじゃなくて、 どうして私ばっかりがこんなに何もかも背負わなければいけないんだ ってこと!!!」 夫:「でも、それならそういうことを受け入れてくれる人と結婚するべきだったんじゃないの? 最初に2人の意思を確認して、同意しておけば、妻がバリバリ働いて夫が支えて…ってできると思うよ」 私:「はあああああ? じゃぁ何? 最初に専業主婦か共働きか、パートタイマーかフルタイムか、どういう風に働いていくつもりか決めておけってこと? 途中から方向性変わるなんてこといっぱいあるし、 変化に対して臨機応変に対応していくのが夫婦なんじゃないの? 」 夫:「子どもたちがいて仕事ができないって、そんなの一時のことじゃないか。平日子どもたちが学校行ってる間に集中してやればいいじゃん」 私:「ちょーーーっと待ったぁぁぁ!! あのね、あなた、私が楽してると思ってるかもしれないけど、1年のうちの半分は子どもたち休み&短縮授業なんだけど!? むしろ1人で集中できる日程のほうが年間通してみれば少ないっつーーの!!」 急に不満をぶちまけ始める妻に、夫はきっと奇襲攻撃をしかけられたような気持ちだったことでしょうね。 でも、急にダダをこね始めるわけじゃないんです。小さな疲れや小さなストレスがちょっとずつちょっとずつ貯まってある日突然はじけるんです。 1ヶ月走り続けた疲れがバーン! とスパークした夜なのでした。 そして、この後、どうすればいいか解決策を協議していくことになります。 後編はコチラ
2018年05月03日小学校の懇談会で先生がおっしゃいました。 「親心としてはつい『もう四年生だし』と思いがちですが、『まだ四年生』でもあります。自立へ向けてサポートしつつ、しっかりと目は離さず、今一度気にかけてあげてください」 「特に教科書や持ち物の準備は、お子さま1人に任せていると、どうしても大事な時に大事なものを忘れてしまって、授業がスムーズに進みにくいという事もございますので、ちょ~~っっと気にかけていただけると助かります」 あ……あああ。耳が痛い。まるで私に向けてのメッセージかと思いましたよ。 たしかに、私も持ち物の準備は低学年の時ならまだしも、中学年にもなると普段は全然気にかけていません(新学期や、長期休み明けには持ち物が多いので一緒に用意するぐらい)。 息子もいい加減なのに、親の私もいい加減なものだから、もしかしたら大事な時に大事なものを忘れてしまったことも一度や二度じゃないかもしれません(確証はないけれど)。 忘れ物のないように私もフォローしていかなければ……と今一度気を引き締めたところで、先生のお話を聞いた感想をわが子の話に絡めながら一人ずつ発表していくという企画が催されました(わぁぁん! 苦行!!)。 その中で特に印象的だったのが、 「(先生は、子ども任せにしないでくださいとおっしゃったけれども)逆に 子ども自身がものすごく心配性 で、ランドセルの中身を何度も何度も確認したり、忘れ物がないか一緒にチェックしてほしいと頼んできたり、『大丈夫よ』と声をかけても本人は毎日すごく心配している。こういう子にはどう声掛けすればいいのか」といった意見。 しかも、同じような悩みを抱えているお母さんが複数いたのです。 「うちの子もすごく心配性で……」と悩むご家庭のお子さんは 全員女の子 でした。 いい加減な男子の親の私にとっては抱えたことがない悩みだったので、すごく新鮮だったのですが、このお話を聞いてふと思い出しました。 私自身にも思い当たる節があったんです。私も小学生の頃一時期、同じように忘れ物がないかものすごく心配で眠れなかった時期がありました。 寝る前に明日の用意を済ませて、その時点でしっかりと確認したはずなのに、布団に入ると「あれ入れたかな……」「あそこにちゃんと入ってるかな?」と不安になってくるのです。 勉強机に置いてあるランドセルの中を確認しに行くためには、布団を抜け出して別の部屋に行かなければなりません。 ドアを開けるとガラガラと音がする引き戸だったため、布団から抜け出したことが音ですぐに分かってしまいます。 寝なくちゃいけない時間なのに、布団から抜け出しているところを母親に見つかると叱られるんじゃないかな。でも明日の用意がきちんと出来ているか、やっぱり気になるし……。今やらなくても明日の朝チェックすればいいんじゃないのかな。 でも今確認しないと落ち着いて寝れない……ドキドキドキドキ。 布団から抜け出すことについてドキドキするし、なんとか落ち着かせようとするのですが、暗闇の中で考えれば考えるほど不安になってきて、結局なんとも言えない気持ちでランドセルを確認しに行きます。 そうするとやっぱりちゃんと用意はできていて、ホッと安心して布団に戻るのですが、今度は別のものがきちんと入ってるかどうかが気になって不安になってくるのです。 どうしてこんな心配性になったのかは残念ながら覚えていませんが、ある時急に極度の忘れもの心配性になったのです。 私の個人的な感覚ですが、女の子の方が小さいころは怖がりな気質な子が多いように思います。実は私、男の子3人を子育てしていく中で、女の子の感覚の繊細さに驚かされる事がよくあります。 例えば、アニメの一場面にしても少し暗い画面になると「こわい」と言ったり、少し高いところに登っても「こわい」と言ったり、「え!? これのどこが怖いの!?」と思うことでも怖がるのは女の子の方が多いように思います。 恐怖や危険を察知する感覚 が男の子に比べてすごく繊細な気がします。 ケガや事故に遭う確率が男性のほうが高いと言われていますが、その理由は女の子の方が「怖そうなもの」を察知する能力がより繊細で、少しでも危なそうだなと思ったらその時点で止めるからじゃないかとも思います。 私も、とても怖がりな女の子でした。 私の場合、「忘れ物をしたら先生に怒られちゃう……」と不安に思ったり、「忘れ物をしたら、こうなって、こうなって、こうなっちゃうんじゃないか……」と一人勝手にシュミレーションをして緊張してしまっていたんだと思います。 実際には怒られたこともないのに、怒られたり恥をかくことを怖がっていたんだと思います。 先生に怒られたらどうしようと怯え、お母さんに怒られたらどうしようと怯え、当時はどうしたらいいのか、どうしてほしいのか自分でもよくわかっていなかったのですが、大人になった今ならわかります。 もし、今、当時の私に戻って気持ちを具体的に表現するならば(当時は気持ちを説明することができませんでした) 、言われたくない言葉があります。 言われたくない言葉 その1「また!?」系 何度も確認してしまう作業を「またやってるの!?」と言われるのはつらいです。「またやってる」なんてことは言われなくても自分でもわかってるんです。でも、自分でもどうしたらいいか分からないからやってしまうのであって、そこを「また?」と言われたら、気持ちを押しこめて一人で抱え込んでしまうことになります。 言われたくない言葉 その2「だから大丈夫だってば!」 きっと安心させたくて「だから大丈夫だってば!」と言ってくれてると思うのですが、これもちょっとプレッシャーになります。大丈夫だと思いたいのに不安になってしまう、この気持ちを汲んでほしいと思います。 ということで、周囲の大人がどう接してくれれば安心できていたのかと考えてみました。 ■不安なときに、大人に言って欲しかったこと まず1つ目に 一緒に確認作業に付き合ってほしい ということ。 お父さんでもお母さんでもいいから、不安に思う時には一緒に付きあってほしいのです。年齢や学年に関係なく、「一緒に付き添ってほしい」と望むうちは付き添ってほしい。 2つ目に 大丈夫だと安心できる目に見える何がが欲しい ということ。 例えば持ち物を一緒に確認するだけでなく、紙に持ち物をリストアップしてチェックしてほしいです。目で見て確認できる「チェックリスト」や「写真」があれば、わざわざランドセルまで行かなくても布団の中で安心できます。 3つ目に、 助けてくれる人がいるんだという安心感を与えてほしい ということ。 仮に忘れ物をしてしまったとしても、「お母さんが届けてあげるから大丈夫」とか「お母さんがかわりに謝ってあげるから大丈夫」という自分のかわりに誰かが何とかしてくれるっていう安心感が欲しいです。 自立する上で親がかわりに何かをしてあげるというのはよろしくないと思われるかもしれませんが、とにかく得体のしれない不安に駆られている時には、誰かがなんとかしてくれるっていう安心感が欲しいんです。 「大丈夫。忘れ物なんてしてないよ」と励ますよりも、「忘れ物をしていたとしても助けてあげるから大丈夫よ」という言葉をかけてくれたら、とても安心したと思います。 小さいうちに心配性だからといって、必ずしも大きくなっても心配性が続くわけではないと思います。 私の場合は大きくなってからは全然心配症ではありませんし、むしろもうちょっと心配したほうがいいんじゃないかと思うぐらいです。 またその逆で、小さいころは奔放だったけれど、大人になって心配症になったという人もいるでしょう。いずれにせよ、子どものころの気質がずっと続くわけではないと思うので、「こんなに心配性で大丈夫だろうか…」とむやみに心配することはないかな? と個人的には思います。 不安な気持ちになってしまう時期は誰にでもあると思うので、わが子が不安な気持ちになった時には、無理に前向きな気持ちにさせようとせず、不安な気持ちが和らぐように一緒に付き添い、「ママが助けてあげるよ、ママがかわりに謝ってあげるよ」と声をかけていきたいと思います。大人だって、一番大事な人に「かわりに謝ってあげる」「助けてあげるよ」って言われたらすごく安心すると思いませんか? 実際にはかわりに謝ってもらわなくとも、その言葉だけですごく安心できると思います。 「欲しい言葉が聞けた」。これだけでも、とても勇気が湧くものです。 【お知らせ】 前回の 「どうか子どもの癖を否定しないで。爪噛みをしていた私が思うこと」 の記事下アンケート「Q. これまで、子どもの癖で気になった癖はありましたか?」のアンケート結果はこちら↓
2018年04月26日最近気がついたんですけど、私の息子3人にはあんまり「癖」がないんです。 例えば、指吸いをしたり、ずっと鼻をほじっていたり、おむつの中に手を入れてしまうといったような癖は、3人とも小さいころからこれといってありませんでした。 ふと、そんなことを考えているうちに思い出したのですが、実は私、爪噛みがやめれない子どもだったのです。しかし、わが子はというと、今のところ誰も爪を噛んでいません。 どうして自分があんなに爪を噛んでいたのか気になって、「子どもの爪噛み癖の原因」を調べてみました。 すると、子どもの爪噛みは「親の愛情不足」や「欲求不満」「ストレス」「不安・寂しさ」が関係していると書かれているではありませんか。 親になった今、もしわが子に爪噛みの癖がついていたらやはり気にしてしまうと思います(自分のことは棚に上げて)。 気にしているところに、さらに爪噛みの原因が親の愛情不足、不安・寂しさの表れだと知ってしまったら、やはり親としてショックですし、「私の愛情のかけ方が足りないのかな」と悩んでしまうと思うのです。でも、ちょっと待った!! 本当に爪噛みの癖は、親の愛情不足が原因なのでしょうか。 ちなみに私の場合ですが、爪噛みをしていた理由は特にありませんでした。「え!?」と思われるかもしれませんが、挙げられている愛情不足もストレスも欲求不満も……(どうにかしてそこに結び付けようと試みてみましたが)本当にどれにも当てはまりません。ただ、爪噛みをしてしまう時間帯は学校の授業中がほとんどでした。 難しい問題を解いている最中だとか、嫌いな授業中だとか、特にそういった法則性もありません。 どんな授業でも、話を聞いている最中にただなんとなく手が暇だから、手持ち無沙汰を満たすため、爪をむしったり、指の皮を剥いたりしていました。 椅子にはじっと座っていられるのですが、手を静かにして聞くことが苦手で、かといって教科書に落書きをしていると怒られちゃうし、物をいじっていると集中していない子のように見られてしまって結局怒られちゃうし…。 そんな中で、爪や指という「遊び道具」は身近で便利なのです。爪をかじっているせいで授業に集中出来ていないかというワケでもなく、話は話としてちゃんと聞いていましたし、授業に遅れるということも特にありませんでした。 爪をむしったり、指の皮をはいでいくと当然痛みがあります。血がにじむほどまでむしったりしていましたから。 ただ、ここが厄介なのですが、「痛いんだけれど止めれない」「痛いんだけれど、もっとむしりたい」という中毒性のような気持ちがあって、 当然自分でもこの癖はよくない癖なんだということは分かっていて、止めなきちゃいけないという思いはあったのですがなかなかやめることが出来ませんでした。 話が前後しますが、実は大人になってからも爪噛みが酷くなった時期がありました。ズバリ、第一子のつわりの時期です。長男妊娠時のつわり時代は本当に辛くて、ベッドから起き上がれすらしない日々が続きました。 一日中気持ちが悪いし、吐き続けるし、とにかく体がダルくて、テレビも観たくない、音楽も聴きたくない、本も読みたくない、ただただ無音、無味無臭な空間の中で横たわってるしかできませんでした。 そのころ、私の中指の爪が完全になくなりました……(本当に)。あまりのしんどさに、無意識のうちに爪を剥ぎ続けたようで、爪がなくなってしまったのです。 これに理由を与えるとしたら、「置き換え行為」のようなものだったように思います。妊娠できて喜びいっぱいうれしさいっぱいの反面、朝起きた瞬間から既にしんどいという絶望感を爪を剥ぐ痛みで紛らわしていたのだと思います。 ちなみに、子どものころの私の噛み癖について、唯一、気にとめてくれたのは小学校の保健室の先生でした。 高学年のころ、図工の時間に指を切り保健室で手当てしてもらった時、私の指を見て保健室の先生が一言言ったんです。 「あんまりやり過ぎちゃダメだよ」と。だって親指の皮が広範囲で剥けて、中指周辺もボロボロになっていましたから。 こんな指の状態の生徒を見かけたら、「何か不安なことはない?」とか「何か困ってることはない?」と聞く先生も多いのかもしれませんが、当時先生は何か突っ込んだことを聞いてくるわけでもなく、止めなさいよと言うわけでもなく、「ほどほどにしときなさいよ」ぐらいのテンションでした。 しかし、これが案外ありがたかったのです。この時、「なにやってるの!」とか「やめなさい!」「汚いよ!」なんて言われたら、きっと私は傷ついていたと思います。 子どもながらに、よくない癖だとは自覚していますし、やめなくちゃいけないことはよく分かっています。 分かっているけどやめられないものに、「やめなさい」と言われるよりも、「ほどほどにしときなさいよ」と言ってもらったことで自分を責める気持ちが和らぎ、「少しずつ我慢するようにしなくっちゃ」と思えるきっかけになったように思います。 誰にも否定されなかったということは、私にとってラッキーだったと思います。かといって、子どもの爪噛みは放っておけばいいというものではありません。注意深く見てあげて、不安や悩みがないかよく話を聞いてあげることは必要だと思います。 しかし、一概に親の愛情不足やストレスが原因だと言い切れない事もあるように思いますし、私のように、特に理由もなく、ただなんとなくやってしまう子もいると思います。とにかく手が暇なんです…! 何かをいじっていたいけど、いじるものがないから爪をいじってしまうんです。ただそれだけ。 だから「汚い!」と否定されると辛いし、「またやってるの!?」と怒って突き放さないでほしいのです。 爪噛みの対処法に、爪に苦いマニュキアを塗るなどの方法が存在するらしいのですが、今もし、当時の私に何かをしてあげられるならば……「手に持てる何か」を与えてあげたいなと思います。爪に代わる何かを。 例えば、梱包する際に使うプチプチだったり、柔らかい触感のボールだったり、ずっと手の中で動かしていられる何かを与えてあげたいです。 ただ、ここが難しい。場所が学校となると「一人だけ特別」ということがなかなか許されません。1人だけ授業中にボールを持ってるとか、プチプチをつぶしてるという行為は、ほとんど受け入れられないように思います。 具体的な病名だったり、診断名がついていればまた違ってくるのかもしれませんが、「爪噛みが止めれなくて…」という理由で、特別な持ち物を許してもらえるかどうかは微妙なところです。 手に何かを持っていじっているからといって集中していないわけでもないんですが、どうしても集中していない子のように見られがちですよね。本人は意外とそんなことないかもしれません……。 子どもの性格や癖はその子によってさまざま。1人ひとり集中できる状況も違うんだ、ということを認めあえる風土になれればいいですよね。 【お知らせ】 前回の 「『女の子も欲しかった』と思うのは悪いことじゃない。3兄弟の母のホンネ」 の記事下アンケート「Q. 男の子、女の子どちらが欲しい?」のアンケート結果はこちら↓
2018年04月19日私は男の子3人のお母さんなのですが、たまに「『女の子も育ててみたかったなぁ~』って思ったことはありますか?」と聞かれることがあります。 そりゃあありますとも! 男の子が嫌だとかそういうことではなくて、男の子も女の子も両方育ててみたかったという1種の好奇心のようなものなのですが…。 単純にお腹の子の性別について「女の子がいいなぁ~」とか、「男の子がいいなぁ~」と思い描いたことありませんか? ■どちらかというと「女の子希望」だった 多かれ少なかれ皆さん同じような経験があるのではないでしょうか? 終わりがない「男の子がいい」「女の子がいい」論。 「跡取りとして男の子が欲しい」なんて時代は男の子が欲しいという声が多かったかもしれませんが、現代は「女の子が欲しい」という声も良く聞きますよね。私の周囲でも女の子が欲しい人がとても多いです。 私自身も第1子の時には「どっちかというと女の子がいいなぁ~」と思っていましたし、第3子の時には「次こそ女の子を!」と思っていました。 どうして私が女の子が欲しかったのかというと、理由は「かわいいお洋服を着せてみたい」とか「娘と一緒に買い物に行きたい」とか「大きくなったら娘と友達のような関係になりたい」などの理由からです。 どうしても女の子を産まねばならない理由なんてひとつもありません(そんな理由があっても困るのですが)。 それに人生の先輩方から「娘はいいわよ~」という意見を聞いたこともあったので、娘>息子という図式が頭の中にありました。 そんな私が、お腹の子が「男の子」と分かった時、どういう気持ちだったかというと… ■1人目、2人目、3人目 それぞれの「性別がわかった瞬間」 1人目の時は「わ! 男の子なんだ!」という驚きが最初に来ましたが、それ以来 街中の小さな男の子に目がいくようになり 、男の子のママになることが楽しみになりました。 2人目の性別がわかる前には、すでに男の子のかわいさも知っていましたし、「兄弟」というものにワクワクしていましたので、どちらかというと「次も男の子がいいな~」と思っていました。 ちなみに2人目のときは、お医者さんにに言われなくとも、エコーをみて男の子だと気づいたのでした(笑)。 そして、3人目の時です。男・男と続いたものですから、最後はやっぱり女の子をという気持ちが湧いていました。 たまに「男の子・男の子と続いて3人目産む時に「また男の子だったらどうしよう…」って躊躇(ちゅうちょ)しませんでしたか?」と聞かれることがあるのですが、そういった迷いはなかったです。 3人目も男の子であっても楽しいでしょうし、それはそれでワクワクしていたのですが、3人目の時には性別が分かるのが遅かったので「いよいよ女の子だろう…!」と1人勝手に舞い上がっていました(男の子は女の子より早く判明する場合が多く、現に上2人は妊娠4ヶ月目で男の子と判明していました)。 いざ、男の子だと判明した瞬間にどういう反応だったのかというと、私は思わず爆笑し、夫は食費の心配をしていました(笑)。 ■女の子を育てることはもうない…複雑な気持ち 診察台では3兄弟の母になることを笑い飛ばした私ですが、実はその後3日ぐらいは落ち込んでしまいました。 落ち込むっていったら言い過ぎかもしれませんが、「あぁ…私は娘に髪の毛を編むことは一生ないのか…」と思うと、どこか寂しく思う気持ちがあったからです(今思えば、え、そこ!? って感じですけど、当時は本気でそう思いました)。 ただ、ショックだったことは、ほとんど誰にも話していません。夫にも話さなかったように記憶しています。 お腹の子の性別を知ってショックを受けたり、落ち込んだりするなんて子どもに失礼だし、健康で生まれてきてくれさえすればどっちでもいいのだと根本では思っていました。 だから、つい「またか」と思ってしまった自分に罪悪感を感じましたし、「また男の子でショックだった」と打ち明けることはせずに胸のうちにしまいました。 かといって必死に男の子の良さを挙げて、自分を納得させることにも違和感がありました。なので、私はあの時「またか!」って思ってしまった自分、今でも「女の子を育ててみたかったな」って思う自分を 責めなくてもいい と思っています。 そりゃ私も人間ですもの。どうしようもないことだと分かりつつ、こうだったらいいのにな~って思う事ぐらい誰でもあるはず。 ■理想と違ったって、かわいいものはかわいい! いざ、生まれてきた三男はかわいくて、4歳の今でも撫でまわしています。 きっと私と同じように感じてしまったことがあるママたちもみんな一緒だと思います。生まれてきた子は女の子でも男の子でもどっちでもやっぱりかわいいです。 「子どもの性別が自分の理想とは違った」こういうことを言うと冷たいような高慢なような印象に受け取られがちですが、私はそうは思いません。 自分の理想と違ったからといって投げ出すわけではありませんし、結局は生まれてきたその子を愛してかわいがって一生懸命育てるのですから、心の中でそう思うぐらいいいじゃないですか。 もし、今これを読んでる方の中に、2番目、3番目も男の子だった~~! と判明したばかりのママ(しかもショックを受けている方)もいらっしゃるかもしれません。 そんな方のために私が思う男の子3人子育ての1番の醍醐味(だいごみ)をお伝えしたいと思います。 ■男の子育児の醍醐味はズバリこれ なんといっても男の子育児の醍醐味(だいごみ)は、 今まで知らなかった世界をどんどん知ることができる点 です。男の子、本当に面白い! 私に息子が生まれなければいまだに知らなかった事いっぱいあったと思います。道行く車も、消防署に止まる消防車も、踏み切りを通る電車も、気にも止めずただそこにある風景として見ていただけだと思います。 息子が生まれたおかげで、ただのバスが、タクシーが、レッカー車が、こんなにも目につくようになり、乗り物の知識もすっかり増えました。 おでかけする先も、自分が子どもの頃には面白くもなんともなかった鉄道館や交通博物館がとても面白い場所に変わりました。 鉄道も車も虫もカエルもザリガニもカブトムシも…大人になってから初めてその楽しさに気付きました。 思いもよらない行動をとることも多いので、ネタに尽きない毎日で、三男が「拾った」と言って手に亀を持って玄関に立っていたときには爆笑しましたよ(本当に手に亀持って帰ってきたんですよ! ビックリ!)。 よく息子について「これだけ大事に育てても将来は彼女(嫁)に取られる」などと聞きますが、私は特にそういう意識はありません(まだ小さいからかな?)。 ママに見向きもしなくなるほど大事な彼女や奥さんに出会える方が、彼らにとっては幸せなことだと思っています。 いつか彼らが私に見向きもしなくなるその日まで、たくさんの冒険とたくさんの好奇心で今をたっぷり楽しみたいと思います! 【お知らせ】 前回の 「転勤族妻のリアルな悩み! 子どもの転校、夢の持ち家…いつまで夫に付いていく?」 の記事下アンケート「Q. 転勤族、いつまでついていく?」のアンケート結果はこちら↓
2018年04月12日わが家は全国転勤族です。 転勤妻たちの間では、 「いつまで夫の転勤に付いていくか?」 という議題がよくあがります。 いつ、どこに転勤になるかわからない私たちにとって先は読めません。 辞令が出たら雪国だろうが南国だろうがそこに赴くしかないので、「住む場所を選ぶ自由」はあまりありません。 住む場所を固定すれば家族がバラバラになるし(単身赴任)、家族が一緒に暮らすとなれば住む場所は選べない…。 何かを得るためには何かを諦めなければいけない生活 を続けていかざるを得ません。 結婚した友人たちが次々とマイホームを建てていく様子を「いいなぁ…」と憧れもしますが、子どもが小さいうちは家族一緒に暮らすことが私たち夫婦の優先事項なので、現状はマイホームを建てるという選択肢がわが家にはありません。 何かを諦めなければいけないのは子どもたちにとっても同じです。 ■転勤妻の苦悩 転校や転園をしていかないといけないのですから、「(生まれ育った)地元」や「幼馴染」というものはわが家の息子たちにはほぼありません。 ですが、いずれこの生活にも区切りをつけなくちゃいけない時が来るとは思っています。 子どもたちが大きくなっていくにつれて、いつまでも夫の転勤に付いていくわけにもいかないでしょう。 特に中学や高校となると、転校もさまざまな理由で難しそうなイメージです(あくまでイメージです。経験してみないとわからないこともいっぱいあると思います)。 転勤族の夫を持つ友人たちの中では「どこのタイミングで夫に単身赴任をしてもらうか」についてよく話題になるのですが、特に今年の年賀状では変化が見られました。 長男と同級生(小学3年生)の子どもを持つ転勤族の友人の多くが、子どもと一緒に地元(妻側の生まれ育った地)に戻っていたのでした。 第1子が小学校3年生。おそらく、第1子が多感な時期(小学校高学年)に入るまでにどこか1か所に住居を固定して、 これ以上転校しなくて済むようにしよう と考えたのではないでしょうか。これは私もよく理解できます。 わが家の場合、そのタイミングをいつにするのか夫婦で話し合ったりもするのですが、今のところまだ答えは出ていません。 私の考えとしては、いずれわが家もどこかに住む場所を固定して夫に単身赴任してもらうしかないのかな? と思うのですが、 思春期まっただ中の息子たち3人を私1人で束ねられる自信がありません。 今でさえ夫がいないと息子たちが全然言うことを聞かないのに、反抗期の男子3人を私1人で見られる気がしないのです。 夫は自分の仕事のせいで子どもたちが転校をすることを申し訳なく思っているようですが、かといってずっとここにいるわけにもいかないといったジレンマを抱えています。 そして、子どもたちもそれぞれ性格が違いますので、意見が割れています。 ■長男の「2度と引っ越したくない」の理由 幼稚園を転園した経験のある幼稚園組の下2人は「また引っ越してもいい~!」というスタンスですが、 小学校の転校を経験した長男は断固反対 。 「もう2度と引っ越したくない!」と拒否反応を示しています。 次男三男はまだよくわかっていないところもあるのでしょう。引っ越しを楽しみにしている様子すらあります。 しかし、長男にとってはおととしの転校が堪えたようです。 転校したくない理由を聞いてみると… 第1は、 「また最初っからやり直さなくてはいけない」 ことだそうです。 まぁ…たしかにそうですよね。 新しい学校に慣れるまでにはいろいろと大変なことがあるのでしょうが、長男の場合は、授業の内容や生活の流れという事に関してはさほど苦労せずになじめたようです。 しかし、 登校初日に全校生徒の前で紹介されたことが緊張したこと。 教室に入って行ったときにみんなが取り囲んで盛り上がるので、どうしていいのかわからず引いてしまったこと。 みんながうわさをするのが「自分の悪口を言ってるんじゃないか?」と不安になってしまったこと。 そして何より、新しい友達を作る事を1から始めなくちゃいけなこと…。 これらが辛かったようです。 思い返してみれば、最初のころはずっとあてもなく校庭をフラフラ歩いていたり、1人でずっと図書室に行っていたりしていました。 本人はそれを「楽しい」と言っていたのですが、きっと彼なりに新しい環境に適応するための術だったのだろうな…と思います。 これも経験してみたからこそわかることですね。転校することになったと告げた時には特にショックを受ける様子もなかった長男ですが、いざ転校してみてはじめて気づいたことがいっぱいあったんだと思います。 その後、1年ぐらいはずっと前に住んでいた山口に戻りたい、山口の小学校に戻りたいと言っていました。 今でも「山口に戻りたい」という事があります。 残念ながら山口に戻る予定は今のところいっさいないので、高校を卒業したら山口に戻ってそこで暮らせばいいと長男には伝えています。 しかし、 慣れ親しんだ土地でずっと育っていけることが本人にとっては1番幸せだったんだ と思うと、叶えてあげられないことが心苦しくもあります。 私の身近で転勤族家庭で育った人は社交性が高い人が多いので、子どもたちにもいろんな場所にたくさんの友達がいることを誇りに思って、たくましく育ってほしいと願っていますが…。 親の都合で振り回されざるを得ない子どもたちからしたら、複雑だと思います。 さぁ~~…次に転勤辞令が出たらいったいどうなるでしょうか。長男が心配です。 わが家がいつ、どこに住みかを固定するのか。 流れに任せて進んでいくうちにどうにかなるかなと思っていますが、果たしてその先やいかに。
2018年04月05日男の子3人育児。さぞかし大変でしょうと皆様同情の声をかけてくださいます。自分で言うのも何ですが、大変です(やっぱり!)。 「たまには夫に子どもたちを預けて1人時間を満喫したい」。そう思うお母さんは少なくないはず。もちろん私も同じように思います。 ですが私の場合、1回まとめてドーーーン!! と息抜きをするよりも、日々ちょっとずつ息抜きするほうが向いているのです。 ■ママさんたち、息抜きできていますか? 例えば0歳2歳、24時間びっちり子どもと一緒ともなると「息抜きの暇すらないわよ!」って思うときもありませんか? そういうお母さんの気持ち、私も通ってきた道なのでよーくわかります。 専業主婦や育休中の間って不思議と「夫が働いてくれてるんだから」っていう意識がはたらいてしまいがちなんですよね。だから「息抜きしたい!」って言うことすら、どこか 後ろめたいような気持ちを抱えてしまう ママも多い気がします。 たまに周囲の奥様たちが「夫が一生懸命働いてくれてる間にこんなランチを食べちゃって申し訳ないわよねー」と言うのを耳にします。 ジョークなのかもしれませんが、「夫の稼いだお金」で「妻がランチをする」事が「申し訳ない」なんて思う必要、私はないと思うのです。 ■ママはとことん自分に甘くていい! 私個人の意見ですが、子育て中、特に一番大変な時期(大変の種類も年代によって違うでしょうが私はやっぱり赤ちゃん~幼児時代が大変だと思います)なんて、 とことん自分に甘いぐらいでちょうどいい と思っています。 「自分に甘くても大丈夫! 頑張っている自分を褒めよう」 私があの数年前の不眠不休な毎日を心身を壊さずに乗り越えられて、今も元気に過ごせている秘訣はまさにこれだと、大真面目に思っています! 言い訳もせずに、自分に厳しく、夫や子どものために頑張る「THE 日本の母」…もちろん素晴らしいとは思いますが、私にはできません…。心が疲れてしまっては元も子もありませんよね。 体は疲れても心は健康でいられるために、日々頑張っている自分を認める 。これは私の特技でもあると思っています。 次からは私の息抜き方法をいくつか紹介したいと思います。 ■自分のために高級フルーツ・イチゴを買う たとえば私、先日スーパーで398円のイチゴを買ったんです。高いですよね~イチゴ。バナナのような日常使いのフルーツとは違って特別な果物です。 そのスペシャルフルーツなイチゴを買いまして…自分へのご褒美にとパクパク食べました!! えへ! いいんです! 私、頑張ってるからいいんです(言い訳)! だってイチゴなんてこの季節じゃないと出回らないんですよ? 1年でこの季節だけの特別なフルーツ。しかもそれまで498円だったのに、その日は398円になっていたんですよ!? 「このかぐわしい高貴な果物…これを私が私のために買って何が悪い~!」と自分を称えながら食べました(笑) あ、あと、家族に内緒で自分だけ中トロを食べに行ったこともあります。 ■250円の高級アイスを食べる アイス売り場には100円前後のものが多く並ぶなか、私は自分のために250円のアイスを買います。 おいしいんですよねぇ~~。250円のアイス! たま~~に「食べたいな」って思ったときには迷いなく買います。 すこし高いアイスを買った優越感と、そのおいしさで、日ごろの育児や家事の疲れも癒されます。 ■コンビニのカフェラテを毎日のように飲む あとは、私、この冬。とあるコンビニのカフェラテにドハマりいたしまして。 多分1番多い月だとほぼ毎日買いに行っていたと思います。1杯150円のカフェラテ。それをほぼ1ヶ月、ひどいときには1日2回買った日もありました。 1ヶ月で考えると一体いくら!? って感じなのですが、いいんです(出た!言い訳)!! 1日1杯150円のカフェラテ飲んでホッとひと息ついたっていいじゃないですか。安いもんですよ。 ■美容グッズでテンションアップ 食べ物以外でいうと、自分のためにちょっと高いシャンプーとリンスを使っています。安いシャンプーの3倍ぐらいなのですが、あわただしいお風呂タイムでも少しいい気分になれますよ。えへ。 それと、たま~にマニキュアを塗ったりする事もあります。やっぱテンションあがりますよね! 薬局で物色するのも好きですし、100均をうろつくのも好きですし、うろついてるだけでも楽しいです(うろつくのが楽しい…怪しい)。 さて、私がプチ贅沢を楽しむときに大事にしていることがあります。 ■「家族のために使えたお金」と考えないで イチゴにしてもマニキュアにしても、大事なのは出費したお金を「家族のために使えたお金だった」と考えないこと。 150円×30日=4,500円。この4,500円があれば他に何ができただろう…、子どものシャツの2枚や3枚買えたんじゃないだろうか…とか考えると罪悪感があるかもしれませんが、1日15,000円とかじゃないんですもの。 お母さんがご機嫌で過ごすための1日150円なら払う価値十分あります。 夫が働いてきてくれるおかげで、生活が成り立ってるのも事実ですが、 妻の支えなくしても成り立たないはず 。妻であり母である自分が「自分のためにお金を使う」ことに罪悪感を持っている女性が多すぎると私は思います。 自分だけ特別にお金使うことに、後ろめたさなんて感じなくて大丈夫です! 私なんてほんっっっと、めちゃくちゃ自分に甘々です! 年々言い訳ばかりいっちょまえになって、自分にはゆるゆるになっていきます。 子どもたちには、 「おやつはごはん食べてからにしなさい!」って言い聞かせているわりには、自分はこっそりごはんを作りながらおやつを食べていたり。 「片付けなさい!」って言っているわりには、冷蔵庫の中がめちゃくちゃだったり。 「はやく寝なさい!」って言っているわりには、自分は夜更かししまくりだったりします。 でも、 これこそ私がここまで心身健康で来られた秘訣でもあると思っています 。 子育てを真面目にやっていたときは、しんどいことが多かったです(こう見えてかつて私にも真面目にやっていた時代があるんです)。 毎日ささやかながら自分を甘やかして、お金が少しぐらいかかったっていいから、おいしいものを食べて、好きなものを補充して、このサバイバルな育児を乗り越えていきたいと思っています。
2018年03月29日わが家の次男ももうすぐ1年生。いよいよ入学が迫ってきました(ドキドキ)! 何人目でも小学校入学はよろこばしくもあり、緊張するものですね。 思えば3年前の今頃、長男の小学校入学を控えて準備にいそしんでいました。 今は通学グッズもたくさん出ているので迷いますよねぇ。どれもあったほうが便利なように思えますし、かといって無いなら無いでやっていけそうな気もします。 ランドセルひとつとっても、本当にたくさんの種類があります。 A4ファイル対応のものもあれば、軽さ重視のものもあります。皮肉なもので、選択肢が多いほど逆に何を選んでいいのかわからなくなっていました。 ※ちなみにわが家の場合はA4規格ではないランドセルなのですが、A4書類がそもそも1学期で1回ぐらいしか手渡されないので特に困っていません。 ランドセルを購入する前にお近くの先輩ママや学校に確認されたほうがいいかと思います(なかには毎日の持ち物がすでにA4規格という学校もあるようです)。 そんな長男も来春4年生。小学校を半分折り返したことになります。 今回は、3年経った今私が思う「あの時買わなくてもよかったもの・買ってよかったもの」について書きたいと思います。 さて、私の「買ったけど全然使わなかった学用品」はぶっちぎりでこれです。 ■買わなくてよかったもの 学習机!! これはもう育児グッズで言うところのベビーベットのようなもので。使う人は使うけど、使わない人がほとんどなのではないでしょうか。 あえて今主流のリビング学習に仕向けたわけではないのに、子どもにとってはリビングで宿題をするほうがどこか自然なのでしょうね。 わが家も毎日ダイニングテーブルで宿題をやるようになり、今ではもうこの習慣が染みついてしまいました。今、 学習机は全くの物置と化していて、むしろ邪魔 。あぁもったいない。 次男入学にあたってはもう学習机を購入せずに、ランドセルや教科書を置く ラックだけ購入 しようと思っています(この机を欲しいと言えば次男に譲るつもりです)。 あと、これも全然使いませんでした。 レインコート。 1年生のうちは傘だけじゃ歩きにく、濡れてしまうだろうと思ってランドセルごと覆えるレインコートを買ってもらいましたが、1回か2回使っただけでお蔵入り(もったいない)。買ってくれたばあば、ごめんなさい。 レインコートを着ていくのはいいのですが、1年生の息子にとって雨に濡れたレインコートを 脱いで畳んで収納してっていう作業が手間 だったようで、次回から「傘だけでいい」と言うようになりました。 周りを見渡しても、着ている子は少なかったように思います。 逆に買ってよかったものダントツ1位はこれ。 ■買ってよかったもの お名前シール! なんか当たり前ですみません!! いや、でもでも、お母さんのなかにはこのお名前シールなしで頑張ろうとしている方もいらっしゃるようなので、そのような方にはぜひ熱くおすすめしたいです。 むしろこのお名前シールなしで算数セットに名前を書くなんて膨大な時間の無駄!! ほっっっそい棒1本1本に名前を書くなんて「なんの修行だよこれ」って感じです。 私の子どものころは母親がひとつひとつ手書きで書いてくれました。そういう面では同じ母親という立場になった今、心底「昔のお母さん、すごい」と尊敬します。 これは算数セットにかかわらず3年生になった今でも鉛筆に貼ったり消しゴムに貼ったりと大活躍しています。絶対おすすめ! また、「必要だけれど、お金をかけなくてもよかったもの」もあります。 ■お金をかけなくてもいいもの 子どもって、びっくりするぐらい自分の持ち物をなくしたり壊したりして帰ってきませんか? わが子は「この子はまき散らしながら歩いてんのか」って思うぐらい、物を落として帰ってきます(え? そんなことないですか?)。 そんな日々を過ごすうちに、「お金をかけるもの、かけないもの」がわかるようになりました。 この3年間で紛失・破壊させた品物の数々。 長靴 は2足ダメにしました。 傘 は3本折って、2本無くしました(どんだけー!)。しかもそのうち1本は、買ったばかりのものを持っていった瞬間に、どこかで無くして帰ってきました(おい!)。 鉛筆、赤鉛筆、消しゴム 等はもはや無数に失踪。 暑い時期には 帽子 をかぶって登校するのですが、この帽子を失くしました。 筆箱 は表面のビニールが毎日毎日ちょっとずつほじくられ続けて、ズタボロになったため4年生になるのをきっかけに買い替えました。 お子さんの性格や性別にもよるので一概には言えないのですが、それでもやっぱり低学年のうちは「壊れる」「忘れる」「失くす」の3点セットの覚悟は必要かもしれません。 ちなみにわが家では、傘は本当によく失くすので安いものを買い替えるシステムにしました。 長靴については安いものを買ったのですが、やっぱりすぐ底が剥がれてきてしまうので、次男の時にはいいものを買おうと思っています。 最後に「予想外に必要だったもの」について。 ■意外に必要だったもの 結構学校や地域によってルールがそれぞれなのでしょうが、2つの小学校へ通わせる中で(長男が2年生のときに転校しました)意外に共通していたのは、 ランドセルのフックに手提げや体操服などを引っかけちゃダメ っていうルール。 私の子ども時代などはフックに体操服や給食着をひっかけて、できるだけ手に持つものを減らそうとしていましたが、今は逆にランドセルに引っかけちゃダメらしいです(安全面で)。 ですので、せめて片方の手は空くようにと 軽くて薄くてマチが広いバッグ を持たせています。 以上、私の「買わなくてもよかったもの・買ってよかったもの」でした。 あくまで私個人の見解ですし、学校によっても基準がさまざまだと思いますので、参考程度に読んでいただければ幸いです。
2018年03月22日わが家の次男が4月から1年生になります。きっと新1年生をお持ちのママ達も、私と同じように期待半分不安半分といったところではないでしょうか。 3年前には長男が1年生になりましたが、最初の不安はやはり 1人での登下校 でした。 送り迎え必須の幼稚園時代は終わり、これからは1人での登下校が始まります。 最近は地域・学校が連携して子どもたちのサポートをしてくれていて、横断歩道や通行量の多い箇所などはシニア世代のボランティアスタッフさんや保護者が当番制で交通指導に立っているところも多いので、最初っから最後まで1人というわけでは決してありません。 しかし、初日から1人で行かせるとなるとやっぱり心配。最初の何日かは一緒に付き添って登校をされる方が多いのではないでしょうか。 かくいう私は初日から付き添いをせずに 1人で放り出しました 。 当時は良かれと思ってやったことでも、今から考えたらもっと他にやり方があったかなぁ…と後悔しているところがあります。私の失敗が活かされればと思い、この記事を書くことにします。 ■3兄弟ワンオペ育児真っ最中! 学校まで送ってあげられない 私のところでは、集団登校がありません。また始業時間が早いので歩くスピードを考えると7時15分には出なければいけません。 上にお兄ちゃんやお姉ちゃんがいれば一緒に連れていってもらえるのですが、わが家は第1子。あいにく近所に上級生がいません。 ん~~…困りました。この時わが家の状況としますと、私自身も 下の2人の子どもを抱えててんてこまい で。 新入園の次男とまだ歩けない1歳の3男。全くアテにならない夫。 長男を学校まで送ってあげたいですけど、この気むずかしい次男と、泣き虫の3男を連れて学校まで往復1時間を歩いて帰って、そこから幼稚園に連れていく余裕が私にはありませんでした。 そこで、近所の幼稚園のお友だちと2人で通わせることに。近くの公園で7時15分に待ち合わせをして、そこから大通りに出るまではお友だちのママが送ってくれることになりました。 私は玄関で長男を送り出すだけになったのですが、新学期早々試練が訪れます。 ■新1年生を襲う「悪天候」 連続で春の嵐 。お天気に恵まれない日が続いたのです。 ランドセルを背負ってカッパを着て、傘をさして、雨ザァーザァー・風ゴォーゴォーのなか登校する新1年生。 お天気ばかりはどうしようもないとはいえ、かわいそうでしたねぇ…。見送る背中に思わず涙が出そうになりました。 それでも「 1番最初にこれを経験しておいたら、もう怖いものはない! 」「雨でも風でも頑張って行ってこい!」と家の玄関で送り出すことにしました。 最初はお友だちと一緒に待ち合わせて行っていた長男ですが、2週間も経たないうちに「1人でいきたい」と言い出すようになりまして、思っていたよりも早く自分たちでの登校に慣れたように見えました。 「よかった」と私もホッと胸をなでおろしていたのですが…。 入学から1ヶ月ほど経った頃でしょうか。何の話題だったか忘れてしまいましたが、ある日長男と私が言い合いになってた時に、ふと、長男の口から出てきたのです。 ■本音をぶつけてきた長男 「 ママも学校まで送ってよ! 1回も送ってくれたことない。みんな送ってくれてるのに~~!」と。 全然別の話をしていたのに、最終的に長男が泣きながら訴えてきたのはこれでした。 これが本音だったんでしょうね。一見すんなり慣れたように見えた長男でしたが、 実は心の中ではうらやましかった のだと思います。 お母さんやおばあちゃんと一緒に登校している子を横目で見ながら、てくてく歩いて学校に向かっていたのだと思います。 なかには朝も一緒に行って、帰りも途中でお母さんが待っていてくれる子もいるのに、「僕のところは朝も帰りもいないじゃないか!!」といったところでしょうか。 長男なりに、私の状況も理解して我慢してくれていたと思います。 私はその長男の本当の気持ちに気づいてるような気づいていないような、見て見ないフリをしているようなところがありました。 既に新しい世界に馴染んだように見えた長男でしたが、時間差で本音を抑えきれず私にぶつけてきたのでした。そこで当時の私はどうしたかというと… ■それでも私が突き放した理由 一緒に登校してあげる。ではなく、「1人で頑張って通いなさい」とやはり 突き放し ました。せっかく軌道に乗ってきたところをまた逆戻りしそうな気がして、このまま貫き通したのでした。 みんながみんなお母さんと登校しているわけではないからです。私のように下の子がいるお母さんや、お仕事をしているお母さん、家庭によってさまざまな事情があります。 私自身、あの状況で送り迎えをするというのは厳しかったです。これについてはさまざまな意見があるかと思いますが、やはりこれは経験してみなければわかりません。 子どもには申し訳ないけれど、それぞれの事情の中で我慢してもらうところは我慢してもらうしかない、と心を鬼にして結局そのまま長男1人で登校させることにしました。 それ以降長男が同じことを言うことは何度かありましたが、その度に「ママは一緒には行けない」と言いその理由を伝えました。 結局長男はその後諦めて1人で通うようになり、今ではもうすっかり慣れています。3年間ず~~っと超早朝登校男子(現在クラスで2番目に早いそうです。まだ上がいるのか!)です。 がしかし、ここで思わぬ落とし穴が。 ■次男の入学でまさかの事態…母の反省 来月から次男が入学するので、一緒に登校してほしいとお願いしたのです。そしたら、こんな答えが。 がーーーーん!! 「僕だって初日から1人で学校に行ったんだから、弟だって同じように1人で学校に行ったらいいじゃん」 そ…そんなぁぁ~~~! あなたお兄ちゃんでしょ!と言いたくなるところですが…。「自分は1人で頑張ったのになんで弟はいいんだ」って思う気持ち、長女である私もよーーーくわかります。 「お兄ちゃんだからきっと連れていってくれるだろう」と思っていた私ですが、どうやら彼には「兄」としての自覚よりも「平等」を重んじる気持ちのほうが大きいようです。その根底にはやっぱりあのときの満たされなかった気持ちが残ってると思うんですよね。 あのとき、せめて、一緒に来てほしいって言った時ぐらいは一緒に行ってあげればよかったなと、3年後の今後悔するようになりました。 一緒についてきてほしい! と泣く長男に、かわいい子には旅をさせよと突き放しましたが、寄り添える時には寄り添ってあげればよかったです。 もう少しあのときできることがあったはず。当時の私は夫をそもそもアテにできない、しちゃいけないと思い込んでいましたが、私1人でなにもかも抱えようとせずに、もっと 夫に助けを求めて協力をしてもらえばよかった と思います。 ずっと続くわけじゃないんだし、最初に1、2週間ぐらい夫婦そろって協力体制をとればよかったなと今になって後悔しています。 【お知らせ】 前回の 「夫の本音は妻の予想とは真逆だった…! 夫をハンドリングする極意」 の記事下アンケート「Q. 夫婦間でズレを感じたことはありますか?」のアンケート結果はこちら↓
2018年03月15日「男と女は永遠に分かり合えない生き物だ」などという言葉があります。男と女。大きく共通しているのは、哺乳類サル目ヒト科ということぐらいて、そのほかは全く違う生き物です。 この永遠に分かり合えない生き物同士が家庭を作り、子どもを育てていくのですから、 そりゃ衝突して当然ですよね。 夫の性格を理解しているつもりでも、いまだに夫ならではの感覚の違いに驚かされることがあります。 ■リビングで寝る妻に毛布をかけてくれる夫 私が子どもを寝かしつけたあとにリビングで寝落ちしてしまったときのこと。まぁ、夫が仕事から帰ってきたころにはぐーぐーひっくり返って寝ているのですよ、おほほほ(恥)。 どうせ寝るならさっさと布団に行けばいいものを、グダグダするわ、旦那に八つ当たりはするわ、てこでも動かないわという、ある意味酔っぱらいよりもたちの悪い癖があるのです。 しかし、そんな妻に夫はというと、なにも言わずに2階から布団と毛布を下ろしてきてそっと私にかけてくれるんです。 優しいでしょ!? そう。優しいんです。 もしも私が逆の立場だったとしたら、「またそんなところで寝て……! 風邪引いたって知らないからね! むしろ風邪でも引いておのれの不摂生を後悔するがよいわ」って思ってしまいます。 自分に甘く夫に厳しい…。 それな私にも、夫は布団をかけてくれるんです。そのことに私は、3日3晩ありがとう、ありがとうと感謝しつづけたのですが(どんだけ)、後日、夫に聞いてみたのです。 「どうしてそこまで優しくしてくれるの?」って。 私が思うに、私が毎日育児と家事で頑張ってるのを知ってるからなんだと思うんですよね。私の頑張りを認めてくれてるから、私のことが大好きだから何も言わずにそっとお布団をかけてくれてるんだよね、「ね?」ってウキウキで聞いてみたら、妻の予想の斜め上を行く回答が返ってきました。 「君が風邪を引くと俺が困るから」 え……ええええええーーーーー!!!! ちょちょちょちょと待てちょと待て旦那さぁぁぁん。 どどどど…どういうことですか!! 夫:「妻に風邪を引かれると、俺が困るからに決まってるじゃないか。家が回らなくなって、子どもたちの面倒から何から俺が見ないといけなくなるし、仕事にも支障が出るから。そうならないように布団をかけただけ」 ケチョーーーーーーン……。そ…そんなぁぁぁあ。 ガラガラと音をたてて崩れていく「私愛されてる説」(笑) 私:「……まさかの、俺目線…」。 夫:「当然だろ。当たり前だよ。 自分が困る状況を巻き起こさないように先手を打って対処しているまで。どうせこんなこと言うと、君は『なんて冷たい!』って言うんだろうけど、冷たいとかそういう問題じゃない。これが本音だよ」 カーーーン……。超現実主義。 上手なご主人なら「もちろん君が大事だからだよ」と、うまいこと言って切り抜けるんでしょうが、夫は本音を素直に言うのがお得意。ほほほほ。 はぁ……。 でも、待ってください! 世の奥さまがたたち。私がそうだったように「なんて冷たいんだ!」って怒りも湧いてくるとは思いますが、一旦深呼吸しましょう。スーハースーハー。 この思考回路の違い、驚きませんか? こんなにも考え方が違うとは。 夫は、風邪を引いたら私がしんどいからかわいそうなんじゃなくて、 私が寝込むともれなく家が回らなくなって自分にも負荷がかかるから、風邪を引かれてる場合じゃないって思うわけです。 そう、私が夫は「相手目線」で考えているであろうと予測していたのに対し、実際の夫の心中は「自分目線」だったのです。 ■相手目線の妻と、自分目線の夫 念のため言っておきますが、私は自分視点がダメって言いたいわけではありません。むしろ、そこまで自分目線で物事を考えられるのがうらやましい…。そう、これだけ夫と私では視点が真逆なんだということを言いたいのです。 そこで気づいたんです。 私が基本的に「相手」目線である一方で、夫は基本的に「自分」目線なんだということを頭に入れておけば、イライラすることもないと思うんです。そして、むしろこれまで起こった出来事のズレのつじつまが合うような気がするんです だいぶ前の話ですが、長男が小さいころに私が熱を出してしまった時、夫に「離乳食を食べさせてあげてほしい」と頼んだところ、1日目はあげてくれましたけど、2日目は「また?! いつまで頼まれなくちゃいけないんだよ」といってスタスタと2階にあがって消えて行ってしまいました。 まだ私の体はしんどいのに、なんて酷い人なんだ……と悲しくなりました。しかし、これも今思えば視点が「自分」だからです。 これ多少なりとも、男性と女性の差もあるのかなと思うのです。 というのも、数年前に小さい子ども何百人を相手にする仕事をしたときのこと。帰り際に仕事の小道具を片付けていると、何も言わずに手伝ってくれる子は99パーセント女の子でした。 4、5歳の女の子が自主的に動いて私のお手伝いをしてくれたんです! 私自身子どもが男の子しかいないのでとても驚きました。 もちろん、女の子全員が手伝ってくれるというわけではなく、手伝ってくれる子の99パーセントが女の子だったという意味です。 中には2、3歳の小さな子でも手伝ってくれたりして。「ありがとう」と伝えるとますます頑張ってくれたんです。最後の最後まで手伝ってくれたり……(涙)。 一方で男の子はというと、あちこち興味津々で振り回してみたり、放り投げてみたり、とにかく遊ぶ遊ぶ遊ぶ(笑)。本能の赴くままに活発に動くか、ママが好きすぎてママにべったりかのどちらかでした。 たまに手伝ってくれる子もいましたが、瞬時に飽きてどこかに行ってしまいました(笑)。 ■言い方ひとつでものごとの捉え方が変わるかも? もしかしたら、男性は自分が困る状況になるのを防げるのならば、進んで行動してくれるかもしれません。言い方ひとつで、なかなか家事や育児に協力してくれない夫が協力してくれるのならば万々歳です。 「こうしてよ!」じゃなくて、「こうした方があなたのためになると思うよ」と伝える、ほんのちょっとの言い方が必要なのかもしれませんね。 【お知らせ】 前回の 「子どもの世界の悩みは大人が思っているより大きい…親はどう寄り添う?」 の記事下アンケート「Q. 子どもに悩みを相談されたことはありますか?」のアンケート結果はこちら↓
2018年03月08日子どもがまだ小さい間は、おもちゃや場所の取り合いをしてしまったとき、保護者が仲介に入って間を取り持ってあげたりしますよね。 幼稚園が終わった後や休日に、子どもが「○○ちゃんと遊びたい!」なんて言う日も、勝手に1人で遊びには行かせられないので、相手のお母さんに連絡を取ってお伺いを立てたりします。 しかし、子どもが小学校に入ると徐々に母親が顔を出すことはなくなってきます。 わが子は現在小学3年生。1年生の時には放課後の公園に一緒に付いて行く事もありましたが、今はもうありません。子どもたち同士で遊ぶ約束をして、近くの公園で勝手に集合して遊んで時間になったら帰ってきます。 そんな姿を見ていると、ときどきお友だちとの関係で悩んだりする事が出てきます。そんな時、どこまで親が介入していってもいいのか、その見極めが毎度難しく悩むところです。 小学生になると、子どものお友だちがどんな子かを親が知らないことも多々あり、何なら顔すら知らないっていうことがどんどん増えてきます。わが家の場合、夫の仕事の関係で転校しているので尚更です。 ■小3の長男が抱えたお友だちの悩み そんなある日、長男が言ってきたんです。 長男:「ねぇ、一緒に遊びたくないのに一緒に遊ぼうって言われて困るんだけど」 (ほほーー。とりあえずもうちょっと話を聞いてみよう) 私:「どうして一緒に遊びたくないの?」 長男:「一緒に遊ばないと殴るって言われるから」 (お……おおぅ。そそ、そんなにまで…) 私:「じゃぁ正直に『そういうこと言う人とは遊びたくない』って言ってみたら?」 長男:「言ってるよ! 今日は遊びたくないって言った!」 私:「そしたらなんて?」 長男:「今日学校から帰って、公園で一緒に遊んでくれなかったら明日殴るって」 (おお……) 長男:「ねぇ~、お母さんなんとかしてよ~!!」 と、ここで私に泣きついてくるわけです。 長男:「なんとかしてよ~! 遊びたくないって言っても聞いてくれないし、遊びにいかないと殴られちゃうよ~~」 ゆっさゆっさと私の腕をつかみながら嘆きます。 これらのやり取りは学校での出来事。とはいえ放課後(学校外)の約束。もちろんおうちの連絡先も知りません。 うーーーん。困った…! 実は私、この手の対処がすごく苦手なんです。 ■子どもの悩みの解決の仕方がわからない なぜかというと、私自身が友だちと大きな喧嘩をした経験があまりなく、どう折り合いをつけたらいいのか自分自身よく分からないのです。いじめをしたこともなければいじめに合ったこともない、平和に育ってきたタイプです。 そりゃ学校生活の中で「嫌だなぁ……」「あの子ちょっと苦手だなぁ」と思う事もありましたけど、それを母親に相談して「なんとかしてくれ」って思ったことはありません。 だから、こういう時、子どもがどういう風に親に動いてほしいのか、どういう風に声をかけてあげれば子どもの気が楽になるのかがわかりません。 おまけに、子どもが全員男の子ということもあり、強くたくましく生きていってほしいという願いもあるので、つい「自分の力で乗り越えろ」精神を持ち出してしまいがちです。 学校でのお友だちの関係での悩みに母親の私がどういった言葉をかけてあげればいいのか……。いつも悩みます。そんな私の思いとは裏腹に、 私:「学校の先生には相談した?」 長男:「したけど。僕はお母さんになんとかしてほしいの!!」 と言い切る長男。えええええ~~~~~汗。困った…。 長男:「ねぇ、どうしたらいい? お母さんから何とか言ってよ。A君に!」 私:「そんなこと言われても………」 ごにょごにょごにょ。(自分に火の粉がかからないようにする私) 私:「よし! じゃぁわかった! 明日学校に行って、一度真剣にA君に話してみたら? 一緒に遊ばないと殴るとか言うのはやめてほしいって。きちんと言えばわかってくれるんじゃないかな?」 と、提案したのですが、長男の答えは、「どうせ言ったって聞いてくれないもん」のひと言。 出ました。「どうせ…」です。 私:「なんでよ! そんなの分かんないじゃない。きちんと伝えればわかってくれると思うよ?」 長男:「そんなことない。絶対わかってくれない」 (そ……そんな。その思い込みの激しさ誰に似たのか。あ、私か) 仮に私が長男の立場だったら、さっさとその場しのぎで公園に遊びに行きます(笑)。「一緒に遊びたくない」って面とむかってなんて言えないタイプだったので、きっとがまんして、しばらく遊んだら帰ってきます。そういう子どもでした。 だから、逆に「遊びたくない」って言える長男のメンタルすごいなと思うのですが、A君からしたら悲しいでしょう。 私:「きっとA君、長男とものすごく一緒に遊びたいって思ってるけど、その表現がちょっと空回りしちゃってるだけかもしれないでしょ?」 長男:「そんなことない。嫌なものは嫌だ」 (まぁそうか) 私:「でも本当に殴ってくるかどうかなんて分かんないじゃん。そうやって強めに言ってるだけかもよ?」 長男:「そんなことない」 私:「どうしてそんなことがわかるのよ」 長男:「きっとそうだもん!」 はぁ~。どうしたらいいのでしょう。 放課後のことだから学校の先生に相談するのも気が引けるし、ずっと悩んでる様子だったら相談しますけど今日1日だけのこと。私自身、これぐらい自分でなんとかせい! という感覚が強いんです。 そうなると、今度はこう言ってきます。 長男:「お母さんはどうせ自分でなんとかしろって言うんでしょ! 僕のことなんかどうせもいいんだ」 …いや、そうじゃない。そうじゃないのよ。 僕のことがどうでもよくないからこそ、自分で乗り越えてほしいって思うんだけど……。 結局この後どうなったのかというと、A君とたまたま道で会った時に、A君と私とで直接お話ししてみました。A君も理解してくれて、問題は解決したように私としては感じています。 日々やってくる、この手の問題にどこまで介入していけばいいのかなと悩んでいたところ、気づいたことがありました。 それは、私が子どもの悩みを聞いた時、大前提に頭に置いておくべきことは、 子どもの世界は、大人が思うよりもずっと小さい世界だということ。 ■子どもの悩みと、大人の悩みの違い 学校・クラス・家庭・習い事。活動してる場所はさまざまありますが、大人が思っている以上に子どもの世界は小さくて狭いんですよね。 その小さくて狭い世界の中での悩みは、 大人から見れば小さなものでも、子どもからすれば大きな悩みであることを忘れちゃいけないなと思うのです。 お友だちと喧嘩したり、ぶつかり合うことは決してマイナスなことではありません。自分とは違う価値観の人がいることを知るきっかけにもなりますし、こうした経験はいつかきっと、大人に成長していく上での糧となり、生きる力のひとつになると思います。 だからと言って「いつかきっと為になるから自分でなんとか乗り越えて!」と放任しておくのがいいかというと、決してそうではありません。 まだ未熟な彼らにとって、小さな世界のなかでどう乗り越えていったらいいのか、 その方法を1から自分で見いだせといわれてもその方法が分からないと思うのです。 だからこそ「こうしたら?」「ああしたら?」と提案してみたのですが、長男からしたら欲しい答えはそれじゃないんですよね。 将来のためになるって言われたって、今悩んでるんだからそれをなんとかしてほしい。ごもっともです……。どう声かけをしてあげれば前向きな気持ちになってくれるのか。難しいですね。 私がそんなことを考えていたある日、こんな光景を見かけました。 ■悩んでいる子どもが、大人に求めていること 学校の門の近くで女の子がしくしくと泣いていて、朝の挨拶で立っていた先生が声をかけていらっしゃいました。 聞くところによると、どうやら登校中にお友だちが自分のことを抜かして、早く歩いて行っちゃったとかなんとか。 大人からしたら「そ……そんなことで泣いちゃう!?」と思うわけですが(笑)、小学生の女の子からしたら、学校に行く気が失せちゃうほど嫌な出来事だったわけです。 しかし、しばらく先生が「そうだったの」と話を聞いてやると、涙を拭いて学校に入っていきました。 きっとこれなんですよね。 私がこの女の子だったとしたら「あなたも負けずに早く歩いたらよかったんじゃない?」とか「そんな小さなこと気にしてたら、これからの人生やっていけないわよ」とかそんな言葉全然ほしくないんです(笑) ただ話を聞いて、「そうか…それは嫌だったね」と 自分の気持ちを認めてくれたら、よし気持ち切り替えて頑張ろうってなれる と思うんです。 だから私が長男にしてあげるべきだったのは、 解決の方法や言葉ではなくて、聞いてあげる姿勢だったんだな 、とこの女の子をきっかけに考え直すことができました。 提案ではなく、話を聞いて、長男の気持ちを汲んで一緒に「それは嫌だったねぇ、わかる、わかるよ!!」と精一杯同意してあげたら、長男の気持ちも晴れて、お母さんは分かってくれたって、少しは思ったんじゃないかなと思います。 話を聞く力、私もまだまだ反省しっぱなしです。 【お知らせ】 前回の 「『名前のない家事』からの解放! 夫も子どもも気軽にできる片付け術」 の記事下アンケート「Q. 家事を家族で上手に分担できていますか?」のアンケート結果はこちら↓
2018年03月01日先日夫婦で何気ない会話をしていた時のことです。 私がいつもの万年口だけ女っぷりを発揮して「運動しないと将来足腰弱っちゃうわ~」とボヤいていたところ…。 夫が、「すぐに車に頼ろうとせずにこまめに歩くか、 もうちょっとちゃんと家事をするか、だな。 」 って言ったんです。 え!? なに!? ちゃんと家事をするか…ですと~!? あの! 私、ちゃんと家事してますけど!! うちの夫は休日には家事を分担してやってくれますし、その点本当にありがたく思っています。 それと反比例するように、私の家事能力は年々が下がっていき、今となってはすっかり汚母さん(おかあさん)。家事をやらせれば夫のほうがずっと丁寧・綺麗・完璧に仕上げます。 そんな夫から見ると私は 「ぐーたらしている妻」 なんだと思います。その証拠にこんな一言がありました。 ■夫が言った一言にカチン! とある週末にリサイクルゴミを処分しようとしたんですね(リサイクルゴミ=ペットボトルや缶、瓶などをスーパーのリサイクルボックスに入れます)。しかし週末にこれをやろうとすると、いちいち道も混んでるしお店も混んでるしで思うように進みませんでした。 そこでとうとう夫が言い放ったのです。 「平日に捨てろよ。どうせ時間あるんだからさぁ。」 …なにぃぃぃ!? 私:「そんな時間有り余ってるわけじゃないもん!」 夫:「幼稚園送りに行ったついでに済ませればいいじゃないか」 私:「そうは言ったって私もいろいろあるんだから! 在宅だけど一応仕事してるし!」 夫:「そんなことない。絶対時間あるはずだ。俺は知っている」 私:「キィィ!! 何を知ってんのよ!?」 夫:「平日グダグダしていることをだよ。とにかく週末に溜め込まないで平日に済ませてくれ」 キィィ! 私だって忙しいんだからー!! と腹を立てた出来事がありました。 私の家事能力には至らない点がいくつもあるのは認めますが、そうは言っても、自分自身の感覚でいえば 毎日ずっと家事に追われているような感覚なんです。 次から次へとやることが降って沸いてきては、それをひたすらやっつけていってるようなイメージ。 しかし夫からすると「大してできていない」「もっとできるはず」。 一体この差は何なんだろうって考えてみました。 そこで気づいたのは、夫と私の間に 家事に対する認識の違いがあること です。 ■「名前のない家事」に追われる妻たち 妻の私は毎日の家事が「やってもやっても終わらない」イメージなのに対して、夫はそうじゃない。 ではなぜ私だけがこんなイメージを抱いているのかを考えてみたところ、ズバリその正体は、 名前のない家事に追われていること にあるんだと思います! 名前のない家事ってご存じですか? 一時期、脚光を浴びたワードですよね。 家事と聞いてまっさきに思い浮かぶのは、洗濯、掃除機をかける、お風呂掃除、トイレ掃除といった「名前のある家事」です。 しかし、日々の生活にははっかりとした名称のない家事があるんです。むしろ、こちらのほうが多い。 そしてはっきりとした名称がないから 「片付ける」 の5文字で済ませられてしまいます。 が、この「片付け」がとにかく幅広すぎー! しかも子どもの数が1人よりも2人、2人よりも3人と家族が増えれば増えるほど、どんどんどんどん片付けの幅も広がっていきます! 例えば、今日の我が家を振り返ってみます。 ■私がやらなければ、誰もやらない 階段の下を見てみますとそこには、 しぼんだ風船が所在なさげに漂い、幼稚園で次男がもらってきた手裏剣が転がり、どこかから湧いてるのか? と思うほどあちこちに小さなブロックが落ちています。 これらがいつからそこにあるのかというと…少なくとも 4日前からそこにあります。えへ! 比較的目につきにくい場所に落ちているものなので、誰も拾うことがありませんでした。そして、 私が拾わなければ、きっと一生誰も拾わないと思います。 宅急便で届いたあとの段ボールを畳むのも、洗った牛乳パックを開くのも、ペットボトルのラベルをはずすのも、洗面所の水垢を落とすのも、私がやらなければ誰もやらないし、やらなきゃ! と思う人も誰もいないと思います。 そう…! 名前のない家事の辛いところは、やってるわりに誰にも気づかれないところです! 食器を洗ったり、洗濯を干すのは誰が見ても一目瞭然にわかるのですが…。 落ちている手裏剣を拾ったり、 しぼんだ風船を捨てたり、 落ちているブロックを箱にしまったり、 シャンプーボトルのぬめりを取ったり、 食器かごの底をハイターしたり、 換気扇のほこりを取ったり、 晩御飯の献立を考えたり、 名前のない家事はやったとしてもほとんど気づかれません。 ぜ~~んぶひっくるめて、 「片付けた」でおしまい! 自分なりには子どもたちが毎日次から次へと散らかす部屋をエイ! エイ! と片付けているつもりなのですが、いまいち夫には伝わらないし、子どもにも全然伝わっていません。 先日夫がトイレの換気扇を掃除してくれた時に(ホコリが床に落ちてきていたので見かねて掃除してくれました)、私は心から「ありがとう!」と感激しましたが、家族が誰もいないときに私が1人でひっそりトイレの換気扇を掃除したとしても誰ひとり気がつかないと思います。 現にお風呂の椅子のぬめりを取りましたが、誰も気づいていません。 次から次へと湧いてくる名前のない家事をやっつけるのは、現状5人もいる家族の中で私1人です。 いい加減1人で頑張るにも回らなくなってきました。 子どもたちだってもう赤ちゃんじゃありません。家族の一員として協力してもいい年頃です。 そこで、私が、自分も含め家族全員で取り組んでいきたいと思っている目標がこちらです。 ■「ついでに何かを手に持つ」作戦 家の中を手ぶらで歩かない!! どういうことかといいますと、 例えば1階のリビングから2階へあがる時には、転がっているおもちゃをひとつ手に持ってあがるようにする。 寝室から子ども部屋に向かう時には落ちている絵本を手に持って本棚にしまいにいく。 玄関から部屋にあがる時には落ちている手裏剣を手に持ってゴミ箱に捨てる。 など、 「ついでに何かを手に持つ」 ようにするんです! 部屋を動くついで何かを手に持って所定の位置に戻す ようにすれば、これを家族全員が気をつけたとき、私は相当楽をできるはず…! いやいや、違います(つい本音が)。 1人が担当する「片付け」をみんなで分散させることができるんです。 これならまだ洗濯や食器洗いができない幼稚園組の下2人でもできますし、どっちみち動くついでなのだから取りかかりやすいような気がします。 そしてなにより、休日専門の夫にも協力してもらいたいと思います! 平日の食器洗いや掃除機まで頼むつもりはありません。仕事を頑張ってきてくれてるわけですから。 ただ、家に帰ってきて玄関にあがって手裏剣が落ちていたら、リビングに来るついでに拾ってきて捨ててほしい! 階段にブロックが落ちてたらスーツをクローゼットに片付けるついでにオモチャ箱に入れてほしい! 「そんなの妻の仕事だろ」と言わずにそこをなんとか。だって妻の私はそこに至るまでにもう何個も拾ってきてるわけですから。 家の中を手ぶらで歩かない! 手ぶらで歩くようになった時は家の床がピカピカの時! これを家族全員に協力してもらいたいと思います。 【お知らせ】 前回の 「専業主婦もストレスフル! 『預けられない子育て』を経験した私の願い」 の記事下アンケート「Q. 母親が1人で抱え込みがちな育児の現状『預けられない子育て』について、ご意見をお聞かせください」のアンケート結果はこちら↓
2018年02月22日幼稚園といえば専業主婦家庭の子どもが通うイメージが強いですが、実際には働くお母さんもたくさんいらっしゃいますよね。 かくいう私も、幼稚園に通わせている働くお母さんのひとりです(自宅でライター業)。 私がなぜ幼稚園を選んだのかといいますと、長男次男の時には専業主婦だったので幼稚園一択でした。三男の時には保育園を探そうと思ったけれど 以前の経験 もあり、とてもじゃないけれどわが家の勤務形態では入園できそうもなかったので幼稚園に決めました。 幼稚園を選んだのも自分。自宅で働くことを決めたのも自分。 決めたのは全部自分だけれど、本音を言えば 働いていても働いていなくても、誰でもいつからでも子どもを保育園に預けられるようになったらいいのに と思っています。 働いていなくても保育園に預けたいと思ってはだめでしょうか? ■専業主婦だけど、上の子を誰かに預かってもらいたい 専業主婦の幼稚園ママさんの中には共感していただける方もいるかもしれませんが、私にとって、わが子が 幼稚園に入園するまでの最後の1年は、とても長く感じました。 0歳よりも1歳よりも、2~3歳。この最後の1年が長男次男ともものすごくつらかったです。 この1年は、ちょうどイヤイヤ期にあたる時期ですが、私としてはイヤイヤよりも、子どものあふれんばかりの好奇心と、とどまることを知らない体力についていくことが一番大変でした。 家の中でおとなしくなんてさせられないので、毎日何かしら外に出ないといけません。 うなぎ登りの体力に比例して、どんどん短くなっていくお昼寝。自分の時間もどんどん短くなっていくし、自己主張も激しくなってきて何をするにも一触即発。それに合わせてちょうどこの時期に下の子が生まれるご家庭も多いですよね(わが家もそう)。 そんなわけで、私は専業主婦ではあるものの 上の子を誰かに預かってもらいたいと何度も思っていました。 専業主婦でも保育園に入れる土壌が日本にあれば、上の子を保育園で見てもらえたかもしれない…という気持ちもありました。 ■「平日の協力者がいない専業主婦の母親」はストレスフル わが子は3人兄弟。次男だけでも保育園に行ってくれれば、私は三男のお世話に集中できるし、次男にとっても思いっきり遊べる環境を与えてあげられます。ちなみに、産後一時的に上の子を預けられるサービスはありますが、私の住んでいたところでは産後1ヶ月などわりと短い期間でした。 「産後×赤ちゃんのお世話×イヤイヤ期の上の子」 の組み合わせの育児ってどうしても密室化しやすいから、第3者の目に触れやすいという意味でも保育園に預けてガス抜きできたらいいのになと思ったんです。 あまり話題になることはないけれど、私と同じようなことを考えている専業主婦のお母さんも一定数いらっしゃるんじゃないかと思います。 じゃあそんなママたちがなぜ声をあげないのかというと、 おそらく一種の自己肯定感の低さみたいなものがあるからではないでしょうか。 専業主婦で暮らすことを選んだのは自分ですし、何より私は働きながら子どもを育てることのほうが絶対大変だと思っているので、文句なんて言っちゃいけない、もっと大変な人はたくさんいるんだから、働いていないのに保育園に預けたいって望んだら贅沢だ、そんなことばかり考えていました。 しかし、最近の研究結果で、イヤイヤ期の子どもをもつ親で一番ストレスを抱えているのは「平日の協力者がいない専業主婦の母親」だという結果が出たそうです。(参照: 博報堂広報室「イヤイヤ実態調査」 ) 私は専業主婦でずっと子どもと一緒にいる生活も、子どもを預けて働く生活も両方経験しましたが、これまさにその通りだと思います。圧倒的に専業主婦のほうがストレスフルでした。専業主婦にも、向き不向きがあるんだなと感じたのはこのときです。 子どもとずっと一緒にいる生活には母性とか宝物とか愛情とかそういう正しい理論では片付けられないしんどさがある気がします。 まるでずっと同じ景色の中で終わりのないマラソンを走り続けているような感覚です。 ■親に職がなくても保育園に預けられる、デンマークの子育て どうやら調べたところによると、デンマークでは、母親が働いていなくても保育園に預けられるようです。 0歳から保育園に入ることができて、費用も自己負担は3分の1(3分の2は自治体が負担)。国が子どもを預ける場所を保障していて、 保育園や保育ママなど日中に子どもを預かってくれる場所は必ずあるんだそうです。 そしてこれが少子化を防ぐひとつの力になっているとのこと。 あぁ…日本もこうなればいいのに!! 心の底から叫びたい(笑) 今の日本では、母親が働いていないのに0歳から子どもを預けると言ったら、「育児放棄だ」と指摘されそうな空気感がありませんか? しかしその指摘は、子どもを預けられないことで悩むママの気持ちに寄り添えているのでしょうか。 0歳から日中ちょっと保育園に預かってもらって、その間に洗濯したりご飯を作ったり掃除機をかけたりして、家のことが済んだら迎えに行って…。いつか日本にも保育園全入時代がくれば、働いている・いないにかかわらず、平等にそういう生活があってもいいような気がしませんか? 私、子どもを背中におぶいつつも、足元にギャーギャー泣きながらまとわりつかれている中必死に家事していましたけれど、 朝起きた瞬間から眉間にシワ寄せてる母親と一緒にいるのと、優しい先生や楽しい友達に囲まれて保育園に行っているのとどっちが子どもにとって楽しかっただろうって思うのです。 私たちは無意識のうちに母親神話が刷り込まれていて、なんだったら3歳児神話にもとらわれています。この「母親の愛がすべて」みたいな観念、いっそのこと脱ぎ去りたいと私は思います。 正直言って重い。ただでさえ頑張ってるのに、そんなもの乗せられたらもう沈没しそうです。 今、もしも働いてないのに1歳からどこかへ預けるとしたら、私に与えられている選択肢は、ベビーシッターを雇うか、もしくはプレスクール的なものを探すかだと思います。 ただ、働いてないのに子どもを預けるというのはいわゆる 自己都合 なので、ものすごく高額なお金がかかります。いわゆる贅沢品の一種のような扱いです。 デンマークでは3分の1の自己負担で預けられるというのに…。デンマークにできてなぜ日本でできないんでしょう。 ■「預けられない子育て」をした私の願い 今は働いている家庭の子どもでさえ保育園が見つからなくて困っているような最悪な状況なので、こんな話は夢のまた夢なのは十分わかっているのですが、いつか、誰でもいつでも預けたいと思った時には子どもを預けられる仕組みになったらいいのになって心から思います。 「私は子どもとずっと一緒にいたい」って思う人はそうしたらいいし、「私はちょっと子どもと離れたいわ」って思う人はそうしたらいい。どっちでも好きなようにできたなら(願)。 いつか働く、働かない、預ける、預けない、人それぞれ好きなように組み合わせられるような世の中になればいいにな… と祈るばかりです。 そして、今の私が、こういうことを望んでいるんだって発信することは贅沢でも、無責任でもないはず。 自分で産んだのだから責任持って育てなくちゃいけないことは、十分わかっています。 子どもはかわいいし、愛しています。 それでも大変な時は大変だし、辛い時は辛いんです。 母親が1人で抱え込まなくたって、みんなで育てたらいいじゃない。 預けるところいっぱいあるよ! 預けることは悪いことなんかじゃないよ! 子ども預けてゆっくり休憩してもいいじゃない。 子ども預けるのに理由がなくたっていいじゃない。 いつか将来日本のママたちがこういう環境で子育てできるようになればいいなって、「預けられない子育て」で苦労した私は思います。
2018年02月15日待機児童問題という果てしない課題。 前回の記事 では、待機児童問題が解決しない要因のひとつとして、保活に苦労した人でも「喉元を過ぎれば他人事」になってしまう点が挙げられるのではないか、ということに触れました。 その解決のために私たち1人ひとりに何ができるかというと、 自分の立場や状況に関係なく、「保育園全入化を実現させたい」という気持ちで同じ方向を向くこと なのではないかと思ったのです。 どういうことかと言うと、物事を大きく動かすためには、 みんなが思いを一つにすることが大事だと思います 。 そのためには、 それぞれの主義・主張・目的の違いなどを細かいところまでつついていたら話が進まないんです。 暗いトンネルの中で、全速力で走る人もいれば、立ち止まってしまう人もいるし、ズルをして楽しようとする人もいると思います。 でも1人ひとり「あなたのそれはおかしい」「あなたも全速力で走りなさいよ」と言っていては歩みが遅くなってしまいます。 それぞれ違うけど、みんなまとめてガサァァァっと同じ出口を目指そうよ!! そうなれば、出口は近いような気がします。 なぜ私がそう思ったのかというと、とある出来事があったからです。 ■保活ママに向けられる厳しい声 私が急に働きたい! と思い保育園を探し始めた時(約2年半前)、いざ探してみると「保育園がこんなにも見つからないものなんだ…」と厳しい現実にぶち当たりました。 そのジレンマをブログで呟いたのですが、そうすると応援の声もある反面、一定数の批判の声もあったんです。 「向こう見ずに見切り発車をするあなたが悪い」といったものや、「まだ三男も小さいんだし、今働きに出なくてももう少し大きくなるまで待ったらどうか」というもの。 「みんな産休育休中から保活して、それでも入れないんだからそんな簡単に入れると思うほうがおかしい」というものもありました。 このとき初めて知ったのです。 政治家が子育ての政策を整えてくれない間に、世のママたちには潜在的に「保育園に入るのは難しいこと」という意識が根づき、気軽に「保育園に入りたい」と発言することにすら、否定的な声があがるようになっているんだなと。 同じ女性、子育て世代同士でもこんなに感覚の差があるし、足並みも熱量もそれぞれ。 働こうとするお母さんを応援する人もいればそうじゃない人もいるし、 女性だから子育て世代だからといって、みんなが同じ方向を目指すことすらできなくなっている のだから、そりゃ一筋縄では解決しないなと正直思いました。 ■仕事も子育ても大事にしたいと思うのは、ごく自然なこと たしかに私の見通しが甘かったことも事実なのですが、育児に専念していたママが「社会復帰したい」と思い立ち、保育園に入れたいと思うのはごく自然な気持ちだと思います。 1年前から保育園を探している人も、一昨日から保育園を探している人も、保育園に入れなくて困っているという状況は皆同じはず。 「私はもっと前から準備してるのに」と誇示したり、「今すぐ働かなくてもいいんじゃない?」と働きたい人を否定していては話しが進みません(もちろんこういう方は少数だと思いますよ。みんながみんなそうだ と言っているのではありません)。 現在も待機児童問題で苦労している友人がいるのですが、その友達が「保育園に入れない…」と呟くと、「入りやすいところに引っ越したらいいんじゃない?」とか「幼稚園に入れる年齢まで仕事をやめたら?」といったアドバイスをいただくそうです。 もちろん、それで解決したケースもあるだろうし、保育園に入れない現実を受け入れて働くことを断念したママも多いのは事実です。 しかし、 誰だって働きたいと思ったら今すぐ働きたいし、今の仕事を続けたいと思っていいんです。今住んでいる場所に住み続けたいし、自分の仕事も子育ても両方大事にしたい、それをベースに「保育園に入りたい」と言っていいと思うんです。 家族の生活をより豊かにしたい、自分の人生もより有意義なものにしたいと願うのは、人としてごく自然なことです。 どうしてこれがこんなにも叶えづらいのだろう、と悔しくなります。 ■「保育園に入りたい」のは育休明けママだけじゃない 育休産休明けで復帰するママもいれば、 私のように急に社会復帰したいと思って仕事を始めるママだっています。 仕事の形態もさまざま。フルタイムの人もいれば、数時間のパートの人もいるし、私のように自宅で仕事をしている人もいます。 一億総活躍社会というならば、政府にはいろんな選択肢、生活スタイルを実現できるような受け皿をつくってほしいものです。 そして、その実現を少しでも早く進めるためには、 当事者同士が批判し合っていてはいけません。 特に、私たち女性は、細かいところまで目配りしたり、周囲を見渡し器用に動くことに長けていると思います。 しかし、それは良いところでもあるのですが、細かい個々の差にとらわれて話が進みにくいという側面もあります。 保育園問題においても、それぞれ事情は違うけれど「今のこの状況なんとかならないの!?」と思う気持ちはみな一緒です。 「私たちの頃はもっと苦労したのよ」という人でも、「意外となんとかなった」という人でも、「私は待機児童問題解決に向かって熱心に活動しています」という人でも、「解決するかしないかだったらそりゃ解決したほうがいいよね」程度の人でも、個人のスタンスや活動は、もはや重要ではありません。 この際、 1人ひとりの主義・主張・目的・活動状況など細かいところまで合致させようとせず、とにかく「保育園全入化を実現させたい」という気持ちを声に出していきませんか? そして、「働くお母さん」に注目が集まる一方で、 子育てに専念するために仕事を辞める・もしくは辞めざるを得なくなった母親=専業主婦もいます。 ■専業主婦の苦悩 専業主婦は子どもをどこへ預けるかというとだいたい、3歳か4歳になった頃に幼稚園に預けるのが一般的だと思います。 幼稚園は保育園と違って母親が働いていなくても入れますし、おそらく世間のイメージだと、専業主婦の家庭の子どもが通っているイメージではないでしょうか。 (幼稚園ママというと、お受験だったり、セレブママやマウンティングといったイメージがありますが、こんなのほんの一部です。実際私の周りはこんなことありません(笑)) かくいう私も子どもを幼稚園に通わせている幼稚園ママです。 私だけなのかもしれませんが、 幼稚園に通わせている母親からすると待機児童問題にがっつり切り込んでいきにくいというか、畑が違うような気がしてなかなか積極的に発言してはいけないと思う瞬間があります 。 なにか積極的に発言しようと思っても、どこか気後れしてしまうところがあるんですよね。 だって、最終的に 子育てに専念することを選んだのは私なのだから 。 しかも、専業主婦だと無自覚のうちに自分を責めがちで、どこか「生活させてもらっている」という意識が植え付けられてしまい、これ以上のことを望んではいけない、とか、何かしらどこかは我慢しないといけないみたいな意識が知らず知らずのうちに積もってしまうのです。 しかし、わが子を幼稚園に通わせている母親である私でも ほんとの本音のところでは「こうだったらいいのにな」と大きな声では言えない気持ちを持っているのです。 長くなりそうなので、その理由は次回(2/15UP)に続けたいと思います。 【お知らせ】 前回の 「「保育園落ちた」自分が終われば他人事? 待機児童・保活問題を終わりにするために」 の記事下アンケート「Q. 待機児童・保活問題について、ご意見をお聞かせください」のアンケート結果はこちら↓
2018年02月08日待機児童問題が叫ばれてもう何年経つでしょうか。 いつまでたっても進んでいないような気がするのは、私だけではないはずです。 幼児教育無償化もいいけれど、 希望者がみんな入園できるようになる全入 をなんとか実現させてほしいものです。 しかし現実に目を向ければ…保育園全入時代が実現するときなんて、永遠に来ないような気すらしてきます(気が遠くなるほど問題山積みですね)。 待機児童問題については、私ごときが語れないほどさまざまな問題が複合的に絡み合っているのは重々承知の上で、私なりの意見を提示したいと思います。 ■待機児童が減らない要因のひとつ「他人事」問題 この問題がなかなか解決しないことの原因のひとつに 「喉元過ぎれば他人事になってしまう」側面 があるからなんじゃないかなと思うんです。 あくまで一因ですよ。 箱の問題や、保育士の待遇面の問題は周知の事実だと思いますので、私があえてここで述べることはしません。 今回は、あまり気づかれていないけれど実は問題の根幹をついているんじゃないかな? と思う 「喉元を過ぎれば他人事・待機児童問題に対する温度差」 を取り上げます。 どういうことかと言いますと、待機児童問題ってピンポイントな世代が直面している問題だと思うんです。 世の中の0~90歳の世代のほとんどが、言い方は悪いですが関係ない問題で(本当は社会全体に関わる問題なのですが)、特に若者や中高年にとっては「へぇ~そんなに保育園に入れないんだ~」ぐらいの認識だと思います。 そして同じ20代30代だとしても、子どもがいる人といない人では「関係ある人」と「関係ない人」でわかれます。 少子高齢化社会ですから、介護の問題か子育ての問題かでいうと人数的に介護の問題で困っている人のほうが多くなります。 ただでさえ人数の少ない子どもに対する福祉が後回しになるのは、当然のことなのかもしれません。 ■子育て世代でも「自分の問題」ではなくなると関心は薄れる ましてや同じ子育て中の年代だとしても、子どもの年齢によっても関心の高さは変わってきます。 わが子がまさに待機児童問題に直面して保育園に入園できず、苦労している時には「なんとかしないと…!」と関心も高くなるし意欲的になりますが、いざ、子どもが希望の保育園に入園できると、ホッとしてその後関心が薄れてしまいがちです。 待機児童で苦労している後輩ママに「うちもそうだった!!」と共感することはできても、 「あとに続く世代のためになんとかこの問題を解決したい!」と持続的に主張し続ける人は少ないように思います。 直球で表現するなら「私たちは問題から抜け出したから、あとはよろしく」といったところです。 誤解のないように言っておきますが、このような方たちが悪いと言いたいわけではないです。 かくいう私もまさにそのうちの一人です。 ■「地方なのにまったく手ごたえなし!」の私の保活 私は三男が1歳になるまで、わが子を保育園に預けたいと思っていませんでした。専業主婦でしたので幼稚園の3歳入園まで自分で見るつもりでした。 当然その頃から待機児童問題は知っていましたが「へぇ~~そんなに入れないのか~」と完全に対岸の火事でした。 まさに他人事だったのはこの私です。 このように 同じ子育て中でも、専業主婦でいるつもりのママと、育休中だったりこれから働きだそうとしているママとでは認識の度合いにも開きがあります。 そんな私ですが、三男が1歳になった頃、急にやりたい仕事を見つけ思いきって自営業を始めようとしたのです。 自分が働こうとするなんて…ましてや自分で仕事を始めるだなんて全く思ってもみなかったことなのですが急にパチンとスイッチが入りました。 いざ仕事を始めようと動き出したものの、 思っていた何倍も現実は厳しいものでした。 甘かったですねぇ~~。 地方の田舎なので、言ってもどこかしら入れるだろうとたかをくくっていました。 両親も義両親も近くに住んではないし、夫の仕事は忙しいし、状況的には点数が高い部類に入るだろうから、どこかしら入園できるだろうと。 がしかし、1歳代での入園って一番入りづらい年代らしく(後から知りました)。 まっっったく手応えなし! かすりもしません。 待機人数も教えてもらいましたがどこもかしこもものすごい人数です。 自分が待機児童問題に直面してよーーーうやく現実の厳しさを思い知ったのです。 どこかしら入れるだろうなんて、無知ゆえの楽観的観測でした。 都会であろうが地方であろうが関係ありません。こんなにも厳しいものかと驚きました。 ■八方ふさがりの子育て…「どないせーっちゅーねん!」 でも結局こういうことなんですよね。 みんな自分が問題に直面するまではどこか他人事で、自分がその立場になってようやく問題の深刻さに気づくのです。 私はそのとき、「専業主婦でいるつもりだから」と 待機児童問題に他人事と感じていたそれまでの自分を深く反省しました。 当時の私は、自分の意志で急に働き始めたいと思って動き始めましたが、急に夫が倒れて私が働かざるをえなくなることだってあるでしょうし、人生何が起こるかわかりません。 急に働くことを決めたのはいいものの、肝心の子どもを預ける場所がどこにもないわ、さらには仕事を探すために子どもを預かってほしいのにそれすらもないわで、一体どないせーっちゅーねん! ですよ。 こんなにも真面目に税金を払ってきているのに恩恵を受けたい時には受けれない。 怒りが沸いてきました。物議を醸した「保育園落ちた日本死ね」。自分が経験してみてこれを投稿した人の気持ちがよくよくわかりました。 結局どうしたかというと、三男が2歳になるまでは一時保育を利用したり、その一時保育も満員で入れないときには子連れで仕事をしたりしていました(子連れ出勤、いいように思えますが大変でした。自分にとってもお客様側にとっても)。 2歳になった4月にこども園に入園することができ、無事預け先が確保できたのでした。そして3歳の今は幼稚園に在園しています。 かつて自分が問題に直面したときには「一刻も早くなんとかしてほしい!」と強く思っていたのに、子ども全員が小学校・幼稚園に入って落ち着いた今は、当時の自分より明らかに待機児童問題に対する温度は下がってきています。 ■私たちの苦労を次の世代では減らしていきたい 保育園に入れるまでにはあれだけ困っていたはずのに、入園できたら後に続く世代を助けてあげたいという気持ちが薄れてしまう。 私が言う「喉元過ぎれば~」というのはこういうことです。 「私たちはあれだけ苦労したんだから、このくらいの苦労は当然よ」とするのではなく、私たちがした苦労をどんどん減らしていきたい、 これからママになっていく人たちが自分の選択肢を自由に選べるようにしてあげたい と思うような人でありたいです。 子どもが既に大きくなった人にとっても待機児童問題は決して喉元すぎた出来事ではありません。 また、子どもが今はまだいない人にとっても待機児童問題は未知の世界の出来事ではありません。 自分の望むライフスタイルを柔軟に実現できるように、少しでも多くの人が関心を持ち続けることが大事だと私は思います。 【お知らせ】 前回の 「『テレビ子守り』子どもへの影響って? 2歳のテレビっ子が成長した結果」 の記事下アンケート「Q. 子育てで罪悪感を感じることはありますか? 」のアンケート結果はこちら↓
2018年02月01日今となってはこんな私ですが、かつて「○○しちゃいけない」とかたくなに気にしていたことはいくつかあります。 そのうちのひとつが、 テレビに子守りをさせてはいけない 、っていうことでした。 はじめての子育てで右も左もわからなかった私は、当時育児書を読み漁りましたが、どれを読んでも「テレビは受動的だから子どもの想像力が育ちにくくなる」とか「テレビを見せるなら子どもを一人にしないでお母さんも一緒に番組を見て楽しみましょう」といったことが書かれていました。 こうして新米ママのピカピカの脳みそに テレビに子守りをさせてはいけないんだ ということががっちりインプットされました。 よって、食事中はもちろん日中もテレビはつけず静かな部屋で子育てに専念しておりました。 ■9年前、テレビは「悪」だった 長男は現在9歳なのですが、たった9年でも時代の流れるスピードの速さを感じずにはいられません。 当時は「スマホ」というものがまだ浸透していなかったんですよ。だから 「テレビ」が私にとっての「悪」でした。 しかしその3年後、次男が生まれた頃には「スマホに子守りをさせないで」の流れが台頭してきていました。 この短い間にいかに爆発的にスマホが庶民生活に普及したのかがわかります(もちろん私もこの3年間の間にスマホに変えました)。 少し話がそれますが、子守をさせてはいけないものがテレビからスマホになったこういう流れ、きっと昔っから変わっていないんじゃないですかね。 新しいものが出てきたらとりあえずそれを「よろしくない」とする文化。 きっと四足歩行していた猿人から二足歩行の人間に進化した時には猿人が「最近の若者は変な歩き方をしおって」とか言ってたんじゃないかとさえ思います。 話を戻しましてテレビの話です。そりゃ理想を言えば一緒に番組を楽しめたらよかったのですが、 実際そんなの無理でした。 長男はひとり遊びが苦手で、ずっと私にべったりのタイプだったので、テレビに釘付けの間だけがチャンスでした。 テレビを見ている隙に夕食の用意や掃除や洗濯、やっておきたいことが山ほどあります。 テレビを見ている間は1人でいてくれるので、最初は規律正しく時間を決めて見せていたテレビも、だんだんとズルズルと見せる時間が延びていったりなんかして…。 テレビを点けているのはほかでもない自分なのに、 テレビを見せていることに後ろめたいジレンマを抱えていました。 物心がついた頃には長男はテレビが大好きになっていて、そこからというもの、 「テレビをもっと見たい」「もうダメ!」という争いを何百回もしました。テレビに関する親子での言い合いは本当に多かったですねぇ…。 ■長男のテレビ好きにストレスを抱える日々 押し問答は私のストレスのもとで、こんなにもテレビが大好きで大丈夫なんだろうか、って結構本気でため息ついていました。 長いこと、長男の「テレビが大好きな性格」に私は葛藤してきました。 「テレビばかり見てないで外で遊んでほしい」とか「テレビばかり見てるなんて子どもらしくない」とかテレビに執着する長男をなかなか受け入れることができませんでした。 「そんなことで?」と思うようなことでも母親からしたら嫌悪感を抱いてしまうものなんです。 しかし、長男だけでは分からなかったことなのですが、テレビに夢中になるのも 特技 のひとつだと気がついたのです。 「テレビが大好き」という個性なのです。 次男、三男。長男の時とはうって変わって、生まれた頃からテレビにまみれて育ちましたが、テレビに全く興味がありません。 「テレビが見たい!」なんてもめたこと一度もありません。 もし私が長男だけを育てていたのなら「子どもはみんなテレビが大好き」だと思い込んでいたかもしれませんが、2人目3人目を産んでようやく「テレビに集中するのも個性のひとつ」と受け取れるようになったのです。 ■「テレビ好きも個性」と思えるようになった理由 テレビが大好きだという個性も悪いことばっかりじゃないんだと思えるようになってきたのは、実は最近のことです。 長男が幼稚園の頃、そんなにテレビが見たいのならとDVD付きの図鑑を与えてみました。 するとどうでしょう。 ものすっっっごい集中力で視聴し、DVDまるごと脳みそにインプットしてしまいました。 本当にそっくりそのままごっそり、脳みそのなかにスライドさせたかのようにインプットしていたのです。 恐竜から始まって、その後動物、虫類、鳥類、魚類とたくさんのDVD付き図鑑を買いましたが、自分の興味のあるものの吸収力には目を見張るものがありました(逆に同じ図鑑でも宇宙や人体などには興味を示しませんでした)。 もしも、現在2、3歳のお子さんがテレビ好きならば、是非 4歳頃のタイミングでDVD付き図鑑 をおすすめしたいです。 きっとこれも古典的な図鑑派からすれば「紙で読んで覚えるのが一番だ」となるのかもしれませんが、耳だけで聞いてするよりも、目と耳と理解できるVTRには図鑑の醍醐味があります。 ■テレビ好きの長男、9歳になった今はというと… 2歳から始まったテレビ好きが9歳の今どうなったのかというと、あいかわらずテレビ大好きっ子です。 3つ子の魂なんとやらとはこういうことなのでしょうか(笑) たぶん放っておいたら1日中見てると思いますが、さすがにそれじゃダメなので一定の時間がたったら消すように促しています。 が、同じテレビ好きでも年齢があがってくるにつれ、確実に成長してきています。 長男は誰に似たのか朝に強いんです。 時間が来たらパッと目を覚ましますし、休みの日でも家族の誰よりも早くに起きています。 早くに起きて何をしているのかというと…、 テレビを見ています。 最初は朝からテレビを見ている姿にも拒否感があったのですが、最近長男に早起きのコツを聞いてみたんです。 そしたらこの回答。 「起きてから『これしよう…!』っていう楽しみがあるとすんなり起きられるよ。ママも朝起きてやりたい楽しみを持つようにすればいいよ」 と。どっちが大人なんだか…(笑) 朝起きてからテレビをつけて、録画していた番組を見ながら朝食を食べ、時間が来たらさっとテレビを消して身支度をして登校していく長男を見て、私なんかよりずっとメリハリを付けられていることに気づきました。 なかなか切り替えができずによく泣いていた長男ですが、9歳の今、きちんとつきあい方をわきまえているようで、あの頃「テレビを見せすぎてはいけない」ってがんじがらめだった私に言ってあげたいです。 「そんなに気に病まなくても、時が来れば自分でちゃんと付き合えるようになっているよ」 と。
2018年01月25日子どもの主張をどこまで聞いてあげたらいいか悩んでいた私ですが、あることをきっかけに、その場その場でゆる~く選択していってもいいんじゃないかな? と思うようになりました。 「1回許したら次も同じことをすれば要求が通ると思われたら困る」とか難しく考えないで、その行為が 子ども自身が大きくなった時に、あたたかい思い出として残っていればそれでよし! と私は思うんです。 私たち現役子育て世代は常にどこか緊張していて「きちんとした子育てをしなくちゃ」「迷惑をかけない子育てをしなくちゃ」とプレッシャーを背負いこんでしまいがちですが、 よく考えたら「きちんと」「ちゃんと」「しっかり」なんて…あやふやなものだと思いませんか? 人の評価や基準って、実は曖昧です。誰かの言うことなんてアテにならないからこそ、最後は自分を信じるしかないと思います。 ■炎上モノ! とある芸能人が語った子どもの頃の記憶 昨年、たまたまテレビでとある芸能人の方の幼少期のエピソード紹介を見ていたんです。 「小さい頃はほんっとやんちゃ坊主でしたね!」「イタズラばっかりしてました!」と笑う彼の思い出を、武勇伝のように放送する番組。 某芸能人:「幼稚園の滑り台の上から下にいるみんなに向かってツバかけてました~!」(一部表現を変更しています。実際のエピソードはもっとパンチ力あります)とイケメン顔でおっしゃってました。 す、すごい(笑)。 これ、現役子育て世代が語ったらどうだったでしょうか。 現在子育て中のママタレさんが、「うちの子、先日保育園の滑り台の上から下にいるお友だちにツバをかけてたんです! あちゃー!!」みたいな感じで発言したとします。 そしたらきっと間違いなく 炎上すると思います(笑)!! ■子どもにたいする「周囲の評価」はあいまい 公園に咲いてる花の蜜を子どもが吸ったと発信しただけで「器物破損だ!」と騒がれてしまう世の中なので、滑り台の上からお友だちにツバだなんて恐ろしくてとてもじゃないけど言えません。 でも、子どもの本質そのものは時代を経てもそんなに大きく変わってはないと思うので、 今の世の中でも滑り台の上からツバをかけてしまう子はいると思います。 行動自体はかわらないのに、昔の話だったら「思い出話」になり、今の話だったら「炎上」となってしまう。さらには昔の話は昔の話でも、この話の主人公が人気芸能人だから「子ども時代を知るAさん」みたいな人が出てきて、 「○○くんはほんと元気なお子さんでしたよ」ってな感じで褒めて語られるのに、これが仮に不祥事を起こした芸能人だったとしたら「この頃から周囲に迷惑をかける子でしたね…」となる。 要するに同じ出来事でも、時代によって捉えられ方は違うし、人によっても違います。評価基準なんて所詮曖昧なものです。 ■「やらかす子ども」に疲労困憊のママへ 過去に私も、息子の行動にヒヤヒヤしていました! 実際に、次男がベランダの隙間からベビー靴を放り投げてしまったり(運よく真下にある屋根の上に乗ったので通行人には当たりませんでした)、お友だちの家で次男がコーヒーポットを割ってしまったり(弁償しました)、お友だちの家で次男がプラレールを床にがんがん打ち付けて傷をつけてしまったり(弁償しました)。 て…ていうか…次男ばっかりじゃないか(白目)。 きっと読者の方のなかにも、私のように次々と大人の予想を超えた子どもの行動に振り回され続けて、疲労困憊しているママさんもいらっしゃると思います。 へこむ気持ちも落ち込む気持ちも、よくわかるだけにこれだけは言わせてください。 どうか体を壊すほど悩んだり、外に出たくなくなるほど落ち込まないで。 幼稚園や保育園などの集団生活に入れば尚一層繋がる人数が増えるので、トラブルやアクシデントも起こりがちです。私もご迷惑をお掛けしてしまったお相手に電話して謝ったこと複数回…逆に謝られたことも複数回。 子ども同士揉み揉まれて一緒に過ごすんですもの。何事もなく日々平穏に過ごし続けるのは無理ですって! ましてや、大人の世界なんてもっといろいろあるんだから。 だから子どものイタズラ、アクシデントにいちいち「どうしてうちの子ばっかりこうなんだろう…」と 必要以上に卑下することもない し、「私の育て方が悪いからだ」とふさぎこんで、深く落ち込みすぎないようにしましょう。と自分にも言い聞かせています。 過去の話なら武勇伝にされ、リアルタイムなら叩かれる。有名人なら美談にされ、一般人なら流される。昨日までは持ち上げられていたものが、今日になれば落とされる。そんなもんです。 だから今目の前でダダをこねて泣いてる子も、 それだけを見て「ダメな子」と決め付ける必要はありません。 ■3兄弟を育てる母として、心に決めたこと うちは男の子3人なので、これまでもいろいろとありましたが、これからもいろいろとあると思います(遠い目)。 でも必要以上に落ち込んでも何かが解決するわけではありません。 今目の前にいる子どもにしっかりと向き合い、見守り、時期が来るまではひたすら尻拭いをし、お詫び行脚で過ごしていこうと思っています。 なんだか最初の論点とズレたような気がしますが。 要するに私の伝えたかったことは… 人の目や評価を気にしすぎず、子育ての今を楽しもう! ということです。 ママ自身が自分で選んだのなら、それを信じて突き進めばいいと思います。 どんな子どもも、ママがにこにこしているのが一番うれしいはず。 頑張っていきましょうね! ふぁいと~!
2018年01月18日子どもといると、その場その場で瞬間的に選択しないといけない場面が多々あるように思います。 朝ご飯にパンを出せば「ご飯がいい!」と言われたり、さっきおやつを食べたばっかりなのに「おやつ食べたい!」と言われたり、お店の入り口に置いてあるガチャポンを「やりたい!」と言われたり……。理不尽でむちゃくちゃな要求をポンポン私に投げてくるんです。 そのたびに私はいつも、 どこまで子どもの言うことを聞いてあげたらいいのか悩みます。 なぜなら…… 「甘え(させ)る」のと「甘やかす」のとは違います!という言葉が頭をよぎるからです。 よく聞きますよね。 「叱ると怒るは違います」とか 「褒めるとおだてるは違います」といったこの手の理論。 子どもの「こうしたい!」という意志がこちらの意図してるものと違った場合、 それを「自己主張」と捉えるか、「ワガママ」と捉えるか 、その境界線がよくわかりません。 一体どこまでが自己主張で、どこからがワガママなんでしょう。 ましてや、子どもの主張することをこちらが飲んだ場合、それが 「甘やかし」になるのか、子どもの心に「寄り添う」ことになるのかもよくわかりません。 朝ご飯にパンを出したのに「ごはんがよかった!」と泣かれて、「わかった、ご飯にするね!」ってご飯を出し直したら甘やかしてることになるのでしょうか。 習い事を「やめたい!」といって泣いて嫌がるのでやめさせたけど、それじゃぁすぐに折れちゃう根気のない子どもになるんでしょうか。 子どもの主張も聞いてあげたいと思うけれど、どこまで聞いたらいいのか、 先が見えないからこそ、ひとつひとつの選択がこれで大丈夫なのかと不安になっちゃうんですよね。 「どこまで聞いてあげればいいのか問題」は、長らく私の悩みどころだったのですが、去年ピーンと来たことがあったんです。 次男の6歳のお誕生日、おもちゃ屋にプレゼントを買いに行った時のことです。 次男はプレゼントにラジコンを欲しがっていたので、三男も連れて幼稚園の帰りにオモチャ屋さんに買いに行きました。 しかし、プレゼントを選ぶ次男の姿は、3歳の三男からしたら納得がいかないわけです。 お兄ちゃんは買ってもらえて、自分だけが買ってもらえないことが理解できず、「お誕生日とはそういうものだ」ということがまだ分からないお年ごろの三男。 「俺のも買って〜〜!!」と泣きわめきました。 なんとか説得してなかば引きずるようにしてオモチャ屋をあとにしたのですが、その後もラジコンで遊ぶ次男を見ては泣き、ケーキのロウソクを消す次男を見ては泣き、三男にとっては終始涙涙の一日となりました。 結局この日私は三男に「次男のお誕生日だから」と言い聞かせ、三男にはなにも買わずおもちゃ屋を去りましたが、私がこの選択した理由は、「ここで折れたら三男を甘やかすことになる」と思ったのと、心のどこかにある 「子どもを甘やかしてる親だと思われたくない」という自己防衛でした。 片方は満面の笑みだけれど、もう片方は号泣。幼い兄弟がいるとお誕生日会もなかなか難しいと思った出来事をブログに書いたんです。 そしたら、この記事に集まったコメントが意外だったんです。 てっきり「それで正解! 甘やかしはよくない!」という賛成コメントが集まるかと思っていたのですが、意外にも「実は私も……」派が存在したのです。 同じように、下の子に泣かれて困ったママが「実は私、モメるのが嫌だから下の子たち用にも小さいプレゼント用意してます(もしくはしてました)」と白状してくださったり。 はたまた「実は私小さいころ、姉のお誕生日にゴネて自分もプレゼント買ってもらってました」という元当事者まで現れたんです! 私、この方たちの出現に救われたんです! ホッと肩の力が抜けたんですよね。 「なぁぁぁんだ!!」って。 しかも、元・ゴネてプレゼントを買ってもらった当事者の方たちに共通していたのは、兄弟の誕生日にゴネてプレゼントを買ってもらった思い出が「温かい思い出」として胸に残っていることでした。もちろんそれが「本当はダメなのに聞き入れてもらえたこと」も理解しています。 また下の子たちにもプレゼントを用意しているママたちも、 きっと公言したら「甘い親だと思われるだろうなぁ〜」と思いつつも「ま、泣かれるより小さいプレゼント渡したっていいじゃん!」と笑い飛ばす姿に不思議と元気をもらえました。 リアルタイムで子育てをしている私たちからしたら、一事が万事。「今この瞬間のコレを聞き入れてしまったら……」とか「泣けばなんでも通用すると思われるちゃいけない」とか色々と先のことを心配して迷ってしまいがちです。しかし、仮に泣いてゴネて買ってもらったとしても、それが子どもの長い人生において重要な支障をきたすこともないような気がしてきました。要は「トータルで見てどうか」なのかなと思うのです。 「過ぎてみればいい思い出」ってたくさんありませんか? 少なくともブログにコメントをくださった方にとっては、 ゴネて買ってもらっちゃったお誕生日の経験が温かい思い出となって心に残っていました。 となると、なんだかもう私は甘やかしと甘えさせるの違いがよくわからなくなってきました。そして、あまり 頭で考える子育てをしなくてもいいような気もしてきました。 子どもたちが大きくなったときの思い出が 「ママはいっつも俺の言うことを聞いてくれなかった」という思い出で埋まっているよりも、「あのとき、今考えるとむちゃくちゃだったよな〜」って家族で笑えるエピソードで詰まってるほうがいいなと思いました。 もちろんこれは 「何かを買う」「買わない」のことを指しているわけではありません。 ただこのことをきっかけに、私は ゆる〜くその場その場で選択することに後ろめたさを感じなくなりました。 「その場の雰囲気」や「子どもの様子」または「母親である私の気分次第」などその時その時で「いいよ」と言うも「ダメ」と言うも選択がブレたとしても「自分は甘い親だ」と不必要に罪悪感を感じる必要はないと思うのです。 そして、こう思ったのにはもうひとつ理由があります。その話は次回に……。
2018年01月11日前回、私たち子育て中のママたちがなぜ漠然とした窮屈さを感じているのかを自分なりに考えてみました。 その結果、これまで推し量ることしかできなかった「周囲の人」の本音が、SNSの普及によってブワッと表面化したことで、いままでになかったためらいや心配が増えたからじゃないかというところに行き着きました。 私はブログをやっていることもあり、いままでに何千、いや、何万もの感想や意見を受け取ってきています。 おそらく普通に生活してるだけでは考えられないほどのたくさんの意見にさらされ続けているのですが、これだけたくさんの意見を受け取っていると、そのうち意見の本質や、何を言おうとしているか、何を装っているのかが見抜く力が備わったように思います。 なぜ、この話を持ち出したのかというと、おそらく、どのママも大なり小なり私と同じような経験をしたことがある、もしくはいまその真っ最中なんじゃないかな? と思うからです。 SNSだけじゃなく実際の生活においても、 「誰かの意見」に心揺さぶられたり「誰かの子ども」と比べてしまうことってありませんか? 私もたくさんの誰かの意見にブワァァァァ~~~ッとさらされて色々ともがいてきたタイプなので、「自分がどうしたいのか」「自分はどう思うのか」よりも、誰かの意見に引っ張られて「自分の考えは間違ってるのかな?」とよくわからなくなっしまうことがありました。 私は自分の子育てが正解かどうかなんてわかりませんし、きっと多くのママがそうだと思います。 いま一生懸命子どもたちを育てていますが、究極のところ子どもたちが大きくなってみないと分かりません。 自分の子育てに絶対の自信がないからこそ、誰かの意見って心を揺さぶられるんですよね。 ■母の心を揺さぶる「もう◯歳」「まだ◯歳」 たとえば、母親の心を揺さぶるキーワードに「もう」と「まだ」があります。 この2文字って本当によく出てくるんです。 たとえばうちの三男は現在3歳なのですが、同じ3歳でも「まだ3歳」「もう3歳」2通りの意見があるわけです。 先日、9歳の長男がおやつを食べている時に、3歳の三男が横からパッと横取りをしたんです。 一瞬の出来事だったので私も長男も止めることができなかったのですが、横取りされた長男がキレて、三男の顔をグーパンチしたんですよね。 続けざまにガンガンと鼻頭を叩いたため、三男の鼻から鼻血がブーー!と出てしまいました。 私は3歳に容赦なく手をあげた長男を叱りました。 横取りされて腹が立つ気持ちはわかりますが、やはり鼻血が出るほど3歳の小さな弟を叩いちゃいけないし、社会ではいかなる理由があろうと最初に手を出してしまった方が結局は負けになってしまうと思うからです。 ですが、ここでも人それぞれによって「私ならどう対応するか」が分かれてくるわけです。 寄せられた意見は3つに分かれました。 私と同じ手を出した方をまずは叱る派、そもそも先におやつを横取りした三男をまずは叱るべき派、どっちもどっちだから静観する派。 そしてここで、「まだ」と「もう」にも分かれてきます。 「もう3歳なのだからおやつを横取りしちゃいけないって分からないといけない年」だという意見もあれば、「まだ3歳だから横取りしちゃうこともあるよね」という意見もあります。 また、「もう3歳なんだからきちんと教えればできます」という意見もあれば、「まだ3歳だから何回同じことを言ってもなかなか…」という意見もあります。 これ、どちらも間違っていないと思います。 しかし、どっちが正しいともいえないことを、どうしてこんなに言い切れるのかというと、 あくまで「自分はそう思うから」なだけです。 これは私も含めて、自分がそう思うからそう言ってるだけのことです。 ■「◯歳はこうあるべき」正しい基準なんてない 「もう3歳ならこれができなくちゃおかしい」とか「まだ3歳なんだからこれはできなくても仕方がない」なんて明確に決められているわけではありません。 歩行や言語など発達面では臨界期が決まっていますが、おやつを横取りしちゃダメとか、ちょーだいと言えないとおかしいとかなんかはどこにも基準がありませんよね。 私は「まだ3歳派」なのか「もう3歳派」なのかといわれれば、「まだ3歳派」です。 もちろん一概には言えませんけど全体的にこの世に生まれてまだ3年しか生きてないんだから、同じ失敗をしても仕方がないと思っています。 何回も何回も何回も言い続けていずれ徐々に改善していくこともたくさんあると思っています。 ただ、私はこういう考えで育てていますが、そこに「もう3歳なんだから言えば分かる歳ですよ」という意見も当然あるわけですし、そこを否定してはいけません。 その逆も同じです。 このように普段交わらないで済む 自分と違う考え方が関わってきたとき、ぐらぐらと心が揺らぐ わけです。 私も、昔はそうでしたが、いまは違います。たくさんの意見にさらされてさらされてさらされまくって、行き着いたところは、これでした。 「私とあなたは違う」と思うようにすること です。 ■「私とあなたは違う人間」と思えば楽になる え? そんなこと? って思うかもしれませんね。 でーーーも。 すごく当たり前の答えに思うかもしれませんが、これが簡単なことのように思えて実は難しい。 自分のことならまだしも、母親は子どものことが絡むとちょっと理性から離れてしまう面がありますから。 「私とあなたは違う人間」 こう思えるようになるまでにはすごく体力を使いましたし、いろんな失敗もしました。そして、こう思えるようになれたら、すごく楽になりました。 たとえば「うちの子は同じ3歳だけど、もう◯◯できますよ。言えばきちんとわかりますよ」って言われたとしたらやっぱり落ち込みますよね。 でも一方で相手側からすれば「あの子はうちの子と同じ3歳なのに○○ができてないなんて、甘やかしてるからじゃないの」と一種の不快感を抱いてることになるわけです。 結局、どちらにせよサンプルは「自分の子ども」かせいぜい「自分の周りで知ってる子ども」ぐらいしかいないわけです。 こういう場合私は「あなたのおうちの3歳はできるのかもしれないけれど、できない3歳だっている」と思うようにしてます。 こう書くと開き直りだと捉えられがちなのですが、それとはちょっと違います。だって同じように教えたとしても習得できるまでどれぐらい時間がかかるかって本当に人それぞれなんですもん。 あなたのお子さんがおとなしく静かに座っていられる3歳だったとしても、うちの子はまだそれができないんです。 年齢なんてひとつの数字にすぎません。そわそわしちゃう3歳もいれば、奇声をあげちゃう3歳もいれば、眠くなって寝ちゃう3歳もいます。 同じ子は1人としていませんよね。 こういう類いのことは、実の親や義理の親との間にも起こりうることかな? と思います。 たとえば、うちの母は自分たちの子ども、つまり私たち兄弟が(姉・姉・弟)手がかからず3人とも静かなタイプだったんです。 だから孫の3兄弟がとにかくチョロチョロ動き回るのをみて、「あんたたちはこんなんじゃなかった!」と私に嘆いていましたが(笑)。 まぁそりゃ当然ですよね。だって同じ3人の子どもでも同じ人間なわけじゃないですから。そこで「私の育て方が悪いのかな」なんて悩む必要ないと私は思います。 一生懸命子育てしていると、よくも悪くも、自分の子どもを中心に見てしまいます。 自分の子どが(もしくは誰々さんちの何々くんが)3歳の時にはこれができていたから、3歳になればできるようになるもんだ。と思いがちなのですが、決してそんなことはありません。 1回言えば分かる3歳もいれば、2万回言ってようやく分かる3歳もいます。 1人1人違うんだ、違って当然なんだということを、頭においておけば不用意に心が揺らぐことはずいぶんと減ります。 よく考えたら、「もう」だの「まだ」だのってものすごくあやふやだと思いませんか? 「もう3歳」「まだ3歳」の境界線って誰が決めたんでしょう。 たかだかその人の身の回りで起きた出来事や、どこかの本で仕入れた知識や、ひとつの体験や主観でしかないような気がします(もちろん「この時期を過ぎたら習得が難しい」とされる発達上においての臨界点はありますが今回に話題はそのことを指していません)。 いろんな情報や意見が溢れかえっているいまだからこそ、 「よそはよそ」「うちはうち」「あなたと私は違うんだ」ということをもう一度自分に言い聞かせる ととても楽になりますし、逆も然りです。 「自分はこうだからあなたもこうあるべき」と押し付けることが、より自分を窮屈にしてしまっている ということに気づけたら、もっと楽になるんじゃないかなと私は思っています。
2018年01月04日私、子育てブログを書いてるんですけど、先日、「お昼寝して晩ごはんはスーパーの惣菜、朝8時に回した洗濯を夜9時に干したほどのグダグダな日、でも子どもたちと美味しいって笑いながらごはんを食べたからそれでよし!」っていう話を書いたら、めちゃくちゃ反響があったんですよ。 こんなろくでもない1日でしたわ~と自虐のつもりで書いたんですけど、意外にも「読んですごく気が楽になりました」とか「こんな私でもいいんだって思えました」といった感想がとっても多かったんです。 みなさんが一様に言っていたことは「ホッとした」ということでした。 私としては、こんなに反響があるとは思ってなかったのですが、裏を返せばそれだけ 「こんな自分じゃダメだ」と思っている隠れ頑張り屋さんが多い ということだと思うんです。 みんな「周りの人はもっと頑張ってるはず。」「こんなダラダラしてる母親はきっと私だけだ」と思って過ごしている中で自分と同じように手を抜いてる人がいる~! って知ってホッとしたんだと思います。 しかも、ほとんどの人が誰かに「もっとちゃんとしなさい」と指摘されたわけじゃないんですよ。言われたわけでもないのに、自分の中に作り出してしまったもう一人の自分が「頑張らなくちゃ」「ちゃんとしなくちゃ」って首をしめてくるんです。 この気持ち、よ~~~くわかります。 むしろ誰よりもその気持ちが分かるからこそ、自分のろくでもない姿を公開することでどこかの誰かの気持ちが楽になればいいと思っている節さえあります。 ■SNSをやることで、自分に厳しいママが増えた このことからも分かるように、今のママたちって きちんとした母親でいなくちゃいけない みたいな強迫観念に駆られているところがあるんですよ。 じゃぁそれがなぜなのかというと、私が思うに、SNSに一因があるような気がします(あくまで一因です)。 いろんな情報や感情・意見が溢れ返っているせいで、すごく疲れてしまうんです。 もちろんSNSをいっさいやっていないママもいますが、もはや現代においてスマホやSNSは私たちの生活に深く入りこみ、切り離せない存在になっています。 「SNS疲れ」という言葉もあるようにネガティブな側面もありますが、元気をもらったり、私だけじゃないんだって癒されたり、うまく表現できなかったモヤモヤを誰かに言語化してもらってスッキリしたり、子育ての合間に息抜きできる良いツールでもあると私は思っています。 ただ、一方でいろんな情報や人を目にする分、まるで自分が誰かに採点されているかのような気持ちになってきて、十分頑張っているのに、まだまだだ、全然ダメだ…ってとにかく自分に厳しくなっていく人が多いような気がします。 ■「苦情が出ない子育て」を強いられるママのプレッシャー 直接言われたわけでもないし、指摘されたわけでもないのだけれど、私たち現役ママたちはいつのまにか漠然とした過干渉と不寛容に囚われています。 苦情やもめごとを防ぐために、あらゆるリスクに対処して、その中で許されることだけをして子育てしなくてはいけないようになっているような気がします。 「それは迷惑になる」「これも迷惑になる」これは都会と地方でも違うと思います。 地方に暮らしてる方は「そんなに気をつかったことがない」と感じるかもしれません。 でも、 誰かに迷惑をかけてしまうことを必要以上に気にしてしまうママは本当に多いなと感じます。 私も心のどこかで常に気を張り巡らせています。 苦情が出ない子育てをしなくちゃいけない。批判を受けない子育てをしなくちゃいけない。多くの人に受け入れてもらいやすい子育てをしなくちゃいけない。 そもそも 誰にも迷惑をかけないで子どもを育てるなんて無理な話 なのに…迷惑をかけないようにしなくちゃいけないんだというプレッシャーがすごくすごく重く肩に乗しかかっています。 ■息子たちが赤ちゃんだったころ… たとえば・・・我が家のおむつはずしの話をひとつします。 我が家のトイレトレーニングは3人とも「いきなりオムツを脱がせてしまう」方法でした。 ある日突然オムツをパッととってしまって強行突破するという技です。 ただ当然おもらしをしちゃうわけです。 昨日までオムツをしていたのに今日になったらいきなりオムツしないわけですから。 遊んでる間に床におもらしをしちゃったり 畳の上にうんちがボトッと落ちてしまっていたりします。 そりゃぁ〜まあとにかくすごい回数!! その度に私は拭いてトイレに連れていき、「ここで用を足すんだ」と教えました。 しかし、そんな簡単にはいきませんよ〜〜。何回教えても、何度トイレにつれていっても毎日毎日何度も何度も漏らし続けるわけです。そして私はせっかくだからトイトレの様子やお漏らし大事件をブログ に書いたりしながら楽しんでました。 この話を聞いてどう感じますか? ある人は「あるある」と感じるかもしれませんし、 ある人は「汚い」と思うかもしれません。 ある人は「今だけだもの」と理解を示すかもしれませんし、 ある人は「どうなの?」と思うかもしれません。 子育てひとつの話にしても、受けとる側の価値観によって 感じ方は別れます。 そして昔はただ感じただけで終わっていたものが 今はどう感じたかを個人個人が発信することができるし さらにその発信を誰もが読むことができます。 ■受けとる側の価値観によって感じ方はさまざま きっとこういうところなんじゃないかな?と思うんです。 SNS がうんぬんとか、炎上がどうこうとかそこを言いたいわけじゃありません。 そもそも SNS にこんなことをアップしなければ済む話ですし、SNS を使っていないママだってたくさんいると思います。 昔だったら「こんな子育てしてる人もいるんだな。うちには関係のないことだけど」で終わっていたのが、今はよくも悪くも、 見たこともないどこかの誰かの子育てがすごく気になる時代なんですよね。 ■SNSで「ママ(子ども)に対する周囲の本音」が見えるようになった もうひとつ例えですが、満員電車の中で赤ちゃんがずっと泣いていたとします。 そこでAさんが心の中で「うるさいなぁ…」と思ったとします。でも、たとえ心のなかでそう思ったとしても口には出さずに黙っています。 この状況で「うるさいなぁ」と口に出して言うことが、大人として好ましくないことがわかっているからです。 ごくまれに「泣きやませろ!」とか口に出す人もいるかもしれませんが、だいたいの大人は黙っています。 赤ちゃんの泣き声をどう感じるかは人それぞれなので、心の中で「うるさいなぁ」と感じることが悪いわけでは決してありません。 うるさいと感じるもかわいいと感じるも個人の自由です。 でも、実生活においては口に出さずに我慢していた感情が、 SNSだと我慢せずに呟くことができちゃうんです。 「赤ん坊がずっと泣いてる。迷惑」「こんなラッシュ時に乗せんなよ」と、パッと匿名で発信できます。 このひとつの「思考」を受け取る読み手側においても反応はさまざまでしょう。 「そんなこと言うなんて!」と嫌な気持ちになる人もいれば、逆に「同じこと思ってた」と賛同する人もいると思います。 SNSがなかった頃には、人が心の中で何を思っているかはあくまで「推し量るもの」でしたが、SNSが普及してからは 今まで隠されていた本音が表面にぽんっと顔を出してきて、なおかつ誰でもそれを知ることが出来る ようになったんです。 ■「すみません」と頭を下げまくるママたち 今まで隠されていた「人の本音」がブワッ! と目に見えるようになったことによって、安心や共感も増えましたが、逆に、 「人がどう思っているのか」にものすごく敏感になってしまう ようになりました。 今まではベビーカーで電車に乗ることにためらいもなかったのに、ベビーカーで電車に乗ってくる子連れを迷惑だと感じる人がいる、ということを知ってからは妙に気になってしまって、「ベビーカーで電車に乗ったら迷惑だからやめておいたほうがいいかな…でも、ないと困るしな…でも、迷惑だと思われたらどうしよう…」と今までなら気づきすらしていなかったためらいや心配が増えました。 混雑時にベビーカーで電車に乗ることが「迷惑だ」「赤ちゃんがかわいそうだ」と感じる人もいれば「公共の乗り物なんだからいろんな人が乗って当然」と思う人もいるわけです。 がしかし、私たちママはどうしても前者の意見に引きづられがちです。 ただでさえ「いいお母さんでありたい」「いいお母さんに見られたい」と思って頑張ってる中では ポジティブな意見よりもネガティブな意見のほうがより印象強く残る からです。 「そういう人もいる」というだけなのに「たいていの人がそう思っている」かのように変換して捉えてしまいがちなんです。 このような理由から、現役子育て中のママたちは、「迷惑だと思っている人がいるかもしれない」から「いるにちがいない」と思って、 赤ちゃんが泣いたらすみません。 子どもが走り出したらすみません。 手をさしのべてもらってもすみません。 あっちですみません。こっちですみません。 一歩外に出れば、ペコペコペコペコ頭を下げまくっています。 ここに私たち子育て世代が感じている、得体の知れない窮屈さが潜んでいるんじゃないかと私は思います。 次回(1/4UP)に続きます。 ※内容に不備があったため一部修正し更新しました。 2017年12月29日 10時現在 ※内容を一部新たに追加しました。 2017年12月29日 11時現在 【お知らせ】 前回の 「帰りが遅い夫「フラリーマン」を変えるには? 妻の上手な伝え方」 の記事下アンケート「Q. 夫が変わってくれた! という効果のあったアプローチ方法があったら教えてください」のアンケート結果はこちら↓
2017年12月28日以前、 「企業が残業を廃止して、帰宅時間を早めたとしても、果たして時間通りに帰ってくる夫はどれだけいるだろうか」 という話を書いたのですが、今、そういう夫たちに名前がついてるらしいですね。 フラリーマンって言うんですって! 会社が定時に終わってもまっすぐ家に帰ろうとしないでその辺をふらふらしてから帰る夫たちのことをそう呼ぶらしいです。 ネーミングセンス抜群ですよね(笑) まっすぐ家に帰ろうとしない理由はさまざまでしょうが、「妻がイライラしてる」「家に帰っても落ち着かない」といったところが多いでしょうか。 その中でも、「自分なりに家事を手伝おうとするのだけれど、 やり方が違うと妻に怒られるので、だんだんとやる気が失せてきてそのうち帰る気も失せてきた 」というような意見も見かけました。 今、ネット界では妻たちの夫への不満が大暴発しているので、こんなフラリーマンには「甘い!」「子どもか!」といった厳しい声が飛び交いそうですが…。 この風潮にあえて「待った!」をかけたいと思います。 ■フラリーマン批判よりも、妻が夫にすべきこと もし手伝ってくれたら批判する前に、まずは「ありがとう」を言うべきだと思います。 正しいやり方を厳しく指摘するよりも、ありがとうと言って感謝を表すほうが結局はうまくいく、急がば回れだと思うのです。 いろいろ思うことはあるでしょうけど、なぜ私がそう言うかというと、実は我が家も昔は夫が帰らない人だったんです。 自分の意志であえて家に帰ろうとしないフラリーマンとは少しニュアンスが違いますが、 うちの夫もまぁ~たいがいヒドかったです。 これは今となっては本人も「昔はヒドかった」と自覚しています。 今だから言える話ですが「家に帰りたくないなぁ」と思う日や、早く帰れるのにパチンコに行って帰ってこなかった日もあったようです。 あれは、三男が赤ちゃんの時です。 ■子どもの一大事なのに帰ってこない夫 三男は気管支が弱くて喘息(ぜんそく)気味でした(一歳になる頃には治っていたので結果的に言うと軽い方だったのですが)。 夜は咳がいちだんとひどくなるので布団に寝かせると咳込んでしまい、私も三男も0歳代は寝られない生活を送っていました。 そんなある日、三男がいつものように布団の上で咳き込み始めてしまったのですが、唾液が気管に入ってしまったようで 咳が止まらなくて大変なことになってしまったんです。 顔を真っ赤にして息つく間もないほど咳き込む三男を前に、暗闇のなかで呼吸が止まっちゃうんじゃないかとうろたえる私。 私は急いで夫に電話をかけました。自分1人じゃ心細かったからです。 しかし、この日、 夫は会社の同僚たちとバーベキュー中!! 夫が楽しくワイワイとナイトバーベキューに興じている一方で、妻は家で息子が今にも死ぬんじゃないかと半泣きで電話をかけているわけです。 嘘じゃないですよ。 本当に半泣きになって涙声で電話をかけたのです。 結果からいって、夫の言う通り、しばらく経てば治まったのですが…。 夫が帰ってきたのは、とどこおりなくすべてのバーベキューを終えてからでした。深夜です。 正直、夫が帰ってきたからといって何になるわけでもないですが、早く帰ってきてほしかったです。 1人で過ごす不安な気持ちをわかってほしかったです。 またある日は、次男が熱性痙攣(けいれん)を起こして救急病院に搬送されました。 この痙攣は二回目だったのですが、家には大人が私1人しかおらず、痙攣した子どもと残りの子ども2人を1人で病院に連れていくことが無理だと判断したため、救急車を呼びました(熱性痙攣における救急車要請可否は自治体によっても違うらしいのでそれぞれ確認してください)。 しかし、救急車の定員オーバーになってしまったため、長男は近所のお宅に預かってもらうことになり、私は夫に連絡をいれ、そのまま病院に向かいました。 病院について、念のためMRIを取っている間に、夫に電話したんです。 がしかし、夫はというと… 飲み会に行っておりました~~~!!!!(笑) もう、ひっくり返るでしょう!? えぇ。どうぞひっくり返ってください。 しーんと静まり返る受話器の向こうから聞こえる居酒屋の音。しかも、経過報告を聞いて、そのまま飲み会を続行する気でいるような…? え? 嘘~~~!! そのまま飲んで帰ってくるつもりぃぃぃ~~~!? いやいやいや、さすがに帰ってきてくださいよ!! 長男を近所のお宅に預かってもらっていることを伝えると、すぐに帰ってきたのですが…。 はい。うちの夫、どうしようもありませんね~~(笑)。 この気の利かなさっぷり! ここで夫にわめき散らしたり、泣いたり、怒鳴ったり…は、性格的に私にはできなかったのですが、その代わり、 夫がいなくても自分1人でなんでもできる! と鋼の女化しました。 夫なんていてもいなくても一緒。お金さえ稼いできてくれればそれでいい、期待するだけ無駄。 期待するからしんどいんだ、ATMととらえよう、と思おうとしました。 ■「夫はATM」…そう諦めかけたときに気づいた大切なこと きっと今、同じように思っている妻たちもたくさんいると思います。 でも、ここで忘れてはいけないあることに気づいたんです。 この人と結婚しようと決めたのは自分。 この人の子どもを生もうと決めたのも自分。 この人と人生をともに歩んでいこうと決めたのも自分なんですよね。 つまり、 それを選んだ自分の「目」にも責任がある ということを。 運・不運も絡んでくると思いますが、どんなことにおいても「そうなることを見抜けなかった自分」にも責任があります。夫婦においてもそうです。 でも逆に「この人なら大丈夫」と一度は信じた自分の目を、再度信じることもできるわけです。 私自身夫にたいして「こんな人と思わなかった」って何回も思いました。 けれども、「こんな人だと見抜けなかった自分にも責任がある」ととらえるようになってからは、今こんな状態にさせてしまっているのには自分にも少なからず責任はあると思うようになったのです。 ■夫に一番合った「伝え方」を見極める そこから、「自分の目に狂いはなかった」ということを証明するために、賢くなろうとしました。 私が選んだ人なんだから、きっと大丈夫だと、自分が求める行動を相手に取ってもらえるように、伝え方やアプローチの仕方を考えるようになりました。 相手に求めるより 自分が変わったほうが早いといいますが、それは自分の気持ちを押さえ込むことではありません。 相手によって伝え方や動き方を変えること だと思います。 そして、どのアプローチ方法がいいかは人によって本当にそれぞれだと思います。 うちの夫の場合は、注意したり、指摘したりするのは向いておらず、かといって何も言わずに背中で見せて学ばせるなどということも全く効きませんでした。 口に出せば理解してくれますが、かといって感情に任せて泣いたりわめいて訴えてしまっては逆効果です。 わかりやすく、ちょっとおもしろく、笑えるように地団駄を踏んで訴えるのが一番素直に聞いてもらえました…。 まぁ、これはうちの場合ですよ。 うちの場合は シリアスになりすぎないようにしつつ、本音をまじえて地団駄を踏む というのが一番円満に伝わる方法でしたが、人それぞれだと思います。 泣くことがガツーンときく人もいれば、皿の一枚でも割るのがきく人もいるのかもしれません。 ■愚痴や文句を言ってはいけないということではない 夫への不満や不平もたくさんあると思います。 愚痴や文句を言ってはいけないということを言いたいわけではなくて、それを言ったところで夫が変わってくれるのならどんどん言うべきだと思います。 ただ愚痴や文句を聞かされて、「よ~し! なにくそ~~!」と頑張れるタイプの人がどれだけいるかと言うと、はなはだ疑問ですし、逆に背中を見て学べる人がどれだけいるかというとそれも謎です。 基本的に男の子は空気を読めませんし(男の子=夫)、口に出して言われないとわかりませんし、口に出してしかられたとしても一瞬で忘れます。 子どもの面倒だけでも精一杯なのに、なんで夫の教育までしなくちゃいけないんだ! とかつての私は思っていたのですが、私の場合、この人を選んだ自分の目にも責任があるのを自覚した上で、 どう動けば自分の望んでいるものを手に入れられるのか、結果を得るためにはどう動けばいいのか 、その手段を考えました。 そうすることで、うまく回り始めました。 かつては、こんなはずじゃなかったのに。とばかり思っていた夫にたいして、 「ありがとう!」と素直に思える毎日になりました。 できれば、あと数年早くにこの状態を整えられていたら、子育てが一番大変な時期をもっと平和に過ごせたのになと思うこともありますが、あのときがあってこその今だと、過去を水に流せるのも私の取り柄だと思っています。 【お知らせ】 前回の 「忘年会シーズン! 夫が飲み会に行っても妻が不機嫌にならずに済む方法とは?」 の記事下アンケート「Q. ココだけは変わって欲しいと思う夫の行動があれば教えてください 」のアンケート結果はこちら↓
2017年12月21日さて、前回に引き続き夫の「飲み会」になぜイライラしてしまうのか。というお話の続きです。 どうして休日出張なら許せるのに、仕事終わりの飲み会は心がささくれるのかを掘り下げて考えてみたところ、根底にあるのはやはり、この感情だということに気がつきました。 私はこんなにもいろんなことを我慢してるのに!! あなたはいつまでたっても自由でいいわよね! といったところでしょうか。 でも、この嫉妬のような感情も、夫の行動しだいで浄化させることができると私は思っています。 ■「お前も行けば?」は見当違い たとえば、妻が「なんで私ばっかり我慢しなくちゃいけないの!」と不満を漏らしたとすると、こういう返事が返ってきがちです。 「そんなに我慢しないで、ママも行きたいなら行ってきたらいいのに」 的な。 これ、ちがうんですよね。そうじゃないんです。 「行きたいんならお前も行けばいいのに」と言われても、別に「飲み会に行きたい」わけじゃないんです。 単純に酒を求めているのではないのですから。 夫:「誰も行っちゃダメなんて言ってないよ?」 えぇ、もちろん言われてなどおりません。 自分で勝手に「今は行く時期じゃないな」と判断して断ってるケースもあるんです。 行ってもいいよと言えば「そうじゃない」と言うし、なにも言わなければそれはそれで「そうじゃない」と言うし、夫側からすれば「どないせーっちゅーねん」といったところでしょうが。 要するに、 自分の我慢を褒めてもらいたいんです。 えぇワガママだとわかっています。 それでも妻は、このアンバランスさをねぎらってほしい。 フットワークの軽さの差を理解してほしいんです。 じゃあ、仮に私が週に2回も3回も飲み会の誘いがあったとしたら、全部に参加できますか? できませんよね。 夫は仕事で遅いし、実家は遠いし、子どもたちはどうするんですか。 ここです。 「ママはパパと同じようには動けない。動き出す前にいくつもの関門を越えてようやく動き出せるんだ」 ってことを、夫にわかってもらいたいんだと思います。 ■夫のねぎらいで、心に余裕が持てる いや実際パパだって十分わかってると思います。 でも、パパがちゃんとわかってくれているということを、ママはわからないんです。 なので、妻が不満を漏らした時には、夫が一歩折れて ・身動きがとりにくいママのことを ・自分でブレーキをかけているママのことを ねぎらってほしいのです。 女性って扱いが難しいように見えますが、意外と単純です。 言葉がけひとつで報われたり、優しくなれたり、余裕を持てたりするんです。 男の人からしたら、「めんどくさ」って思うかもしれないのですが、「あ…私の大変さをちゃんとわかってくれている」「私の頑張りを見ててくれているんだ」ってわかるだけで安心しますし、うれしいんです。 こうして考えてみると、ママって燃費のいい生き物だと思いませんか? ダイアモンドをよこせとか、おこづかいをよこせとかそんなこと言いません。 夫からの言葉かけひとつで走り続けることができるんです。 ■飲み会に向かう夫が、妻に言ってはいけない言葉 しかし、ここで言ってはいけない言葉がいくつかあります。 ・その1. 「どうせ飲まずに帰ってきても、俺のやることないじゃん」 「どうせ俺が帰って来た頃には子どもたちも寝てるんだし、飲み会に行ったところでかわらないんじゃない?」 えぇ、そうです。 気持ちとしては理解できます。 どうせいつも通り帰ってきたとしても一番大変な時間帯は過ぎ去っていますし、子どもたちも寝ています。 19時台に夫が帰ってきてくれるのなら戦力として動員できますが、21時以降に帰ってくるのであれば22時だろうが23時だろうが変わりません(戦力外)。 となると男性側は「別に飲み会に行こうが行くまいが一緒じゃん!」とお思いなのかもしれませんが、そうじゃないんです。 妻はある意味「飲み会」というものに幻想を抱いているところがありまして。 今私が一人で家で「疲れた…」としょぼくれている間にも、夫は飲めや歌えやどんちゃんどんちゃん楽しく盛り上がってるんだろうな…と思うと、無性に腹が立ってくるんです!! 正直うらやましい! 実際、飲み会も毎回どんちゃんしてるわけではないと思いますし、しけた飲み会の場合もあるでしょうけど、部屋で疲れてるスッピン部屋着の私と、どんちゃんしてるであろう夫との落差にがっかりするんです。 妻からしたらそれだけ「飲み会」というのはスペクタクルでファンタスティックなイベントにうつっています。 スペシャルなんです。 また、こういうことは言ってもらいたくありません。 ・その2.「本当は行きたくないんだよな~」 「俺だって行きたくないんだよぉ~~~。仕方がないから行くんだよぉ~~」的な。 おそらく飲み会に出掛けるほうとしても、なんらかの後ろめたさがあるんでしょう。 俺だって本当は行きたくないけど仕方なくいってるんだ、と聞いてもいないのに言い訳してくるケースがあります。 これ、妻側からすれば「なら、断れよ」の一言につきます。 行くなら行く! うだうだ「本当は行きたくないんだよ」アピールをするよりも、「いつも一人で頑張らせて申し訳ない!埋め合わせは必ずする!」と。 「行きたくないけどいかなくちゃいけない」をアピールするんじゃなくて、「行くことを申し訳ないと思っている」ということをアピールしてほしいです。 かつて、某通販会社の顧客情報流出事件で、社長の謝罪が珍しく称賛された例がありましたね。 「このぐらいお詫びしておけば無難だろう」という線を上回るお詫びの仕方だったので、むしろ顧客側に「もうわかったよ! いいよ!」と言わしめたのです。 その戦法です。 「そんなに謝らなくてもいいよ! 行ってらっしゃい!」そう妻に言わせられたら夫の勝ちです。 そのためには、「言葉」だけでは足りません。「妥当なところ」を上回るものを提供しなければなりません。 それが「行動」です。 言い換えれば「埋め合わせ」ですね。 ■夫婦だってギブアンドテイク たとえば、飲み会に行く代わりに、休みの日は朝早く起きて子どもの朝御飯を準備して奥さんをゆっくり寝かせてあげる、とか。 平日の食器洗い、洗濯物をたたみ、風呂掃除、トイレ掃除を3日間買って出るとか、奥さんの肩を1週間ぶっとおしで揉み続けるとか(笑)。 奥さんの要求を上回る行動を返してくれたら、妻としても「飲み会=むしろラッキー!」なものになります。 なぜ飲み会に行くごときでそこまでせにゃならんのだ! と思いかもしれませんが、それぐらい私たち妻にとって飲み会というのはスペシャルな存在なのです。 相手にあげた分、自分だって得たいと思っています。 私が夜に出掛けるとなると、夫に数ヶ月前からその日を空けておくように頼み、逐一リマインドをし、晩御飯の手配をし、帰ってきてからは「ありがとう。助かった! 行かせてくれてありがとう」とお礼を言うぐらいの存在なのですから。 そこがそもそも違うんだということを前提において、ギブアンドテイクをうまく駆使しながら 忘年会シーズンは奥さんへの奉仕月間ぐらいの意識で臨んでもらいたいと思います。 【お知らせ】 前回の 「夫の飲み会にイライラ! ママたちが不機嫌になるのは深い理由がある」 の記事下アンケート「Q. 夫の飲み会にイライラしますか?」には、2,500件もの回答が集まりました! アンケート結果はこちら↓
2017年12月14日いよいよ2017年も終わりが見えてきました。忘年会シーズンがやってきましたね(遠い目)。 今日のテーマは、 「夫の飲み会」 についてです。 ■「夫の飲み会」のあり方 「飲み会」。 酒を酌み交わし飲食をともにすることにより、お互いの仲をより深める行為でありますけれど(知っとるわ)、 自分が参加するのと、夫に参加されるのとでは、沸いてくる感情が正反対なのはなぜなのでしょう。 現在妊娠中の方たちに、少しだけ先を走っている私からアドバイスさせてください。 お子さんが生まれてくるまでに、産後の「夫の飲み会」の在り方について話し合っておいたほうがいいような気がします。 たとえば「飲み会は断ってほしい」だとか、「飲み会に行ってもいいけどかわりに○○してほしい」だとか。 事前に話し合っておくことで、産後1年間のモメ事をずいぶんと減らせるような気がします(我が家の場合はここがうやむやだったので争い事も増えました! 笑)。 赤ちゃんが1人加わるだけで、夫婦2人だけの時の生活とはガラリと変わります。 特に母親側の生活は全然違ってきます。 今まで気にもならなかった夫の飲み会が、妙に癪(しゃく)にさわるようになってくるのです。 では、なぜ、夫の飲み会に対して、妻はイライラしてしまうのでしょうか。 その理由を今回私なりに考えてみました。 ■飲み会=夫にとっては「日用品」、妻にとっては「貴重品」 まず、夫(父親)側と妻(母親)側では、 「飲み会」の位置付け自体がそもそも違っているような気がします。 夫側からしたら、飲み会は子どもが生まれる前も、生まれたあともさほど位置付けは変わらないものだと思います。 手に入れようと思ったらすぐに手に入る日用品のようなもの。 しかし、母親側からしたら、出産と同時に一気に遠い存在になります。 そもそも妊娠・出産・授乳中とお酒自体が飲めなくなりますし、母親じゃないと子どもが寝ないとか、続けて第2子・第3子が生まれるだとか、とにかく夜に出掛ける機会が一気に減ります。 今まで日用品だったものが急に貴重品になるのです。 ■妻が飲み会に行くには段取りが必須 私の場合は飲み会といえば、大学時代の友人たちと年に1回ほど集まったりするぐらいで、スペシャルもいいところです。 飲み会ではなく、友人と晩御飯を食べに行くにしても、実家に帰省したときに母親に子守りをお願いしてようやく行けるという生活でした。 この日のこの時間帯はよろしくお願いします、とかなり前の段階から約束しておいて、その日にむけて段取りを組みます (ただし子どもたちが幼稚園に入った今はずいぶんと余裕ができました)。 飲み会に限らず、次男が0歳の時には友人の結婚式も欠席で返事を出したこともありましたし(哺乳瓶を一切受け付けない赤ちゃんだったので、預けることができませんでした)。 他の友人たちみんなが集まっていても自分だけは行けなかったりと、 行きたくても断らざるをえない機会がぐんと増えました。 ■飲み会に行くととがめられる妻たち 数年前に初めてママ同士の飲み会に参加したことがあるのですが、みんな口をそろえて言うのが「こんな機会、年に1回あるかないか」だったり「今日が初めて!」でした。 なかには「21時には絶対帰らないと」と言われている方もいて、その理由を聞くと 「母親たるもの夜遊びするとは何ぞや!」 的なことをご主人から言われてたりもして…。 正直、今でもまだそんな家庭があるのかと驚きましたが、そういえば私の友人でも 「お姑さんにとがめられたから行けない」 といって、何年も会えていない友人がいることを思い出しました。 どうして父親は飲みに行っても誰にもとがめられないのに、母親が飲みに出掛けるとこんな風に言われないといけないんでしょうね…。 なんなんでしょう。これ! ■妻のほうが「~せざるをえない」が増えていく 女の人は「子どもがまだ小さいから…」とか「子どもが熱をだしたから…」とか、行きたくても行けない状況が多くなりますし、「今はそうせざるをえない時期なんだ」と自分に言い聞かせています。 が、一方で男の人の場合、「今はしょうがない」という時期がありません。 母親に比べて、子どもが熱を出したからといって飲み会を断るケースはほとんどないように思いますし、子どもを理由に結婚式を断ることはもっとないように思います。 また、子どもが小さいうんぬんに関わらず、女友達は結婚すれば見事に、年末年始・盆休みは会えなくなりました。 ご主人の実家のほうに帰省してしまうからです。 しかし、夫側の友達は結婚しても子どもが生まれても年末年始・盆休み・変わることなく会い続けることができています。 これでもわかるように、 女性のほうが結婚・出産によって環境を変えざるをえないことが多く、 そして家族が増えるにつれ、どんどんと自分の予定よりも優先しなくちゃならないものが増えていきます。 この夫側と妻側の「~せざるをえない」差が少しずつ少しずつ積み重なって、妻側の心の余裕のタンクをすり減らしていってしまうんだと思います。 ■夫にも同じ目線に立って欲しい 仮に、今まで簡単に手に入っていたトイレットペーパーが急に手に入りにくくなったらどうなりますか? しかも、自分の住んでる地域だけがトイレットペーパー不足で、隣町はいつでも手に入れられる状況だったとしたら。 なんで自分のところだけトイレットペーパーがないんだ!! 隣町に住んでる人はいつでも買えるのに!! って怒りが沸いてきますよね。 そして、そのうち、「どうして、自分の街だけ買えないんだろう…」と疑問に思うようになり、ここで2つの思考回路に分かれると思います。 「よし! こうなったら隣町から仕入れてきてやる! もしくは供給体制を整えてやる!」となるか、 「隣町の人だって、私と同じようにトイレットペーパーがない生活がどれだけ大変か味わえばいいのに!」となるか。 産後の母親の場合、私もそうだったのですが、後者になりがちだと思います。 目の前の生活に集中せざるをえないので、隣町からトイレットペーパーを引っ張ってこれるだけの余力がありません。 余裕があれば「ないなら自分で用意すればいい!」と前向きにとらえられますが、 自分自身に心の余裕がなければ相手を自分と同じ環境に引きずりこみたくなるんです。 要するに、自分は赤ちゃんのお世話にひたすら集中して、いろんなものを我慢してるのに、今までとなにも変わらずに生活している夫はずるい! 私ばっかり我慢しなくちゃいけないもの、断らなくちゃいけないことが多くなるなんておかしい! 夫だって親なんだから私と一緒の目線にたってほしい。 私と同じように家庭第一・子ども第一で生活してほしい! って求めてしまうんでしょうね。 ■自分が満たされていないと、相手に優しくできない でも、妻だって決して、 「飲み会は全部無駄!」「全部断ってこい!」なんて思っていないんですよ。 どちらかというと寛容でありたいと思っていると思います。 仕事の付き合いで断れないというのも理解しようとしていますし、外で働いてきてくれている夫に息抜きの場を与えてあげたいという気持ちも持っています。 でも、自分が満たされていないと、相手に優しくできないんです。 じゃぁどうすれば妻が満たされるのかといえば、 絞めるところを絞めてほしいんです。 大事なところをギュッ! と押さえてくれさえいれば笑顔で送り出せるものを、そこを押さえずに出ていってしまうから、自分勝手な夫のように映ってしまうんです。 言い方を変えれば、絞めるとこさえ絞めていれば、世の旦那さんだってもっと罪悪感なく飲み会に出掛けられますし、うまく立ち回れるはずです。 具体的な絞めポイントは… 後編 につづきます。 【お知らせ】 前回の 「3人目が欲しい! 夫と意見が割れても、私が諦めなかった理由」 の記事下アンケート「Q. 理想の子どもの人数は?」には、1,300件近くの回答が集まりました! アンケート結果はこちら↓
2017年12月07日これを読んでくださっている読者の方の中には、3人目をどうしようかと考えておられる方もいらっしゃると思います。 「3人欲しいけれどどうしようかな」と悩むポイントは人それぞれでしょう。 そんな方たちのなにかのお役に立てれば幸いと思い、何人かの方から「書いてほしい」とリクエストいただいていた、私が3人目を欲しいと思った理由を書くことにします。 ■「欲しい子どもの人数」と自分のきょうだい構成 全員がそうとは言いませんが、特に男・男と続いた兄弟の母親の場合、(私もそうです)3人目をどうしようかと悩むパターンが多いのではないでしょうか。 我が家の場合は、そもそも夫婦の価値観が違っていました。 結婚した頃から私は子どもは「3人欲しいなぁ」と思っていて、夫は「2人いれば十分」と思っていました。 どうしてそう思っていたのかというと理由は簡単です。 自分自身がそうだったから、です。 私は3人姉弟で育ち、夫は2人兄妹で育ちました。 自分自身の生い立ちをもとに、「自分はこれで十分だったから子どももこうしたい」と思っただけの話です。 私たちに限らず、自分が3人姉弟で楽しかったから子どもも3人兄弟にしたい、とか、自分が6人兄弟で辛かったから子どもは1人でいい、とか、自分自身の生い立ちを基準にして考える場合が多いのではないでしょうか。 ただ、夫婦間の相違をどのようにして埋めていくかが大事です。 夫からしたら「3人の壁」は高く、経済的な面から一家の大黒柱としてプレッシャーを感じていたようです。 それを知っていたので、3人目について深く話したことがありませんでした。 しかし次男が1歳になった頃、私の父が亡くなりました。 老後を楽しむこともなく、63歳の若さで亡くなりました。 癌(がん)でした。 ■父の死を通して変わった「自分の人生」の考え方 私と父は、私が大きくなっていくにつれどんどんと折り合いが悪くなっていき、日常会話ぐらいはしますが根底では全く合わない父娘でした。 ただ不器用な父なりの愛情は伝わっていましたし、育ててくれたことに感謝しています。 しかし、私は父がどういう人生を歩んできたのか今でも全く知らないままです。 かつて一度聞こうとしたことがあったのですが、あまり思い出したくないのか、かたくなに話してくれませんでした。 肉体労働で暑い日も寒い日も外で働き、どこに旅行するわけでもなく、外食をするわけでもなく、本当につつましやかな暮らしをしていました。 気がついた時には体は末期癌にむしばまれていて、手の施しようがありませんでした。 「治る」なんて気休めでも言えません。 わかっているのは「絶対」治らないということだけです。 仕事を退職し、本来であるならば「老後」という余暇を楽しむはずなのに、「死」へと向かう列車に乗せられた父。 当初「余命」と言われていた期間よりも少し早く本当にそのときはやってきました。 みなさんも同じではないでしょうか? 身近な人の「死」に色濃く触れる時間は、それと同じだけ「生」について考えさせられる時間でもあります。 親・友人・身近な人の死は残された私たちに「生」について考える機会を与えてくれます。 私も父の死を通して「自分の人生」について考えが変わりました。 よく「これは老後の楽しみに取っておこう」とか「将来のために備えておこう」みたいなこと言いますよね? でも、その老後って必ず来るものでもないし、将来があるかどうかも分からないんですよね。 働いて働いてあっという間に死んでしまった父のように、老後なんてあるかどうかそもそもわかりません。 人生の楽しみは「先」にあるのではなくて「今」にしかないんだということを実感しました。 そもそも私がどうして子どもを生みたいかと思ったかというと、 自分の命を誰か1人だけの特別な存在にしたかったからなんです。 「母親」というのは1人に1人しかいません。 自分の生きた証を残すために誰かにとって1人だけの存在になりたかったんです。 少々自己中心的ではありますが、「自分の人生」を考えた時に、 お母さんになる というのは外せない目標でした。 ■諦めきれない「3人の子どものお母さんになる」という夢 そして、父の死をきっかけに、その数が1人よりも2人、2人よりも3人になればうれしいなという思いはより強まり、 もしかしたらもうすぐ死ぬかもしれないとしたら何を後悔するかな? と考えた時に、「3人の子どものお母さんになりたい」という夢を叶えなかったことじゃないかな? と思ったんです。 子どもがたくさんいて大変かもしれないけれど髪の毛振り乱して子育てしたい。 一生懸命誰かのために生きる時間が欲しい! と思いました。 そして、夫に直訴しました。 夢を叶えてくれた夫には感謝しています。 え?(笑) なんですって??? そんな夫も今となっては「よかった」と言っています。 (ほんとかな(笑)) 我が家は転勤族なので、子どもたちにとって幼稚園や小学校の転校は避けられないことです。 私たち親は2人とも転勤も転校も経験したことがないのでその苦労をわかってあげることができません。 親よりも兄弟たちのほうがわかりあえることもありますし、兄弟にしか相談できないことも出てくると思います。 環境ががらりと変わったり、辛いこともあるかもしれませんが、そんななかでも兄弟たちで支え合って育っていってくれたら…と願っています。 【お知らせ】 前回の第48話 「夫よ、これしてくれたら助かる…! 3人育児ママによるパパ株UP術」 の記事下アンケート「Q. 育児に関わることで、夫にコレをやって欲しかった!(やって欲しい!)ということがありましたら、教えてください」には、1,500件近くの回答が集まりました! アンケート結果はこちら↓
2017年11月30日子どもが生まれるにあたって、「子育てで僕に出来ることって何だろう」って考えているそこの旦那さん!! あなたはすでに良きパパです。 ただ生まれた瞬間からスタートする母親業とは違って、お父さんという生き物はスタートダッシュが遅い場合が多く、我が家の場合は、父親である夫が母親の私に追い付くまで5年はかかりました。 きっと生まれる前まではやる気満々だったお父さんも、生まれてみれば自分には母乳は出せないし、抱っこしてもどうも泣かれることが多いし、2人の子どもっつったって現実的に日中は仕事があるし…。 こういう小さな「お母さんじゃないとダメ」が積み重なって、お父さんの自信を少しずつ削いでいってしまうのかもしれません。 私たち女性は父親側の寂しさにも似た諦めにも似たような感情をなかなか理解することができず、不満をぶちまけてしまいがちですがどうかそこを!! 「俺だって一生懸命やってるんだよ!」とキレかえさずに刀を鞘に納めてくださいませ。 「もっと手伝ってよ!」と妻にブーブー言われつつも心のなかでは「物理的にそんな時間ないよ…」と思っているそこのパパ! これをやってくれたら夫の株が急上昇する!! というスペシャル術を伝授いたします。 お皿を洗ってくれるのもうれしいし、ゴミだししてくれるのもありがたいけれど、これをやってくれたら他のパパより頭1個分出るんじゃないかなと思うことがあるんです。 しかも、2人目、3人目こそやってくれるとありがたいこと。 ■2歳と0歳の2人育児は毎日が戦争 私は次男が2歳半のときに三男を出産しました。 「王道の2歳差育児」を地で行っていたのですが、この2歳差っちゅうのはメジャーなわりに、一番大変な組み合わせなんじゃないかと思う年齢差でして。 2歳0歳を1人で見るなんて毎日が戦争すぎるんです。 しかも私は専業主婦だったので、長男は幼稚園で昼過ぎまで預かってもらってましたが、次男はまだ未就園で私がずっと家で見ていました。 専業主婦って一見お気楽に見えるのかもしれませんが、 実際はかなり向き不向きのある分野 で、子どもと24時間365日毎日いることに向いてる人と、向いてない人に分かれると思います。 当時は絶賛イヤイヤ期の2歳次男と不眠症の0歳に毎日毎日息をつく間もないほど振り回されていましたが、そんな中でよく周りからアドバイスされた言葉がありました。 「1人で頑張らずに周りを頼ってね」 これ、本当によく聞きました。 「頼れるものはどんどん頼って。」 と。 でも、これが私にとってはハードルの高いことだったんです。 ■どこを頼ればいいかわからない まず、どこに頼ったらいいのかがわかりません。 子どもが生まれた時には保健師さんが子育て支援の案内を持ってきてくれます。 ただ「それ」は冊子のなかに閉じ込められていて、具体的なことは何もわかりません。 施設の名前がずらりと並んでいるか、よくても簡単な自己紹介が書かれているだけです。 もちろん子育て支援センターも、ファミリーサポートも、一時保育も病児保育も、それぞれがどういった支援をしてくれる場所なのかは2人目ということもあって理解はできていました。 (1人目のママさんだとまずここから勉強することになるので、よりハードルは高くなるかもしれません) ただ土地勘もなく、横の繋がりもほとんどない私からしたら「家から近くて預かりが出来る施設がどこなのか」「そもそも空きはあるのか」そこから調べることが必要になってくるわけです。 夫も、毎日寝不足でてんてこまいの私を見かねて、次男を「一時保育に預けたらどうか?」と提案してくれていました。 周りも夫もみんながみんな「一時保育やファミサポなどを利用してもっと息抜きしたら?」と言っていたのにも関わらず、私はなかなか重い腰をあげることができませんでした。 そんな日々を過ごしながら数年たち、三男を出産。さらに毎日がてんてこまいになりました。 そんなに大変なら、どうしてもっと楽になる方法を探し出そうとしないのか。 その理由が当時の私には自分でもよくわかりませんでした。 なんだかんだと理由をつけてなかなか動きだそうとしなかったのですが、どうして動こうとしなかったのか、数年たった今になって分かってきたんです。 調べようとしない理由は、お金でもないし、罪悪感でもないんです。 やる気が出ないんですぅぅぅ!! えええぇぇぇーーー!!! やる気の問題っ!? とお思いかもしれませんが…落ち着いて聞いてください。 ■寝不足で、必死で…冷静な判断ができない なんていうか…抽象的ですが、5歳2歳0歳男の子3人を1人で育ててる毎日って、ちょっと常識とはかけ離れたような生活というか、どこかしら思考が停止してるようなところがあるんです。 (言い方はアレですけど、少なからずどのママにもあるんじゃないかと思います。一番大変な時期の記憶がないっていう話もよく聞きます) 日々をこなすことで精一杯で、寝不足で、理性的な判断ができない部分があるんですよね。 資料を開いて、どこが一時保育をやっていて、どこなら預かってもらえるか、1件1件電話して確認していく。 この作業がものすご~~~~くハードルが高いです。 私は途中で仕事を始めてようやく必要に迫られて一時保育を探し始めましたが、冊子に載ってることと現実は違います。 電話して聞いてみれば一時保育は飽和状態で実質、機能が停止している保育園もたくさんありますし、「その日の空きがあれば可能。空きがなければ無理」といった確約ができない保育園もたくさんありました。 子どもが静かな時間に電話できればいいのですが、3人揃って昼寝してる時間もないですし、電話1本かけるのがこんなにも大変だとは、きっとお父さんには分からないんじゃないでしょうか…。 そこで、最初の話題に戻りますが、パパたちに協力してもらいたいことがあります!! ニーズはすべてのママには当てはまらないかもしれませんが、私のようなママも一定数いると思います。 ずばり… 「一時保育に預けたらいいんじゃない?」と提案するだけでなく、 見繕ってきてほしいんです! 預けるのは妻なんだから自分で探せ、じゃなくて、妻の代わりに(もしくは一緒に)探してきて、なんなら面接日をセッティングしてきてほしいんです。 他力本願でだらしないように思えるかもしれませんが、「この日にこの場所に行け」とお膳立てしてくれる人が欲しい。私が求めていたのはこれだったんだと思います。 どこなら預かってもらえるのか、預かってもらうとしたらどうすればいいのかなど、リサーチして、結果を教えてくれるだけでもかなり労力が減ります。 一時保育にせよ、ファミリーサポートにせよ、一度現地まで向かって登録しないといけない場合がほとんどです。 ファミリーサポートの場合は本部に登録して、さらに提供会員さんと事前面談もしなければなりません。 人命に関わることなので必要なことなのですが、赤ん坊と赤ん坊みたいなもん2人連れて1人であちこち出向くこと自体どうしても億劫になりがちです。 そこを、夫が一緒になって動こうとしてくれたなら…有休でも取って一緒に動いてくれたなら、奥さん、きっとものすごく助かると思います。 私が欲しかったのは、情報がつまった冊子でも、「預けたらいいよ」の気遣いでもなくて、 「一緒になって探してくれる人」だったんだと今になってようやくわかりました。 利用するしないは別として、夫が一緒になって子育て支援施設情報を調べてくれてるって分かるだけでも妻としては心が温まると思います。 世のお父さんたち。 一時預かりが出来る保育園、身近にどこにあるかご存じですか? ファミサポってなにかご存じですか? 「なにそれ?」なお父さんもまだまだたくさんいるはず。 お母さんだけの仕事じゃありません。 ぜひ一緒になって調べてみてください。
2017年11月23日こんにちは。コソダテフルな毎日のちゅいママです。長男(小3)、次男(年長)、三男(年少)3兄弟の母です。 こんな私ですが一応3人の赤ちゃんを育ててきているので、時々 「赤ちゃんを泣き止ませる方法って何かありますか?」 と聞かれることがあるのですが、皆さん、いかがですか? 赤ちゃんを泣き止ませる方法って何かご存じですか? ■泣きやまない次男を抱っこしながら耐える日々 我が家の場合、昼間に泣く赤ん坊と夜に泣く赤ん坊と2種類いたのですが、次男が 起きてる間はずっとグズってるような子だったんです。 昼間は終始グズグズ泣いてるのですが、夜は比較的よく寝てくれたのでその点では助かりました。 さらに、「ママじゃないと受け付けない」というこだわりもあったので、1歳を過ぎるまで他の人に抱かれたことがほとんどありませんでした。 夫ですら1歳過ぎになるまでろくに抱っこできませんでした。 よく言いますよね? 「泣くと肺が鍛えられる」とか、「泣いて体力を使えば疲れて寝る」って。 泣き止まない次男を抱っこしながら、よく心の中で唱えてました。 「これだけ泣いたらそのうち疲れるだろう…」とか、「これだけ泣いたらさぞや肺が鍛えられてるだろう…」とか。 実際にはよく泣いたからといって肺が強くなるなんてことは全くないらしいのですが、きっとよく泣く赤ちゃんを育てているお母さんを慰めるために言われているんじゃないかと思います。 そうでもしてすり替えなければ、耐えられないですから。 いざ出産するまでは、赤ちゃんが泣くのは、お腹が空いてるだとか、おしっこが出て気持ちが悪いだとか、なにかしら理由があるんだと思っていました。 そして、それは子育て未経験の人のみならず、どうやら子育て経験者も同じで、赤ちゃんが泣くとすぐに、 周りは「眠いのかな?」「おなかすいたのかな?」「おっぱいかな?」とすぐさま赤ん坊をお母さんに返却してくれます(夫も同じ。泣いた赤子は即刻妻に返還)。 ですが、赤ちゃんにもそれぞれ 生まれ持った気質 というものがあって、 理由もなくよく泣く赤ちゃんだっているんですよ。 ■母だって、なんで泣くのか分からないときもある おっぱいもあげたし、オムツも換えた、眠くもないはずだし暑くも寒くもないはず。 それでも 泣く子は泣きます。 家の中でずっと泣かれるのも相当辛いのですが、もっと困るのは公共の場です。 忘れもしません。友人たちとランチをした日のこと。 赤ちゃんがいてもいように個室にしたのですが、個室に入るなり次男が泣き始めました。 なんで泣くのかわかりません。 母親だからって何でも分かると思ったら大間違いです。 分からないものは分かりません! 何をどうしても泣き止まず、結局、私、ほとんど部屋にいれませんでした(ひたすら外を徘徊)。 あと新幹線も困りましたねぇ。指定席なんて取るもんじゃないです。 ずっっっとデッキで立ちっぱなしです。 ■赤ちゃんを泣き止ませる方法ってあるの? さて、最初の議題に戻ります。 泣いている赤ちゃんを泣き止ませる方法があるか? という問いについてのお答えです。 ズバリ…、 んなもんあるわけがありません! 残念ですが、ないです。 てか、そんなもんあったらノーベル賞もんです。 そりゃ、一般的に赤ちゃんが好きだと言われているビニールをクシャクシャする音で泣き止む子もいるでしょう。 スマホのアプリの音楽で泣き止む子もいるでしょうし、なんなら「バァ!」って言うだけでケタケタ笑う赤ちゃんだっているでしょう。 でも、あくまで 「そういう子もいる」 に過ぎません。 私も、「これがいい」と言われるのもは数々試しました。 ビニールもくっしゃくしゃにしましたし、ドライヤーの音を聞かせてみたり、換気扇の音を聞かせてみたり、なんとか泣き止ませようとしましたけど、 次男にはどれも意味ありませんでした。 結局のところ、 ひとりひとり違います。 ある子には効果的なことでも、別の子には無意味です。 同じ親から生まれてきた兄弟だって3人ともこんなに違うのですから。 みんながみんな泣き止む方法などあるわけないですよね。 ただ、ひとつ言えることはあります。 ■よく泣く赤ちゃんも、泣かなくなるときが必ずくる 「よく泣く赤ちゃんだからといって、ずっとそのままの性格というわけではない」 ということです。 先程赤ちゃんにも生まれ持った気質というものがあると言いましたが、必ずしもそれが人格の根底になるわけではないと思います。 よく泣く子、よく笑う子、それぞれいますが、よく泣いてる赤ちゃんが大きくなっても気むずかしくて泣き虫のままかというとそんなことは決してありません。 あれだけ泣いていた次男ですが、歩き始めるようになったら人見知りも全くしない、芸人のようなキャラクターになりました。 幼稚園でも面白キャラクターを確立しているようです。 今、よく泣く赤ちゃんを育てていらっしゃるお母さんたち。 その大変さ、よ~~~~くわかります! 赤ちゃんは泣くのが仕事って言ったって、仕事熱心にも程がありますよね! グズグズ泣かれたらイライラもしますし、物事はすんなり進まないし、肩は凝るし、近所迷惑は気になるし、わずかな昼寝時間には起こさないように忍び足になるし、そのうち起きてくることにまでビクビクするようになったりもして…。 キレイごとでは済まないこと、よ~~~くわかります。 ただ、赤ちゃんが泣き止まないのはあなたのあやし方が悪いわけでもないし、赤ちゃんがなんで泣いてるのか分からないからって母親失格でもありません。 泣く子は泣くんです。性格です。 ただその性格はずっと続くとは限りません。 もちろん体調不良のシグナルの場合もあるのでよく観察する必要はありますよ! うちの次男の場合は体調万全でもずっと泣いてましたけど(笑)。 どうか真面目に追い詰められないで! 今は先が見えなくてしんどいと思いますが、必ず…必ず泣かなくなるときは来ます! 今目の前にいる姿からは想像もつかないような、ファンキーな性格の子になるかもしれませんよ。 その日を楽しみに…うまく力を抜いて…泣きすぎて死んだ子はいないと思って! (これしょっちゅう唱えていました) 【お知らせ】 前回の第46話 「ワンオペ育児は夫の働き方改革だけではなくならない」 の記事下アンケート「Q.夫の子育てにたいする意識に不満はありますか?」には、2,000件近くの回答が集まりました! アンケート結果はこちら↓
2017年11月16日こんにちは。コソダテフルな毎日のちゅいママです。長男(小3)、次男(年長)、三男(年少)の3兄弟の母です。 前回の記事でいちばん大変だった3兄弟赤ちゃん時代を振り返りましたところで…。 ■とにかく夫に早く帰ってきてほしい あらためて今、私がひとつだけ「どうすれば4人目を生みたいと思えますか?」と聞かれたら、 「夫が毎日早く帰ってきてくれるようになれば、具体的に言うと17時30分に帰ってきてくれるようになれば生みたいと思えるかもしれない」 と答えます。 夫に、世のお父さんたちに、もっと早く仕事を終えて家に帰ってきてほしいです!!! 三男が保育園に行っていたころ、次男、三男それぞれ預け先が違ったので迎えにいくだけで時間がかかりました。 夫がお迎えに行けるなどという選択肢はそもそもないので、毎日私が両方お迎えです。 そこからお風呂にいれて、晩ごはんを食べさせて、寝かしつけて、すべてがひとりです。 働いても働かなくても状況は一緒。結局育児、家事は全部私の仕事でした。 だって、夫がそもそも家にいないのですから。 頑張ってくれている夫には申し訳ないけど、いい加減にしてよって思ってる奥さん、いっっっぱいいると思います。 ひとりで頑張ってるお母さん、いっっっっぱいいると思います。 ひとりでやらざるを得ないから鍛えているうちに、ひとりでなんでも出来るようになっちゃって、「夫なんて留守で元気がいちばんいい!」と鋼の女化した奥さん、いっぱいいると思います。 そんなに夜遅くまで働かなくちゃダメ?! 夜遅くまで何をそんなにしないといけないの!? お願いだからはやく帰ってきてよ。 誰かが帰れないと帰れない雰囲気なんだったらいっそのこと会社の鍵を18時に鍵閉めてほしい! 保育園も必要。待機児童も解決してほしい。幼児教育だってそりゃ無償化できるんならしてほしいですよ。 でも、子育てのパートナーである夫にももっとはやく家に帰って来られるように、今の働き方、なんとかなりませんかね? お給料は減らさずに、もっと早く家に帰れるようになりません? 男性の働き方改革をもっと推し進めてほしいです。 だけれども、これについて夫から言われたんです。 ■夫に言われた衝撃のホンネ 「夕方17時30分に帰れるようになったとしても、家にまっすぐ帰る男がどれだけいるかなぁ?」 衝撃でした。 いやいや、そりゃ帰るでしょうよ!! 家で奥さんと子どもが待ってるんですから。 「頭ではそうするべきだって分かっていても、あえて帰ろうとしない男性だって一定数いるはず。仕事から帰って子どものお風呂入れてご飯食べさせて皿洗って寝かしつけて・・正直しんどいもん。 子ども相手だから思い通りいかないし、家事なんて喜んでしたいものでもないし。 なにかしら理由つけて忙しいフリして帰ろうとしない人だっていっぱいいると思うけど。 」 そ…そんな!! そんなひどい話ないでしょう!? と思ったのですが、冷静になって考えてみたら…男性のリアルな本音でもあると思います。 仮に私が男だったとしても仕事から帰って子どもと20分ぐらい顔を合わせていちばんかわいい瞬間だけ味わったら、あとはもうすんなり寝てほしいですもん。 早く帰ろうと思えば帰れるのにあえて仕事をしていたい(すでにそうしてる)お父さん。 なぜなら子育てのほうが仕事より大変だからです。 となると働き方改革を進めても効果があるのかどうか怪しくなってきました。 ■ママの負担は「夫の働き改革」だけでは解消されない 働き方の改革だけでなく、日本の男性の家事育児に携わる意識を変えていかなければいけないような気がします。 日本はどうしてこうも子育て=お母さんのイメージが強すぎるんでしょうか。お父さんの影が全然ありません。 男性の子育てにたいする意識は子どもを持ってから急に培おうとするものでなく、子どもを持つずっと前から根付かせていかなければ、帰宅時間を早めたところであまり意味がないような気がします。 たーだーし、それがいつになればその意識が浸透するのかを考えると果てしなく気が遠くなります。 いつか根付く時が来るのでしょうか。今はまだ想像がつかなさすぎて…。 いったい日本のお母さんはいつまでひとりで頑張らないといけないのかなと、気が遠くなります。
2017年11月09日